胎内記憶いっぱいあるんだが、ある人おる?
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因みに一番古い記憶は体が動かせることに気づいた頃かな 生まれてすぐの記憶も言葉を覚える前の記憶もあるんやで 世の中、あの世とか前世の話はいっぱいあるのに胎内記憶の話あんまりないよな 始めのうちはほとんどの時間を寝て過ごしてたけど、たまに考えることができる時間ができてきたんだ
体の方は動けそうで動けない日々が続いてたけどある日からやっぱり動けることに気づいたんだ たまに意識があるときにどうやって、なぜここに居るのかって考えたりもしたけど何にも思い出せなっかった
動けないので自分の力で来たわけないしよくわからなかった 少しづつ体がしっかり動くようになってきたんだ
もしかしたら移動できるかもしれないと考えるようになってきた
この頃はこの世界はどこまで続いてるのかとか移動できたらどうなるのかなんて考えてたよ
でもたまに何かにぶつかる感覚もあってもしかしたら世界は狭いのかもとも思ってた 意識が少しづつしっかりしてきたこともあってか世界の全体像が分かってきた
世界は思っていたより広くなかった
周りは壁に囲まれていた
ただ一つを除いては
何と言うか、吸い込まれるような感覚になる場所があることに気づく
そこに近づくと壁が行かないように守ってくれるんだ 吸い込まれる感覚はとても嫌な感覚で自分の中で行ってはいけない場所となっていた
しかしある日いつものように世界を移動していると吸い込まれる場所に行ってしまったんだ
壁も救い上げようとしているのがわかったが、少し深く入ってしまったのか中々元の位置にたどり着けなかった
自分ではへばりつくことしかできないくらい何もできなかった
そうこうしてるうちに眠たくなったんだ
寝たら吸い込まれるかもしれない中で必死に抵抗しようとしたけど
寝た 起きたらいつもの安全な位置に戻ってた
夢だったのか現実だったのかよくわからなかった
この時期はまだ頭脳の成長が未熟なのか、よく妄想なのか夢なのか現実なのか曖昧なことが多かった 時は進み体がさらにしっかりと動かせるように感じることができるようになっていた
考えることができる時間も少し多くなっているように思えた
いつものように世界を移動しているときに再び吸い込まれる場所に行ってしまった
今回のは今までと違いかなり深いところまで行ってしまった感覚だった
壁も救い出そうとしている
自分も戻ろうと試みる
壁の救い上げるタイミングに合わせて動くことで少しづつ戻れているような気がした
それを続けていると安全な位置まで戻ることができた
かなりやばかった
でも戻れた
以前の自分だと戻れなかったかもしれないと思うと強くなっていると実感した こんな感じで吸い込まれる方向には行かないようにしていたが、何度か吸い込まれながらも無事に過ごしてきた
考えることができる時間も少しづつ多くなってきて、なぜ自分がここに居るのかということを何度も考えていた
世界は壁に囲まれていて、大して動くこともできない自分の力でここに来たなんて考えられない
しかし記憶もない
なぜだ
答えはいつも出ないまま眠った さらに時は進み、体の力はさらに強くなり考える時間も長くなっていた
以前なら壁は自分を救い上げてくれる存在だったが今は壁を押し返せるくらいになってきた
何もすることのないこの世界でやることといえば壁との押し競まんじゅうと考え事くらいだ
そして気づいた
世界がだんだん狭くなってきている
だんだんと壁と自分の距離が近くなってきている この時考えていたのは
このまま壁がどんどん押し寄せてきて自分はつぶれてしまうのかもしれない
もしつぶされてしまったら自分はどうなるのだろう?
なぜここに居るのかわからなかったが、この先どうなるのかも分からない
その答えは出ることはないまま寝た さらに時は進み壁の力より押し返す力の方が強くなっていた
この頃なぜかこの世界の他にも別の世界があるような気がしていた
どんな世界が他にあるのか想像していた
自分はどんな姿なのかというのも想像していた
しかしその想像のほとんどは忘れてしまった
別の世界があるとすれば吸い込まれる方向の向こうしかないと考えていた その時の覚えている想像は今はこれだけだ
強くなった自分はこの狭い世界では動けずにいるが、吸い込まれる方向の向こうには今いる世界よりも広い世界が広がっていてもっと自由に動き回れるのではないか?
他にも自分みたいな者がいたりなんかしないか?
産まれてから思ったが、この時想像したすべて全然間違っていた
すべては想像をはるかに超えていた
産まれた後の世界は壁なんてなかった この日は壁が妙に押してくる
今までも壁は押してくることはあった
それを押し返したりしていた
しかしこの日は今まで以上の頻度で、力で押してくる
いつも通り押し返していたがちょっとめんどくさいと思えるほどだった
さらに今までと違うのが吸い込まれる方向に押してくるのだ
今までは吸い込まれる方向から救い上げるように押されてる感覚だったのに 今まで何度も吸い込まれる方向に行ったらどうなるのかを考えたことはあった
でも嫌な予感がするので行ったことは無かった
今は少し吸い込まれる方向の先に何があるのか
その先の世界はどうなっているのか
好奇心が嫌な予感を上回り始めていた
体が強くなっていると自覚していたこともあり
何度もためらったが行くこと決意した 壁が押してこないときに少しだけ行ってみてダメそうなら戻ってこようと思っていた
自分は力がかなり強くなっているので進んでも戻って来れると思っていた
そして
思い切って行ってみた
すると
すぐに行き止まりだった 思ってたのと違った
もっと広い世界が続いてると思っていた
行き止まりだった
めちゃめちゃ狭かった
正確には行き止まりに感じたが少しずつならもう少し進めそうだった
体の半分くらいが穴にはまって動かせない状態になってしまった
壁が救い上げてくれるタイミングで戻ろうかと考えた
しかし壁は救い上げるどころかどんどんと奥へ押し出そうとしてくる
戻るのは至難の業だと思った
しばらくの間どうするか考えた
もしかしたら全力で時間をかければ戻れたかもしれない
でも戻ることをあきらめて進むことを決意した 今までとは逆で壁が押し出す力に合わせて動けばまだ先に進めるのではと思った
タイミグを合わせて進むことができた
今度はほぼ全身が穴にはまって動けなくなってしまった
これでとうとう戻ることも進むこともできなくなってしまった
狭くてものすごく居心地が悪かった
自分ではほとんど何もできない状態になってしまったが壁が押し出そうとしてくる
それに合わせて体を動かすとたまに少し進んでる気がした
これを何度も何度も続けていた この時いろんなことを考えた
今までに吸い込まれた時には寝て起きたら元の位置に戻っていたことがあったことを思い出した
だから寝てみた
ものすごく居心地が悪く寝にくかった
起きたらさっきと全く同じ状態だった
今回のは夢でもなんでもなく現実だった
居心地が悪い
すごく後悔した
あのまま吸い込まれる方向に行かなければこうはなっていなかったのにと 少し前までは何もすることは無かったことを受け入れさえすれば特に不満は無かった
むしろ居心地がいいとさえ感じていた
壁が迫ってきてつぶされてしまうのではないかという不安も自分の力が壁を押し返すほどの力をつけたことにより解決していた
このまま永遠にどこまでも続いていくのかなどと想像もしていた
しかし今
押しつぶされる感覚に襲われている
こうして自分は押しつぶされてしまうと考えていた
再び押しつぶされるとどうなる?
そう考えていた
考える力は以前にも増してついていた
それでも自分がどうしてここに居るのか
そしてこの先どうなるのかはわからなかった それでもいっぱい考えた
生きるとか死ぬとかいう概念はなかった
言葉にすると始まるとか終わるみたいな感覚の方が近かった
もしかしたらつぶされると終わるのかもしれないと思った
終わるとどうなるのだろう?
今の自分が終わるだけ?
自分がいるのは始まったからなのだからまた何かが始まる?
また始まるとしても始まる以前のことを自分は全く覚えていないということは今いる自分はもう思い出せない?
今まで考えたことや感じたことそれも一緒に終わる?
何も残らない?
もう始まらないこともある?
始まっても始まらなくても今の自分はもうなくなるよね
こんなことを考え出していた
とても不安で悲しくて辛くて
でも仕方がないと思った 苦しいながら何度も寝ては起きてを繰り返していた
起きているときは少しずつでも進めるよう意識していた
寝ていたのか気を失っていたのか
気づいた時には産まれていた 始めは何がどうなっているのか全く分からなかった
さっきまで終わると思っていたことを覚えていた
何もかもが今までと違いすぎていた
音や光、空気、温度、壁のない世界、ほかの何者かがいる世界
だからまた何かが始まったと思った すぐに違和感を感じた
前回は始まる前の記憶が一切なかったのに今はあることに気づいた
もしかしたら終わったのではなく続いているのでは?
前回も始まったときは覚えててでも忘れてしまっていたのかも
だから今回もすぐに忘れてしまうのかもしれない
忘れたくない
などと考えてた
しかし目の前の新しい世界を理解しないといけないという焦りも同時に存在していた
過去のことを考えている余裕などなかった
だから続いているということにした
忘れたくないと思った 新しい世界には新しいことだらけだった
例えるなら朝起きたら水の中で目覚めたような感覚だ
この表現はかなり近いと思う
今まで羊水の中にいた者が空気の世界に来たのだから たくさんのことがありすぎて覚えていない部分もある
音はどの方向からどの位置から聞こえるのか分かった
息をしているがわかった
温度を感じた
肌で空気の世界の感触を感じた
自分は泣いていた
自分は動いていた
なぜか目の記憶がない この世界で生きていけるように自分の体が作られていると感じた
もし前の世界からの続きだとしたら思ってた以上に体が動かせなかったと感じた
と言うより体が勝手に動いていて自分の意志で動かせなかった
もしかしたらまだ前の世界にとどまってもっと強くなってからこの世界に来なければいけなかったのでは
このままではこの世界で終わってしまうかもしれないと不安に思っていた この世界でどうやって生き延びるのかを必死で考えていた
この時点で産まれてからまだ数秒、長くても数分だと思っている
その時突然
猛烈な空腹に襲われた
例えるならあと数時間何も口にしないと命に係わるほど
数週間水しか口にしていないほどの空腹に襲われた
産まれて数時間赤ちゃんを放置すれば恐らく命は尽きると思われるのでこの表現も間違いではないと思う
前の世界で終わりを覚悟していたが新しい世界は始まった
しかしすぐに終わりがやってきたと思った
何もわからない、なんの力もない自分にはどうしようもなかった
また終わってまた始まるのかな?
次も覚えてたらいいなと絶望の中思っていた
自分でも驚くほどの声で体は勝手にで泣いていた
魂で全力で泣いていた その時無理やり口に何かを突っ込まれる感覚があった
もちろん口などという概念はまだない
するとゴクゴクと何かを飲み始めた
不思議な感覚だった
何をしているのかわからなかった
体が勝手にそうしていた
するとさっきまでの絶望的な空腹感がみるみるうちになくなっていった
まわりにいる何者かが助けてくれているのがわかった
まるで以前の壁のようだった
この世界でも全く違うが似たようにできているのかと思った 初めてのことだらけだった
不安で怖くて何が何だかわからなかった
あくびもした
げっぷもした
くしゃみもした
特にくしゃみは初めての時は恐ろしかった
我慢しようとしたが我慢できなかった
びっくりしたがなんてことなかった
あくびとげっぷはすぐに慣れた
空腹が収まり少し余裕ができてこの世界を再び理解しようとした
だがすぐに強烈な眠気に襲われた
まだ何もわからない、何もできない今寝てしまうと終わるかもしれないと思って我慢したが
寝た 再び起きたら先ほど感じた絶望的な空腹感に襲われた
世界の終わりを感じた
でもすぐにまた口に何かを突っ込まれた
そしてそれを飲んだ
空腹が和らいでまた寝た
また起きて絶望の空腹感に襲われてを何度も繰り返した たくさんの何者かに助けられたことはわかった
その中でなぜか母だけは特別だと初めから感じ取れた
抱かれたときにすぐに認識できた 考える力も体の強さもお腹の中の時よりも成長しているはずなのだが生まれてすぐの頃はそれが感じられなかった
目覚めているときだけ考えることができていたのだがこの頃は空腹感に支配されて考えることができなかった
お腹の中にいたときは自分の意志で体を動かせたはずなのだがこの頃は体が勝手に動いてしまって自分では動かせなかった
しかし徐々に変化しているのがわかった
空腹になりにくくなっていくのがわかった
背骨に近いところから徐々に意識的に体が動かせるようになってきているのがわかった 目が覚めてもしばらくは空腹感に襲われなくなってきていてその間は考えることができた
この頃まだお腹の中のことを思い出せた
しかしいくつかのことを思い出せなくなっていることにも気づいた
やはり以前の世界のことは忘れてしまっていくのだろうかと思った
だから以前の世界でさらに前のことは思い出せなくなっていたのかと思った
体は太ももの付け根や腕の付け根らへんを意識的に動かせるようになってきていること感じた しかし相変わらずすぐに空腹感がやってくるので考えられる時間は長くはない
この頃初めて目の記憶がある
お腹の中で自分はどんな姿をしているの想像したことがある
どんな想像をしていたのかは残念ながら覚えていない
ただ想像とは全く違っていたということだけは覚えている
この世の中に存在していたものはすべて想像をはるかに超えて複雑なものだったという感覚だけは残っている この世界を動く人間を見ていた
手があり、足があり、顔があり、体があった
自分の意志で動いていると思った
想像していた自分の姿とは似ても似つかない存在だった
だがときより見える自分の手や足
それらが似ていると感じた
大きさこそ違うがもはや同じだと感じた
だから自分の姿はあれと同じなのではないかと想像した 他の人達と比べて自分の体は小さく自らの意志でほとんど動かせない
そんな自分のことをもしかしたら失敗作なのかもしれないと思った
以前の世界でもっと長くとどまっていれば皆と同じくもっと大きく自由に動けたのかもしれないと
それ以外の可能性についても思った
この世界に来てからもどんどん強くなっている気がしていた
だからこのままいけば強く大きくなっていけるのではないか?
自由に動けるようになるのではないか?
そうとも考えていた
そう信じたいと思っていた ある時子供を見た
この時人はこの世界で成長していく可能性を感じた
だがまだ確信は持てなかった
子供は自分より成長してから出てきたが大人よりは早く出てきてしまっただけなのかもしれないとも考えた
あの時初めて見た子供はもしかしたら姉だったのかもしれない こんな感じで永遠に思い出があるんだよ
終わらないので一旦ここで思い出話は終わろうかな
何か質問とかあればぜひ書き込んでね
他にも胎内記憶とかある人いれば書き込んでね
たまーに覗きに来ようかな
何か反応あればいいな
やっぱり記憶がある人って自分だけなのかな めっちゃ面白いからもっと書いてくれ
1は弟でいいのか?
今何歳?
壁の色覚えてない?
胎内記憶ある人は赤っぽいものが見えてたとか言うけど
カメラアイの能力ある?
見たものを詳細に思い出せる能力のこと >>43
時間あるときにぼちぼち続きも書いていくで
話のピークはすぎてしまったかもやけど
質問に答えるで
弟、40代半ば
お腹の中は基本真っ暗、色が存在しているという概念すらない
赤色とかピンクだったとか言うのは信じられない
瞼の裏もピンクだが目を閉じれば真っ暗やろ?なんで服も着てお腹の壁も突き抜けて光を感じるんや
カメラアイはうっすらあるかもしれない >>44
初心者なんやすまん
初めてすぎてオカ版が何かもわからんくらいや
書き込む前に言ってくれ
もう書き進んでるからこのままここで書き込んでいくで
よろしく 続きというか後編書いていくで
ただの思い出話やからたいした山場もオチもないかもやけど 実は胎内記憶や言葉を覚える前の記憶を今までずっと覚えてたわけではないんだよ
ずっと忘れていた
思い出すきっかけがあったんだよ
いつどんな風に思い出したのか視点で書いてみる 小学4年生の時
10才の時
俺は風呂で大の字になってはいりたかったんだ
でも我が家の風呂は小さくて大の字にはなれなかった
それでも何とか上半身だけでもと思っていろんな体勢になって試してた
そしたらなんとかできて後頭部を風呂につけることができたんだ
その瞬間全身がぞわぞわーってしてなんとも言えない不思議な感覚になったんだ
それと同時にこの後頭部を風呂につけた時の感触を知っていると思ったんだ 家の風呂で後頭部をつけることは難しいのでやったことないし
温泉とかばーちゃんの家とかでやった覚えもない
でも絶対に知っていると妙な感覚だった
それでなんでかな?と思って何度も後頭部をつけながら考えてたんだ
その時思い出したんだ 自分は誰かに抱えられている
仰向け状態で
首元とおしりのあたりを支えられている
そのままゆっくりと下に降りていく感覚だ
そしてゆっくりと下りた先に待っていたのは
後頭部にお湯がぺちゃっとついた 始めは何かわからなかったがいつかの記憶だということはわかった
それもかなり古い記憶だと
確実に自分が赤ちゃんの時の記憶だと思った
でも正確にいつの記憶なのかはわからなかった
今までで一番古い記憶を思い出せたことがうれしかった 興奮気味にそれから何度も後頭部をぺちゃぺちゃしながら風呂に入っていた
そしたらさらに記憶が蘇ってきた ゆっくりと下がっていき
後頭部がお湯についた
全身がぞわぞわーってした
そのまま全身がお湯につかった
さらにお湯を体に誰かがかけてくる
すこし慣れない優しい手つきだった
次に手を持ち替えながら片手で俺の両耳をふさごうとしてきた
しかしやや手が届かないのかやりにくそうにしていた
右耳を抑えると左耳が押さえきれない
左耳を抑えると右耳が押さえきれない
しばらくしてお湯を頭にかけてきた
押さえきれていない耳にお湯が入ってくる
俺は不快なのと驚きで泣いた その後も何度も耳をふさごうと頑張っているのが伝わってきた
でもできなかった
するとごっつい手の人物と交代した
その手は俺の両耳を片手でがっちりとふさぐことができた
体がしっかりと支えられてる感じがした この思い出の人は手が小さいのが母で大きいのが父だと思った
父は母より慣れていない感じだった
だがその大きな手のせいなのかとても安心感があった
両耳をしっかりとふさいだままお湯をかけてきた
安心感からか泣かなかった
次の瞬間顔にもかけてきた
びっくりした
おもいっきり泣いた これが10才の時はじめて思い出した赤ちゃんの記憶だ
すごい記憶を思い出したと思った
忘れないようにそれから毎日思い出すようにしていた
そしたらどんどん記憶が蘇ってきた 風呂上りに哺乳瓶で何かを飲まされた
かなりお腹がすいていた
この時も口に何かを入れられると自分の意志とは関係なく体が勝手に吸い出す状態だった
必死に飲んだ
味がいつもと違った
それでも飲むことで空腹感がなくなると信じて飲んだ
もう飲めないほど腹いっぱいになった
だが空腹感は満たされなかった
哺乳瓶の中身はただのお湯だった 空腹感が徐々に絶望的な空腹感に変わっていった
全力で泣いていた
母が母乳を与えようとしてきた
しかし腹がいっぱい過ぎてぜんぜん飲めなかった
母は母乳を上げるのをあきらめてしまった
絶望的な空腹感を久々に感じた
魂で泣いた
そう生まれてすぐのあの日のように 寝て起きると昨日のことは大概忘れてしまっていた
だからそれから何度か同じように風呂上りにお湯を飲まされて絶望的な空腹感を味わった
しかし何度も経験しているうちにさすがにわかってきた
ほとんど動かせない体をよじってお湯を飲まないように逃げ回った
大人の力はすごかった
結局しばらくの間お湯を飲まされ続けた お湯を飲まされるとそのあと母乳が飲めずに空腹感と戦うことになっていたのだが徐々にそれもなくなっていった
お湯を飲んからでも母乳もしっかり飲めるようになってきた
またさらに成長したと思った
満腹から空腹になるまでの時間がどんどん長くなっているのがわかった
この頃から離乳食が始まった 離乳食が始まる以前から大人たちが食べているものにはすごく興味があった
ずっと一緒のものを食べてみたいと思っていた
でも食べさせてもらえなかった
もし母が母乳をくれなくなったら自分はひとりで生きていけるか不安に思っていた
だからその辺にあるもので食べれるものはないだろうかといろんなものを口に入れてみた
落ちている米粒やらなにやらを食べたことは何度もある だがほとんどのものは食べられなかった
時にはカーテンにしゃぶりついてみたりなんて記憶もある
落ちている米粒程度では空腹感が満たされることはなかった
だから母親がいないと自分は生きていけないと思った そしてとうとう大人たちと同じものを食べられると思い、始めての離乳食は興奮した
だがまずかった
思ってたのと違った
どう見ても大人たちが食べているものと違うものを与えられていた
それが離乳食だ 何を食べさせられたのかはわからない
毎日同じものではなかった
めっちゃまずいと感じるときもあった
食べても嫌な感じがしないものもあった
何度目かで以前にも食べたことある味だと思うこともあった
段々といろんな味に慣れっていった 離乳食のあとの母乳はいつもより少なかった
だからしばらくは空腹感と戦っていた
離乳食の種類によっては腹持ちがいいものと悪いものがあった
味よりもその方が気になっていた
そのうちに離乳食の量がだんだんと増えてきた
離乳食だけで夜から朝まで耐えるような日もあった
そんな時はなおさら腹持ちが大切だった そんなこんなで日々過ごしていく中でふと記憶について考えた日があった
寝て起きたらだいたいのことは忘れてしまっていた
寝る前に、さっきまで自分は何をしていたのか、何を考えていたのか
だいたいのことは忘れてしまっていた
だから寝て起きた時も忘れないようにできるよう意識して過ごしてみた
そうすることで寝る前までにしていたことや考えていたことを覚えているときが増えた 恐らく1才くらいだろうか
寝て起きても忘れない、いつの記憶なのかはわからない古い記憶がいくらか残っていた
その記憶だどんなものだったのか今の自分には思い出せない
だがそんな記憶があったことは覚えている
その頃に思った
もっともっといろんなことを覚えていたはずなのにわすれてしまっている
どんどん昔の記憶がなくなっている
寝る前の記憶とは違う昔の記憶も大切にしようと思った 産まれてすぐの時、体は自分の意志とは関係なく勝手に動いていた
泣くときもそうだった
腹が減ったら勝手に体が泣いていた
さみしいときは体が勝手に泣いていた
びっくりしたときも痛いときも不快な時もそうだった
起きていて泣いていないときだけ考えることができた 泣くといつも誰かが助けてくれた
だいたいは母だ
そしてそのすべてを満たしてくれていた
だから泣き止んだ 泣き方なのか
心を読み取ることができるのか
それはわからないがいつもすべてを解決してくれた
だからそういうものだと思っていた
すべては何となくうまいことできているのだと思っていた ある時お腹がすいて泣いていた
これはまだ生まれてから数日くらいのことだろうと思う
いつもは空腹で泣くとすぐに満たしてくれていた
しかしこの時は違った
泣いているのに何も起きなかった
誰も来なかった
泣き疲れて寝た
再び起きた時は猛烈な空腹感だった
また泣いた
だが誰も来なかった
そして絶望的な空腹感が襲ってきた
久々に魂で泣き叫んだ
そしたら母が来て母乳を飲ませてくれた
不思議だったなぜ泣いていたのに来てくれなかったのか 泣いてもすぐに来てくれないことはその後何度もあった
だから絶望的な空腹感の前から泣くようにしないといけないと思った
泣きまねをするようになった
それでも来てくれることはあった
不思議だった
自分の考えてることがどういうわけか伝わっていると思っていた
でも時々伝わらないと思っていた 泣く以外でも声を出すことができた
大人たちも声を出していた
大人たちの出す声と自分の声はいろいろと違いがあると思っていた
大人たちはいろんな声を出しているのはわかった
自分もそのうち勝手にそうなっていくものなのかなとも思っていた
これはまだ生まれて数日から数週間ほどのことだと思う もう少し時が進んで
自分の中の感情の種類増えていきががだんだんと複雑になり始めていた
例えばあっちの部屋に行きたいとか、あのおもちゃを取りたいとかである
そんな理由で泣いても解決もしてもらえず満たされないことが増えてきた
泣き方や心を読み取る的なことでは伝わっていない可能性が高くなっていた 俺の家族は父と母と姉の4人家族だ
父を見ていた
すると母が何かを持ってきた
当然のように、まるで持ってくることを知っていたかのようにそれを受け取った
姉を見ていた
母から何かを貰っていた
自分もそれが欲しいと思った
だがもらえなかった
泣いても貰えなかった
そういうのを見ていると不思議だった
泣くとか思いを読み取る的なこととは別のなにかがあるのではと思い始めていた 今まで声の出し方が大人たちとは違うとは思っていたがもしかしたらこれが合図になっているのではと思った
ずっと観察していた
ある時父と母が別々の部屋にいた
絶対にお互いが見えない位置関係だった
父が何か声を出したすると母が何かを持ってきた
父は当然のようにそれを受け取った
俺は確信した言葉があると どんどん勝手に書き進めていくで
言葉があると思ってから父や母、姉の声を注意深く聞くようにした
すると予想通り物にはそれぞれの名前がついていることが分かった
自分の名前もそのひとつだ
言葉を観察するようになって驚いたことがある
それは物の名前だけでなく動作や感情など想像以上に種類があることに驚いた
文法など言葉の組み合わせで意味が変わることに気づいたときは理解するのは途方もないように思えた 姉は2つ年上だ
その姉を見ていると大人たちと同じようにたくさんの言葉を使いこなしているように見えた
まだ幼い姉ですら言葉を使いこなせているということを見て自分もそうならなければいけないと思った
始めはそのうち勝手に覚えると思っていたが予想以上に膨大な言葉の世界を知り、努力しなければいけないと思った
この頃は言葉を覚えることと体を自由に動かせるようになろうと毎日頑張っていた
恐らく生まれて1か月から数か月ほどのことだと思う 新しいことを覚えることは本当に大変だった
そんな中過去のことを覚えていようともしていた
過去のことを覚えておくためには定期的に思い出すことをしなければいけなかった
そうでなければ幼いせいかすぐに忘れてしまうこともわかっていた
しかし言葉の種類は膨大で全力で取り組まないと理解できないと思った
だからしばらくの間過去のことは考えることをやめてその時間すら言葉を覚えることに集中すると決めた
この時点でもうかなりのことを忘れていたがまだいくらか古い記憶があったことを覚えている
だがその内容まではわからない いつか言葉を覚えて余裕ができたらその時もう一度過去のことを思い出そう
忘れてしまうかもしれない
でも忘れたくない
そう思った
それから途中で何度かは過去のことを思い出そうとしたりもした
そのたびに記憶が減っているのがわかった
2才か3才くらいだろうか久しぶりに過去のことを思い出そうとしただ言葉を覚える前にいくつか古い記憶があったことだけは覚えていた
それを忘れるかもしれないけど言葉を覚えようと決めたことも覚えていた
ただそれがどんな記憶だったのかは何一つ思い出せなかった
とても残念で悲しかったが言葉はここにきてもまだまだ膨大で終わりが見えない
だから前に進むことに決めた なんかすごい冒険記みたいだね
胎内にいたときからとても頑張っていたんだね それだけの思考をするためには言葉が必須だと思う。身も蓋もないけど。 少し戻ってたぶん産まれて数か月
言葉を覚えようと決めてしばらくしたころ物の名前がかなりわかってきた
母が言っていることもだいぶわかるようになってきた
そろそろ自分の意志を言葉で伝えれると思っていた
この日俺は何かを言おうとした
そしたら発音がまったくできなかった
言葉を聞いていただけでしゃべれると思っていた
全然そうではなかった
この日から言葉を覚えるだけでなく発音の練習を始めた 発音についてのことを文字で伝えるのは非常に難しい
始めは「あ〜」とか「う〜」とかから始まった
今までもそれと同じ声は出していたが大人たちの話す発音と同じ音を探していた
見つけては寝て忘れて
また見つけては寝て忘れてを繰り返しながら身につけていった どの発音をどう覚えたかは正確ではないが大人になった自分の目線と記憶を踏まえて解説してみる
母の話す口元を見ていた
「ば〜」とか「ま〜」とかは唇だけで音が変わるものは見た目で何やってるのかわかりやすかった
あとは練習するだけだった
「は〜」とか「ふ〜」なんかは偶然見つけやすかったのだと思う
「ら〜」とか「た〜」とか「さ〜」とか口の中で舌を使って発音が変わる音については苦労した
これらについては自分で見つける作業をかなりしていた
赤ちゃんが意味不明な言葉をひたすらに言っている時期があるはずだ
「あるdべjぇうぁあうえう〜」的なものだ
これ実は発音を探しているのだ
寝て起きると大概のことは忘れてしまうので見つけるべき発音も忘れがちだ
だから大人たちがしゃべっているときに意味不明な言葉を話し始めるのだ この辺りからは個人差があるかもしれないが自分の場合はこうだ
まず物の名前を覚えた
それを言おうとした
言えなかった
発音を練習しながらさらに言葉を覚えた→今この辺
物の名前がたまに偶然言えるようになる
徐々に言えるものの名前が増えてくる
まだ見つけられていない発音も多い
赤ちゃん言葉でなんとか話す
言葉の理解がさらに進む
発音がほぼ完ぺきにできるとようになる
いきなり話すのは恥ずかしくてしばらくは赤ちゃん言葉を話す
ある時言葉を話すようになる
しかしいくつかの発音ができていないことに気づく
わからない言葉の多さに苦労する 言えるようになった発音を忘れないよう繰り返していたらたまたま知っているものの名前になることがあった
例えば「ママ」や「ブーブー」とかだ
偶然言えるようになった言葉から話すようになっていった
そのうちに言える発音が多くなっていき言葉の理解も進み赤ちゃん言葉で話すようになった
ここでいう赤ちゃん言葉とは例えば「アンパンマン」を「アンマンマン」のように言えない発音を無視または近い音に置き換えて無理やりいう言葉だ 赤ちゃん言葉でもある程度伝わるのでこのままでもいいかなと思ったこともあった
だがまだまだ言葉を学ぶことを選択した
ある程度発音を覚えてくると大人たちの前ではなくひとりで発音の練習をしていた
そのうちに自分の中ではすべての発音を完璧に覚えたと思った
物の名前も文法的にも理解が進んでいた
もう大人たちと同じように話せると思った
さっきまで赤ちゃん言葉だった自分が突然ちゃんと話したらびっくりするだろうか?などと考えていた
だからいつからちゃんと話すようにしたらいいのかわからなかった そんなことを考えてから1週間ほどたった
相変わらず母は自分が話せると思っていないのでひとりごとのように話しかけては去っていく
例えば「公園に遊びに行こうか〜そうだね〜楽しみだね〜よし行こう!」的な感じだ
実際は大阪弁だ
本当はもうしゃべれるのになと心の中では思っていた
意を決してしゃべることを決めた いままで母のことをママと呼んでいた
だからお母さんと呼ぶことにした
母は別の部屋にいた
「おかあさ〜ん!」と呼んだ
返事がなかった
緊張した
だから声が小さかった
もう一度大きな声で呼んだ
向こうから「は〜い」と母が来た
「お母さん」に対するリアクションは無かった
何かしゃべらないとと思った
今までととは違う感じでちゃんと話さないとと思った
話す内容を考えてなかった
「のどかわいた」って言った
母が「お茶でいい?」って言った
俺はうなずいた
実際はジュースと言えばよかったと思った
決意して挑んだこの時大したことは言えなかった
いきなりちゃんとしゃべると驚かれると緊張していたが
母のリアクションは最後までなかった 赤ちゃん言葉でどの発音ができていなかったのか正確には覚えていない
だがこの短いやり取りのなかのいくつかの発音が今までと違いちゃんとした発音になっていたはずだ
気づかれなかったが
しかしこれがきっかけでちゃんとしゃべっても大したことがないとわかりこの日から赤ちゃん言葉を卒業した
だが相変わらず母はひとりごとのように話しかけてくるので会話にはならなかった
だから姉とちゃんとした発音を意識して話した
その1週間くらい後に母が「あんた急にしゃべるようになったな〜」って驚いてた
俺は今?!と気づくのが遅いのに驚いた 言葉をかなり理解して発音も完璧になったと思っていた
しかし実際はほんの少しだがまだ言えてない発音があることに気づいた
それが何だったのかは覚えていないが5種類ほどはあった
それらはいつの間にか克服していた
言葉も大人たちが生活で通常使う言葉はだいたい理解できた
だが感情や感覚的な言葉は合っているのか確かめにくかった
夫婦喧嘩をしているときの言葉はほぼすべて聞き取れなかった
姉はだいたい聞き取れていると言っていた
この辺りで2〜3才くらいだろうか ここからは目の記憶と体の記憶を書いていこうと思う
細かく覚えていることもあれば少し曖昧な記憶もある
それがこの二つかもしれない
だからそれほど書くことも多くないかもしれない まずは目の記憶
お腹の中では目を意識したことは一度もなかった
だが自分はどんな姿をしているのか想像はしていた
それは見ているようなイメージを持っていた
その時の想像は覚えていないが実際の姿を知ったときイメージしていたすべてと全然違っていたことは間違いなく覚えている
産まれてすぐは世界の変化の驚きが凄すぎて目の記憶がほとんどない
ひとつ言えることはジェットコースターに乗っているようだった
どこを見ていたのかわからないといった感覚だ 少し後のことは以前にも書いたが大人たちや自分の手足などを見ていた
その時に自分の想像とは違う世界を見た
大きさの違う大人たちを見た
見た目で男と女がだいたいわかった
子供たちを見た
お腹が大きい大人を見た
自分がそこから生まれたのだとなんとなく思った
母から生まれたのは自分だけだと思っていた
だが姉がいた
ショックだった
自分だけの母ではなかったことがショックだった
自分の生まれる前の知らない母を知っている姉がうらやましかった 寝ることしかできない頃
ずっと天井を見ていた
天井の模様を眺めていた
そこからいろんな想像を膨らませていた
ある時天井にくるくる回るものが吊るされた
始めは良かったのかもしれない
しかしすぐに飽きた
天井が見えなくなった
じゃまだった
泣くたびに回った
飽きてからはストレスだった
だがこの頃は体が勝手に動いていた
なぜか動くものを見ると体が勝手に泣き止んだ
別に楽しかったわけではない 産まれてすぐの頃は体が勝手に動いて自分の意志では動かせなかった
徐々に背骨に近いところから動かせるようになっていった
目も徐々に動かせるようになっていった
見たいものを見れるようになっていった
手と足も付け根の方から少しずつ動かせるようになっていった
徐々に肘やひざのあたりからも動かせるようになっていった
泣くことも少しずつ意識してがまんできるようになっていった 泣いてしまうと考えることができなくなるので言葉の勉強も体を動かすこともできなくなるからときどきは我慢した
言葉の勉強以外にも体を動かす時間を作っていた
体を動かそうとすていると日々少しずつ意識して動かせる範囲が広がっているのがわかった
まだ指先が動かせない頃
おもちゃやおとなが指を俺の手に乗せると体が勝手に握ってしまっていた
離したくてもできなかった 指先を動かすために努力をしていた
指先を動かすには目で手を見ながら出ないと動かせなかった
まだ体が勝手に動くこともある時期だったが何とか顔の前に手を持ってきて握ったり開いたりをしようとしていた
この頃は足の指も手と同じくらいの感覚だった
どちらもやっと握ったり開いたりできるかできないかだった
俺はどちらもできるように努力していた
しかしなかなか成長が遅く感じられた
大人たちはいろんなことをするのに手を使っていた
それを見て足より手を動かす時間を増やした
手が少しずつ動かせるようになってきた
足の指は動きにくくなっていった 寝返りについてはあまり覚えていない
大人と違ってそこに区切りがないのだろう
ハイハイの頃はよく頭をぶつけていたことを覚えている
そして大人たちが巨人に見えていた
いつか立てるようになりたいと思っていた
自分が立ち上がったらそれに近づけると思っていた
立ち上がれるようになったとき今まで届かなかったものが届くようになると思っていたがほとんどまだ届かなかった
歩けるようになってからもすぐ転ぶのでよく頭をぶつけていたことを覚えている
はやく大人になりたいと思っていた 次にトイレの話だ
産まれてすぐの頃のことはあいまいだ
母乳を飲むとき体が勝手に飲みだしてその感覚は不思議だった
それと同じくしっこもうんこも何かが出ていくのは不思議な感覚だった
だがそれだけだ
気が付けばそれが普通のことになったのであまり考えることはなかった しばらくして思ったのはたくさん飲むとたくさん出るということだ
しっこは一度に出る時もあれば2回3回にわかれて出る時もあった
一度にたくさん出るとたまにおむつからはみ出していく感触があった
2回3回に分かれる時もおむつを替える前だとやはりはみ出すことが多かった
おむつを替えてくれなくても時間がたてば2回目もはみ出さないこともあった うんこは生まれてしばらくは普通のことなのでなにも考えていなかった
しばらくして大人たちはいつもトイレで用を足しているということに気づいた
その頃から人前でうんこやしっこをすることを少し恥ずかしいと感じるようになった
とくにうんこはしているのをばれると恥ずかしかった
少し隠れてするようになった うんこはしてすぐに座るとまだ暖かいので違和感なく座れた
少し時間がたつと冷えて冷たく感じるのが嫌だった
なるべく座らないようにするが座ってしまうと冷たく気持ち悪かった
そのまま座っていると慣れてきて平気になった トイレで用を足すのは憧れだったのだがなかなかうまくいかなかった
大人になった今と違い我慢が全くと言っていいほどできなかった
母にトイレに行きたいという前にすぐでるので出てから言っていた
母は不機嫌だった
だからといってもよおす前に申告してみても何も出なかった
トイレがうまくできるようになるために我慢の練習をした
我慢ができるようになってようやくトイレでできるようになった
ここでいうトイレはたぶんおまるだったのだと思う おまるでしていた記憶はないのだが
子供になってトイレをするときいつもタンクの方をむいてしていた
これはきっとおまるでやってた名残なんだろうと思う 他にもこまごまとした話はたくさんあるのだが一旦この辺にしよう
質問があれば覚えている範囲で答えるのでなんでも聞いてね
ここから大人になった自分のことを少し話してみようと思う
興味ある人おらんかもやけど 小学4年生10才のときにある一つの記憶を思い出した
それは赤ちゃんの俺が沐浴している記憶だ
この記憶をもとにたくさんの記憶が蘇った
いつの記憶なのか、これは本当に記憶なのだろうか?とも思った
記憶には時間の概念がなく当初は時系列がばらばらだった 俺は大人になって結婚して2人の子供を授かった
子供が生まれる前にたまごクラブを嫁が買っていた
その中に赤ちゃんの気持ちが書かれてあった
「赤ちゃんは自分の手を見て遊びます」的なことや「泣いている理由」などだ
自分の記憶とおなじだと思うことも書かれてあった
違うと思うところもあった
手を見ているのは遊んでいるのではない
トレーニングをしているのだ、と
ただ自分の他にも結構な記憶がある人がいるのだと思った
それを嫁に言った
「それ記憶ちゃうで」と言われた 記憶がある人は自分以外にもいてると思っていたが大人になっていろんな人と話していもいないことに気づいた
噂ではあるという話だが実際に会ったことはまだない
ネットでいろんなことが調べられるようになってからネットでも調べた
そこには少しだけそれっぽいことが書いていた
覚えているのを少し書こう お腹の部屋の中はピンクだった
暗いトンネルを抜けるとメガネのおじさんがいた
空の上からパパとママを見ていた
空の上からパパとママの子供になりたいと思って選んで生まれてきた
お水の中でぷかぷか浮かんだり泳いだりしていた
などだ
ぷかぷか浮かぶなどはわからなくはないがその他は自分の記憶とはあまりにも違いすぎる
それとだいたいは3才くらいの我が子が話した内容のようだ
内容もどうとでもとれるほど短いエピソードばかりだ
大人になっても覚えている自分が特殊に思えてきた 自分は一度記憶を忘れていた
そして思い出した
だから忘れる過程も今は覚えている
個人差はあるだろうが自分の場合3才のときには言葉を覚える代償に古い記憶を失った
それ以前でも胎内記憶は残っていなかった
ただ自分も記憶を大切にしたいと思っていたし忘れなかった3才の子供がいることも不思議ではない
でも空の上からってのは信じられない
ピンクの部屋も信じられない
産まれた時にメガネのおじさんも違和感しかない
あの大変な時の一番の印象がおじさんなのか。。。 この記憶の数々は案外貴重なのかもしれないと思うようになった
だからどうにかして残しておきたいと思った
以前本にしてみようかと考えたこともあるが自費出版って結構お金がかかるみたいでやめた
クラウドファンディングに載せたこともある
¥1000もらった
全然足りなかった
あんまり需要がないことがわかった
知り合いに子供ができるたびに話した
皆最初は疑ってかかってくるけど最後には信じてくれて喜んでくれた
それっぽい大学教授にも連絡してみた
信じてくれなかった
前世は信じてた
おかしいよね
胎内記憶教育協会なるものを見つけた
連絡した
話を聞いてくれた
始めて聞いたと驚いていた
それだけの反応だった
その人たちは本を出していた
空の上からパパとママを選んで生まれてきたという内容のだった 胎内記憶を専門にしている人たちですら聞いたことないってどういうこと?
とりあえずここに書いておくことにした
以前書こうとしたことや今までいろんな人に話してきたからか結構書けたと思う
長々と山もなくオチもないただの思い出話なのでどれだけの人が読んでくれてどんなふうに思うのだろう 最後に
この記憶はいつの記憶なのだろうかと子供の頃からずっと思っていた
子供ができた時生まれてすぐの子供の両耳を片手でふさいでみた
余裕で届いた
一週間後再びふさいでみた
届いた
それから少し忘れていて産まれて1か月くらいでふさいでみた
届かなかった
父の手は俺の手より大きかったのだろうか今となってはわからない
だとしても最初の沐浴の記憶は俺が生まれて一か月以内くらいだろうと思った
母の手が届かなかったことを思うと1週間くらいだったのかもしれない 自分自身が考えたことや思ったこと、感じたことがほとんどの記憶で照合するのが難しいことだらけの中この最初の沐浴の記憶が相当古い記憶だということを教えてくれた
その後たくさんある記憶を子育てをしながらだいたいではあるが時系列を揃えてみた
時系列を揃えたことであることに気づいた
どうも時系列がわからない記憶があると
それらがいつの記憶なのかということをずっと考えていた
俺は沐浴の記憶が一番古い記憶だと思い込んでいた
だからずっとわからなかった
でも胎内記憶があると聞いてすべてがつながった
時系列がわからない記憶は胎内記憶だった
それが今回書いたお話だ 以上本編はこんな感じで締めたいと思う
長らく読んでくれた方
ありがとう
たまに覗きにくるので質問やコメント書いてね
番外編も書きに来るかも
では〜 もうすぐ出産なので、とても不思議な気持ちで読みふけってしまった
胎内記憶のこともっと聞きたいなぁ とても面白かった
10歳の時にお風呂に入っていて、赤ちゃんの時お父さんに沐浴させてもらったことを思い出したんだよね
それ以外の記憶は一体どうやって思い出したの? どーも またやって来ました
コメントありがとうございます
ガラにもなくこれから返信は敬語で返そうと思います
順に答えていきます
>>125
出産頑張ってください
せっかくコメントくれたのでもう少し胎内記憶を書き足そうと思います
>>126
質問ありがとうございます
思い出した経緯をもう少し詳しく話そうと思います まだ動ける前だったのかもしれない
もう動けるようになっていたのかもしれない
もっとも古い記憶のひとつだ
ある時から考えることができるようになった
それまでは寝ているような感覚だった
始めのうちはほんのわずかな時間だけ考えることができた
すぐにぼーっとしたり寝たりしていた
例えるなら集中して勉強できる時間に似ている
始めて勉強を始めた時と中学高校の時の時とどちらが勉強に集中できる時間が長かっただろうか
勉強を知る前は集中して勉強することすらなかったように
成長するなかで集中して勉強ができるようになったように
少しずつ意識して考えることができる時間が長くなっていった 考えていたすべてのことを覚えているわけではない
その一つは自分はどこから来ていまなぜここにいるのかということを考えていた
これについては前述したとおり答えは出せないまま今に至る
もう一つ覚えていることがある
感情を覚えたことだ どの順番になぜ感情を持ったのか理由もきっかけも覚えていない
感情の中には感覚的なものなども含まれている
形など存在しない頭の中だけで存在しているものすべてを言っている
例えば「不思議だな」と思うことも一つの感情だ
「なんでだろう?」と思うこともまた一つの感情だ
「どうやってここに来たのだろう?」これもまたそうだ
こうやって考えるたびに新しい感情が生まれてきた 赤ちゃんの思いを言葉に変えたもの→感情を言葉に変えたもの
みたいに書いてみよう
伝わるかどうかはわからないが
壁が迫ってきたらどうなってしまうのだろう?→恐怖
最後には自分は押しつぶされてしまうのでは?→恐怖、焦り
押しつぶされたらどうなるのだろう?→恐怖、焦り、不安
自分は終わってしまうのかな?→不安
終わったらどうなるのだろう?→疑問、不安
いなくなってしまうのかな?→疑問、不安
いなくなったらどうなるのだろう?→疑問
また新しい何かがはじまるのかな?→疑問、希望
そうだったらいいな→希望
でも今前の記憶がないってことは新しい世界が始まっても今の世界のことはわすれてしまうのかな→悲しみ
だとしたら今いる自分はもういたこともわからなくなってしまうのかな?→悲しみ、辛さ
「悲しいな」「辛いな」
よくわからないから寝よう→諦め、開き直り
このようにひとつの思考の流れの中にいくつもの感覚や感情が含まれている
この時に生まれたかは定かではないが「悲しさ」「辛さ」を初めて感じた瞬間だと思うことを書いてみた 考えるたびに新しい感情や感覚や感性が生まれてきた
新しい感情が生まれた時はすぐにわかった
それが楽しかったし嬉しかった
悲しい、辛いという感情でさえも初めて感じた時は嬉しかった
この楽しい、嬉しいも一つの感情だ
その他にも
過去の自分より強くなっている→自信
何もすることがないなぁ→退屈
ずっとこのままでもいいと思えてきたなぁ→幸せ
壁がいつもより押してくるなぁ→しつこい、うっとおしい
行ってはいけない方向がある→嫌な予感
でもその先はどうなっている?→好奇心
よし行こう!→決意、挑戦
行き止まりだったそして狭く居心地が悪くなった→後悔
このように胎内でもたくさんの感情を生み出すことができた
産まれる直前には新しい感情が芽生えなくなっていた
この環境に慣れてしまっていたからだろう
だからすべての感情を手に入れたと思っていた
実際はちがっていた 言葉は所詮後付けだ
感情や感覚、ものや動きなどにあとからつけたものばかりだ
お腹の中の行ってはいけない方向に吸い込まれる感覚はどんな言葉で表現したらいいのだろう
伝えられない感情や感覚も多くある
それは大人になった今でも変わらない 産まれてきて自分とは違う人に出会った
世界は想像していたものより遥かに広く複雑で壮大だった
これだけでも全く新しい感情であり感覚だ
産まれてきてからも多くの感情を手に入れた
例えば
むかつく、好き嫌い、嫉妬、要求、肯定、否定、理解、感謝
他人がいて初めて感じた感情が多かった
美味しい、不味い、重い、軽い、高い、低い、早い、遅い、遠い、近い
世界が複雑だったからこそ生まれた感覚も多かった
まだまだ沸いてくる感情や感覚に驚いた
ぜんぜんすべてを手に入れていなかった
そう思った 言葉を理解していく中で驚いた
それらを表現する言葉が存在していた
言葉があるとわかったときにものに名前があると予想していた
まさか感情や感覚にまで名前があるとは考えていなかった
言葉が覚えることが途方もなく感じた 大人になった今一人でいる時に感じる感情や感覚は胎内にいた時と同じだと感じている
自分だけで完結するほとんどの感情や感覚は胎内にいる時に出来上がっていた
外の世界に出てから育った感情や感覚はそれ以外のことがほとんだ
痛さにもその度合いがあるように
喜びにもその度合いがあるように
感じたことのない大きな感情というものは今でもきっとこれからもまだまだあるのだと思う
もしかしたらまだ見つけられていない感情や感覚をこれから見つけるかもしれない 余談だが赤ちゃんのころは体が勝手に泣いていた
お腹がすいたり、寂しかったり、不安だったり、痛かったり、びっくりしたり
体が勝手に泣いていた
子供になって泣くことを我慢できるようになった
それと同時に体が勝手に泣くことが少なくなった
痛いときは小学生の時でも体が勝手に泣いていたが 幼稚園の年中のときの話だ
クラスメイトの男の子が転校することになってもうこの園には来ないということでお別れ会が開かれた
そのお別れ会の最後にその子が突然泣き出した
こけて痛いわけでもない、誰かに嫌なことをされたわけでもない
先生が「最後にみんなに一言言ってね」みたいなことを言った瞬間に泣き出した
俺はその理由がわからなかった
だからその子になんで泣いたか聞いてみた
「なんか悲しくなってきて」って言ってた
何を言っているのかよくわからなかった これも幼稚園のころの思い出だ
年末にレコード大賞を見ていた
賞をとった歌手が泣いていた
それを見てなんで泣いているのかわからなかった
親にも聞いた
「嬉しいからやで」って言ってた
何を言っているのかわからなかった 大人になり痛くても辛くても俺は泣かなくなっていた
26才のとき父が亡くなった
父は癌だった
亡くなったとき悲しくて、辛くて
それとは別に闘病生活お疲れ様と思った
看病が終わりほっとした
父と過ごした時間を思い出して懐かしいと思った
これからが不安だった
母が心配だった
でも明日から俺は日常を頑張ろうと思った
これらが同時に押し寄せてきた
ごちゃ混ぜになって何が何だか分からなくなった
感情がコントロールできなくなった
体が勝手に泣いた 久々に感じた感覚だった
今までなせ泣いているのかを理解できない人たちをたくさん見てきた
悲しいから泣いているのではない
嬉しいからないているのではない
今までのいろいろな思い出や想いそれらが大波となって一気に押し寄せ複雑な感情を抑えきれなくなったときに人は泣くのだ
少し遅い気づきなのかもしれないが大人になってから生まれた新しい感情だった
幼いころを思い出す懐かしい感覚だった さて次にどのように記憶を思い出したのかを詳しく書いていこうと思う
>>126
お待たせしました 始まりの記憶は俺が10才でお風呂に入っていたときだ
湯船のお湯に後頭部をつけた瞬間に赤ちゃんの俺が沐浴していた時のことを思い出した
この時のお湯の温度や後頭部をつけた感触が同じだったからだろうか
この記憶をもとにたくさんの記憶を思い出した
これらは前述したとおりだ
ところで
あなたは小学生の頃の記憶はあるだろうか?
またはあなたの一番古い記憶はなんだろうか? 普段そんなことは考えず生きている人がほとんでしょう
そこで小学生の頃の記憶は?と聞かれたときにぱっと出てきた記憶
それが自分でいう沐浴の記憶という感じだ
あなたはどうだろうか?
そのあと一つではなくたくさんの記憶を思い出したのではないだろうか?
それは1年生の時のことだろうか
3年生だろうかそれとも6年生だろうか
それらが混在していたかもしれない
記憶を思い出した流れとしてはこれらに似ていると思う そこでひとつのテーマを決めてみよう
修学旅行のことを思い出してみてください
どこへ行きましたか?
何を食べましたか?
誰と一緒に居ましたか?
なにをしましたか?
何を見ましたか?
何を感じましたか? するとどうだろう
さっきまで考えもしていなかった小学生の頃を思い出した
さらにずっと考えてもいなかった就学旅行を思い出した
就学旅行の時の詳細な記憶が出てきた
こんな感じではないだろうか
今思い浮かんだこと以外でも思い出せることは無いだろうか?
考えれば考えるほど時間をかけるほど思い出は増えていくでしょう
沐浴の記憶からたくさんの記憶が生まれたのはこれらに似ている ただ違うのは小学生の時の記憶は時系列が比較的そろっているが胎内記憶や赤ちゃんの時には時間という概念がなく時系列がぐちゃぐちゃだということだ
一度に全部出てきたのではない今まで何年も何十年もかけて少しずつ思い出を増やしてきた
沐浴の記憶を思い出した日から何度も何度も思い出そうと努力してきた
こうして書いていても何か新しい記憶が思い出せる気がする 少し細かく覚えている範囲で思い出した経緯を書いてみようと思う
お湯に頭がつかる感覚を知っていると思ったその日のうちにゆっくりと誰かに抱えられ下に降りていき後頭部がお湯につかった時の記憶まで思い出した
その翌日くらいにお湯をかけられ耳をふさぐのに苦戦している手の感触を思い出した
その数日以内に父が両耳をふさいで顔にお湯をかけてきて泣いたことを思い出した
その後風呂では毎日、学校でも家でも時間があればその思い出のことを思い出していた
それ以外の記憶があるとはその時はまだ思っていなかった この短い沐浴の記憶ですらはじめは時系列がぐちゃぐちゃでつながっているのかどうかもわからなかった
ゆっくり降りる感覚は後頭部をつけたときからあった
だが後頭部をお湯につけたことと関係がないので意識の外側にいってしまっていた
それとは別に誰かに抱えられている感覚もお湯をつけた時からあった
なんなら抱えられてる感覚と首とおしりを支えられている感覚は別々に存在していた
何度も後頭部を湯船につけながら考えているうちに繋がった
後頭部をつけたときのぞわぞわーってした感覚もゆっくり降りる感覚も誰かに抱えられている感覚も 何と言うか思い出したというより繋がったという感覚に近い
それらすべては知っていたことなのだ
もともと脳の中にあるがそれが何なのかわからないので考えたこともなかった感じだ
小学生の記憶はそれが小学生の時の記憶だと認識できるから記憶なのだ
わからなければ脳の中にあるが考えることもない
それが忘れるということなのかもしれない 毎日のように沐浴の記憶を思い出していた
たくさんの時系列のわからない感覚のようなふわふわとしたものが浮かんでは消えてを繰り返す
それらが記憶だということはもうわかっていた
だが何かがわからない
バラバラすぎて繋がらない
そんな中次に繋がったのがお湯を飲まされた話だ
お風呂つながりで思い出しやすかったのだろう その次に繋がったのが離乳食の話だ
お湯を飲まされたときの絶望的な空腹感が離乳食の時の空腹感と繋がった
これらは沐浴の記憶から一か月くらいで思い出した
このくらいから特に脈絡がないような記憶がいくつか出てくるようになった
だが脈絡がなさすぎてうまく繋げることがほとんどできなかった
ただ記憶の量はどんどん増えていった 記憶が増えていく中でいくつか繋がった記憶があった
その一つが言葉を覚える前の記憶だ
今まで繋がらなかったのは恐らく期間も長く情報量が多すぎたためだと思う
ひとつやふたつの記憶では繋がらなかったがたくさんのことを思い出したことによりようやく繋がった
この頃で5年生か6年生になっていた 記憶をどんな感じで思い出したのかの参考になる話をひとつ
小学6年生の頃この記憶が本当に正確なのか母に聞いてみることにした
因みに我が家はフレンドリーな家族ではない
わかる人にしかわからないかもしれないがこのような内容のことは話しづらいことだ
今でも母にも姉にも記憶の話はできていない
そんな関係性の家族だ
その時一度だけ母に尋ねたことは自分は初めて話は言葉は?
何歳から話し始めた?
ということと幼い頃俺は母のことを何て呼んでいたか?だ この時は言葉を理解して話すまでの記憶がすべて繋がっていると思っていた
実際はそうではなかった
そのことは後に書くことにする まずはその時の母の反応と俺の記憶の話だ
俺の記憶の中では俺が初めに話した言葉は「おかあさーん」だ
そしてそのあと母は「はーい」と隣の部屋から駆け寄ってきてひとりごとのように俺に話しかけていた
俺は「喉乾いた」と言った
すると母は冷蔵庫の前に行ったのでそのあとを俺はついていった
母は「お茶でいい?」と言った
俺はうなずいた
これが俺の初めてしゃべった記憶だった
これしか小学6年生のころの自分には記憶がなかった
これですべてだと思っていた
だから初めてしゃべった言葉は「おかあさん」のはずだった
幼いころ母のことを「おかあさん」と呼んでいたはずだった
初めてしゃべるようになったのはいつからか気になっていた
たぶん2,3才のころのはずだった 俺が初めて話した言葉を聞くと母は「しらん、覚えてへん」と言っていた
そんなばかな
しつこく聞いた
「ブーブーとかマンマとかちゃう?」とありきたりな言葉を並べただけだった
次に何歳から話出したのかを聞いた
「1才くらいちゃう?」「あんたはしゃべるの早かった」そんなことを言っていた
俺の記憶とずれていた
最後に「俺はママって呼んだことないよな?」って聞いた
母は「小さいときはママって呼んでたで」と言ってきた
俺の記憶と違った 絶対に記憶のはずなのに
きちんと繋がったのに
なぜ違うのかわからなかった
すべての記憶が間違っているかもしれないとも思った
だがその後も時間があれば記憶の時系列が繋がらないかを探っていった
その時々にいつの記憶かはわからないあたらしい記憶が増えることもあった 22才のとき自分にも子供ができた
嫁の妊娠がわかったときから本格的に記憶のことを考え始めた
言葉の記憶が繋がったのはこの頃かもしれない
この時たくさんの記憶が繋がった
時系列の繋がらない記憶の量も子供の時よりだいぶ増えていた
それらを子育てしながら答え合わせしようと思っていた
子育てしてもらった記憶をたよりに俺も子育てを頑張ろうと思った 赤ちゃんの頃の記憶がない人が多いのは知っていた
自分もかつてはそうだった
だが育児書には赤ちゃんのことがたくさん書いてあった
自分の知っていることも書いてあった
だが間違っていることも書いてあった
自分は覚えていないことも書いてあった
赤ちゃんの記憶がある人がいてそういう人が本を書いているのだと思った
たまに偽物がいてるから間違ったことをかいているのだと思った
それを嫁に否定された
大人になった今でもインターネットの中でも自分より記憶のある人に出会ったことはない たくさんの記憶のほとんどが時系列がずっとわからなかった
こっちの方が古い気がする程度には予想がつくものもあった
歩いている記憶は新しい
座っていたり寝転がっていたりただご飯を食べている記憶は歩く前なのか後なのか
しゃべるのと歩くのはどっちが先なのだろうか
いつから歩いたりしゃべったりするのだろうか
そういったことを踏まえて時系列を揃えていった
別に書き記していたわけではなくただ頭の中で揃えていただけだった
それが良くなかった
その時は正確にわかっていたこともいまはいつの記憶か少し曖昧になってしまった 子育てしていく中で自分の記憶と重なることがいくつもあった
さすが我が子だと思った
時系列を合わせられる記憶はすべてではない
なにかきっかけがないと合わせられない
今もそういうのがいくつかあるのはわかるがどうしようもない
前述した沐浴の記憶は時系列を揃えやすかった
これは生まれて1週間から1か月以内だと考えられた
始まりの記憶がまさかこんなに古い記憶だということに驚いた
1才くらいの記憶だとずっと思っていた 父に高い高いをしてもらっている記憶があった
普段の父は高い高いを3回ほどして下ろしていた
おかわりしても大概はしてもらえなかった
その日は連続で10回は高い高いをしてきた
しかも空中に放り投げては受け取りまた放り投げられた
俺は楽しくて全力で笑った
空中で笑って息を吐き
受け止められるときに息を止めた
また空中で息を吐いて爆笑した
受け止められるときに息を止めた
何度目かで吐く息がなくなった
顔だけで爆笑していた
父は放り投げてきた
笑って息が吸えなくて笑いながら死ぬと思った
いつもならおかわりをしにいくところだが泣いて母のところに逃げた
父は不思議がっていた
喜んでくれると思ってたくさん遊んでくれたんだろう 我が子でこれと同じことがしたかった
いつの頃の記憶なのかヒントが欲しかった
まず生まれてすぐの時には首のすわりが甘く高い高いで放り投げるのは危険だった
首がすわるのは1か月くらいだった
放り投げれるのはもう少し後だったかもしれない
この辺り記憶が曖昧なのだが2才過ぎたあたりから重くなってしまい10回も連続で放り投げるのは至難の業だった
母のところには歩いて逃げた
歩けるのは1才過ぎてからだろう
だからこの記憶は1,2歳そのあたりのどこかだろう
みたいな感じで時系列を揃えていた 俺には息子と娘がいるのだが
息子は高い高いをすると爆笑をしていた
連続で放り投げると俺と同じく4回目くらいから顔だけで爆笑していた
それでも続けた
最後は泣いて嫁のところに逃げていった
記憶とおなじだった
娘は高い高いをすると怖いのか泣いて嫌がった
だから放り投げることはできなかった
赤ちゃんにも個性があるのだと思った たくさんの記憶の時系列が揃った
いくつかは記憶の通りだった
子育てをしながら思い出した記憶もたくさんある
赤ちゃんは嘘つかないとか赤ちゃんはまだ何もわかってないとか勝手なことを言う人がいる
お腹の中からずっと一緒だ
同じ人間だと思っている
話せないだけだ
伝えられないだけだ
なんなら犬でも猫でも魚でも鳥でも同じだ
大嫌いだが虫だってそうだ
同じ心で生きている
感じ方や考え方、考えられる時間や力が違うのだろうと思っている
それが生き物の個性になるのだ そうして子育てしながらたくさんの記憶が繋がった
時系列も揃った
しかしまだまだなんの記憶かわからない記憶がいくつもあった
それはどうしようもないと思っていた
記憶があるということをいろんな人に話した
するとよく胎内記憶はないのかと聞かれた
一番古い記憶は沐浴の記憶だと思っていた
だから胎内記憶はないと答えていた 25才くらいのときだろうか
またひとつ繋がった
沐浴の後にお湯を飲まされているときの記憶だ
これは前から繋がっていたが新しいことに気づいた
お湯を飲まされて腹がいっぱいになりすぎて母乳がしばらく飲めず絶望の空腹の時間を過ごした記憶だ
この記憶の中にヒントがあった
絶望の空腹の中で魂で泣いた
久々に魂で泣いた
久々?
前はいつ?
そういえば魂で泣いている記憶がいくつかある
そんな感じから始まった 魂で泣いている記憶をいくつか集めてみた
そしたらいろいろ繋がった
産まれてすぐの絶望の空腹感
それが何度も何度も繰り返されていたこと
少し慣れてきたころに母が母乳をすぐにくれなくて絶望の空腹感で魂て泣いたこと
これらを思い出した
というか繋がった
驚いた
沐浴よりも古い記憶だった 今まで時系列が揃えられなかった記憶はもしかしたら沐浴よりも古い記憶の可能性があると気づいた
そこから沐浴よりも古い生まれた直後の記憶がどんどん繋がっていった
その中に初めての絶望の空腹感の少し前
この新しい世界でどうやって生き延びようかを考えていたことを思い出した
それが絶望の空腹感で遮断されたことを思い出した
新しい世界ってなんだ?
産まれた直後は前の世界のことを覚えていたことを思い出した
前の世界ってなんだ?
お腹の中のことか? ここへ来てもまだ繋がってない記憶はたくさんあった
だからお腹の中ということもあり得ると思って記憶をつなげるようにした
絶望の空腹感の中せっかく新しい世界に来たのに何もできず終わってしまうと思った
前の世界でも終わってしまうという絶望があったことを思い出した
産まれる直前の圧迫感
苦しく辛く不安で恐怖を感じた
その圧迫感の恐怖からその少し前の壁が迫ってくる感覚を思い出した
壁の恐怖を成長した自分の力で克服したことも思い出した
成長した自分が考えていたことも
その前に思っていたことも
たくさんたくさん繋がった
今では動けるようになったころから記憶が繋がっている
今日まで書いていて思ったのは考えられるようになったころからかもしれない 動けるようになる前も少しだけだけど考えることができていたわけだから
動けるかもしれないと考えていたのだから
一番古い記憶は考えることができるようになったころだ
しかしそれはいったいいつなのだろうか
妊娠何か月なんだろう とまあこんな感じで記憶は沐浴の記憶を起点に前にも後ろにも広がっていったということでした
胎内記憶に気づくのにはかなりの時間がかかりました
今でも時系列のわからない記憶らしきものはあるので今後も増えていく可能性はあります
誰もが通ったはずなので知っているはずです
しかし繋がっていない
俺の場合は沐浴の記憶というかなり古い記憶に偶然アクセスできたのがもとでここまで思い出せましたが誰にでも思い出す可能性はあるのだと思います
修学旅行の記憶を事細かく思い出すように一番古い記憶を起点に広げることができるかもしれません うまくまとめられなかった気がしますが以上です
それとさっき気づいたけど
後で書くと言っていた俺の記憶と母の言っていることが合わなかった話のこと書くの忘れてた
興味がある人がいたらまた詳しく書きます
そんなに面白くはないかも
ではー >>174
乙です。どうもありがとう。記憶違いの件についても良ければ書いて
読んでて最初に発する言葉が「おかあさん」はさすがにないだろって思ったんだよね 少しですが書き忘れてたとこ書いていきます
小学6年生の自分の記憶と母の記憶は違っていた
この理由はここまで読んでくれた人にはすぐにわかるとは思うがこうだ
この時点ではまだ記憶は少ししか思い出せていなかった
その後大人になり子育てをする中でたくさんの記憶が蘇ってきた
だから今は記憶が違っていた理由はわかる 本編で前述したように最終的に言葉の記憶はそれだけではなかった
6年生の時に初めてしゃべったと思っていた記憶は今の記憶の中では初めて赤ちゃん言葉を卒業した日の記憶だった
母の記憶も自分の記憶も恐らく間違いはないと思われる
今では言葉を覚える前の記憶も、物の名前や自分の名前を覚えた記憶も、発音を覚えた記憶も、発音を練習した記憶も、言葉に果てしなさを感じた記憶もたくさんある
そして初めて赤ちゃん言葉を卒業しようと思ったその日の記憶もだ 赤ちゃん言葉を卒業しようとした日俺は初めて「お母さん」と呼んだ
それが小学6年生の時初めてしゃべったと感じた理由だ
それまでは父や母が「お父さん」「お母さん」と教えてくれているときだけまねして言っていた
母が「お母さん」に対して全くリアクションがなかったのはきっとすでに何度も言っていると思っていたのだろう
「喉乾いた」は結構頑張ったと思ったがこれも文章が短すぎたのかリアクションをとるほどではなかったのだろう
幼い俺にとってはがんばったんだが 赤ちゃん言葉を卒業した日以前までも簡単な単語は言っていたし大人たちの練習のような意味のわからない単語をまねしたりしていた
でもところどころ発音が完ぺきではない感じの赤ちゃん言葉だった
長い文章のような言葉を話すことはなかったし相手の言葉を理解しているような態度は見せないようにしていた
でも母はある程度話してるし理解していると思っていたのだろうと今は想像できる
こうした理由で6年生のときの俺は幼い時の記憶をうまく聞き出せなかったということだ この話はただ書こうと思っていたが書き忘れて進んでしまっただけで大した話ではない
ただ記憶は徐々に思い出されていったということを言いたかった
その具体例として6年生の時の記憶はまだこの程度だったと言いたかっただけだ
ふわふわとしたいつの記憶なのかわからない記憶の時系列を揃えられたのは子供が生まれた後の方が多いくらいだ ほとんどの人は記憶は失っていくと思っているだろう
だから3才の頃に胎内記憶を聞けとどの本にも書いてある
だが実際は蘇ってくる記憶もあるということだ
学者も医者もその辺の大人もこの辺りの理屈が通じない
だから信じてもらえない
この話を読んでくれた人はどうだろうか?
信じてもらえただろうか?
まったく役に立たない話だったかもしれないが読んでくれてありがとう! >>182
ありがとうございます
>>130->>134
意識・感覚・感情の獲得の過程、すごく勉強になりました 胎内記憶って仏教カルトが布教してるヤツやんけ
霊感商法と変わらんからきいつけや いちいち読んで感想書いてる人 程々にね
本人が勘違いするし
できれば放置で >>187
なにかあったの?騙されたの?
これはただの俺の思い出話やから宗教とか霊感商法はぜんぜん関係ないで
むしろ文章中で否定してるくらいやで
そんなにビビらなくても怖がらなくてもええんやでw >>188
あんた誰?
勘違いな人おるから言うとくけど俺は読んでくれたら嬉しいしコメントくれたら嬉しいで
もしかして知られたらまずいことでも書いてしまったんかな俺?
でもこの人は読んでないからわからんか 書いてくれてありがとうございます。
随時「忘れたくない」と願った結果、記憶する力をつけられたのですね。
自我が目覚めるのが特別早かったのか、それとも皆そうなのに、すべて忘れてしまっているのか、気になります。
質問ですが、音の記憶はありますか?
記載がなかったようですので。。
もし聞こえないのであれば、胎教とか呼びかけとか、意味なくなりますよね笑 どーも
質問ありがとうございます
音の記憶について書こうと思うのですが
せっかくなので五感についての記憶も少しですが書いていこうと思います
あと色々な記憶と大人になった自分の知識も踏まえて仮説や推論なども話してみようと思います まず胎内記憶に印象的な音の記憶がない
印象的な目の記憶も味覚も嗅覚も触覚の記憶もない
なぜ無いのかはわからない
特に意識してなかったのか
記憶を思い出せていないのか
あまり感じていなかったのか
だが生まれてすぐの記憶の中にそれっぽいヒントがあるように思うので書いてみる 産まれてすぐの時にこの世界が一体何なのか
どうしてここに居るのか考えてた
その時はまだ胎内にいた時のことを覚えていた
だからこの世界と前の世界は同じだということにした
自分は前の世界でかなり強くなっていると思っていた
だが生まれてすぐの自分は何一つわからず、何一つできなかった
その時思ったことの一つ
それでもこの世界で生きていけるように自分の体はできていると自覚した 産まれてすぐの記憶では音がどの方向からどのくらいの距離から聞こえてきているのかがわかった
耳はこのためにあるのだと思った
むしろ今まではこの耳の力を使えてなかった
もしかしたらこの体はこの世界のためにもともと用意されてたもので強くなってこの世界に来ることは決まっていたのかもしれないと思った
うっすら残っている胎内記憶であろう耳の記憶を話してみようと思う
胎内では音がこもっていた
すべての音が混ざって聞こえていた
だから方向や距離などはわからず雑音のように聞こえていただけだった
だから特別に音を意識することはなかったのだろう
胎内での音は空気の世界で聞くどの音とも違っていた
この世界に来た時に同じ世界だと認識できなかった理由の一つだ
水の中で聞く音とも違う
よく聞く胎内の音のようなものとも違う
一番近いのは耳の穴に指を入れて周りの音を聞こえないようにしっかりふさいだ状態の音と似ている
誰かが話そうが大きな音が鳴ろうが雑音の範囲から出ない
これが一番近い感じがする 間違っているかもしれないが大人の自分の知識から推察してみる
胎内にいる時は耳の中まで羊水が入り込んでいるのではないだろうか
一方プールなどの中に入ったとしても耳にはいくらか空気が残っているのではないだろうか
こんな理由で音が違って聞こえていたのではないかと思っている
他にも羊水やお腹の皮膚を通して音が聞こえてくるのも聞こえにかった原因ではないだろうか 胎教とか呼びかけについて
まずこちらの世界で聞く音と胎内で聞こえる音のメカニズムも違うだろうし聞こえ方が違うので普通にしても意味がないと思われる
ではどうすればいいのだろうか
その答えはわからないがこの内容から賢い人は何かを見いだせるのではないか
結論を言えば今の世の中で言われている胎教や呼びかけは意味がない
仮にどうにかして胎内の子供に外の世界と同じように音を聞かせることができたとして
それは子供の成長にいい影響しか与えないのだろうか?
自然のままに育つ方がいい場合もあるので答えはわからない もう少し成長した後の記憶の中の話
大人たちが話す言葉を聞いても生まれてすぐの時は声だと認識していた
犬や猫の声を聴いて言葉だと思うだろうか?
それと同じに聞こえた
言葉だと理解できるようになって初めて言葉に聞こえた
この記憶からもわかるように胎内の子供に言葉を聞かせても言葉だと理解できないと思う
外の世界があるともわからず、ましてや人がいるということもわからない中で言葉を聞かせても声どころか音だと思うと予想する
ちょっと冷たい感じになってしまったが、これが俺の音の記憶と仮説、推論だ 次に目について話そうと思う
古い胎内の記憶では世界がどこまで続いているのかわからなかった
どこまでも続いている可能性も考えていた
動けるようになってからわかったのは世界は狭かった世界は壁に囲まれていた
このことからも世界を目で認識していないことがわかる
その後の胎内記憶でも目に関する特別な記憶はない 産まれてすぐの目の記憶も多くはない
これもうっすらな記憶だが目から入ってくる景色はジェットコースターのようだった
ぐるぐると回されて視点が定まらないと表現しておく
大人になった自分の知識と幼い記憶を組み合わせて考察してみる
生まれたての赤ちゃんを見たことのある人にはわかるだろうが赤ちゃんは目の焦点が定まっていない
だから動かすと景色がぶれるのだ
産まれて少ししてからだと思われる記憶の話
時折見える自分の手足と大人たちの手が似ていると思った
自分は小さいだけで同じだと思った
だから大人たちと自分は同じ姿なのかもしれないと思った
このことからも目は生まれてすぐに見えている
だが視点が合いにくいのだ 胎内でも目は見えているのだと思う
だが瞼を閉じるだけで目の前は暗くなるのだ
羊水の色はわからないが透明でないのだとしたらその分暗くなるだろう
さらに母親のお腹の皮膚や服を着ていることを考えるとほとんど真っ暗で間違いない
仮に光を胎内に照らせばたぶん光を認識できるだろう
ただこれも音と同じでそれはいい影響だけなのだろうか?
光を胎内で意識させることにどんな意味があるのだろうか?
否定はしない
だがわからない
これが俺の目に関する記憶と意見だ 味覚と嗅覚について
胎内記憶で味覚と嗅覚についての記憶は全くない
たぶん考えたこともない
だが口があることは認識していたように思う
鼻は生まれてからあることに気づいたことを覚えている
だから口は胎内から認識していたのだろうと推測している 産まれてすぐにこの世界に自分が順応できると思ったときの話
耳で音を聞いていることが分かった
目でこの世界を見ることができることが分かった
口と鼻はどちらも同じだと思った
どちらも呼吸をしていた
その直後猛烈な空腹感に襲われて絶望的な終わりを感じた
口に何かを突っ込まれて
体が勝手にそれを吸い始めた
必死に飲んだ
そしたら絶望も空腹もなくなった
この時口はこのためにあるのだと思った
同時に鼻で呼吸をしていたのでそのためにあるのだと思った
この記憶の中では味覚や嗅覚をまだ考えていない もう少し時間が経ち成長して空腹になるまでに少し時間ができるようになってからの話
少し感がることができるようになって自分の体について考えたことがある
その中の記憶の一つが大人たちと自分の時折見える手足を見ておなじ姿をしてると思ったことだ
口や鼻があることはわかっていた
目や耳は役割が明確だったが口と鼻は少し似ていた
どちらも呼吸ができる
この体はうまくできていてそれぞれに何か特別な意味があるように思えた
その中で鼻はにおいを感じていた
だが口は感じなかった
似ているがそういう違いがあるように思っていた
その後言葉を覚えた頃の話
目で物を見る
耳で音を聞く
口でご飯を食べる、話す
鼻でにおいを嗅ぐ
と教えてもらった
この時は2才くらいだろうか
もう言われなくても当然理解していた
ただ、何となくわかっていたことが明確になった
他人と自分が同じなのだと思った どんなにおいを嗅いでいたのか
どんな味を味わったのか
産まれてすぐの記憶にはこれらの特別なものはない
特ににおいに関してのエピソードはない
におってはいたのだろうがこれと言ってない
ひとつだけ
耳はどこから聞こえるかわかる
目はそれ自体が見える
だが鼻では距離や方角がわからなかった
だからあまり頼らなかった 味については離乳食と粉ミルクの記憶が少しある
離乳食はいろいろな味があったがだいたい不味かった
その味に慣れていく感じだ
味の感覚としては大人になって初めてアボガドを食べた感じだ
初めてナマコを食べた感じだ
飲み物に関しては白湯もお茶も初めは不味かった
初めてビールやコーヒーを飲んだ時と似ていると言えば伝わるだろうか
いずれもなれてしまえば何てことない
慣れるまでが少し大変なだけだ
粉ミルクも物によっては味が違うものがあった
慣れないものはやはり不味く感じるものだった
美味しいと思うものはだいたいは甘いものだ 大人になった自分の視点から言えることはにおいも味もいくつかの種類を知って初めて存在に気づいたのだと思う
かなり幼い段階で理解していたと思うがいつ気づいたのか細かいことはわからない
次に触覚について
始めに言っておくが味覚や嗅覚もそうだが触覚についても大した話はない
胎内にいる頃の記憶で触覚と言えば動けるようになる少し前から何かに体が当たる感覚はあった
だからこの世界はどこまでも続いている可能性も考えていたが案外と狭いかもしれないと考えていた
このことからもかなり早い段階で触覚はあるということだ
しかしながら痛いやかゆい、熱い、冷たいなどの感覚を持ったことは胎内記憶ではない
産まれてすぐの記憶の中でこの世界に順応できていると思った
この順応の中では耳や目、呼吸をしているといったことも感じたが
気温も感じた 空気の世界に来た時に感じたことのひとつが触覚である
胎内で感じたことのない肌の感覚だった
寒かったというより胎内より温度が低かったという感じだ
この時少し思ったことがある
もしこの温度がもっと寒かったり暑かったりしたらどうなるのだろう?
この体はどこまで順応できるようになっているのだろう?
今のところ問題ないがこの先ずっと変わらないのだろうか?
このようなことを考えたことを覚えている
たぶん温度の変化を初めて体感したからだろう
気温や物の温度などの不安定さを感じて不安になったのだろうと思う
このことからも胎内では温度について考えたことがないと思われる これは生まれてすぐからもう少し時間がたったころの記憶だ
温度についての不安はいつも考えているわけではないがずっと頭のどこかにあり解決はしていなかった
夏や冬を経験する中でその不安にはたびたび襲われた
だがそれらの季節も乗り越えることでやはりこの体はこの世界に順応できるようになっていると感心した
ひとつ覚えていることなのだが
赤ちゃんの頃寝ていると母が布団を掛けてきた
いろんな理由でその布団を蹴飛ばしていた
そのうちの一つが運動だ
手足を動かすことでさらに手足の感覚が繋がってよく動かせるようになることがわかっていた
だから布団を蹴飛ばしてさらに手足を動かしていた
手足を動かす練習をしていたら布団を蹴飛ばさざるを得なかったとも言える
もう一つ理由があった
暑かったのだ 赤ちゃんの頃は手足が短いためか手足が冷えてもすぐに温まる
すこしばたばた動かせばすぐに温まる
全身を気張るように力を入れるだけですぐに温まった
特に胴体は冷えることは冬でもなかった
だが母はすぐに布団を掛けてくる
暑かった
だから蹴飛ばしていた
もう一つ理由がある
この体は動かしたり考えたりすることでどんどん強く成長することがわかっていた
寒さや暑さに耐えることで強くなれると考えていた
強くなりたかった
布団や服を着ることで弱くなるような気がしていた
だから布団は蹴り飛ばして、服は脱ぐようにしていた
服は脱げなかったりするからあきらめて布団は蹴飛ばした
夏は逆に受け入れたりした
強くなるために これは3才くらいの記憶だろうか
母が布団を掛けるときあいかわらずいつも布団を蹴飛ばしていた
「暑い」と説明しても母は「お腹だけは冷やしたらあかん」と言って上半身に毛布をいつもかけてきた
だが俺の感覚では上半身は冬でも夏でも安定して温度を保てていた
夏の暑いときは手足を動かさずじっとしてると温度を低く保てることがわかっていた
そんな中布団を掛けられると体温をうまく下げたりできなかった
上半身に布団を掛けられると手足を動かさなくても体温が上昇してしまうので嫌だった
冬の寒いときはなるべく寒さに耐えるようにしていた
だが布団を掛けてきた
寒くなると手足を動かせばすぐに暖かくなるのだが皆で寝てる時に動くと嫌がられるのはわかっていた
布団に足を突っ込めばすぐに体温をコントロールできた
上半身に布団を掛けるとやはり上手く体温をコントロールできなかった
布団があると足を温めようと思うと全身が暑くなるし嫌だった 何が言いたいかというと
赤ちゃんの頃は体温の調整は自分で簡単にできたということ
体が大きくなるにつれて体温のコントロールがうまくできなくなっていったことを覚えている
大人は自分の体基準なので布団を掛けてくるが赤ちゃんとは調整の感覚がかなり違っていたように思う
この記憶から思うに赤ちゃんは手足が短いので上半身の体温と手足の体温を同じにすることが容易であると思われる
ここまで書いてちょっとだけ記憶が曖昧なので書いておく
もしかしたら赤ちゃんの時は上半身を温めれば手足は温まるので手足を温める必要はないと考えていたかもしれない
手足を動かしたいから上半身だけに布団を掛けてほしいと考えていたのかもしれない
とにかく言いたいことは大人になった今と子供の時と赤ちゃんの時では体温調節の感覚が結構違っていたということが言いたい
細かい記憶がまざって少し時系列が曖昧で言い訳みたいになってしまった そんなこんなで五感に関してはちょっと曖昧な部分も多くわかりにくかったかもしれないが以上だ
最後に胎内記憶と大人になった自分の知識を踏まえてひとつ仮説がある
それを語ってみたいと思う
胎内記憶の最後の方では自分はかなり強くなっていてお腹の壁を押し返すことができていた
お腹の壁の力助けは大きいが自分の意志で生まれることを選択して産道を進んだことも書いた
次に生まれてきてからは体は勝手に動き自分の意志では動かせなかった
母乳も自分の意志で飲んだのではなく体が勝手に飲んだということは書いた
この二つの事象はほんの少ししか時間が変わらないはずだ
だが全く違っている
体の使い方については前後が逆でなければいけないくらいだ ここで仮説だ
産まれてくると呼吸を始める
胎内で呼吸ははしていない
その呼吸をすると二酸化炭素と酸素が体内で循環を始める
そのために生まれて心臓の弁が血液が逆流しないように変化するらしい
体が勝手に動くのはそういった体の構造を変化させるために一時的に神経の作用が胎内の時と変化するのではと考えている
お腹の中では比較的体を動かせていたが生まれてきてからはそういった体の変化から意識的に動かす神経がマヒしている状態になるのではないか
と、まあそんな特に意味のない仮説を立ててみたところで今回は終わりにしようと思います
たくさんの記憶があるのだが徐々に細かい話になりわかりにくく伝わりにくいことも多かったと思います
時系列や詳細が曖昧な記憶も多くそれらをうまく伝えるのは非常に難しくなっていくのでしょう
興味があることがあればこれからも答えられる範囲で答えようと思います
読んでいただきありがとうございました 後天的?に思い出した記憶なんですね。
それはそれで興味深いです。
今子供が離乳食なのですが、まずいなーと思っているのかなw
>>1さんは発達自体は他の子と比べてどうだったのですか?
言葉を話す前からお姉さんとも話せたんですもんね。 >>216
後天的に思い出しました
離乳食は味をつける家庭とつけない家庭があるみたいですね
我が家は味を付けない家庭だったのだろうと思います
因みに嫁が子供にあげてた離乳食はほぼ味なしでした
ちょっとだけ塩ふってる時もありました
よく食べるものもあれば吐き出そうとしてるものもありました
美味しそうには見えなかったです
一度ファミレスで離乳食を頼んだことがあって、一口味見してみたら結構味がしっかりしていて大人でも美味しかったです
子供の食いつきもやっぱり良かったので味があると美味しいのだと思います
でも素材の味で食べさせることも大事みたいなのですね
なので味を付けてなければだいたいは不味いと思ってると思います 俺の発育に関してはごくごく普通に育ちました
後天的に思い出したのでわかるのですが
普通の子と同じように忘れながら育ったので俺も普通です
>言葉を話す前からお姉さんとも話せたんですもんね。
これは違いますね
初めて母親を「お母さん」と呼んだ日、赤ちゃん言葉をやめて普通に話そうと決めました
結果は俺が話せるようになったことに母気づかなかった
という話を書いたと思うのですが
ここに付け加えると
この日かその翌日くらいに姉に実は結構前から話せるようになってたことと、今日から話すことにしたことを伝えました
姉は知ってたかわかってたみたいなことを言ってました
すんなりと受け入れられたのでその日から姉とは普通に話すようになりました
完璧に発音できると思っていたがいくらかの発音ができなかったことを覚えています
でもほぼ普通に話せました
その姉との会話を母が聞いて「あんた急にしゃべるようになったな」と言われたのが「お母さん」と言った日の数日後という話です
それまでは姉とも赤ちゃん言葉で話してました
赤ちゃん言葉というのはちょっと舌足らずな感じで話すだけでなく
相手から言われたことを聞くだけでこちらから話かけない感じとも言えます
あと赤ちゃんの声と子供の声ってちょっと違ってて声も変えてました
話始めた頃はどちらの声も出せました
声変わりみたいな感じです
話すと決めた日からは子供の声で話すようにしました
姉の前でも母の前でも本当はもうしゃべれるのにと思いながらしばらくは赤ちゃんを演じていた期間がありました
嘘をついてる感じでちょっとしんどかったです
でも急に話すのも恥ずかしくていつから話そうか葛藤してました
ということで言葉を覚える前から姉と話していたということはありません 言葉を話せない赤ちゃん同士でもある程度意思疎通はできました
外国人でも困っているとか喜んでいるわかるような感じです
赤ちゃん同士の方が似てるところが多いので大人と比べるとわかることも多いと思います
見た目で自分より上なのか下なのかだいたい判断できました
おもちゃの使い方や言葉の理解度などを見てどのくらい成長しているのか
自分よりいろいろわかってるのか、できるのかなど比べていました
同じくらいの赤ちゃんには負けないようにしようと思ってました
これもその子によるのだろうが結構ぼーっとしてる感じの赤ちゃんも当時見かけた記憶があります
逆にしっかりしてる赤ちゃんもいてました
この目線は大人になっても変わらないのかもしれません 我が子は年子なのですが
我が子が0才(女)と1才(男)のときの話
0才を笑かそうとしてもあんまり笑ってくれなくて
いないいないばぁとかしてもにこっとするくらいでした
そのころ年子の二人で遊ばしてると突然二人で大爆笑することが何度もありました
俺は爆笑なんてさせれたことはないのにです
やはり赤ちゃん同士にしかわからない世界は存在すると思いました
大人になった今でも赤ちゃんの記憶がいくらかある俺はたまに赤ちゃんの考えていることがわかるときがあります
大人には自分の考えがわからないと考えている赤ちゃんが多いのでたまに気づいてあげると驚いた顔をします
赤ちゃんも大人と同じ感情を持っていて恥ずかしいと思ってごまかしたり、嘘をついたりします
その他にも赤ちゃんの思うことは大人と実はそんなに変わりません
でも大人たちのほとんどは赤ちゃんだからまだ何もわかってないと決めつける人がほとんどでしょう
だから赤ちゃんは大人たちには自分たちの行動の意味が分からないと考えています
どちらがいいのかはわかりませんが赤ちゃんを同じ人だと思って接してみるのも面白いですよ
と、また話が長くなってしまったのでここらで終わります
では >まず胎内記憶に印象的な音の記憶がない
子宮内の音やそれをアレンジした環境音がアプリやユーチューブに色々あって
むずかっている新生児に聞かせるとリラックスして眠りに落ちるらしいけど
それはどうなの?
胎内には母親の鼓動や血流や消化管の動きの音が満ちていて静寂じゃないらしいけど 文章がめっちゃ上手いね
いや、だから嘘書いてるとか言ってるんじゃないよ
そんな事がある人が居ても不思議じゃないと思う
最初の方はなんかカワイイって思った
関西の人みたいだから、文章だと標準語だから。もちろん、標準語なんてもんは何処にも無いんだが
実は一人一言語というと大袈裟だし違うが、そんなもんだと思ってる あと、古い記憶に関しては、自分の場合、殆んど幼い頃の夢や妄想が事実であったかの様に定着していて、後で聞いたり調べたりしたら、全くの事実無根だったてのが殆んど
最近、父とお盆前から掃除やら草刈りで、今は無人の父の実家に何度も行ってて、幼児期の記憶について少し考えてたら偶然このスレ発見した >>221
俺なりに答えます
俺の胎内記憶には音の記憶がほぼないので正確に答えることはできないとまず言っておきます
子宮内の音聞いてみました
聞いてみてもやはりぴんと来なかったというのが第一印象でした
何がどう違うのかわからないがこれではない感はありました
やはりマイクで拾った音と実際に感じてる音は違うのだろうと思います
雑音の感じとか音が混ざってる感じは近いのかもしれません
でももう少し無音に近いイメージです
ちょっと自信がありません
>むずかっている新生児に聞かせるとリラックスして眠りに落ちるらしいけど
それはどうなの?
新生児の頃に泣く理由の一つに静かすぎると不安になり泣いていました
誰もそばにいないのではないかと不安になりました
誰かが助けてくれないと生きていけないと自覚していたので
あとは退屈だと泣きそうなときでも何か学ぶ要素のあるときは泣くのを我慢して考えるようにしてました
初めて聞く音や何かわからない音でもひとまず泣き止んで聞いてみるなんてこともあると思います
泣いてしまうと考えられなくなるので
誰かがそばにいてくれると安心して眠れました
子宮内の音限定で眠りに落ちるとしたらなんでかはわかりません
基本的に新生児は良く寝るのでお腹いっぱいで特にやることがなければ寝ると思います
もし誰もそばにいない状態で子宮内の音だけでよく眠るとしたら何か意味があるのかもしれませんね
試したこともないので曖昧な答えしかできません
>胎内には母親の鼓動や血流や消化管の動きの音が満ちていて静寂じゃないらしいけど
実際は音があったのかもしれませんが意識をしていなかった可能性が高いです
普段生活している中でも冷蔵庫の音とかエアコンの音とかなってると思うのですがそれだけだとほぼ無音として生活してると思うのです
それに近いイメージですね >>222
文章ほめてくれてありがとうございます
記憶なのか妄想なのか嘘なのかこれを証明する手段がありません
俺は記憶として認識していますが仮に妄想や嘘だとしたらそれはそれで大した才能だとちょっと自分をほめてあげたいくらいです
自分で書いてても思うのですが辻褄が結構あってると思うのです
これだけの長文の脈略を合わせるのも大変だと思います
実際は記憶なのでただ何も考えず書いてるだけなのです
産まれも育ちも関西です
ま、大阪ですね >>223
確かに記憶は時に曖昧で不正確だと思います
俺の記憶ももしタイムマシンがあったらいくらか記憶違いがある可能性は否めません
ただ事実無根ってことはないと思います
恐らく0才〜1才くらいの記憶ですが
我が家に丸いパイプ椅子があったのですがよくその中を家とか秘密基地みたいな感覚で遊んでました
その椅子の中から上を見ると穴が4つ空いていてその穴の中のスポンジをほじくって遊んでいました
その後月日が経って(何歳かはわからないけど2才くらいとしておこう)体が大きくなり椅子で遊んでいたことも忘れていたころにふと椅子で昔遊んでいたことを思い出しました
パイプ椅子の中には体が大きくなったために入れなくなってしまっていました
良く指を入れてほじくっていた穴も上を見てみることはできず椅子の下に寝るか椅子を倒さないと見えませんでした
もはや家なんてイメージは到底できなかったです
大人になって実家に帰るとまだその椅子はありました
息子がまだ0才の頃同じようによくパイプ椅子の下に入って過ごしていました
きっと同じように自分の秘密基地みたいな感覚だったのだろうと思いました
その時にこの椅子の裏の穴のことを思い出しました
それでひっくり返すと記憶のとおり4つの穴と俺がほじくったスポンジがあって
記憶の世界と現実が同じだと思いました
息子が生まれた時両親が俺が赤ちゃんのときに遊んでいた木製の車や飛行機のおもちゃを持ってきてくれました
俺はすぐにそれが何かがわかりました
落書きした後やついていたけど引きちぎれた紐のことも
ほんとはプロペラがついていて俺はそれを回して遊んでいて
でも今はプロペラはなくなってついていないことも全部覚えていました
こういった些細な証拠は俺自身ではいくつも確認ができたがどれも俺にしかわからないことばかりでした
記憶ですが妄想として楽しんでもらってもいいのかもしれませんね >これだけの長文の脈略を合わせるのも大変だと思います
どんどんボロが出てきているのに気づかないのは幸せなんだろうな >>227
もし君がこれまで書いた文章を読んでいて何でもかんでもすべて否定しようとしている人でないのなら
否定しかできない人でないのならぜひ聞いてみたい
ボロだと思うことは何ですか? >>229
痛みの記憶を話していきます
胎内記憶では全く痛みの記憶がありません
産まれてくるときはとても居心地が悪くて苦しくて不安で辛くてそれでもすべて受け入れる覚悟をしていて
という感じで感覚はあるのですが痛かったという記憶はありません
産まれてすぐにへその緒を切られたはずですが切られた記憶も痛みの記憶もありません
初めて痛いと感じた瞬間はあったはずなのですが残念ながら思い出せません
今ある記憶の中で一番古い痛みの話をします
まだ手を開いたり握ったりがあまりうまくできなかった頃
でも手足の付け根のあたりはある程度意識的に動かせた頃
おもちゃを握ると勝手に体がそれを握ってました
振ると音が鳴るおもちゃとそうでないものがありましたがとにかく振っていました
始めのうちは新しいおもちゃは興味があり楽しむのですがすぐに飽きていました
だから別にいつも楽しくて振ってるわけではありません
なぜ振るかという理由は手足を動かしたり腕を曲げたり手を握ったり開いたりを意識的にできるように運動していました
振っているとおもちゃが顔に当たるときがあり痛い思いを何度もしました
振れるけどまだうまく振れないのでよく顔におもちゃが当たっていました
痛かったです
他にも腕を振っていると握っていたおもちゃを手が勝手に離して顔におもちゃが当たっていたいと思い泣いたことも覚えています
これはおそらく生まれて2〜5か月頃だと思うのですが(子育てしてた頃はもう少し正確にいつの頃の記憶かわかっていたが赤ちゃんの成長具合を忘れてしまったのでだいたいです)
初めて痛みを感じた日ではないのはわかります
なぜ生まれてくるときに痛みの記憶がないのか
痛みを感じていなかったのか
それとも忘れてしまっているのか
へその緒の切られたとき絶対痛いと思うけど痛くないのか意識を失っていたのか覚えていないだけなのか
きっともっと古い記憶の中に痛みの記憶はあると思うのですが覚えていないというのが答えです
こんな感じでまだ抜け落ちている記憶がいくつもあるのです
何かきっかけがあれば記憶が繋がる可能性はあるのですが
今回も何か繋がらないか頑張ってみたけどダメでした
ご期待に応えられずごめんなさい >>230
へその緒には神経が通っていないから、切っても痛くないらしいよ >>231
そうなんですね
切られた記憶も痛みの記憶もないのもそれでなのかもしれません 逆に、小さい頃はできてたのに今ない能力はありますか?
オカルトですが、亡くなっている存在と遊んでた記憶がある子がたまにいますよね。
赤ちゃんにしか見えないものがあるとか、動物の言葉がわかったとか、どうですか?
あと、母乳の味は覚えていますか? >>233
>小さい頃はできてたのに今ない能力はありますか?
オカルトですが、亡くなっている存在と遊んでた記憶がある子がたまにいますよね。
赤ちゃんにしか見えないものがあるとか、動物の言葉がわかったとか、どうですか?
俺自身の話は大して変わった話はないです
赤ちゃんの頃は目がめちゃくちゃよく見えていました
電気が消えていても外灯やほかの部屋から漏れてくる光程度でもどこに何があるか見えました
豆球がついていたら昼間と変わらないくらい見えました
親は暗くて見えていないような場面でもよく見えていました
大人は目が悪いのだと思っていました
あとホコリが浮かんでるのをよく見ていました
これも大人になった今では見ようと思うこともないのですが赤ちゃんの頃はよく浮かんでいるホコリを見ていました
お化けを見てる子はホコリを見てるんじゃないかと今でも思っているほど霊感的なものは俺には今も昔もありません
俺はほぼオカルト的なことは信じていないのですが息子が1歳になるかならないかくらいの頃に少し不思議なことがありました
これについて少し話します 息子がようやく歩き出したころの話
息子はテレビをつけていると必ずと言っていいほど車のCMが流れると画面に張り付いて見ていました
離れた場所にいても違う方向を見ていても車のCMが流れると走ってテレビの画面に引っ付いて見に来ていました
最初は車が好きなんだなと思って見ていました
画面が切り替わるとすぐに来るのでものすごい反応速度だなと思っていました
時々画面が切り替わったか切り替わらないかくらいで画面に向かって走ってくるのでどうやって車のCMだと判断しているのか不思議でした
注意深く観察していると画面が切り替わる1秒か2秒ほど早く画面に向かっているときが何度かあって、まさかこの後車のCMが?
とみていると100%車のCMでした
他のCMが流れる時は一切反応しません
隣の部屋にいても車のCMが始まる直前から走ってきていました
いつの間にかこの反応はなくなっていましたが1才くらいの頃はずっとこんな感じでした
なんで車のCMってわかってたのか今でも不思議です
話せるようになって聞いてみたけど覚えてないということで真相は不明のままです >母乳の味は覚えていますか?
赤ちゃん以降は母乳を飲んでいないので正解はわからないけどたぶん覚えています
母乳の味らしき記憶があります
粉ミルクの味もうっすら覚えています
味は言葉で表現できないけど母乳は美味しいとかではなく慣れ親しんだ味といった感じでした
母乳は粉ミルクにくらべて甘みはなかったです
粉ミルクは甘いのと甘くないのがあって普段は中間くらいの甘さのものをよく飲んでたと思います
何度か種類が変わったのか初めてのときは変な味に感じるのですが慣れてくれば何の問題もない感じでした
でもたまにぜんぜん甘くないのがあってなのか慣れない味だからというのもあってか不味かった記憶があります
甘いときもあったのですが、たぶん我が家のものでなかったように思います
慣れない味でも甘いと飲みやすかったです
あと大人になって我が子に粉ミルクをあげる時ちょっと飲んでみたのですが俺が子供の頃に飲んでいた粉ミルクより甘かったです
これはたぶん母乳の記憶だと思うのですが間違っているかもしれません
母乳は少しざらつきを感じるのです
粉ミルクは粒粒の粉っぽさとしたら母乳はかす汁のようなざらつきを感じていた記憶があるのですが自信がありません ご丁寧にありがとうございます!
子供が宙を見ていたり背後を凝視するので気になっていました笑
母乳は、少し、塩味がないですか?
また、胎内に宿る前の記憶というのはないのですか? こうして記憶を書いていてひとつ思ったのが胎内での音とか母乳の味とかは当たり前の日常だったと思うのです
こういった記憶は一番たくさん体感したはずなのにぼんやりとしか思い出せません
目の記憶もぼんやりだしうんちやしっこのことも胎内や産まれてすぐのことはそんなに覚えていません
お湯を飲まされたときの味とか甘くなかった粉ミルクの味とかカーテンをしゃぶったときの味の方がなぜかよく覚えているのです
そんな感じで赤ちゃんの持っている不思議な力は謎のままですが俺には特になかったように思います
うちの子もなんの役にも立たない車のCMが始まる前にわかる能力を持っていました
もし幽霊がいるのなら見える子もいるのかもしれません
最近あたらしくんっていうマジシャンをYouTubeでよく見てるのですが人の考えてることがわかるみたいです
どうみてもトリックがあるようには見えません
あれが本当に彼の能力なのだとしたら人間にはまだまだ未知の可能性を感じます
赤ちゃんだからできるのではなく本来人間にはその能力があるが成長の過程で切り捨てたという可能性もあります
特殊能力ではないですが実際に俺も手と足のどちらのトレーニングをするかと悩んで手を選び結果足がうまく動かせなくなりましたし
言葉と記憶のどちらを取るかで言葉を選んだ結果いろんなことを忘れてしまいました
目や耳や鼻でも選択しました。一番に優先したのは目でした。
赤ちゃんの頃にいくつもの選択がありました
大人にはきっとわからない今では当たり前の能力は赤ちゃんの頃の選択の結果伸ばされた能力なのです
何を捨てたのか忘れてしまっているがその中にテレパシー的なものもあったのかもしれないとあたらしくんを見ながら考えてみています
話それてしまいましたが以上です >>237
おっとすぐにレスがあってびっくりしました
2~3才くらいからおばけや妖怪的なものの存在を教え込まれたからか気にしてました
ドアやふすまの隙間を見ると真っ暗で何かが見えないかずっと見ていました
これも子供がお化けがいてるという心理状態だと思います
お化けを知る前でも隙間はよく見ていました
その時の理由は暗くてもめ大人より目がよく見えるけど隙間の真っ暗の先は頑張っても見えないのでなんとか見えないか頑張ってみていたように思います
宙を見ているのはホコリの可能性がありますね
背後は何かはわかりませんね
>母乳は、少し、塩味がないですか?
俺は母乳の塩味は印象にありません
汗とかでも塩味がするので塩味の印象でもおかしくないと思いますね
汚い話なのですが塩味はクッションとかを布団とかだと思うのですが何かの布をしゃぶってる時に塩味がしたのを覚えています
少し違うのですがやはり牛乳などのイメージに近いと思います
甘くもなく塩味もなくって感じです
>胎内に宿る前の記憶というのはないのですか?
現在のところ最も古いと思われる記憶は胎内で体が少し動かせるか動かせないかというあたりだと思います
胎内では考えられる時間は赤ちゃんよりもずっと短い時間しかありませんでした
その短い時間で何度も考えていたのが自分はどのようにして何故ここに居るのかということでした
わからない、がいつもの結論でした
最も古い胎内記憶の時点で前世の記憶がないことがわかります
産まれてすぐの時は胎内の記憶を覚えていたのでもし魂があって胎内の俺の体に宿ったならその時やその前の記憶があってもいいのですが最も古い記憶の中でもそれは思い出せませんでした 前世やあの世の話はよく聞きますがなぜその人たちは胎内記憶はないのでしょうか?
俺は胎内記憶があるので前世やあの世の話が信じられません
今回5ちゃんねるに胎内記憶を書こうと思った理由が胎内記憶で検索しても一件も出てこなかったからです
前世の記憶がある人は俺より古い記憶からあるわけで胎内やうまれた直後の話もないと辻褄が合わないと思います
もともと胎内記憶はないと思ってたけど記憶の時系列を揃えてる過程で胎内記憶がることに気づいたという経緯もありますのでもしかしたら前世の記憶もあるのかもしれません
いまのところは全く思い出せる気がしていませんが、といったところです
最近2ちゃんねるや5ちゃんねるのまとめ動画とかよく見るのですが前世やタイムリープやあの世などの話を見ます
ほんとにあるのかはわからないですがよくできた話でめっちゃ面白いなと思ってます これは曖昧な記憶ですが
赤ちゃんの頃は何かに焦点を合わせ続けることはちょっとしんどかったように思います
だからちょうどいいところに焦点を合わせると空中の何もないところになっていたように思います
そこで見えるものは何もないかホコリだったのだと思います >>242
ありがとうございます
あっちにもこっちのURL載せてみました
そこそこ読んだけど結構みんなリアルな感じでとても良かったです 航を見つめたまま、右手を汚す透明な先走りを、陰茎を使って掌全体に塗り広げる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています