ウイングスの最高傑作は? 3 [無断転載禁止]©2ch.net
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1970年代にビートルズ神話を引き継いだウイングスの最高傑作アルバム
は何だろう。皆で、それを語ろう。
ウイングスのアルバム
1.ワイルド・ライフ(全米10位)
2.レッド・ローズ・スピードウェイ(全米1位)「マイ・ラヴ」(全米1位)収録
3.バンド・オン・ザ・ラン(全米1位)タイトル曲(全米1位)、「ジェット」(全米7位)収録
4.ヴィーナス・アンド・マーズ(全米1位)「あの娘におせっかい」(全米1位)収録
5.スピード・オブ・サウンド(全米1位)「心のラヴ・ソング」(全米1位)、「幸せのノック」(全米3位)収録
6.ウイングス・オーヴァー・アメリカ(全米2位)ビートルズ・ナンバー5曲収録「ソイリー」収録
7.ロンドン・タウン(全米2位)「しあわせの予感」(全米1位)収録
8.ウイングス・グレイテスト・ヒッツ「アナザー・デイ」(全米5位)、「アンクル・アルバート」(全米1位)、
「死ぬのは奴等だ」(全米2位)、「夢の旅人」(イギリスで最多売上記録更新)
「ジュニアーズ・ファーム」(全米3位)収録
9.バック・トゥ・ジ・エッグ(全米8位)「ロケストラのテーマ」収録
10.ウイングスパン 夢の翼(全米2位)
アルバム『バンド・オン・ザ・ラン』はグラミー賞受賞
アルバム『バック・トゥ・ジ・エッグ』に収録の「ロケストラのテーマ」も
グラミー賞受賞 何て言うのかな。時代に媚び過ぎな感じが痛々しいな
マッカートニー2が特に
当時の音楽情勢がそんなにテクノ・パンクなのか
それに屈しなかったフランクザッパは偉いな。ただ後にザッパもシンセ駆使してやってるけど 70年代からずっと聴いてきた人達にとっては、マッカ2はキツかったろうな
自分は80年の来日未公演からのファンなので、マッカ2にはまったく違和感がなかった
グッドナイト・トゥナイトが1位を(ベスト3くらい)取れなかったのも
ポールがディスコサウンド!?という戸惑いがファンにあったんだろうね 80年当時のウィングスの来日決定も
「バック・トゥ・ジ・エッグ」がコケテ
日本にやってきたとか書かれてるのあったなあ
90年にやっと日本公演が実現した時は
アルフィーやキ原田真二とかその他、大のビートルズ、ポールファンは
「やっぱり10年前、ウィングス絶頂期の頃に観たかったなあ」と口揃えて言ってたよね 失敗だ何だとか人気落ちたと言っても、ポールとしてのレベルだからねw
そこが全然、他と違うよね。
一応、『ロンドン・タウン』2位で「しあわせの予感」1位だし。
「夢の旅人」はイギリスでシングル売り上げの記録を打ち立てた。
『バック・トゥ・ジ・エッグ』8位で全米トップ10入っているし、
収録曲の「ロケストラのテーマ」はグラミー賞。
「グッドナイト・トゥナイト」も5位だっけ。大ヒットじゃん。
「カミング・アップ」は1位だし、『マッカートニーU』も3位。
これで低迷しているみたいに言われるのは、逆に凄いよなw
殆どビートルズ並みの結果を期待されてるじゃんw 「ロケストラのテーマ」は、欧州の一部でシングルになってたらしい
B面が気になるけれど、やっぱり「ソー・グラッド」かな >>124
アルフィーとか原田真二とか
ニュー・ミュージックの反応はどうでもいいよ 世間的にもそうだったよ
ローリング・ストーンズの初来日に話題が持ってかれたし
そりゃ80年のウィングス武道館7日間っての方がずっと観たかったよ
名古屋なんか会場、愛知県体育館2日間だっんだから 世間云々も要らねえのwww
そのストーンズも72年来日が実現してたらだし、
「たられば」の話とパブリシティと雑誌のランキング云々を
グダグダ語るのは憎悪厨のやること 「冬のバラ」が、実はとても好きだったりする
隠れた名曲です あれは確かに隠れた名曲だね。
レコーディング以来、演奏していないかも。
『バック・トゥ・ジ・エッグ』も名曲多いなぁ。 「マイ・ラヴ」は今となっては
当時の評価からは遠くなってしまったけれど・・
70年代においては、特にバラードという点において素晴らしい成功だった
ウイングス最初の全米bPだったし
これで要約、ポールは「イエスタディ」と並ぶ名曲をまた手にしたとまで
雑誌に書かれていたんだよね
実際ポールの曲の中で「イエスタディ」に次いでカヴァーされた曲だとか
70年代は、本当に良くこの曲流れていたし、ポールの間違いなく
ソロになってからの代表曲の1つだったよね
それが「日本」だけでなのか分からないが今は
凡調だとか甘いだけとか、そういう感想が多くなったけど
時代と共にその当時のリアリティとかが伝わりにくくなり、
記憶も、またリスナーの求めるものも変化していくものなんだなあ
って思わさせられる アルバムで、今だに何度も聴きたくなるのは「レッドローズ〜」かな
シングル・ピジョンからラストまでの流れは、個人的にアビイロード超え ポールソロ ベスト5
1・ラム
2・マッカートニー
3・ケイオス
4・バンドオンザラン
5・タッグオブウォー
異論は多いに認めますよ ソロについて語りたいんだろうけど、他でやってくれや。 >>132
向こうじゃ、今でも「マイ・ラヴ」って評価高いみたいだよ。
ジャズ系やブラック系によるカヴァーが多いからかな。
ジャンルの垣根を超えられるところがポールの凄いところでしょ。
ジャンルを超えてこそスタンダードと言われるのに、
ジャンルを超えたことでロックじゃないみたいに言われるのは
残念だね。だから、同時期に「死ぬのは奴らだ」を出してヒットさせ
たのはバランスを保つうえでよかったと思う。
後にガンズ&ローゼズみたいな過激なバンドにもカヴァーされたし。
ちなみに「マイ・ラヴ」の弊害でもないだろうけれど、
70年代ブレイクし始めたばかりのビリー・ジョエルは、「ポール・
マッカートニーの作風の真似」って随分と叩かれていたんだよねw ビリー・ジョエルの初期は仕方ないよね
ポールが好きで好きでしょうがなかったんだから。
Cold Spring Harborは、ポールっぽくて良いよ。 マイ・ラヴは好きだなぁ
80年代はそんな好きでもなかったんだけど、93年ツアーで取り上げてくれて
一変に「まいった」と云うかw
>>133
これ読んで、レッドローズB面聴いてしまった!
レッドローズも美メロの宝庫だわ マイ・ラヴはリンダの為に書いた曲だからな
彼女が亡くなって曲の持つその意味あいは何倍も感動的になった リンダへのラブソングは数あれど、やっぱりマイ・ラヴは特別な1曲だよね
02年のステージにリンダが居ない違和感は半端なかったし、
マイ・ラヴ演った時、泣けたもんな ♪ ♪ \\ ♪ オウオオーオー オウオオーオー ♪.// ♪ ♪
♪ \\ ♪ マイラーブ ダズィーグー ♪ // ♪
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U U U U U U U U U U U U 「マイ・ラヴ」と言えば
今も放送中の「ミュージック・フォア」で
78年当時、それこそ日本で人気絶頂だった
世良正則と山口百恵が「大好きなウイングスの゛マイ・ラヴ゛をデュエットで歌います」
といって向かい合わせに椅子に座り、「マイ・ラヴ」を2人が熱唱したのを釘づけになって見てた!
ビートルズの曲ではなく、ウィングスの曲を2人が選んだって事が
当時、どれだけウィングスが現役として人気あるのか子供心にも分かったなあ
それにマイ・ラヴの認知度もね 俺はねぇ、日本でも人気のあったフュージョン・バンドのスタッフだね。
超一流スタジオ・ミュージシャンの集まりじゃん。
そのスタッフが、ジャズ歌手のサリナ・ジョーンズのバックで「マイ・ラヴ」を
レコーディングしているのを聴いて感激した。しかも日本でレコーディング
したんだよ。このヴァージョンも素晴らしかったんだ。アルバム買ったもん。 ポールもビリー・ジョエルもオールディーズっぽい曲を作るのが上手い >>145
ポール・サイモンがポール・マッカートニーを褒めていたね。
あれだけ1950年代風のメロディーを書ける人は他にいないって。 ビリーも「素顔のままで」「オネスティ」でポールみたいな美曲を作ると云われてたな
ビリーでは、Scandinavian Skiesが1番好き。
『バック・トゥ・ジ・エッグ』は大好きだけど、After The Ball/Million Milesが
何とも云えず心に響く...w After The Ball/Million Milesも名曲だなぁ。
それこそ隠れた名曲だよね。
これとかWinter Roseは、本当に忘れられている感がある。 Treat Her Gently も隠れたいい曲だよ。 ポールと違って、ビリーは歌声が殆ど劣化してないから裏山ry >>151
そんなこともないだろ
元々の曲が持っているレンジの幅の違いもあるし
ビリーもよく伸びるテナー・ボイスだけれどね そういえばビリーって、もう20年以上アルバム出してないよな
いかにポールが精力的か良く分かる ビリージョエルって何で新曲作るのやめちゃったんだっけ? 今、ブートのWings Over Los Angeles聴いてるけど、
Beware My LoveやHi Hi HiやSoilyは凄いな
9回に160キロ連発して完投しちゃうピッチャー(変なたとえですが)みたい...w >>157
悪い例えでないと思うよw
何かの雑誌でも、(作曲面についてだけれど)ポールは、ストレートも変化球も
超一流のピッチャーみたいだって書かれていた。
ロックンロールもバラードもって意味だね。 >>155
>>156
全盛期でも1年に20曲くらいしか書けなかったって言ってたね。
同じピアノマンでポール自身が認める後継者のエルトンやオサリバンは駄作だろうがなんだろうが出し続けているけど。
ライブやるだけ大滝詠一よりはいいか。 オリジナルアルバム出さないっていうのは、やっぱり嫌だよな
90年代のジョージも嫌だった
ここ10年のストーンズも嫌だ...w
と、云いながら、もうポールの新作はいらないと思ってたりするw ケイオスが晩年の傑作。あれでおしまいとは言いたくないが ウイングスパンを久しぶりに観たが、観てると
アーカイブの残り4作が楽しみで仕方なくなってくるな
72&73年ツアーは完全版映像で出してくれるんだろうか?
リンゴの追加公演(?)とビートルズの映画の話題が多いけど、
フラワーズ・アーカイブの詳細も、もうすぐだろうね。 >>162
ブライアン・ウィルソンもコンスタントにアルバムを出し続けている
ポールとブライアンは尊敬しあっている間柄だけどこの2人は凄いね アーカイヴはウイングス4枚と80年代残りの2枚出してくれりゃ
それでいいけどね。 「Off The Graund」の頃は、シングルにアルバム未収録ばかり入ってたから
必死で買い集めたのに、後から完全盤として2枚組で出しやがってムカついたわ
あの辺から、コレクター精神が無くなった 本格的なロックの聴き手の間では
全米チャートで上位にいるということはマイナス評価となるわけだが? >>57,58
落ち着け
ジョンもポールも元ビーは全部過去の人、ダサイオッサンだったよ
1980,81年だろ?
パブリック・イメージ・リミテッド、ゲイリー・ニューマン、ラフ・トレード勢、
ザ・ジャム全盛期
ジョンやポールなんてお呼びでなかったよ そのころ情報に疎い田舎のビートルズファンたちは
八月の田舎祭りの屋台に小中高と同級だった近所の友人と腰掛けて
酒を飲みながらいまだに「ジョンが〜」「ポールとリンダがー」と
叫び合っていた。 今には今のミュージシャンがいるんだよ
みな各自の役割を果たす
その時代の94点の作品を
ずっとどの時代にも70点のアルバム出し続けていましたー
なんてのは、あんまり褒められたもんじゃない
続いてりゃいいってモンじゃないから
どのくらい燃え上がり、どのくらい鮮烈だったかということが大事
A Hard Days NightからLondon TownまでとあとDriving Rainがよかった
あとはイラネ
ことに1980年代は「もう死んで下さい」って感じで最低 >>70
「カンボジア難民救済コンサート」
難民をなんとかして救わなければ、ってなんとかするっていう趣旨なのに
あの時も、ポールのせいでフィナーレは全員が「なるようにしかならないよ」
だったねん
ポールはいつもこういう政治的な場所では、方向感覚がズレてるんだよね 1970年代
そのころの山沿いの田舎町のレコード店では
洋楽のレコード売上げの1/4から1/3がビートルズやメンバーのソロだったという ごめんごめん
ここはほほえましい会話をかわす系スレだったみたいだな
もう書かないから
続けてくれ >>174
LET IT BEは、「なるようにしかならない」なんていう意味じゃないよ
日本人は、いつまであんな訳が正しいと思ってんだ
「聖母が正しい道へと導いてくれる」という賛美歌のような歌だよ そうかなるほど
ビートルズの崩壊とアップル破産とジョン暗殺へと導いたか・・・ >>169-170
>>172-176
>>178
6wSvhcBz0
お前の主観に興味ないw
ウイングスの話じゃないしw
そもそも書いている内容もつまらないw
バイバイ
もう来るんじゃないぞ >>177
なんで? ニワカw
母のメアリーってポールの死んだお母さんのことじゃん。
ひどいストレスの苦しんでた頃、母親が夢枕に立ったって何度もインタビューで話してるだろ。 「幸せのアンサー」が好きだよ
この曲があったから、フレッド・アステアにも興味を持った
『キス・オン・ザ・ボトム』にでもセルフ・カバーのリメイクを
入れてほしかった 「幸せのアンサー」はいいね。フレッド・アステアについても一緒。
ただ、ウイングス曲のセルフ・カバーは勘弁してもらいたい。
Baby's Requestは酷かった...。 >>182
あっ、勿論、『キス・オン・ザ・ボトム』でのバックのメンバーと一緒に
であれば、ということだよ ウイングスの頃までの曲は、あのポールの歌声じゃないとなあ・・・>セルフカバー >>162
グラハムナッシュとデヴィッドクロスビーは老いてますます盛んだよ 60年代、ビートルズをリアルで体験した人と同じくらい
70年代、特にリアルで78年くらいまでの「ウィングス」の人気ぶりを
知ってる人と知らない人では、ポールの評価さえ変わってきそう
80年代からビートルズ、またはポールを認識した、またはファンになった人達は
どれ位、70年代、ビートルズの中でポールが1人息巻いていたか実感ないんじゃないかなって >>59 を読んでほしいね。
ビートルズのコンピレーション・アルバムが多く出された背景に
ウイングスの快進撃が無関係だとは思えない。
ウイングスの売上にビートルズが便乗していた感があった。 1981年の夏に、「ロック・ショウ」が劇場公開された。
その時に買った映画のパンフレットは未だに宝物だが、
その中でのジョージ・ハリスンのコメントが興味深かった。
「ビートルズを求めるのならウイングスをどうぞ」と語っていたとか。
ビートルズ神話を引き継いだのがウイングスだとジョージは認めた
ようなもの。
これに対しポールは、「ビートルズを求めるのなら昔のレコードやフィルムを
どうぞ。僕達はウイングスなんだから」と言っていたとか。これまたウイングスに
絶対の自信を持っていた発言だと思う。 ポールはウイングスを、自分のソロじゃなくバンドとして見て欲しいから
自分の名前を消して、ただ「Wings」という表記に拘った 1980年の10月、ダブルファンタジーの最終ミックスを行ってたジョン
スタジオでのインタビューで、ポールついてかなり話してる
「彼のアルバムは途中までは聴いてたな「〜Speedway」とかね。
最近のはラジオでかかったのを聴いたくらいかな、Commming Upは良いね。
あのグラスゴーのライブVer.じゃなくて、ぶっ飛んだアレンジの方が」
(良く知らないと言いつつ、バージョン違いまでチェックしてるジョンw)
ポールが僕にとって刺激になるかって?ならないよ。
だってそれは、君にとって兄弟が刺激になるかって聞いてるようなもんだろ?
15歳からの付き合いだぜ?何かやってるのを見ても「へー、まあ頑張れや」って感じさ」 >>188以降192まで
ほとんど中味のない発言なのに意味を感じているファンたち
そんなレベルなんだよ
ビーファンは
なんたってB級ファンなのだから >>192
ジョンは、何だかんだ言って、ウイングスのアルバム全部を持っていた
そうだしねw アテにならないね。カミング・アップのヴァージョン違い
を知っていたのは笑える。
>>193
レベルの高いファン? そんな定義できないものに向かう気は全くないねw
どんなレベルであろうと誰に迷惑をかけるじゃなし。
発言の中身に意味があるかないかを感じるのは受け手の自由。
B級で結構だよw
A級になったら、何か得することでもあるのかよw >>162
大昔にモンテベルディという大作曲家がいてな
75歳でポッペアの戴冠というオペラの大傑作をつくってるんだわ >>195
ジョンはジョージの本で自分が少ししか触れられていなかった事を怒ってた。
何だかんだ言ってしっかりチェックしてまっせーw >>198
大体、76年のウイングスの全米ツアーの時、マジソン・スクエア・ガーデンまで
聴きに行ってるんだよなw あれ⁈
ジョンは騒がれるの嫌って、行かなかったんじゃなかったっけ。 >>200
ジョンはストーンズの「サム・ガールズ」ツアーもマジソン・スクエア・
ガーデンに行ってるよ 割といつも自分の注目している誰かがNYに来ると
出掛けている
ウイングスのスレにジョンの話ゴメン 76年は「ポールは、アメリカに来るたびに会いに来るよ楽しいね」って言ってた
サタデーナイト・ライブに出演しようとして辞めたのが、2人が最後に会った日らしい >>201
1976年のジョンとポールには興味があるから。
ビートルズ解散後のポールの頂点が76年だし、ジョンはどこのレコード会社とも
契約しなくて、ファンにしてみれば主夫やってるなんて認識なかったろうし。
ジョンは、バック・トゥ・ジ・エッグ聴いて、「ポールはこういう所がうまいんだよな」
なんて云ってたらしいけど(どの曲の事だったんだろう?)。
カミング・アップは刺激的だったって言ってたのは、有名だけど、
マル・オブ・キンタイアなんかは、どう思ってたのかね〜 まあ、たられば言ってもしょうがないけど
もしジョンがあのタイミングで死ななかったら、ビートルズが今のような神話にはなってなかったかもしれないし
ジョンもポールも、今とは違った認識になってたかもね
80年代のポールの作品は絶対に違ってたはずだ 80年代のポールは、精神的にジョンの不在を埋めようとし始めるんだよね
マッカートニーUで、あれだけ最新の音楽シーンのアプローチに積極的だったのに
以降は、何故か音楽的な探求よりも、共演者を探すモードになっていた >>203
最期の2ショットと言われているこれは少し前の73-74年あたりっぽいね
解散時の愛憎劇を知ってるのでなんかホッとする
http://iup.2ch-library.com/i/i1693314-1471329311.jpg ダコタに遊びに行った時のリンダが撮ったジョン&ポール写真ないのかな?(1976年)
と、ずっと思ってたけど、クラブ・サンドイッチのジョン追悼号にもなかったくらいだから、
やっぱ無いのかね。
ヨーコがリンダに、写真は撮らないでね...とか言ってそうw お互いの、無言の約束みたいなもんだったんだろう
会うのはあくまでプライベートだから、マスコミが飛び付きそうなネタは残さないって >>207
後ろ向きの女性はリンダ?
だとしたら、もうポールだけしか生きていないのか・・・ あまりやりたくなかった(と思われる)80年の日本公演を何でポールは受けたのかねぇ? ギャラが良かったのかもね
70年代にもオランダの前科で来日出来なかったから、要望が多かったんだろうね 来年7月からキャピトルへ移籍だね。
ユニバから出るアーカイブもフラワーズで終わりか...。
継続して、ウイングスアルバム出るといいな。 ギャラか〜。ウドーさん、熱心だったんだろうな。
ところで、日本公演が決まっててのUKツアーだったんだろうか?
それとも、UKツアーを決める段階で、ウドーから話があったんだろうか? キャピトル第一弾は、ウイングスのライヴ・ボックスでも出して欲しいな。
ムリかな...w
90〜93年のライヴ・アルバム再発(リマスター)辺り...? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています