雑談戦記物語 [無断転載禁止]©2ch.net
あー、建つのかどうかもわからへんけど
とりあえず暇なので SSのつづき
ワイね10年前のあの時に選択しなかったもう一つのワイの未来を体験していたんや。
高級なイタリアンスーツを身に纏い高級車を乗り回し、財布に無制限のエグゼクティブカードを持つ未来や。 毎日が夢の様に充実していて、あの時に京子を選んだもう一つワイの現実を後悔していた。 雨がしとどなく降ったその日の夜。
ワイは沙恵の待つマンションの駐車場に車を停めて降り立った、その時。
一発の銃声が鳴り響いた。 そしてワイの網膜に最後に映ったのは、目つきの鋭い男の姿が柱の影からワイに銃口を向けたシーンやった。 ワイは徐々に意識が遠のく中で
「つまりもう一つの未来はこう言うことだったのか?天狗のクソ野郎!!」
とつぶやきながら意識を失つた。 その日、関西で起きた殺人事件を取り上げる夕方のイブニングニュースを見ながら京子は
「なんて物騒な世の中なの?」
と言いながらワイのクローンにお茶を注いでいた。
ワイのクローンは笑いながら
「そやね」と言った。 ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ紗恵たんも大阪に住んでいたとわ
インドにアガスティアの葉っぱがあるの知ってる?
それには自分の未来が書いてあるんだって
スープたんは未来を知りたい?
スープたんの言うとおり今日は気が抜けて疲れがドット出たお
気分転換にドライブ行って来た
藤の花や桐の花が咲いてた
藤の花は紫色と白を見たお桐の花は薄紫色 ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ今ググッたらアガスティアの葉っぱじゃなくてw
アガスティアの葉だったwww
葉っぱかと思ってたおワロタ ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ今ググッたらアガスティアの葉っぱじゃなくてw
アガスティアの葉だったwww
葉っぱかと思ってたおワロタ アガスティアの葉(-は)は、紀元前3000年頃に実在したとされるインドの聖者アガスティアの残した予言を伝えるとされる葉のこと。 アガスティアの葉に書かれたとおりの人生を送る人もいれば、違った人生を送る人もいるという。
そこからアガスティアの予言に対して不信感を抱く人たちが出てくるが、もともとアガスティアは、運命を決め付けるために予言をしているのではなく、道に迷わないようにナビゲーションを行っているだけだという。 3000年の歴史かぁ?
古代タミル語で書かれてる文字を今にあてはめて検証することは出来ないけれど、3000年も続いるのは事実はだよな ナビゲーションとは言いえてて妙だね。
ワイも初めての場所に行く時は車載ナビでルートを検索するけど、車が岐路に差し掛かる度に間違わないように道を選択してくれるね
そこで選択された道は(未知の領域)でもあるんだけど絶対に迷わなくて済む。 けれど、人生の岐路に立った時に誰でも間違わないように選択るとは限らない。 その選んだ道(未知)が正しいのか?
検証することは難しい。
てか不可能だわな。 だから人は生きている限り常に行動や意志の選択を迫られ、死ぬまで悩む生き物なんだろうね。 例えば明日仕事に行く時に普段通る道が渋滞してたとするね。
このままだと仕事に遅れるかもしれないと思い、普段通らない別の道を選択したとする。
その結果、出会いガシラの事故に遭い病院に行くハメになることもあるし、またその逆も有り得る。 そんな風にワイらは何をするにもしても、常に選択を余儀なくされてる日常を過ごしていると言ってもいいだろう。 そんな風に悩みながらもワイら必ず選択せなあかんねん。
そん時はワイの耳にアントニオ猪木の言葉が鳴り響く。
「信じたこの道を真っ直ぐ行け!」はけだし名言やわ。^ ^ あぁ、想像とは大小を問わず世界を駆け巡るものなのかもしれない。 古今東西を問わずいにしえの時より人は、いつの時代も自らの決っして願って止まぬ「想像」を続けてきた。 その過程の中でおそらくほとんどの人々の「想像」がこの世に何の痕跡も残さずに潰えたことだろう。 そんな累々とする人々の叶わなかった「想像」の屍の上に現在があるのだ。 けど「想像」した結果であるそれらの屍は君らがこの世に生きた証でもあるんだ。 次のSSは「屍。」や。
めっちゃ怖い話しになる予定。 つか、1行ずつ小出しにせんと10行くらいまとめて出せや >>580
こんな場末のスレなのにロムってくれてありがと なんかわからんけどワイのiPhone死んだ。
ランサムウェアかも まいった(_ _,)/~~っす。
Androidでとりあえず書き込んでるんやけどめちゃムズいわ。 北朝鮮と中国の関係がもしかしてヤバくね?
中国が北朝鮮を攻めるオプションも今後があるかも おやすみお⌒☆
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ
ο┯ο ) キコキコ
◎┻-◎
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ
キコキコ( ο┯ο
◎-┻◎ 源太は桜の木の下で息喘いでいた。
この話はおよそ500年前に時を遡る。
むかしむかし、この地で戦国の戦さがあった。
小作人源太は立身出世を夢みて雑兵としてこの戦さに加わった。
しかし戦さは源太側の戦国大名の負け戦さに終わり、源太は身体中に無数の切り傷を受けながらも山の中へ逃げ込んだ。
人間は斬られただけではそう簡単には死なない。しかし、切り傷による血液が止まらないとやがて意識が混濁化して死ぬ。 源太はもうちょっとで自分の最後の時が訪れることを悟り、力一杯こう叫んだ。
「白飯を腹いっぱい食べてぇ~!」
その一言を最期にやがて源太の意識は無くなり一塊の躯になった。その躯の上を桜は花びらが覆い尽くす春が過ぎ、夏の風はさやさやと桜の葉を揺らし、やがて秋が来て桜の枯れ葉は源太の躯を再び覆い尽くしていった。
何年か過ぎた頃には源太の屍はすっかり桜のの根に包み込まれていった。 近場の村の人々はその山桜の木を源太桜と呼び、春に散る桜の花びらを白飯を降らすようだと豊作を喜受する桜の木として讃えた。 それからしばらくしてある年のこと、雨が降らない飢饉が源太桜の近隣の村を襲った。
稲は枯れ山の植物も枯れて人々は飢えに苦しんでいた。
とある百姓の家も例外ではなかった。
その家に住む4歳の女の子は7人兄弟の末っ子に生まれた女の子だったのでスェと名づけられていた。
ある夜のことスェは囲炉裏で話す両親の会話を聞いてしまった。
「もう食べる物が僅かしかないのよ。どうしようあんた」と母親。
父親は腕組みをして絞り出すように
「仕方がない。スェは間引くしかないな」
スェは去年いた弟がいつの間にかいなくなったことを思い出した。 翌朝、スェは泣きながら家を出た。
行くあてもなく山を彷徨いやがて源太桜の木の下に来た。 スェは空腹と徒労の果てにようやくたどり着いた源太桜の木の下で泥のように眠った。 スェは まどろみの中、両親や兄弟の笑顔と一緒に食べたあの日の白米の味をを思い浮かべていた。 スェはこの期に及んだ最後の時にさえ、父と母の名を呼んだ。 その様子を見ながら既に桜の木と同化していた源太は声にならない叫び声をあげた。
うぉおおおおおおおおおおお。。。。。 さぁ、ここで問題やがこのあとスェはどうなると思う? ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ物語だから好きな様に描けるねお♪w ゚⌒ヾ 。
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゚* ゚ * "。 ⌒ヾ ゚
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∪川^〇^ハレ |(_■_)
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OU_Uつ
⊂zzz⊃━
⊂zzz⊃━ 源太桜は花びらを思いっきり散らし散らされた桜の花びらは途中で白米に変わった。
スェは次から次へと手のひらに落ちてくる白米を握りしめて口へと頬張った
「お、おいしい、なんておいしいの」
やがておないっぱいになったスェは微睡みに誘われて源太桜の根元に横たわったまま眠りについた。 源太桜は優しくスェを包み込みながら葉をさやさやと揺らし続けた。
そうして10年の時が過ぎた >>616
うん大丈夫やで〜
死ぬ一歩手前まで行ったけどね
なかなか治らん風邪やなと思ってたら急性の膵炎つうやつやった >>617
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレしっかり治さないとね
お大事にしてくださいお >>618
ありがとね、もう完璧に大丈夫やで
ワイが死線を彷徨っていた時に麻央ちゃんも死線を彷徨っていたと思うとなんか命の儚さを感じざるを得ないよね
まるで観音さんのように美しい容姿そのままの美しい人生を生ききった麻央ちゃんが亡くなったのにワイの様な糞が死ななかったなんてなんか不条理やと思うわ 此の世の全ての存在は色即是空なんやけど魂だけは空即是色やと思うね >>620
∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ
>魂だけは空即是色やと思うね
詳しく教えて
麻央ちゃんのお子さんまだ小さいから切ないね >>622
お釈迦さんが言った言葉やけど「色」が人間の実体を表わしているとすれば無(空)から生を受けて産まれてやがて必ず死(空)を迎えると解釈するよね(色即是空)
そうすると逆に死ぬことは「空」に帰ることでだとすれば「空」から生も産まれる訳だから「空」すなわち「色」である(空即是色)
が成り立つと思うねん
わかりやすく言うと「色」は「生」のことだから「生」は「命」ともとれる
「命」って誰もが知っている言葉だけど果たして「命」ってなんだろう?って考え始めるとこれが結構答えに窮しちゃう
だって人間の「命」って身体のどこにあるんだろうって疑問でしょ?
髪の毛?足の爪?心臓?それとも脳の中にあるのかな? 人間は思考する動物やから例えば脳の中に「命」が宿っているとするならば心臓が破裂したら亡くなる「命」は心臓でもある
同じように血液が流れなくなったら「命」は失われる訳だから「命」は血液でもあるし、肝臓も膵臓も大腸も「命」であると言えるよね
とすれば帰納法的に「命」とは「脳」だけのモノ、ではなく、身体全体を支えて動かす原動力と言えなくもない
つまり一つの個体にたった一つの「命」が宿っているとすれば細胞の一つ一つにも「命」が宿っているはずだし、その細胞を形成するのは原子核の集合体であってDNAを格納する不思議な原子の繋ぎ配列
「命」って誰もが知っているなら言葉だよね
けど「命」ってなんだろう?って考え始めるとこれが結構答えに窮しちゃわない? 「命」は間違いなく存在するモノやけど目には見えない「空」でもあり目に見える無数の細胞「色」を動かす一つ一つの中に宿っているモノなんやけど決して無数にあるのではなくて全体にたった一つしかないモノ
つまり魂とも言えるね
魂は「空」ではあるんだけど「色」の中に存在する 空即是色でもあり色即是空でもある
と言うことは「色」と言う実体が無くなって「空」になったとしても魂というモノは肉体から離れただけの実体(色)として存在するとすれば(空即是色)が成り立つ 麻央ちゃんの魂は肉体を失くしたけど海老蔵の心の中に存在するし、それぞれの子どもの中にも存在するし、我々の心の中にも存在する そんな風にワイ思ったので
>>魂だけは空即是色やね
になった。 ところどころ文章がおかしくて自分でもワロタ〜ところどころ補正して読解してね(泣) 例えば前にも書いたんだけどもしも「私」の足の爪の細胞から「私」のクローンを培養したとする(現在の科学では可能とされているが禁威されている)
そうすると「私」のクローンは「私」と同じDNAをもち同じ姿形を持っているが「私」の「命」とは同じではない
何故なら「私」の「命」は一つしか無いのだから「私」のクローンには「私」とは違う「命」(魂)が宿っているのだろう そう考えると「私」のクローンは「私」の分身ではあるけれど「私」の「魂」とは別モノの「魂」が宿っていると言える つまりあらゆる生物の「種」の中では誕生と死を繰り返す螺旋において「魂」のストックが常にあって「命」が誕生する度に「魂」が割り当てられると考えられる 仏教では「魂」の輪廻転生先は6ステージに分かれているけどワイは違う
「魂」の輪廻転生はその生物が属する「種」の中で必ず繰り返し起こる事象やねん
ダーウィンの進化論は自然淘汰が「種」が進化の理由としたがワイの進化論では「魂」の輪廻転生がその「種」を進化させたとなるねん
もしも「魂」が輪廻転生を繰り返し生物の「種」の保存という命題に向かっているとしたなら突然変異が進化を促すのではなく必然変異が進化を促すという合理的説明が成り立つねん ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ最近麦仏教板で勉強していて
麦は全て実体はあると思っているんだけど
仏教板の浄土真宗の方とか日蓮系の方以外は全て実体はないと言っています ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレ色って物質形あるもの全てみたいだお
五蘊皆空
五蘊は色・受・想・行
色蘊(しきうん、梵: rūpa) - 人間の肉体を意味したが、後にはすべての物質も含んで言われるようになった。
(例:桜そのもの)
受蘊(じゅうん、梵: vedanā) - 感受作用(例:桜の木をみて「美しい」と感じること)
想蘊(そううん、梵: saṃjñā) - 表象作用(例:眼をつむって「桜」というイメージを思い浮かべること)
行蘊(ぎょううん、梵: saṃskāra) - 意志作用(例:桜の枝を瓶にさしてみようと思い巡らすこと)
識蘊(しきうん、梵: vijñāna) - 認識作用(例:「桜」と認識すること)
この世の全ての存在や現象は実体などなく全てのものは空なんだって
今までの経験や情報を脳が勝手にニューラルネットワークから受け渡していてその情報を勝手に見ているそうです
麦は坐禅はやっていないけど
脳が勝手に出している情報を滅して行くと何もない事が分かるそうです
科学的に説明してくださる方もいて麦でも分かるように教えてくれましたお ∞ノノハ∞
∪川^〇^ハレスープたんの言うように体は新陳代謝しているから
全て新しい細胞に入れ替わっている
生死を体の中でも繰り返していているんだおね
だから死んでも生まれ変わるみたい
お釈迦様は苦の解放を説いているので
実体がない事を瞑想して体験出来れば解脱みたい
瞑想のやり方も教えてくれているお
瞬間瞬間がもう過去の事なので実体は無いから苦しくない
ありのままを見ている状態だお >>634
現在の仏教宗派がここまで多いのは何でなんやろうか?
どの宗派も我が宗派こそが仏陀の真理として相譲らないのも何かな?と思うで
どの宗派が正しいのかはわからん位の混沌や
結局、どの宗派も正しくない可能性が微レ存やね >>635
人としてより良く生きるための教えやね
それを素直な気持ちで受け入れられるってとってもええことよね^ - ^ >>636
ワイね、釈迦の悟りとか解脱の本質的な意味はまだまだわからんレベルやね
けどワイが言えることは間違いなく死後の世界はあるし、輪廻転生はあるっつうことやわ
ワイ実際、マジで人の霊を何度か見たことがある(嘘や妄想でなく)
ワイが最近見たのはたまたま通った近所の墓場の前やった
そこに近づいていくとなんやガヤガヤ人の声がして墓場の前で5、6人の人が集まっていた
近づいていくとだんだんと話し声が聞こえてきて、落とし物を拾った拾わないの会話をしていた
ワイとしてはどうでもええ会話なので無視して通り過ぎようとすると奴らの一人がワイに気づきよったんや
つうかワイとそいつの視線があっただけなんやけどね
そいつの顔は今まで見たこともない顔だったので今でもハッキリと覚えている そいつがワイに「よう!」と言った
仕方ないのでワイも「こんにちわ」と応じると周りにいた5人がいっせいに振り向いた
最初のヤツはちょび髭でハゲもおるしチビデブもおるし学者みたいな細面もおった
けど誰一人としてワイが見たこともない顔の人やったんや んでよく見ると奴らの服装が今風ではないことに気がついたんや
ワイ昭和初期の古い写真を何度か見たことあるけど一言で言うとそんな感じのセピア色のファッションやった その時点でワイね
こいつら生きている人間ではなくて既に死んいる霊体やと気がついた
んでちょび髭の奴がワイに向かって早口でまくしたてきたんや
ちょび髭のまくしたてた内容はこうだった
「俺ん家はここの角を曲がって竹薮を真っ直ぐ行って地蔵堂を左に曲がった赤いトタン屋根の家」だと すると一斉に他の5人がまくしたててきてなんやペチャクチャだけの音声が響いてワイ
「うー、うっせーい!!!」
と怒鳴った
するとフッと奴らは一斉に消えたんや
これホンマの話やで^ - ^ ちょび髭の家へ行く道はハッキリと覚えてるけどこの辺りの地ではないワイがこれまで訪れたこともない場所であることはわかった
そんなことが一瞬でわかること自体がなんとも不思議でしょ? 霊がおるっつうことは間違いなく死後の世界はあるっつうこと 死後の世界への恐怖や不安はいつの時代にも誰もがもっていたことやろうし科学がどんなに進んでも解明されることはない命題なんだよね
古代エジプトのピラミッドが造られたことも日本の古事記に死者の国が描かれてることもキリスト教の復活祭があることもイスラム教が死後の世界を現世に約束することも仏教において成仏を約束することも全ては死後の世界を肯定することから始まってんねん
それが宗教が人類の歴史とともにいつの時代においても存在してきた理由や 誰もが前世の記憶を持っているんだがなかなかそれを思い出せないね
けど前世の記憶を思い出す方法がきっとあるハズやと思うねん
ワイ断片的にはワイよ前世を思い出せる時もあるねんけど、、、
それは違うかもしれなくてワイ自身が半信半疑になるほど訳のわからん他の霊体がそれを邪魔するねん 誰もが死ぬ運命なのに誰もが自分だけは絶対死なないと思って生きている
そんでええと思うね(現時点では)
だってそれを否定することは生きてることすらを否定することだからね けどね「死」へのtimer⏱は着実に進んで行くねん^^
おそらく人は死の直前まで自分だけは絶対死なないと思って生きる性質がある