雑談戦記物語 [無断転載禁止]©2ch.net
既に死んだ人の魂がワイにそれを言うねん
その都度ワイに「やかましーわ!」と怒鳴られて奴らは消える >>651
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ麦は幽霊見たこと無いけどやっぱりいると思う
袈裟被ったリア友の宗教の知人はご先祖様の様子が見えるらしいお
ご先祖様を取り巻く方々にこんな事があったとか
話し聞いていると宗教団体に入っていると人脈使って色々便利そうだおね
そういう目的の人もいるかも知れないね
スープたんが怒ると幽霊がきえちゃう ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレまた途中送信しちゃったw
文字が小さくなったまま戻らないんだお
色々イジッテ連れにもやってもらったけどダメだった
スープたんが怒ると幽霊が消えちゃうなら
もしも幽霊見えたりしたらしい麦も怒ってみるだおwww
ワロタ ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレっ【仏教】悟りを開いた人のスレ【天空寺】249 [無断転載禁止]©2ch.net http://itest.2ch.net/rio2016/test/read.cgi/psy/1498647724
スープたんの好きな進化論みたいな事言ってる方がいるお
難しくて分からないけどw >>654
読んでみたら面白すぎのオッサンばっかでワロタ 悟りを開いた人のスレなのに誰一人悟りを開いていなくて笑 まぁ宗教家は大概は平気で息を吐くように嘘をつける人種の集まりやからな笑 ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレスープたんの悟りってどんな感じ?
麦はお釈迦様でも全て悟っていなかったんじゃないかなぁって思うw
宇宙全て知り尽くせないでしょう
宗教板の方々は十二因縁で輪廻転生するから煩悩をなくして執着しない事で解説するって麦は理解したけど
執着しないってタダ精神的に執着しないって事を悟りと言っている気がするんだけど
実際ホームレスにでもならない限りお金にも家にも執着していると思うwww >>658
釈迦が悟りを開いたとされることを釈迦以外の誰かが“悟りとは実はこういうものだ”と体現出来た者はこれまでいないよね
なのに周りの誰もが“釈迦は悟った覚者である”としたのは何故なんだろうか?
麦たんの言う通りお釈迦様でも現在過去未来の全てを悟っていなかった可能性はもちろんある
然し周りの誰もが“釈迦は悟った”と認めたのは歴史的な事実だったんだと思うよ
けどその理由をがよくわからないので色々考えてみたいね 紀元前450年頃の時代背景を考えてみると其の当時においても宗教や神や悪魔は人々の間で信じられていたはずだし、人はなぜ生まれ苦しみもがきながらやがて訪れる死をおそれるのか?という根本的な命題を抱えていたと思うねん 然し釈迦はそれらの命題に対して明解に真理の響きをもって答えたからこそ“悟りを開いた者”として認められたんやね
それを原始仏教において経文という形で原型をつくり始めた
その始まりの原文は今の経文と比較してどうだったのかという興味はさておき、今に残る数々の経文は“悟りを開いた者”しか述べることの出来ない文言として残っているものなんやろね ワイは子難しい漢文やサンスクリット語の聴文を元に書かれた経文の意味をわかってもいないくせに使うつもりはないので経文にはよう触れんけど、今は視覚的に“釈迦が悟りを開いた時を表した”とされる曼荼羅に嵌まっとんねん 曼荼羅はその絵図を見て視角から感覚的に“悟り”を理解するためのものとして仏教では経文とならび立つスッゲエものと思うねん チベット仏教から伝わった曼荼羅は空海が独自に解釈して描き
晩年の日蓮は曼荼羅絵を書くことにひたすらに没頭しという曼荼羅、、、 曼荼羅は読むものではくて見るものなんや
そこから果たして何が見えてくるのか? ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレチベットの砂曼荼羅はテレビで観たことあるけど綺麗だね
深い意味があるんだろうけど分からない
厚手の小さな丸い鐘みたいなのにお水を入れて鐘の回りを棒でなぞると中の水が沢山跳ねて
あれも曼荼羅だった気がします
日蓮たんの曼荼羅は真ん中に南無妙法蓮華経の文字があるけどどの世界にも光を放っているみたいだお
色々な菩薩様や天照大神や毘沙門天や不動明王や仏様神様の世界が描かれていると麦は思いました 曼荼羅を座禅を組んでただひたすらに眺める
これは面白い ワイね
座禅っつうのは一種のイニシエーションみたいなもんでお経とか曼荼羅とかいろいろ条件が整った上で形的には背筋を伸ばして足を組んで印を結ぶ儀式やと思ってた
そうすっとあらゆる煩悩や苦しみから解き放たれてやがて無我の境地にが訪れると勝手に解釈しとったんや
けど実際にじっくりとやってみると違ってた そもそも座禅を組んだら無心の境地を目指すみたいな先入観を持つことが間違いやねん あらかじめにそんな先入観を持って座禅に望んだらあかんね 数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。
先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
息を吐く時に、頭の中で一と数える。
又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。
初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
そのような時は無視して呼吸に意識を集中しなおす。暫くすると、雑念は消えていくじゃろう。
更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、
潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。
例えば誰でも歩きながらタバコを吸い、同時に尻を掻くという事が普通に出来るように、
人間は同時に幾つもの事を考えているが、潜在意識まで見る事の出来ない者には、判らないのじゃ。
潜在意識まで見る事が出来、全ての雑念が静まり、もはや心に何の考えも浮かばなくなれば、止の行は完成じゃ。 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。
例えば花なら花という言葉を使わず、
「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
などと観察していくのじゃ。
出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。
次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。
そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。
例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」
などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。
観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。
連想や記憶は雑念なのじゃ。
そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。
数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。
止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。
そうすれば雑念は自然に消えていく。
このような時に止の行は役立つのじゃ。
やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。 未だ自我のある者は、更に感覚、感情、思考、分別知、認識などに観察を広げていくのじゃ。
前にも書いたが、感覚から先の観察は鐘の音などを利用すると、簡単なのじゃ。
感覚を観察するには鐘の音が鳴ったら、
「今、鐘の音が鳴った、聞こえている、だんだん音が小さくなるのが判る、今消えた」などと、
今、感じている感覚を観察するのじゃ。
その鐘の音によって生じる感情も、「耳が痛くてうざいと思っている・・・」などと観察する。
思考も「あの鐘は仏壇屋で買ったもっといいのが欲しかったと、考えている・・」などと
巻き込まれないように注意しながら観察するのじゃ。
物事を認識し、分別する心の働きは殆ど一つの動きになっている故に、鐘の音を聞いて、
「これは鐘の音・・・今、鐘の音と分別し認識した」などと、観察するのじゃ。
このように直接、心と体を認識する方法が、観の行の基本であり、
最もシンプルでスタンダードなものであると言えよう。
しかし、この方法はかなりの集中力と観察力が必要となる。
これをシステム化してやり易くした方法が、縁起の法や、空の法なのじゃ。 ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ瞑想にもやり方の種類があるみたいだけど
ご参考まで >>680
麦たんあんがと(*´-`)d=(^o^
参考になったわ 昨日の夜、4号線で車を運転しとったんやけどどうにも眠くなってきて「こらあかん」と思ってバス停のある路肩に車を停めてた
4号線やからメインストリートは車がバンバン通っている
ワイ少し休めば眠気も覚めるやろと思って、おぼろげながらもそのバス停に[○○学院行き]と書いてあるのを見ながら目を閉じていると、しばらくすると時折通りすぎる車のエンジン音に交じって変な声が聞こえてくる
⌈視点が違うな」と
最初は何かの聞き違いやと思ったんやけど次第にそのささやき声がハッキリと聞こえてきた
その時ワイ何言うてんねんコイツ!と思いながらも眠気には勝てなくていつの間にか寝入ってまった
そうするとまた⌈視点が違うな」と後ろの座席から⌈あいつ」の声が聞こえてくる
ワイその声がうざくておもむろに車を発進させた 俺もとなりにに上司が乗ってるのに運転しながら3秒くらい寝たことある
まあ、上司も寝てたから平気だったよね 友達から教えてもらった嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
DB3ST 時々書き込みに来ようかな。
2ちゃんねる卒業したけど。 夜中にふと目がさめる。
何処かで「ジーン、ジーン」とエアコンの底重音が鳴り響いている。 自由な人生に興味があるなら「立木のボボトイテテレ」についてほんの少し調べればいいと思うの
BEQ 義経がなんでワイのところに来るのかわからない?
よくわからないので義経の勉強することにした。 こないだ夜中に突然壊れた時計の目覚ましベルが鳴り響いた。
「おっ?なんや!」ワイは目覚ましベルを止めた。しばらくするとまた鳴る。 そんで壊れた目覚まし時計をワイは夜の夜中にまんじりともせずに「じっ」と見つめていたらまた、鳴り始める。 「ははーん」これが誤作動っていうやつね。
ワイは妙に納得して再び眠りについた。 しばらくするとまた時計が鳴り始めた。
「ええ加減にせぇよ!」と思いながら、、、これは、、、何か普通じゃないと感じ始めていたんだ。 「おい!」
すると壊れた目覚まし時計のベルが再び鳴るんだ。
ワイはベルを止めてもう一度「おい!」と呟くと再びベルが鳴り始める。
間違いなくこの部屋に誰かがいる、、、。 「コイツ誰やろ?」
ともかく霊が来てるのは間違いないんやが、どうやってコンタクトとったらええねん!ワイは暗闇の中で思案していた。 よく「霊力」って言うけど、これまでワイが出会った「霊体」には「霊力」と言うほどのパワーは感じなかった。
まあワイのこれまでの経緯ではなんつぅか、君らが思っとるほどそこらに現れる一般的な「霊」っつうのはあんまり「力」がないねん。 すごくおもしろい副業情報ドットコム
暇な人は見てみるといいかもしれません
調べたらどうでしょうかね『ネットビジネス 白玉ひろたん』
RBQ ヌエはまだ見えてはいないが奴の唾棄する物体は具象化している。
気持ち悪いが別に怖くはない。 ワイの部屋に起きている異変続いている。
何かがワイとコンタクトを取りたがっているようだ。 まるで猫が吐いた吐瀉物のような物が突然目の前に現れる。
少し生臭さもあるそれは残念ながら幻ではなくて手に取れる物だった。 全ては何らかの「縁」によるものなのだろうか?過去現在未来を通じて。 この世に起きる全ての事象には必ず原因がある。
子どもを見つめる時の慈愛に満ちた父と母の眼差しがある。
同じ時に一方では子どもを見つめる憎しみを称えた父と母の虐待の眼差しがある。
この二つの相反する事象にはやはり因があることを忘れてはならない。
「因果応往にしてこの世を回る律」はある。 とある高僧曰く
来世などない!今ある現世を見つめてより良く生きよ!と宣った。
とある科学者曰く
来世などあるはずもない。バカかよ! 真実はそれを見たものにしかわからないもの
ほとんどの人はそれを目にすることなくやがて生を終える者たちなのだから その半グレが政府や公安警察とグルだったら謝ってもおかしくないレベルの発想しかないから下がってる
長期はほったらかし
デイは滅多にやらないけど短期繰り返してる、気付いたら起きてもグングン上向きだろうが