ハワイの豪邸に住むカルト教祖
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忍びの者からの報告
『なにしろその××なる人物は、自分が主催する団体の集会で「プールつきの豪邸に住んでいる」ことを自慢しているような人物だそうですから。
なんでも、アメリカで長年牧会した教会が買ってくれたものだとかで、本人の代では教会名義だが、次の代には私人名義にするそうで、おかしな話です。
「聖職者がカネをもらって何が悪い!」って、自分の師であり模範ではずのイエス・キリストがそのような生活をしたとでもいうのでしょうか。
父の日やら敬老の日などになると、その集会のスタッフや部下の牧師などから「霊的なお父さん」として崇拝と称揚を受け、拒むこともしないといいます。
そもそも、この人は牧師としてはすでに引退しており、教団を経営しているだけで牧会はしていないのですから、「牧師」を名乗るのはおかしいでしょう。
代表著作と現在更新中のブログのタイトルが「必ず儲かる××ビジネス」。神聖なる聖書を世俗のビジネス本と一緒にするとは、宗教者としての資質が疑われます。
内容はアメリカ仕込みの自己啓発、成功哲学、ビジネスの話ばかり。自身の愛読書も、また頻繁に開催している「読書会」の内容も同様だそうです。
彼の謂うビジネスとは何かというと、団体やセミナーや学校を経営して、献金や学費として多額の金を集めることなんでしょうね。』 忍びの者からの報告その2
その牧師、「日本の教会やクリスチャンは暗い! 固い!」とか言っとるらしい
そのため礼拝でまじめな顔してる人がいると「顔が暗い」と注意を与えるという
キリスト教の礼拝で真剣な表情をしてはいけないとは驚くべきカルトの教えだな
根拠は「日本の教会やクリスチャンは硬くて暗い」なる軽薄極まりない思想だろ
聖書の「霊とまこととをもって礼拝せよ」という記述の本質が理解できてないな
「牧師」を自称しながら伝統的な教会やクリスチャンを攻撃する悪魔の手下ども
伝統的な教団教派を攻撃することで自分たちの存在意義を宣伝したいんだろうが ところで、カルト教祖はどうして日本で自前の教団を立ち上げようなどと思うに至ったのだろうか。
米国で新興拝金主義牧師として名前を上げて豪邸に住んで、それで終わりでよかったのではないか。 アメリカから流入したような新興カルト教団では、
「日本のクリスチャンは暗くて固い!」などとほざいてるのがいるようですな
彼らは牧師を名乗りながら、伝統的な教団教派を攻撃する偽預言者である。 聖書には、「柔和であれ」「寛容であれ」「互いに謙遜を身に着けなさい」
「誰が偉いかと言い合ってはならない」「仕える者であれ」と書いてるあるが、
聖書の教師を自任している「牧師」自らがこれらの戒めを悉く破っている。
これ以上、このような者たちに宗教的権威を独占させ濫用させてはならない。 近年「牧師」などと名乗っている一団の新興カルト宗教家たちの中には、
「日本の教会やクリスチャンは暗くて固い!」などと言っている者がある。
これは米国から流入した賊輩で、日本社会に根差した伝統的な教団教派を、
「形骸化している」「死んでいる」などと激しく攻撃しているのである。
しかし、真剣に礼拝するべきことは、聖書において明確に記されており、
上記のような罵詈雑言を浴びている人々は、極めて正しい人々なのである。
一人の人間が神を礼拝するとき、真剣であるのは当然のことであって、
「明るい」「暗い」などと幼稚園児のような価値観で量るべきではない。
改革などを主張しつつ「日本の教会は暗い!」などと言う「牧師」らは、
伝統的な教会とクリスチャンを攻撃する非常に悪質なカルト宗教家である。
「喜びなさい」と書いてあるからといって真剣な礼拝者を迫害するのは、
聖書の一カ所だけを抜き出して絶対化するカルト宗教の異端の教えである。 牧師なるものは暴言や恫喝で信者を虐げることでプライドを充足させている存在。
特に脱退希望信者などは格好の餌食、狼が羊、ライオンがシマウマを喰らうが如し。
間違ってそういう人間が支配している場所に足を踏み入れてしまって被害に遭った場合、
それといかに戦うか、もしくは、聖書やガンジーなどの無抵抗主義に倣うならば、
理不尽さに対する怒りと口惜しさを捨てていかに早く新天地に脱出するかが鍵となる。 牧師っていうのは傲慢で、自分が大統領より偉いと思っているから。 現代は携帯電話が普及してるので、簡単に官公署への相談や通報ができる。
牧師から変なことをされたり言われたりしたら、その場で110番すればいい。
問題は「教会内でのことは外の世界に訴えてはならない」っていう洗脳と、
「七の七十倍まで赦しなさい」を純真な信者が律儀に実行してしまうこと。
本来「七の七十倍まで」というのはペテロつまり牧師たちが言われたこと。
当の牧師たちがそんなの実行していないのに、信者が実行することはない。 >>2
礼拝で真剣な顔をしているのを執拗に攻撃とは恐れ入ったな
とうていまともなキリスト教牧師とは思えん 逆をいえば、携帯が普及する前のキリスト教会は社会から隔絶された無法地帯。
「牧師」にとっては、信者を洗脳・虐待したい放題の天国状態だったといえる。
携帯電話会社は、信者たちに自己防衛手段を与えたまさに救世主のような存在。
今や携帯電話は、クリスチャンが牧師から身を守るための必需品となっている。
非常に危険なのは、大きな教団などで、外部に電波が通じない場合があること。
隔離された状態を作り出すため、建物自体に妙な細工をしている可能性もある。
それから、あえて携帯を持たないというような、いわゆる牧歌的な自然人状態。
牧師から暴言を浴びるなどして人生を破壊されてから携帯電話を買っても遅い。 基地外カルト牧師
「日本のクリスチャンは暗くて固く魅力がない!
日本の伝統的諸教派は形骸化した死んだ礼拝をささげている!」
クリスチャン
「お前は何を血迷ったことをほざいているのだ。
お前が誹謗中傷した全てのクリスチャンと教会に対して謝罪しろ」 新興プロテスタント世界であまねく流布されている「日本のクリスチャンは暗くて固い!」という教説、
もとをただせば、全部ある牧師の思想と価値観に行きつくように思えるんですが、どうなんでしょうか。
まじめに神様を礼拝しているクリスチャンを攻撃し迫害する、非常に常識外れの教えだと思いますがね。
教会にそんなに営業スマイルが必要だというなら、金でサクラでも雇って笑わせておいたらどうでしょう。
本来日本人は教養が高いので、「明るい」「暗い」なんていう外見上のことなどに関心はないんですが。
聖書にも「人は外見を見るが、神は心を見る」と書いてありますしね。ちゃんと聖書を勉強しましょうよ。
礼拝の時に真剣な表情をしているのは当たり前のことであって、本来ならば褒められてもいいことです。
聖書にも上記のほか「霊とまこととをもって礼拝せよ」(福音書)とあり、真剣な礼拝が推奨されています。
教会でまじめな顔をしている人というのは、何にも責められるような悪いことなんかしていないんですよ。
しかも、数年にわたりその人と会うたびごとに何度もとなると、これはもう嫌がらせと迫害の領域です。
1、2度ならまだしも、自分の思い通りになるまで執拗に繰り返すのは、粘着性の悪質な人格攻撃です。
新興プロテスタント業界はこんな間違った教えに基づいて人を扱っているんですね。実に困ったものです。 プロテスタント教会で被害に遭ってる人というのは、
「免罪符を販売したカトリックとは違ってプロテスタントは金にクリーン」
「教会や教皇・司祭の権威主義を排して、神の前にみんな対等を実践しています」
というイメージ戦略に騙されて入信させられてしまっているわけだが、
少なくとも現代日本のプロテスタントでは、高額献金の恐喝もあるし、
個々の教団の教祖や幹部の牧師が教皇並みの権力を持ってしまっている。
そしてその「牧師」たちの権力によってさまざまな被害が生じている。
上のほうにある通り、これからは
「牧師から暴言や虐待を受けたら、すぐその場で携帯で通報!」
をカルト対策の合言葉にするべき。 弟子訓練っていうのがあって、それを受けてる信徒を「訓練生」という。
別名を「献身者」ともいって、牧師への絶対服従を義務付けられた人たち。
牧師の逆鱗に触れると暴言や恫喝、脅迫まがいの扱いを受けることもある。
古典的には献身者といえば神学生のことだけど、近年は拡大されている。
これらに共通なのは、度を越した支配体系、牧師の権威主義、権力濫用。
徒弟制度、丁稚奉公、えた避妊のような扱いを受けたという被害者多数。 弟子訓練、ディボーション、セル制度は教会カルト化の三種の神器。
もっともこれは序の口で、実際には他にもいろいろとあるのだが。
これら全て、「牧師」の権力濫用という病理に起因しているといえる。
今回の判決は暴言という牧師の聖域にまで踏み込んだ画期的な判決。
これを機会に、牧師の不祥事の新聞報道が増加することが望まれる。
今回のことは氷山の一角であり、隠れた被害者が多数いるのだから。 「牧師」とは、暴言を吐き、権力を濫用し、信徒を虐待し傷つける悪質な存在である。
律儀な信徒は極限まで我慢をし、「七の七十倍まで赦」すように努力してしまうが、
本来ならば、この「七の七十倍まで赦す」ということは牧師がやるべきことである。
「敵を愛しなさい」「七の七十倍まで赦せ」「下着をとる者には上着まで与えよ」
「右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ」「教会内のことを世俗に訴えてはならない」
などと洗脳され、何があっても一切抵抗できない状態にまで信者は飼い馴らされる。
一方「牧師」たちは聖書の言葉通りになど行動する必要がないという特権階級にあり、
宗教的権威に依拠して人としての信義則なども無視することができる強い立場にある。
従って「牧師」の暴言や権力濫用により傷を受けたり葬り去られた被害者は数多い。
結論としては、「牧師」と称する者から暴言や恫喝その他の不当な扱いを受けたら、
何の躊躇もなく即座に携帯電話で公的機関に相談もしくは通報を行うべきことである。
いったん我慢してしまうと、傷も深くなり、証拠も散逸し、解決は望めなくなる。 「牧師」を名乗る者が、その地位と権威を濫用して信者を恫喝したり、
途方もない暴言や暴行を働くという事件が頻発しニュースになっているが、
その舞台の多くは、「単立教会」や、超教派と称する私的団体である。
また、団体組織でも個別教会の独立自治を標榜するところは危険である。
「超教派」集会なるものは、私的な教団を建設するための隠れ蓑である。
「超教派」と称して人を集め、それを自分の教団に変質させていくのである。
「超教派」をいうならば公器に徹し、教祖は権威を濫用してはならない。
それが実際には、教祖が名をあげ支配拡大するための組織になっている。
そうした教団の教祖らはマスコミを利用し、自らを有名人に仕立て上げる。
カルト教祖らをチヤホヤとし、御用新聞に成り果てたところもあるという。
そういった所は、教祖や側近幹部が重大な不祥事を起こしても報道しない。
マスコミに必要な中立性、公平性、チェック機能を失っているのである。
キリスト教会のカルト化は、伝統的な諸教団では確率として起こりにくい。
一定のチェック機能が働き、悪質な偽牧師は淘汰されやすいからである。
単立教会や、超教派を標榜する新興カルト団体には注意するべきである。
教祖個人が神のように崇められ、信徒は人間として扱われない虞がある。 問題は大量にリアルタイムで起こっているんだけど、表面化していないだけ。
「赦しなさい」「敵を愛しなさい」「訴えてはならない」等の言葉で洗脳され、
教会内の問題、特に牧師による虐待案件を表に出せないように統制されている。
後になって耐えられなくなったり、被害の大きさに気づいて訴えようとしても、
一度泣き寝入りをした後なので証拠も散逸していて、証明が難しくなっている。
対処方法としては、被害を受けたらオンタイムで公的機関に通報することです。 豪邸に住んで権勢を謳歌してる牧師なんていらないと思うよ、本当に 「右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ」「下着をとる者には上着まで与えよ」
「汝を迫害する者のために祈れ」「一里行かせようとする者とは二里共に行け」
なんてことができる位だから、被害者の方々は元々は強くて勇気のある人たち。
問題はその強さが、無制限の自己犠牲という方向に向けられてしまっていること。
こういう外的に課せられた無抵抗主義は結局のところ被害の拡大にしかならない。
結果として、悪の権化であり加害者である「牧師」たちに付け込まれてしまう。
今は携帯電話が普及しているから、被害に遭っている現場で電話することが可能。
「七の七十倍赦せ」なんて牧師が実行していない掟を信徒が実行する必要はない。
迅速な相談・通報で被害を未然に防ぎ又は最低限にとどめ、牧師に対抗するべき。 >>1
>プールつきの豪邸に住んでいる
税金はちゃんと納めてるのか? 「聖書はビジネスと深いつながりがあります!」というのはカルト教祖の口癖
それで会社経営者などの歓心を買って、教団への寄付を募ろうというんだろう
新興宗教は金がかかるから、スポンサーを見つけないとやっていけないからな
独自の集金手段のほかに金蔓(タニマチ)を作っておく必要があるというわけ ディボーション、セル制度、弟子訓練、什一献金は、制度として表れるカルト化のしるしですね。
アメリカにかぶれて、日本語に訳せもしない運動を有り難がるのは思考停止の表れでしょう。
(弟子訓練・什一献金については語りつくされた感があるので敢えて触れないことにしますが)
ムーブメントやカリキュラムではなく、礼拝と生活が信仰の中心であることに立ち返るべきですね。
さらに言えば、放送やブログを過度に宣伝利用する教会や牧師にはよくよく注意が必要です。
個人のブログや動画ばかりか、キリスト教マスコミまで利用されていたケースも多いようです。
独裁政権の政治的なプロパガンダ同様、宣伝ツールでは真実が隠蔽されることが殆どです。
宗教団体のコマーシャルに踊らされて、不良品をつかまされないようにしなければなりません。 ディボーション、セル制度、弟子訓練、什一献金は、制度として表れるカルト化のしるしですね。
アメリカにかぶれて、日本語に訳せもしない運動を有り難がるのは思考停止の表れでしょう。
(弟子訓練・什一献金については語りつくされた感があるので敢えて触れないことにしますが)
ムーブメントやカリキュラムではなく、礼拝と生活が信仰の中心であることに立ち返るべきですね。
さらに言えば、放送やブログを過度に宣伝利用する教会や牧師にはよくよく注意が必要です。
個人のブログや動画ばかりか、キリスト教マスコミまで利用されていたケースも多いようです。
独裁政権の政治的なプロパガンダ同様、宣伝ツールでは真実が隠蔽されることが殆どです。
宗教団体のコマーシャルに踊らされて、不良品をつかまされないようにしなければなりません。 ディボーション、セル制度、弟子訓練、創造理論、ホームスクール…。
この二十年、アメリカからいろんなムーブメントが入ってきましたね。
それまで日本のキリスト教会は礼拝を中心とし健全であったのですが、
これらの影響を受けて以降は、カルト化の流れが加速したようです。
聖書に対する理解も倫理的な側面からとらえる向きが強かったはずが、
思考を捨てて原理主義的に一字一句を信じることのみが信仰とされ、
結果として日常生活に支障をきたすような指導がなされるようになり、
「牧師」たちはモーセの座に君臨し、信者らを支配するようになりました。
公立学校は進化論を教えているから危険であると教えているとすれば、
もはや原理主義、根本主義、教条主義が世を乱しているといえましょう。
もちろん彼らの思想的背景は、逐語霊感説に基づく聖書無謬説です。
これによって、七日間創造を否定する学校教育は敵視されるに至りました。 教会から人が去って行くのは、牧師の行いなど教会に問題があるからです。
人が出て行くのが嫌か否かに関わらず、反省してやり方を変えなければなりません。
ある種の牧師たちのように、
「教会は正しいことをしているのだから、それで人が出て行くのもやむを得ない」
と開き直ったり、
「教会を出て行くのは古い生き方をやめないからだ」などと暴言を吐くのも誤りです。
日本のキリスト教界は、誤った教会無謬説、牧師無謬説がはびこっているようです。
だから裁判が起こるのですし、裁判になっていない多くの問題があるのですね。
「自分は悪くない。去って行った信徒たちにこそ問題があり、責任がある」
この思考回路こそ、まさに信者を虐待する権力濫用カルト牧師たちの共通項ですね。
実に多くの偽牧師たちが、とんでもない暴言を発して信者たちを傷つけているようです。
まさに人としておかしいですし、牧師以前に人間としても失格というべきでしょうね。
もう「牧師」と名乗っているものを信用できる時代は永遠に過ぎ去ってしまったようです。 「日本のクリスチャンは暗くて固い」
「既存の教会は死んだ礼拝をささげている」
これこそクリスチャンを迫害し教会を破壊する偽牧師の教えである お知らせ
市原警察署の生活安全課の帰化人創価警官の指導の元、
入学式から2週間ほど、在日の創価学会員を主体とした自称防犯パトロールが、
2週間ほど行われることになりました
生活安全課の指導であることと、パトロールであることは、
絶対に公言してはいけないとの指導も、帰化人創価警官より出ています
期間中は2人組の在日の創価学会員が、頻繁に創価批判者の自宅周辺を、
うろつき回ると思われます
日本人の方は、充分に注意してください 牧師の牧師
偉大なる大伝道者
和製チョーヨンギ
霊的な父 他人を「ストーンフェイス」などと馬鹿にして悦に入っているそうだ >>4
そりゃあ学長とか理事長って名乗りたいからだろ 「顔が暗い=心が暗い・悪い・汚い」という超絶論理と、
「顔が暗い日本人を米国ではストーンフェイスという」という
とうてい牧師とは思えない差別表現満載のブログ内容はこちら↓
http://y-nakano.sblo.jp/article/64071949.html
http://y-nakano.sblo.jp/article/59960328.html
この「牧師」にかかると礼拝時に真剣な表情をしている人々は
「顔が暗い」「心が汚い」「ストーンフェイス」ということになる プールつき豪邸とやらで悠々自適に暮らしていればいいのにな
どうせ日本に来ると気分が沈むらしいから >>57
>日本の男性は、顔の暗い人、石の顔(ストンフェイス)のような人が多いとアメリカ人はよく言います
そんなこと言われて抗議しないほうがどうかしている 羽田に着くと気分が暗くなる?
日本民族に対する侮辱だな >>61
成田じゃなかったっけ
「アメリカから飛行機で成田に着くと、とたんに気が重くなるのは、
私ばかりではなく多くの外国に住む人が異口同音に言う言葉です」
http://y-nakano.sblo.jp/article/59960328.html >>63
来なけりゃいいだろうにな
ハワイで豪邸に住んどるらしいし 「日本の男性は、顔の暗い人、石の顔(ストンフェイス)のような人が多いとアメリカ人はよく言います」
http://y-nakano.sblo.jp/article/59960328.html
こんな差別発言する奴が牧師とはな イエス・キリストとは反対の価値観を持つ者が牧師を名乗っている。 【危険度の高いカルト教会の主要な特徴】
・正統的、聖書的、福音的、福音主義、聖書主義を標榜
・自称牧師が韓国人カルト教祖を尊敬している
・説教で「日本がアジアで犯した罪」という
・悪魔悪霊の話、弟子訓練、セルグループがある
・異言、ディボーション、リバイバル、聖霊様、牧師先生という
・什一献金強制、焼香拒否推奨、日曜は労働禁止
・聖書は新改訳で、一字一句間違いない神の言葉という
・聖書の全記述を史実と主張、進化論を否定し義務教育を拒否する 追加
・「日本の伝統的な教会やクリスチャンは暗くて硬い」という
・「既存の教団教派は形骸化した死んだ礼拝をささげている」という
・「日本のクリスチャンは顔が暗くてストーンフェイス」という
・「聖書はビジネスや成功哲学や自己啓発と深い繋がりがある」という
・「例えどんなことがあっても教会を非難してはいけない」という
・「油注がれた主のしもべである牧師に逆らってはならない」という
・「世俗の法律よりも神様の法律のほうが優先されるべき」という 「日本人はストーンフェイスだとアメリカ人はよく言います」
この寝言の中に含まれている問題性を以下に列挙する。
・日本人が侮辱されているのに抗議もせずに引き下がっている
・しかもその日本人侮辱発言を支持し日本で流布している
・そもそもどのアメリカ人がそんなことを言っているのか不明
・自分の考えを架空のアメリカ人に仮託している可能性がある
・他人様の顔を「石の顔」だなどとは人権侵害に他ならない
・生きている人の顔を「石の顔」とは大変な差別表現である
・日本人に対する批判精神のみで、教祖の人格が窺い知れる 牧師ってのは威張ることに決まってるんだよな
旧約時代の預言者とかを模範にしてるから 米国帰りでカルト教団を運営する暴虐ワンマン独裁カルト牧師が、
「硬くて暗い」だの「ストーンフェイス」だのと罵詈雑言を弄して
執拗に日本人クリスチャンを非難しているのはどういうわけかね?
神への礼拝時に真剣な表情をしているのは至極当然のことだろう?
「牧師」を名乗る者が何のためにクリスチャンを攻撃するのか?
全くもって教会を荒らす反キリストの仕業にしか思えないのだが。 >>7
教訓として言えば、いかにキリスト教と銘打ってある団体であったとしても、
正統的・伝統的な教派と同じ価値観を持ってるとは限らないということだね。
やたらと「日本の教会やクリスチャンは硬くて暗い!」なんて繰り返したり、
他にも「伝統的な教団教派は形骸化した死んだ礼拝をささげている」だとか、
「日本人クリスチャンは石の顔(ストンフェイス)のような人が多い」とか、
「成田空港に降り立つと気分が悪くなります」なんておかしな主張をして、
日本の教会や教団教派のクリスチャンを異常に攻撃してるのもいるからね。 礼拝の時に顔が暗いのが駄目だなんて思想はカルト的なものだわな
神聖な場所での神への祈りにおいて真剣な顔はごく当然のものだし
子供だって宗教的な感情を理解してれば礼拝では厳粛な表情になる
ましてや大人になればいろいろと深い感情や思いもあるはずだしね
教会で真面目な表情しちゃいかんという発想自体が極めて不適切だ
「ストーンフェイス」だなんて差別的侮辱表現まで使ってやがるし チキンのたびたび山旅自転車旅
ガイジの時系列
U字とワイヤーを持っているにも関わらず鍵をかけないで自転車盗まれた
池沼くんchicken(http://i.imgur.com/Dnoh5HV.png)が発狂する
↓
ツイートやFacebookやブログなどで無駄でバカな記事を書いて必死にアピール
http://twitter.com/takashijfjkr
http://chicken-explorer.com/2017/10/06/tounanbike/
現実ではビラを配り押し付け人に迷惑をかける
↓
あまりの情けなさやアホな行動っぷりにネットで叩かれるが、それを知って逆切れし荒らす
↓
盗まれた自転車は成仏していて供養されていたのだ ←今ここ
chicken@takashijfjkrくんのポンコツ
http://i.imgur.com/zbADIAl.jpg
このポンコツがこうなる↓
http://i.imgur.com/9IkPVCP.jpg 海外生活やりほうだいのネットお得情報とか
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