「べき」って言う人って、自分の論が正しいって前提がある。
でも、これは算数の問題ではない。教育や興味の伸長のメソッドの話で、一つの正解があると思ってるのはおかしい。
やむを得ずある種のメソッドにまとめざるを得ない公教育のやり方を正しいものだと考えちゃいけないよ。
そんなことで議論の相手をやりこめても意味がない。
まずはメソッドの多様性をとりあえず認めることを前提にして、
そのメソッドを受ける人(この場合はこどもたち)が自分にあったものを選べる環境を作る方が豊かになる。
ラズパイが良いと思う人は、こどもたちが楽しくラズパイを学習できるような環境作りをすればいいし、そのほかの材料でも同じこと。

入り口も進む先もたくさんあるほど多様な生き方ができるわけだし。