宇宙には果ても無もない [無断転載禁止]©2ch.net
宇宙を四次元空間だと仮定すれば
宇宙が果ても無もなく存在していることを証明できる 少なくともお前はバカと自覚してないバカなのは明らか
このスレみてる奴はみんなそう思ってる
レス無用 >>122
>90 返信:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2018/06/02(土) 20:27:27.52 ID:kpqM30cO [2/2]
>>>89
>少なくともお前はバカと自覚してないバカなのは明らか
>このスレみてる奴はみんなそう思ってる
>レス無用
こいつがな 四次元は三次元の無限集合で実在するなら三次元は無限にあるのかな?
0次元は実在しないし。
次元で説明するで実在しないんじゃないかな
時間もまた 無限自体が概念で存在しない
0と無限が出て来た時点で理論は破綻する 宇宙学者A「宇宙空間は球体だから、果てし無く突き進むと、最後は最初の地点に戻る。」
↑これって知ったかぶりの詭弁じゃね?なら四畳半の俺の部屋も球体にしたら果てが無くなる訳か・・・・? >>142
観測されるかされないかは関係ない
実際宇宙の全天球で同じ星のパターンがないか探してる学者もいる
無知がどう頑張っても無知乙 >>145
>実際宇宙の全天球で同じ星のパターンがないか探してる学者もいる >>145
量子力学を一生理解できないタイプの人間の見本 >>145
その宇宙学者の話は球体の表面を二次元宇宙として例えた話だろ?
球体の内側を移動できる四畳半の球体とは訳が違う >>149
>その宇宙学者の話は球体の表面を二次元宇宙として例えた話だろ?
違う >>150
そうなのか?
球体の上に真っ直ぐ線を引くともとの場所に戻ってくるのと同じ原理で、それを三次元に拡張した理論だと思ってた
それがいわゆる閉じた宇宙じゃないの?
実際には観測によると曲率はほぼ0に近く、この宇宙は平坦らしいが(平坦性問題)
ちなみに閉じた宇宙は高次元の世界なので、頭で形を完璧にイメージするのは不可能だよ >ちなみに閉じた宇宙は高次元の世界なので
間違い
背伸びすんな 3DCGソフトで平行投影の状態がどこまでもつづく平坦な空間
しかし実際にはこんな空間はない >>155
>平坦な空間
アホの戯言
並行投影はレンダリングの仕方
何の関係もない 宇宙の始まりがブラックホールのような凄い重力で時空も存在しなくて量子揺らぎだけがあるようなものだったら、その反対の状態が宇宙の果てって事なんじゃないかな。
さっぱりイメージできないけどw 凄い重力や密度なら脱出出来ないから
ビックバーンなんて起こらんだろ
理論自体が間違ってるよな まず無の定義ができない
数学最大の発明?は0という数字を作ったことなんだけど
ないものがそこにあるという状態を現実世界では造れないし証明できない 無限大がないから0も無いわな
計算上でなく、現実にビックバンを実現させないと
本当の証明では無い
観測で得られたものは存在の証明にはならない おまえらまだ分かってないのか・・
無とはブラックホールのことだよ 重力粗無限大になったらほぼ時間は停止するんだよ。
それを時間も空間も無い状態=無って言ってる。
情弱向けにね。 >>167
× 重力粗無限大に
○重力がほぼ無限大に >>172
>>167
>重力ほぼ無限大になったらほぼ時間は停止するんだよ
それを時間も空間もない状態=無っていってる
事象の地平面に近づけば近づくほど時間の流れが遅くなるのは分かるけど、それと空間が消えることに何の因果があるの?空間はあるから無じゃないだろ ほぼ無限大というのはどんな数値なんだ
かなり大きな重力としか言えないはずだ >>174
酔っぱだから説明できんw
詳しくは
神の数式を見てくれ。
https://youtu.be/HG7BYsJ3U8o
相対性理論だと無限大になっちゃって式が破綻するんだけど
最小単位では弦の振動が揺らぎを持っていてそれが熱を発生してるなんちゃらかんちゃらw
んでどっかーん! インチキ理論だから無限大なんて言葉で誤魔化すんだよww >>177
弦理論によって無限大問題は解決されてますが? 宇宙に果てがあるとなるとお前ら、その果ての外側には何があるか訊くだろ?
だからそうならないために宇宙には果てがない 太陽系が8万光年も位置ジャンプしたってマンデラエフェクトがあるんだけどどう思うよ?
ちょっとここで解説してよ
【マンデラ】現実と違う自分の記憶28【宮尾すすむ】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1544529015/ 座標原点、つまり静止、始まりが自然に実在したら光速度一定の原理が成立しない
わたしが生まれる→物理状態の変化
わたしが死んだ→物理状態の変化
何も生まれない、無くならない
つまり自然に生死は実在しない
自然自体も生まれない、無くならない 太陽、いや全ての天体は地球の周りを運動しているように見える
太陽から見たらそれは同じ
見る、観測は静止という仮定が必要だからそうなる
つまり観測自体は天動説と言える 観測はこの意味で直接自然を反映していない
同時の相対性は観測するからこそ
まさに観測問題
あくまでも観測された自然だ わたしという物理状態は赤ん坊から今に至るまでわたしという同一で捉えられる
しかし一瞬たりとも同一であることはない
運動変化する自然を理解する論理もまた静止
理解そのものが天動説
つまり実在しない静止で理論は展開される
理論は人間のもので、それは自然には実在しない 天動説は地球からはそう見えるのは真実
太陽が地球の周りを運動していると理解したら誤り
地球以外でしか観測出来ない時代は、地球からはこう観測されるが、といろいろ「翻訳」され理論は展開される 光速度一定の原理は、座標原点の実在を否定した
この原理は私たちが自然を理解するには座標原点、静止が必要だが実在を否定した
この原理は理解の自己言及でもある 座標原点が実在しないなら始まりは実在しない
始まりが無いなら終わりもまた無い
終始が実在するという理解はエネルギー保存則、光速度一定の原理の否定
ビッグバン仮説は観測に必要な静止、座標原点、静止が実在するという天動説 理論は実在しない基準を設定して展開される
天動説モデルはその範囲では真理
太陽モデル、銀河系モデル、大構造モデル、つまり理論はそのように展開される
理論は認識理解する人間のもの
自然に理論、論理は実在しない 自然は実在しない座標原点を設定して理解される
始まりが実在しないから有限は実在しない
有限で無限を理解しているだけ
観測は静止で為される
論理は同一で 自然はエネルギーの濃淡の海から成り
全ては〜に成るだけ
観測問題は波が渦の状態だとすれば良いだけ
ブリゴジン学派はそう予想して研究をしている
無限の海なら終始は実在しない となりの家の事も知らないのに宇宙の果ての事語るな! 宇宙の外側をおどろおどろしく想像している人が多いけど、
宇宙の外側は光が届かない、情報のやりとりが不可能なだけで俺たちの周りとなんら変わりがない空間だよ
コンビにもあればポストも赤い、なんらおどろおどろしい世界ではない 行けども行けども宇宙の外側とやらには辿り着けないから それは困った!いけどもいけども行っても辿りつけない世界とは! 行けども行けども辿り着かない領域は、いけどもいけどもやっと辿り着いた地域がかつて行き来していた世界
かつては交流していたのでコンビニもあればポストも赤い似たような世界が広がっていた ブラックホールの逆の概念の様な所だと思う。
けどそれがどういうもんか全く想像がつかないw 星の密度は限界があるが
空間は際限がない。人の脳では認識できんし。
頭がおかしくなるぞ。 宇宙は一様で、特別な方向を持たない等方的であるとする宇宙原理がアインシュタイン理論の前提となる 光より速いスピードで膨張してるんでしょ?
っていう事は
光より速く空間が広がってるとイコールだよね?
っていう事は端っこ付近は超ウルトラスーパー何にも無い真空
って感じなんだよね?
という事は? 宇宙は一様で、特別な方向を持たない等方的であるので、中心も端っこもない 宇宙の果てには、たぶんコーラの瓶が落ちてると思う。 コーラ誕生から現在の宇宙の果てまでコーラの便を飛ばすには宇宙全体のエネルギーの10倍のエネルギーが必要 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆輪廻卒業キャンペーン・魂の回覧板☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
近年は地球文明の絶頂期を迎え、ここ日本もストレスの多い社会となって参りました。
そこで宇宙の法を理解して、今生を縁に輪廻転生を卒業しませんか? 蓮の花は泥沼から咲く♪
〜世界と人間のシステム〜
◆この世界は仮想現実(VR)のようなものである。
◆現れた世界のすべては全自動の因縁生起プログラムによって動いており、
ほんとうは個人的行為者は存在しない。ほんとうは誰一人この世界の動きに介入できない。
どんなに高次の存在がいたとしても、それも人間同様にプログラムで動いていると思われる。
◆人間は自我の催眠システムによって、ほんとうはプログラムどおりに動いてるのに
自分の意思で心身を動かしてる、と感じる催眠状態にある。
◆しかし仮想世界の中では行為の責任が個人に負わせられるのは、倫理上しかたのないこと。
◆人生は神聖なるジョーク。すべては宇宙意識の戯れであり、人間の意識もその深層の宇宙意識の一部。
ある意味では意識の中に世界と人間(=仮の自己)が現れ、霊魂が「私」という存在感覚を自我に投影する。
◆生きてる間に自我のシステムに何らかの強い力がかかって自我が落ちる(催眠が解ける)
ケースがあり、それがいわゆる悟りを開いた人たちで彼らは今生で輪廻を卒業する。
◆人間が体験する事象は、基本的には自分の深層意識にストックしてある過去の行為のデータ
を使って現象化してると考えられる。(人間関係なら自分と相手、集団ならその構成員たちのデータ)
◆このデータは前世から現在までのもので、現象化されればデータは消えるが、ネガティブ現象においては
それと戦ってしまう自我の防衛システムによって新たなネガティブデータが保存されやすい。
◆このデータが現象化される速度はピンキリであり、人の深層意識の状態と運命によるが、
おそらく平均的には人生の全行為の1/2以上は来世に持ち越される。 ◆この仮想プログラムは自然発生的に起こっていて、厳密な意味での全知全能のプログラマー(創造神)
のようなものは存在しないと思われる(創造の原理は存在する)。
◆高次の視点で見れば、すべての事象の運命は先々まで定まってる可能性が高い。
◆全ての二極性は表裏一体であり、輪廻の中に現れるあらゆる状況は時間の中でバランスをとる。
◆現時点の人類のDNAシステムと自然界のエネルギーバランスでは、生前に自我の催眠が解けて
解脱する(真我に目覚める)のは稀なケースで、今その部分の転換期に差し掛かってるのかもしれない。
◆しかしこれは仮想世界でほんとうは個人は行為者ではないと確信してそのことをよく考え抜き、
自我に根ざした行為を控え、ハートに根ざした道理に適った行為を心がけて深層意識のデータを浄化し、
真我は不生不滅でありそれはこの仮想世界とそれが現れる源泉の両方であることを確信して死ねば、
死後に輪廻を卒業してニルヴァーナに常にある荘厳なる至高の実在に目覚めると思われる。
◆しかし本当はそれは誰にとっても今の瞬間に存在する。眉間の後ろのほう(脳の中心部)とハートの中心に
全てである真我(≒無)への入り口があるが、その入り口の感触はたいてい味気なく感じられよく無視される。
幼い純粋な子供はその入り口の感触をおぼろげながら感じており、自己と世界の関係性が親密である。
その入り口の最深部から、仮想意識とその中に時間と空間の仮想世界がいま現れる。
現時点で多くの人間は我欲を主体とし、宇宙の法に従った生き方をしないために至高の統一生命が無視され、
延々と輪廻(幻想)の海を漂ってる可能性が高い。なお、宇宙の法は人生の境遇が悪ければ悪いほど甘くなる。 ◆そのような世界観を直感的に確信して賢く生きれば、仮に死後に輪廻したとしても、
深い洞察と良縁に恵まれた好ましい流れの運命を享受できる可能性が高い。
◆生前に「来世」という可能性も少し考慮して行為するのは理にかなってるかもしれないが、
死ぬ間際に来世という概念(イメージ)を強く持ってしまうと、それが輪廻の卒業を妨害する可能性がある。
自分で死期が迫ってることがわかるケースでは、最期にはなるべく欲望・執着を捨てて、
あらゆる概念を放棄してハートの中心(自我と真我の連結点)で静かにしているのがよい。
◆人生を例えるなら、それは既に作られたシリーズものの映画を見てるようなもん。
我々はほんとうは真っ白なスクリーン(=至高の実在、ホトケ)でありその中の小さな点(=霊魂)でもある。
その小さな点が、登場人物の視点から映画の中の世界を見てる(衆生本来仏)。
つまり人間はいわば夢に見られてる側であり、ほんとうは誰も生まれず誰も死なない。誰も何もやってない。
自分が世界の中を動き回ってる、という感覚は自我の催眠によるもので、
実際には霊魂の前に仮想意識とその中に仮想世界が現れて、その中の同化してる登場人物が
動き回ってるようなシーンが現象化されてるだけ。
◆生前に自我の催眠が解けて解脱した場合、メインの自己感覚は真我(映画でいうとスクリーン)の側になり、
仮想意識に中に現れた人間としての自己感覚は非常に小さくなり(ほとんど私は人間だとは感じられない)、
自分が行為者(行為の司令塔)であるという感覚もほぼ消失する。この状態には非常に現実的なパワーがある。
あえて肉体のレベルに焦点を合わせれば行為者の感覚が発生するが、それは偽りだという感覚が同時にある。
メンタルシステムの最大の障害物である自我が抜け落ちてるので、心はエナジーと喜びに満ち、
常に現在の瞬間を直感的に的確に捉え、慈悲深く注意深く道理に適った振る舞いを自動的にするようになる。
精神的にはネガティブ感情も起こるが幼子のように速やかに消えていく。
自分のことでは精神的には悩まないが、人々が苦しむのを見て胸を痛める。 肉体的な痛みは、
肉体のレベルにおいては普通の人と同じように感じられるが、同時に真我の位置からの観照が起こる。 観測できない宇宙の果てはどうなっているのかしら、空間だけはあるのかな 無限のエネルギーを無限の空間で割れば有限の1になる
無限÷無限=1だ