’66年、川上哲治との確執が原因で引退を余儀なくされた広岡は、その後も闘志を燃やし続けた。MLBが「メジャーリーグ」ではなくまだ「大リーグ」と呼ばれていた時代に、本場の野球を観て勉強すべく動きだしたのだ。日本人選手がメジャーを舞台に活躍し始める30年近く前のことだ。

「1ドルが360円の時代、2月中旬から6月下旬までの4か月強を自費でアメリカに滞在した。(母校の)早稲田大の知り合いに英語を習い、なんとか日常会話程度をマスターして一人で渡米。途中、お金がなくなったから送ってもらったこともあったな。ベロビーチで巨人がキャンプしていたから視察に行くと、突然練習をやめてしまうんだ。『広岡に見せると他のチームに筒抜けになる』と、まるでスパイ扱い。このときは悔しくてたまらなかった……」

 かつての古巣へ陣中見舞いという形で顔を出しただけなのに、知らぬ間に裏切り者というレッテルを貼られ、忌み嫌われていることを知った広岡はひどく落胆した。

「すべてはあいつの仕業……」

 ホテルのベッドに横たわっても、憎き“打撃の神様”の顔しか浮かんでこない。自分を認めさせるためには巨人を倒すしかない。このとき、広岡は巨人への復讐を胸に邁進することを誓った。