人に優しくしたところで、良いことなんかない
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なにも生まれない
相手が幸せになる
ただそれだけ
なら最初から人に冷たくすればいい
親兄弟だろうが自分以外は全て敵だ 俺が優しくしても
うぜえとか言われるだけだからな
他人に優しくしようという気持ちすら無くなった 善意に関して見返りを期待するからガッカリするんだね 恩を仇で返されたり、陰で馬鹿にされてたり、そういう経験が今の俺を形作っている 優しさとか親切すると相手は
自分は偉いから当たり前、ビビってる、されて当然と思い
しなければ、オマエオラァァァァァ!!!!ふじこふじこ
これが現代人の普通 当たらず触らず適当に距離をとって付き合う。
良くしてもらったら同程度の対応をして笑顔で接する。
気を付けるべきは相手の勘違い。仲間とか頼れる人とか思われると大変。
だから適度に距離をとり線を引かないと大変だよ。
人間の欲望はキリがないからね。 ぽこにゃんも別にいいこと亡いけど気分がいいからやってるにゃん いい人演じてるけど邪険にされるって
むしろ自分本位の方が好かれるのかな
俺の場合
もう疲れた 優しくするのは、その人に優しくする意味があるとわかってから、でいい
世の中の大多数がクズで自己中で不寛容なゴミ連中ばかりだから、優しくする可能性は低いけどな 別に見返りとかは求めてないにゃ
なんとなく本能的に優しくしてしまうにゃ 悩んでた時に相談に乗ってやったのに
俺が困ったら速攻できられた
善意は利用し他人を裏切る世の中そういう事ばかり
もううんざりなんだ 報いを求める愛は途中で不平に変る愛である
相手が感謝するだろうと思ってした行為は
相手が感謝しなかったとき憎しみに変わる
そんなことなら他に愛をほどこさない方がましである 執着を愛と呼ぶことがある
それゆえに、「愛する」と言いながら相手の生命を縛ってしまい
相手の生命を伸びられなくしてしまうことさえ往々ある 繁栄は一日にして来たらず
それが単なる偶然の好運であるかに見えても
必ず過去に蓄積されている善き想念、善き言葉、善き行為、善き感情が
現実化して生ずるのである
それは原因と結果の法則である
原因結果の法則には、物理的な法則と、心の法則があるのである 偶然は一つもない
もし偶然があるとすれば
宇宙の法則の及ばぬ事物がどこかにあるということを認めなければならぬ
ひとつ人に親切をほどこしても
過去に人に迷惑をかけて謝りもしなかったり、ずさんさからだれかを苦しめたり、
ネットに悪しき言葉を書き込んだり
人の欠点を責め裁くような想念を出していると
そちらの無数の不調和が現実化してしまうのである 悪い運命に苦しむのは過去の罪業ですが
その人の罪業は、自分自身でよく反省して、悔悟しなければ
どうにもならないのです
天台大師の「天台小止観」という著作には、具体的な方法として、過去のもろもろの悪事や、人を傷つけたこと、無責任な行い
悪い言葉などを反省し、懺悔することによって罪業が消滅してゆくことが説かれています 過去に傷つけたり、恨まれたり、迷惑をかけた相手や事件や悪しき言葉をひとつひとつ思い浮かべ、
反省的な思念で謝罪の言葉を繰り返すのです
(小声でよい。なるべく真心をこめて一心に)
「○○様、こういう迷惑をかけてしまい、ご不快にさせてしまって誠に申し訳ありませんでした・・・」
心の内で一心に念じてもよいし、あるいは言葉に出して謝罪を続けることで浄化されていきます 自分の過去をひとつひとつ振り返り
不調和なる行為、言葉、思いを反省し懺悔し心を浄化するべきです
自分の心を浄めるほかに運命のリズムを良くする根本的方法はないのです 不愉快な思い出、トラウマ、いじめられた恨み
悪しき映像や言葉の印象も
この方法で浄化していくことができます
「●●という作品の不快なシーンによって、わが心に曇りを作ってしまい、誠に申しわけありませんでした…!」
「●●さんにこのようなことをされ、恨みの念を持ってしまい、誠に申しわけありませんでした…!」
心を込めて繰り返すことで浄化されていきます。 自分の目の前に何か不調和なことが現れて来るのは
自分自身の中にそれと同じものがあるからである
もし情報に踊らされて
他をさばき、他に憤激し、他を誤解して
悪く考えることがあるようでは
われわれの住んでいる環境はますます紛糾するばかりである
なぜならその人の心が批評や憤激や皮肉によって
あらゆる人と事物に対立的な関係に常に立つからである そして何かこの世の中に害を与える不調和な存在が無数にあるのだという信念を
ますます強めることによって、その信念の反映として不調和の現象はますます
周囲に現われて来るのである 環境は自分の心的状態の投影である
これを仏教では “三界唯心” といい
われわれは四方すべて鏡でつくられた部屋の中に住んでいるようなものである
周囲と自分とは不可分の一体なのである
環境をかえることよりも、自分自身が変ることが必要なのである
自分自身が変れば、環境も自然に変るのである
境遇の善悪は“場所”を変えることによって得られるのではなく
“心と言葉”を変えることによって得られるのである 自分の過去と現在の
憎しみ想い、うらみの想い、後悔の想いを
愛とゆるしの思念と言葉よって書き換えて
感謝の思念と言葉にかえ、心に光をともさなければならない
心が浄化されれば自然と環境は調和していくだろう >>719
自分自身を変えるなんて一番難しい事だろ
できるならとっくにやってんだよ
上っ面で変えたつもりでも根本は変わらない 日本人全員g全員仏陀さん尊敬してるわけじゃない
昔の偉人()の1人 たとえばボランティアやってる連中も相手からの感謝を求めてだろ
それって立場的にマウントをとって自尊心を得てるわけだよ
つまり何かしらのリターンを求めてるわけで立派でも何でもない
逆に言えば下心ありありのエゴ野郎だよ みんな自分のことしか考えてないよ
他人のこと周りのことを考えようなんてすればバカを見るのがこの世の中 じぶんの足下固めましょう,人の為は余計なお世話が多いんですよ。 ポイントカードがこの世に必要あるかと(笑)その場で何割か値引きがありがたいし。 お医者さんのいう事聴いてルネッサンス部地道に開設しました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています