宇宙には果ても無もない [無断転載禁止]©2ch.net
宇宙を四次元空間だと仮定すれば
宇宙が果ても無もなく存在していることを証明できる >>219
ディラックの海
神の方程式のでなんかいろんなものが 地球人の脳は宇宙人に乗っ取られています。
地球人に対する最後の秘密、最大の真実は宇宙人/ETは、地球人の脳を遠隔操作
することができる高度な技術を持っているということです。
それがすでに世界中の大多数の地球人に使われています。
これが今最も地球人が知るべき脅威です。
なぜなら事件・事故・戦争・病気・天災などの不幸な出来事も宇宙人が人間を操作して行われてきたからです。運命操作とも言えます。
いま宇宙人情報の隠蔽派・公開派で争いが起きており、
公開派の方々が隠蔽派に攻撃されている例が多くあります。
・週刊誌連載を持つ某有名漫画家のように、身体被害を受け年に数週しか連載
できないような状態に体と精神被害を受けている事例
・脳のハッキングを扱う作品を書いた漫画家が、自宅兼職場を火事で消失させられた例
・UFOや地球外知的生命の国際発表を控えていたケネディ暗殺
・宇宙人問題評議会イベントを行った方の実家を火事で全焼させ、その方の叔母も死亡させるという攻撃
・宇宙後講座を行っていた方の脳内をテレポート攻撃し脳卒中にさせた被害
・元海兵隊員が神父へ銃乱射をした後、ホワイトハウスのフェンスから宇宙人
告発文書を投入し逮捕された事件(2016年)
地球外からの干渉による実在する被害を、神仏や霊が起こす現象として古来から
伝えてきたものを、非科学で実在しないとした嘘の社会はこれから真実を正しく
伝える社会に変える必要があります。 ヒッグス場やその他の場がまだ全く存在していない最初期の宇宙空間では
有と無の揺らぎの有は、生まれてすぐに無限に膨張していっただろう 最初に無限に膨張していった無と有の揺らぎの有が
現在のあまねく行き渡る真空エネルギーの正体であり、
最初の「場」であり、最初の相転移かもしれない そして真空エネルギーが行きわたった状態で、
もう一度無と有の揺らぎの有が膨張しようとすると
真空エネルギーという場を通ることによってエネルギーの大爆発=ビッグバンとなる デジモン(デジタルモンスター)シリーズのアニメの最新作を放送してね
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デジモンチャンピオンシップは傑作だよ
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カレンダモンの必勝
カレンダモンの完勝
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カレンダモンの連勝
カレンダモンの戦勝
カレンダモンの制勝
カレンダモンの優勝
カレンダモンの楽勝
カレンダモンの圧勝
カレンダモンの完全勝利
カレンダモンの大勝利
カレンダモンの勝利
カレンダモンの勝ち 2機の宇宙船が光速で飛んですれ違う。だけどどちらの宇宙船から見ても
相手は光速で飛んでいるとしか見えない。光速の2倍の速さにはならない。
簡単なことで宇宙は無限で果てが無いから座標もない。
つまり自分の宇宙船は対象物に対して光速で飛んでるつもりでも、
宇宙の中では座標がないので静止してるということになる。
だから止まった位置から相手を見てる状態になる。
だから相手が光速で飛んでるとしか見えない。
この状態が理解できないのが人間の脳の限界。 宇宙には真恒星というものがあってだな。
そこから毎日粒子やらエネルギーやらが溢れて膨張しているんだよ。
そのエネルギーが届くギリギリの場所が宇宙の端。
天の川銀河はその真恒星の衛星のひとつに過ぎないのだ。
しかし光のスピードをもってしてもその端に行くのに何億年もかけるという状況もおかしいので光より速い物質もどこかにありそうだが、
冷静に考えて粒子は人間よりも遥かに長生きなのでそもそも人と時間の感覚が違うのかもしれない。
よって端に行くまでに何億光年もかかる光が最速でも別に何もおかしくない。粒子目線だと億くらいどってことないのかも。
でももしかするとその先に第6宇宙があるかもしれない。
だとしたら我々の宇宙は第7宇宙ということになって思ったより宇宙は広いことになる。 座標原点が実在するっていうのなら
光速度一定の原理の否定
静止が自然に存在しないなら
自然は運動するエネルギーの濃淡 〈ここ〉から〈ここ〉までは自然には存在しない
全ては差異だが、否定で理解する
わたしは赤ん坊から現在まで大きく変化しているが同一の〈わたし〉
この今も運動変化している
非同一を同一で規定
運動を静止で
ウィルス、金属、人間、植物は物理としては差異だが否定で分類
同一を非同一で
規定は否定 空間は運動しているからやはりエネルギーの一形態で差異
わたしは自然の運動変化の過程で生成され、また差異として他の物理状態に生成していく
全ては運動変化する自然の過程で生成され、差異の物理状態に
光速度一定の原理が示すこと 最小単位はない
〈ここ〉から〈ここ〉までがない
粒子は波の渦状態
この理解は古代ギリシャ、イギリス科学者、ブリゴジン学派がある 座標原点、つまり0次元は運動を静止で理解すること
静止という無で運動という有を規定
だから限りなく0に近いが0ではないという説明になる
不確定性原理! 絶対座標が無いのだから、無も次元も無い
果ては無い 宇宙は運動するエネルギーの濃淡
ただただ運動変化しているだけ
時間は運動を直接理解できないから
次元で理解するしかない
たわめられた自然
差異は否定で、ということ 次元で理解するが次元は存在しない
運動しない三次元は存在しない
四次元があるのなら、無限の三次元が存在することに
1秒が存在したら1秒以下の寿命の物理状態の誕生から死まで存在することに
どんなに短い時間でも無限の三次元が存在する
規定は否定
ースピノザ 無限は有限で構成されてない
有限、〈ここ〉からが無いのだから 現代科学者は無、つまり次元が自然に存在すると主張する
無いものは無い 宇宙背景放射は違う理解が可能
ビッグバンはまだ仮説 何だって仮説だよ。科学なんだから。
どんな現象でも数字振れるけど、係数には意味なんてないんだから。
人にとっての数字ってことを理解しろ。 にいよ。無がないのは当たり前だ。
無ってないという意味だからなw
いままで無って何だと思っていたの? でもすべての脅威はスクラップで対処できるんだよね。
少ししらべるのに 最新の機械 1時間かりるていど あとはすべてただ
中小企業程度の規模で宇宙に何かとばして 月の裏側になにかしらおとしとけば
ジャンクPC以外の計算機はお金がかかるから すべてシュレッダーに放り込んでおくこと
すべてジャンク品と拾ったものだけで宇宙の脅威はなんとかできる ジャンクはとうぜんだただよね
タダで宇宙になにかとばせるでしょ キミたちよ、光は観測している時は秒速30万qで移動するが、観測してない時は無限大の速度で移動するということはないか?
量子の振る舞いの狡猾さを考えればその可能性は十分にあるぞ。
また観測してない時の光速を観測したものは誰もいないから、これがホントが誤りか誰にも言うことはできないぞ。
これがもしホントだとすれば、宇宙最大の発見だぞ!!!!!!!!!! >>3
ミミズの端っこが繋がってもミミズだろ?
線の口と肛門が繋がっても2次元のままじゃねーの? >>3
すまん間違えた。
線の口と肛門が繋がっても1次元のままじゃねぇの? 宇宙の果てには大きな立て看板がありここがこの宇宙の果てだと書いてあると思いたい 地平線や水平線が実は球のように宇宙という球体が、宇宙の外の空間に複数浮かんでいるとか。 我々のビックバン宇宙は果てしなく膨張しているが、138億光年先に同じような
ビックバン宇宙が四方八方無限に存在し、更にそれらが何かを構成する物体であり、
超巨大世界を作り上げているじゃないかな。 物質と言われるものが実は0=無以下のマイナスの世界のものだから
自然に無から発生できた エネルギー保存則により自然に発生したマイナスの分だけプラスのエネルギーが反作用で発生する この宇宙の外はどうなっているか興味があるが
ビッグバンで138億光年先まで広がる我々の宇宙をレベル1とするなら、この宇宙の
回りに果てしなく泡状の無数の同じレベル1のビックバン宇宙が存在している。
更に、それらをまとめたレベル2の・・・マルチバーパス巨大宇宙が存在すると考えられている。 探査する事も更新する事もできないが、遠く彼方に高度文明があるのではないかと
想像するだけでワクワクするなあ〜 銀河がフィラメント状で、その間に大空洞(ボイド)があるなら
たぶん、宇宙の果ても、真っ暗なボイド空間が広がってるだけなんじゃないかと思うんだけど この138光年のビックバン膨張大宇宙の外に同じようなビックバン大宇宙が無限に
重なって広がる世界あるって壮大だな〜
昔国民学校で歌った唱歌に「星の界」と言うのがある。歌詞の2番に
雲なきみ空に 横とう光
ああ洋々たる 銀河の流れ
仰ぎて眺むる 万里のあなた
いざ掉(さお)させよや窮理(きゅうり)の船に
1番も素晴らしい歌詞だが遠く80年昔に天体に興味を持つきっかけになった。 もっと高性能な望遠鏡で見た136億年先になんと天の川銀河が見えたりしたらシャレにならないぞ 観測される現象は様々に理解される
天動説はそれで生き延びた
酸素を発見した科学者の理解とか
赤方偏移はアープが違う理解を提出している
背景放射は天文学者が違う理解を述べ、ほかならぬスムート博士がその可能性を認めている
十九世紀に火星に運河を発見したアメリカの天文学者の間違いと同じかもと記事は締めくくっている 自然に絶対座標は存在しない
ならば終始は存在しない
ワインバークは四半世紀以上前に、始まり解明まであと僅かと語った
この研究が継承されたとしても、解決はしない
何故ならそんなのは存在しないから
ビッグバン仮説はいろいろ科学の前提、原理に反している
対象が矛盾したら理解は不可能
自然、非自然と対象は矛盾するというのがこの仮説
何も生まれない、無くならないというのを否定する
わたしたちの観測範囲では生死は存在しない
生まれるは物理状態の遷移であり、死もまた
存在するというのなら、エネルギー保存則はおろおろするしかないわけで
光速度一定の原理は終始、静止の存在を否定する
この仮説は基本破りまくり ホーキング博士は最終方程式まであと僅かと四十年以上前に語ったが、観測問題を考えると抽斗の銃に手が伸びるとも語った
ライプニッツは重力方程式に敬意を表したが、その概念は魔術的として否定した
ハイゼンベルク、武谷三男は現代科学の在り方に疑問を呈している
前者は方程式に矛盾を隠して逃げているとも語った
神の方程式にまであと僅かと現代科学者たちは語る
さて、それで科学はゴールなのでしょうか
時間、重力の正体も解っていないのですが ビッグバン仮説は天動説だよ
見たものがそのままの自然だという理解
物理としては何も無くならないし生まれないのに宇宙は生まれるってマジですか
対象に否定関係を想定している
光速度一定の原理は完全無視
こんな仮説を科学者が信じているのは認識論を軽視というか無視しているから
認識に生成された像は自然そのものではない
生死、静止、終始は認識には存在するが自然には存在しない
これが何を意味するのか科学者は考えるべきだろう >>274
落ちこぼれの語ることに御託としか言えない優等生ワロス
論理には論理で返してくれ、優等生さんよ 対象を在る、存在と規定する
存在を前提にして宇宙、非宇宙が在るのならば存在という前提は成立しない
というか宇宙が在る、非宇宙が在るとさえ言えない
理解不能だが、理解不能だということさえ許されない
何故なら理解不能だと理解できるということだから
この仮説は根本的に有り得ない
何も生まれない、何も無くならないというエネルギー保存則も否定される
この仮説は宇宙が生まれるというのだから
光速度一定の原理は絶対座標の存在を否定する
この仮説は絶対座標の存在を前提にする
この仮説は理解そのものの否定でしかない わたしは貴方でも花でも金属でもないが物理存在としては同じ
わたしは生まれてから現在まで物理状態は変化している、というか同一であることはないが同一のわたしと規定する
非同一だが同一、同一だが非同一
以上は学生時代に不思議に思ったことの一つ
科学の現在までを振り返る
天動説は地球が特別ではないと示す
進化論は人間が特別ではないと示す
エネルギー保存則は何も生まれない、無くならないと示す
光速度一定の原理は静止の存在を否定することにより、自然の存在形態が運動であることを示す
つまり自然は無矛盾であり否定関係は存在しないのだと
真空はディラックの海が示すようにエネルギーの基底状態、つまり無は存在しない
運動を前提に有と無という否定関係は導けないが、現代科学は無の存在を否定する
第一無が存在したら無にならないし w
わたしたちが否定関係だと規定している対象は差異でしかない
ウイルスは生物非生物と分類困難だが、物理としては否定関係では無い
分類、つまり規定することが分類困難をもたらすのではないのだろうかということ
つまり規定がどういうことかを考察する必要があるということ
認識に生成される静止は運動の一形態
生死は物理状態の一形態
無は有、エネルギーの一形態
んじゃ次はこのことが何を語るのかを論じたい 自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反発の過程
それが新たな物理状態を生成していくだけ
粒子は波が渦の状態であり、差異であり否定関係では無い
対象に終始は存在しないが終始で規定する
規定は否定であり運動は静止で規定される
座標原点、つまり無で有である対象を規定する
科学は自己言及
自己言及は自己を他者で規定するということ
対象は無矛盾だが規定するのは無の存在という矛盾
だから決定不能
理解可能である対象を矛盾で規定する
自然自体に論理は存在しないから無矛盾
しかし規定自体はその否定、つまり矛盾
自然に理由は存在しない
ビッグバン仮説は対象が宇宙非宇宙と矛盾すると主張する
ならば存在という規定は成立しないから、宇宙非宇宙が〈存在〉するということすら不可能です
宇宙非宇宙が存在する、つまり矛盾するというのですから
違う、対象は無矛盾だからこその決定不能
決定不能は規定が否定だから齎す
ウイルスが生物非生物と分類が難しいのは分類するから
決定不能であるのは規定するから、理解するから
光速度一定の原理は絶対座標の存在を否定する
座標原点で規定し、その座標原点が存在しないのだと
規定は対象の否定であり、その存在を否定して無矛盾のだと
規定するから理解するからこその決定不能
ウイルス同様に規定するからこその決定不能
有はその否定の無で規定する
規定は否定 スピノザ 科学は既に自然が無矛盾だと証明している
光速度一定の原理は絶対座標の存在、つまり静止は存在していないというのだから
科学者は未だにそのことに気づいておらず、宇宙の終始とかを追及している
物理としての生死が存在しないように、終始は存在しない
地動説は地球の、進化論は人間の相対化
そして光速度一定の原理は特別な何物も存在しないと証明する
対象である自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反発の過程でしかない
そこからまた違う濃淡の状態を生成するだけ
それだけでしかない 光速度一定の原理は認識と自然の自己言及だろう
絶対座標が存在しないと証明することにより自然の存在形態は運動であり無矛盾であることを示した
座標原点、つまり静止、否定で規定、つまり認識の在り方の自己言及でもある
有を無で規定する、運動を静止で、つまり規定は否定であるということ
この原理は科学の目的である自然が無矛盾であることと認識の在り方の自己言及だとわたしは主張する 観測問題は粒子は波の一形態という理解になる
それは否定関係では無い、静止が運動の一形態であるように
誕生は物理の遷移、死亡もまた
物理は同一であることはない
常に運動変化している
生も死も運動変化の一形態
生死は物理の観点からは否定関係では無い
人間が理解するために規定するから様々な問題が出来するだけ 自然は無矛盾で理解可能
わたしもあなたもキリンも植物も金属も否定関係では無い
それは物理として差異でしかない
光速度一定の原理は真空もまた自然の一形態であり差異で否定関係では無いと証明したのだとわたしは主張する
なぜなら静止は自然には存在せず運動が普遍であることを示すから
無は運動しない、真空もまた物理の一形態であることをこの原理は示す 自然は無矛盾だが規定、つまり理解するから問題が出てくる
生物非生物という否定関係は自然には存在しない
それは物理として差異の状態でしかない
生死もまた
終始もまた 自然は〈一〉であり〈多〉ではないとパルメニデスは主張する
師の主張を擁護するためにゼノンは4つの逆説を示す
時空に最小単位があるのならばその半分がある、つまり最小単位を競技場の逆説で否定した
数には大きさが無いとピタゴラス学派は反論する
それならば目的地に達することもなく、アキレスは亀を追い抜けないことを逆説で示す
空間が点で構成されたら運動は不可能だと飛ぶ矢の逆説で示す
この逆説は自然は数で出来ていないということを示す
光速度一定の原理は座標原点が存在しない、つまり点は存在しないことを示す
つまり自然は〈一〉であるというパルメニデスの理解を証明した
スピノザは規定は否定だとする
数、多は規定するから必要なのであり、規定は自然には存在しないということ
運動は静止で規定される
終始は存在しないが終始で規定する
スピノザの指摘は正しいとわたしは考えている ビッグバン仮説は認識に必要なものを自然に存在するという主張
それは見たものが自然という天動説と同じ過ちでしかない
認識には基準が必要だが基準は存在しないのだと光速度一定の原理は示す
この原理が何を意味するのかを科学者は追究すべきだとわたしは主張する 自然は無矛盾で理解可能だという前提を科学は手放してはならない
対象に自然非自然という否定関係が存在するというのがビッグバン仮説
何も生まれない無くならないというエネルギー保存則も否定する
光速度一定の原理が否定する絶対座標から出発するビッグバン仮説
証拠とされる事象は違う理解が可能だと科学者たちは指摘する
天動説では理解困難な事象を様々な仮説が延命した
インフレーション仮説はその末裔でしかない
宇宙は膨張する?
では観測で証明してください
いやいや光速度を超えるから云々
これは証明できないことの言い逃れに過ぎない
端が観測できないのならばそれは無限宇宙の証明でもある
無限宇宙ならばこの仮説は無用
光速度一定の原理を守り自然が無矛盾でありエネルギー保存則を守る
有を無で規定するから測定値は近似値でしかない
零に限りなく近いが零では無いという規定も理解可能
不確定性原理も認識と対象の問題に収斂する
わたしたちは自然をそのまま=では理解できない 不完全性定理をもってわたしたちは何もかも理解できないのだと主張する人たちがいたりする
いや、理解できないと言うことは理解出来るとわたしは主張する
そして規定は否定だから決定不能になるのだが対象は無矛盾だからこそこの定理は成立するのだと
それに定理は証明、理解できるということ
光速度一定の原理は自然が無矛盾、理解可能だと言うことを規定が存在しないことにより示す
規定する、理解するから決定不能になるのだということです
規定は否定
クレタ人の逆説は対象を否定で理解するからこそ
運動は静止で規定するから、運動とは存在すると同時にしないことという規定になる
規定の在り方の自己言及が決定不能という事態になる
光速度一定の原理は自然の在り方と認識の在り方の自己言及
自然は無矛盾だが規定は否定だからこその決定不能だと自己言及しているのがこの原理だとわたしは主張する 出かける前に軽く発狂してみました
ビッグバン仮説は科学の成立条件、原理原則を否定するとわたしは主張します
なによりも自然は理解可能なのだと
この仮説はいろいろ有り得ないし、天動説の見たものがそのままの自然という理解の末裔だということです
それで理解出来るのだが、それは存在しないのだと
静止、生死、終始で理解するのだが、自然には存在しない
基準設定で理解するが基準は存在しないのだと光速度一定の原理は示す 次元はその存在を光速度一定の原理で否定されている
認識器官は物理条件であり、その在り方に自然はその像を生成する
その在り方から〈一〉ではあるが濃淡の淡は像を結ばない
つまり〈多〉として像は生成する
その抽象が次元
四次元が存在したら、運動しない三次元が無限に存在することになる
有は無で規定されるから、量としてしか認識できない
今、此処と指摘すると今、 此処は飛び去るとヘーゲルは指摘する
ちなみに太宰治も「女生徒」で同じ指摘をしている
つまりそのまま、直接には運動は理解できないから四次元が必要になる
座標原点は存在しないが理解には必要で、それと同じこと
規定は否定だからこそ次元が必要になる
時間は存在しない
自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反発の過程でしかない
わたしたちはその過程の産物であり、また違う濃淡を生成していくだけ
終始は理解に必要なだけ
終始の存在の主張は光速度一定の原理の否定で自然には存在しない 今世紀中に科学革命があり、この仮説は否定されると予想している
あと八十年弱か
言いたいことは言わなきゃな
否定反論も自由にどうぞ
野次なら無視します 個人的にはプラズマ宇宙論が有力かなと思っている
まだまだ説明できていないこともあるが無限宇宙論だし、またいろいろ面白い指摘があったりする
ビッグバン仮説は天動説の末裔でしかない
新定常宇宙論もエネルギー保存則否定しているから支持できない ちなみに
三浦つとむという言語学者は自己言及を「観念的な自己分裂」という概念で説明している
マルクス主義者だが、共産主義は成立しないことを導く論文をものし、弟子の滝村隆一は1970年代にソ連崩壊を予想した
EUも遅かれ早かれ崩壊すると1992年の著書で語った
その予想が当たるかどうか注視している 新約聖書学はイエスがキリストではなく、パウロがイエスを始祖としたキリスト教と思想的に対立する可能性を示唆している
数学は自ら無矛盾であることを証明できないことを示した
マルクスの学的方法で共産主義は実現し難いことが示され予想通りに
ある科学者が人間がどこから来てどこに行くのかを知りたいとテレビて゛語った
わたしにはあまり良い結論が待ち受けているとしか思えないがそれでも科学者は突き進むだろうと思う
数学者もそうだし
新約聖書学を読んだ信者は、あんなもんはと唾棄していた
マルクス主義者も共産主義に否定的な結論を受け入れず、小泉信三が共産主義はキリスト教の楽園思想の変種だと指摘したことを思い出した
学問の結論は非情だが科学もまた不死や天国を夢想する多くの人間に絶望しかもたらさないかも
さてと出かけますか 終始の理解に対して反駁プリーズ
ファイアアーベントは専門家の過ちを素人が正すことはよくあると記している
優秀な専門家はもちろん卓越した論理で素人の理解を粉砕するんだよね www 科学の目的は自然を無矛盾に理解することだと板倉聖宜氏は語る
氏は論理の性格を指摘しているが観測問題の理解は放棄している
わたしは氏が指摘した論理の性格を敷衍すれば観測問題は解けるのだとわたしは主張する
静止が運動の一形態であるように粒子は波の一形態です 現代科学の現状は新しい理解、つまり科学革命が必要だと主張する科学者が増えている
ラーナー、日本の科学者、量子力学の分野、時間や重力は存在しないと主張する科学者たちなどなど
ハイゼンベルク、武谷三男はその先鞭だろう
学問の現状を固定して理解することにより新たな展開は妨げられた過去がある
天動説、酸素、脚気などなど、失敗の科学史という著作に纏められている
現在の科学の在り方を固定して裁断しても良いのかと「と学会」の理解の根本的欠陥を科学者たちは突いている
もっと自由に考えられて良い
わたしは自然は〈一〉であり終始も次元も存在しないと主張する
カントの二律背反は自然に終始は無いが終始で規定するということ
科学者は認識の在り方を徹底的に考察追究すべき段階だとわたしは主張する 貴方がたは学ぶばかりで対象に問うことが少ないのではと思える
科学の成立条件は考えられて良い
前提、原理原則を無視してよいのだろうか
わたしはそうは思えない
ビッグバン仮説は非科学ではないかと いずれにしても答えを出すのは自然であり理論ではない
ニュートン力学、一般相対性理論はそうだった
地動説もそうなんだろう
地球が丸いなら裏側の人間はどうやってしがみついているのだと天動説学者は批判した
それは後の人たちが解決するとガリレオは答えた
ビッグバン仮説もそうかもしれない
ただやはりこの仮説は科学の前提、原理原則を否定しているのだ
わたしは自然は無矛盾、つまり理解出来るのだと主張する
終始などないのだと 俺は対象が無矛盾でないと理解できないと考えている
科学は宇宙非宇宙となると理解できないというか、宇宙非宇宙という理解さえすることもできないのでは
表現は対象 認識 表現という構造
客体 主体と言い換えても良い
つまり否定関係
認識主体である人間は自然の一部
クレタ人の逆説と同じ構造だから決定不能に
これをもって何もかも理解不能とする向きもあるがそれはどうかな
自然は理由なくただ在るとことを証明したのが光速度一定の原理
なぜなら規定は自然には存在しないということを示しているから
理解可能だから決定不能になる
理解、つまり規定は否定だから
・・・まあ規定は否定ということでは規定も無矛盾だな
無の存在という意味で、無自身は矛盾だが、その意味では矛盾しないということ
規定は否定であることは一貫しているから
ああ、これも決定不能だな 笑 自然科学は根本的に変わる可能性があるとわたしは理解している
量子力学の分野は新しい理論が求められていると立花隆氏は語ったがそれを受けてネットでは、最前線は一筋の光も射していないと研究者らしき人が投稿していた
神の方程式を模索している科学者は観測問題理解は放棄している
重力も時間も未だ未解明だし、不確定性原理が何を意味しているのかははっきりしていない
科学者は哲学を無視するが、その実最悪の哲学に囚われていると十九世紀の学者は語る
科学史を概観すれば、そのヒントは見つかるのだとわたしは主張する
科学は否定関係が差異であると示してきた歴史
無は有の一形態、無は文字通り存在しないのだと光速度一定の原理は語る
自然は〈一〉であるというパルメニデスの理解と規定は否定というスピノザの理解は正しいのだということです ラーナーは「ビッグバンはなかった」の中で師のアルヴェーンが語った興味ある科学の傾向を記している
三十年以上前の本だがいろいろ面白く、一部賛同はしないが認識の問題を取り上げていて面白い
最終方程式にはかなり否定的 朝永博士は、物理学の自然は撓められた自然と記した
それが何を意味するのかはもっと考えられて良い ハイゼンベルク、武谷三男、ラーナー等を典型に科学革命が必要だと気付いている科学者は多い
わたしは光速度一定の原理が語ることを意味することを放棄したから現代科学の混迷があると考えている
何よりも自然は無矛盾だという前提から科学は出発すべきだろうし、この原理はそれを示しているとわたしは理解する
座標原点が存在しないということは最小単位など無いことを示している
自然には差異は存在するが否定関係は存在しないのだということです
次元で理解するが次元は存在しない
静止も生死も無も対象である自然には存在しないが理解には必要
そして非自然もまた存在しないが理解には必要
それは意識ということ
意識は無くなるから わたしは自然は運動するエネルギーの濃淡が親和反発して新たな濃淡が生成する過程だと理解している
静止は存在しないということは次元も諸力も存在しないことだと考えている
それは終始も存在しないということは生死もまた存在しない
無もまた
客体である自然が自己言及可能な物理状態を生成する
認識器官には静止、生死、終始、無が存在する
認識器官は物理条件であり、その在り方から淡は像として生成されない
そのため〈一〉である自然は認識器官には〈多〉として像が生成される
認識器官には差異である物理状態が否定関係として映る
科学は多として現象する自然が差異であり否定関係では無いことを示していくこととなる
静止は運動の一形態、つまり差異であり否定関係では無い
生死もまた物理としては差異であり否定関係では無い
無は有の一形態であり否定関係では無い
終始は物理状態の遷移であり、否定関係では無い
何も生まれない、無くならないのだから
粒子は波が渦の状態
不確定性原理は有を無で規定するから近似でしか認識できない
零に限りなく近いが零では無い、そう有は無で規定されるから
規定は否定であり、規定することこそが諸問題をひき起こす
クレタ人、不完全性定理、二律背反などなど
科学者は認識の在り方を考察すべきだとわたしは主張する 自然は無矛盾であり理解可能だとわたしは主張する
そして規定は否定だから決定不能なのだと
科学は自己言及です 規定することとはどういうことなのか
現在の科学の喫緊の課題だということです
理解することの理解、つまり自己言及が必要なのです
絶対座標が存在しないということはαでありωです
このことから終始は存在しないことが解ります
次元の否定、エネルギー保存則も導けます
無が存在しないことも、運動が自然の存在形態であること
粒子は波の一形態であること
有を無で規定するから不確定性原理の導く測定の近似値
微分積分の不思議な定義
そして規定は否定だと
この原理は対象である自然の在り方と規定の在り方の自己言及です
つまりこの原理が科学のゴールであり出発点です
宇宙に来てはありません 進化論も不完全性定理も導けます
ゼノン、クレタ人、カント、ヘーゲルなどの哲学の問題も 重力、次元とかが何かってことなんですけどね
光速度一定の原理をどう理解したらいいのか
不確定性原理、観測問題などなど
未だ解決できない問題は山積している
わたしは自然を理解したい、納得したいだけ
理系の方々が提出しない限り素人の妄言は続くわけでして 笑 繰り返します
最終方程式まであと僅かとするホーキングは観測問題を考えると抽斗の銃に手が伸びると語る
ライプニッツは重力方程式に敬意を払うがその概念は魔術的だとした
朝永博士は物理学の自然は撓んだ自然だと記す
見たものそのままが自然では無いと地動説は示す
生物と非生物は差異であり否定関係では無い
科学革命が必要な段階とほかならぬ科学者たちが主張したりする
科学は未完成ではないかと
ある意味永遠の未完成ではあるが、その基礎というか成立条件は探求されるべきだと横目で見る立場から思えるわけです なあ、理系諸氏よ
自然に絶対座標は存在しないじゃないか
それは何よりも終始が無いってことじゃないか?
次元が存在しないってことじゃないか?
静止、生死が存在しないってことじゃないか?
静止が存在しないというのは分ってくれるよね?
つまり運動が自然の存在形態という理解なんだ
生死が存在しないっていう理解は終始が無いから
終始が存在しないってことは無限という理解にならないのかな?
絶対座標が存在しないってことは次元が存在しないということだから
零次元は存在しないよね?
零、無を無限に集めたらあら不思議、1次元に
幅が無い1次元を無限に集めたらあら不思議、二次元に
厚みが無い二次元を無限に集めたらあら不思議、三次元に
運動しない三次元を集めたらあら不思議、四次元に
運動しない三次元が存在するってことは静止が存在するっていう主張だよね
科学は無限の静止した三次元が存在していることを示したことがある?
あったとしたら大変な発見だよね
静止が存在して、無限の静止した自然が存在するってことかなあ?
四次元が存在するって、理系が苦手な素人には眼を白黒させる理解なんだ゛
わたしにはとても怪奇な自然観に映るんだ
たしかに次元で理解する
でもそれは次元の存在を意味するのだろうか?
終始で、次元で理解する
静止で理解するが静止は存在しないよね?
次元で理解するから次元は存在するという理解には同意できない