不幸を退ける
という考え方よりか
幸福に生きることとは
どういうことか
を考えるほうが

結果的には
その目的を果たせるのでは
ないだろうか

不幸をどうするか
というのは例えば、
犯罪対策であれば
社会が荒んでいくにつれ
罪を重くしていく
ようなものだ

それは結局
対症療法で
本質的な解決には
至っていない