なんかしかし、これは独り言なんだけど、

ずっとつっかかってる人が、最後に辿り着いた、
『つまりAIもたくさん作って同時に試行錯誤させればいいわけ』という万能論と、
俺がみんなのレスからイメージした、
『調べ尽くせばいいというような分野では、AIやロボットが活躍してもおかしくないね。
(中略)数百万体のロボットのうち、半分が地球の各地でフィールドワーク、もう半分が実験室に篭って24時間実験、
なんて方向性に時代は動いていくのかもしれんね。 』
という結論は、中身の違いと、温度差こそあれ、方向性は似てるよね。

やっぱ、この辺なのかなぁ、とは思う・・・

将棋の話に戻しても、あから2010の「あから」って、
『「あから」とは10の224乗の数を示す数「阿伽羅」であり、
将棋の局面の数がこの数に近いことに因んで命名された』ものなんだよね。
だからって、将来的に阿伽羅の局面を調べ尽くす方向性をとるかとなると、別なんだろうけど、
ニュアンスの中に、調べ尽くす方向性が含まれてるのは間違いない。

ID:rzvSio2kの書いてるのは「作り尽くす」で、「調べ尽くす」とはちょっと違うけど、
とにもかくにも、「尽くす」という方向性だよね。ここへ戻る気がするんだよね。

昨日の夜に想像した話なんだけど、
80歳まで生きる天才と、一億年生きる凡才がいたとしたら、
より高い知性のレベルに達するのはどちらなんだろう?
もちろん、分野によって違うとか言っちゃえばそれまでなんだけど、
総合的に見たときに、一億年生きた凡才の方が賢いと言えるんじゃないかな。
つまり、脳と比べて単純な仕掛けに過ぎないAIだけど、
その休まない力を半永久的なものとして見れば、既に人間を超えてるんじゃないかな・・・。
もしかして、俺よりも、俺の目の前にあるパソの方が、高度な知性なんじゃないかな、とw
いや、将棋すると俺が負けるわけだから、パソのが偉いのかw