小学生の時、親が共働きで放課後家帰ってもまだ親が帰ってないから
学童クラブにいたんだが、そこに知的障害のA君がいたわけ。
みんなから「Aちゃん」とよばれ、親しまれていたし身長が高くてスポーツが出来たから
俺も良く休み時間はキックベースを一緒にしていた。
Aちゃんはマツケンサンバが大好きで良く歌いながら踊ってた。
当時は俺やみんなは純粋で障害の事をあまり意識してなかったし一緒に楽しく踊って
たからある意味マツケンサンバはクラブのテーマソング的な感じになってた。
Aちゃんはクラブのムードメーカーだった。本当にいい奴だった。
怒らないしスポーツはできるし、たどたどしいけど会話もできる。
お母さんも基地外じゃなくて本当にいい人だった。
障害も軽度だったし無害タイプだったと思うよ。
俺や他の奴らは小3までだったけど彼は障害者だったこともあり小6までクラブに入っていた。
それから月日は流れ高3の始め、
地元が練馬だったから近所の池袋まで
よくパルコのケリーズラボに行ってた。
その日も行こうと思っていて、
最寄りの駅まで行こうとしてた。
その手前にあるセブンでジュースでも買おうとして
店に入ったら、いたんだよAちゃんが。
正直嬉しくてたまんなかった。
マツケンサンバの話をしようと思ってた。
けど、隣にいるお母さんを目にした途端、
声をかけるのを躊躇したわけ。
急に考えさせられたワケ、
だってさ、Aちゃんは一向に変わってないわけ。
あのAちゃんだったの、あの頃のままの。
でも俺は何不自由なく、中学の時は内申21のクソごみが高校に入学までできて
おまけに高3まで進級できて、
大学までもう指定校推薦できることにもなってたわけ。
それ考えたら、何か無性に泣きたくなって、
あの親子はあの時からずっと変わってないんだよ。
もしAちゃんに障害がなかったら、
俺よりも頭が良くて
まじめで
勉強もできて
スポーツはできたのは知ってるから
きっと文武両道なAちゃんになっていただろうに
なんでこの世は不公平なんだって思って
遊びに行くのやめて家路についた。
そんで自分の部屋で泣いた。
その時から自分は恵まれてるんだって思った。
いままで散々バカやった俺だけど、
まじめに謙虚に人の役に立ち生きて行こうと思った。

でも、今じゃそんなこと忘れて何かに取りつかれたように
池沼コピペみて笑ってる。