今では5年間アルバムをリリースしなくたって何でもないけれど、
1970年代は1年に1枚が割と普通だったしね。ジョンは既に引退して
いるという認識だった。

面白いのは1976年にコンピレーション・アルバム『ロックンロール・ミュージック』
が出た時だった。この時は、ウイングス大ヒットの余波をビートルズが受けた。
アルバムは全米で2位まで上がった。その時の1位はウイングスの『スピード・オブ・
サウンド』だったんだよ。

「ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」(B面:ヘルター・スケルター)
がシングル・カットされて全米7位。イギリスでは「バック・イン・ザ・USSR」(B面:
ツイスト&シャウト)がシングル・カットされて全英19位。つまり、英米どちらもA面は
ポールの曲だったんだ。

そのヒットを受けてなのかどうかは判らないけれど、ウイングスの1979年のツアーにおいて
オープニング・チューンは「ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」だったんだ。
幻の日本公演でもその予定だったらしい。誰だってビートルズを継承したのはウイングスだって
思うさ。

ちなみにカンボジア難民救済コンサートのライヴ・アルバムで、ウイングスの「ガット・トゥ・ゲット・
ユー・イントゥ・マイ・ライフ」を聴けるね。あのアルバムは「エヴリナイト」や「ロケストラのテーマ」
も入っていて嬉しかった。「レット・イット・ビー」もかな。