ビートルズはコミックバンドだった。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
現役時代のビートルズはコミックバンド的存在だったらしいぞ。 コミックバンドとは、
音楽の演奏よりも滑稽な仕草や面白おかしい歌詞で
聴衆を楽しませるバンドのこと。 >>2
ジョン=ガニ股屈伸
ジョージ=冗談そのもののギター
ポール=内股クネクネ&&首振り
リンゴ=ダダコネ&首振り
よし、コミックバンドだな >>5
何もしなくても演奏が冗談扱いされるジョージw 本物バンドってのはR.e.m.やRushのような作詞能力、演奏能力が高いバンドをさす アホな放尿犯〜♪を聴いたビートルマニアが笑い転げて失神した話は有名ではない ビートルズ
イギリスのお笑いカルテット。
メンバーはタレ目(ポール・マッキー)、ガリ(ジョージ・ガリソン)、鼻(リンゴ・スッタ)、顔デカ(ママ・レモン)。
ポールが他の3人にツッこむスタイルで60年代のお笑いシーンを牽引した。
1962年、EMIのお笑い専門レーベル、パーロフォンより『ラブ・ミーなんちゃって』でデビュー。
ガニ股でステージに立ちションするママ・レモンで有名になった『アホな放尿犯』で世界的ブレイクを果たす。
ポールが終始ガニ股のママ・レモンに「インキンかっ!」、ガリガリのジョージに「虚弱かっ!」、物憂げなリンゴに「無気力かっ!」と突っ込むやりとりで人気を博したが、
65年頃からスタジアムに空席が目立ち始める。
危機を察したポールは「イエスタデイ」を書き上げ、ビートルズを音楽バンドに転身させ、窮地を乗り切った。
以後、ビートルズはポールの作品を中心に目覚ましい成長を遂げ、世界一の音楽グループとして活躍した。
1970年、「お笑いに没頭したい」という理由でママ・レモンが脱退宣言し、ビートルズ解散。
ソロになってからもポールは音楽活動を続け、世界的ヒットを連発した。
ジョージも音楽界に君臨したが、70年代中頃からラトルズのムービーに参加する等お笑い界にカムバック、80年代には『ゴーン・トロッポ』なるお笑い作品でお茶の間を沸かせた。
リンゴはオールスター・バンドというお笑い集団を率い、現在にいたるまでマイペースに活動している。
ママ・レモンは、相方ヨーコとフルチンパフォーマンス等でウケを狙ったが無視された。 ●ビートルズの悲惨な歴史
初期 :下手糞なギターをガチャガチャとかき鳴らしてイエーイエーと 叫ぶだけの池沼一発お笑い芸でブレイク
中期 :もともとパーだったアタマが、麻薬でさらにパーになって引き 篭もり、張りぼての密室芸に活路を見出す
後期 :バカの分際で多角経営に乗り出し大失敗。本業でもネタと才能 と賞味期限が終了。マンネリと混乱の中で自滅 >大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
>島本町って町は、暴力といじめと口裏合せと口封じの町なんだな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない深い傷になるなあ beatle=>beetle+beat(そんなモン知っとるわフルボッコ)
もあるが。そもそもbeetleは日本人はカブトムシのイメージだが
欧米圏ではGBの様なイメージ >>10
お笑いライブからの撤退をビートルズが意識したきっかけは、66年の来日公演だったという。
日本というお笑い大国を目の当たりにし、自信を失ったようだ。
無理やり着せられた貧乏くさい法被(はっぴ)にまず爆笑。
猿のような日本人の群れを見てまた大爆笑。決定打はおかっぱ頭の★加ルミ子とシェーのポーズだったという。
出来る限り日本のお笑いに近付きたいと、骨董品を買い漁ったり、ニューアルバムのタイトルに日本のお笑い文化を滲ませたりと、それなりの努力をみせたが力及ばず、約1ヶ月後にステージを去った。
フィリピンでは「聞いてないよ〜」のボケをかますが全く受けず、フルボッコにされる。
ビートルズはスタジオにこもり、お笑いを封印した。
と思われたがジョンは芸人のヨーコに出会い、再びお笑いの道を歩み出し、レボリューションNO.9などのギャグを飛ばした。お笑い仙人マハリシの講義にも積極的に参加した。
ポールも音楽活動と平行してマジカルお笑いツアーを制作するが、過去最悪のギャグと批判を浴びた。
こうした中、ポールはカメラマンのリンダ・イーストマンが類い希なる音痴であることを知り、将来的にお笑い軍団を形成するにあたり欠かせないと判断、結婚に至る。
一方ジョージは目立たないながらも徐々にセンスを磨いていき、66年にインドのお笑いを取り入れその才能を開花させる。
しかし69年になるとジョージのお笑いはビートルズに殆ど取り入れられなくなり、ピン芸人としての再出発を決意する。
リンゴは存在そのものがギャグであった。友人と飲み歩いている間にビートルズは解散していたという。 ビートルズと共に忘れてはならないお笑いバンドといえば、まずローリングソ・ストーンズが思い浮かぶ。
ビートルズによってお笑いの聖地となった北のリヴァプールに対抗し、彼等は南のロンドンで都会的なお笑いを目指した。
メンバーは唇(ミック・ジャガー)、バンダナ(キース・リチャーズ)、死に神(ブライアン・ジョーンズ)、老人(チャーリー・ワッツ)。
ここへ仁王立ち(ビル・ワイマン)を追加してビートルズより一人多い5人とし、まずは人数で勝利した。
しかしデビュー曲であるチャック全開ベリーのカバー「肛門」と、ビートルズから頂戴した「彼氏がけむたい」がコケ、早くも不協和音が聞こえ始める。
そんな中、サードシングルであるナイスバディ・ホリーのカバー「おっととっとフェイドアウェイ」が3位まで上昇、またファーストアルバムはトップを独走するという予想外の大ヒットで、ストーンズは一躍時の人となる。 リンゴとジョージは後にコンビを組み漫才ブームを牽引。
マンネリと評されながらも、リンゴのデカ鼻いじりと
ジョージ「コイツの女房、意外と○○なんですわ」
リンゴ「何でお前そんな事知ってんねん!」というボケツッコミが人気を博す ブリティッシュお笑い名鑑B
ザ・チンカス
『コーラ対ペプシマン』 カブトムシか
カブとシムシティー まずゆうといたるけど
終わりないやろ You know my nameはたしかにコミックだね。「ドリフの全員集合!」
的ノリがある。アップル屋上ライブでも「ダニーボーイ」を物マネ風に
歌うシーンにはお笑い好きな一面が出ている。お笑いグループだった
としても相当巧かったろうことは想像できるね。 キャブとムーシー
む〜し〜ない
ムルシ なんやった You know my nameのノリはビージーフォーやドリフ並み。
エルビスモノマネ男のモノマネあり。やたら勿体ぶる司会者あり。
加藤茶&志村けんみたいな歌あり。最後は入り乱れて大円談。 ポール=赤
ジョン=青
ジョージ=緑
リンゴ=黄
ヨーコ=桃 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています