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【解剖】献体について語るスレ【医大】
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0001愛と死の名無しさん
垢版 |
2009/08/14(金) 14:50:54
献体について意見交換しましょう。
参考URL
http://www.kentai.or.jp/
0321愛と死の名無しさん
垢版 |
2021/09/18(土) 20:43:13.97ID:smCsBLa+
サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん 2時間SP
0326愛と死の名無しさん
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2022/10/27(木) 02:12:01.64ID:bRUznjnq
親族2人の献体に付き合ったので経過を書いておく

連絡すると死亡したホームに引き取りに来る、すぐ来る
通夜、告別式はやらなかった
約2年後に合同慰霊祭に招待される
その後、遺骨入骨壷を引き取る(宅配便可)
うちは墓地に納骨した
0327愛と死の名無しさん
垢版 |
2022/12/18(日) 06:17:33.87ID:uOZZb8WE
体が動かないだけで意識があるかもしれないからお断りだな。
本当に意識がないという保証は?
0331愛と死の名無しさん
垢版 |
2023/03/05(日) 04:06:13.73ID:5Dc4m4O2
熱々のカキフライを乳首の上に乗せる仕事始めたら母親が泣いた
0333愛と死の名無しさん
垢版 |
2023/04/10(月) 15:29:40.22ID:4iqaWy7S
これって囚人の義務でしょ?
献体して誰かの役に立ってあげるのって
死刑囚だろうけどね
0334愛と死の名無しさん
垢版 |
2023/06/05(月) 08:35:48.30ID:RICC7i1i
献体ってさ、本人が希望するなら良いことだと思うけどさ
単に葬儀の省略や供養の費用をけちるために、本人に何も言わず、
子や親族が本人に隠れて登録するのがほとんどなんじゃあないだろうか?

書類へのサインや認め印なんて何の確認にもなっていない
きちんと本人の意思を確認してる大学があるのだろうか?
本人の意思確認を電話でするとか手紙を出すとかで確認すべきだと思う
0341愛と死の名無しさん
垢版 |
2023/11/26(日) 13:10:44.81ID:vF8gRDGP
墓を荒らし死体を漁る泥棒たち、19世紀英国で横行した死体売買、奇形はより高値に
横行する死体の盗掘
当時の法律では、死体は「財産」と見なされなかったため、墓泥棒は軽犯罪でしかなく、
罰金か6カ月以内の懲役しか科されることはなかった。しかし、死体を包む布、棺の取っ手、
死者の衣服など、ほかの埋葬物を持ち去れば、長期間の実刑を受けるリスクもあった。
そのため、裸にした死体をカゴや箱に入れ、馬車に積んで運ぶという方法が主流だった。

 死体盗掘者が愛用する道具は4つ。木製のシャベル(金属製よりも静か)、
ランタン、金属製の大型フック、そしてロープだ。まず棺が姿を現すまで掘り進め、
棺の蓋にフックを引っかけて開け、中の死体にロープを結んで引っ張り出す。
上半身の力がかなり強くなければできない作業だ。“一流”の死体盗掘者は、
一晩に6体もの死体を掘り出し、それらを引っ張り上げて墓地の壁を超えた。

ただし、罰則は軽くても、世間からは白い目で見られる行為なので、
極秘裏に行うことが絶対条件だった。死体泥棒が最も横行していた
1820年代後半には、専業の死体盗掘者が独占的に作業を行っていた。
「彼らは、パートタイマーや日雇い労働者が参入してきて、価格を押し下げたり、
軽率な行動を取ったりすることを望みませんでした」と歴史学者のサラ・ワイズ氏は話す。
「実際その通りでした。新参者によって、この商売は台なしになったのです」
0342愛と死の名無しさん
垢版 |
2023/11/26(日) 13:11:46.47ID:vF8gRDGP
死体泥棒が高じて連続殺人事件に
1827年に起きた出来事が、まさにその例だった。アイルランドからの移民で、
エディンバラでそれぞれ妻と暮らしていたウィリアム・バークとウィリアム・ヘアは、
死体の販売に手を染めるようになった。2人とも労働者で、ヘアの妻は下宿を営んでいた。

ある日、その入居人の一人であり、家賃を滞納していた年金受給者が突然死亡した。
死体を引き取る家族がいなかったので、バークとヘアはこの死体をロバート・ノックスに売ることにした。
ノックスは市内で一流の解剖学者であり英エディンバラ王立外科大学の特別研究員で、
学生が1人につき1体、解剖用の死体を確実に使える「パリ式」の教育を行うことを宣言していた。

ノックスから7ポンド10シリング(1ポンドは20シリング)を受け取って味を占めたバークとヘアは、
死体を手に入れるためにより直接的な手段をとった。それは、無防備な他人を殺害することだった。

2人は10カ月の間に16人を殺害し、死体をノックスに売った。やがて2人は逮捕されたが、
ヘアはバークに不利な証言をすることと引き換えに、訴追を免除された。
バークは有罪となり、1829年1月に絞首刑が執行されたあと、死体は公開解剖され、
骨格はエディンバラ医学校解剖学博物館に展示された。
0343愛と死の名無しさん
垢版 |
2023/11/26(日) 13:12:26.72ID:vF8gRDGP
ノックスがこの犯罪についてどれほど知っていたかはわからない。
しかし、評判が悪化したため、彼はエディンバラを出てロンドンに移らざるをえなくなった。

その3年後にも、「ロンドン・バーカーズ」と呼ばれるグループが、ラム酒と、
アヘンが主成分の薬を使って人を動けなくしてから殺害し、死体を売るという事件が起きた。
このグループのジョン・ビショップとトーマス・ウィリアムスは、
不自然に新鮮な14歳の少年の死体をキングス・カレッジの解剖学部に売ろうとして逮捕された。
取り調べの結果、2人は「イタリア人少年」の殺害を自供。カルロ・フェラーリという少年だった。

ビショップとウィリアムスは1831年12月に絞首刑となったが、
この犯罪によって議会は法律を変えざるをえなくなった。
1832年の解剖法によって、引き取り手のない貧困者の死体を合法的に解剖できるようになり、
死体盗掘者の取引は激減した。
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