科学とは観測によって図り得る類にのみ有効な道具である。
言葉がコミュニケーションの道具のように、科学とは状況による物事の
仕組みや仕掛けを客観的に表し再利用する為の道具にすぎない。

ポイントは状況が違えば仕組みや仕掛けの論理は根底から覆るってことさ、
何もない世界に単体で量子の世界の領域の計りで忠実にコピーした人間が
いたと仮定する、それは人間か?
お前は人間だと思うだろう。

これが科学万能主義の考え方の愚かな所だ、消防や厨房によく見かける
浅すぎる勘違い。
仕掛けや仕組みである機能しえる人間の形があって、それを活かす環境が
存在しなければその仕組みは機能しえない。完全に世界から孤立したものは
すでに意味を失うって事だ、存在とは世界との因果関係によって評価される
ものであって単体がその形を有していても、それに客観的な判断をすれば、
単なる思考実験のあり得ない状況下の妄想にすぎない。
人が人で有り得る為には世界との関係が必要であって関係が無い存在は
単なる分子の寄せ集めでしかなりえない。世界に対して交換をすることで
意味を成す仕組みだということを無視して形だけが完全ならそこに意味が
あると思うのは経験ではなく知識だけが一人歩きした習うだけが得意で
学ぶ(世界と意味を結ぶ)ということを怠ってきた経験すらない独りよがり
にすぎない。もっと経験をしてくればわかるさ。
先天的な盲目な人に色の鮮やかさを説明するのは不可能に近い、
それが何故かを理解できないと世界から孤立したその形の存在意味が
孤立(盲目)と同じで説明できると思い込んでしまう。
子供を失った人に、子供すらもってない奴が慰めることはできると
大威張りで力説している奴らと同じでそこに説得力など皆無ってこと。
形式論な科学を信じてしまう、それは宗教と何の差もない、
理論先行でなんの直接証明がなされていない学説の領域を信じ込んでいる
実に愚かではないか、証明とは何かすらわかっていないだろう。