「’88年オフには、巨人から監督要請が来た。だけど、(当時監督の)王をクビにしてその後釜で、という話だったから、そんな席にヌケヌケと座れるかと思って断ったんだ」

 自分を裏切り者扱いした巨人を他球団の監督として破り、最終的には巨人からの監督就任の打診を蹴った広岡。その後’95年にはロッテのゼネラルマネージャー(GM)に就任するも、ここでもわずか2年で解任される。その妥協のない指導とスジの通し方が、妥協と談合で塗り固められていた当時の球界とどうしても合わないのだ。あまりにも正論で、並外れて革新的な広岡の思考は、旧態依然とした組織においては最後まで理解されなかった。だが、広岡が残した功績こそが、その思考が正しかったと何よりも雄弁に物語っている。