女って男性より劣っていて惨めな生き物だよな
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体力や知力を初めあらゆる面で男性に劣る。
そして現実では男性に勝てないことが奴ら自身も内心理解しているから、
妄想の世界で女を男性より上位にもっていこうとしたりする。
お前ら雌ゴミ共って自殺したくならねえの?wwwwwwwwwwwwwwwww こんなスレ立ててマウント取ったつもりでいる雄ダッサ(笑) デカ チンの上にイケメンテクニシャンすぎて
一度でもセク ロスすると
何度も何度もセク ロスをおねだりされて
全員に断るの マンドクセェ(;´・ω・)
これは罪か、それとも罰か。 「灼熱通勤」の思い出 都会でも日常だった冷房のない電車 懐かしいけど戻りたくない…
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200815-00010004-norimono-bus_all
8/15(土) 16:11配信
■渋谷ハチ公前にいた青ガエル 現役時代は非冷房車
2020年8月3日(月)、東京の渋谷駅ハチ公前広場から「青ガエル」こと東急旧5000系電車の5001号車(デハ5001)
が搬出され、8月6日(木)に秋田県大館市の観光交流施設「秋田犬の里」に設置されました。
旧5000系は丸みを帯びた車体とタレ目に見える先頭車の顔つきで、愛嬌のある姿をしています。
渋谷駅では観光案内所や待ち合わせ場所として、鉄道ファンだけではなく、多くの人々に親しまれました。
しかし筆者(杉山淳一:鉄道ライター)にとって現役時代の旧5000系は嫌いな車両でした。
なぜなら「暑かったから」。旧5000系は冷房を搭載していませんでした。
旧5000系が大井町線(当時は田園都市線)の主力車種だった1980年代、筆者は高校通学で乗っていました。
梅雨どきや夏休み前、プラットホームで列車を待っていて緑色の電車がやってくると
「ハズレた! 銀色の8000系電車や8500系電車なら冷房付きで涼しいのに……」と思ったものです。
鉄道ファンとして旧5000系の功績は知っています。しかし暑がりな利用者としてこの電車は苦手でした。
大井町線の利用者の多くが同じ気持ちだったと思います。
東急電鉄の冷房車は1971(昭和46)年から。8000系の一部に冷房装置が搭載されはじめました。
しかし冷房車両の運行本数は少なかったと記憶しています。2本くらい待っても冷房車が来なくて、
しかたなく3本目に乗って遅刻ギリギリ、という思い出もあります。
■詰襟に汗がたまる… 車内で涼しいのは連結部…
自由が丘駅(東京都目黒区)で東横線に乗り換えても、冷房車に当たれば幸運という時代でした。
しかし渋谷駅で地下鉄銀座線に乗り換えると、こちらは全車が非冷房でした。高校の制服は詰襟だったため、
開襟シャツが許される時期の前後は襟に汗がたまるほどの暑さでした。
東急で最後に冷房化された路線は世田谷線です。緑色の150形電車はずっと非冷房でした。
筆者は新入社員時代の半年間、世田谷線の世田谷駅のそばに住んでいました。 蒸し暑く、混み合う車内で汗をダラダラ垂らして通勤しました。
電車の連結部の窓から吹き込む風が一番強く、その場所を目指して乗り込みました。
三軒茶屋駅(東京都世田谷区)で新玉川線(現・田園都市線)に乗り換えるとホッとしたものです。
東急電鉄の電車の冷房化100%達成は2001(平成13)年のことです。
首都圏では1990(平成2)年頃まで非冷房車がたくさん走っていました。国鉄(現・JR東日本)の電車も
非冷房車が多かったと記憶しています。ちなみに「通勤地獄」と呼ばれた時代は1960年代後半です。
乗車率300%の大混雑は冷房車がない頃でした。夏は灼熱地獄だったと言えそうです。
■数字で見る通勤電車の冷房化 山手線での冷房車の見分け方とは
通勤電車の冷房車は1968(昭和43)年に京王井の頭線で導入されました。国鉄では1970(昭和45)年に山手線
で初登場しました。山手線の冷房化率は1974(昭和49)年に31%、1978(昭和53)年に54%と過半数になり、
1982(昭和57)年に76%まで上昇しています。運転室付近の3両か4両が冷房車で、中間車は非冷房という編成
もありました。103系電車のうち、運転台窓が高い後期形は冷房付き、そんな見分け方でした。
山手線の冷房化率100%は、全編成が205系電車に置き換わった1988(昭和63)年頃と思われます。
一方の地下鉄は開業当初、「地下トンネルは夏に涼しく冬に暖かい」という触れ込みでした。
電車はすべて非冷房でした。しかし、その神話は高度経済成長が崩しました。
都会の気温が上がり、乗客の増加に合わせて電車を増発し「熱源」が増えたためです。
『Tokyo Metro News Letter』第69号(2017年8月)は東京メトロにおける冷房化の歴史を紹介しています。
1964(昭和39)年に日比谷線が開業した頃から地下鉄内の気温と湿度が上昇傾向と判明し、対策の検討が
始まりました。まずは駅の冷房化に着手。1971(昭和46)年に銀座駅と日本橋駅で冷凍機を使った冷房装置
が稼働し、33度だった駅構内の温度が24度まで下がったそうです。 ■トンネル内を冷房した営団地下鉄 今は?
トンネル内冷房も同時に実施されました。銀座線の稲荷町〜上野間で、トンネルにパイプを巡らせて、
8度の冷却水を循環させる方式です。その後、採用路線は増えていきました。車両の冷房化が進まなかった
主な理由は、消費電力が大きくなるからでした。しかし、省エネルギー車両の開発により冷房装置を稼働
させる方針となって以降、トンネル内冷房は終了しているとのことです。
営団地下鉄(現・東京メトロ)は、1988(昭和63)年から日比谷線、東西線、千代田線、有楽町線、半蔵門線
で冷房車両を導入し、1990(平成2)年から銀座線、丸ノ内線にも冷房車両を導入します。
1988年に11%だった冷房化率はその後、順調に上がり、1996(平成8)年、ついに冷房化率100%を達成します。
これは営団車両の実績で、相互直通運転先の車両は1988年に30%、1996年に100%になりました。
当初は直通相手がリード、しかしゴールは一緒。まるで同じ目標に向けて力を合わせたような推移です。
■熊本で青ガエルに再会 懐かしいけど暑かった
青ガエルこと東急旧5000系は、熊本電鉄で2016(平成28)年まで営業運行していました。筆者は2008(平成20)
年の夏に乗車。懐かしく思いましたが、やはり8月の熊本は暑いものでした。車内には「冷房装置を取り付け
たかったけど車体強度が足りなくてできません」という内容の掲示がなされていました。最後まで走った
青ガエルの引退は寂しいですが、沿線の人々は冷房車への置き換えでうれしかったのではないかと思います。
当たり前だった非冷房車。その暑さも懐かしい思い出です。しかし、もう冷房車のない時代には戻れません。
蒸し暑い電車は思い出だけで十分です。
杉山淳一(鉄道ライター) JR品川駅8番線の「臨時ホーム」なぜ存在? かつて上越方面に向かった特急列車も
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200814-00010003-norimono-l13
8/14(金) 16:12配信
■「京浜急行線」計画の名残 旅客を上野駅や東京駅から分散させたことも
2015年の上野東京ラインの開業後、常磐線の電車は品川駅まで乗り入れるようになり、
新たに9・10・11番線が常磐線用の発着ホームとして活用されるようになりました。
しかし9番線の隣である8番線は「臨時ホーム」と案内されており、定期列車の発着はありません。
実は上野東京ラインの開業以前から7〜10番線は定期列車の発着がない臨時ホームとして使われていました。
もともとこれらのホームは戦前に、横須賀線と京浜東北線の急行列車「京浜急行線」を走らせるため
に造られたものですが、第二次世界大戦に突入し、京浜急行線の計画は頓挫。残ってしまったホームは
1960年代から1970年代にかけて、多客時に臨時列車を発着させるために活用されました。
たとえば東京駅や上野駅が列車で満杯の際、ホームに余裕のある品川駅発の臨時列車を仕立て、
帰省客が上野駅や東京駅に集中しないようにしていました。東海道本線の列車だけでなく、現在の
上野東京ラインに相当する路線を経由して、上越線方面の臨時列車も設定されたことがあります。
■「大垣夜行」などの臨時列車が発着 イベントに活用されることも
東北新幹線の工事が始まり、品川駅から東北方面の線路が分断された後も、夜行急行「銀河52号」
のように品川駅到着の臨時列車が設定されました。ほかにも夜行快速「ムーンライトながら」の前身
である大垣行きの夜行が混雑する時期は品川始発の救済臨時列車が設定されるなど、ホームの余裕を
存分に活用していました。
JRになってからは空いている臨時ホームを利用して、新型車両のお披露目や鉄道イベントなどが開催
されたこともあります。また列車の運用面でも、ダイヤが乱れ東京駅が満杯になってしまったときに、
品川駅8番線を活用することで列車の渋滞を多少なりとも緩和するといった役割も果たします。 たとえば寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」は東京駅到着が7時08分ですが、遅延して到着時刻が
ラッシュ時間帯と重なりそうな場合は、品川駅の8番線に入線し運転を打ち切るといった措置が
取られることがあります。
このように普段は列車の発着がない臨時ホームですが、いざというときにはなくてはならない
ホームへと「変身」するのです。
児山 計(鉄道ライター) 菅田将暉の本名に驚きの声「インパクトすごい」「意外だった」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200815-00010000-musicv-ent
8/15(土) 8:38配信
俳優で歌手の菅田将暉が14日、TBS系『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』に出演。
自身の本名を明かし、中居やネット上を驚かせた。
この日の放送にゲスト出演した菅田。
キャリアの中では「菅田将暉」として活動してきたが、本来の自身との違和感も抱えていたという。
「菅田将暉」は本名ではないといい、中居は「聞いていい?」と確認。
これに菅田は「『すごうたいしょう』って言います」と答えると、
中居は「たいしょう? 嘘ー」と驚きの声を挙げた。
「ちょっと嬉しいな」という菅田は、自身の名前が「菅生大将」であることを説明。
中居は「大将顔じゃないもんね」と応じた。
地元の友人からは「大将」と呼ばれているという菅田。
自身は本名と話す中居は、「相談するの? 芸名って…」と質問した。
菅田は「突然、決められました」といい、当初のマネージャーが姓名判断などをおこない、
10個ほどの候補の中で、そのマネージャーが「これが光って見えた」という名前が「菅田将暉」だったという。
中居は「変な話、聞いてもいいですか」と興味津々な様子で菅田に切り込み、好きな女性が出来た際、
菅田くん→将暉くん→大将になる流れがどうなるのかを突き詰めた。
菅田は「核、突いてきますね」と中居の質問に感嘆しつつ、
「菅田将暉というものが、どこか仕事のネーム。プライベートで会う段階で『菅田将暉』とは思っていない」
とし、仲良くなりたいと思う人には最初の段階から自身の本名を明かしていることを語っていた。
菅田の本名が「菅生大将」だったことは、ネット上でも大きな反響を呼び、「インパクトすごい」
「大将ってかっこいい」「大将って名前は意外だった」などと驚きの声も見られている。 学校はない「西武池袋線・大泉学園」に訪日外国人が殺到のワケ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200815-00028302-gonline-bus_all
8/15(土) 14:01配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、西武鉄道池袋線の「大泉学園」。
■学校はないのに、なぜ「大泉学園」なのか?
「大泉学園」は東京都練馬区に位置する、西武鉄道池袋線の駅です。1日の乗降客数は8.7万人強。
電車の発車メロディには『銀河鉄道999』が採用されています。
大泉学園は古くからの高級住宅地として知られ、以前は「社長の多く住む街」として名を馳せました。
現在は「社長が住む街ランキング」の上位には入っていませんが、大泉学園町など大泉学園エリアの
大部分が、都市計画法上の風致地区に指定され、美しい街並みが保たれています。
そんな「大泉学園」。駅名を聞いて、「大泉学園という学校は、どこにあるのだろうか」と地図を
くまなく探した人もいるのではないでしょうか。
都内近郊には、小田急小田原線「成城学園前」や「玉川学園前」、京王電鉄京王線「明大前」や
井の頭線「駒場東大前」、東急電鉄田園都市線「駒沢大学」(大学名は駒澤大学)、東武鉄道伊勢崎線
「獨協大学前」など、大学名を冠とした駅名が多く見られます。さらに東急電鉄東横線「学芸大学」
「都立大学」など、かつてその地に存在した学校名がそのまま駅名に使われている例もあります。
西武線沿線にも、かつて存在した、東京府立中野高等家政女学校に由来する「都立家政」や
一橋大学小平分校(現、小平国際キャンパス)に由来する「一橋学園」などがあります。
こうして見ていくと「大泉学園」にも駅名と同じ学校が近くにあるのでは、と考えることは自然なことです。
確かに、かつて都立大泉学園高校(2005年閉校)があったり、いまでも公立の中高一貫校、東京都立
大泉高等学校・附属中学校があったりしますが、これらは駅名に由来し学校名がつけられたもの。 やはり「なぜ大泉学園という駅名になったのか」、疑問は残ったままです。
その歴史を紐解いていくと、関東大震災のころまでさかのぼります。大震災では、東京の下町が
焼け野原と化し、人々の郊外への移住が進みました。そこに目をつけたのが、西武グループの創始者、堤康次郎です。
国土計画(後のコクド)の前身である箱根土地は、震災後、「大泉学園」駅北口から数キロほど離れた練馬区
から埼玉県新座市にかけての土地を購入。「大泉学園都市」として分譲を開始します。
学園都市としたのは、移転先を探していた一橋大学の前身、東京商科大学の誘致を試みていたからです。
大学の存在で文化的な要素をプラスし、街のイメージを高めようと考えたのです。しかし、東京商科大学
の移転先は現在の国立市になり、誘致計画は頓挫。分譲時の学園都市という名だけが残る結果になったのです。
■日本のアニメーションは、ここ大泉学園から始まった
駅名の謎が解けたところで、駅周辺の様子を見ていきましょう。
駅前は北口、南口、双方にペデストリアンデッキがあり、周辺の商業ビルや高層マンションにアクセスができます。
北口に直結するのは、2015年、再開発で誕生した複合施設「リズモ大泉学園」。100m弱のタワーマンションと商業施設
「Grand Emio大泉学園」からなる複合施設で、商業施設内には、スーパーや書店など、日常使いに便利な28のショップが展開しています。
南口には北口に先立つこと2002年。再開発によって、「練馬区立大泉学園ゆめりあホール」などが入る再開発ビル
「ゆめりあ」や、商業施設「ゆめりあフェンテ」がオープンしました。この商業施設にもスーパーやドラッグストア、
100円ショップなど、さまざまなショップが揃っています。
また現在はコロナ禍で様相も一変しましたが、以前は駅前で外国人観光客の姿をよく見かけました。
「なぜ、こんなところに?」と思うでしょうが、そのヒントは、前出の電車の発車ベルにあります。
駅と「リズモ大泉学園」を結ぶペデストリアンデッキは「大泉アニメゲート」と呼ばれ、アトム(『鉄腕アトム』)、
メーテルや星野鉄郎(『銀河鉄道999』)矢吹丈(『あしたのジョー』、ラム(『うる星やつら』)など、誰もが
知っているアニメのキャラクターの等身大の銅像が設置されています。 実は大泉学園は「ジャパンアニメーションの発祥の地」で、アニメファンの聖地。ジャパニーズアニメの人気により、
外国人観光客の来街が増えていたのです。
さかのぼること、1958年。東大泉にあった「東映動画」(現在の東映アニメーション)で、日本で初めて、カラー
長編アニメ「白蛇伝」が製作されました。この東映映画には宮崎駿さんや高畑勲さんなど、日本のアニメーション
のレジェンドが集まって作品を作っていたといいます。現在、東映アニメーション大泉スタジオ敷地内には
「東映アニメーションミュージアム」がオープン。海外のアニメファンも訪れる、人気のスポットとなっています。
またアニメに所縁の深い大泉学園は、地域が一丸となって『銀河鉄道999』で街おこしが行われています。
作者の松本零士さんは練馬区在住で、練馬区名誉区民。地域活性化の活動にも積極的に協力をしているそう。
前出の通り「大泉学園」電車の発車ベルは『銀河鉄道999』を採用。アニメの車掌さんは「大泉学園」駅の
名誉駅長に任命されています。さらに東大泉商栄会、通称、ゆめーてる商店会のオリジナルキャラクター
「ゆめーてるちゃん」は、松本零士さんによるもので「地元のために」と版権を無償で提供。
さまざまなシーンで「ゆめーてるちゃん」は活躍し、大泉学園を盛り上げてくれています。
■家賃水準も、買い物も、飲食も、長所しか見当たらない
高級住宅地であり、日本のアニメの聖地である「大泉学園」は単身の会社員の居住地としてはどうでしょうか。
駅周辺の家賃相場を見ていきます。駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は6.83万円、11分を超えると5.65万円
(図表1)。同条件の東京都練馬区の家賃水準は、駅10分圏内6.33万円、11分を超えると5.77万円。「大泉学園」
駅周辺の家賃相場は、駅チカで区平均を上回り、駅から離れると、区の平均を若干下回ります。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、25〜29歳で
27.5万円、30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、そこから住民税や所得税
などを差し引いた手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。 「大泉学園」駅周辺の家賃相場は、20代会社員でも十分検討できる水準です。大手検索ポータルサイトで、
20代会社員の適正家賃内、徒歩10分圏内を条件で検索してみると、それほど多くはありませんが、単身者向け
物件がヒットします。そのうち1割強が、新築含む、築5年以内の築浅物件。オートロック、浴室乾燥機、
独立洗面台など、今どきの賃貸ニーズに応える物件が見つかります。
交通面は、どうでしょうか。「池袋」18分、「新宿三丁目」27分、「渋谷」35分、「飯田橋」35分、「大手町」42分
(所要時間は「大泉学園」を平日8時に出発した場合の目安)。「大泉学園」は、西武池袋線単体の駅ですが、
その西武池袋線は東京メトロ副都心線や有楽町線と直通運転を行っているので、多方面にアクセスできるのが、
ポイントです。また「吉祥寺」方面など、バス便も多いのも魅力です。
次に買い物環境を見ていきます。駅周辺には「三浦屋 」「ライフエクストラ」「アコレ」などスーパーが充実。
また大手ドラッグストアチェーン店も多いので、最寄り品の購入で困ることはありません。また駅周辺の商業施設
にも、書店や雑貨、ファッションなど、日常使いに便利なショップが揃い、徒歩15分ほど、東映東京撮影所敷地内
にあるショッピングセンター「プラッツ大泉」には、「ユニクロ」や「無印良品」などの人気のショップも。
大泉学園の街だけで、日常の買い物は、ある程度済ませることができるでしょう。
飲食店はどうでしょうか。駅周辺にはファストフードやファミレス、牛丼店、定食店など、お馴染みの大手飲食
チェーン店が充実。また商店街には地元密着の飲食店も多く、バリエーション豊か。毎回外食という人でも、
困ることのないほど充実しています。
高級住宅地として知られていた「大泉学園」。駅周辺は、買い物環境も良好で、飲食店も豊富、家賃相場も会社員に優しい水準です。
23区の際にある街なので、都心まではそれなりに時間はかかりますが、乗換なしでアクセスすることもできます。
良好な住環境から、ファミリー層に人気の街ですが、単身者にとっても利便性の高さはなかなかのもの。
アニメ押しで頑張っていますが、ファンでなくても自然と楽しくなれる街です。
GGO編集部 東武伊勢崎線「梅島」…足立区でも治安は良い、は本当か?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200816-00028369-gonline-bus_all
8/16(日) 11:01配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは東武鉄道伊勢崎線の「梅島」。
■地域の努力で治安改善…足立区はキケンは昔の話
「梅島」は東京都足立区に位置する、東武鉄道伊勢崎線の駅です。1日の乗降客数は3.6万人強。
足立区役所への最寄り駅で、同線の「北千住」を出て3駅目、さらに向こう隣は「西新井」です。
駅を挟み、北側は足立区梅島、南側は足立区梅田。
その地名から、この一帯に梅林でもあったからその名が付いたと思うかもしれませんが、そうではないようです
(梅林があったから、と唱える人もいますが)。『風土記』によると、昔、東京湾の海岸線はこの辺りだったとか。
一帯は荒川の河口にあたるため、堆積物が広がる低湿地帯でしたが、そこを埋め立てて新田が開かれていきました。
これらの土地は「埋田」と呼ばれ、それが「梅田」へ変化したというのです。
ちなみに、大阪の梅田も、もともとは低湿地帯だったといいます。
一方、梅島の名称が登場するのは、梅田に比べてつい最近の明治時代のこと。1889年、町村合併で梅田村・島根村・
小右衛門新田・栗原村を合併した際、中心となる梅田と島根から頭文字をとって梅島村が誕生したことに由来します。
駅周辺をみていきましょう。駅を中心に旧日光街道を南北へ「梅島駅前通り商店街」が広がります。
90店ほどで構成する、新旧混在した雰囲気。和菓子店や惣菜店など歴史を感じられる店が元気な、地元密着型の商店街です。
その北側に連続して続くのが「足立中央梅島商店街」。こちらも和洋新旧と様々な風情が楽しめる商店街です。
そんな牧歌的な雰囲気が漂う「梅島」周辺ですが、足立区というと、そのイメージから治安のことがパッと
頭に浮かぶ人もいるでしょう。そこで治安について見ていきます。 まず足立区の犯罪率は23区中11位。2006〜2009年の犯罪認知件数ランキングで、都内で連続ワースト1だったこと
もあり、足立区=治安が悪いというイメージがすっかり定着。その状況を打破しようと、警視庁と自治体がテロ・
災害対策事業の覚書を締結し、駅周辺の防犯カメラの台数を増やしたり、警察官とボランティア団体でパトロール
をしたりと、街の治安維持に力を入れてきました。結果、治安が悪いは過去の話、安全な地域になったのです。
さらに細かく見ていきましょう。足立区全267町丁の犯罪認知件数(図表1)を見ていくと、区の平均は、17.8件/年。
梅田地区と梅島地区で平均を下回るのは、「梅田」駅南側の梅田1〜3丁目、5丁目、8丁目。梅島1〜3丁目、
梅田4、6、7丁目は、区の平均を上回りますが、犯罪の中心は自転車盗。駅周辺や商店街のある地区だと、
他の区、他の街でも多い傾向にあります。足立区梅島は、自転車窃盗以外の犯罪は、特に心配はいらないようです
(ちなみに梅島3丁目の最寄りは「西新井」駅で、自転車窃盗に加え、万引きの件数が高い傾向にあります)。
その街が安全かどうかは、街の雰囲気なども左右するもので、数字だけでは計り知れないものがあります。
また数字が良いからといって、危ない目に遭わないかといえば、そうでもありません。
ただ住まいを決めるときのひとつの目安にはなるでしょう。
犯罪率が23区内でも平均以下の足立区で、「梅島」周辺は治安のいいエリアです。ただ飲食店の多い駅前は、
ほかの街と同様に、ケンカや自転車窃盗は多い傾向にあります。そのほかは良好な住環境を形成しているといえます。
■築浅物件が多く、予算内で最新設備の物件が見つかる
「梅島」は単身の会社員の居住地としてはどうでしょうか。駅周辺の家賃相場を見ていきます。
駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は6.10万円、11分を超えると5.20万円(図表2)。同条件の東京都足立区
の家賃水準は、駅10分圏内5.91万円、11分を超えると5.85万円。「梅島」駅周辺の家賃相場は、駅チカで
区平均を上回りますが、駅から離れると、リーズナブル感が増します。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、
25〜29歳で27.5万円、30〜34歳で34.1万円です(図表3)。 企業規模によって平均給与は異なりますが、そこから住民税や所得税などを差し引いた手取り額の
1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。
「梅島」駅周辺の家賃相場は、20代会社員でも十分検討できる水準です。大手検索ポータルサイトで、
20代会社員の適正家賃内、徒歩10分圏内を条件で検索してみると、多くの単身者向け物件がヒットします。
その半数が築30年以上の築古物件ですが、一方で建替えも進み、新築含む、築浅の物件も多い地域です。
オートロックや浴室乾燥機など、防犯面でも設備面でも昨今の賃貸ニーズに応えるものが多く、居住性に
こだわる人も納得の物件が見つかるでしょう。
交通面はどうでしょうか。東武鉄道伊勢崎線は、東京メトロ日比谷線と直通運転を実施。「北千住」7分、
「日比谷」39分、「六本木」49分(所要時間は「梅島」を平日8時に出発した場合の目安)。
都心にもダイレクトにアクセスできるほか、「北千住」でJRや東京メトロ千代田線やつくばエクスプレス
に乗り換えることで、多方面にリーチすることもできます。
買い物環境はどうでしょうか。駅周辺には「東武ストア」「ココスナカムラ」「アコレ」とスーパーが3店舗、
大手ドラッグストアが2店舗あります。スーパーは深夜まで営業していて、帰りが遅い日でも買い物ができます。
また商店街には100円ショップなどもあり、最寄り品の購入で困ることはありません。
駅徒歩10分ほど離れた住宅街には「オリンピック」などが入っている小さめのショッピングモールも。
さらに日光街道や環七まで出ると、「ニトリ」や「ドン・キホーテ」などの量販店もあり、日常品の多くを
近隣で揃えることができます。
飲食店はどうでしょうか。駅周辺にはファストフードやファミレス、牛丼店、定食店など、お馴染みの
大手飲食チェーン店が揃っているので、外食に便利です。地域に根ざした個店もありますが、それほど
数は多くなく、毎回外食だと飽きてしまうかもしれません。自炊もしながら、というスタイルがおすすめです。 足立区のなかでも治安が良いとされる「梅島」。実際に犯罪件数やその内容をみても、住むのをためらうような
ことのない、安全な街だといえます。買い物環境も充実し、しかもリーズナブル。速達列車が停まらない点は、
会社員には評価が分かれるところですが、総合的に住みやすい街といえるのではないでしょうか。
GGO編集部 京成本線「堀切菖蒲園駅」23区・家賃最安値エリアの住み心地
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200817-00028371-gonline-bus_all
8/17(月) 11:01配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは京成電鉄本線「堀切菖蒲園」。
■歌川広重が浮世絵に描いた、菖蒲の名所がある街
「堀切菖蒲園」は東京都葛飾区の西端、荒川に面した一角に位置する、京成電鉄本線の駅です。1日の乗降客数は2.2万人強。
同じ「堀切」と名前のついた東武鉄道伊勢崎線「堀切」駅は、荒川を渡った足立区にあり、徒歩20分ほどです。
堀切は、室町時代の資料にも出てくる古い地名です。
その由来は、この地を開発した領主の館に堀があったからなど諸説ありますが、詳しいことはわかっていません。
駅名となっている「堀切菖蒲園」は、駅から徒歩10分ほど。江戸系花菖蒲を中心に6000株の花菖蒲が植えられた名所です。
「江戸百景」に数えられ、鈴木春信や歌川広重の浮世絵に登場します。
実は、戦前までは、この地域は東京近郊の農村地帯で、いくつかの花菖蒲園が栄えていました。しかし昭和時代初期に
当時の東京市に編入されると、急激に都市化が進行し、堀切園以外の菖蒲園は廃園となってしまいました。
現在の堀切菖蒲園は、戦後唯一復興を果たした「堀切園」の一部が母体となっています。
堀切の名前は、交通情報を聞いていると、ほぼ毎日「首都高速道路、堀切ジャンクション」と聞くので、意外とメジャーです。
その高速から見える、大きな看板が印象的な「ミヨシ油脂」は、マーガリンなど食品油生産では日本有数のメーカー。
ほかにも堀切周辺には町工場が多く点在します。川が近く水が豊かなことから、以前は染色や硝子の工場が多かったといいます。
また道路交通が発達し、工場も多いという立地から、物流拠点も集積しています。
駅周辺には「堀切中央商店街」など、地域に密着した5つの商店街があり、加盟店は200以上。 典型的な下町という雰囲気で、多くの買い物客で賑わっています。また「堀切菖蒲園」は、ファンには知られたラーメン激戦区。
駅徒歩5分以内に、10軒以上のラーメン店がしのぎを削っています。下町情緒が残っているため、区画整理はほぼされていません。
道幅が狭いところが多く、高齢者が多いエリアなので、自転車の運転でも細心の注意を図りたいところです。
どこか郷愁を誘う「堀切菖蒲園」ですが、さらに荒川のほうに出てみましょう。30代以上であれば、一度は見たこと
のある光景が目の前に広がります。伝説的なテレビドラマ「金八先生」が歩いた荒川の土手は、「堀切菖蒲園」の対岸、
足立区側。登校風景、水門、京成電車、そして堀切橋……すべてがドラマのまま。そんな風景と一緒に暮らすというのも、
この街でないとできない体験です。
■23区家賃最安値…設備も良好の築浅物件が見つかる!
「堀切菖蒲園」は単身の会社員の居住地としてはどうでしょうか。駅周辺の家賃相場を見ていきます。駅から徒歩10分圏内
の1Kの平均家賃は5.37万円、11分を超えると4.70万円(図表1)。同条件の東京都練馬区の家賃水準は、駅10分圏内5.95万円、
11分を超えると5.38万円。葛飾区は足立区と並び、23区内で最も安い水準が安い地域です。そのなかでも「堀切菖蒲園」駅
周辺は、お得感あふれる地域だといえます。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、25〜29歳で27.5万円、
30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、そこから住民税や所得税などを差し引いた
手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。
「堀切菖蒲園」駅周辺の家賃相場は、20代会社員でも十分検討できる水準です。大手検索ポータルサイトで、20代会社員
の適正家賃内、徒歩10分圏内を条件で検索してみると、多くの単身者向け物件がヒットします。地域一帯で建て替えが
進んでいて、ヒットする物件の3分の1は新築含む、築5年以内の築浅の物件。オートロックなどの防犯面、浴室乾燥機や
独立洗面所などの設備面でも、今どきの賃貸ニーズを満たす物件で、居住性にこだわりたい人の欲求を満たすことでしょう。 交通面はどうでしょうか。山手線と接続する「日暮里」11分、「京成上野」17分。山手線乗り換えで「東京」32分、
「町屋」で東京メトロ千代田線に乗り換えて「大手町」28分(所要時間は「堀切菖蒲園」を平日8時に出発した場合の目安)。
都心主要部であれば乗り換えが必須になりますが、30分ほどでアクセスできます。
買い物環境はどうでしょうか。駅前にはスーパーが「赤札堂」の1店のみ。大手ドラッグストアも1店あります。
商店街も充実しているので、一見すると良好な買い物環境に思えますが、スーパーは22時で閉店。
帰りが遅くなりがちな人は、コンビニを頼る機会が多くなりそうです。
飲食店はどうでしょうか。駅周辺にはファストフード店が1店、牛丼店が1店。お馴染みの大手飲食チェーン店の空白地帯
ともいうべきエリアです。チェーン店は少ないですが、地元密着の飲食店はそれなりにあります。夕食に便利そうな定食店
は、思わず喜んでしまうほどのリーズナブルな価格が魅力。外食派の人は、いかに地元に溶け込むかがポイントになりそうです。
単身の会社員にとって「堀切菖蒲園」の魅力は、なんといってもリーズナブルな家賃。家賃水準が安い葛飾区のなかでも、
家賃水準の安い地域で、駅チカかつ適正家賃内で、設備も充実した物件が見つかります。家賃が安いというと「ボロボロの
アパートが多い」とイメージしますが、予想に反して、築浅物件の多いエリアで、築年数にこだわる人でも満足できるでしょう。
心配なのは、この一帯が、いわゆるゼロメートル地帯だということ。ハザードマップを確認するとわかるように、荒川が
氾濫した際には確実に浸水します。そのようなリスクがありながらも、23区で好条件の家に住めるというのは大きな魅力です。
GGO編集部 チャイナタウン化が進む「亀戸」治安の悪化が心配されるが…
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200818-00028393-gonline-bus_all
8/18(火) 11:01配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのはJR中央・総武線各駅停車と東武鉄道亀戸線「亀戸」。
■下町の風情残す街に中国人など、外国人が急増
「亀戸」は東京都江東区の北部に位置する、JR中央・総武線各駅停車と東武鉄道亀戸線の駅。
JR駅の1日の乗車数は5.7万人、東武鉄道駅の乗降数は2.1万人ほどです。
亀戸という地名の初出は古事記とされています。普通に読めば「かめど」という地名を、なぜ「かめいど」
と読むのでしょうか。その理由は、かつての亀戸村の鎮守、香取神社に伝わる話から紐解くことができます。
この地が海に浮かぶ島だったころ、その島が亀の形に似ていたことから「亀島」と、そして周囲に土砂が
堆積し、陸続きになった頃には「亀村」と呼ばれるようになりました。さらにその村にあった「亀ヶ井」
という井戸の名前と混同し、村は「亀井戸」といわれていた時期もあったとか。いつしか井の字が抜け、
現在の亀戸になったというのです。
江戸時代、亀戸は庶民の行楽地として知られていました。その中心だったのが、1662年創建の「亀戸天神社」。
菅原道真の末裔、菅原大鳥居信祐公が、すべてを大宰府にならって造営した神社です。
学問の神様として有名だったほか、四季を通して梅や藤などの花が楽しめるスポットでした。
また亀戸には、日立製作所や第二精工舎(後のセイコー電子工業。現・セイコーインスツル)などの企業が
工場を構えて、日本の成長を支えていた時期もありました。高度成長期後、工場は広い敷地を求めて郊外へ移転。
日立製作所の工場跡地は「亀戸中央公園」に、セイコーインスツルの工場跡地は、商業施設「サンストリート亀戸」
を経て、現在、タワーマンションを含む複合施設の建設が進んでいます。 現在の亀戸は、 隣の「錦糸町」と合わせて「錦糸町・亀戸副都心」として東京都から副都心指定を受けています。
各企業のオフィスも存在し、オフィス街としての機能も。駅ビルは「亀戸エルナード」から「アトレ亀戸」へ
と変わり、アトレブランドにふさわしいテナントが揃ったファッションビルへとリニューアルしました。
しかし駅の周辺は、良い意味で昔のまま。「亀戸十三間通り商店街」や「亀戸五丁目中央通り商店街」などの
商店街には精肉店や青果店、鮮魚店などの個店も多く、リーズナブルなのは下町の商店街ならでは。
飲食店も多く、高度成長を支える人たちの憩いの場であった雰囲気も当時のままです。
工場の跡地は公園や商業施設になるなど変貌を遂げる一方で、昔の下町らしい風情を残していた亀戸。
しかし、そんな街にある変化が起きているとか。それは街のチャイナタウン化です。
チャイナタウンといっても、横浜のような観光客向けのものではなく、自然発生的に中国人が集まり、
コミュニティとなっていったという、都内近郊では川口や北池袋あたりと似たような流れです。
中国料理店や中国人向けの小売店が増えているのは、駅北口や「亀戸中央通り」。中国料理店が2店、
仲良く並んでいたり、ふらりとお店に入れば日本人は1人だけ、ということも日常茶飯事。
ここが日本であることを忘れてしまうほどの雰囲気を醸し出しています。
またチャイナタウン化の先にあるのが、アジア各国の人たちが集まりだすという現象です。
ここ亀戸でも、アジア系の食材が揃っていることもあり、アジア・エスニック料理のお店も増えています。
■交通、買い物、飲食、すべてが便利、しかも物価も安い
「亀戸」は単身の会社員の居住地としてはどうでしょうか。駅周辺の家賃相場を見ていきます。
駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は7.15万円、11分を超えると6.52万円(図表1)。
同条件の東京都江東区の家賃水準は、駅10分圏内8.34万円、11分を超えると6.84万円。
「亀戸」駅周辺は、江東区のなかでもお得感あふれる家賃水準を誇る地域だといえます。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の
平均月給は、25〜29歳で27.5万円、30〜34歳で34.1万円です(図表2)。 企業規模によって平均給与は異なりますが、そこから住民税や所得税などを差し引いた手取り額の
1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。
「亀戸」駅周辺の家賃相場は、駅チカでは20代会社員の適正家賃を若干超える水準です。大手検索ポータル
サイトで、20代会社員の適正家賃内、徒歩10分圏内を条件に検索してみると、選択肢は多くはないものの、
単身者向け物件がヒットします。その6割強は築30年以上の築古物件。新築含む築5年以内の築浅物件も
見つかりますが、専有面積が10〜15uと、居住性に難ありの物件です。
30代の適正家賃まで条件を広げると、20u程度の専有面積を有する物件も視野に入ります。
交通面はどうでしょうか。「秋葉原」10分、「新宿」29分、「東京」15分、「品川」26分(所要時間は
「亀戸」を平日8時に出発した場合の目安)。総武線各駅停車沿線駅であれば、乗換えなしでアクセス可能。
そのほかの都心主要駅には乗換えが必要になるので、評価の分かれるところです。
買い物環境はどうでしょうか。駅周辺には「まいばすけっと」「マックスバリュエクスプレス」
「業務スーパー」のほか、駅北口徒歩7分に「オリンピック」があります。大手ドラッグストアも複数あり、
南口には「ドン・キホーテ」も。最寄り品の購入で困ることはありません。下町らしく、物価が安いのも魅力です。
また駅南口から徒歩7分ほど、首都高速を超えるとスーパーのないエリアになりますが、都営地下鉄「西大島」駅が
最寄り駅にもなるエリア。「西大島」駅周辺には「ダイエー」などの買い物スポットもあり、意外と利便性の高い地域です。
飲食店はどうでしょうか。駅周辺にはファストフード店やファミレス、牛丼店、定食店など、単身者でも
利用しやすい大手飲食チェーン店が充実。個人の飲食店も多く、定番に飽きた時に重宝します。
またファンが多い「亀戸餃子」の本店も、ここ亀戸にあります。本店の料理は餃子のみですが、飲み物は色々。
仕事帰り、餃子にビールが定番になりそうです。
チャイナタウン化が進む「亀戸」。そういうと、治安を心配する声が多くなりそうですが、中国料理店や
中国人向け小売店が増えているのは、繁華街的要素が強いエリア。 街全体としては治安に大きな変化は見られません。
飲食店が多く集まるエリアの治安は微妙ですが、その他の地域は概ね良好。
駅周辺の朝夜の雰囲気は評価の分かれるところですが、高い生活利便性が魅力です。
GGO編集部 JR東日本らが検討する「時間帯別運賃」は国を衰退させる愚策である理由
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200819-00246221-diamond-bus_all
8/19(水) 6:01配信
新型コロナウイルスの感染拡大で多くの交通事業者の経営が悪化している。
そんな中、JR東日本などが収益改善のため、時間帯によって運賃に差を設ける「時間帯別運賃」
の導入を本格的に検討しているようだ。しかし、この「時間帯別運賃」は単なる値上げに
過ぎないし、そもそも鉄道をはじめ、交通事業者に対するわが国の認識が間違っている。
(室伏政策研究室代表、政策コンサルタント室伏謙一)
●コロナ禍が直撃した交通事業者 JR東日本などが「時間帯別運賃」導入を検討
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、ほとんどの交通事業者が苦境に喘(あえ)いでいる。
地方の交通事業者の中には「事業の継続が困難である」と判断して、既に廃業を決めたところすらある。
大手の交通事業者も例外ではなく、軒並み大幅減収で、直近の決算でも巨額の赤字が計上されている。
例えば航空会社では、日本航空(JAL)が8月3日に発表した今年4〜6月期の決算は純損益が937億円
の赤字で、再上場を果たして以降、最大の赤字となった。鉄道会社では、JR東日本は7月30日に発表
した本年4〜6月期の連結決算で最終損益が1553億円と過去最大の赤字となっている。
各事業者にとって収益改善は喫緊の課題ということだが、報道によると、その解決策として、
JR東日本などが「時間帯別運賃」の導入を本格的に検討しているようだ。
「時間帯別運賃」とは、簡単にいえば「時間帯によって運賃に差を設ける」というもので、その
目的は収益の改善とともに、いわゆるラッシュアワーに乗客が集中することを避けること、別の
言い方をすれば「需要を平準化すること」にあるようだ。
この「時間帯別運賃」、「ダイナミックプライシング」という名称で、以前から国土交通省の研究会
(「都市と地方の新たなモビリティサービス懇談会」等)で、運賃・料金の柔軟化の一環としても
検討されてきている。
そこまで聞くと、なんとなくもっともらしい、今後必要となる動きであるように思われるかもしれないが、
実態としてはそうとはいえないだろう。 ●「時間帯別運賃」は 「単なる運賃の値上げ」
なぜかといえば、この「時間帯別運賃」なり「ダイナミックプライシング」とは、結論から先に言えば、
「単なる運賃の値上げ」であり、利用者の負担増でしかないことが明らかだからである。
要は「時間帯別運賃」の名目で運賃の値上げを行い、収支の改善の一助としようということなのであるが、
そもそもJR東日本といえども、多くの赤字路線や収支トントンのローカル線を抱えて経営は楽といえる状態ではない。
東京に住んでいる人にとっては意外に聞こえるかもしれないが、JR東日本の経営は山手線の黒字で
ローカル線を支えることで成り立っているとまで言われることがあるくらいである。従って、収支・収益
の改善自体は、JR東日本にとっては従前から大きな課題であって、今回に始まった話ではない。
今回のことだけで考えてしまうと、運賃値上げといっても、新型コロナ感染症の感染拡大への対応、
ポスト・コロナに名を借りた、極端な言い方をすればドサクサに紛れた値上げに見えてしまうかも
しれないが、実際は根が深い問題なのである。
しかもこれは、JR東日本という鉄道会社の収益構造のみの問題ではなく、現在の収益構造を選択せざる
をえなくしている、わが国の鉄道事業法制の基本的な考え方に起因するものなのである。
わが国の鉄道は鉄道事業法に基づき事業を行っている。路面電車は軌道法に基づいているし、見かけ上
は鉄道でも根拠法は軌道法であるものもあるし、東京のゆりかもめのように区間によっては軌道法に
基づき、別の区間では鉄道事業法に基づいて設置・運行されているというものもある。またバリアフリー等
の乗客の利便向上のための国の支援に関する法制や、地方の鉄道等を支援するための法制等もあるが、
本稿ではそうした細かい部分には立ち入らない。
●問題の本質は 「基本的に独立採算」という考え方
なぜなら、この問題の本質というか根源は、鉄道事業法にも軌道法にも通底する、「基本的に独立採算」
という考え方にあるからである。
これは事業主体が民間企業であると地方公共団体であることを問わない。もちろん第三セクターであっても
国が全株式を保有している会社であっても同様である。 例えば、どこかの地方公共団体が新たな鉄道や軌道を新設しようということになると、必ず「採算性はどうなんだ」
とか「採算性が悪いはずだから反対」という話が出てくる。そんなこと当たり前ではないか、と考える
かもしれないが、それが当たり前ではないのである。
海外に目を転じてみれば、わが国のように完全に独立採算で鉄道や軌道を運行しているところはほとんどない
と言っていいだろう。
例えばフランスの場合は、必ずと言っていいほど整備段階のみならず運営の段階に至っても公的資金が
入れられている。その原資は交通負担金(versement transport)として、当該鉄道等が整備された地域の
一定規模以上の事業者から、いわば地方税のように徴収されたもの等であるが、これによって鉄道事業等
の収支は「下駄を履く」ことになる。
そもそも民間企業が設置し、保有し、運営するということはなく、公的主体が設置・保有し、場合によっては
民間企業が運営するというのが当たり前であるし、民間事業者が運営する場合でも、乗客の増減によるリスク
を民間事業者が全て引き受ける必要がないように、民間事業者は運賃を収入としてなんとかしろではなく、
定額の運営委託料プラス乗客が一定以上に増えた場合のボーナスを支払うといった契約や、乗客の著しい
減少によって運賃収入が一定以下となった場合にその分を公的主体が補填するといった契約まである。
では、なぜこうしたことが可能なのかといえば、それは鉄道事業などは公共サービスとして位置付けられて
いるからである(むろん、EU諸国の場合は交通権がEU法によって設けられていることも大きいが)。
別の言い方をすれば、鉄道などは国民の生活に必要不可欠なインフラであり、これを使った交通サービスは
他の公共サービスと同様の公共サービスであって、これに国が強く関わるのは当然である、という考え方が
根付いているということである。
「採算性採算性」と呪文のように唱え、収支が悪化した路線や事業者を国や地方公共団体が支援すべき
との話が出ると、すかさず強硬な反対論が出てくるどこかの国とは隔世の感がある。 ●公共サービスであるという 視点が欠けている
米国の場合、当然州による違いはあるが、例えばカリフォルニア州で整備されたBRTは、低所得者の移動の
負担の軽減も目的としている。BRTというとわが国では連節バスが想起されることが多いと思うが、元々
BRTとはBus Rapid Transitという言葉からも明らかなように、速達性を重視した、業務地域と住宅地域を
結ぶ中量輸送のことであり、したがって専用線や連節バスが用いられているのであって、連節バスなら
BRTと考えるのは間違いである
(フランスでも連節バスを用いているだけなら単車のバスと同じただの路線バス扱いである)。
話を元に戻すと、これがなぜ低所得者の負担軽減につながるかというと、BRTがあることによって、車を所有
して通勤に使わなくても済むようになるからである。通勤に自動車を使わざるをえないとなると、自動車の
購入費用、維持費、そして燃料費とさまざまな負担がのしかかってくることになり、それが賄えなくなれば
仕事にもありつけなくなって貧困化し、ついには犯罪に手を染めざるをえなくなる等により、治安の悪化を
招くことにもなりかねない。そうしたことを防ごうということで、同様の考え方はオレゴン州ポートランド市
の路面電車(streetcar)でも見られる。
要するに、諸外国では鉄道などの公共交通の利用に係る負担をむやみに増やそうという発想はないと言って
いいのである(ロンドンのような例外はあるが)。
つまり、わが国については鉄道等の公共交通というものが、単なる私的な利益の追求の手段ではなく、
公共サービスであるという視点が欠けているということであり、公共交通は公共サービスであるという
ことを関係法令の改正を通じて明確に位置付けることが急がれる。
その上で、独立採算で考えた場合に赤字である事業者や路線については、その分を補填して公共サービス
が維持できるようにしたり、(事業会計を設けた単体のインフラ事業としてではなく)道路と同様に線路
等のインフラを国や地方公共団体が引き取り、事業者は運営や付帯事業だけに専念できるようにしたり、 赤字ではないものの大幅は黒字は見込めない事業者や路線の運営費の一部を、国又は地方
公共団体が財政的に支援することでサービスの質の向上につなげたりすること等が可能な
ように、関係法令を改めて行くことが必要である。
今回のコロナ禍を機に行うべきは、JR東日本などに「時間帯別運賃」を検討させることでも、
値上げをさせることでも、「不採算路線」の切り捨てを検討させることでもない。
財政的なものを中心に国などの関与を強めて、JR東日本などがこれまでずっと抱えてきた
負担を軽減してあげて、国民に、国民経済に必要不可欠な公共サービス、公共インフラを
維持発展できるような方向に、政策的転換を図ることである。
室伏謙一 住みやすくても治安が…「竹ノ塚」20年後も不安視されるワケ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200821-00028454-gonline-bus_all
人口減少の局面になり、厳しさが増す不動産投資。今後、どこが投資エリアとして有望なのか。
不動産投資には欠かせない要素である「人口」や「不動産取引の現状」などをもとに、検討していく。
今回紹介するのは、足立区「竹ノ塚」。
■「竹ノ塚=治安が悪い」は本当か?
「竹ノ塚」は、東京都足立区の北部位置する、東武鉄道伊勢崎線の駅です。東武伊勢崎線は「北千住」
で東京メトロ日比谷線と相互運転を行っているため、都心にもダイレクトにアクセスすることができます。
足立区のターミナル「北千住」までは9分、「秋葉原」28分、「銀座」42分、「六本木」53分
(平日8時に「竹ノ塚」を出発した場合の目安)。「北千住」からは、JR常磐線や東京メトロ千代田線、
つくばエクスプレスに乗り換えて、様々な都心主要エリアにアクセスできます。
竹ノ塚は、高度成長期、日本住宅公団が駅東側の100ヘクタールの農地を区画整理し、のべ2800戸以上
の団地を建設して発展した街です。
その歴史を象徴するかのように、竹ノ塚駅を降りると、ロータリーを囲む巨大な団地がそびえ建ちます。
また駅は各駅停車しか停まりませんが、バス便が発達。
足立区北東部の花畑地区などを結ぶ、ターミナル的役割を担っています。
駅周辺には、「ピーコック」や「イトーヨーカドー」のほか、全国区のドラッグストアや100円ショップ、
飲食チェーンなど、お馴染みの店が集積する一方で、地元密着型の個店で構成される商店街
「竹ノ塚 カリンロード商店会」があり、良好な買い物環境が広がっています。また物価の安さでも評判で、
住宅情報誌では「住みやすい街」としても評価されている街です。
一方で、夜になると別の顔をのぞかせるのが竹ノ塚。特に駅南東エリアは飲食店が集中する歓楽街で、
50ほどのフィリピンパブが並び、フィリピン人コミュニティを形成していることから、通称「リトルマニラ」
とも呼ばれています。 そんな夜の街で、今年、新型コロナウイルスのクラスターが発生。思わぬところでフィリピン街の存在が
広く知られるようになりました。また従来から竹ノ塚は、治安の悪さを指摘する声が多く聞かれます。
実際はどうなのでしょうか。
警視庁による、足立区全267町丁の犯罪認知件数(図表1)を見ていくと、区の平均は、17.8件/年。
「竹ノ塚」駅周辺では、区平均をほぼ上回っています。特に駅東口を出て北側の「竹の塚6丁目」と、
歓楽街となっている「竹の塚1丁目」は、区平均の5倍強と突出しています。
犯行手口別に見ていくと、前出のエリアでは、歓楽街ゆえ粗暴犯が多く、お酒を飲んで楽しんだ際には、
気を付けたほうがいいでしょう。またターミナル駅ということもあり、駅周辺では自転車窃盗が多発。
実は足立区は、平坦な道が多く自転車利用者が多いということもあり、東京23区のなかでも自転車窃盗の
多いエリアとして知られています。そこで足立区では、平成30年から自転車のカギがけが義務化。
徐々にですが、その効果が表れています。
■高度成長期に誕生…大規模団地で高齢化が進行
そんな「竹ノ塚」周辺は、不動産投資の観点でみていくと、どのようなエリアなのでしょうか。見ていきましょう。
まずエリアの人口構造をみていきます。直近の国勢調査をみてみると(図表2)、「竹ノ塚」のある足立区の
人口は67万人強で、東京23区のなかでは5番目に多い人口を誇ります。23区平均と比べると、子どもと高齢者
が多く、労働者層は少ないという構造から、ファミリー層が多いエリアだということがわかります。
一方、「竹ノ塚」周辺に絞ってみていくと、区平均と比較して、若者が少なく、高齢者が多いという傾向があります。
高度成長期に造成された団地では、住民の高齢化が進んでいるため、このような結果になったのだと推測されます。
また区平均よりも外国人比率のポイントが高いのは、前出の通り、フィリピン人コミュニティが構築されている点
などが影響していると思われます。
次に、世帯についてみていきましょう(図表3)。足立区では単身者世帯の割合が、23区平均よりも9ポイント
近く低く、ファミリー層に選ばれるエリアであることがわかります。これは賃貸物件における世帯数と世帯人数
の関係(図表4)からも明らかです。 また「竹ノ塚」周辺では、区平均より若干、単身者が多く、なかでも単身の高齢者世帯が3ポイント
近くも高いという結果に。団地入居者の高齢化が、地域の問題になっていると推測できるでしょう。
■中古マンションの取引数は上昇トレンド
賃貸マーケットの状況をみていきましょう(図表5)。最寄駅からの1Kの賃貸物件の平均家賃をみていくと、
足立区平均では、駅10分以内で5.96万円、11分以上が5.80万円。「竹ノ塚」だけに焦点をしぼっていくと、
駅チカでは、若干区の平均を下回る程度。しかし駅から離れていくと、その差は大きくなっていきます。
賃貸物件の家賃において、「竹ノ塚」駅周辺は、駅からの距離をうけやすいエリアだということがわかるでしょう。
次に賃貸物件の築年数の分布をみていきましょう(図表6)。足立区で多いのが1980年代に建てられた、
築30〜40年ほどの物件で、全体の5分の1強を占めます。一方で、2010年以降、新築物件の供給も盛んで、
23区平均を上回っています。
そんな足立区の中古賃貸物件の取引価格(図表8)は、1平米あたり30万円強。23区平均の半値以下で、
お得感を覚えるエリアです。また竹ノ塚周辺の中古マンションの取引件数(図表9)は、この5年間、
緩やかな上昇トレンド。活発な不動産取引がされているエリアだといえるでしょう。
■23区でも人口減少幅が大きいと予測される足立区だが…
不動産投資において、重要なファクターとなる、将来人口の予測をみていきます。日本では、人口減少のトレンド
に入っていますが、東京においても例外ではありません。国立社会保障・人口問題研究所では、2030年、1388万2,538人
をピークに、東京都でも人口減少が始まるとしています。23区は人口減少が緩やかとされていますが、足立区では、
2015年の総人口を100としたとき、2030年には94、2040年には90を割り込むなど、23区のなかでも人口減少のスピード
が最も速いとされている自治体のひとつです。 「竹ノ塚」周辺に焦点を絞ってみていきましょう。黄色〜橙で10%以上、緑〜黄緑0〜10%の人口増加率を表し、青系色
で人口減少を示すメッシュ分析(図表10)によると、「竹ノ塚」周辺は、人口減少を示す青系色で染まっています。
にぎやかな街の現状に反して、人口減少の波は避けられないと考えられています。
治安について議論されること多いの「竹ノ塚」ですが、現在、周辺の不動産取引は活発で、投資家にも注目されている
エリアだといえるでしょう。しかし今後23区のなかでも人口減少の幅が大きいという予測から、入居者ニーズを的確に
つかんでいくことが重要になっていきます。
しかしコロナ禍によるリモートワークの浸透で、都心回帰の流れに変化が生じ、諸々の予測にも変化が生じる可能性
が十分にあるでしょう。賃貸マーケットの動向に注視することが大切です。 都心勤務20代会社員…自衛隊の街「東上線・朝霞」はありか?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200824-00028489-gonline-bus_all
8/24(月) 11:01配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、東武鉄道東上線の「朝霞」。
■朝霞の誕生は、ゴルフ好きの皇族が関係していた
「朝霞」は埼玉県朝霞市の南部に位置する、東武鉄道東上本線の駅です。1日の乗降者数は7万人弱。「池袋」寄り
の隣駅は東京メトロ有楽町線、副都心線の始発駅「和光市」、その反対の隣駅はJR武蔵野線との接続駅「朝霞台」です。
もともと駅周辺の地域は、「膝折村」でした。その由来は、武士が乗る馬がこの辺りで骨折したため、といわれています。
江戸時代には川越街道の宿場として繁栄しますが、川越街道は、室町時代、扇谷上杉氏の家臣である太田道灌によって
つくられたもの。1478年に道灌が膝折宿に着陣したという記述が、当時の文書に残されています。
そんな「膝折」が「朝霞」に変わるきっかけとなったのが、ゴルフです。1932年、東京・世田谷、駒沢公園付近に
あった東京ゴルフ倶楽部が土地高騰などを理由に、この地に移転。しかし「膝折」という名前は、特にゴルフでは
縁起が悪いとされ、東京ゴルフ倶楽部の名誉総裁でゴルフ好きの皇族・朝香宮鳩彦王にちなみ「朝霞」となりました。
当初は「朝香」を使いたいと宮内庁にかけあいましたが、却下されてしまい、現在の「朝霞」になったのだとか。
同じタイミングの町制施行で朝霞町となり、駅名も「膝折」から「朝霞」に改称されました。
戦時中、ゴルフ場は陸軍予科士官学校となりましたが、戦後は接収されてアメリカ軍基地に。基地はノース・キャンプ
とサウス・キャンプに分けられ、1960年からは、サウス・キャンプに陸上自衛隊が駐屯するようになりました。
ニュースでも「朝霞駐屯地」と聞く機会は多く、また周辺では迷彩服を着た自衛官を見かけるので、「朝霞=自衛隊」
というイメージを持っている人も多いでしょう。 地元の住民にとっても、自衛隊は身近な存在。毎年恒例の駐屯地の一般開放日は、地域に根付いたイベントです。
延期になりましたが、東京五輪の射撃競技は、自衛隊朝霞訓練場内で行なわれます。
また戦後の「朝霞」は、爆発的に増える東京人口の受け皿としての役目も担います。1960年、現在のUR都市機構
である日本住宅公団が、駅東口に400戸以上の東朝霞団地を建設。朝霞の人口も急増し、東京のベッドタウンと
して発展します。2000年代に入ると、団地は建て替えられ、新たな集合住宅「コンフォール東朝霞」へと生まれ
変わり、街の新陳代謝が進んでいます。
朝霞市にある駅では、武蔵野線と接続する「朝霞台」のほうが利用者は多いですが、市役所などの行政文化施設が
あるのは「朝霞」駅。再開発整備事業が完了し、2010年には駅ビル「EQUiA」が誕生。20店舗ほどの商業施設で、
飲食店やドラッグストアなど、日常使いに便利な店が並びます。
駅周辺には、飲食店や生活まわりのものが揃うショップが適度に集積。駅南口から徒歩7分で朝霞市役所があるほか、
駅東口にも市役所の出張があります。さらにパスポートコーナーも併設されていて、駅周辺だけで、役所まわり
のさまざまな手続きが行えるのもポイントです。
■駅周辺の治安は微妙…住むなら高級住宅地周辺がベスト
東武東上線「朝霞」は単身会社員の居住地としてはどうでしょうか。駅周辺の家賃相場を見ていきます。駅から
徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は4.83万円、11分を超えると4.05万円(図表1)。同条件の埼玉県朝霞市の家賃水準
は、駅10分圏内4.56万円、11分を超えると4.43万円。「朝霞」駅周辺は、駅チカでは市の平均より高く、駅から
離れるにしたがってお得感を覚えるエリアです。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、25〜29歳
で27.5万円、30〜34歳で34.1万円、埼玉県勤務で25〜29歳で24.8万円、30〜34歳で28.6万円となっています(図表2)。
企業規模によって平均給与は異なりますが、そこから住民税や所得税などを差し引いた手取り額の1/3以内を適正
家賃と考えると、都内勤務20代後半は6.9万円、埼玉県勤務は6.2万円、都内勤務30代前半は8.5万円、埼玉県勤務
は7.1万円となります。 「朝霞」駅周辺の家賃相場は、20代会社員でも十分に検討できる家賃水準です。大手検索ポータルサイトで、20代
会社員の適正家賃内、徒歩10分圏内を条件で検索してみると、多くの単身向け物件がヒットします。築年数20〜30年
の物件が6割、築30年以上の築古物件が3割で、新築含む築5年以内の物件は少ないエリアです。バス便を利用しない
と築年数の新しい物件の数は増えない傾向にあるので、駅チカでは築年数にこだわるのであれば、選択肢は少ない
と心得ておきましょう。
単身会社員にとって、居住地選定の重要な基準となる、交通の利便性はどうでしょうか。東武鉄道東上線で「池袋」17分。
東上線は、東京メトロ副都心線や有楽町線と相互運転をしており、「新宿三丁目」23分、「渋谷」29分、「有楽町」42分
(所要時間は「朝霞」を平日8時に出発した場合の目安)。「朝霞」は、池袋を始めとした山手線西側エリアへの
アプローチに優れています。また都心にもダイレクトにリーチできる点も魅力です。
買い物環境はどうでしょうか。駅周辺には「東武ストア」「アコレ」「コモディイイダ」「西友」「業務スーパー」
といったスーパーのほか、大手ドラッグストア店も。24時間営業のスーパーもあり、時間を気にせずに買い物が
できるのも魅力です。
飲食店はどうでしょうか。駅周辺には選択肢は多くはないものの、ファストフードやファミレス、牛丼店、定食店など、
単身者でも利用しやすい大手飲食チェーン店が揃っています。居酒屋チェーン店は多く見られますが、地元密着の個店は、
それほど多くはありません。外食派の人でも困るほどの環境ではありませんが、少々物足りなさを感じるかもしれません。
自衛隊の印象が強い「朝霞」ですが、駅周辺に適度に商店が集積し、その周囲には閑静な住宅街が広がっています。
東京のお隣、埼玉県ですが、都内へのアクセスも良好で、特に池袋エリアであれば20分弱、都心勤務であっても、
ほぼ1時間圏内でアクセスできます。特に有楽町線沿線の勤務であれば、検討の余地はあるのではないでしょうか。
GGO編集部 朝の足立区だけ激混みの日暮里・舎人ライナー解決策は?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200823-00000007-pseven-bus_all
23区なのに交通網が不便な足立区だが、近年、区西部を中心に急速に宅地化が進んでいる。
なぜ……という人もいるかもしれないが、2008年に開業した日暮里・舎人ライナーが状況を変え、
この人口減少時代に通勤時だけ混雑する路線を誕生させた。新型コロナウイルスによる在宅ワークが
広く呼びかけられた時期にはさすがに少しはおさまっていたが、ピーク時の混雑率190%が戻りつつある。
日暮里・舎人ライナーで取り組まれている混雑緩和策について、フリーランスライターの小川裕夫氏がリポートする。
***
鉄道の乗換検索ができるアプリ「NAVITIME for Slack」が、8月19日に新たに「列車混雑予測」を
表示する機能を追加すると発表した。すでにNAVITIMEは、列車の混雑を予測する機能を備えたアプリ
をリリースしている。また、他社からも同様の機能を備えたアプリがリリースされている。
昨今、新型コロナウイルスの感染拡大を防止する観点から各社がテレワークを導入。それに伴い、
通勤時間帯のラッシュは緩和傾向にある。それでも、こうした混雑を予測するアプリがリリースされる
のは、混雑を回避したいという利用者の願望が大きいからだろう。いまや混雑対策は喫緊に解決しなければ
ならない問題であり、それは鉄道会社だけが取り組む話ではない。混雑緩和は、行政課題にもなっている。
今年1月から2月にかけて、東京都足立区が「日暮里・舎人ライナー混雑に関する実態調査アンケート」
を実施。その結果が、5月11日に公表されている。
東京都足立区の西部は、23区最後の鉄道空白地帯といわれていた。その空白を埋めるべく、2008年に日暮里・
舎人ライナーが開業。同線は、荒川区の日暮里駅と足立区の見沼代親水公園駅とを約9.7キロメートルで結んでいる。
もともと同区間には、地下鉄を建設する計画があった。しかし、採算面・需要が疑問視されたために
白紙に戻された。その後、東京都が新交通システムの計画を策定した。計画が策定された後も紆余曲折あり、
ようやく着工に漕ぎ着ける。さらに着工から開業までにも一悶着あり、9年の歳月を要した。 計画決定から起算しても、実現までに30年以上もの歳月を要した。
日暮里・舎人ライナーは、難産という言葉通りの鉄道だった。
そして、30年以上も待たされた足立区にとって、日暮里・舎人ライナーは待ちに待った鉄道でもある。
足立区にとって悲願だった日暮里・舎人ライナーは、その一方で開業目前まで沿線開発が進んでいなかった。
そのため、日暮里・舎人ライナーを採算面で危ぶむ声もあった。
しかし、蓋を開けてみれば、前評判を大きく覆した。日暮里・舎人ライナーは、開業から年を追うごとに
利用者数を伸ばしている。開業した2008年度が1786万人、2019年度は約3321万人。わずか12年で倍に近く
まで利用者が増加。そうした数字を見れば、日暮里・舎人ライナーは公共交通として成功した部類に入るだろう。
それでも、足立区は利用者増を手放しで喜べない。なぜなら、利用者が急増したことで混雑を緩和しなければ
ならないという新たな問題が発生しているからだ。
日暮里・舎人ライナーが開業すると、田んぼが広がる沿線は急速に宅地化。大型商業施設も次々にオープンした。
そうした急速な開発によって、想定外の事態が勃発する。
「日暮里・舎人ライナーで、もっとも混雑する区間は赤土小学校駅→西日暮里駅間で約187パーセントです。
朝のラッシュ時は、すでに始発駅となる見沼代親水公園駅で席が埋まり、西日暮里駅まで混雑する状態が続きます。
途中駅の西新井西駅や江北駅からも多くの利用者が乗車しますから、日暮里駅に近づくにつれて混雑は激しくなります。
そうした混雑が深刻化していることを問題と捉え、足立区は日暮里・舎人ライナーを運行する東京都に対して
混雑の緩和対策を講じるように繰り返し要望してきました。区議会でも混雑緩和対策を議論し、都に対して
意見書を出したこともあります」と話すのは、東京都足立区都市建設部交通対策課の担当者だ。
日暮里・舎人ライナーの利用者が増加した要因は、沿線にマンション多く立ち並ぶようになったことが大きい。
それだけなら、区の人口増や地域活性化に貢献したと礼賛で終わっただろう。
想定外だったのは、都心へと通勤するサラリーマン世帯が多かったことだ。
サラリーマンが多すぎたため、日暮里・舎人ライナーは朝のラッシュ時間帯に混雑を極めた。 開業早々、日暮里・舎人ライナーは都内屈指の混雑路線へと早替りしてしまう。
先述した足立区のアンケート調査は、日暮里・舎人ライナーの混雑が放置できないレベルになっていることを示唆している。
これまで日暮里・舎人ライナーが、混雑対策をまったく講じていなかったわけではない。開業からわずか4か月後には、
ダイヤ改正を実施。運転本数を増やして、混雑に対処した。しかし、運転本数を増やしても、混雑はいっこうに緩和
する兆しを見せなかった。その後も運転本数を増やすダイヤ改正を繰り返したが、それ以上に利用者が増えている。
列車の運転本数を増やすには、車両そのものを増やさなければならない。朝ラッシュの運転本数を増やすため、
東京都交通局は車両を増備。また、ラッシュ時間帯の利用者を少しでも分散するべく、始発時間を繰り上げてもいる。
東京都交通局は、2012年から早起きキャンペーンを実施してオフピーク通勤にも取り組んでいる。さらに、2017年
には小池百合子都知事が提唱した時差Bizを積極的に呼びかけた。
そうした混雑対策を講じてはいるものの、日暮里・舎人ライナーの利用者はそれを上回るペースで増えつづける。
こうしたラッシュ緩和策を講じても、焼け石に水。朝ラッシュ時間帯の混雑は、いっこうに改善しない。
現在、日暮里・舎人ライナーは5両編成で運行されている。抜本的に混雑を緩和するためには、6両編成や7両編成
といった長大編成化も一案としてある。しかし、列車を長大編成化すれば、その分だけホームを長くしなければならない。
深刻化する日暮里・舎人ライナーの混雑は、実のところ朝のラッシュ時間帯にほぼ限定されている。それ以外の
時間帯では、他路線と比べても利用者は多いとは言えない。そのため、長大編成化は過剰な投資になりかねない。
日暮里・舎人ライナーは歳月を経るごとに順調に利用者数を増やし、増収もしている。それでも、いまだに採算
は取れていない。累積赤字は言うまでもなく、2019年度だけでも約5億6000万円の赤字を計上している。
そうした収支面も、東京都交通局が二の足を踏む理由になっている。赤字路線であるがゆえに、車両の長大編成化
や駅ホームの延伸工事といった莫大な費用を捻出することに理解が得られにくい。 しかも、日暮里・舎人ライナーは足立区と荒川区の2区しか走っていないので、一部地域の問題と片付けられてしまう。
また、当事者間でもスタンスに隔たりがある。足立区は混雑対策に懸命だが、一方の当事者である荒川区は
「日暮里・舎人ライナーが、朝ラッシュ時に混雑することは承知しています。しかし、区民から日常的に改善を
求める声は出ていません。そのため、行政としても早急に改善するべき課題とは認識していません」
(荒川区防災都市まちづくり部都市計画課)と冷ややかなスタンスを取る。
荒川区が日暮里・舎人ライナーの混雑を深刻な問題と受け止めていない理由は、足立区とは異なりほかの
公共交通機関で代替できることが挙げられる。
日暮里・舎人ライナーの沿線に住む荒川区民は、自転車や徒歩でもJR山手線の駅まで15分程度で移動できる。
日暮里・舎人ライナーを使わずとも、通勤・通学に支障をきたすことは少ない。つまり、日暮里・舎人ライナー
の朝ラッシュ時間帯における混雑は、ほぼ足立区限定の問題と言っていい。
とはいえ、足立区が区民の生活を守るべく問題解決に尽力するのは当然の責務で、東京都も足立区限定と矮小化せずに
向き合わなければならない。そうした事情もあって、東京都交通局は輸送力を増強する目的で新型車両の導入を6月に発表した。
「これまでにも、日暮里・舎人ライナーには何回かにわたって新型車両が導入してきました。開業時から活躍した
300形と呼ばれる旧型車両は、座席配置の関係から乗車定員は245名でした。それ以降に導入された車両は、座席配置
を変えて乗車定員を262名へと増やしています。今回発表された新型車両がいつから導入されるのかはっきりと決まって
いませんが、新型車両が増えることで輸送力は確実に増えます。それは、少なからず混雑の緩和に寄与するでしょう」
(東京都交通局車両電気部車両課)
しかし、新型車両と旧型車両の定員数は一便あたり17名しか差がない。輸送力が増えるとはいえ、それだけで混雑を
一気に解消できるとは考えにくい。ほかに、金銭的負担の少なくて済む対策はないのだろうか? 「日暮里・舎人ライナーとほぼ同じ区間には、都営バスの”里48″が走っています。足立区では、都営バス”里48″
を使うように呼びかけて少しでも利用者の分散を図っています。しかし、バスは時間通りに着きません。
鉄道と比べると、通勤・通学には不向きです。そうしたこともあり、『日暮里・舎人ライナーから都営バスへ』
の振り替えは思うように進んでいません。そうした実情を踏まえて、足立区は日暮里・舎人ライナーと都営バスの
どちらも利用できる共通定期券を東京都交通局に要望しています。すぐ実現することは難しいかもしれませんが、
これが実現すれば日暮里・舎人ライナーの混雑は大きく改善すると考えています」(足立区都市建設部交通対策課)
ラッシュ時は混雑しているのに、赤字路線という相反する課題を抱える日暮里・舎人ライナー。
これは、「採算の取れない地域の足を、どうやって守るのか?」といった問題にもつながる。人口減少・過疎化が
止まらない日本において、今後はこうした鉄道路線が各地で続出するだろう。
日暮里・舎人ライナーの件は、そうした路線の先行事例になるのかもしれない。
東京都と足立区は、この難局にどう立ち向かうのか? 山手線、降りたことがない駅1位「駒込」平均家賃7万円の魅力
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200826-00028521-gonline-bus_all
8/26(水) 11:01配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、JR山手線と東京メトロ南北線「駒込」。
■見どころも点在する、下町風情を残す閑静な住宅街
「駒込」は東京都豊島区の北東部に位置する、JR山手線と東京都メトロ南北線の駅です。
JR駅の1日の乗車数は4.8万人ほど、地下鉄駅の乗降数は4.1万人ほど。駒込は、ソメイヨシノの発祥の地と
されていることから、JR駅の発車メロディは『さくらさくら』が採用されています。
駒込の地名が歴史に登場するのは、小田原北条氏が室町時代に検地した土地台帳『北条氏所領役帳』が最古
といわれています。発祥の歴史はそれよりさらに遡ると考えられていますが、由来ははっきりとしていません。
有力とされているのは、駒は馬のことで、「原野を馬が駆け巡っていたから」というもの。ほかにも、
駒は転間(こま)のことで、「川に囲まれた地だったから」という説などがあります。
「駒込」は、「山手線で降りたことのない駅」のアンケート調査で、最も票を集めたことでも知られています。
そんな駒込で有名なのは、駅徒歩7分の「六義園」。見事な枝垂桜は、ニュースでも観たことがあるのでは
ないでしょうか。つつじや紅葉でも有名で、春と秋にはライトアップもされています。
ほかにもバラで有名な「旧古河庭園」(駅徒歩10分)や桜の名所としても知られている「染井霊園」
(駅徒歩11分)といった見どころも。ただ、山手線沿線でも住宅街のなかの駅という要素が強いだけに、
来街者の少ない駅といえるでしょう。 駅周辺に大きな商業施設などはありませんが、地元に密着した商店街が充実。駅北側へ5分ほどの
「霜降銀座商店街」は全長250メートル、幅3メートルの細い道に、生鮮食品店のほか、安さが自慢の
スーパーや生活雑貨店、ラーメン、焼き鳥、洋菓子店など、約60店が並びます。
東口の「駒込銀座商店街」は、別名「さつき通り商店街」。全長160メートルに幅の狭い道に30店
ほどが並ぶ商店街で、昔ながらの個店とチェーン店が混在しています。
昔ながらの下町の風情が残る一方で、駅から離れた一角には、「旧山の手」といわれる高級住宅街も
広がっています。戸建て中心で、賃貸住宅は多くありません。
またコンビニなども少なく不便に感じるエリアですが、静かな環境がいいという人には向いています。
■山手線沿線のなかでは、リーズナブルな家賃水準
「駒込」駅徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は7.36万円、11分を超えると専有面積の広い物件が多くなる
こともあり、7.7万円。東京都豊島区の同条件、駅徒歩10分圏内の平均家賃は7.21万円、11分を超えると
6.9万円(図表1)。「駒込」周辺は、豊島区の平均と比べると高い水準にありますが、1Kの平均家賃が
7万円台と、山手線沿線駅と考えれば魅力的な値段です。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、
25〜29歳で27.5万円、30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、
そこから住民税や所得税などを差し引いた手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半
は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。
平均給与から考えると、「駒込」駅周辺は、20代会社員では、適正家賃を少々超えてしまう家賃水準
ですが、それでも十分魅力的な家賃水準です。大手検索サイトで、20代会社員の適正家賃内、駅徒歩
10分圏内で見つかる単身者用の物件は、築40〜50年程度の築古物件になってしまいますが、30代の
適正家賃程度まで条件を広げると、新築含む築5年以内の築浅物件も見つけることができます。築浅物件は
オートロック、風呂・トイレ別など、昨今の賃貸ニーズを考えて物件が多く、居住性も担保されています。 また交通の利便性も見逃せません。山手線利用で「池袋」7分、「新宿」17分、「東京」19分、東京メトロ
南北線利用で「後楽園」7分、「麻布十番」25分(所要時間は平日8時に「駒込」を出発した場合の目安)。
南北線、東急電鉄目黒線や埼玉高速鉄道埼玉スタジアム線と直通運転を行っているので、神奈川県や
埼玉県方面への移動もスムーズです。
また道路は南北に本郷通りが走り、高級住宅地とされているエリアは、道幅も確保されていて良好です。
しかしそのほかのエリアは道幅は狭く、また高低差があり坂道も多いので、内見の際には、周辺の道路
事情のチェックは必須です。
駒込周辺には、安さが魅力の地元密着型のスーパー「エネルギースーパーたじま 」のほか、「マルエツプチ」
などの小規模スーパーが駅東側を中心に点在。大手ドラッグストアチェーンは、駅西側の本郷通り沿いを
中心に展開されています。店の立地に偏りはあるものの、日常品を買うのに困ることのない環境です。
またファストフードやファミレス、牛丼店、定食店など、お馴染みの大手飲食チェーン店は揃っているので、
外食で困ることもありません。また安くてうまいと評判の地元密着型の飲食店も多く、定番に飽きたときに重宝します。
「駒込」は山手線駅のなかでは商業的な賑わいはないものの、下町の雰囲気を残す元気な商店街が健在など、
どこか懐かしさを感じさせてくれる街です。坂道が多く、場所によって駅までに移動が少々きつく感じるかも
しれませんが、住環境は抜群。山手線駅なので交通利便性も申し分ありません。家賃が高いイメージが強い
山手線ですが、会社員でも検討の余地がある家賃水準も魅力的です。
GGO編集部 東京マラソン、来春も一般中止か エリートのみ実施で検討
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200828-00000019-jij-spo
8/28(金) 7:23配信
東京マラソン財団が新型コロナウイルスの影響により、来年3月7日に開催予定の大会で
一般参加を取りやめ、2年連続でエリート部門のみでの開催を検討していることが27日、
関係者への取材で分かった。今年3月1日の大会も約3万8000人の一般参加を中止していた。
方針は来月上旬にも決まる。
東京マラソンは2007年に始まり、国内最大規模の参加者数を誇る。今年の大会は新型コロナ
の感染拡大を受け、初めて一般参加を全面的に中止。有力選手のエリート部門のみを実施し、
沿道での観戦自粛を呼び掛けた。
東京五輪男子代表の選考会として行われたレースでは、大迫傑(ナイキ)が2時間5分29秒
の日本新記録で日本人トップの4位に入り、その後五輪代表に決まった。
財団は今年の大会に参加できなかった一般ランナーに対し、来年大会か22年大会の出場権を
与えると既に通知している。当初は7月中に選択してもらう予定だったが先送りしており、
来年大会の準備の参考として、どちらの出走を希望するかのアンケートを実施した。 東京都荒川区に荒川が流れていない理由
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200829-00000020-pseven-life
8/29(土) 16:05配信
河川の治水工事の影響で、地名の由来が失われたり、そもそも地名が変わることがある。
荒川区に荒川が流れていない理由、埼玉県川口市と北区、戸田市と板橋区の関係について紹介しよう。
■荒川が荒川区を流れていないのはなぜ?
埼玉と東京を流れる荒川は「荒川区」の由来とされているが、実は荒川は荒川区を流れていない。
その理由は、昔からあった「荒川」の名前が変更されたから。
荒川区が発足した1932年当時、荒川は区の北側を流れていたが、氾濫が多かったため治水対策として、
その2年前の1930年に荒川を分岐させた人工河川「荒川放水路」が完成していた。
その後64年、河川法の改正に伴い、荒川は「隅田川」、荒川放水路は「荒川」に名称を変えた。
それまで荒川区を流れていた荒川が、隅田川になったというわけだ。
■川の流れで埼玉が北区になった
北区にはかつて埼玉だった場所がある。浮間地区である。
浮間地区の北側を流れる荒川は、古くは利根川の支流だった。
水害も多く、大正時代には大規模な河川改修工事が行なわれた。その結果、荒川の流路が大きく変わり、
浮間地区は埼玉県側から切り離されて、東京側と陸続きになってしまったのだ。
当時の荒川には橋が架かっていなかったため、子供が通学のために渡船で埼玉県に行く必要があり、
買い物や通勤などの日常生活にも支障が出てしまった。そこで1926年、東京都に編入されたのだ。
■区境変更を円満解決して開かれる「記念花火大会」
もともと地区一帯の南側を流れていた荒川が、改修により北側を流れることになったため、
1950年に埼玉県から東京都板橋区に編入されたのが舟渡地区だ。
同地区にある戸田葬祭場は、1926年に創立された民営の斎場。板橋区にありながら、埼玉県の都市名
である戸田市の名前が用いられているのは、ここがかつて埼玉県だった痕跡なのだ。 境界変更が後々まで禍根を残すのはよくある話だが、板橋区と戸田市の場合は円満に解決しており、
現在の「戸田橋花火大会」「いたばし花火大会」は、境界確定を記念して開催されるようになったもので、
大田区vs江東区など領土問題で揉める場合が多い中、珍しいケースといえる。
地図製作■タナカデザイン
※週刊ポスト2020年9月4日号 20代で23区・駅近暮らし実現「京成線・青砥」唯一の心配は?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200827-00028540-gonline-bus_all
8/27(木) 11:01配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、京成電鉄の本線と押上線「青砥」。
■駅は「青砥」、でも町名は「青戸」…どっちが正解?
「青砥」は東京都葛飾区の北東部に位置する、京成電鉄の本線と押上線の駅です。1日の乗降数は5.1万人強。
「押上」で都営地下鉄浅草線と直通運転を行い、羽田や横浜方面へもダイレクトにアプローチすることができます。
駅名は「青砥」ですが、町名は「青戸」。「戸」は「津」が転じたもので、港や船着き場を表す言葉である
ことから、昔、港をがあった土地だったことが推測されます。東京近郊にはほかにも、「松戸」や「登戸」
など、「戸」がつく地名はありますが、同じ謂れだとか。
鎌倉時代初期に記された資料には、「青戸二郎重茂」という、この地を治めていた武士の名前が確認できます。
当時の傾向から考えると、彼の名前は地名をとったものだと推測され、「青戸」は少なくても700年以上も
前からある、由緒ある地名だということがうかがえます。
では「青砥」という駅名は、どこからきているのかというと、鎌倉時代に活躍した「青砥藤綱」名裁判官。
藤綱の家が青戸にあったとする言い伝えから、青砥という文字が多く使われるように。
しかし『正式な地名はずっと「青戸」で青砥となったことはありません』と区役所は少々強めに宣言をしています。
地図をみる限り、小学校や中学校、公園などにも「青戸」の漢字が使われています。
「青砥」が使われているのは、中川にかかる「青砥橋」くらいでしょうか。 駅の開業は戦前の1928年ですが、青砥の街の開発が本格化したのは、戦後のこと。
日本住宅公団が1,000戸を超える青戸第一団地を建設し、人口は急増しました。青戸第一団地は
90年代から2000年初頭にかけて建て替えられ、現在はファミリー層に人気の団地になっています。
また町工場が混在する住宅街だった青砥の街でしたが、その代表格の東洋インキ製造の青戸工場は2004年に移転。
現在、その跡地には大規模なマンションなどが建てられています。
「青砥」はいわゆる下町エリア。細い路地に飲食店が並ぶ「青砥北口仲通り商店街」など、昔ながらの
街並みが残る一角もありますが、駅周辺はそこまで昭和ノスタルジーを放つほどではありません。
駅に直結する「ユアエルム青戸」は、スーパーや100円ショップ、書店、CDレンタルなど、日常使いに
便利な店が揃う商業施設。また駅の西側に「青戸銀座商栄会」「青戸サンロード商店会」「北ウイング
青戸商店会」、川が迫る東側に「青戸駅前通り商交会」と商店街があり、ちょっとした繁華街を形成しています。
人通りも車通りも、そこまで多くなく、すべて程よい、長閑な雰囲気を醸し出している駅です。
■葛飾区は、23区でも家賃の安さが際立つ
居住地を選ぶ際、最重要視するひとつが家賃ですが、葛飾区は東京23区でも一、二を争うほど、家賃が
リーズナブルなことで知られています。では「青砥」周辺の家賃相場は、というと、駅徒歩10分圏内の
1Kの平均家賃は6.56万円、11分を超えると4.7万円。東京都葛飾区の同条件、駅徒歩10分圏内の平均家賃は
6.03万円、11分を超えると5.53万円(図表1)。「青砥」周辺は、駅に近いエリアは区の平均を上回って
いますが、駅から離れるとリーズナブル感が増します。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、
25〜29歳で27.5万円、30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、
そこから住民税や所得税などを差し引いた手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半は
6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。 20代だとまだ給与は低いから23区内の駅近に住むのは難しそう……と考えがちですが、「青砥」駅周辺
であれば、20代会社員の適正家賃内で、駅近の物件が借りられます。ただ大手検索サイトで、20代会社員
の適正家賃内、駅徒歩10分内で見つかる単身者用の物件の半数は築30年以上の築古物件。新築物件の供給は
多くないエリアなので、比較的新しい物件が希望なのであれば、築10年前後を目安に探しましょう。
また単身の会社員にとって、勤務先までの時間も重要な要素ですが、「青砥」は交通の利便性も申し分なし。
JR山手線と接続する「日暮里」は11分、「日本橋」20分、「大門」28分、「品川」38分(所要時間は、
平日8時に「青砥」を出発した際の目安)。7時台に4本、8時台に6本と、浅草線直通電車の始発があるうえ、
都心へは30分圏内。さらに羽田、成田の両空港にもダイレクトにアプローチできるのもポイント。
スカイライナーも停車するようになり、国内出張も、海外出張にも便利な立地です。
一方、環七や水戸街道などの幹線道路に近い立地ですが、その他の道は下町らしく、細く入り組み、
自動車移動は大変です。平坦な道が多いので、移動は自転車が便利です。
スーパーは高架下の「リブレ京成」や「まいばすけっと」、「アタック」のほか、「ココナカムラ」(駅徒歩11分)、
「ヨークマート」(駅徒歩8分)があります。深夜まで営業しているスーパーもあるので、時間を気にせず買い物ができます。
大手ドラッグストアチェーン店もあるので、最寄り品の購入で困ることはないでしょう。
飲食店は、ファストフードやファミレス、牛丼店、定食店など、お馴染みの大手飲食チェーン店が揃うほか、
駅直結の「ユアエルム青戸」内の飲食店も気軽に利用できる店ばかり。商店街には地元の人で賑わう居酒屋も。
街に馴染んだら、ぜひ、訪れてみたいスポットです。
家賃面、交通面、生活面、いずれにおいても、20代会社員の23区・駅近の住まいをかなえてくれる「青砥」。
最後にひとつ、下町エリアであれば必ず議論になる、災害のリスクについてみていきましょう。 まずは地震。青砥周辺は、沖積低地という、地震の際に比較的揺れやすい地盤のエリアです。東京都による
「地震に関する地域危険度測定調査」によると、青砥周辺の総合危険度は2〜3ですが、駅からみて北の
「青砥6丁目」は火災危険度が4、総合危険度も4と、地域のなかでも高めです。
次に洪水。葛飾区のハザードマップを確認すると、荒川や中川が氾濫した際、青砥周辺では0.5〜3mの浸水、
江戸川が氾濫した際には、0.5m未満の浸水が予測されています。
一帯はゼロメートル地帯なので、なにかと洪水のリスクがいわれていますが、実際に、大きな浸水被害が
みられたのは戦後直後くらいまでで、昨今は治水対策の成果もあり、目立った浸水はみられていません。
ただし100年に一度といわれる、災害は、明日起こってもおかしくない状況。
もしものために、備えておいても損はありません。
GGO編集部 百貨店が消えた「小田急・相模大野」新宿まで40分の住み心地
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200902-00028696-gonline-bus_all
9/2(水) 11:01配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、小田急線「相模大野」。
■街の発展の中心的存在、百貨店が29年の歴史に幕
「相模大野」は、相模原市南区位置する小田急電鉄の駅です。1日の乗降数は13万人ほど。
当駅で小田原線と藤沢方面へと向かう江ノ島線が分岐します。
相模大野では、昨年9月、伊勢丹相模原店が29年の歴史に幕を閉じました。隣駅が多摩エリア有数の繁華街
「町田」という立地で、地域間、他店との競争に勝つことができなかったこと、百貨店ビジネスそのものの
終焉を迎えているなど、さまざまにいわれましたが、1996年の売上をピークに赤字が続いていました。
地域のシンボル的存在だった百貨店は、もともと、相模原米軍医療施設あった場所。1981年に返還された後、
百貨店のほか、住宅施設(ロビーシティ相模大野五番街)や文化施設(相模女子大学グリーンホール)、
公園(市立相模大野中央公園)などが設けられ、地域の発展に貢献してきました。
近年、東京近郊でも百貨店の閉店が相次いでいます。伊勢丹相模原店と同じタイミングで伊勢丹府中店
(東京都府中市)、先月8月には高島屋港南台店(神奈川県横浜市港南区)、来年2月にはさいか屋横須賀店
(神奈川県横須賀市)、そごう川口店(埼玉県川口市)が閉店。
長年、親しまれてきた大型店がなくなることは、街の雰囲気を大きく変えてしまうことだけに、
「最近は足が遠のいて、行く機会がなかった……」という人でも、どこか寂しさを覚えるものです。
そんな郷愁にかられても再び百貨店がオープンする……とはなかなかならないので、次の展開
が気になるところです。いまのところ、伊勢丹相模原店の跡地は、野村不動産が取得し再開発。 元々野村不動産は駅西側に隣接する「相模大野駅西側地区第一種市街地再開発」に参画。
180店舗からなる商業施設、公共施設、マンションが複合した「ボーノ相模大野」を運営しています。
百貨店跡地も建て替えによって、同程度の複合施設になるといわれています。ただ気になるのが、
元々百貨店時代にあった2階の通り抜け通路。県道51号を跨ぎ、グリーンホールを経て、相模大野
中央公園に至る通路で、平日、休日ともに1万人以上の通行量を誇る歩行者の主要動線でした。
現在、隣接する立体駐車場を抜ける迂回路が設けられていますが、元々は地域のシンボル的な
アプローチだっただけに、新しい施設でも同様の動線の確保が期待されます。
■新宿なら乗り換えなし、駅周辺に人気ショップも出店
そんな街として大きな転換期を迎えている相模大野ですが、単身者の居住地としてのポテンシャル
はどうでしょうか。「相模大野」から「新宿」は、平日通勤時間帯であれば43分。途中「下北沢」
で乗り換えて「渋谷」47分、「代々木上原」で降りた反対側のホームで東京メトロ千代田線に
乗り換えて「表参道」42分、「日比谷」53分。
「新宿」には乗り換えなしで行けますが、ほかの都心の主要エリアは乗り換えが必須になるうえ、
所要時間も結構かかります。小田急小田原線の混雑具合は、ダイヤ改正などで改善されたとはいえ、
停まる駅の少ない快速急行はかなり混みます。
このコロナ禍でも以前ほどの混み具合ではありませんが、結構な混雑です。
できるだけ混雑を避けたいというなら、時間はかかりますが各駅停車などに乗るのがおすすめです。
駅周辺をみていくと、北口は中高層の建物が多く、ちょっとした繁華街を形成。飲食店や風俗店が
集まる一角もあり、夜にはしつこい呼び込みもあります。しかし、そこまで治安が悪いという印象
は受けません。一方南口は、駅前から住宅街が広がり、駅周辺は高層のマンション、駅から離れる
にしたがい、アパートや戸建てが多くなっていきます。
買い物スポットは駅周辺に集中。駅ビルの「ステーションスクエア」に「Odakyu OX」「ボーノ相模大野」
に「ライフ」、北口11分のところに「業務スーパー」、南口ロータリーを超えてすぐに「スーパー三和」があります。 そのほか、駅周辺には「マツモトキヨシ」や「セイムス」、「過ぎドラッグ」、
「ウェルシア」など、大手ドラッグストア店もあるので、最寄り品の購入で困ることはありません。
また「ステーションスクエア」には「GU」や「ユニクロ」、「フランフラン」、「無印良品」、
「ビッグカメラ」など、「ボーノ相模大野」には「H&M」や「ZARA」などの人気ショップがテナント
として入っているので、駅周辺で大抵の日常品は揃えることができます。
また居住地を選ぶ際、最重要視するひとつが家賃ですが、「相模大野」周辺の家賃相場はというと
、駅徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は5.02万円、11分を超えると3.92万円と、かなりリーズナブル。
隣の「町田」駅周辺では駅徒歩10分で5.6万円、11分を超えると4.21万円なので、新宿からひと駅
先に行く価値はあるでしょう。
また「相模大野」周辺には、相模女子大学や北里大学、女子美術大学など、大学が点在している
ので、学生をターゲットにした、設備が充実した物件が豊富。トイレ・バス別、浴室乾燥機、
独立洗面台など、今どきの賃貸ニーズに応える設備の物件が多く見つかります。
また新築含む築浅の物件のほか、適正家賃内で駐車場付きといった物件も見つかるので、
車を所有する人の居住地候補にもなるでしょう。
百貨店の閉店は地域にとってインパクトが大きく、ネガティブな印象を抱いてしまいがち。
ただ相模大野の場合、百貨店が駅前ではなく、駅から徒歩5分ほどのところにあったため、
駅周辺ではそれほど変わった様子は感じられません。
相模大野は買い物スポットが充実し、ほどほどに便利。家賃もリーズナブルで、条件にあった
物件が見つけやすい環境です。唯一、「新宿」から通勤時間帯で40分という立地さえクリア
できれば、都心勤務の単身者でも居住地候補になりそうな街です。 ACL中止危機!11月への延期案に各国反発
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200904-00000092-spnannex-socc
今季のアジアチャンピオンズリーグ(ACL)が、再開を待たずして中止の危機にひんして
いることが3日までに分かった。
複数の関係者によれば、10月に集中開催となった中断中の東地区1次リーグに関し、
アジアサッカー連盟(AFC)はコロナ禍の現状を鑑み、各国リーグに11月への延期を打診。
だが、反発の声が大多数を占めており、関係者は「このままでは中止となる可能性
も十分に考えられる」と、明かした。
今季のACLは2月に1次リーグの2試合を消化したのみ。AFCは7月9日に、1次リーグ残り4試合を
10月16日から集中開催で実施すると発表。その後、神戸のG組と横浜のH組は10月17日〜11月1日
にマレーシアでの開催が決まった。だが、条件付き活動制限令を年末まで延長したマレーシア
をはじめ、各国のコロナ事情は今も厳しい状況のまま。FC東京のF組は開催地が未定のままだ。
また、12月9〜19日にカタールで開催予定の20年クラブW杯も中止となる可能性が高いという。
そのためAFCは1次リーグの集中開催を10月から1カ月引き延ばし、クラブW杯中止で空く可能性
が浮上した12月に決勝トーナメントを開催する案を計画。各国に同意を持ち掛けたという。
ただ、各国リーグともコロナ禍の影響で過密日程を抱えており、交渉は難航。
帰国後の隔離問題などもあり、参加国の中には「延期なら中止」を訴えるリーグもあるという。
▽ACL日本勢の現状
1次リーグは32チームが東西に分かれて行われる。両地区ともに16チームが4組に分かれ、
各組1位と2位の計8チームが決勝トーナメント(T)に進む。日本勢は2月に2試合ずつを消化し、
F組のFC東京が1勝1分け、G組の神戸とH組の横浜が2勝と、3チームとも不敗で首位に立っていた。
決勝Tが16チームとなった09年以降、日本勢で開幕2連勝したチームは全て決勝Tに進出している。 飯田橋周辺の「駅まち一体開発」、東京都が再整備構想を策定
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200914-00000164-impress-sci
9/14(月) 19:06配信
東京都は、飯田橋駅周辺の道路、鉄道駅及びコンコース等の都市基盤整備の方向性を取りまとめた
「飯田橋駅周辺基盤再整備構想」を策定した。分かりやすく快適な移動空間の形成や、災害時にも
安全・安心に過ごすことができる環境づくり、みどりの整備などに取り組む。
都は、飯田橋駅周辺の都市基盤について、駅周辺のまちづくりと連携し、その充実・強化を図るため
の指針を策定することを目的とした検討会を2019年11月に立ち上げ、検討を進めていた。
今回策定した再整備構想は、基盤整備方針の前段として、都民から寄せられた意見を踏まえ、
整備の方向性を取りまとめたもの。
飯田橋駅周辺は、千代田区、新宿区、文京区の区境に位置し、鉄道5路線が結節。また幹線道路3路線が
交差する交通の要衝である一方で、鉄道駅や歩道橋、地下の乗換コンコース等、歩行者の流動空間を
始めとする都市基盤は、混雑して分かりにくく、バリアフリー動線にも課題があるという。
駅周辺においては都市開発などが実施されているほか、建物の老朽化に伴うまちづくりの検討が
複数の地区で進められている。
こうした状況を踏まえ、まちづくりの目標の実現に当たっては、都市基盤の充実・強化などの方向性
を定め、都市開発などの具体的なまちづくりと連携した取り組みを計画的に進めていく必要があるとする。
そのため、東京都と関係3区は、JR東日本、東京メトロ、東京都交通局とともに検討会を設置して検討
を進め、今回「飯田橋駅周辺基盤再整備構想」を策定した。
基盤再整備構想のポイントは、都市開発の機会を捉え、多様な機能を誘導するとともに、鉄道駅や
駅周辺の都市基盤再整備やにぎわいのある空間創出に取り組む「駅まち一体開発」を進め、交通
結節機能等を強化することとしている。
快適な移動空間の形成については、鉄道路線間の連絡通路や地下通路、地上出入口の空間および
機能を拡充するとともに、バリアフリー化を推進。また、地上の歩道、地下通路、歩道橋の縦方向
の動線や、バス・タクシー・自転車などの交通結節機能、歩道橋の機能を強化する。 また、飯田橋交差点への負荷が最小限になる車両交通処理を行なう。
災害時に向けた対応については、安全に避難できるの歩行空間(歩道橋、地下通路など)の確保、
一時滞在施設や一時滞留スペースの確保に取り組む。
みどりの整備については、都市開発等と連携し、沿道や南北崖線、外濠や神田川沿い等、既存の
みどりを生かした、目に見えるみどりのネットワーク形成に取り組む。
今後は、行政、鉄道事業者、都市開発事業者等が連携し、複数の都市開発の一体的な都市基盤整備
を効果的に実現していくため、計画内容、スケジュール、事業手法、役割分担、費用負担等について
調整や合意形成を進める。
Impress Watch,加藤綾 東京メトロ全180駅…10年で最も利用客が伸びた駅はどこだ?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200914-00028963-gonline-bus_all
9/14(月) 11:01配信
通勤・通学に、観光に…東京暮らしには欠かすことができない、地下鉄網。駅の利用客の推移を
みていくと、都心のいたるところで行われている開発が、どれほどのインパクトがあったのかなど、
さまざまなことがみえてきます。今回は東京メトロの駅に焦点を絞り、その変化に注目していきます。
【東京メトロ9路線…利用客増加率ベスト3を発表】
東京(一部埼玉、千葉)を縦横無尽に走る東京地下鉄、通称、東京メトロ。全9路線、総計195.0km
にも及ぶネットワークは、都心にアクセスできる交通機関として、なくてはならない存在です。
東京で地下鉄が初めて走ったのは、いまから100年近くも前の1927年。現在の銀座線の一部である
「浅草」〜「上野」が東洋初の地下鉄として営業を開始しました。その後、1954年に丸ノ内線、1961年に日比谷線、
1964年に東西線、1969年に千代田線、1974年に有楽町線、1978年に半蔵門線、1991年に南北線が開業。
そして2004年に営団地下鉄から東京メトロになってから、2008年に副都心線が開業しました。
9路線のうち、7路線でほか鉄道会社と直通運転が行われ、埼玉県、千葉県、神奈川県、茨城県まで、
広範囲で運転されています。
そんな東京メトロには、180の駅がありますが(重複含まず)、利用客を増やしたり、減らしたりと、栄枯盛衰
の歴史があります。まずはそれぞれの路線ごとに、各駅10年(2008〜2018年)の増減率をみていきましょう。
■銀座線
「渋谷」と「浅草」を結ぶ14.2km。その間に19の駅があります。
そのなかで最も利用客増加率が高かったのが「京橋」で131%。「田原町」「稲荷町」と続きます(図表1)。
日本橋と銀座の間に位置し、東京・八重洲に近い「京橋」周辺は、小・中規模のオフィスビルの多いエリア
ですが、近年、大規模な再開発事業が行われ、2013年「東京スクエアガーデン」、2016年「京橋エドグラン」
が誕生。通勤客が大幅に増えました。
また上野と浅草の間に位置し、合羽橋なども近い「稲荷町」「田原町」は、インバウンド客の増加によって、
利用客を増やしました。 ■丸ノ内線
「荻窪」「方南町」と「池袋」を結ぶ、総延長27.4km。東京メトロでは珍しく、「中野坂上」から「方南町」
へと分岐線が走ります。全28駅のなかで最も増減率が高かったのが「新宿三丁目」で226%を記録。
これは2008年の副都心線開業が大きく貢献していると考えられます(図表2)。
続く2位が「西新宿」。新宿副都心の北端にある駅ですが、西新宿から北新宿にかけての再開発で、2011年
「住友不動産新宿グランドタワー」「新宿フロントスクエア」と高層オフィスビルが誕生。通勤利用客が大幅に増えました。
■日比谷線
「中目黒」と「北千住」を結ぶ20.3km。その間に22の駅がありますが、そのなかで最も増加率が高かったのが
「南千住」で134%。80年代後半から続く再開発で、商業施設やタワーマンションが誕生し、住民が増加しているほか、
2005年につくばエクスプレスが開通し、利便性が向上。「住みたい街」としても注目が高まり、利用客を伸ばしました(図表3)。
続くのは、旧三井銀行本店を含む再開発で2018年に誕生した「東京ミッドタウン日比谷」の効果が大きい「日比谷」。
そして上野と浅草にも近く、インバウンド需要が増加した「入谷」が続きます。
■東西線
「中野」と「西船橋」を結ぶ30.8kmに全23駅。「南砂町」を出ると地上を走り、さらに「浦安」からは千葉県になります。
そのなかで最も増減率が高かったのが、「落合」で122%。東西線の駅では最も利用客が少ない駅ですが、
近年、利用客を伸ばしていました(図表4)。
その要因として考えられるのが、周辺の教育機関に通う外国人の存在。「中野」〜「高田馬場」〜「早稲田」には、
大学や専門学校が多く、近年は海外からの留学生が増加しています。
彼らの居住地として、家賃が安く通学も便利な「落合」周辺が選ばれたのだと考えられます。
■千代田線
「北綾瀬」と「代々木上原」を結ぶ21.9km、20駅。そのなかで最も増加率が高かったのが「明治神宮前」167%。
東京メトロの原宿の玄関口であり、また明治神宮の最寄り駅。近年のインバウンド需要の高まりで、利用客を
大幅に増やしました。また、続く「代々木公園」も同様にインバウンド需要の増加によるものだと考えられます(図表5)。 ■有楽町線
「和光市」と「新木場」を結ぶ28.3km、24駅。最も増加率が高かったのが「豊洲」で185%。
近年、次々とタワーマンションが誕生しているほか、オフィスビルも増加。住民と通勤客が増加し、2倍近くも
利用客が増加する結果になりました(図表6)。
「小竹向原」は副都心線の開業により、利便性が大きく向上した駅のひとつ。
池袋、都心方面に加え、渋谷、横浜方面にもダイレクトに繋がったことにより、利用客を大きく増やしました。
「東池袋」は池袋界隈でも、近年注目されているエリア。2011年にタワーマンションと一体となった「豊島区役所」が移転。2
016年にリニューアルオープンした「南池袋公園」はカフェなども併設し、親子連れに人気のスポットになっています。
■半蔵門線
「押上」と「渋谷」を結ぶ16.8km、14駅。最も増加率の高かった「押上」では、2012年に「東京スカイツリータウン」が開業。
「スカイツリー前」という副駅名も導入され、利用客が大幅に増えました(図表7)。
「住吉」「清澄白河」は、近年、都心に近く交通利便性が高いエリアとして、新築マンションが増加。
またギャラリーやカフェも増え、都内でもオシャレなスポットとして人気が高まり、来街者を増やしました。
■南北線
「目黒」と「赤羽岩淵」を結ぶ21.3km、19駅。最も利用客が増加したのが「六本木一丁目」で156%。周辺では大型
のオフィスビルの供給が続き、2016年には旧六本木プリンスホテル等の跡地に、レジデンスとオフィスが一体となった
「住友不動産六本木グランドタワー」がオープン。利用客が大幅に増加する要因となりました(図表8)。
続くのが「永田町」で146%。こちらもグランドプリンスホテル赤坂の跡地の再開発事業で、オフィス、商業施設、
賃貸レジデンス、ホテルなどからなる「東京ガーデンテラス紀尾井町」が2016年に誕生。利用客の増加に貢献しました。
■副都心線
「小竹向原」(和光市駅 - 小竹向原駅間は有楽町線と共用)と「渋谷」を結ぶ11.9km、11駅。2008年に開業した、
東京で一番新しい路線です。開業当初から一番利用客を伸ばしたのは「東新宿」で322%。増加に最も貢献したのが、
2012年、日本テレビゴルフガーデン跡地に誕生した「新宿イーストサイドスクエア」。 オフィス・商業の複合施設で、駅直結。
オフィスには国内トップクラスのゲーム会社がテナントとして入るなど、通勤客を中心に増加しました(図表9)。
【アフターコロナ…駅利用が大きく変わる可能性】
このように利用客の増加率が高い駅は、大きく、周辺の再開発により、大型の商業施設やオフィスビルが
できたことで来街が増えた駅、また訪日外国人の増加に呼応するように、人気観光地が近いことで来街が
増えた駅に、分けられることがわかるでしょう。
なかでも副都心線「東新宿」は、複数路線乗り入れる駅は利用客を合算したうえで集計した増加率ランキング
(対象140駅)でも、最も高い数値を記録しています。元々は新宿にほど近くの住宅地で、歌舞伎町や大久保の
コリアンタウンに隣接する駅だった「東新宿」。「新宿イーストサイドスクエア」の誕生でオフォス街としての
機能がプラスされたうえ、新宿近接という立地から、インバウンドを見越したホテルも増加。
近年、来街者が急増していたエリアでした(図表10)。
しかし、この結果はコロナ禍前の駅利用客を集計したもの。コロナ禍により、インバウンド需要は急減。
さらにリモートワークの浸透で、通勤利用客も大幅に減少しています。
今後、状況次第では、駅利用客も大きく変化する可能性があるでしょう。
GGO編集部 FC東京、横浜、神戸 リーグ戦&ACL最大6試合2チーム編成 日程重複J再編難しく
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200917-00000051-spnannex-socc
9/17(木) 5:30配信
今季アジアチャンピオンズリーグ(ACL)に出場するFC東京、横浜、神戸の3チームが大会の日程再編により、
開催期間中にリーグ戦との2チーム編成を強いられる可能性があることが16日までに分かった。
アジアサッカー連盟(AFC)は10日、各国の反発を押し切る形で、コロナ禍で中断中のACL東地区の
日程再編を発表。10月16日から集中開催の予定だった1次リーグの残り4試合、準々決勝、準決勝を
11月15日〜12月13日に移し、決勝も12月5日から同19日に変更した。
Jリーグもそれに伴いリーグ日程の再編を検討中だが、決勝と同日に予定されるJ1最終節を同20日
以降に延期するのは困難という判断で、ACLとリーグの日程の重複は避けられない状況だ。
そこで苦肉の策として浮上したのがACLとリーグ戦との2チーム編成案だ。現在のリーグ日程では
最大で4〜6試合が重複。元々ACL開催が予定された10月中旬〜11月初旬にリーグ戦が組み込まれる
可能性もあるが、それでも3〜4試合の変更が限度だ。1次リーグ突破なら状況はさらに厳しくなり、
Jリーグは日程が重なることを想定し出場チームに対し2チーム編成の準備を打診しているという。
関係者によれば1次リーグの残り4試合と準々決勝、準決勝も決勝と同じカタールでの集中開催が濃厚という。
コロナ禍の影響によりタイトな日程が続くが、ACL出場チームは今後さらなる困難を伴いそうだ。
▽ACL日本勢の現状
1次リーグは32チームが東西に分かれて行われる。両地区ともに16チームが4組に分かれ、各組1位と2位の
計8チームが決勝トーナメント(T)に進む。日本勢は2月に2試合ずつを消化しF組のFC東京が1勝1分け、
G組の神戸とH組の横浜が2勝と3チームとも不敗で首位に立っていた。
決勝Tが16チームとなった09年以降、日本勢で開幕2連勝したチームは全て決勝Tに進出している。 東芝がオフィス面積を3割削減へ 富士通に続き、電機各社で広がる
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200917-00000561-san-bus_all
9/17(木) 17:43配信
東芝が新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、テレワークを推進するため、国内のオフィス
(工場を除く)面積の約3割を削減する方向で検討していることが17日、分かった。
富士通も国内のオフィス面積を令和5年3月までに半減する方針を示しており、電機各社の間で
オフィスを削減する動きが広がりそうだ。
東芝はオフィスの削減に向けて、10月から社内調査に乗り出す。社内には過去の資料や文書が
数多くあるため、その分量を割り出し、保存の在り方について検討する。今年度から実施している
本社ビル(東京都港区)建て替え工事に合わせ、段階的にオフィス面積を削減する。
削減目標の時期は調査を踏まえ決定する。
一方、東芝は営業担当を中心に使うサテライトオフィスを約180拠点設けた。
本社や支社のオフィス面積を減らし、社員には自宅に近いサテライトオフィスを活用してもらう。
車谷暢昭社長は「デジタル化による社会変革がコロナを契機に一気に加速する」との見方を示しており、
自社で率先し、テレワークの推進やオフィスの削減に取り組む。 地下鉄日比谷線・東武線直通の座席指定列車「THライナー」に乗る
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200919-00657752-besttimes-life
9/19(土) 13:00配信
■日比谷線をクロスシートに乗って移動
東京メトロ日比谷線の霞ヶ関駅と東武伊勢崎線の久喜駅を結ぶ直通の座席指定列車「THライナー」
が、2020年6月6日より運行を開始した。いわゆる「通勤ライナー」のひとつで、東武東上線の
TJライナー、西武線と東京メトロなどを直通するS-TRAIN、京王ライナーと同じくクロスシートにも
ロングシートにもなるデュアルシートを採用した電車だ。
これまでロングシートの電車しか走っていなかった日比谷線をクロスシートに乗って移動できる
とあっては、一度は乗ってみたいと思いつつ、コロナ禍のためずっと乗車をためらっていた。
世の中が少しは落ち着いてきた9月中旬の週末、やっとのことでTHライナーに乗ることができた。
通勤ライナーなので、朝は埼玉県の久喜駅から日比谷線内に直通し、夜のラッシュ時は、霞ヶ関駅
から久喜へ向かうダイヤになっている。平日の霞ヶ関駅発久喜行きは、1号の18時02分発が最初で、
1時間に1本の運転で、最終の霞ヶ関駅発は22時02分だ。用もないのにお試し乗車をするのなら、車窓も楽しみたい。
そう思って土休日のダイヤを見ると、1号は霞ヶ関駅発16時02分で久喜駅到着は17時17分。
これなら、9月でも何とか明るいうちに全区間を走行できそうだ。というわけで、この電車に乗ることに決めた。
座席の予約は、ネットでできるので東武鉄道の予約サイトで行った。
駅の自動券売機でも予約できるけれど、沿線の住人ではないし、券売機では席の位置まで決められない。
この手のデュアルシート車両は、ドアのすぐ後ろの席に当たると、構造上、窓がない戸袋の部分に座る
こととなり車窓が楽しめない。それで、予約サイトのシートマップを見ながら、車窓を楽しむのに
不自由しないドアとドアの間に3列あるクロスシートの真ん中の列の窓側を確保した。
乗車日当日の午前だったので、まだ予約は入っておらず、好きな席を選ぶことができたのである。 THライナーの始発となる霞ヶ関駅には余裕をもって発車の30分以上前に到着した。
ホームにはTHライナーの表示がいくつもあり、指定券発売機はホーム中程の5号車乗車口付近にある。
休日の霞ヶ関駅は官公庁が閉まっているため閑散としている。
少しは電車を待っている人もいるけれど、指定券発売機の前には誰もいなかった。
すでに予約済なので券売機に用はない。きっぷを発券することもなく、チケットレスで乗れるのは便利だ。
数本の電車を見送った後、東武動物公園行きの電車が到着。
ホームで電車を待っていた乗客のほとんどは、この電車に乗ってしまった。席がほぼ埋まる程度の混み方だ。
この次が待望のTHライナーで、発車時刻まで3分しかない。前の電車の発車後1分も経たないうちにTHライナー
の車両が中目黒方面から入線してきた。7両編成の車両それぞれ1か所だけドアが開く。
1号車だけは最後尾のドアが、2号車以降は一番前のドアが開いた。誰も並んでいなかったので、ゆっくりと車内へ。
後に続く人はいなかったので、のんびりと車内の写真を何枚か撮って予約した席を探した。
荷棚の横棒に席番が小さく書いてあって意外に探しにくいけれど、何とか席を見つけて腰を下ろす。
「指定券がなければ乗車できません」という注意放送が繰り返されるのを聴いているうちにドアが閉まり、
電車は滑るように霞ヶ関駅を後にした。見回すと私の乗った車両は私以外誰もいない。
ちなみに、たびたび繰り返される車内放送の優しい女性の声は、女子鉄アナウンサーの久野知美さんによるものだ。
「密」でない状況は好ましいけれど、少なくても2〜3人は乗っていてもいいのにと思う。
閑散としすぎる車内はちょっと寂しい。闇の中が明るくなり日比谷駅を通過、次の銀座駅で早くも停車した。
2人ほど乗って来たものの、「指定券が必要です」の車内放送を聴くと慌ててホームに飛び出していく。
THライナーの存在を知らなかったようだ。というわけで、銀座を出ても独りぼっちだ。
日比谷線内に先行車両を追い抜く設備はないので、THライナーはゆっくりと進む。東銀座、築地、八丁堀
と通過して茅場町駅に停車。この駅でも車内放送を耳にするとすぐに降りていく人がいた。 秋葉原駅で男性が1人、上野駅で中高年の夫婦が一組乗ってきて、ようやく4人となった。上野を出ると
次の停車駅は東武線の新越谷。もっとも、北千住駅では東京メトロの乗務員が東武の社員と交代するため、
少しだけ停車するとの案内放送があった。
■霞ヶ関駅を出て1時間15分で終点の久喜駅に
三ノ輪駅を出てしばらくすると、外が明るくなる。地下から地上に出て高架線へ。ふと左手を見ると、
JR常磐線の電車が並走していた。南千住駅を通過すると右手下に隅田川貨物駅のコンテナ車が見える。
鉄道ファンなら心躍る車窓が展開する。隅田川を渡り、右奥から東武線の線路がはるか下で合流してくる
と北千住駅に到着した。事前の放送通り乗務員交代のための運転停車でドアは開かない。
いよいよ東武線に乗り入れる。ホームを出ると階下に位置していた浅草方面からやってきた東武線の
線路と同一平面上になり複々線の線路を進み、すぐに荒川の鉄橋を渡る。窓外をよく見ると、複々線の
内側、日比谷線の延長線上にあたる各駅停車用の線路を走っている。小菅、五反野とホームすれすれの
ところを通過するので、各駅停車用の線路であることは一目瞭然だ。どこかで外側の急行用線路に転線
しなければ追い抜きはできないしスピードもでない。どうなることかと気になっていたら、梅島を出て、
西新井駅の手前でようやく外側の急行用線路に移った。これで、先行する各駅停車をさっそうと追い抜く
ことができ、スピードもぐんぐん上がった。
急行の停車する西新井、草加は通過。特急並みのスピードで走るのは爽快である。すれ違う電車は、
東武の各種通勤電車はもちろんのこと、半蔵門線経由でやってくる東急の車両、東京メトロは日比谷線
と半蔵門線の車両、さらには特急「りょうもう」「スペーシア」と実に賑やかだ。竹ノ塚付近で高架工事
の様子をみるほかは、延々と高架区間が続いていく。
上野駅を出て27分後、ようやく新越谷駅でドアが開いた。上野駅で乗って来た夫婦は、ここで下車、
次のせんげん台駅、春日部駅に停車し、周りを見渡すと、再び私の乗った車両は私だけになっていた。
東武線の各駅では下車のみが許され、乗車することは不可なので、もう乗客が増えることはない。 各駅のホームでは、誰もがTHライナーを迷惑そうに眺めている。空いているのに乗れないのでは鬱陶しいのだろう。
東武動物公園駅を出ると、複線の東武日光線が分岐する。これまではマンションや一戸建てがぎっしり
と立ち並んでいたが、沿線は急に緑が増え、広々とした田園風景が展開する。小雨が降る空模様だった
ので、薄暗くなってきた。線路際は田圃が多く、彼方に住宅が並んでいる。都心の日比谷線を走っていた
のと同じ電車から見る車窓とは到底思えない。
1時間乗りとおすと、こんな長閑な風景の中を走るとは誰が想像できるだろうか?
霞ヶ関駅を出て1時間15分で終点の久喜駅に到着。電車はしばらく停車した後、ホームの先にある引き上げ線
へ回送されていった。伊勢崎線は、電車の本数こそ減るものの、まだまだ先へ続いている。さらに隣に
JR宇都宮線(東北本線)の駅もあるので、地の果てにやってきたような終末感は微塵もない。
さて、来た道を戻るか、JRに乗り換えて都心に戻るか、ルートは複数あるので迷うところだ。
THライナーは、東京メトロと東武という2つの鉄道会社をまたいで運転されるので、指定料金は680円
(せんげん台までなら580円)とやや割高だ。東武東上線内だけを走るTJライナーが370円、京王ライナー
の410円と比べると、その割高さは際立っている。また、上野駅から乗ると、久喜駅までは680円かかるけれど、
上野駅から浅草駅まで銀座線を利用し、特急「りょうもう」に乗りかえれば320円(午後割、夜割)で済む。
この列車は特急専用車両なので快適さではTHライナーと比較にならない。
トイレもあるし、座席にテーブルもついている。しいていえば、コンセントがないのが欠点であろうか?
また、上野駅からJRの普通列車グリーン車に久喜駅まで乗れば、平日のグリーン料金は780円だけれど、
土休日は580円とTHライナーよりも安くなってしまう。このあたりに、土休日のTHライナー苦戦の要因がありそうだ。
といっても、運行開始から3カ月ほど。まだまだ周知不足は否めない。もう少し様子を見なければ何とも
言えないけれど、最悪、平日のみの運転になるかもしれないと感じた次第である。
野田 隆 事故から15年 線路高架化に時間がかかる理由 東武線の「竹ノ塚」踏切除却まであと一歩
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200926-00010000-norimono-bus_all
9/26(土) 6:04配信
■「開かずの踏切」対策であえて手動制御だった
東武鉄道の東武スカイツリーライン(伊勢崎線)竹ノ塚駅(東京都足立区)付近で、上りの
優等列車が走る急行線が2020年9月26日(土)から高架線に切り替わります。下り急行線は
既に2016年5月に高架化しており、複々線のうち急行線部分の高架化が完了することになります。
今後は駅舎の建設と、主に普通列車が走る緩行線部分の高架化に着手し、2021年度の踏切除去
と2023年度の事業完成を目指して工事を進めるとしています。
この区間が高架化される契機となったのが、2005(平成17)年3月15日に竹ノ塚駅南側の
「伊勢崎線第37号踏切」で発生した、踏切を横断していた4人が電車にはねられ死傷するという
痛ましい事故でした。この踏切は緩行線2本、急行線2本に加え、駅の南西にある東京メトロ
竹ノ塚検車区につながる連絡線の計5本の線路を横断しており、ラッシュ時は頻繁に列車が
行き交うため「開かずの踏切」として知られていました。東武鉄道は当時、踏切の遮断時間を
短縮するためにあえて踏切を自動制御化せず、踏切保安係がタイミングを見計らって手動で
開閉する運用をしていましたが、係員が列車の接近を失念したまま遮断機を上げてしまった
ことが事故の直接的な原因でした。
足立区は地元住民の強い要望を受け、事故から6年後の2011(平成23)年3月、竹ノ塚駅を含む
西新井〜谷塚間約1.7kmの高架化を都市計画決定し、翌2012(平成24)年に着工しました。
鉄道の高架化や地下化による踏切除去(連続立体交差事業)は、それまで東京都が主体となって
行われてきましたが、東京都は多くの事業を抱えることから、順番を待っていては着工が遅く
なってしまうとして、初めて特別区が主体となって実施することになりました。
それでも事故発生から事業化の決定まで6年、着工から踏切の除去まで9年の時間を要しています。 ■なぜ連続立体交差事業には長い時間がかかるのか
連続立体交差事業には、踏切の除去による交通渋滞と踏切事故の解消、線路により分断されていた
市街地の一体化、新たに生み出される高架下用地の活用など数多くのメリットがあるにもかかわらず、
実行が困難であったり、長い時間がかかったりするのはなぜでしょうか。
ひとつは予算上の制約です。竹ノ塚駅付近の連続立体交差事業では、約1.7kmの高架化に要する
総事業費は約540億円で、東武鉄道が16%、東京都と足立区が84%を負担しています。都市側の
負担分の2分の1についてはガソリン税・自動車重量税などを財源とした国からの補助によっ
て賄われますが、財源には限りがあることから、事業を進める上で最大の制約となります。
また沿線住民との合意形成にも時間を要します。連続立体交差事業自体は住民にとっても非常に
有益である一方、用地確保のために立ち退きが発生する他、高架化による日照権の侵害や騒音の
拡大、あるいは地下化による地下水への影響など、環境問題に発展することも少なくありません。
実際、小田急小田原線の高架化をめぐっては、地下化を要望する沿線住民が事業認可の取り消し
を求めて国を提訴する事態に発展しました。こうした事態を避けるためには、事業化の前段階と
して都市計画決定や環境影響評価、事業手法の確定などの準備作業を行うことになっています。
■連続立体交差事業 JR・私鉄問わず東京都内あちこちで進行中
もうひとつが鉄道を運行しながら線路を切り替えなくてはならないという工事上の制約です。
竹ノ塚駅の工事の場合、まず駅の一部を取り壊して下り急行線を高架化し、次に駅舎を地下に移設して
上下緩行線と上り急行線を仮線に移設。そして、空いたスペースに高架橋を建設し、下り急行線を
高架化しました。この後、高架駅を建設し、上下緩行線と駅舎を移設して高架化を完了します。
これらの工事は鉄道を運行しながら行うため安全上、本格的な工事は夜間しかできません。 また竹ノ塚駅付近の場合、鉄道用地に比較的余裕があったので、最低限の用地買収と道路の付け替え
で工事を行うことができましたが、通常は仮線に切り替えるための用地を線路に沿って取得する必要
があり、その取得に時間を要するケースもあります。広い用地を確保できない場合、上下線を一度に
高架化することができず、線路をひとつずつ切り替えながら工事を行わなくてはならないため、
工期が長くなってしまうのです。
近年、東京近辺で行われた連続立体交差事業を見ても、JR中央本線の三鷹〜立川間約13.1kmの高架化では
事業完了まで18年間、京急電鉄の京急蒲田駅(大田区)付近約6.0kmの高架化では16年間、京王電鉄京王線
調布駅付近約3.7kmの地下化では12年間と、いずれも完成まで非常に長い時間がかかっていることが分かります。
1959(昭和34)年以降、都内では連続立体交差事業にともない合計395か所の踏切が除去されてきましたが、
依然として1000か所を超す踏切が残っています。現在、東京では竹ノ塚駅付近の高架化の他に、京王線の
笹塚〜仙川間、京急本線の泉岳寺〜新馬場間、JR埼京線の十条駅(北区)付近など、7区間で連続立体
交差事業が進行中です。鉄道と道路の安全を求めて、地道な取り組みが続きます。
枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家) 「ダサイタマ」返上なるか、西武、埼玉戦略の行方
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200907-00373622-toyo-bus_all
9/7(月) 5:01配信
「所沢とかけて、”すてきな洋服”ととく。その心は?」
西武線所沢駅に直結する商業施設「グランエミオ所沢」が完成し、9月2日に開業式典が行われた。
落語家の林家たい平さんがビデオメッセージでこんな謎かけを式典に寄せた。
「一度来(着)たら、また来(着)たくなる」
埼玉県秩父市出身の林家さんは子供の頃、父親に「東京に連れてってやる」と言われて、やってきた場所が所沢だったという。
所沢市の人口は34万人。東京まで行かなくてもたいがいのものは市内で買える。食事も映画も市内で楽しめる。
早稲田大学がキャンパスを構える“学生の街”でもある。さらに10月には、隈研吾氏が建物を設計し、
松岡正剛氏が館長を務める図書、博物、美術、アニメを融合した日本初の文化複合施設「角川武蔵野ミュージアム」
がオープンし、文化面での充実度も増すことになる。
都市の機能として申し分ないだけでなく、緑も豊富だ。所沢駅の徒歩圏内には日本初の飛行場を再整備した
広大な航空記念公園がある。足を延ばせば、「トトロの森」で知られる狭山丘陵がある。
■所沢市民は街を「比較」してしまう?
所沢の開発に力を注ぐのが西武グループである。所沢駅前に西武鉄道の本社があるほか、リーグ3連覇を
狙うプロ野球チーム、埼玉西武ライオンズは所沢がフランチャイズだ。市内には西武園ゆうえんちもあり、
USJ再生の立役者である森岡毅氏をプロデューサーに迎え、昭和の町並みをコンセプトにリニューアル中。
2021年春に完成すれば、話題を集めること間違いなしだ。所沢には実にたくさんのコンテンツがそろっている。
そこに新たな商業施設が加わった。開業式典で多くのお祝いメッセージが披露される中、式典に参加した
所沢市の藤本正人市長のスピーチにちょっと気になる箇所があった。所沢市民、そして埼玉県民は地元に
すばらしいコンテンツがたくさんあるにもかかわらず、街を東京と比較し、自然では東北や信州と比較
してしまうのだという。 「自分たちが住む街にもっと自信を持ってほしい」というのが藤本市長の願いだ。開業式典で行われた
トークショーの席上で、藤本市長はこの商業施設の開業をきっかけに「市民の意識が変わって、仕事でも
学びでも自信を持てる街になるのではないか」とポジティブに締めくくったが、所沢市民や埼玉県民が
地元に自信が持てないという発言には驚かされた。
所沢市の「まち・ひと・しごと創生総合戦略」では、市民に地元への愛着や誇りを高めてもらうことを
目指すとしており、その数値目標の一つとして、「市民意識調査」における「愛着を持っている」
「どちらかというと持っている」の割合が9割を超えることをを挙げている。最新の2019年度版調査によれば、
「愛着を持っている」「どちらかというと持っている」と回答者した人の割合は過去最高となる87.1%
となったものの、目標の9割には届かない。
同調査では都市景観、健康施策、災害対策など行政サービスに関する詳細な調査を行なっているが、
市の外側から見て、地元に自信を持てない理由として思い付くのは、この一言だ。
ダサイタマ。ダサイと埼玉を掛け合わせた造語で、埼玉県民を揶揄する意味を持つ。1980年代頃からこの
言葉を耳にする機会が増えてきた。最近でも埼玉を徹底的にけなした映画『翔んで埼玉』が大ヒットし、
民放各局がダサイタマをテーマにしたバラエティ番組を相次いで放映するなど、ダサイタマの連呼に収束の気配はない。
埼玉県民が表立って抗議する動きはない。それどころか自虐的に肯定しているという見方すらできる。
だが、埼玉や所沢はすばらしい街だと自信を持てるかどうかは、行政側の改善努力だけで解決できる問題ではない。
■住みたい街のランク外
リクルート住まいカンパニーが毎年発表する「SUUMO住みたい街ランキング」の2020年版によれば、関東
の大手私鉄沿線で「住みたい街」の上位30駅には、横浜、中目黒、表参道、自由が丘、二子玉川、武蔵小杉、
たまプラーザ、海老名、三軒茶屋といった東京の西側または神奈川県の駅がずらりと並ぶ。 それに比べて埼玉県の駅はJRを含めても大宮、浦和、さいたま新都心だけ。東京や神奈川の駅の数と比べると見劣りする。
プロ野球チームも遊園地もある所沢が住みたい街の上位に入っていないのは、不思議な感じすらある。
グランエミオ開業後も所沢は変貌を続ける。今後所沢で控える西武の大型再開発は、所沢駅西口にある
西武鉄道の車両工場跡地が舞台となる。東京ドーム広さ2個分くらいの広い敷地にタワーマンションや
商業施設が建設され、多くの人が所沢に移り住むはずだ。
人が増えるだけでなく、街のあり方も変わる。西武ホールディングスの後藤高志社長は、「これまでの
所沢はベッドタウンだったが、今後はリビングタウンに変わる」と話す。その理由はもちろん新型コロナ
ウイルスの感染拡大だ。テレワークや在宅勤務の進展で東京のオフィスに通う必要性が減るからだ。
所沢は「働く、暮らす、遊ぶ、学ぶ」という生活の4要素をすべて満たす街になると後藤社長は考えている。
このように所沢の様相が大きく変わろうというときに、まだダサイタマと言われ続けていいのだろうか。
■鉄道会社もイメージ向上に貢献を
住みたい街の上位に横浜、中目黒、自由が丘、二子玉川、武蔵小杉、たまプラーザ、三軒茶屋と東急電鉄の
駅が多数入っているのは偶然ではない。街のイメージ向上に鉄道会社が果たす役割は小さくない。
これまでも西武は所沢の開発に大きく関わってきたが、今後は沿線イメージ向上にも力を注ぐべきだ。
西武と並んで埼玉県を代表する私鉄である東武鉄道にも同じことがいえる。東武は伊勢崎線春日部駅がある
春日部市と8月20日に包括的連携協定を締結した。連携・協力事項の筆頭に挙がるのは「シティプロモーション
の推進、鉄道と沿線価値の向上」である。春日部駅付近で今後行われる連続立体交差事業に関係する取り組み
に加え、春日部駅の知名度向上に関する施策も行われるはずだ。
イメージアップに特効薬はない。西武も東武も、「埼玉県民が誇りを持てる沿線にする」くらいの気概を
持って、知恵を絞り、地道な努力を続けていくしかない。
大坂 直樹 :東洋経済 記者 55年前「浅草」を都電が独り占め?古くは開通日に関東大震災が発生したことも…〈AERA〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200925-00000045-sasahi-life
9/26(土) 7:00配信
1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を
振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は吾妻橋と浅草の街を走る都電の話題だ。
***
浅草でこんなに静かな時期が続いたのは、もちろん記憶にない。
観光都市・東京のシンボリックな存在だった浅草は、コロナの影響でひっそりと静まりかえった。
ようやく人は戻りつつあるが、それでも近年の観光客から考えればかなり少ない。
心なしか、隅田川も静かに流れているような気がする。
江戸期の1774年、その隅田川に “最後の橋”として架橋されたのが「吾妻橋」で、隅田川の別名「大川」
にちなんで大川橋と呼ばれていた。明治期の1887年、それまでの木橋に替り、墨田川最初の鉄橋として
スチールプラットトラス構造の「吾妻橋」が新たに架けられた。
吾妻橋に東京市電が走るのは、大正期を待たなければならなかった。しかも前述のトラス橋は幅員が
狭かったために、隅田川の上流側に敷設された専用橋を使って運行されていた。
■開通日に大震災に襲われた吾妻橋線
市民待望の浅草雷門と本所を直通する吾妻橋線の吾妻橋西詰(後年浅草に改称)と吾妻橋東詰(後年廃止)
が開通したのは、1923年9月1日だった。
ご存知のように、この日の11時58分に関東大震災が発生した。
吾妻橋線はたった半日で不通に。
運転が再開されたのは翌1924年2月で、再び吾妻橋上流の専用橋で隅田川を渡るようになった。
冒頭の写真は、1931年に架け替えられた吾妻橋を渡る30系統寺島町二丁目行き(約半年後の1965年9月に
東向島三丁目に改称)の都電。日曜日の早朝に撮影したため、車や自転車に邪魔されることなく、吾妻橋
を走る都電の独り舞台を記録することができた。 画面右奥が花川戸に所在する東武鉄道の「浅草駅ビル」で、駅ビルのシンボルである時計塔や浅草松屋百貨店
の屋上遊戯物などが写っている。いっぽう、画面左側「ハチブドー酒」の看板を掲げたビルが吾妻橋交差点の
角に位置する「神谷ビル本館」で、浅草黄金期からデンキブランで名を馳せた「神谷バー」が盛業している。
このシックな建物は1921年に竣工しているから、現在の吾妻橋が竣工する10年前になる勘定だ。
■今は林立するビル群
記録によると、新たに吾妻橋の架け替えが始まった1929年12月、一つ下流の駒形橋を使って吾妻橋線の迂回運転
が実施されている。迂回運転に使われる駒形橋仮線が敷設され、翌1930年12月の吾妻橋竣工まで運転された。
吾妻橋の竣工時に隅田川を渡った市電は34系統(柳島〜万世橋)で、翌年に25系統(柳島〜須田町)となった。
後年になると2系統(三田〜向島)が加わり、1944年に26系統(向島〜須田町)に改編された。戦後は24系統
(福神橋〜須田町)と30系統(寺島町二丁目〜須田町)になり、30系統は1969年10月、24系統は1972年11月に廃止された。
暑かった今年の夏、吾妻橋界隈を撮影したのが次のカットだ。
旧景にも写る2013年に登録有形文化財に指定された神谷ビル本館と、道路の重なり具合を参考に定点を求めた。
旧景の右側に大きく写る浅草駅ビルも隅田川沿いに林立するビル群に圧倒され、僅か右端に建物の一端が顔を
覗かせている。ちょうどやって来た草24系統東大島駅行きの都バスを昔の都電に見立てて、シャッターを切った。
■吾妻橋の路面改修工事中、都電は単線運転
筆者は1964年に始まった吾妻橋路面改修工事の過程で、都電が単線運転を実施した貴重なシーンを記録している。
次のカットが単線の仮線で隅田川を渡り、吾妻橋西詰の浅草停留所に到着した30系統上野広小路行きの都電だ。
浅草停留所は開業時吾妻橋西詰と呼称され、浅草に改称されたのは1944年だった。吾妻橋上の単線区間は、
橋の東詰と西詰に写真に見られるようなトロリーコンタクターと信号機を設置して運転保安を計っていた。
画面左隅に見られるように、橋板上のコンクリートやアスファルトを全て剥がし、橋梁の躯体も含めた改修工事
が施工されていた。 ちなみに、橋長150m、幅員20mの吾妻橋は3スパン・スチールソリッドリブタイドアーチ構造で架橋されている。
■浅草駅ビルに昔日の美しさ
このカットは吾妻橋交差点の南側から撮った浅草駅ビルの近景だ。右側の江戸通り(国道6号線)には
1971年3月まで千住線(駒形二丁目〜南千住)が敷設されており、22系統(南千住〜新橋)の都電が走っていた。
浅草駅ビルは関東初の本格的な百貨店併設のターミナルビルとして1931年に開業している。東武伊勢崎線
(現東武スカイツリーライン)がビルの2階の浅草雷門駅(現浅草駅)に乗入れ、地下1階から7階までは
松屋浅草支店(現松屋浅草店)という、画期的な駅ビルとして東京の新名所になった。
東京大空襲で罹災して戦後に復興を重ねてきたが、1974年に施工された改修工事で外壁がカバー材で覆われて
しまい、旧景に写る外観が失われてしまった。
2012年5月、「東京スカイツリー」の竣工にともない、同施設への玄関口にふさわしい駅として、竣工当時の
ネオ・ルネッサンス様式の外観を再現させるリニューアル工事が完成。フィンガーウインドーが連なる
優雅な外壁面と時計塔が復活している。
■トロバスも走った浅草の街
最後のカットが浅草停留所から千住線をクロスして雷門に向かう24系統須田町行きの都電だ。
画面右端に浅草雷門と池袋駅を結ぶ104系統のトロリーバスが写っている。その左側が雷門停留所の安全地帯で、
吾妻橋を渡って本所方面に向かう24・30系統の到着を待つ乗客で賑わっていた。雷門停留所と吾妻橋交差点を
挟んだ東側(画面手前)に位置する浅草停留所とは僅か113mの距離で、都電の短距離停留所区間の一つだ。
ちなみに、停留所間隔の最短区間は御茶ノ水線(飯田橋〜秋葉原駅東口)の万世橋〜秋葉原駅西口で80mの
停留所距離だった。
トロバスの奥に遠望されるのが、昔日の十二階「凌雲閣」を彷彿させる「仁丹塔」で、その実態は
「東京名物仁丹広告塔」と側面に記された高さ45mの電飾広告塔だった。高層建築が皆無だった昭和期、
浅草を代表するランドマークとなったが、使命を終えた1986年に解体されている。 吾妻橋交差点から都電やトロバスが消えて半世紀。筆者の視界にはコロナ禍の影響で人影もまばらな浅草の
街が展開した。早く災厄が過ぎ去り、再び浅草の街に賑わいが戻ることを祈念したい。
■撮影:1965年2月14日
◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。
鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの私鉄
原風景」(交通新聞社)など。2019年11月に「モノクロームの軽便鉄道」をイカロス出版から上梓した。
※AERAオンライン限定記事 終電繰り上げ 「働き方変わる」と期待 「身勝手」と批判も JR東日本、21年春に
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200927-00000033-mai-soci
9/27(日) 16:13配信
JR東日本が来春のダイヤ改正で、東京駅から100キロ圏内にある在来線の終電を30分程度繰り上げる。
その影響は大きく、仕事の残業や飲食店の営業時間、飲み会を終えるタイミングと幅広く及びそうだ。
主要駅の駅前で人々に賛否を聞くと、「社会が変化するきっかけになる」と好意的な反応がある一方、
「JRの都合で決められても」と批判的な意見も出た。
「身勝手な感じだ」。JR新橋駅近くの九州郷土料理店「新橋 有薫酒蔵(ゆうくんさかぐら)」
のおかみ、松永洋子さん(75)は終電繰り上げの方針を耳にした時、率直にそう思ったという。
店は1978年から40年以上、夫婦で切り盛りしてきた。駅から徒歩2分の好立地にあり、電車にすぐ乗れる。
2次会で立ち寄るサラリーマン客も多く、終電前まで店は繁盛した。だが、新型コロナウイルスの
感染拡大で状況は一変した。リモートワークが進んだこともあり、客が1日1人という日も。
客足は新型コロナ前より9割減った。
こうした中、発表された終電の繰り上げ方針。JR東は、新型コロナの影響で午前0時台の山手線利用者が
6割以上減るなど深夜帯の乗客が大きく減少する中、終電後に設備の保守・点検をする作業員の労務環境
を改善するためだと理解を求める。終電が早まれば、飲食店には早く閉店するところもありそうだ。
松永さんは「JR東の事情は分かる」としつつ、こう続けた。「客足だけでなく、従業員の帰宅時間にも影響する。
電車の時間で生活が左右される私たちのことも考えてほしい。あまりにも唐突過ぎる」と声を落とした。
首都圏では午前1時台でも在来線が動いているが、終電の繰り上げでタクシー利用が増える可能性もある。
ただし、東京ハイヤー・タクシー協会(東京都千代田区)の担当者は「客の動向にどのように影響するのか、
現状では見極めが難しい。減少も増加も考えられる」と慎重な立場を崩さない。 JRの利用者らはどう感じているのか。新橋、新宿、渋谷の各駅前で聞いてみた。金融会社役員の男性(53)
は「利用者が少ないのに電車を走らせるのは無駄だ。繰り上げには賛成」とした上で、「飲みに行く人が多い
金曜だけ終電を遅らせてもいいのでは」と提案する。会社員時代は週1回程度、飲み会で終電に乗っていた
という主婦(42)は「終電まで飲むのは昔のやり方。夫も今はそんな飲み方はしないし、時代が違う」。
新型コロナの感染拡大前は仕事や遊びで終電を使っていたという男性会社員(36)も「帰宅時間をむしろ
終電に合わせていたところはある」と繰り上げに理解を示す。広告関係会社に勤める女性(36)は
「終電が早くなれば働き方や社会も変わるかも」と期待した。
一方、士業をしている男性(36)は「JRも商売。保守点検のためと言うが、もうからないから繰り上げるよう
にしか見えない」と指摘する。旅行会社事務員の女性(28)は「終電を繰り上げて、密が発生しないか心配。
郊外に住んでいるので、終電繰り上げは厳しい。JRの都合だけで決められるのは困る」と話した。
JR東は10月中に路線ごとの繰り上げ時間を発表する方針だ。【山本佳孝】
◇影響、事前に把握すべきだ
中央大の後藤孝夫教授(交通経済学)の話 JR東日本は、繰り上げで乗客にどの程度影響が出るかを事前に
しっかり把握すべきだ。たとえば、終電間際の利用客にバスやタクシーといった代わりの足があるかどうか
は考えないといけないだろう。公共交通機関という使命がある以上、大規模なイベントがある際は臨時便
を走らせるなど、ニーズに合わせた柔軟な対応が必要だ。 つくばエクスプレス線で住むべき駅ランキング・ベスト5!秋葉原はマンション価格が11%上昇、新御徒町と北千住も資産価値が高い!
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200927-01110576-diamondf-bus_all
9/27(日) 18:12配信
つくばエクスプレスに住むなら、マンションを買うべき駅はどこ? こんな疑問に答えるために、
中古マンションの騰落率と総合利回りのランキングを作成したので、そのうちベスト5を紹介する。
マンション価格の値上がり・値下がり、賃料を含めた総合利回りなどで、魅力ある駅を探り出してみたので、
マンション購入時の参考にしよう。(データ提供:マンション情報サイト「マンションレビュー」)
■つくばエクスプレスは2005年開業
つくばエクスプレス(通称TX)は、首都圏新都市鉄道(MIR)の鉄道路線だ。東京都の秋葉原駅から
茨城県のつくば駅までの20駅、58.3kmを結んでいる。東京都や茨城県、千葉県、埼玉県を通り抜ける
つくばエクスプレス沿線は、新築住宅も多く駅周辺の開発も進んでいるため、今後の発展に期待する声も多い。
開業は2005年8月。関東地方の主要幹線の中で、最も歴史の浅い路線だ。
つくばエクスプレスは起点の秋葉原駅から八潮駅間は南千住駅から青井駅間を除いて地下線になっており、
終点のつくば駅も地下駅となっている。地上区間はすべて高架もしくは掘割構造で、踏切はない。
つくばエクスプレスの最高速度は130km/hと、高速運転を行っているため、秋葉原駅からつくば駅間(58.3km)
を最速45分で結んでいる。都心部や沿線地区間の通勤・通学路線としての利用だけでなく、筑波山への
観光路線として利用する人も多い。
つくばエクスプレスは交通利便性に加え、すべての駅にホームドアが設置されている、無線LANが使える、
電車内や駅・ホームがきれい、など設備に関する評価も高い。
■秋葉原と新御徒町の中古マンション価格は上昇
まずは、つくばエクスプレスにおける中古マンション価格の騰落率ランキングを見てみよう。
なお、中古マンションの取引が一定数以上ある駅に絞っているので、つくばエクスプレスの場合は
「秋葉原駅」から「柏たなか駅」までをランキングの対象にしている。 つくばエクスプレスにおける中古マンションの価格がおしなべて下落しているのは、路線開通時の平成18年
に周辺物件価値が一時大きく上昇したものが、現在は落ち着いてきていることが要因だと考えられる。
※「騰落率」は、2008年、2009年、2010年築のマンションについて、新築時分譲価格に対して、直近の
中古マンション売り出し価格の騰落率を計算したもの(小数点第1位以下は四捨五入)。駅から徒歩15分以内
の物件が対象で、ネット上の公開情報を元にマンション情報サイト「マンションレビュー」が調査した。
「ー」は対象データなし。データは2019年9月時点。
秋葉原駅の中古マンション価格は、11%上昇!上昇率1位は+11%の秋葉原駅。住所は東京都千代田区。
つくばエクスプレス開業とJR駅東側の開発により、利用客は2005年度以降増加傾向に転じ、2019年の乗り入れ
路線合計の1日平均乗降人員は、44万1416人にものぼる。(参照:JR東日本各駅の乗車人員、東京メトロ各駅
の乗降人員ランキング、首都圏新都市鉄道1日平均乗車人員 年度別)
2位の新御徒町駅は、東京都台東区にある。秋葉原駅まで1駅、乗車時間は約3分。都営地下鉄・大江戸線が乗り入れ、
接続駅となっている。乗り換え駅としての役割を担うようになった2005年以降は、年々乗客人員が増加している。
新御徒町駅は、徒歩で浅草駅や上野駅方面への移動も可能。つくばエクスプレスと都営大江戸線の両方が利用でき
、新宿駅や六本木駅など都心部へのアクセス力も強い。スーパーや個人商店も揃っているので、買い物にも便利だ。
新御徒町駅周辺のフラッグシップマンションとしては、
・コージーコート上野御徒町2(70u換算で7,263万円、新御徒町駅徒歩2分)
・シティハウス秋葉原イーストレジデンス(70u換算で6,394万円、新御徒町駅徒歩7分)
・シティハウス新御徒町ステーションコート(70u換算で6,479万円、新御徒町駅徒歩1分)
などが挙げられる。
■秋葉原駅は、総合利回りも高い物件が多い
次につくばエクスプレスの各駅の中古マンションの総合利回りランキングを見ていこう。 総合利回りは、10年間での騰落率だけでなく、現在の賃料利回りも加味している指標で、投資利回りでもある。
総合利回りが高いということは、自分で住む人だけでなく、投資家も注目する根強い人気がある駅ということ
になり、資産価値が高く、値崩れしにくい傾向があるとみていいだろう。
総合利回りランキングも、価格上昇率と同様に1位が秋葉原駅、2位が新御徒町駅と、都心部に近い駅が上位を占めた。
※「賃料利回り」は、同じ広さのマンションを借りた場合の利回りを試算。「総合利回り」は、約10年前に
購入し、現在の相場で売却し、さらにその間の周辺家賃相場の収入があったとして、実質利回り(年利、
投資利回り)を試算したもの(小数点第2位以下は四捨五入)。駅から徒歩15分以内の物件が対象で、ネット上
の公開情報を元にマンション情報サイト「マンションレビュー」が調査した。データは2019年9月時点。
人気が高まる北千住も、総合利回り上位に総合利回りの1位は上昇率と同様に秋葉原駅で+7.1%、2位も上昇率と
同じく新御徒町駅で+6.0%。3位は上昇率で5位の北千住駅で総合利回りは+5.5%。
3位にランクインした北千住駅は東京都足立区千住旭町にあり、JR常磐線、東京メトロ千代田線、日比谷線、
東武鉄道伊勢崎線が乗り入れている。駅周辺は、ルミネやマルイなどの大型商業施設、東急ハンズなど
商用施設、飲食店が揃っているので利便性が高い。
北千住駅周辺のフラッグシップマンションとしては、
・イニシア北千住(70u換算で4,616万円、北千住町徒歩9分)
・北千住パークハウス(70u換算で4,531万円、北千住駅徒歩9分)
・オーベルグランディオ千住大橋エアーズ(70u換算で4,489万円、北千住駅徒歩17分)
などが挙げられる。
つくばエクスプレスのマンションは騰落率は下がっているものの、下落したマンションでも安定的な資産価値は見込める。
気になる駅はあっただろうか。マンションを購入する際の参考にしてほしい。
ダイヤモンド不動産研究所 「地下鉄なのに地上区間」なぜ生まれた? 東京では「ちょっとだけ地上」も多いワケ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201011-00010000-norimono-bus_all
10/11(日) 6:03配信
「地下鉄」を名乗りながら、まとまった区間、地上を走る路線があります。
東京メトロ東西線の南砂町〜西船橋間や、都営三田線の志村坂上〜西高島平間、大阪メトロ御堂筋線
の中津〜江坂間などがその例で、車窓はもはや地下鉄ではなく「普通の鉄道」とほぼ変わりません。
この「地下鉄の地上区間」は、神戸や札幌なども含め、おもに郊外の区間で見られる光景です。
もともと地下鉄は、都市部の用地取得の問題や、地上における空間利用の制約を避けるために採用
されますが、高架線に比べ建設費用は高くなってしまいます。その点、郊外部ではそれらの制約が
比較的小さいため、コスト面で有利な高架線として建設されることがあるのです。
また同様の理由から、高速運行を重視してまっすぐ線路を引くことが比較的容易というメリットが
あります。実際、東京メトロ東西線の快速は、地下区間の最高速度が80km/hなのに対し、地上区間
では最高100km/hで走ります。
このほか、車両基地がある関係で、地上に駅が設けられるケースもあります。東京メトロ千代田線
の綾瀬〜北綾瀬間や、横浜市営地下鉄ブルーラインの上永谷駅、新羽駅などがこれに該当します。
■都心のど真ん中で「ニュっと」地上に!
一方、東京では市街地の真っただ中にもかかわらず、地下を走っていた地下鉄が突然、地上に現れることがあります。
有名なのは銀座線渋谷駅でしょう。列車は地下から突然ニュっと飛び出し、明治通りをまたぐ
地上3階の高さのホームに滑り込みます。2020年1月のリニューアルまでは長らく、明治通りを越えた
西側の東急百貨店の内部にホームがありました。また丸ノ内線も、四ツ谷駅、茗荷谷駅、後楽園駅、
御茶ノ水駅付近(神田川にかかる橋)の4か所で地上に出ます。
このような都心部の地上区間が生まれる理由は、東京ならではの複雑な地形が関係しています。
東京の地形は主に武蔵野台地と、それを川が侵食することでできた谷によって形成されているため、
山手線の内側でも各所で地形の激しい起伏が見られます。 渋谷の街も渋谷川が長い年月をかけて侵食した谷底にあり、周囲と極端な高低差が生じています。
渋谷駅と隣の表参道駅との標高差は約18m、マンション5、6階分にも達します。
同じく丸ノ内線も台地を流れる谷や深く開削された川を通過するため、急激な標高変化に対応できず、
何度も地上に顔をのぞかせるというわけです。
都営新宿線の東大島〜船堀間では荒川に加え、旧中川と中川、計3つの川と交差します。そのためこの
区間では地上に出て、橋梁で川を渡ります。なかでも東大島駅は、旧中川をまたぐ形でホームが設置
されている珍しい駅。同様の例は、埼京線の北赤羽駅や阪神電車の武庫川駅など数例しかなく、
もちろん地下鉄の駅としては唯一です。
この区間は荒川の河口付近に位置し、地盤も緩いことから、仮にトンネルを掘るとなれば地下深く
に通すことになります。都内で荒川を渡る鉄道や道路は橋梁がほとんどで、地下トンネルとなって
いるのは埼玉高速鉄道しかありません。
ちなみに、日本で「地下鉄」の明確な定義はありませんが、地下鉄事業者の連携を目的とした
日本地下鉄協会という組織があり、大部分が地下を走る埼玉高速鉄道線やりんかい線もこれに
加盟しているため、これらを「地下鉄」と呼ぶ見方もあります。 都バス代表? 「都」のつく系統は何が違うのか かつては特別だった
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201004-00010006-norimono-l13
10/4(日) 16:50配信
■「都01」から「都08」まで8つある
都営バスの系統は「渋66」といったように、漢字1文字ないし2文字と2桁の数字で表されます。
この「渋」は、発着する渋谷駅のこと。漢字は多くの場合、発着駅ないしは経由地の駅から取られます。
なかには、これに当てはまらないものも。たとえば特定の学校への輸送を目的とした「学」系統など
特殊な路線のほか、一般的な地点間輸送の路線でも、東京都の「都」がつく次の系統が挙げられます。
「都01」から「都08」まで、主な運行区間とともに記載します。
・都01:渋谷駅〜六本木駅〜新橋駅
・都02:大塚駅〜錦糸町駅
・都03:四谷駅〜晴海埠頭
・都04:東京駅丸の内南口〜豊海水産埠頭
・都05:東京駅丸の内南口〜晴海埠頭・東京ビッグサイト
・都06:渋谷駅〜赤羽橋駅〜新橋駅
・都07:錦糸町駅〜門前仲町
・都08:日暮里駅〜錦糸町駅
いずれも、駅名に由来する漢字がつく系統と同じようなもので、実際、たとえば都01は新橋駅に発着
することから、かつて「橋89」を名乗っていました。これらの多くは1980年代から90年代にかけて、
既存の系統を改称したものでした。なお都05は新設です。
■やっぱり特別な系統だった!
1980年代から90年代にかけて誕生した「都」のつく系統は、「都市新バス」と呼ばれるもので、
当時は確かに「特別な系統」として位置付けられていました。
都市新バスは、バス離れが進んでいた当時にサービス向上を図るべく、国も助成して整備を進めた
新しいバスシステムのこと。たとえば、「バスがあとどれくらいで来るか」をバス停で表示する、
運行管理と連携したバスロケーションシステムや、上屋付きのバス停、バス専用レーンなどを整備し、
背もたれの高いハイバックシートなどを備えた、グレードの高い車両を運行で運行されました。 また、それぞれの系統には都01「グリーンシャトル」、都02「グリーンライナー」といった愛称が
制定されるとともに、車両前面にもヘッドマークが取り付けられました。8つの系統はまさに、
都営バスを代表するものとして格上げあるいは新設されたものでした。
それから20年以上が経過した2020年現在、やはり「都」の系統は特別なのでしょうか。
2018年度の乗車人員で見ると、都営バス全系統のなかで都07が1位、都02が3位と、都市新バス8系統
のうち5つが20位以内にランクインしています。しかし、なかには地下鉄大江戸線の延伸で新宿〜四谷間
が短縮された都03のように、必ずしも乗車人員が多くない路線も。ちなみに都03は101位です。
都市新バスの特徴だったバスロケーションシステムもいまや一般化し、どの系統もスマートフォンなどで
運行状況を調べられるようになっています。東京都交通局によると、車両のハイバックシートも全廃されており、
2020年現在で「都」のつく系統が他と異なる点としては、都08系統(「グリーンリバー」)以外で、
「『グリーン〇〇』をご利用いただきましてありがとうございます」という車内放送を行っているそうです。
ちなみに、都01と都08では外国人の利便性を高めるべく、バスの行先表示やバス停にアルファベットを併記し
「T01」などと表示する「系統ナンバリング」が試行されています。ただこれは東京テレポート駅〜門前仲町間の
「海01」でも「KM01」として実施されており、都市新バスならではというわけではありません。 どうなる荒川線「延伸計画」 そして路面電車の新設計画も始まった
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201017-00010000-metro-life
10/17(土) 8:30配信
■1967年から始まった都電の廃止
荒川区の三ノ輪橋から新宿区の早稲田まで、約12kmを走る都電荒川線。2017年には「東京さくらトラム」
という愛称も付きましたが、やはり荒川線という呼び方のほうが親しみを覚えます。
この路線は東急世田谷線と並ぶ都内にふたつしかない路面電車で、かつ最後に残った都電なのです。
都電、正式には「東京都電車」と呼ばれる路面電車は、かつて東京を縦横無尽に走っていました。
最盛期は1943(昭和18)年で、運転系統は41もあり、1日平均193万人が利用する日本最大の路面電車でした。
しかし戦後復興に続き、東京オリンピックに向けて東京が発展するにつれて都電の存在は揺らぎます。
きっかけは1959年。警視庁によって、都電の軌道敷(きどうしき)内への自動車の乗り入れが許可
されたことでした。目的は、自動車増加にともなう事故防止でした。
これにより都電は定時性が悪化。利用者の減少を招き、収益も減るという負のスパイラルに陥ります。
環境負荷も低いことなどから、現在は存在を見直されている路面電車ですが、当時は自動車の交通を乱す
「遅れた交通機関」と見なされていたのです。
都交通局は、都電を廃止してバスや地下鉄に移行するという案に難色を示しますが、定時性を失った
都電の環境は悪化し、利用者も減少。これに加えて都営地下鉄の整備に多額の費用がかかり、都交通局
の経営も悪化したことから、経営再建のために都電の廃止が決定されます。
1967年から始まった都電の廃止は急ピッチで進み、5年間で約181kmもの区間が廃止されることになりました。
■荒川線が唯一廃止を免れたワケ
もちろん、路線の廃止に反対する住民運動は各地で起こりました。そうした中で、唯一廃止を免れたのが荒川線でした。
荒川線は、私鉄の王子電気軌道によって敷設されたものに始まる三ノ輪橋〜赤羽間の27系統と、
荒川車庫〜早稲田間の32系統の路線からなっていました。
このうち王子駅前〜赤羽間を廃止した上でふたつの系統を接続し、荒川線として存続させることになりました。 路線が存続したもっとも大きな理由は、その9割が専用軌道を走っていて、道路の渋滞原因にならないことでした。
これに加えて、
・沿線には並行する道路がなく、代替バスの輸送が困難
・路線と一部並行する明治通りの渋滞がひどく代替バスの定時運行が困難
ということも理由に挙げられました。最終的に廃止撤回され、路線名が現在の荒川線となったのは
1974(昭和49)年のことでした。
■かつてあった荒川線の延伸計画
こうして昔ながらの風情を残している荒川線ですが、路面電車の価値が見直されたことで、近年では
いくつものリニューアルのアイデアが出ています。路線を延伸して、利便性を高めようというものです。
現在の終点である三ノ輪橋と早稲田は双方ともに繁華街からも離れていて、利便性が高いとは言えません。
そこで導入事例が増えている次世代型路面電車(LRT)に切り替えて路線を延ばそうというわけです。
例えば、大繁華街・池袋をかかえる豊島区では荒川線の都電雑司ヶ谷駅から池袋駅方面へと路線を
延伸する計画が立ち上がったことがありました。
この計画では、東口の西武百貨店を貫通しJRの線路真上に乗り場を設け、西口へと運行するという
アイデアも提示されています。
■都内で見直される路面電車の利便性
それだけでなく、早稲田からそのまま東に進んで江戸川橋駅方面へ延長する計画や、三ノ輪橋から
南千住方面に延ばす計画も提案されたこともあります。
具体性は低いままですが、終点の早稲田から江戸川橋方面までのエリアは都営バスが走っているものの
鉄道駅からは遠く、「都電があった頃は、電車通りだったのに」と話す住民も多いエリアです。
都電廃止後に「陸の孤島」になってしまった新宿区の牛込周辺が都営大江戸線の開通とともに新宿駅
に直結しする便利な地域になったこともあり、より良い交通機関を求める声は納得がいきます。
ホームや改札から地上への移動時間が少なく、バスよりも定時性が確保されている荒川線のような
交通機関には、都内のあちこちで熱い視線が送られているというわけです。 ■路面電車が近未来都市を走る時代は来るか
そのためか、東京では現在新たに路線を作ろうとする構想も見られます。
中央区は2013年、臨海部の人口増加に対応する交通機関整備のためにLRTと
バス高速輸送システム(BRT)の導入に言及しています。
BRTは2022年の本格運行を前に、2020年10月1日(木)から晴海〜虎ノ門ヒルズ間で運行を始めています。
ちなみにプレ運行のため、定時性は確保されない旨が告知されています。
将来的には銀座・有楽町から豊洲までのエリアの移動を担う交通機関が求められるわけですが、
この中でLRTが導入される可能性もあります。かつて都電が走っていた勝どき橋の上を再び
電車が走る可能性もありそうです。
このエリアは、ゆりかもめが豊洲から勝どき経由で新橋まで延伸するのか、BRTに絞るのかなど、
さまざまな予測がされており、今後どうなるのかはまったくわかりません。
ただLRTになった場合、荒川線とは対称的に、路面電車が近未来都市を走るという、なかなか
興味深い風景になりそうです。
昼間たかし(ルポライター、著作家) 東京の「梅田」どんなとこ? 下町の裏道ゆく都バス「草41」 終点は妙な位置に
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201017-00010001-norimono-bus_all
10/17(土) 6:34配信
■東京の「梅田」は足立区にある
JRの大阪駅をはじめ、複数の私鉄がターミナルを構える大阪キタの中心地「梅田」。
実は同じ地名が東京にも存在し、その名を冠した行先の都営バスが走っています。
そのバス路線は、浅草寿町と足立梅田町を結ぶ「草41」系統です。
始発の浅草寿町バス停は、浅草の中心地からやや外れた東京メトロ銀座線 田原町駅近くに、
そして目指す「東京の梅田」は、行先名の通り足立区にあります。
浅草寿町を出たバスは北西の方向へ進み、入谷鬼子母神バス停で東京メトロ日比谷線、鶯谷駅で山手線、
三河島駅で常磐線と、そして町屋駅で京成本線および東京メトロ千代田線などと接続します。
このバス路線は、いわば幹線道路の国道4号や明治通りから外れるルートで、鉄道だけではやや移動しづらい、
山手線から各方面へ放射状に延びる複数の鉄道路線をつないでいます。
町屋駅を出ると尾竹橋で隅田川を渡り、さらに西新井橋で荒川を渡ると、その土手上でバスは右折し、
土手下の通りにつながるスロープを駆け下ります。ここからは、下町風情が残る狭い道へ。
歩道もほぼなく、バス停は沿道の建物ギリギリのところに置かれています。
それからバスは歩行者や自転車を避けながら進むこと10分弱で、終点の足立梅田町に到着します。
この「足立梅田町」は古い住所表記で、現在、バス停の所在地は足立区梅田5丁目になっています。
足立区の「梅田」は1丁目から8丁目まであり、おおよそ、荒川に架かる西新井橋と千住新橋の北側一帯を指します。
昭和のアイドルグループ「キャンディーズ」の田中好子さんの故郷であるほか、さらに北の梅島地区は、ビートたけしさんの地元です。
■地名の由来は大阪と同じ? 足立梅田町止まりのワケは
梅田の地名の由来は、もともとこのあたりが低湿地帯で、それを埋め立てて田にしたことから「埋田」、
転じて「梅田」になったといわれています。大阪の梅田と同じ成り立ちといえるでしょう。 ただ足立梅田町のバス停は、「なぜここが終点?」という中途半端な感じを覚えるかもしれない場所にあります。
バスが3台停まれる草41専用の折返所を備えていますが、周囲は大小のマンション、戸建てが立ち並ぶ
東京の典型的な住宅街といった趣で、特に何かあるわけではなさそうです。なお、道自体はバス停から
さらに北へ続いており、東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の梅島駅までは徒歩6分ほどという位置にあります。
その不思議な位置関係は、都営バスの路線図を見るとよりハッキリします。
すぐ近くを「王49」系統(王子駅前〜千住車庫前)が走っており、足立梅田町からあと300mほど進めば接続できるという位置にあるのです。
しかも、両路線とも千住営業所が担当しており、ときおり足立梅田町から千住車庫への回送便も走っています。
その理由を探るべく、足立梅田町のバス停が開設された1950年代の現地の状況を調べてみました。
梅田地区は戦災を免れ、戦後間もない頃にはすでに住宅が密集していました。
現在、バスの終点からひとつ目の信号がある交差点は、2000年代までT字路になっており、交わる道路は狭く、
バスが入るのは困難だったと見られます(中型車で運行していた頃は回送路に使用)。
またバス折返所のはす向かいには現在、周囲でも目立つ大型マンションが立っていますが、足立区によると、
ここはかつて田辺製薬(現・田辺三菱製薬)の工場だったそうです。梅田地区の中心部を貫く道路を、
バスが走れるところまで乗り入れ、それが田辺製薬の工場前だった、といえるのかもしれません。
■大きく変貌を遂げた「足立梅田町のちょっと先」
足立梅田町バス停から信号ひとつ目の交差点は、前述のとおり以前は丁字路でしたが、現在は都市計画道路「環七南通り」
が横切り、直進方向は「亀田トレイン通り」という愛称で西新井駅方面へ続いています。
実はこの「亀田トレイン通り」は、かつての廃線跡です。
2000(平成14)年に閉鎖された東武鉄道西新井車両工場内の線路跡を道路に転用したものですが、その前身は、東武伊勢崎線の本線です。 東武伊勢崎線は戦前、荒川放水路(現在の荒川)の開削に伴い北千住〜西新井の線路をやや西側へ移設しています。
その旧線跡が、都営バス千住車庫から王49系統が走る「梅田通り」と、「亀田トレイン通り」に当たります。
乗りものニュース編集部
新製車と転属車、2つの顔を持った武蔵野線の205系
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201017-30000282-tetsucom-ind
10/17(土) 10:15配信
1991年から活躍してきた武蔵野線の205系。
30年近く武蔵野線で走り続けていた205系ですが、山手線の[車両置き換え]に絡む車両転配で、まもなく終焉を迎えます。
1973年に開業した武蔵野線ですが、開業当時に投入されたのは、他線区から捻出された101系でした。
1980年には同じく他線区からやってきた103系、1986年には中央線快速と共通運用の201系が投入
されましたが、武蔵野線専用車両の投入はありませんでした。
待望の新車である205系が投入されたのは1991年。武蔵野線の増発と8両編成化に対応するためのもので、
8両編成5本が導入されました。この時に投入された205系は、1990年に京葉線へ投入されたグループと同様、
従来の205系とは前面デザインが異なる仕様で投入されています。
また、乗り入れる京葉線のトンネル内にある勾配に対応するため、8両編成中6両にモーターを搭載(6M2T)
という、高い電動車比(MT比)となったことも特徴です。
なお、武蔵野線への投入をもって、205系の編成単位での製造は終了。JR東日本の直流通勤型車両の投入は、
1993年からは次代の209系に移行しています。
103系とほぼ同数の205系が新製配置された京葉線と異なり、武蔵野線の205系新造車の投入は5本で終了。
当時は、約30本の武蔵野線用車両のうち、わずかな数のみが在籍するレア車両といった存在でした。
205系が武蔵野線の主力となるのは、2000年代に入ってから。2002年に山手線へのE231系500番台投入が
始まったことにより、205系の大規模な転属が始まります。山手線からの転出先に選ばれたのは、横浜線、南武線、
京葉線など全9路線(南武支線含む)。武蔵野線もこの1つに選ばれ、老朽化した103系を置き換えることとなりました。 武蔵野線での運用に際しては、京葉線のトンネル内にある勾配への対応として、高い編成出力が必要です。
武蔵野線への新製投入グループでは、先述したように6M2Tの編成とすることでこれを解決していました。
しかしながら、今回の山手線からの転配時には、武蔵野線以外にも車両が配置されます。この際、武蔵野線用編成に
モーター車を1編成あたり6両も使用してしまうと、モーター車が不足してしまう事態に陥ってしまいます。
そこでJR東日本は、武蔵野線に転属する205系の制御機器を、従来の界磁添加励磁制御から、高出力を発揮できる
VVVFインバータ制御に更新。これによってモーター車を編成中6両から4両に減らすことができ、低いMT比でも
武蔵野線・京葉線での運用を可能としたのでした。なお、この改造の際に発生した界磁添加励磁制御の機器は、
2002年のFIFAワールドカップ輸送対応として増備された「成田エクスプレス」用253系に、一部が流用されています。
VVVFインバータ制御となった205系5000番台の営業運転開始は、2002年11月。山手線からは8両編成34本が転入し、
2005年までに既存の103系を置き換えていきました。なお、転配時にモーター車1ユニット(2両)の不足が判明
したため、1991年に投入されたグループの1編成も改造を受け5000番台に。前面デザインが異なる編成ながら、
走行機器はVVVFインバータという、独特な編成となっていました。
山手線からの転配が完了した後も、205系は京葉線(延べ8両編成2本)や南武線(8両編成2本)で活躍した編成が、
2007年から2015年にかけて転属。最盛期には、8両編成42本の205系が武蔵野線で運用に就いていました。
新製車の投入から25年以上、山手線からの転属組も15年以上の活躍を続けてきた武蔵野線の205系ですが、
ついに2018年より置き換えが始まります。置き換えの経緯は、205系5000番台と同様、山手線への新車投入によるもの。
E235系を山手線に投入し、既存のE231系500番台を10両編成化の上で中央・総武緩行線に転出。ここで活躍していた
209系500番台とE231系0番台・900番台を、残存する一部の編成を除き、八高線・川越線、そして武蔵野線へと転属させたのです。
なお、武蔵野線には2010年以降に209系500番台3本が転配されましたが、これらは増発用としての配置。 純粋な置き換えの役目は、2017年以降に配置されたE231系や209系が担っています。
2017年より配置の始まった武蔵野線用E231系などにより、205系は2018年から順次撤退。
新製投入されたグループを含む0番台の7本は、2019年に運用を終えました。そして、5000番台も次々と撤退。
2020年10月1日現在は6本のみの配置と、風前の灯火となっています。
まもなく終焉を迎える、武蔵野線の205系。これにより、東京駅に定期的に入線する国鉄型車両は、
特急「踊り子」用の185系のみに。固定編成で8両編成を組む205系も消滅となります。
武蔵野線での運用を終える205系ですが、まだまだ活躍の場が用意されています。
といっても、その地は日本ではなくインドネシア。ジャカルタ首都圏の「KRLジャボタベック」
を運営するPT Kereta Commuter Indonesiaに、336両が譲渡されることとなっています。
同地では、埼京線や横浜線に投入された205系のほか、東京メトロの05系や7000系、東急8000系といった、
日本製の車両が多数運用中。武蔵野線の輸送を支えた205系は、異国の地でも都市圏の輸送を担うこととなります。 ドームだけどもドームじゃない? 西武本拠地が抱える“問題”は解決可能なのか〈dot.〉(AERA dot.)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20201020-00000006-sasahi-base
10/20(火) 16:00配信
埼玉西武ライオンズの本拠地メットライフドーム。
今年は新型コロナウイルスの影響で入場の人数制限はあるが、毎試合熱いファンが詰めかけて声援を送る。
球場自体もリニューアルを重ねた結果、素晴らしい環境に変貌しつつある。
しかし根本的な問題はまだ解決されていない。アクセスの悪さと夏場のドーム内のうだるような暑さだ。
西武球団誕生、本拠地移転に合わせ、西武ライオンズ球場(現メットライフドーム=以下ドーム)が79年に開場した。
鉄道事業との兼ね合いもあり、現在の場所に決まったが交通事情には悩まされている。
40年以上経っても道路整備が不十分で、車では常に交通渋滞に苦しめられる。
「試合終了後の渋滞は目も当てられない。クラブハウスで時間を潰してから家路につく選手ばかり」
球団関係者は選手らの移動手段について説明する。
「うちの選手は所沢駅周辺と隣接する東京都に住む選手に別れる。どちらに住んでも帰宅時の混雑は同じくらい。
西武在籍時の石井一久(現楽天GM)などは、開き直って都心から運転手付き車両で通っていたほど。
こればかりは球団ではどうしようもない」
「悪いことばかりではない。森友哉、山川穂高など主力の多くが早くから練習するのが日課になっている」
と球団関係者は続ける。
「遅れないように早く球場へ向かう。時間が余るので、それをアーリーワークに費やす。また新しい寮が近くにできた。
次の日がデーゲームなどの場合、宿泊する選手もいる。調整もやりやすいのではないか」
車で訪れるファンにとってはストレスが溜まるだろうが、選手にはプラスになっていることも多い。
電車の場合、主にファンにとって問題が多い。最寄りの西武球場前駅までは、途中駅から単線路線となる。
運行本数を増やすにも限度があり、往復とも電車内は混雑する。 「尋常ではないほど電車が混む。普段生活している我々からすると信じられない。
試合後など、電車が空くのを待つ人もいるのだろうが、駅周辺に飲食店などほとんどない。
電車内、ホーム、そして改札外まで人が溢れている。
最近は色々なお店もできているが、効果があるのか注目している」(西武球場前駅周辺住民)
問題はアクセス面だけではない。建物自体の立地や構造条件から生じる、ドーム内の高温多湿状態だ。
丘陵地帯を掘り下げて建設したため風通りが極端に悪い。夏場になると湿気が多く、試合中に外野の打球が
霧で見えにくくなるほどだった。しかし屋根のなかった時期は、時折吹き込む風が心地良かった。
また本塁打や勝利時の花火と相まり、夏はお祭り感覚で楽しめる環境だったのだが……。
その後、気象面の変化などに対応するため、既存の球場に屋根をつけることを決定。
外壁を先に作った後、屋根を吊り上げる方式で99年に現在のドームが完成した。
球場周辺環境との調和を図るため、密閉式ではなく下部が開放されたものとなったのも斬新であった。
「周囲の四季を感じながら、天候を気にせず野球を楽しめる」という当初の目論見は素晴らしかったが、
現実はうまくいかなかった。場外からの風が遮断されたドーム内は以前にも増して高温多湿状態、
特に夏場はサウナ風呂状態に陥っている。
8月15日、リーグ3連覇に向けて厳しい戦いが続く西武に衝撃が走った。チームの主軸『おかわり君』
こと中村剛也が熱中症でリタイヤを余儀なくされた。
当日の試合前練習後、体調不良を訴え都内の病院で診察を受け、熱中症と診断されたのだ。
「暑さに強いと言われていた中村でしたから驚きました」と西武担当記者は語る。
中村は生え抜き19年目のベテランでドームの暑さは長年経験して来た。
その選手がダウンするほど、近年の状態は酷くなっている。
「細心の注意を払い、球団を挙げて対策を練っている。中村本人も『大阪の方が暑かった』と言うほど
夏は好きなタイプ。原因はいくつかあるだろうが、年々、ドーム内の暑さが増してきている」(西武担当記者)
16年からスタンド内に大型扇風機を設置しドーム内の空気を循環させている。
また練習時間中などはバックスクリーン下を開放し、空気の入れ替えが行われている。 またベンチ内には気化式冷風機や扇風機を設置。空調の充実やクラブハウス改修など、数年前に比べると
格段の施設となった。しかしグラウンド上はどうしようもない。そこで長時間プレーすれば影響を受ける可能性は高い。
「夏場のドームは行きたくない」
年間シートで球場に通い詰める西武ファンからも対策を求める声は強い。
「夏の甲子園で酷暑が問題になる。でも浜風が有名なように甲子園は風が強い。内野席には大きな銀傘も
あり日射しも避けられる。スタンド下コンコースは日陰なだけでなく、寒いほど冷房もかけられている。
観戦環境が良く、選手のみでなくファンにとっても『聖地』なのがわかる。ドームはナイターでも湿気などで
不快度数は高い。球場外周などに色々なショップができて暑さはしのげるけど、その分、お金はかかってしまう。
小さな子供がいる家族連れには、敷居が高くなってしまう恐れもある」
国内最大級のグッズショップやカフェが新設されるなど、ファンとして楽しみな場所は増えたのだが支出は増えるそうだ。
「選手寮の建て替えや、老巧化した第2球場のリニューアルなど、選手のための施設も大きく改善されている。
球場周辺には試合日を通じて楽しめる施設もできた。西武球団の強みはフットワークの軽さ。
暑さ対策も本格的な冷房機能の導入などを検討している。あとはチームが継続して結果を残すこと。
今年は出だしにつまずいて苦戦しているが、パ・リーグはCSシリーズも行われるので、まだまだチャンスはある。
選手が周囲の期待に応える番ですね」(西武担当記者)
黄金時代だった時期にあぐらをかき、しばらくは不人気球団となった。しかし抜本的な改革を進め、球界きっての
先進的球団になりつつある。アクセスの悪さとドーム内の暑さに関しては、即効性のある対処は難しい。しかし、
ここまで変革してきた球団が手をこまねいているはずはないと期待しよう。
そして選手には再びの頂点を目指し、ここからの戦いに全力を注いで欲しい。 コロナ禍で需要蒸発!西武に危機ふたたび 「ゆでがえる」の危うさ社員も自覚・西武HD後藤社長
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20201021-00010002-nikkeisty-bus_all
10/21(水) 8:12配信
【出世ナビ】トップに聞く 西武HD 後藤高志社長
不祥事に伴う2004年の上場廃止から立ち直った西武ホールディングスが再び危機にある。
鉄道やプリンスホテルなど多くの事業を新型コロナウイルスが直撃する。15年前に銀行から
西武に移り何度も修羅場を乗り越えた後藤高志社長。
「危機に鈍感な『ゆでがえる』状態になりやすいリスクに社員が気づいた」として企業体質の強化を急ぐ。
■ホテルや鉄道 無駄排除徹底
――西武グループはこれまでも多くの苦難を克服してきました。新型コロナの衝撃はどれほどでしょうか。
「コロナ禍で需要が瞬間蒸発しました。特にプリンスホテルでは緊急事態宣言中は稼働率が
数パーセントまで落ち込みました。創業から約100年の歴史で、おそらく初めて直面する事態でした
。鉄道とホテルは固定費が多く損益分岐点比率が高い。厳しい状況にあります」
「コロナの発生後にいち早く、社内にメッセージを発してきました。まずは固定費を圧縮する努力
をお願いしました。働き方改革も進んでいましたが、事業会社も含めて時間外勤務を限りなくゼロ
に近づけて、在宅勤務や時差出勤を推奨し、無理と無駄を徹底的に排除してもらいました」
「私が西武に来て15年、鉄道業は『井の中のかわずのゆでがえる』になりやすいと言い続けました。
不祥事を起こせばメーカーや金融はあっという間に消費者が離れる。一方、鉄道会社は通勤や通学が
簡単には減らない。リスクへ鈍感になりやすく、西武鉄道が上場廃止になった際も役員の危機感は希薄でした」
――後藤社長は1990年代に第一勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)の中堅幹部だった際、
総会屋への利益供与という会社の不祥事に直面しました。「4人組」の一員として組織改革を担いました。
「当時は銀行が信頼を失い、あっという間に膨大な預金が流出しました。その恐怖は忘れません。
西武鉄道ではコロナショックで定期外の輸送人員が一時は6割以上減りました。 仮に列車事故が起きても、これほどの数字にはならないでしょう。会社が『ゆでがえる』状態
になってはいけないと社員もコロナを機に認識したと思います」
「現場や本社勤務の社員が一体になり、コロナショックを乗り切る議論を徹底的に続けています。
様々なアイデアが出てきており、節電運行の実証実験もしました。加速や減速を繰り返すと動力効率が悪い。
操作を減らすことで、コストを大きく削減できると分かりました。『ウィズコロナの中でもイノベーション
に挑戦してほしい』と社内に呼びかけ、良い案がプリンスホテルなど多くの事業会社から生まれてきています」
■在宅勤務定着 経営の前提に
――コロナを機に企業の在宅勤務が浸透してきました。結果として鉄道の利用が減少しますか。
「在宅勤務やテレワークの比率が高まれば、鉄道の定期利用が減ります。様々なシミュレーションを
していますが、コロナが終わっても在宅勤務が定着すれば1割以上の減収になるかもしれません。
コロナによる行動や価値の変容が定着すれば減収減益は避けられません。コロナ前の売り上げや利益
に完全に戻るのは難しいとみています。こうしたことをある程度前提にして経営しなくてはいけないでしょう」
――9月には所沢駅直結の商業施設が全面開業しました。所沢周辺では来年に「西武園ゆうえんち」
なども改装開業します。コロナを契機にして郊外で様々なニーズが高まるでしょうか。
「その通りだと思います。ただ、通勤・通学の利便性からあまり遠くというわけにはいかない面があるでしょう。
東京都心部の丸の内まで1時間以内、新宿などの副都心に30分程度でアクセスできる場所として所沢は条件に合うでしょう」
「所沢はこれまで都心へ通うベッドタウンとしての位置付けが強いですが、今後は仕事やレジャーの要素
も備える『リビングタウン』に変わります。『暮らす、働く、学ぶ、遊ぶ』といった要素が全部、所沢で完結する。
そうした中核都市になるということです」
――新しい働き方に合わせて郊外のオフィスのニーズも増えそうです。
「2019年に練馬駅近くに学童保育を併設したシェアオフィスを開業しました。コロナ後も評判が良く、
特に個室オフィスの稼働率が高まりました。今後を見据えて他の駅近くでも展開すべく検討しています」 「さらにはプレハブのメーカーと協業して高架下などに簡易オフィスを設けようと検討しています。
設置に時間がかからず、電車に乗らずに仕事場を作れる。駅から距離がある遊休地もありますが、
多少駅から離れていても問題なく活用できます。
このように様々なイノベーションや事業モデルが生まれています」
■複合再開発で収益力高める
――ホテルやレジャー事業ではコロナ禍をどう乗り越えますか。
「利用客がどれほど入れば『フル稼働』とするのかを見直す必要があります。
例えば、従来より2割少ない顧客で100%の稼働と考えて、固定費などコストを下げる努力をする。
ブランドに見合った客室単価に設定する必要もあります」
――構造改革をしても収益が厳しいホテルにはどう対処しますか。
「売却や撤退は考えていません。緊急事態宣言下では臨時休業して雇用調整助成金の給付を受けるなどしてきました。
ワクチンや治療薬が完成すれば需要が急速に戻る可能性がある。国が旅行代金の一部を補助する『Go Toトラベル』
事業も、東京都発着のツアーが対象になれば飛躍的に効果が伸びるでしょう」
――都内では芝公園や品川・高輪地区のホテルで再開発構想があります。コロナの影響で計画を見直すのでしょうか。
「計画が遅れることはありません。現在は東京都や国との間で容積率など大きな議論が基本です。
ここはコロナを受けても変わらない。より具体的に詰める段階になれば、ホテルとオフィスの比率など
について検討するかもしれません」
「16年には旧グランドプリンスホテル赤坂(赤プリ)の再開発で東京ガーデンテラス紀尾井町(東京・千代田)
が完成しました。赤プリでは約700室だった客室を、現在のホテルでは250室に減らしました。
代わりに客室単価を高くする一方、商業施設などを備えて収益が多く増えました。複合再開発で収益力を高め、
イベントリスクに強くする。品川や芝公園の開発もコロナを踏まえてよりよい形にします」
(聞き手は日経MJ編集長 鈴木哲也) としまえん跡地の利用計画に近隣住民が「NO」のワケ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20201022-00000003-friday-soci
10/22(木) 9:02配信
■94年の歴史を終えて8月31日に涙の閉園、現在は解体工事中 ’23年に『ハリー・ポッター』博物館がオープン予定だが……
「6月12日に発表して6月末で閉園なんて急すぎですよ。このあたりの住民にとって、『としまえん』は人生の一部なんです。
成人式も行われて、春はお花見、夏は花火、そして災害が発生したときの避難場所でもあるんです。
9月中旬から解体工事が始まっていますが、園内の桜やアジサイはどうなるんでしょう」
閉園した『としまえん』(東京・練馬区)の近くに住む60代の女性はそう嘆く。94年間も地元で愛されてきたのだ。
’23年から『ハリー・ポッター』博物館が開業すると言われても、困惑するのは当然だ。
上写真は解体工事が始まる直前の『としまえん』の北半分を上空から撮影したもの。
ここに建築面積約3万u、高さ19mの建物ができ上がる。東京ドームよりやや小さいサイズの大規模施設だ。
また、プールがあった南半分は、現在は東京都が管轄しているという。
9月上旬には、解体工事や今後の土地利用について、事業主の西武鉄道(土地所有者)らが主催する説明会が開かれた。
だが、住民の不安は解消されていない。
「桜の木は結局、150本以上伐採するそうで、納得いかないですよ」(40代男性)
「大型バス用に50台分の駐車場ができると聞きました。
このあたりは道幅が狭いから、観光バスがどんどん来るようになると事故が怖いです」(60代女性)
「これから避難場所はどこになるのか。『としまえん』以外の公園は遠すぎて、私ら年寄りは行けないよ」(70代男性)
『としまえん』のプール存続を求める署名活動をしている住民グループのリーダー・秋田英明さんはこう語る。
「巨大な建物が完成したときに、周囲にどんな影響があるのか不安です。結局、説明会での説明が少なすぎたと思います」
交通問題のほか、日照や騒音など住民は極めて現実的な問題を憂慮している。 「そもそも、なぜ『としまえん』は閉まるのか、プールなどの跡地はいつどんな公園に整備されるのか、
なんの説明もありません。地域の理解を得ずに、工事だけが進んでいることは問題です。そして一番の不安は
やはり防災機能。もともと6万人以上が避難する場所に指定されていたんです」(練馬区議・池尻成二氏)
この問題を取材しているジャーナリストの田中圭太郎氏もこう指摘する。
「『ハリポタ』の博物館が建つ跡地の北半分は、工事中も完成後も避難場所としては機能しないでしょう。
南半分は、東京都が土地を買い取って公園にする予定ですが、まだ正式には何も決まっていない。
関係者によれば、コロナ禍の影響で東京都も予算が厳しく、順調に進むとは思えないそうです。
東京都や西武鉄道はあらためて説明会を開くべきでしょう」
一方の西武鉄道の広報担当者は本誌にこうコメントする。
「(解体・新築工事や土地利用について)あらためて説明会を開催する予定はありませんが、
近隣の皆さまからの各種お問い合わせについては、個別にしっかりと対応させていただいております」
このままでは『ハリポタ』の新施設が、地元に愛されることはないだろう。
『FRIDAY』2020年10月23日号より 引退近づく半蔵門線の顔 東京メトロ8000系はどんな車両? 時代の求めに柔軟だった40年
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201022-00010004-norimono-bus_all
10/17(土) 7:00配信
1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに
当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。
今回も「都電ナンバーワン」の視点で展望した路線編として、最短距離系統を走る都電の話題だ。
***
筆者が住む東京・新富町付近は、東京メトロの有楽町線や日比谷線、都営地下鉄の浅草線などが
張り巡らされている。都内で活動する人ならわかるかもしれないが、駅と駅との距離が短い区間も多い。
とりわけ、日比谷線の東銀座駅と銀座駅は、駅の出入り口からホームまでと道のりと列車の待ち時間
を考えたら、地上を歩いたほうが早く着くのではと思うほど近い。
半世紀以上前の都電全盛時代は、現在のバス停ほどではないが、停留所の区間は地下鉄などの駅間と
比べれば短いところが多かった。では、始点から終点までの距離が最も短かかった系統はどこか?
読者のみなさんは想像がつくだろうか。
■最短距離を走った26系統
その答えは、1952年5月19日に廃止された26系統(東荒川〜今井橋)だ。通称は今井線として知られる一之江線で、
走った距離は3189m。始終点間の停留所数も最小の5であった。場所は現在の江戸川区内を走っていた。
この26系統の廃止時、筆者は5歳にも満たない幼児で、当時のことは知る由もない。
今回は先輩諸氏が遺された作品を拝借して、往時の一之江線を探訪しよう。
冒頭は江本廣一氏の作品(筆者所蔵)で、今井橋の終点で発車を待つ大正生まれの木造単車400型だ。
画面右端の終端電柱には今井橋の掲示と、その下に「次ハ瑞江」の停留所板が見える。
車両の側窓の下部にはガラス不足を補うための木板が貼られていた。撮影は1950年12月で、日本は
まだ連合国の占領下にあった。都電の左端奥に右書きで「宇田川薬局」の看板が見える。
この看板が今井橋の現況写真撮影の重要なポイントとなった。
走行線区の一之江線は、前身の城東電気軌道により全線が単線で敷設され、1925年に江戸川線として開業している。 その後、城東電気軌道は東京乗合自動車→東京地下鉄道と経営が変わり、1942年2月に交通調整法
で市電路線に編入されている。編入当初は特4系統を付番され、東京都電となった1944年からは
40系統に変更された。戦後の系統番号改訂で26系統となったが、電車正面に短冊状の
「東荒川」「今井橋」双方向の行先を表示しただけで、系統番号板は掲示されなかった。
次の現況写真が今井橋終点跡と推察される一コマ。画面中央の新大橋通り高架橋の背後、緑色の
日除けがある建物が現在の「宇田川薬局」だ。都電の後継として1968年まで活躍したトロリーバス
101系統(今井〜上野公園)は今井終点に設置されたロータリーで転向しており、近隣はトロバス
のターミナルとして賑わっていた。
今回、東京都交通局工務課が1952年5月に製図した「東荒川今井橋間線路平面図(1/300)」を閲覧
することができ、本編の記述で大変参考になった。平面図によると、画面左手前40mくらいの地点から
全長140mの電車交換用の複線が所在した。電車交換といえば「東荒川と今井橋の双方を出た都電は、
松江〜一之江に設置された複線区間で離合していた」という通説があった。平面図を精査すると件の
複線区間は、西一之江〜一之江343mの停留所間に敷設されていたことが、新たに判明した。
1950年12月に江本氏が撮られた写真には、複線区間終端の一之江で対向する東荒川行きの到着を待つ
都電が写っている。いっぽう、宮松金次郎氏が1952年3月に撮られた西一之江付近の複線区間の写真を
観察すると、東側に敷設された複線軌道は写っているが、頭上の架線が撤去されていることに気が付いた。
運転最終期には途中交換が廃止され、一列車のみが運行するダイヤになっていたのだろう。
■移設された今井橋終点
次のカットは1952年に宮松氏が撮られた今井橋終点で休む都電と乗務員の一コマ。都電の右後ろには、
終点の証である木材による車止めが写っている。二年前に江本氏が撮られた終点風景と異なることは
一目瞭然だ。宮松氏が撮られた今井橋終点は、本来の今井橋停留所から東荒川方に約70m移転した地点
と推測した。画面右端に写る複線用架線柱で、この地点が電車交換線の設置場所であったことが判るだろう。 移転の理由は1951年から開始されたトロリーバス開業付帯工事だ。1951年5月に今井無軌条電車営業所
が開設され、付帯工事は1952年2月から開始された。今井橋終点付近にトロリーバスの転向所(ロータリー)
や今井営業所庁舎の建設用地が必要となり、既存の軌道を手前で切り詰め、操車所などの設備を撤去して
敷地を確保したのだろう。
■鉄橋を渡る一枚の写真を推理
農業用水が縦横に存在した一之江線には、大小の鉄橋がここかしこに所在した。用水路に架けられた
小振りな鉄橋を渡る長閑な雰囲気の一コマも宮松氏の作品で、ご子息から提供いただいた。この作品には
撮影地が明記されておらず、約70年前の画面情報と平面図を照合して、撮影地を推理することになった。
画面の用水路に架かる鉄橋の長さを、鉄橋上の400型と比較して割り出した。400型は全長7.9mであるから、
それよりも短い約7mと判断した。都電の背景には、開業を目指すトロリーバスの架線柱が建植された
今井街道が写っている。件の平面図上で、単線の一之江線が今井街道と並走する区間に特定して、全長が
約7mの橋梁を照査したところ、一之江〜瑞江の東荒川起点2400mに位置する「中井堀」橋梁ではないかとの結論を得た。
現地踏査の際、この地点と思しき場所を探索したが、画面の今井街道と一之江線の下を流れていた
中井堀は埋め立てられて、川筋は失われていた。上流の北東方には、往年のせせらぎを彷彿させる
「仲井堀親水緑道」が所在する。現地の表記は仲井だったが、閲覧した図面には中井と記されていた。
小松川橋に連なる今井街道には1952年5月20日、東京で初めてのトロリーバス路線101系統(今井〜上野公園)
が開業した。都電26系統一之江線が廃止された翌日のことだった。
ちなみに、トロリーバスの運賃は開業当初15円均一だった。同時期の都電の運賃は10円均一だったが、
26系統は営業距離が短いため、特区の5円均一運賃だった。
トロバス101系統も13年の短命に終わり、1968年には廃止されてしまった。トロバス代替の都バス601系統
が同区間に就役したが、後年系統番号を上26系統に改番する。なんとあの26系統が復活したのだ。
1990年から同系統は上26系統(上野公園〜亀戸駅)と亀26系統(亀戸駅〜今井)に分割されたが、
現在も継続して運行されている。 1947年の改訂で登場した都電26系統の血統は、都バスとして今井街道に健在である。
交通局も粋なことをしてくれるじゃないか…。
■撮影:1950年12月16日
◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。
鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの
私鉄原風景」(交通新聞社)など。2019年11月に「モノクロームの軽便鉄道」をイカロス出版から上梓した。
※AERAオンライン限定記事 都電時代の「最も短い区間」はどこ?70年前傷みながらも戦後東京を支えた木造車両〈AERA〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20201014-00000050-sasahi-life
10/17(土) 7:00配信
引退近づく半蔵門線の顔 東京メトロ8000系はどんな車両? 時代の求めに柔軟だった40年
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201022-00010004-norimono-bus_all
10/17(土) 7:00配信
東京メトロ半蔵門線に2021年度上半期から、新型の18000系電車が導入されます。
全部で19編成が導入され、既存の8000系電車を置き換える計画です。
8000系は約40年間、半蔵門線をはじめ、直通先の東急田園都市線や東武スカイツリーライン(伊勢崎線)
などでも走ってきました。いよいよ引退に向けカウントダウンが始まりますが、どんな車両なのでしょうか。
8000系は1981(昭和56)年4月に運転を開始しました。ちなみに半蔵門線が開業したのはその3年前、
1978(昭和53)年です。8000系登場までの3年間、当時の営団地下鉄は半蔵門線用の車両を持たず、
直通する東急の車両を融通していました。これは同線専用の車両基地がなかったこと、開業区間が
渋谷〜青山一丁目間の2.7kmであり、多額の設備投資をしてまで車両を所有する必要がなかったこと
が理由として挙げられます。
8000系は「初めての要素」がいくつか盛り込まれた車両です。台車枠と車体のあいだに取り付けられる
枕梁(ボルスタ)を無くし、軽量化と保守の簡素化を図ったボルスタレス台車を日本で初めて採用。
また、加速とブレーキのハンドルを一体化したワンハンドルマスコンのほか、有事の際に機器の状態
を把握する故障記憶装置を営団車両で初めて採用しました。
導入当初は8両編成や6両編成だった8000系は、その後少しずつ延伸していった半蔵門線の輸送力強化
のため中間車を増結し、1994(平成6)年10月までに全ての編成が10両化されました。 ■紫色の帯のまま東西線を走ったことがある
車齢40年のわりにあまり古さを感じさせないのは、機会あるごとに設備を更新してきたからかもしれません。
例えば2003(平成15)年3月の東武線との直通運転開始や翌2004(平成16)年4月の民営化にあわせ、
方向表示器のLED化や自動放送装置の導入などを行いました。車内には2010(平成22)年前後から、
ドア上にLCD(液晶画面)を設置。新型車両と同等のサービスを提供しています。
ほかにも、増加していた訪日外国人のニーズに応えるため、2018年頃より車内フリーWi-Fiのサービス
を開始しています。2020年10月現在、全ての8000系でWi-Fiが利用可能です。
このように、外観はデビュー当初から大きく変わらないまでも、サービス面で時代の変化に応じた更新
が行われてきた半蔵門線の8000系ですが、一時期、東西線で使われたことがあります。
1987(昭和62)年に10両編成で製造された3本は、1989(平成元)年1月の半蔵門線 三越前駅(東京都中央区
)延伸にあわせてデビューするまで、輸送力強化のため東西線を走りました。当時、東西線は新型の05系
電車が製造中であり、それを補うピンチヒッターとして導入されたのです。しかし暫定的な処置であることから、
車体の帯色は東西線の水色ではなく半蔵門線の紫色のまま。誤乗防止のため、ドア上には「東西線」と掲示されました。
現在、最長で中央林間〜南栗橋間の約100kmを走り、私鉄3社を直通するロングランナーのイメージが強い
8000系ですが、一部編成は保安装置を積み替え、JR総武線まで乗り入れた過去があるのです。 川崎F武田元会長が掲げた「地域密着と強さ」/連載
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201127-21260427-nksports-socc
11/27(金) 10:49配信
<川崎の街がブルーになった:上>
コロナ禍の特別なシーズンとなった今季、川崎フロンターレは圧倒的な強さで、
首位を独走し、4試合を残しての最速優勝を飾った。
社名を「富士通川崎スポーツマネジメント」から、チーム名と同じ「川崎フロンターレ」
に変更してから20年。スポーツの根付かない街といわれた川崎で愛されるクラブに進化した。
社名変更を決断し、強豪クラブの礎を築いた武田信平元会長(現日本アンプティーサッカー
協会理事長)の地域密着への思いを「川崎の街がブルーになった」と題して3回連載する。
◇ ◇ ◇
武田氏が社長に就任した00年12月、川崎Fは「全然無名で、話にならない状態」だった。
川崎といえば、スポーツの根付かない街。92年にはプロ野球ロッテが千葉に移転し、
翌01年にはヴェルディ川崎が東京に移転することも決まっていた。
地元が盛り上がるすべを考え抜いた末、武田氏は2本の柱を掲げた。
「スタジアムを満員にすると、街が盛り上がっていくのは間違いない。
そのために必要なのは、地域密着活動をどんどんやることと、強くなること。
この2つを両輪で回していかないといけない」。
00年にわずか1年でJ2に降格し、そのまま4年間を戦った川崎Fだったが、生え抜きの成長と
補強の成功で、05年にJ1再昇格を果たした。強化が結果に表れるのと時を同じくして、
武田氏はスタジアムの満足度も高めていった。
「米国で野球やアメフトを見に行くと1日遊べる」という点にヒントを得ると、競技場内外に
来場者が楽しめるポイントを設けていった。今でこそ本拠・等々力はイベントやグルメの
充実したイメージがあるが、場外イベントスペース「フロンパーク」が誕生したのは09年。
キッチンカーや体験コーナーに地元色を取り入れながら、お祭り会場のようなスタジアム
を作り上げていった。 中でも有名になったのは、川崎市に拠点を構えた春日山部屋の“ちゃんこ鍋”だ。
「最初に手を結ぶまでに、何度も何度も通った。だんだん分かってもらえて、競技場に
力士を呼んで綱引きをしたり、ちゃんこ鍋を振る舞ってもらったりした」。
バラエティー豊かなハーフタイムショーを用意したり、市にゆかりのある芸能人を
ゲストに招くなどして、地元を耕しながら、愛されるクラブに成長していった。
08年10月からは、等々力陸上競技場改修の署名活動も行った。集まった数は約22万。
隣接する野球場にも改修の声が上がっており、資金面でも困難を極めたが、
武田氏らの熱意は市を動かした。15年には現在のメインスタンドが完成。
ファミリー席などの新しい席種が用意されたが、これらはプロ野球・広島の
マツダスタジアムを参考にしたという。きれいで快適なスタジアムは、
年を重ねるごとに来場者数を増やしていった。【杉山理紗】 もし、年末年始に体調がおかしくなったら...⇒小池都知事「すぐ発熱相談センターに電話して」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201230-00010001-huffpost-soci
12/30(水) 15:16配信
東京都の小池百合子知事が12月30日、臨時会見を開いて「年末年始は命を優先して」
と呼びかけ、都民に家で過ごすよう求めた。
体調がおかしいと感じた場合は、ためらわずにかかりつけ医や
東京都発熱相談センター(03-5320-4592)に相談するよう呼びかけた。
【Rio Hamada・ハフポスト日本版】 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています