帰ってきたウルトラマン 39話目(IP表示あり)
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ここは1971年にTBS系で製作・放映された特撮怪獣番組
「帰ってきたウルトラマン」について語るスレです
・次スレ作成時は本文先頭に以下の行を記述すること(立てるときに消えます)
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ウルトラマンの呼称については各個の判断にお任せしますが
異なる見解に対する罵倒雑言は作品に対する侮辱になるので配慮をお願いいたします
様々な世代に様々な考え方が存在します
貴方自身が作品の品位を決めると思って下さい
前スレ
帰ってきたウルトラマン38話目
http://itest.5ch.net/rio2016/test/read.cgi/rsfx/1572943916
関連スレ
帰ってきたウルトラマン36話目(IP表示なし)
http://itest.5ch.net/rio2016/test/read.cgi/rsfx/1559829975
ウルトラマンジャックを語るスレ
http://itest.5ch.net/rio2016/test/read.cgi/rsfx/1174172192
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured ウルトラマンジャックが弱く見えるのは、ストーリーでしょ。 「ウルトラマンジャックが本名だから、その名をなんと呼ぼうと自由である。」
実に尊重すべき意見だと思う。
だが、ニイマンやキマンになにじみがない、若いファンもいるかもしれない。
そのためには、
ニイマン(ジャック)、キマン(ウルトラマンジャック)と書き込む配慮が欲しい。
ニイマン・キマン等と、ウルトラマンジャックの蔑称を書き込む人は、ジャックを愚弄するだけではなく、若いファンを無視する行為だ。
自分の意見は間違っているかな? >>473
弱いウルトラマン
弱ウルトラマン
ジャクウルトラマン
ウルトラマンジャク
ウルトラマンジャック 間違っている、いないの話では無く
バカ丸出し、剥き出しの馬鹿 >>464
ここは「帰ってきたウルトラマン」のスレ
初代ウルトラマンの呼び名は「帰ってきたウルトラマン」の作中では後付け設定では無い
「帰ってきたウルトラマン」の作中で初代ウルトラマンと呼ばれたのだから、このスレ的には問題ないだろ
あんたが例に挙げたナレーションでしっかり呼ばれている
あ、自信持ってそれを例に挙げたところ見ると、そのこと自体を知らないんだね? 会話するにしろ炎上目的にしろ、
自分の知っている分野のスレに行けばいいのに
専門外のところで頑張るからアラが出てしまい
相手にされなくなる 「私はウルトラマンだが過去に地球に来たウルトラマンとは違うウルトラマンジャックであり・・・」
一度死んで意識朦朧としてる郷秀樹にそんなことまで説明してられっかよ
ウルトラマンなになにだか知らないけどとにかく第1話で郷はウルトラマンの力を手に入れた
それでいいじゃんか >>486
クランクイン直前まで初代と新マンは同一の設定だったんだよ
初期段階ではムラマツやハヤタも登場する設定だった
版権や営業上の理由で突然別キャラ設定になった
そこで線一本を加えて急遽別キャラに仕立てたんだろ
その後さらに手を加えて現状のデザインになった
だいたいジャックなんて名は新マンの頃には存在していない
よってその仮定は無意味 「何故ジャックという名前があるのに『帰ってきたウルトラマン』ではジャックと呼ばれなかったのか」
と真剣に聞いてくる人がいるご時世だからね
冗談ならともかく、これはおかしいと本気で怒ってる人を見ると
ほんと余計なことしたよなあと溜息が出る 自分の後の世代、少なくとも今の30代には普通にジャックが浸透してるのにジャックと呼んだだけでキレる度量の小さい老害 その通りだと思う。
ウルトラマンジャックという正式名称が揺るがない以上、これ以上の論議は無駄とも言える。
だが、ニイマン派にも慈悲は与えられるべきだ。
よって、ニイマン(ジャック)、キマン(ジャック)と記載してはどうだろうか?
有益な提案だと心得る >>487
ハツダイ、ニイマンとは何だ?
ニイマンこそ、どっかの雑誌が勝手にいいだしたらしいが、それを後付けと言うんだろう? >>491
あんたにとって日本語って、そんなに難しいのかなあ
それとも面白いと勘違いして書き込んでる?
「後付け」の言葉の意味も理解できていないようだし
正に愚の骨頂だね
>>489
俺は最初から自由に呼べば良いと言っているけどね
新マン、帰マンを蔑称、それを使うのは差別主義者などと言いがかりを付けて、規制をかけているのがブーイモ=エアペラ
因みに前にも出てたが、帰マンは冬木先生が使っている愛称
帰りマンは円谷プロスタッフが使っている愛称ね 原子力発電所をキングザウルス三世から死守した後の隊長のセリフ「これで東京も停電せずに済んだ」
原子力なら停電どころじゃないと思うんだけど… あともう一つ、上野の「このままウルトラマンが来なかったらヤバかったぞ」ってのがあるけど
「ヤバい」って言葉が若者語として使われ始めたのもだいたいこの頃からだよね >>487
だから後付けでもいいじゃないかと言ってんじゃんかよ ウルトラマンジャック
それでいいんじゃないか?
納得できない人は、ニイマン(ジャック)と書けばいい。
それで、罪が許されると思えばやすいものだろう。 >>499
何度も書かれているのに読解力が欠如しているのか?
「シンマン」、「カエリマン」な
人が使っている愛称を茶化す行為はやめなさい
だいたい、新マンと初代マンの見分けも付かない上に、
帰ってきたウルトラマンの劇中で「初代マン」と呼ばれていたことも知らない奴が、なに仕切ってるんだか 論争を終わらせる提案だったんだけどね・・・・。
ニイマン(ジャック)、キマン(ジャック)表記・・・・。
なんというか、頭が固い。新しいものを受け入れて欲しい・・・。
共生できるスレを目指して欲しい。妥協して欲しい。 頭おかしい人に目をつけられたスレはまあ、しょうがないね
我々が自らそういうのを呼び込んでしまった、
ということで諦めるしかない 番組冒頭で、ウルトラマンジャックは「私はウルトラマンジャック」と名乗ったということでいいんじゃないのかな。
歴史解釈は、未来に書き換えられるものだ。
聞き取りづらかっただけで、「ウルトラマンジャック」と名乗ったそれでいいだろう。 >>503
呼び込んだっていうか、一々反応するから荒らしの思う壺でいつまでも続いてるんだろ
ワッチョイもあるしIPも見えてるしNGワード設定もあるのに何もせず荒らしガーとずっと言い続けてる奴も相当馬鹿だと思うぞ もし最初からジャックという名前があるとしたら「ウルトラジャック」になったはず。
「ウルトラエース」がマルサンに商標登録されていたから
以降「ウルトラマン○○○」となってしまった。 >>501
前スレの終わりの様な談義をすれば良い
ついてこれないから 怪獣時限爆弾って何で評価低いんだろうな
鈍重そうに見えた怪獣が音に反応して俊敏になったり
爆弾を軸に置いたサスペンスフルな展開といい普通に良く出来てると思うんだが >>497
怪獣が毎週のように街を破壊してもすぐ復旧復興する世界だからな >>508
評価が高くないだけで低くはないんじゃないの?
ただ脚本が初登板の田口だから次郎くんが妙にエモいし、ツンケン岸田は逆にマイルドになってたりする違和感あり。 >>506
だからさー、最初からジャックという名前があるとしたらという後付けでもいいって言ってるだろ んなこと言ったらタロウ放映中にトレギアなんかいなかったよーって
言ってるようなもんじゃんか
ジャックだってトレギアだって後付けでもいいんだよ
架空の物語なんて後付けの積み重ねさ
そこから夢を求めるんだ >>508
初期の作品は郷のミスやら奢りやら隊員同士の対立とか、怪獣も地味で似たような感じで印象が薄いのではないかな? 俺のもっと評価されても良いんじゃない?作は「この一発で地獄へ行け!」
沢村忠が出てる色物回扱いだが中々どうしてドラマは面白い。
この回こそ第2期の特徴が一番色濃く出た作品。こんなドラマ展開は1期じゃ不可能だろう。
・青春物語としてのウルトラマン
・ホームドラマのテイスト
・庶民のヒロインをピックアップ
・ヒーローの恋人だとはっきりと明示
・怪獣の存在と出現の無意味さ
第2期作品とは何か?帰りマンとは何か?と問われたらこれ見せるのもアリだと思う。 局Pの「登場人物の台詞1つにもしっかりとしたバックボーンがあるはず」
という考えから、とにかく人物描写を厚くしたというのが
「帰ってきた」の大きな特徴だと思う
結果として怪獣の印象が薄くなるという副作用がついてきた
怪獣が地味、というのはデザインだけの問題ではない 人間ドラマってのは無理があったとしか言いようがない。
怪獣出現、退治に必ず5−8分は裂かれる。残りの尺が何分になると思う?
スペクトルマンのように、連続ものを多用(ジャックも多いが)しなければ、話が作れない。
毎回毎回、怪獣使いと少年にするわけにはいかないんだよ。
大人になったんだから、そこを理解しよう。
それから、キリマン(ジャック)もね。 >とにかく人物描写を厚くしたというのが
帰りマンの台詞って一期作品よりも印象に残るセリフが結構多いんだよね。
まあ、一言のセリフじゃなく登場人物達のやり取りがだけど。
坂田三兄弟、とくに兄貴との絡みはどれも魅力的。 例えばグドンとツインテールは共に「帰ってきた」を代表する怪獣だけど、
実はこの2匹を同じエピソードに登場させる予定はなかったという
まず怪獣のデザインを先行して行い、後でエピソードに当てはめていくという手法であったそうだが、
その結果、ムチを武器とする怪獣2匹が同じエピソードに登場するという、
普通はあまり考えない事態が起こった
エピソードと怪獣がリンクしないことで、
物語としては佳作でも怪獣の印象が薄いというのは
こんな理由もある っていうか坂田健は名シーン名セリフ製造マシーンだな。
坂田「お前は疲れてんだよ。こいつの顔はこんなチンチクリンだが、怪獣を見てるよりは気がやすまるぞ(笑)」
アキ「チンチクリンなんてひどいわ、これでも横顔にはチョイと自信があるんですからね(一同笑)
「東北辺りでは・・・風花といってね。青空なのに雪がちらつくことがある・・・。
その風花を見るともう冬が来たんだな・・・とそう思うんだ・・・」 >>519
怪獣の印象薄いか?初めての意見だなあ。
強大な怪獣=この回では天災よりも戦争に巻き込まれる市民の物語がキッチリとリンクしてますがな。
グドンの出現理由も違和感ないしデザインも造形も良いから二匹とも人気怪獣とちゃうんか? あのエピって、別に怪獣がグドンとツインテールでなくても成り立つよね?
(デザインそのものが秀逸であったのは確かだけど)
夕陽をバックにウルトラマンを挟み撃ちにする二大怪獣の画は印象的だったけど
あれがグドンとツインテールでないとダメ、というわけではなかった
テロチルスも同じ、あれも物語は名作に入ると思うけど
怪獣とのリンクはないも同然
夫婦怪獣のエピは、あれはあの2匹でなければダメだけどね
そういう意味であのエピは怪獣も印象深い >あのエピって、別に怪獣がグドンとツインテールでなくても成り立つよね?
それってウルトラマンでもセブンでなんでも言えるんじゃ・・ マンやセブンと違い帰りマンは「怪獣のいる日常を描いた世界」で、
この回はその厄災が降りかかった人間のドラマと強大な二大怪獣と防衛チームの死闘が観どころ。
いつものような特殊な能力とシチュエーションを持った怪獣との攻略や攻防を観せるのがメインじゃないから、
「他の怪獣でも成り立ちますやん」と言われればまあその通りだが、工事現場の卵から返ったツインテール、
その捕食者として現れたグドンのドラマ性やキャラクター性は決して無個性じゃないんだけどね。 「ウルトラマン」はまず脚本があって、そこから
「こういう怪獣をデザインしてください」と成田氏に依頼する形
なんだかんだでデザインが変わったら今度はそれを脚本にフィードバックする
だから脚本と怪獣が強くリンクする
(怪獣ありきの脚本、と言い換えてもいい)
どっちがいい悪いという話でなく、方法論の違いというだけ >>510
Q〜帰マンまで全話採点するサイトがあって、たしか51話の中で一番平均点が低かった記憶
サイト探したけど見つからず
>>514
ゴルバゴス〜シュガロン辺りね
個人的には嫌いじゃないし、少なくとも(意外に視聴率が一番高かった)第4クールよりはよほど出来がいいと思うけど
子供には理解し難いシリアスな展開に異常なまでの地味さが祟ってか視聴率は駄々下がりに…
まあしょうがない んなこと言い出したら
ピット星人が連れてきた怪獣はビリビリ技のエレキングである必要ないし、牛のモチーフでなくても物語は成り立つ。
最終回もパンドンの代わりにエレキングを出しても物語は成り立つし、
なんなら宇宙人が操る怪獣をみんなエレキングにしても物語は成り立ちますやん? >>525
ウルトラマンでもグビラとかは代替が効きそうだけどな
あとはザンボラーなんかも物語への絡みが希薄 >>525
おっしゃる意味は分かるんだけどね。
ただ、本来は「じゃないといけない怪獣」であるゴルバゴスやモグネズンに比べ、
「じゃなくていい怪獣」であるはずのグドン・ツインテール・ムルチなんかが逆に印象強かったりする場合もあったりする。
キングマイマイだってあんな虫の怪獣である必要がないし、やっぱ本編の出来や演出って大事だなあ。 視聴率に関しては難しいところがある
有名どころでは「夏枯れ」という言葉があって
夏休み期間中は外出する家庭が多く、子供向け番組は視聴率を取れない、というもの
それ以外にも、5〜8月は日が長く、子供が遅くまで遊んでいるので
夜7時からの子供番組は視聴率的には苦戦する、
ということもあったのではないかと思っている
「ウルトラマン」は7月に放送が始まり3月に終了しているので、
序盤にやや苦戦するもその後は視聴率が枯れずに完走できた
「セブン」は10月開始、ドラマ志向が強くなった後半は
視聴率が苦戦する時期(5〜8月)にぶつかったこともあって
視聴率が落ち込んだ可能性がある
「帰ってきた」以降は開始早々苦戦時期とぶつかるので
前半は力を入れた割には視聴率が苦戦、みたいな展開があったのではないかと
後半に回復するのはテコ入れ効果なのか、時期的に回復する時期だったからなのか、
切り分けが難しいと思う >>530
ていうか、セブンの後半って子供心にもつまらんかったよねw >>527
「セブン」の宇宙怪獣はそうだねえ
ぜんぶエレキングでよかったじゃん、と言われると
返す言葉がないw
ただ方式としては「セブン」も「ウルトラマン」と同じであったはずなので、
脚本家側に何らかの意図はあったのではないかと思う >>528
グビラは一応、物語の中心だからね
深海を住処にして、外部に武器を備えているという
(武器がドリルである必然性はなかったかもw)
ザンボラーは、・・・そうね、火を使った特撮をやりたかったのかな 傑作「怪獣使いと少年」も「何で魚の怪獣にする必要があったの?」と言われると何も返せないのが弱点w ムルチもザザーンとかと同じく「工場排水によって怪獣化した」という設定があるらしいが
劇中ではそんな描写ないしね
メイツ星人も工場から排出された煙によって身体を蝕まれたので
ある意味同類、ということらしい >>530
スレ違いなんでスルーしても構わんが質問
「夏枯れ」ってのは夏場の夕暮れが遅く、それに伴って子供の外出時間も長くなり
18〜19時台の視聴率が落ちがちになるからって認識で良いんだよな?
この10年ばかり、ニチアサ(ライダーとか戦隊とかやってる日曜朝の8〜9時台枠)で
数字が低いのは夏枯れっていうのをよく聞くんだが、
その時間で夏枯れっていう理屈がよくわからんのだ
該当スレで何度か聞いたがスルーで、
ともすれば19時台が主だった時代なんぞ持ち出すと老害の一言で一蹴
よくわからんので御存知なら教えていただきたい
>>531
怪獣ブームの落ち着きで円谷・TBS双方で怪獣からの脱却に積極的だったらしい
東映やピープロなど、番組を競合した会社も舞台から降り
孤軍奮闘状況だった円谷としては時代遅れになりがちの怪獣をなんとか払拭したく、
それで主要視聴者を小学校高学年から中学生に絞るって資料もある 俺ははっきりって、『帰マン』『タロウ』『レオ』の主人公のホームドラマは要らなかったと思う
2〜6話のようないい話も作れるが、坂田家の誰かが怪獣にしょっちゅう遭遇するというムリな展開になり、途中から持て余していたと思う >>536
>>530でも書いたのだけど、夏休み期間中は帰省や家族旅行で家族ごと家を空ける家庭が多く、
テレビの視聴自体が低調になる時期であると言える
子供向けファミリー向け番組はかなり苦戦する時期と言っていいのでは
それに加えておっしゃる通り
「子供が遅くまで外で遊ぶのでテレビの前にいない」が重なると >>537
メビウスやタイガは第一期のセンスオブワンダーと第二期の人間的ドラマを
バランスよく兼ねていると思う >>537
この番組の基本コンセプトが、郷秀樹の成長物語だからな
迷いや葛藤を通して成長していく
そういった意味では坂田兄弟の存在は大きいと思う おまいら北米版ブルーレイは予約した?発売後しばらく待ったほうが安くなるかな。 >>540
成長させてくれた坂田兄妹を忘れ去り、次郎君を見捨ててしまうがな。
路線変更と言うよりは、ウルトラマンジャックの残虐性を如実に表している >>541
登場ウルトラマンは、何という名前かね?
NEWMANか、ReUltramanか? >>537
>俺ははっきりって、『帰マン』『タロウ』『レオ』の主人公のホームドラマは要らなかったと思う
それでは帰ってきたウルトラマンの作品としての個性が無くなってしまう。
―それでは、上原さんのウルトラマンは?
「金城のウルトラマンは一つの完成形。そのコピーでは、やる意味がない。
仰ぎ見る主人公ではなく、町工場で働く兄ちゃんが困難にぶつかりながら成長していく物語にした。
近未来ではなく、公害が深刻だった70年代の東京を舞台に、リアリティーの追求に腐心した。
例えば怪獣がビルを壊すと、僕は人々ががれきの下敷きになる場面を作る。これは金城にはない発想。でも僕はやる」
「初代ウルトラマンと変身するハヤタは一心同体だけど、意思はどちらにあるのかはぼんやりした設定になっている。
それで僕のウルトラマンは、変身する郷秀樹の意思を持つ設定にした。
また、初代は仰ぎ見るイメージだけど、僕のウルトラマンは子どもの目線に下げようとした」
「だから『帰ってきたウルトラマン』は僕をはじめ、いろいろなライターがやりたい放題にやっているよね。
初代『ウルトラマン』のような透明感はなく、斜(はす)に見た感じの物語が主流になっていった」 >>540
>この番組の基本コンセプトが、郷秀樹の成長物語だからな
上原さんもインタビューでもそう語ってるね。
私達は『柔道一直線』の要素を取り入れることにした。
主人公の郷秀樹の人間的な成長ドラマをタテ軸にすることになった。
郷を坂田自動車で働く若者という設定にし、
工場を経営する坂田兄妹とのふれあいを大事にした。
主人公をエリートではなく、隣のお兄ちゃんにすることで
視聴者の目線にヒーローを引き寄せることが出来るのではないかと考えたのである。 子供心に感じたのは
ウルトラマン=明るく夢が溢れる近未来の世界
セブン=クールでダークな未来の世界
帰マン=今自分がいる世界での出来事
これがリアルな感想。故に幼児期に夢中になれたのはウルトラマンの世界。
帰りマンのリアルな世界には初代のワクワク感は感じられなかった。
出だしの視聴率が悪かったのはリアリティで幼児のハートをつかむのが困難だったせいだと思う。 ウルトラマン=仄々としたロマン 人類が強い
セブン=シリアスなセンスオブワンダー
帰マン=悩むウルトラマンの人間態 人類が弱い
こんなとこが俺の感想 >>546
そう、新マンの世界観は等身大なんだよね
それまでの架空や未来の世界の話ではなく、現実の中に怪獣が現れる印象
主人公も悩み苦しみながら少しずつ成長していく
次郎くんのような子どもの絡み方も、初代のホシノくんまでの違和感が無く、世界に溶け込んでいると思う ニイマン(ジャック)はドラマに逃げ込んだとも言える。
また、ナックル戦以降をドラマだとかは、到底表現はできない。ナックル戦にもドラマはない。 あれはカット割りが悪かった
微笑む次郎→微笑み返す郷、だったら何の問題もなかった
脚本はそういう意図だったと思うのだが 別れたのなら復縁の可能性も考えられるが、死んだならさっさと頭切り替えて新しい彼女探さなきゃ >>552
その発想が日本人っぽくない。
異星人であるウルトラマンジャックの発想だ。
そう言えば、北斗もゾフイーをないがしろにしていた。
ウルトラは、情に薄いのかも。 >>548
等身大でリアルだからマットのギスギス感が幼児には辛かった。
科特隊には親近感、ウルトラ警備隊には憧れと格好良さを感じたのにマットにはメカを含めてワンダーを感じなかった。
視聴率苦戦したのは隊員同士のギスギス感が幼児にはストレスだったのが一番の理由かもね。 >>551
普通に「良かったな次郎くん」っていう安堵の微笑みにしか見えないんだが?
あれを「おっ!ええ女やんけw」と解釈してる奴がいるとは・・ >>557
郷秀樹だけでなく、MATのメンバーも科特隊やウルトラ警備隊のような「スーパーエリート」から引きずり下ろし、一人の人間として描こうとしていたのかもしれないね
それは冬木先生の音楽にも現れているように思う
MATのテーマとして録音されているM-1、M-2自体が勇壮なものでなく、「試練」「苦悩」を現しているように聞こえるし
M-3は勇壮ではあるが、勝利に向けての戦いでは無く、決死の戦いに臨むように聞こえる >>561
マットのテーマは哀愁や悲壮感が漂うんだよね
聴いててグッとくるんだよ。 >>562
同じ冬木先生のウルトラセブンではヒーロー登場曲などセブンテーマモチーフからレコーディングされている
それが新マンではMATからで、ウルトラマンのテーマは12曲目
オケの編成などの理由もあるだろうけど、それだけ人間ドラマに重きをおいていたのかもしれない
ちなみにウルトラマンAもM-2のTAC関連からで、ウルトラマンは6曲目
これはその時のM-2TACのテーマのオケにボーカルを加えたものがシングル盤のカップリングになっていたことから、優先されていたのでは…
レオはM-1レオのテーマから、MACは11曲目から
もちろん個人的な推察に過ぎないけどね >>558
愛がないんだよ
だから悪い方に解釈する。>>542とかな。
またそういう言い方すれば俺みたいなのが触れてくれるしな。
いいね欲しさにバカな事するバカッターと同じ。 郷にとって一番大事なものは光の国だったんでしょ
人間・郷秀樹は死んだのだから地球での使命を終えたら
ウルトラマンジャックとして光の国に永住するしかない
だからルミ子さんとの結婚も諦めて次郎にも別れを告げなければならなかった ダンは「僕はね、人間じゃないんだよ」と言ったけど
郷は「僕はね、人間じゃなくなったんだよ」という心境だったろうな >>564
いつも荒してる>>542の人は相手してほしいだけだから。
でも本気だとしても読解力も知識も少し足りない。
それは上原さんの言ってることで証明できる↓
>「『帰ってきたウルトラマン』でひとつ言えるのは、子供たちに
『自分で考えて行動しなくちゃいけないんだ』ということを伝えたかったんですね」
>「親に言われたことを、先生に言われたことをそのまま鵜呑みにするんじゃなくて、
自分の価値観で反芻して、自分の足で立って、自分の目で見ることができるような
子供になって欲しいという思いがありました」
実際に当時子供だった庵野はこの最終回を見て
「大人はいつかいなくなるんだ、子供もいつかは自分でやらなきゃいけないんだ」
と子供ごころに感じたそうだ。
ファンをおちょくろうとして書き込んだ>>542は作家の意向を理解できなかった人。
庵野の様にその想いをちゃんと受け止めれない感性の鈍さを自らを晒してしまった。
でも責めてはいけない彼の言葉を借りるなら「間違いは誰にでもある」 どうしてそんな変な解釈するかねえ。
忖度して理念なんか読みとる必要はない。
ウルトラマンジャックが次郎君を見捨てたのは事実。
坂田兄妹惨殺の後に何事もなかったかのように、女子大生へ行ってしまうのも事実。
・・さんはそうかんがえていない、・・さんの演出がおかしい
そういう問題ではない。
現実に同じような展開のウルトラマンレオは、ちゃんと死を悼んでいるぞ。
ドラマ内の常識を無視しているからおかしいと言われている。 路線変更しても、いくらでも坂田兄妹への演出はできたはず。
それを行わないで、大したピンチでもないくせに、いきなりどこかへ行ってしまう、ウルトラマンジャック。
レオやエースのように、正体が知られると去らなければならない(謎理屈ではあるが)ルールに則り、去る。ウルトラマンを返却して去るタロウ。
では、ジャックはどうして地球を去ったのか?
ちゃんと考える問題だよ。 郷秀樹は第1話で死んだ
だから郷を生き返らせてくれたウルトラマンジャックに恩返しするために
光の国に永住しなければならなかったからルミ子さんと次郎に別れを告げたんじゃないかな?
ジャックと郷を分離させてゾフィーが命を二つ持ってくれば、
郷は人間としてルミ子さんと次郎のそばにいてあげることもできたんだろうが
バット星人のウルトラ抹殺計画でゾフィーはそれどころではなかった >>568
>542は間違いではなく悪意だよ
みんなと同様分かってるよw
最終回における上原さんの思いをここで語るついでに触れただけだから。
会話が成り立たない人間だから基本はずっとスルーしてる。 >>571
魂もそうなんだけど、郷とウルトラマンジャックの意識自体も一体化していると思う。
最終回の郷にとって、地球人は守るべき対象ではない。現地妻(いやな言葉)を捨て去るように、置き去りにしてしまう。ウルトラマンジャックとの意識が一体化してしまっていたんだろうと思う。
ただ、次郎君に対する態度は許せなかったなあ。 しかし最終回は何度見ても胸にこみあげてくるものがあるね。
まあ光の国へ去るのは唐突感があるのは否めないけど。
ただ郷の優しさ=上原さんの子供に対する優しい目線はひしひしと感じる。
大人は子供に対して何か残してやる責任がある。
この場合は次郎君の自立なんだけど「ウルトラ5つの誓い」の内容は上原さんの
「みんな元気に健やかに育ってくれ」という子供達への慈愛に満ちた言葉に思えて泣ける。
上原さんありがとうございます。
あらためて合掌。 ウルトラマン、ウルトラマンセブンに比べて感動する要素がどこにあるのか?
ウルトラマン最終回の伝説、日本中の子供たちが窓を開けて、ウルトラマンを見送った・・・
まさに伝説だろう。
ウルトラマンジャックが及ばないのは当然だとしても、バッジを返し市井に生きていく決意を示したタロウ、決着をつけて(ブラック指令を倒しのは杉田かおるだが)ヨットで去るレオに負けるのはどういう事か。
ジャックの最終回にカタルシスがあるか?
自分に嘘をつくのはやめたまえ。 大人になって分かることってある。
子供に対する優しい目線。
「ウルトラ5つの誓い」
「オール怪獣大進撃」
「大魔神逆襲」
「昭和ガメラ」
これらはかつて第一期のマニアには「幼児向け」と卑下されていた。
だが今になりそれは卑下されるものではなく
感謝と敬意を持つべきものとして評価している。
だがそういう作品に込められた想いを感じ、偉大な先人たちに感謝できない人間は
いつまでたっても成長の止まった子供のままなのだろう。
子供たちのために何かを伝え残していかねばならない立場の大人が、
その責任を放棄して悪意をもって作品を語ることは、
先人たちの想いも子供の未来も踏みにじる下賤なことと認識すべき。
まあ今は大人じゃないから理解できないのは仕方がないがまだ間に合う。
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