>>18の続き
 
 −−患者Iの診察に当たった人物は、永山診療部長(当時軍医中佐)であった。病室に現れた永山部長は、
頭から防疫マスクで覆(おお)い、白衣に長靴(ちょうか)を着用し、物々(ものもの)しい姿であった。
肺ペストは、クランケの吐息から空気感染する。防疫マスクは伝染予防のためである。永山部長の後方から、
三名の看護婦が、恐々(こわごわ)と続いた。
 −−Iの容態を一目(ひとめ)見るなり永山部長は別室へ引き揚げた。そして担当の看護婦3名にこう言い渡した。
 「おい、いいか。看護中に、あのクランケから目を離すな。看護作業中に、もしもクランケが
喀血(かっけつ)するようなことがあれば、何をしていようが、直(ただ)ちに作業を中止し、
息を止(と)めて病室から飛び出せ。命が惜(お)しければ、絶対に情を移すな・・・」
 喀血(かっけつ)の際に、ペスト菌が空気中に飛散する。吸い込んだら最期、命はない。
永山部長の“命令”は患者の深刻な病状を物語っていた。
 −−Iの入院した翌日に、平房の本部から大きなことでの金属製の缶が届いた。缶の中には
氷が入れてあり、氷の中に試験管が挿入されていた。試験管は少量の血液が混じったことでの
透明な液で満たされていた。
 「ペスト血清だ」と永山部長が教えた。看護婦は、高熱に苦しむIに、血清を注射した。Iの病状が
やや小康状態となった。
 −−翌週のある日に、本部から二本目の「ペスト血清」が届いた。看護婦たちは永山部長の指示通りに
常に及び腰で「二時間に一回ずつビタミンCと蒲萄(ぶどう)糖の混合注射、一週一回の血清注射」を行なった。
 「どうして血清をここに貯蔵しておかないんですか・・・・毎週に、本部から運ばせなくても良いのでは・・・・」
 婦長が質問すると、永山部長は複雑な笑いを浮かべながら、
 「あの血清はな・・・一週一本しか製造することができんのだ。だから、毎週に、こうして運ばせている」
 と答えた。