将棋に関わらずゲームというのは勝負が分からないというものを言う。
つまり先手必勝などの計算可能なものはゲームではない。
ここ重要(糖質が計算可能だと主張するのはこの点)

でゲームというのは目の前の勝ちと最終的な勝ちというものがある。
それは1手での勝利や2,3手の勝利、勝負を繰り返し勝利数での勝利など
勝負というのは最後に勝たない以外は勝利ではない。この当たり前なことが
理解できない病人も多い。(感情論での詭弁家など)

つまりだ、勝負で戦略が重要になるのは伏兵などを潜ませ相手に現在の
最善手であると錯覚させるってこと。それは理屈を選べば、理屈で負ける
という勝負の基本である。どんなに先まで読んでも、それが相手が仕組んだ
道だったとしたら?その先に伏兵がいたら?
つまり理屈上の勝ちを得ても最終的に大負けすればそれは勝ちではない。
計算という手法をやっているかぎり、そこには大局を読むという抽象的な
判断はできないのだよ。人ができるのはその高次な創造の領域で未知の1歩
を歩むことで相手にもそのリスクを終わせることができる。
常に保守的な攻め(アルゴリズム)は勝つという決断はできない。
常に勝負を選び、より大きな抽象的な勝利を得たものが最後に勝つってこと。
なぜなら勝負の戦局では勝つより負けないことのほうが激しく簡単なことだから
大きな勝ちを得るには小さい勝ちを譲る。これが戦略家の基本だろ。