死後の世界を考える孤男
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「無」や「永遠」という概念を考えていると恐ろしくなってくる
今我々が生きている宇宙は凝縮と拡散をそれこそ数限りなく繰り返してきた歴史を持つ可能性もあるわけで・・・
人間が自意識を持つまで進化してしまったことは本当に悲劇だと思うわ
宗教が生まれたのも必然だ 具足を貸し与えられて強制参加させられた
指揮系統もいい加減で混沌としていてこの機に乗じてこの変な村から逃げようと思った
けれど星もない夜で何も見えない 仏教の説く極楽浄土って、女がいないんだよね。
仏教では、女性は一度男に生まれ変わって、
悟りを得ないと極楽浄土に往生出来ないんだって。
それに浄土に行ったら、仏道修行して仏にならないと
いけないんだって。
で仏になったら、この世の衆生を救うために、
永遠に活動するんだって。
ノーセンキューだね。
迷っていると言われようが、
自分は人間世界に転生がいい。 俺は宗教っていうのは死の恐怖を和らげるために生み出された概念にしか思えないんだよな・・・
それこそジョン・レノンが言った“God is a concept”のように。
天国や極楽浄土なんていうのはあまりにも都合が良すぎると思わないか?
まあ人間の脳が理解できる範囲は限りがあるから、「神の視点」というのが存在する可能性を否定するわけではないがね 安全に生活するための戒めやら死の恐怖を和らげるためやら支配層を肯定化するためやら純粋に人の苦悩を柔らげるためやら
色んな都合が融合して派生したもんだよな 自分に都合の良い宗教信じればそれでいいよな
無かったら自分で作っちゃうのもありありや
そんなもん無いほうがよいのも勿論オッケーや
後はどのくらいリアリティー持って信じこめて有用なアイテムとして利用出来るかどうかだなー 死にかけた時の事を思えば
静謐で茫漠とした所だな。苦も無く楽も無く何の欲求も興味も湧かない
水の流れる音が聞こえてた
別によくもないが悪くもない
人によって違うのだろうよ ひろさちやっていたでしょう?
あの人、人間は死んだ瞬間に浄土にいけるから、
死は怖くないって言ってたけどどうなんだろう?
この令和の新時代に浄土宗の教えって…。 死後の世界っておそらく死の直前に見る夢まがいのものををそう認識して死んでくだけなんじゃないかな?
強く信じこんでいればそんな幻覚めいたものを見る確率も上がる気はするよ
その後は無いのだから当人にとってはそれが死後の世界って認識で終わりそうだ 自分もそう考えてる。
だから地獄行きなんて考えず、自分が夢のように考えた場所に行くと思えば良い。
もちろん、無が良い人はそう思えば良い。 聞いた話ではあの世も働かないといけないらしいぞ。この世と似てるとか。 >>464
あなたがたはまだ霊の世界のよろこびを知りません。
肉体の牢獄から解放され、痛みも苦しみもない、行きたいと思えばどこへでも行ける、考えたことがすぐに形をもって眼前に現われる、
追求したいことにいくらでも専念できる、お金の心配がない、こうした世界は地上の生活の中には譬えるものが見当らないのです。
その楽しさは、あなたがたにはわかっていただけません。
この世界に来て芸術家は地上で求めていた夢をことごとく実現させることが出来ます。画家も詩人も思い通りのことが出来ます。
地上の抑圧からきれいに解放され、天賦の才能が他人のために使用されるようになるのです。 ただ地上に生をうけた以上は、寿命というものが与えられているのですから、それを勝手に縮めることはそれなりの代償を支払うことになります。
地球へ近づくにつれて霊は思うことが表現できなくなります。
正直言って私は地上に戻るのはイヤなのです。
なのにこうして戻って来るのはそう約束したからであり、地上の啓蒙のために少しでも役立ちたいという気持があるからです。
シルバー・バーチ霊訓より 人格の成長は環境ではなく、経験と自覚によって内面に刻み込まれて行くものです。
ところが人間はとかく物的、社会的環境で判断しがちです。
富貴に生まれようと貧賤に生まれようと、人のために役立つことをするチャンス、即ち内部の善性を発揮し成長するチャンスは、どういう環境でも訪れるものです。
その時こそが真の幸不幸の判断の基準を当てはめるべき時です。
物的な基準で計る限り地上界は不公平だらけに思えるかもしれません。
しかし、体験の価値は魂の琴線に触れるか否かにかかっており、だからこそ苦難の中にある時こそ魂が磨かれるのです。 問
地上で孤独な生活を余儀なくされた者は死後も同じような生活を送るのですか。
答
いえいえ、そんなことはありません。
そういう生活を余儀なくされるのはそれなりの因果関係があってのことで、こちらへ来ればまた新たな生活があり、愛する者、縁あるものとの再会もあります。 問
この肉体を棄ててそちらへ行っても、ちゃんと固くて実感があるのでしょうか。
答
地上よりはるかに実感があり、しっかりしてます。本当は地上の生活の方が実感がないのです。
霊界の方が実在の世界で、地上はその影なのです。 だからいずれ解ることだろ
それとも永遠に生きるつもりか 人間はよほど消滅して永遠に無になるのが怖いん
だね。
ところで釈迦は、
死んで無になるのも、永遠に生き続けるのも、
どっちも「偏見」だから違うって言ってるけど、
じゃあどうなるんだよ? おおっと!こうか!
成る程こうか
やっぱりこうか…
まあある程度の予測があればいざというとき楽しめるかもしれない
一応一大イベントだしな本人にとっては >>475
無について考え続けると気が狂いそうになる
死んだらその恐怖もなくなるし、逆に死が解放になるんだけどね
しかし意識って本当に不思議だよな
人間も結局は素粒子の塊に過ぎないんだからな >>475
わかんないよな
単なる事象の変化の一部で本質は変わらぬとかなんかな?
羽化のようなものかもしれないと妄想した事はあるな 人間の知覚能力の限界で無というものは実は無という有なのか
人間の脳と認識してるものが理解するための単なるツールで実は粒子も波も質量も存在してないのと一緒なのか
どっちでもないのか
脳から解放されれば解るのか解ったところで意味ないのか 死んだ後は何もない方が絶対幸せだよ
死後の世界に何かがあったらきっとそこでも支配者が存在して勝手にルール決めて力のない者はそれに従うしか無い
そんな現実世界と同じことが続くなんてそれこそ地獄だ >>479
デカルトを思い出した
考えれば考えるほど分からなくなるね 死後の世界に怯えてんじゃねーよ。
お前らの人生に何か後ろめたさでもあるのか?
俺は根が善人だし実際悪いこともしてこなかったから死後天国行き確定だからいいけど。 最新の宇宙望遠鏡で見たら初期の銀河がまだまだ腐るほどあるらしいから
地球だけオリジナルかもしれないから大切に生きていきたい。おわり 静謐で安寧で白くてボヘーっとしてた
でも実際は生きてたわけだから違うんだろうな。垣間見たものだとしたら面白いが
最近はあれでいいやというかあれがいいやと思えてきた ていうか、
生きたり死んだり、もしかしたら生まれ変わったりする「私」って何なんや? もし「私」と私以外の他の人間たちが平等だとするなら
私にとって他の人間たちが認識できず、したがって存在しないのと同様に
「私」もまた存在しない 結局逃げる事ができたが全てと言えるくらい大きな者に取り込まれそうになった
あれから推察するに死後おそらく個というものは存在しないように思える。記憶を持ちよってひとつに統合されるだけな気がする
皆結局同じ者になり、したがって個の罪や褒美のようなものもない
そんな気はした。楽しい記憶を創れないだけ損だとは思う
だがそれにも逆らいたい 死んで終わりは甘過ぎ
わかるまで何度でもやり直しさせられる 今度生まれ変わったら金持ちの家に生まれたい。輪廻転生や! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています