砂の器 Part.2
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結局今西は三木が2度も同じ映画館に行ったことの謎を解けなかったわけだが・・
大阪の戸籍から和賀の存在を突きとめたのはこの後のことか 今をときめく人気作曲家・和賀からすれば、どこの馬の骨ともわからんうさんくさい田舎ジジイが
いきなり押しかけてきても、わざわざ会う必要は本来なかった。
「ヒデオ?私は和賀英良ですよ」としらばっくれればいいだけの話。
(実際、「飢餓海峡」の三國連太郎はたった10年ぶりで会いに来た左幸子相手
「人違いでんねん」としらばっくれてる)
おそらく三木は
「クックックッwヒデオ!元警察官のワシをナメるなよ。
オマエの戸籍を調べ上げることなど朝飯前じゃからな!」
などと抜かして和賀を脅したのだろう。
やっぱ三木は汚い奴だな。 一番最初の羽後亀田駅前で2人がメシ食ってる場面、
丼の中に何も無くてメシ食ってる芝居をしてるようにしか
見えないんだよな 映画館での写真をみると秀夫の失踪から20年以上は経ってるように思えるが
それでも三木にはそれが秀夫を判ったのかねえ??? それは映画では面影やら、ドラマでは腕の傷で云々すわ
大人になってからの顔を見て、子供の時の面影を見出すのはおかしくはない ちょっと書き漏らし、映画のほうのは、幼少時巡査に村に入るなと追い払われたエピソードのときに
額に負った傷跡が、大人になってからの写真にもあったんだろう
最初に「ひかり座」で、その写真を見たときには漠然と似てるようなと思うだけで
翌日、再度その写真を確認したときに傷跡を確信し確信たんだろう
だから、そのカットの直後に、現代での和賀が鏡を見てるシーンがあるんだろう
今西が千代吉老人に見せる写真にも、それが写ってるから
老人も、この写真と同一人物だ、自分の子供だと判って、でもかばうために
「そんな男は知らぬ」と号涙したんだわ あんな集合写真でわかるほどの傷なんて無かったろw
しかも漠然とも似てない
前に子役の成長後のインタビューがリンクしてあってその写真には当然子役時代の面影があったが加藤剛とはやっぱり全線違う
映画ならその辺は似させないと この映画が特殊なのは満載の突っ込みどころを指摘されてマジに反論するファンがいるとこ。
結局犬神家の一族や八つ墓村と似たようなもんでインパクト重視なのに。
公開当時もハンセン病者の子連れ放浪とか企画の時点で患者団体から有り得ないと拒否され、こんなことは現実にはありませんと最後に字幕入れさせられたり、
和賀の殺人動機が弱いのを方々から指摘されていたのをファンの評論家が和賀は保身のために三木を殺害したんじゃなく宿命の作曲イメージが現実を見せられると崩壊するからとか無理矢理な論理を構築。
本人は野村監督にそれを言ったら何も答えずにニヤニヤしてたとか意味深に語ってたみたいだがどう考えても野村監督は憎めない物好きだと思ってた程度だろ。 どうせバカは反論など出来もしないしああ良い映画だったと喜んで帰って行くだけ
まだ反論できるやつはマシ 松本清張原作だと死体をパラフィンで固めて
製材所でカンナで削って処分するのがあったけど
あれって可能なのかね まあこんなお笑いネタ映画見て感動してるのは少しオツムが足りない奴だろうな。
世紀の駄作だ。 エンタメとして面白いのは確か
この頃の野村作品とか清張原作とかが後の二時間ドラマの原型にもなっていてその後延々とテレビで応用された優れた要素がいろいろあった
突っ込み上等で楽しめばOKでしょ 湖から突きだした足、桜の下を剣と銃を持って走るキチガイ、ボロボロの装束で寒空のした田舎道を放浪する親子、、
必然性は別としてビジュアルインパクト一発勝負。
そのシーンに限らずシャツ片を電車から撒いてみたり新聞記事から女と刑事が偶然つながる出来すぎ展開とかコンサート会場で逮捕とかリアリティは別としてインパクトは充分。
必然性よりインパクト、リアリティなくても面白けりゃ文句ないだろ、これはエンタメの王道です。 いくら虚構とはいえリアリティ無くして面白いと感じるのはノータリンだけだと思うけどなあ つまり2時間サスペンスでいくらリメイクしても別にかまわん作品ということだな シャツ片も新聞記事も全くインパクトねえじゃんwww 三木の息子の所に行って兼一の私物を調べれば亀嵩の知り合いの
住所とか千代吉の手紙とか全部出てくるし、親父のなまりが
東北弁に似てることくらいすぐ気付くはずなのにな でもシベ超とかとはちょっと違う
リアルな社会問題を描いてる雰囲気でエンタメやるのが中々イケてる
金もかけてるし根本的にはベタな殺人サスペンスだし旅情サスペンスだし過去の因縁ドラマだしメロドラマだし
後の世で二時間ドラマとして応用されまくったのもわかる
つか二時間ドラマの原作が清張作品が開拓した社会派推理と呼ばれるジャンルだから原作、映像化ともに影響力大 映画を黙って観賞して楽しむことが出来ない人は可哀そう ここの人たちは創作という言葉の意味を知らないらしい 久しぶりに観た、いや〜感動した、涙が止まらなかった
こんな映画は空前絶後で、世代を超えて人気のある映画なんじゃないかな ここのお得意は海老とか貝のBBQになってるんだがね たしかに、自分を裏切ったヒデオに復讐をはたそうとする老人・三木謙一の執念の物語は感動を誘う 2日連続で映画館に来て飾ってある代議士たちの集合写真をまじまじと見てるのに売り子は記憶に残らなかったのか 十数年ぶりに見たわ
映画館は写真ではなくニュース映像と何故か思い込んでいたな
丹波さんが最高に良かったよ 丹波さんは演技力よりその個性が売りだからな
主役を張るためには個性は絶対に必要な要素 シベ超と五分れるのは、ゲンタオオガミ監督の映画とビートさんの映画ぐらいすわ 秀夫が逃走して、追いかけてきた三木を睨みつけてた顔が印象的だった
貧しくても千代吉と一緒にいたかったんだろうな ひでおと千代吉は親子として対面したのかねぇ
昨日の2サス母娘は対面できてハッピーエンドだったが >>178
写真が飾ってあったのが売店の側で事務所の?入り口の頭上
そんな場所の写真を同じ人が2日続けて来てまじまじと見てて印象に残らない筈がない
俺だったら思わず声が出て劇場の人に声かけて写真を外して貰い手元で加藤剛の額の傷確認するわ >>180
犯人か分かりやすすぎる以外はテレビにしてはまあまあだったよね。
あくまでもテレビにしては、だけど。
片平なぎさ、小林稔侍、中村梅雀、船越英一郎、橋爪功が出てこないだけでも加点要素。 リメイクもだんだん難しくなる
この作品も時代と共に去りぬの運命かもしれない
ところでまだ走ってる蒸気機関車というと大井川鉄道ですか? 清張作品を現代にリメイクして不自然さが無いのは張込みくらいなもんだろう 張り込みは時代的社会背景の要素が少ないからな
物語の中心テーマを男女の関係の深さに置いていて他には特に凝った設定なしと言うのは確かに清張作品では異質なのかも
原作読んだことないけどw ここ十数年の映画やドラマは、へたくそな翻案で全部ダメにしちゃってるかんなぁ
あと、見る側も若年層はレベルが低いんで、噛んで含めるような説明が必要で
無駄に時間が長くなるw 説明的な下りが多いのは元設定をアレンジして変えてるからだと思うよ
原作を知る視聴者への弁明の一種とも取れる いや今の邦画は無駄な説明やたら多いし最後に全部喋らせちゃって余韻も何もないのが増えた 三木はあの写真を見ただけで、何で和賀が東京にいると
思ったんだろうな?大臣の娘の婚約者だからって必ずしも
東京に住んでるとは限らないのに
ネットなんて無いし、伊勢の田舎でどうやって調べたのか >>94
毎朝新聞に載ったコラムには『この五月のことだった』の一文がある
川野氏の記憶違いでなければ事件とは無関係だね
なぜ森田が興味を持ったのか不思議 >>191
あ、これ「紙吹雪の女」のコラムの文章のことね >>190
有名な作曲家なんだから調べようと思えばいくらでもできるさ
どんどん突っ込んでくれ、みんな解決してやるよ 昔のことを知らない人が多いんだなぁ、昔はたとえば小説家や漫画家なんかは
ファンレターの受付場所として自宅の住所を著作の後ろのページに載せたりしてた
電話番号までつけてることもあった
電話帳にも、普通に著名人の(本名で活動してる人ならだけど)名前と番号が載ってた
普通の人同士でも、文通欄に平気で住所と本名を載せて文通相手や同好の士を募ったりしてた
テレビ局やラジオ局、あるいは出版社に問い合わせるだけで連絡先が知り得たりもしたぞ わりと近年(2000年ごろまで)平気で住所を載せて、友人やバンド仲間、同好の士
彼氏、彼女を募集する雑誌もあったしさ、じゃマールって誌名だったかでさ >>195
となるとやはり三木がなぜ和賀の写真からスデオとわかったか知りたい
似てねえwwとかの揶揄を軽く吹っ飛ばす目から鱗なヤツを 「砂の器」「真田幸村の謀略」「皇帝のいない八月」「赤穂城断絶」
どの作品も、森田健作が輝いていた
役者で生きていけば、よかったのに、残念だ! >>198
お前ちゃんと見たか?
写真の下に写ってるひとの名前が書いてあったろ
和賀英良氏 (令嬢の婚約者・田所氏の後援している作曲家・すでお) と むしろ伊勢の場末の映画館にそのような写真が飾ってあったのかが知りたいな 映画館の社長が田所代議士の自称後援会長って言ってたろ
田舎の人間ほど政治家や有名人と一緒に撮った記念写真を
鼻高々で飾るイメージ 上にも書いたけど
写真が飾ってあったのが売店の側で事務所の入り口の頭上
そんな場所の写真をまじまじと見てるのに売店の人が印象に残らない筈がないんだが(金曜と土曜と売店の担当が違っても話題にはなるはず)
つか俺が緒形拳だったら思わず声が出て劇場の人に訳言って写真外して手元で加藤剛の額の傷確認するな 人相悪くてホームレスみたいなジジイだから、かかわりたくないと思ったんだろ なるほど、理屈っぽいのではなく注意力が無いんだなこの人 三木が旅に出た1971年6月10日がら殺害される6月23日の間に公開された邦画は以下の8作。
三木が通った二日の間に映画が変わったと言うことは二日目の映画は闇の中の魑魅魍魎の可能性が高い。
映画館が封切り館ならだが。
10日流血の抗争、渡世人 命の捨て場 
11日齊人樂 
12日戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山 河 
16日雨は知っていた、 呪いの館 血を吸う 眼
19日闇の中の魑魅魍魎 
と思ってhullで確認してみたら20日(金)までが利根の朝霧と男の街、21日(土)からが北海の嵐と大江戸の鬼とのこと。
名画座みたいなもんなのか。
しかも最大のミステリーは1971年のカレンダーを確認すると6月20日は日曜日であることw 砂の器は何年経っても何度観ても感動するし、泣かされる
これこそ名作であり、私にとって邦画ナンバーワン >>208
この映画で描写されるハンセン病患者への偏見はフィクションです
だって実際の曜日と違うでしょテヘペロ 午前10時映画祭で35年ぶりに見てきた。前もリバイバルだったが 10代だった俺が今や50過ぎ・・・
改めて生涯の邦画ベストの一つだと涙が止まらんかったよ、素晴らしい。
この年だからこそ、わかる、感じこと・・・
え、細かいこと?
そんなのどうでもいい、関係ねぇよ。
圧巻。 本当素晴らしい映画だよね
もう、これ以上の映画は出てこないんじゃなかと思われる >>213
その雑な感傷志向が年寄りの特徴で老害にもつながるんだよなぁ。 三木謙一という人間の極悪さに気がつかず、脳天気に感動などしているということは、
つまりハンセン病者の痛み・苦しさが本当にわかっていないということだな。 IDが変えられる人のメリット
↓
別人を装える
デメリット
↓
バレたら田中誠にされる 紙吹雪の女に会ったの夜汽車と書いてあるんだけど
映像が夜汽車に見えない
あんな堂々とやるより誰も見てない場所や時間帯に撒けばいいのに
つか3ヶ月も前で風雨にさらされた布の細かい生地がよく見つかったな ふつう年寄りが何日も音信不通になったら急病で行き倒れを心配すると
思うけど、三木の息子は50日も放置プレイでやっと捜索願いを出したというのが
不思議。旅館とか病院に問い合わせなかったのかな
それでいて「立派な親父じゃった」って、仲がいいのか悪いのか 面白けりゃいいんだっつの
面白くなけりゃダメなんだっつの >>223
口うるさくて鬱陶しいジジイだったので、そこら辺で野垂れ死んで欲しいというのが本音だったのだろう。 親子の放浪シーンは苦難だったが
秀夫が小学校の校庭を見つめてる場面は切なかった IDが変えられる人のメリット
↓
別人を装える
デメリット
↓
バレたら田中誠にされる いくら天才設定でも殆ど教育を受けてない秀夫が1948年に
10歳か11歳で役所に行って戸籍操作するって、ハードル
高すぎないか? >>232
たぶん面倒見てくれた大人がいたんだよ
そいつも殺したろうけどね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています