死後の世界を考える孤男
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進化論どころか、生物学すら存在しなかった2500年も前にあって、「一切の生命は平等。全ての生命に慈悲を持って接しよ」と説いたことは、人類の精神史において特筆されてしかるべき事案だったと思う(ФωФ) しかし、ぽこにゃん釈迦の実在性については懐疑的にゃあ(ФωФ)
はっきり言うにゃ
自分の考えを明確にするためにもにゃあ
(ФωФ)
ゴータマ・シッタルダは歴史上の人物ではない
釈迦は創作の産物
釈迦は(おそらく複数の優れた書き手による)創作上、文学上、倫理学上に理想化されてこ現れる多種多彩な万能人格 いわゆる因果律というのは必ずしも地上生活期間内に成就されるとは限りません。
しかし、いつかは成就されます。必ず成就されます。
原因があれば結果があり、善を行えば善や福が現れ、悪を行えば不調和が起こります。
しかし、いつ成就されるかという時間の問題になると、すぐに結果の出るものもあれば地上生活中に出ないものもあります。
罪を犯すと、その罪がその人の霊に記録され、それなりの結果を生み、それだけ苦しみます。
それが地上生活中に出るか否かはわかりません。それはいろんな事情が絡んだ複雑な機構の中で行なわれるのです。
が、因果律の根本の目的が永遠の生命である霊性の進化にあることだけは確かです。 墓に埋められて万事が終わるとしたら、この世は正に不公平だらけで、生きてきた不満の多い人生の埋め合わせもやり直しも出来ないことになります。
人生は苦しい人生を送った人も、失敗の人生を送った人も、屈辱の人生を送った人も、皆もう一度やり直すことが出来るということ、言いかえれば悔し涙を拭うチャンスが必ず与えられるということです。
人生は死後もなお続くのです。永遠に続くのです。 その永遠の旅路の中で人は内蔵している能力、地上で発揮し得なかった才能を発揮するチャンスを与えられ、同時に又、愚かにも人の迷惑も考えずに横柄に生きた人間は、その悪業の償いをするためのチャンスが与えられます。
神の公正は完全です。騙すことも、ごまかすことも出来ません。
すべては神の眼下にあるのです。神は全てをお見通しです。
そうと知れば、真面目に正直に生きている人間が何を恐れることがありましょう。
恐れることを必要とするのは利己主義者だけです。 問 霊界で人生の計画を立ててから生まれてくるそうですが、前もってわかっているものをわざわざ体験しに再生することになりますが、そこにどんな意義があるのでしょうか。
答 地上に再生する目的は、地上生活から戻って来て霊界で行うべき仕事があって、それを行うだけの実力をつけることにあります。
前もってわかったからといって、霊的進化にとって必要な体験を身につけたことにはなりません。
たとえば世界中の書物を全部読むことは出来ても、その読書によって得た知識は、体験によって強化されなければ身についたとは言えますまい。
生長というのは実際に物ごとを体験し、それにどう対処するかによって決まります。その辺に地上への再生の全目的があります。 問 祈りには効果があるのでしょうか。
答 「本当の祈り」と「御利益信心」との違いを述べれば、祈りが本来いかにあるべきかがおわかりになると思います。
御利益信心は利己的な要求ですから、これを祈りと呼ぶわけにはいきません。
ああしてほしい、こうしてほしい。カネが欲しい、家が欲しい――そんな要求を聞いてあげても、当人の精神的成長にとって何のプラスにもならないからです。
一方、魂のやむにやまれぬ叫び、暗闇に光を求める必死の祈り、そうした祈りもあります。こうした祈りには魂の内省があります。
つまり自己の不完全さと欠点を意識するが故に、必死に父なる神の加護を求めます。
それが本能的に魂の潜在エネルギーを湧出させます。それが真の祈りなのです。
その時の心の状態そのものがすでに神の救いの手を受け入れる態勢となっているのです。
ただ、これまでも何度か言ったことがありますが、そうした祈りを敢えて無視してその状態のまま放っておくことが、その祈りに対する最高の回答である場合がよくあります。
こちらからあれこれ手段を講じることがかえって当人にとってプラスにならないという判断があるのです。 語りかける霊がいかなる高級霊であっても、いかに偉大な名称であっても、その語る内容に反発を感じ理性が納得しない時は、かまわず拒絶なさるがよろしい。
人間には自由意志が与えられており、自分の責任において自由な選択が許されています。 >>422
ないにゃん
病気の治療に祈りはほとんど無効ってたしかなんかのポピュラーサイエンスの本で読んだにゃ
(精神的な病気は治ることもあるらしいよ、まれに)
特に外科手術が必要な病気に対しては完全に無効なんだって
当たり前だよね(ФωФ) 疑問なんだけど悪人の魂があの世に行った時に
地獄に落とされてこの世で犯した罪を償ってから生まれ変わるって仕組みならこの世は何で
いつまでも善人を食い物にする糞な人間で溢れかえってるんだ?
あの世の地獄は執行猶予付きで天国へ旅行もできて殺人犯しても刑期数年で転生出来るような日本の刑務所より甘ちゃんなとこなんか? 幻覚も当人が真実と思い込んで完結出来ればそれはその人にとって紛れもない真実だよ 死後の世界に何かあるとして自分という意識が引き継がれるのであれば
それは死と言えるのだろうか >>426
できるにゃ
目覚めた人ブッダが祈りは無価値と言っているから、ぽこにゃんたちはそれを信じよう >>425
宇宙はものすごく広いのでそっちの方から来てるのかも(ФωФ) >>428
よく分からないけど、最近はこんなことを言ってる人たちもいるにゃ
前世の記憶「生まれ変わり」は本当にあるのか 最新研究で判明した”転生”の実例3選
https://www.news-postseven.com/kaigo/103747
カール・セーガンも、常識的にはあり得ないと思うかもしれないが、調べてみる価値のある問題の一つとして生まれ変わりをあげてたにゃ
「どう考えても生まれ変わりとしか思えない事例」がある、と書いていた
もしかしたら生まれ変わることがあるのかも
生まれ変わらなかった奴はどこにいったのかが謎なんだけどにゃФωФ) 目覚めた人仏陀が、生命の根本的原理である進化について一切触れていないのはなんで?
(ФωФ) 指を切断したので、生えてくることを期待して祈りますって、ありえる?
(まあ実際、切断した指が生えてるくることはあるらしいけど)
指で納得いかないなら、首ならどうにゃんですかね
切断した首から上がまた生えてくることを一生懸命祈ったら、また頭が生えてきて生き返りますか?
(ФωФ) 何がしか魂的なものがあって循環しているとしても
記憶やらなんやらが受け継がれるとは思えない
生まれ変わり事例は不思議だね、知覚できない別次元の何か仕組みがあるのか 未だに解明できない不思議もあるんだよなぁ。
何一つ分からないね。 >>133
>>152
素晴らしい。
まさに奴隷をコントロールするためのカルトだ。
都合よく自殺を咎めるカルトを流行らせれば底辺奴隷の自殺を防止できるな。
同じく寿命まで生きればなぜか都合よく地獄に行かないと刷り込めば定年まで囚人のように働かせることができるだろう。
底辺(主に中高年)なら根拠のないオカルトやカルトでも本気で信じて勝手に広めてくれるからな(笑)
そいつらからすれば口のない死人相手にマウントを取れるし、我々も奴隷の自殺を防げてお互いにメリットしかないというわけだな(笑)
盲信しない奴には適当にオカルトに傾倒した脳神経外科医の名前や霊能力者とかいう詐欺師の発言でも出しておけば真に受けるだろう。
奴隷に自殺は許されん。
奴隷にとっての自殺は逃げだ。
彼らを逃がしてはならない。
奴隷はカルトでコントロールして定年まで囚人のように働かせろ。 >>432
うーん調べたらこの記事生唾みたい
ごめん訂正するね
(ФωФ) にゃっ!(ФωФ)
恥ずかしいにゃー(*/□\*) 走馬灯見てる時ってずっと上のほうに自分みたいのが居る感覚が有るよな?此方に居ながらそっちから観測してるみたいな
まあ車でスピンしてたからその影響だったんだろうな 死後の世界について知りたければ、シルバーバーチの霊訓で検索してみろ >>446
素晴らしい。
まさに奴隷をコントロールするためのカルトだ。
都合よく自殺を咎めるカルトを流行らせれば底辺奴隷の自殺を防止できるな。
同じく寿命まで生きればなぜか都合よく地獄に行かないと刷り込めば定年まで囚人のように働かせることができるだろう。
底辺(主に中高年)なら根拠のないオカルトやカルトでも本気で信じて勝手に広めてくれるからな(笑)
そいつらからすれば口のない死人相手にマウントを取れるし、我々も奴隷の自殺を防げてお互いにメリットしかないというわけだな(笑)
盲信しない奴には適当にオカルトに傾倒した脳神経外科医の名前や霊能力者とかいう詐欺師の発言でも出しておけば真に受けるだろう。
奴隷に自殺は許されん。
奴隷にとっての自殺は逃げだ。
彼らを逃がしてはならない。
奴隷はカルトでコントロールして定年まで囚人のように働かせろ。 「無」や「永遠」という概念を考えていると恐ろしくなってくる
今我々が生きている宇宙は凝縮と拡散をそれこそ数限りなく繰り返してきた歴史を持つ可能性もあるわけで・・・
人間が自意識を持つまで進化してしまったことは本当に悲劇だと思うわ
宗教が生まれたのも必然だ 具足を貸し与えられて強制参加させられた
指揮系統もいい加減で混沌としていてこの機に乗じてこの変な村から逃げようと思った
けれど星もない夜で何も見えない 仏教の説く極楽浄土って、女がいないんだよね。
仏教では、女性は一度男に生まれ変わって、
悟りを得ないと極楽浄土に往生出来ないんだって。
それに浄土に行ったら、仏道修行して仏にならないと
いけないんだって。
で仏になったら、この世の衆生を救うために、
永遠に活動するんだって。
ノーセンキューだね。
迷っていると言われようが、
自分は人間世界に転生がいい。 俺は宗教っていうのは死の恐怖を和らげるために生み出された概念にしか思えないんだよな・・・
それこそジョン・レノンが言った“God is a concept”のように。
天国や極楽浄土なんていうのはあまりにも都合が良すぎると思わないか?
まあ人間の脳が理解できる範囲は限りがあるから、「神の視点」というのが存在する可能性を否定するわけではないがね 安全に生活するための戒めやら死の恐怖を和らげるためやら支配層を肯定化するためやら純粋に人の苦悩を柔らげるためやら
色んな都合が融合して派生したもんだよな 自分に都合の良い宗教信じればそれでいいよな
無かったら自分で作っちゃうのもありありや
そんなもん無いほうがよいのも勿論オッケーや
後はどのくらいリアリティー持って信じこめて有用なアイテムとして利用出来るかどうかだなー 死にかけた時の事を思えば
静謐で茫漠とした所だな。苦も無く楽も無く何の欲求も興味も湧かない
水の流れる音が聞こえてた
別によくもないが悪くもない
人によって違うのだろうよ ひろさちやっていたでしょう?
あの人、人間は死んだ瞬間に浄土にいけるから、
死は怖くないって言ってたけどどうなんだろう?
この令和の新時代に浄土宗の教えって…。 死後の世界っておそらく死の直前に見る夢まがいのものををそう認識して死んでくだけなんじゃないかな?
強く信じこんでいればそんな幻覚めいたものを見る確率も上がる気はするよ
その後は無いのだから当人にとってはそれが死後の世界って認識で終わりそうだ 自分もそう考えてる。
だから地獄行きなんて考えず、自分が夢のように考えた場所に行くと思えば良い。
もちろん、無が良い人はそう思えば良い。 聞いた話ではあの世も働かないといけないらしいぞ。この世と似てるとか。 >>464
あなたがたはまだ霊の世界のよろこびを知りません。
肉体の牢獄から解放され、痛みも苦しみもない、行きたいと思えばどこへでも行ける、考えたことがすぐに形をもって眼前に現われる、
追求したいことにいくらでも専念できる、お金の心配がない、こうした世界は地上の生活の中には譬えるものが見当らないのです。
その楽しさは、あなたがたにはわかっていただけません。
この世界に来て芸術家は地上で求めていた夢をことごとく実現させることが出来ます。画家も詩人も思い通りのことが出来ます。
地上の抑圧からきれいに解放され、天賦の才能が他人のために使用されるようになるのです。 ただ地上に生をうけた以上は、寿命というものが与えられているのですから、それを勝手に縮めることはそれなりの代償を支払うことになります。
地球へ近づくにつれて霊は思うことが表現できなくなります。
正直言って私は地上に戻るのはイヤなのです。
なのにこうして戻って来るのはそう約束したからであり、地上の啓蒙のために少しでも役立ちたいという気持があるからです。
シルバー・バーチ霊訓より 人格の成長は環境ではなく、経験と自覚によって内面に刻み込まれて行くものです。
ところが人間はとかく物的、社会的環境で判断しがちです。
富貴に生まれようと貧賤に生まれようと、人のために役立つことをするチャンス、即ち内部の善性を発揮し成長するチャンスは、どういう環境でも訪れるものです。
その時こそが真の幸不幸の判断の基準を当てはめるべき時です。
物的な基準で計る限り地上界は不公平だらけに思えるかもしれません。
しかし、体験の価値は魂の琴線に触れるか否かにかかっており、だからこそ苦難の中にある時こそ魂が磨かれるのです。 問
地上で孤独な生活を余儀なくされた者は死後も同じような生活を送るのですか。
答
いえいえ、そんなことはありません。
そういう生活を余儀なくされるのはそれなりの因果関係があってのことで、こちらへ来ればまた新たな生活があり、愛する者、縁あるものとの再会もあります。 問
この肉体を棄ててそちらへ行っても、ちゃんと固くて実感があるのでしょうか。
答
地上よりはるかに実感があり、しっかりしてます。本当は地上の生活の方が実感がないのです。
霊界の方が実在の世界で、地上はその影なのです。 だからいずれ解ることだろ
それとも永遠に生きるつもりか 人間はよほど消滅して永遠に無になるのが怖いん
だね。
ところで釈迦は、
死んで無になるのも、永遠に生き続けるのも、
どっちも「偏見」だから違うって言ってるけど、
じゃあどうなるんだよ? おおっと!こうか!
成る程こうか
やっぱりこうか…
まあある程度の予測があればいざというとき楽しめるかもしれない
一応一大イベントだしな本人にとっては >>475
無について考え続けると気が狂いそうになる
死んだらその恐怖もなくなるし、逆に死が解放になるんだけどね
しかし意識って本当に不思議だよな
人間も結局は素粒子の塊に過ぎないんだからな >>475
わかんないよな
単なる事象の変化の一部で本質は変わらぬとかなんかな?
羽化のようなものかもしれないと妄想した事はあるな 人間の知覚能力の限界で無というものは実は無という有なのか
人間の脳と認識してるものが理解するための単なるツールで実は粒子も波も質量も存在してないのと一緒なのか
どっちでもないのか
脳から解放されれば解るのか解ったところで意味ないのか 死んだ後は何もない方が絶対幸せだよ
死後の世界に何かがあったらきっとそこでも支配者が存在して勝手にルール決めて力のない者はそれに従うしか無い
そんな現実世界と同じことが続くなんてそれこそ地獄だ >>479
デカルトを思い出した
考えれば考えるほど分からなくなるね 死後の世界に怯えてんじゃねーよ。
お前らの人生に何か後ろめたさでもあるのか?
俺は根が善人だし実際悪いこともしてこなかったから死後天国行き確定だからいいけど。 最新の宇宙望遠鏡で見たら初期の銀河がまだまだ腐るほどあるらしいから
地球だけオリジナルかもしれないから大切に生きていきたい。おわり 静謐で安寧で白くてボヘーっとしてた
でも実際は生きてたわけだから違うんだろうな。垣間見たものだとしたら面白いが
最近はあれでいいやというかあれがいいやと思えてきた ていうか、
生きたり死んだり、もしかしたら生まれ変わったりする「私」って何なんや? もし「私」と私以外の他の人間たちが平等だとするなら
私にとって他の人間たちが認識できず、したがって存在しないのと同様に
「私」もまた存在しない 結局逃げる事ができたが全てと言えるくらい大きな者に取り込まれそうになった
あれから推察するに死後おそらく個というものは存在しないように思える。記憶を持ちよってひとつに統合されるだけな気がする
皆結局同じ者になり、したがって個の罪や褒美のようなものもない
そんな気はした。楽しい記憶を創れないだけ損だとは思う
だがそれにも逆らいたい 死んで終わりは甘過ぎ
わかるまで何度でもやり直しさせられる 今度生まれ変わったら金持ちの家に生まれたい。輪廻転生や! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています