永田雅一は洛中の生まれだから
モノホンの京都人だな
生家は友禅染の問屋だったが
父親が友人の借金の連帯保証人で破産

その後いろいろあって
18歳くらいのときに京都の千本組の組長
笹井末三郎の舎弟になった

この千本組は
日活の当時の大将軍(京都)撮影所に
食い込んでいて
大道具に関する全てを仕切っていた

そして無声映画の巨匠 マキノ兄弟とも懇意で
マキノプロダクション設立時に
やはり大道具は全て千本組となった

その縁で永田は
1925年にできた日活の太秦撮影所に入所
そのまま映画の世界で活躍
政界との繋がりも深めて行った