日本社会は、肥満が問題になる一方で、やせすぎの若年女性の多さとそれゆえの健康被害が懸念される国でもある。

もともとそれほどご飯を食べていなかった標準体型の女性が、
もっとやせたいと願って「人間本来の食事」である糖質制限を実行することは、そもそも人間本来のあり方なのだろうか? 
成長期の子どもがネットで糖質制限のことを知り、それを実行することはよりよい成長を導くのだろうか?

糖質制限が2型糖尿病の人々を超えて多くの人に受け入れられたのは
、「食べたいけどやせたい」という現代人特有の欲望をなんといっても満たしてくれたことにある。

そして、「食べたいけどやせたい」という欲望は、やせていることが評価される社会でなければ生まれえない。
食料不足の危機がある社会では、身体に脂肪を蓄えられることがステータスになるため、食べてもやせるという、現代人をひきつける糖質制限の特徴は魅力にはならないし、
そのような社会では栄養不足によるやせの方がよっぽど深刻であるからだ[11]。

たくさんの食べ物があふれ、貧しい人でも簡単に太ることができ、やせることが無条件に美しさ、カッコよさ、聡明さ、自己管理能力の高さと結びつく、
人類史稀に見る社会状況にフィットすることにより糖質制限はブームになった。

しかしその事実は、生理学的な説明と、原始への憧れにより巧みに覆い隠されている。
糖質制限はほんとうに「人類の健康食」なのだろうか? 
それは限られた時代の、限られた地域の、限られた人々にとっての健康食ということはないだろうか?

普遍化の裏側にあるものは、現代社会のきわめて特殊な価値観と構造であることに目を向けて、いまいちど糖質制限の功罪を考えてみたい。