ヤクルト、西武の監督として巨人と……


「’70年、根本(陸夫)さんに呼ばれて、広島東洋カープのコーチを2年間務めさせてもらった。この年は黒い霧事件や不正行為やらで大変な年だったな。このときのカープで、選手を育てるということの意味と意義を学んだ。そして’74年にはヤクルトのコーチに呼ばれて、’76年シーズン途中から代理監督に。当時の松園オーナーは偉かったよ。『自前の選手たちを育ててくれ』と言って惜しみなく協力してくれた」

 広岡が指導者としての花を咲かせたのは、監督としてヤクルトを球団史上初の日本一に導いた’78年のことだった。“最弱”と揶揄されていた当時のヤクルトの監督を引き受け、わずか2年半後の出来事だ。しかも、後輩だった長嶋茂雄が監督を務め、リーグ2連覇中だった巨人を倒しての快挙。さらには“史上最強”と謳われた日本シリーズ3連覇中の阪急ブレーブスを破っての日本一だから、余計に価値がある。