昭和二十八年の春。佐賀県にある鶴ノ鼻炭鉱では、ストライキが行われていた。
そのさなかに、安本一家の大黒柱である炭鉱夫の父親が死んだ。
残された喜一、良子、高一、末子の四人の子供たち。喜一は二十歳になったばかりだ。
安本一家が住んでいる山の中腹の長屋の人たちも、皆その日暮しの苦しい生活をしていた。
長屋の子供たちは学校へ弁当も満足には持っていけない。喜一が失業した。
一家共倒れを防ぐため、高一と末子を辺見家にあずけ、喜一は良子と長崎に働きに出かけた。
しかし、辺見家でも生活は苦しく末子は栄養失調になった。赤痢が発生した。末子も罹病した。やがて、決定的な時が来た。