【イエス】統合スレ2【キリスト】
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天にまします我らの父よ。
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝(なんじ)のものなればなり。
アーメン。
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前スレ
【イエス】統合スレ1【キリスト】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1675160060/ >>894
これからの人類はその本を読まないと、天の国に入ることはできませんか? パパチンコ活が多すぎて性病が爆発的に広がってるんだとね
ザーメン 迂闊に、人にこれを読め、だなんて。
いったいどういう動機で読ませようとしているのか?
人への愛なのか?
俺は私はこんな難解な本を読んでるのですよ?
虚栄心8。
恥ずかしいぞ?
あ、やっぱり読まなくていいです。
とでも書くほうがイエス様は喜ばれる。
人に勧めるときには、もうほんとぎりぎり考えて、祈ってから
勧める。(お前は何を勧めるんだ?)自信をもって勧めることが
できるのは、聖書。キリストにならう。将棋盤に駒を強く叩きつけるように
勧めることができるのは、この二冊くらいですよ。
(そういえばお前は「神よりの逃走」を勧めてたな?)
あ、あれ?あれは、どうしようもない人をどう捉えるかのカンフル剤的な
本でしたから! >>898
ーーー
ちなみに「福音"記者"」とか
「"伝道"者(エバンジェリスト)」とは何か。
ーーー >>903
グノーシスの話が出ましたから、次にわたしは述べました。
次にアストリッドさんが、書かれました。
その意味がわかるとわたしは返したのです。
イエスキリストと関係するならこの辺りから、ですよねって。
その順番ですよ。 わからないのですか。 今から二千年後、大川隆法の霊言が発掘される
馬鹿だけが信じる
そんな未来が見える… キリストにならいて、は
引照聖句が見当たらなくてたびたび中断して
一向に進まなかった >>904
ーーー
「テイカー(taker)」では「福音"記者"」とか
「"伝道"者(エバンジェリスト)」とはならない
のですよね。
「ギバー(giver)」ならではなのですよね。
さて「善きサマリア人」に於ける
「そのサマリア人」とは・・・
「善き親」は
「子供の将来を思って子供に必要なものを恵む」
のですよね。
「子供にとって都合のいいものを恵む訳では無く」
ーーー febcの番組で雨宮慧神父もこう教えておられます
「善きサマリア人のたとえ」として知られるこの箇所は、「追いはぎに襲われた人」(30、36節)の内側に「道の向こう側を通って行った」人と「介抱した」人が置かれている構造になっています。その中心には、33〜34節の「その人を見て憐れに思い、 近寄って」があり、これが道の反対側を通ってしまわずに介抱する人になるための条件として描かれていると思います。つまり、行動に直結する「憐れに思う」は、単なる「かわいそうに思う」ことではありません。ここでは、行動によって隣人となっているからです。そして私は、この「同じようにしなさい」とイエスに示されたサマリア人こそがイエスご自身だと思います。そうでないと、この箇所の真意は分からないからです。 >>910
ーーー
また
「親にとって都合のいいものを恵む訳では無く」
ーーー 隆法から君は光の戦士だね。待ってたよ。と言われ、喜んで入信した奴は暗部の任務をまかされていた。
宏洋が暗殺されるかもしれないとYouTubeで言っているがあながち嘘ではない。
トゥース >>911
>ここでは、行動によって隣人となっているからです。
>そして私は、この「同じようにしなさい」とイエスに示されたサマリア人こそが
>イエスご自身だと思います。
>そうでないと、この箇所の真意は分からないからです。
ありがとうございます。
そうです、イエスはご自分がそうでないのに、律法の専門家に言う事は出来ません。
ですから、イエスは愛のサマリア人だというのは、もちろんそうですよ。
しかし、自分はサマリア人であると自己紹介でアピールする為に
この話をされたと思いませんでしょ。
話のやり取りがあり、
しめは、イエスは言われた「行って、あなたも同じようにしなさい」
ですから、行動ですね。
プロテスタントのある人たちは信仰義認を取り違えているのでは?
信じる事で義とされた者の刷新は、
同時に信仰に裏付けられた新しい隣人への愛の掟を付与される。
掟と言っても律法の偽善や、無理やりでなく、刷新とはそれが付与されて起きる、
それが、苦手、サマリア人の話が苦手で、
サマリア人はイエス様のことですから、自分と切り離してしまうのです。
はっきりしているのです。
イエスは言われた「行って、あなたも同じようにしなさい」
命令のようなきつい言い回しにされましたが、
全く分かっていないからであり、
そうでなくイエスの父を愛する、信仰にある者は、
当然そうでしょ、と言われているのです。 ーーー
「心の声を聞く」とは何でしょうか。
「自他の関係でなければ聞けない」のですよね。
ーーー ーーー
「善きサマリア人」に於いての
「自分は強盗に襲われた方と同じであると言える方」
は居るのだろうか?
「内面-内実」を含めて。
ーーー >>917
ーーー
「襲った強盗」は「どんな方」なのでしょうか?
「ギバー(giver)」なのか?
「テイカー(taker)」なのか?
ーーー >>915
サマリア人はイエス様のことですから、自分と切り離してしまうのです。
↓
○サマリア人はイエス様の事だとして、自分と切り離してしまうのです。
けれど、しめのイエスの言葉は、それをさせないのですが、
それを無視してしまうほどの拒否感・・・まあ、なんなのかわかりましぇん。 >>918
ーーー
先程「僕は絡まれそうになりました」よね。
「善きサマリア人のたとえ」とすれば
僕はどうなのだろうか?
・・・自分で言うのも何ですけど。
ーーー 絡まれた人だから
助けてもらえるという意味ではないと思うよ でもこのままだと
この助けられた人
サマリア人になっちゃうね だから、そんな親切なサマリア人みたいな
ゴミみたいな人よりも
イスラエルという国を
恵みある乳と密のあふれる土地にしようね、
という意味だと思ってたよ >>924
ーーー
「自分に矛先が向かわない様に論点ずらし」かな?
ーーー 襲った強盗はグレーゾーンで犯罪する
知能犯だから
取締が難しいとか聞いた事あるけど
そういう話ではないと思うよ
なんなん? ーーー
0926 ネフシュタン ◆lrHJdGXaEQVz
2023/03/07(火) 14:48:27.06
襲った強盗はグレーゾーンで「犯罪する 」
知能犯だから
↓
「犯罪を犯した」のだから「犯罪者」
「実績」に於いて「行った/行わなかった」
しか無いのだから「グレーゾーン」なんて無い
のですよ。
ーーー >>927
ーーー
「吐いた唾は飲めない」のですよ。
ーーー いつまでお前の被害者妄想の言論封殺に付き合えばいいんだ? >>928
ーーー
ちなみに
「キリスト教の唯一神(父)」って知っていますか?
ーーー >>931
ーーー
本日「あなたが僕に絡もうとする」までに
「僕はあなたに向けてレスしました」か?
ーーー >>932
ーーー
何故「いきなり僕に絡もうとした」のか?
「何かしらの被害を受けたと"思い込んだ"」
からでは?
ーーー いや、すまんな、俺にとって
会話とはこういうもんなんだ
コインにとっては違うというのはわかった 高橋佳子はまさかのトランプ派でした
バイデン失脚とトランプ再選を予言しています
数年後には宇宙人との交流が始まるそうです
まさかの「銀河連合」報告でしたー 雨宮慧神父の放送は3月10日金曜日です
第2朗読 コロサイ1:15~20
〈直訳〉
15-16a 彼はある 見えない神のかたちで 全ての被造物より前の最初のもの というのは 彼において万物が創造された ...
18b-19 神はある 初めである 死者の中から最初のもの 彼が全てのことにおいて第一のものとなる ように
というのは 彼において喜んだ
同じ言葉が繰り返され、神の計画を担う御 子の姿が、15節からでは神の創造の業との関 連で、18節からでは神と万物との和解との関 連で描かれています。つまり「御子の中にあ る」ことを失うなら、被造物は存在の意味を 無くします。これは教会も同様です。ですか ら、損なわれてしまった万物の創造の秩序を 取り戻すため、神は御子を十字架の上で死な せました。御子の十字架の血にこそ神の創造 の思いがあらわれているからです。イエスの 死という出来事を離れては、万物はありえな いことを表すのです。 まあ何を言われるかは知らんが
良きサマリア人の例えとは
ユダヤの法の賛美だ キレネ人シモンのように十字架を背負う人になりましょう
人は行いによって自分を救うことはできませんが、キリストと繋がることによって救いにあずかることができます
どんな美談も慈善も、偶像に捧げられたら何の役にも立ちません
アブラハムは信じたから認められました
パウロが手紙の中で行いによるのではなかったと力説しています
行いは信仰のしるしではありますが、単体では判断できかねます
人に見えるのは外見だけだからです
よきサマリア人も、介抱されたユダヤ人も、どちらもイエス様です
傷を負って倒れているのは弱い人々とともにあるイエス様ご自身でもあります 雨宮慧神父の番組は3月10日金曜日です
第1朗読
「心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、 主に立ち帰るからである」(申命記30:10)の 立ち帰る(シューブ)というヘブライ語は、1~ 10節までに7回も使われている一方で、11節 以降には一度も出てきません。ですから、10 節までは、11節からとは書かれた時代が違っ て、後のバビロン捕囚期と言われています。 申命記の精神は、「聞け、イスラエルよ」 (6:4)ですが、それゆえ日頃から神の言葉を 語り聞かせ、心を用いて記憶に留めていれ ば、それを行えるとなりがちです。しかし、 申命記30:1~10の「立ち帰る」と結びつく と、全く違った意味合いを響かせるのではな いでしょうか。つまり、14節の「あなたの 口と心」とはただの口と心ではなく、6節の 「心に割礼を施された者の口と心」なのであ り、11節以後のような人間の可能性を強く信 頼していた言葉は、10節までの捕囚時代の言 葉と結びつくことによって、この箇所に隠さ れていた真の神の呼びかけを顕にし、新約に まで至るのです。 バビロン捕囚の時代の人が挿入したとすれば、体験的に知ったということでしょうか? ーーー
0942 神も仏も名無しさん 2023/03/07(火) 16:32:33.12
6節の 「心に割礼を施された者の口と心」
↓
「心の割礼と唇の割礼」の事。
ーーー >>944
ーーー
「AさんとBさん」が
「同じ"あなたを愛しています"」と言ったとして
「言われた方」が「Aさんから受ける印象」と
「Bさんから受ける印象」が「異なる」のは
何故だろうか。
ーーー 載せられなかったが。
やったど!おお!
今日の1日の締め括りにやったんぜ!やったんぞ!おお!
では始めよう。
でんでん!でんでん太鼓!伝!
今日は一生懸命やったど!
うい!
酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ!
うい!
酒が飲める飲めるのめるぞ!酒が飲めるぞ!!うい! ーーー
0946 神も仏も名無しさん 2023/03/07(火)
17:51:59.67
一致か不一致かで印象が変わります
↓
「心に響く言葉」と「口先だけの言葉」との違い
なのですよね。
ーーー >>949
ーーー
先程書き記したレス内容の修正
「心に響く言葉」と「口先だけの言葉」との違い
なのですよね。
↓
「心からの言葉」と「口先だけの言葉」との違い
なのですよね。
・・・失礼致しました。
ーーー 915琴2023/03/07(火) 14:06:36.66ID:65XOicAL
>>911
>ここでは、行動によって隣人となっているからです。
>そして私は、この「同じようにしなさい」とイエスに示されたサマリア人こそが
>イエスご自身だと思います。
>そうでないと、この箇所の真意は分からないからです。
ありがとうございます。
そうです、イエスはご自分がそうでないのに、律法の専門家に言う事は出来ません。
ですから、イエスは愛のサマリア人だというのは、もちろんそうですよ。
しかし、自分はサマリア人であると自己紹介でアピールする為に
この話をされたと思いませんでしょ。
話のやり取りがあり、
しめは、イエスは言われた「行って、あなたも同じようにしなさい」
ですから、行動ですね。
プロテスタントのある人たちは信仰義認を取り違えているのでは?
信じる事で義とされた者の刷新は、
同時に信仰に裏付けられた新しい隣人への愛の掟を付与される。
掟と言っても律法の偽善や、無理やりでなく、刷新とはそれが付与されて起きる、
それが、苦手、サマリア人の話が苦手で、
サマリア人はイエス様の事だとして、自分と切り離してしまうのです。
けれど、しめのイエスの言葉は、それをさせないのですが、
それを無視してしまうほどの拒否感・・・まあ、なんなのかわかりましぇん。
しかしはっきりしているのです。
イエスは言われた「行って、あなたも同じようにしなさい」
命令のようなきつい言い回しにされましたが、
全く分かっていないからであり、
そうでなくイエスの父を愛する、信仰にある者は、
当然そうでしょ、と言われているのです。 888アストリッド(グノーシス派)2023/03/07(火) 11:02:25.41ID:rWvB8bB6
パウロの思想の中で愛の考察については多少の見どころはあるが、それだけだね。
トータルとしては分裂症を来たしていて、精神病が強く疑われるものだ。
ボクはパウロと云う人は精神異常者だろうと断定している。
こんな人がキリスト教を創唱したのだから、キリスト教を真に受けてはならない。
新約聖書と云うものは、このパウロの思想を軸にして編集されている。
福音書も数多の中からパウロの思想に都合の良いものを四つ選びだしたものです。
しかし、そんな何処の馬の骨とも知れぬ福音書ではあっても、イエス本人の言葉が隠されているように思う。
それを発掘する作業は、畑の中に隠された真珠を探し当てる事のようだ。
グノーシスがなければ難しいだろうと思う。 >>951-952
わたしは、キリスト教は、パウロ教だよと言う話を何度か耳にして、
どういうことかと思い、パウロを調べ始めました。
キリスト教、イエスキリスト関連だけ中心に置いている、本屋で何を
読めばわかるか、聞いてみたり、
カトリック教会付属の書籍等販売店で聞いて、調べ始めました。
律法主批判もそこで知っていくのですが。
私たち、他民族、他宗教にあるものは、ユダヤ人(ユダヤ教)がわかりません。
同じ人間ですから共通点はあるとしても、非常に特殊な人たちです。
パウロは精神異常者、という考察は、まずその特殊性とかかわっています。
(ユダヤ人は悪い人たちだとか、パウロもとか、そんな事ではありませんから、
そこは、誤解無きようお願いしたいのですが) 【過去ログから再掲】
522 自分:アストリッド(グノーシス派)[sage] 投稿日:2023/01/31(火) 17:20:22.78 ID:kiFeoR2Q [1/2]
>>520
じゃあ、聞くが。
悪魔や悪霊が人間に作用して(取り憑いて)、その人が邪悪を為すのは神の御心なのかね?
つまり、キリスト教の言う全能の父なる神は、悪魔・悪霊に対する支配権を持って居るのかね? 居ないのかね?
523 自分:アストリッド(グノーシス派)[sage] 投稿日:2023/01/31(火) 17:34:26.39 ID:kiFeoR2Q [2/2]
>>520
出エジプト記 10章
そこで、主はモーセに言われた、「パロのもとに行きなさい。わたしは彼の心とその家来たちの心をかたくなにした。
これは、わたしがこれらのしるしを、彼らの中に行うためである。
また、わたしがエジプトびとをあしらったこと、また彼らの中にわたしが行ったしるしを、
あなたがたが、子や孫の耳に語り伝えるためである。
そしてあなたがたは、わたしが主であることを知るであろう」。
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こんな馬鹿な話が旧約聖書に堂々と書かれてあるぞ。
主(キリスト教の父なる神なのだろう?)は、パロ(エジプト王)と相対して交渉するモーセに告げるべき事・為すべき事を
命じる一方で、「パロとパロの家来達の心を頑なにした」 ・・その結果、エジプト人に災いが及んだ。
(結局は罪の如何に関わらず大勢のエジプトの民が苦しみ殺害された)
まるでウソに塗れた悪魔の所業ではないのかね?
. 【954の続き】
524 返信:アストリッド(グノーシス派)[sage] 投稿日:2023/01/31(火) 17:57:25.02 ID:kiFeoR2Q [3/3]
ローマ人への手紙
2章
あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、
自分の身に積んでいるのである。
9章
聖書はパロにこう言っている、「わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。
すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである」。
だから、神はそのあわれもうと思う者をあわれみ、かたくなにしようと思う者を、かたくなになさるのである。
そこで、あなたは言うであろう、「なぜ神は、なおも人を責められるのか。
だれが、神の意図に逆らい得ようか」。
ああ人よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。
造られたものが造った者に向かって、「なぜ、わたしをこのように造ったのか」と言うことがあろうか。
陶器を造る者は、同じ土くれから、一つを尊い器に、他を卑しい器に造りあげる権能がないのであろうか。
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>>520
これは、パウロの書いた手紙で間違いない。
ここで言う「神」とは、キリスト教の父なる神なのだろう?
当然、ユダヤ教徒の学徒であったパウロは、>>523 出エジプト記10章 を読んで知っている。
だから、こんな支離滅裂な物言いをするのだよ。
パウロは頭が変になっているとは思わないかね?
. 世界は目に見えるもの、現れるものから成るのではない。と主張することができまする。現れないものもまた世界を作っているのです。
唯物論無神論の旦那様の知ったかぶりはいつも滑稽です。 >>日本人は酒で嫌なこと忘れて生活している。
>>日本人は酒を飲まないとやってられないから酒を飲む。
確かにそのとおり。
酒でまぎらわしたり憂さ晴らしをしたり
弱いから。
めちゃくちゃ酒を飲む日本人、酔っぱらい多く世界一らしい。
アメリカよりも日本のが酒を飲む。
日本人は弱いからだ。
酒を飲んで自分を変えようと。
やってられないから。
酒が日本人の信仰。 パウロは生前のイエスとは一面識すらなかった。
しかし、復活したイエスに会ったと白々しいウソを、自身の手紙に残し、自らも使徒を自称するようになった。
最後の晩餐のイエスの言葉を、まるでパウロが其の場に居たかのように、白々しいウソを、自身の手紙に残している。
(注意:共観福音書は、このパウロの手紙よりも後に書かれたものである。)
パウロは、既に死んだイエスが(たぶんパウロ自身が生きているうちに)再臨するとの根拠なき煽り扇動の言葉を、
自身の手紙に書き残している。
まともな精神と理性がある者なら、こんなウソを自分自身で本気になって、確信して語ったり、手紙に残したりするものだろうか?
パウロ真正とされる手紙の中に、これらの言葉があるから、御自分で確かめてください。
全部、パウロの妄想なのです。
私は、パウロが明らかに精神異常だったと思って居ります。
(二千年前の世界観があったにせよ、既に開明化された地中海ローマ時代にあって、
パウロは、正常な精神状態とは言えないものと思う。) 精神は身体さえも離脱した「何か」になるのです。
無神論唯物論の旦那様が知ったかぶりして何の意味があるんでしょうね。 フラれたことを死ぬほど酒でまぎらわした旦那様や酒を飲むことで全てを忘れようとする日本人信仰ではなく、(そんな人間に成りたくない、そんな人生を生きたくないの)なら
世界の内部で現れるものと現れないもので世界の枠組みを構成するものとの区別の重要性が基本です。 30代の50%が結婚を諦めている。
40代の70%が結婚を諦めている。 まあどうでもいいよね
みんな死んだら同じだし
せめて自分の意志だけは曲げずに生きたいわ 使徒行伝 12章
そのころ、ヘロデ王は教会のある者たちに圧迫の手をのばし、ヨハネの兄弟ヤコブをつるぎで切り殺した。
そして、それがユダヤ人たちの意にかなったのを見て、さらにペテロをも捕えにかかった。それは除酵祭の時のことであった。
ヘロデはペテロを捕えて獄に投じ、四人一組の兵卒四組に引き渡して、見張りをさせておいた。
過越の祭のあとで、彼を民衆の前に引き出すつもりであったのである。こうして、ペテロは獄に入れられていた。
教会では、彼のために熱心な祈が神にささげられた。
ヘロデが彼を引き出そうとしていたその夜、ペテロは二重の鎖につながれ、ふたりの兵卒の間に置かれて眠っていた。
番兵たちは戸口で獄を見張っていた。すると、突然、主の使がそばに立ち、光が獄内を照した。
そして御使はペテロのわき腹をつついて起し、「早く起きあがりなさい」と言った。すると鎖が彼の両手から、はずれ落ちた。
御使が「帯をしめ、くつをはきなさい」と言ったので、彼はそのとおりにした。それから「上着を着て、ついてきなさい」と言われた
ので、 12:9ペテロはついて出て行った。彼には御使のしわざが現実のこととは考えられず、ただ幻を見ているように思われた。
彼らは第一、第二の衛所を通りすぎて、町に抜ける鉄門のところに来ると、それがひとりでに開いたので、
そこを出て一つの通路に進んだとたんに、御使は彼を離れ去った。
その時ペテロはわれにかえって言った、「今はじめて、ほんとうのことがわかった。主が御使をつかわして、ヘロデの手から、
またユダヤ人たちの待ちもうけていたあらゆる災から、わたしを救い出して下さったのだ」。
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まったく不可解な変な話である。
事実としては、ヨハネの兄弟ヤコブをつるぎで切り殺されたこと。
ペテロが何者かの手引きによって牢獄からの脱出に成功したこと、くらいだろう。
他は創作だと思うが、何かの謀略によってペテロが釈放されたものと思う。 ( どうもパウロが怪しい。
. 全体的存在、これを思惟する為には我々はその外にあって非存在という余白でなければなりません。 グノーさん、私もウソだろwウソだろw笑ってしまうほどの
奇跡が発生するのですよ。笑いながらも私は信じてますよ。
ピオ神父 Padre Pio 奇跡を執り成す聖痕者
//www.youtube.com/watch?v=IrUBQD5_YXo&ab_channel=Ameno >>967
イエスがビオ神父に託したとされる十二の予言のうちの四
4. 完全な暗闇の中で3日間生きられるように準備せよ。その日が訪れる時は近い。
その3日間で、多くの人々は食べることも飲むこともできずに死んでしまうだろう。
光が戻っても、多くの者はそれを目にすることも叶わないだろう。
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「その日が訪れる時は近い」 ・・・あれから何年が過ぎたのだ?
ピエトレルチーナのピオ(San Pio da Pietrelcina、Padre Pio da Pietrelcina、1887年5月25日 - 1968年9月23日)
今は、2023年三月である。
つまり「ウソ」だったのである。 >>861
思い起こせば、必要に迫られて神という絶対的な基準を持ったのかもしれません
自分の内に絶対的な基準を持というすることで、なんか不可知で等価値に見える世界とは折り合いがつけれず、世界がなんか受け入れられない気持ちもあって、そういう弱さの裏返しがあったんだろうと思います
なので、ここのスレの人は旧約聖書の惨劇的な歴史を嫌う人が多いけれど、ぼくは少し親近感を持って分かるような気がします
イスラエルが繁栄していた時は神から離れてしまい、捕囚され、自由がなくなる時こそ神を求め、団結に至った人たちのことが少しだけだけど分かる気がします
単純に、理由が分からないままで負わされる苦しみとかに理由を求められるような内観があったはずです
情熱が持つ危険性についてはその通りですね
情熱がなかったとしても、外的なその場その場で決められるような基準とは違って、内的な良心に関わる基準は一つしか持てないように思います
その唯一性において、いつでも社会的な基準は内的な基準に劣る位置にしか置くことができないために危うい側面の存在は必然ですね
だからこそ自覚的に精査を常に求めていかなければならない、ということの同意します
前にも言ったかもしれないけど、想像でそこまで考えられるのならば、いつでもパウロ的転回があっても、むしろあるだろうと思いますが、まあ勝手な個人の印象なので気にしないでスルーしてくださいw
それこそ、なぜエイシストさんが、神のような絶対的になる基準を持たずして良心を持ちえるのか疑問だったりします
そう思ってしまうこと自体がおかしなことかもしゅれませんが、ぼくの本来の良心なんて小さなものみたいです
>>862
感性的な子供の頃に衝撃的と思える感官があったのならば、ともっと言いたくなるけど割愛しますw 世に於いて、これは絶対に存在してはならない!
なんて物は無いよ
すべからくして何もかもにアーメンだよ >>972
ロジックの破綻(現実と妄想の区別がつかなくなる)は、精神分裂病にあって顕著です。
因みに、ドルチェドさんが信じ込んでいるような(>>967)、ビオについて、ウィキペディアから引用します。
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ミラノのサクロ・クオーレ・カトリック大学の創始者で修道士・医者・心理学者のアゴスティーノ・ジェメッリは、ピオ神父に一度だけ、数
分間面談し、聖痕の検査はしていないが、ピオ神父を「人々の騙されやすさにつけ込んだ、無知で自傷癖のある精神病質者」と断定し
た。[17] 飽食社会が叫ぶ道徳観念なぞ
リソースの前に費える… >>955
これは、パウロの書いた手紙で間違いない。
ここで言う「神」とは、キリスト教の父なる神なのだろう?
当然、ユダヤ教徒の学徒であったパウロは、>>523 出エジプト記10章 を読んで知っている。
だから、こんな支離滅裂な物言いをするのだよ。
パウロは頭が変になっているとは思わないかね?
>>959
私は、パウロが明らかに精神異常だったと思って居ります。
(二千年前の世界観があったにせよ、既に開明化された地中海ローマ時代にあって、
パウロは、正常な精神状態とは言えないものと思う。)
◆イスラエル人は、ほとんど他の民族と交わりを持たない、距離をおくのです。
武力をつけて侵攻する時、他民族を撲滅させるのも、
同じ意味で交わりを持ちたくないからです。
離散しても、それが伝統的にあるので、割礼の印が大事なのですが、
月日が経つとそうもいってられなくて、他の宗教や生活文化に馴染んで
しまうのですが、再集合の時には、イスラエルに戻りたいなら
そのような者は一切合切捨て、妻が他民族の者であれば離婚しろ、
そこまで厳格なのです。
日本人のように、盆にクリスマス、正月、祭りだ祭りだ無礼講だ〜♬
「しょしょ、證誠寺 (しょうじょうじ)しょうじょうじの庭は〜
つんつん 月夜だ、みんな出て こいこいこい〜♬」
とか考えられませんよ。 こんな歌、うたっていたら殺されかねない。(爆笑)
真逆。 なので感覚的にユダヤ教がわかるわけない、
彼らについて学問角度で勉強しなければね。
. >>970
一般に人は不条理に耐えられないのだと思います
言い換えると、因果応報の世界であって欲しい、そうでなければならない、という
強い願望があるのだと思います
ところがこの世は不条理に満ちています
「早死するのは善人だけ」とか「悪ははびこる」と言われ、いまでも多くの子どもたちが殺され続けています
こういった不条理に対するヘブライ語聖書の回答は、因果応報の枠内で自ら(自民族)に罪を認めるか
将来に応報の結果を繰り越すか、あるいはヨブ記のように被造物には計り得ない神の計画に
帰することだったように思います
キリスト教でも同様で、応報の結果は最後の審判まで繰り越されることで因果応報の理を
保とうとするか、ヨブ記と同じように人知を超えた神に帰します
いずれも最終的な神の正義は保たれるわけです
結局このような神の正義を受け入れられるか、られないか、で信仰するかしないか分かれるのでしょう
ちょっと長くなりそうなので、次レスに続けますね >>976のつづき
わたしが善きサマリア人の喩えに普遍性を見出すのは、この喩えは上記のような神の正義を
受け入れなくても正しい価値として、もっと言えば至高の価値として受け入れられるからです
ひとは社会的動物です(アリストテレスの言う意味ではなく、生物学的な意味です)
一般に真社会性の動物は利他行動を行いますが、それは「身内」、つまり血縁者に限られます
ひとは真社会性の動物ではありませんが、社会性をもった動物として利他行動を行います
他の動物と違うのは、ひとは言語を持つゆえにその「身内」を想像の中で他者へと拡張でき
言語を持つゆえに相手の状況を想像し理解し、相手の痛みを自分の痛みとして感じ取ることができることです
その想像と共感の能力が、ひとをして利他行動へと駆り立てるのだと思います
この能力は人間の本質にかかわる能力なので、おそらくほとんどすべてのひとがそこに正の価値を
認め、できるかどうかはともかく、利他行動を正しいこととして認識します
(こういった情動が欠如してしまったサイコパスなどは別ですが)
その利他行動の極限的な形態が無償の自己犠牲であり、イエスはそれを体現したがゆえに
聖なるもの、神の子として信仰の対象になったのだと思います
お分かりになると思いますが、無償の自己犠牲を至高の価値として受け入れることと
神の存在や神の正義は直接関係がない、というのが
質問者さんの疑問に対するわたしの答えになるでしょうか >>975
現在は、事情は変化し、白人ユダヤ人になったのですが
手法を踏襲し、財力と武力を掌握して世界を動かすまでになっています。
パレスチナ(カナン)の先住民の苦を見ればわかるように、
動態は同じです。
パウロの頃は、ローマ支配下で結束力の為、律法をよりどころにするしか
ユダヤ人アイデンティを保てない状況にありました。
頼りである、その若手騎手である、パウロが急変するのです。
律法=戒律ですが600以上あり、文字と口伝両方合わせると
どれぐらいあったのかも、わかりませんが、
パウロは一言も間違わず、全て諳んじる事ができ、試験に合格しています。 一般が利他するのと
イエスが自己犠牲するのは
全く別の話だと思うよ 大阪のおばちゃんに
「心臓ささげたろか?あんた永遠に生きるよ?」とか言われたら私は逃げ出すかな
「あめちゃんなめる?」だから可愛いわけで そもそもイエスの十字架も何が良かったんだ?
カソリックでは原罪からの開放とか言うんだっけ?
んなわけねーだろ俺夜勤しとるし
無痛分娩にはまだ疑問の声がある 無償の自己犠牲はまさに神の存在と神の正義と直接関係あると思うんだけどな
コンテキストから抜き取られた無償の自己犠牲は被造物にも可能だ
でもコンテキストの中での無償の自己犠牲は「贖罪」となる
そしてそのコンテキストとは「創造」であり、神が人を作った時に意図されたあるべき姿に軌道を戻すための贖罪で、かつそれが可能なのは原罪に穢されていない存在、神でなければならないわけだから、
贖罪はまさに神の存在と正義に直接関係があるのではないか ユダヤの神はそんなせせこましいアラサー男子に意を委ねないと思う また、信仰とは神の正義を受け入れるか受け入れないか、みたいな自らの利益のための取引、といった「旧約の契約的側面」がないとは言わないが
つまりところ、神を「愛するか」どうか、という話でしかない気がする
神を利益の「手段」にする一切は信仰とは呼べない
神という位格、それ自体が目的となるほどの信頼、帰依が信仰だ
これに類するのは隣人愛であり、その究極は「あなたは殺されてはならない。なぜなら私はあなたを愛しているから。そしてあなたは私を殺していい。しかし私はあなたを決して殺さない。なぜならあなたの人格そのものが目的だから。」といった態度だろう
そしてこの隣人愛はしばしば子と親、パートナー、親友などの密な関係において再現性を持ち、隣人を「手段ではなく目的」とする隣人愛の在り方の根拠にもなる 理論理性では全ては因果に絡め取られて「手段化」される
実践理性で初めて手段化されない、人格自体の「目的化」が可能になる
これら、形而下の現象を、形而上に類比的に適用する時に、信仰とは何なのか、が見えてくる
また、この意味において「利他行動」という抽象化も意味をなさなくなる
なぜなら、常に人は、特定の人格に対して、特別な関係を持ち、その人格そのものを目的化することが可能になるから
この常に「特殊で特別な対象にしか与えられない目的化」が愛であり、それが、その特定人物に対する利他行動を結果的に生んでいるだけ、とも言いうる
従って、宗教における不条理も、理論理性による不条理であり、損得のバランスシートで測られるものだが、信仰はそれと系が違うことをヨブ記では語られている
理論理性による信仰は「不可能である」と言い切っていい根拠はこういうところにある ヨブは散々神に文句言ってるでしょー
神はサタンにそそのかされて
ヨブの信仰を疑う
そしてサタンの言う通り、
ヨブには充分な信仰は無いとみなされた
不条理は無いよ
最終的にヨブは寿命が見られがちだが
家族も家も信仰により取り戻している
家族と家
無病息災です。 おいらのともだちゃ
ぽんぽこぽんのぽん
まけるな まけるな
おしょうさんにまけるな〜♬
おしょうさんに負けるなは、狸でせっ。(爆笑)
しかも友達。
ぽんぽこぽんのぽん、でっせ。
あかのやろね、こんなシュールは。
B29で焼け野原、原爆2発の地獄絵図
彼らは、こんな歌を唄う様な民族は、許せない、
イライラするので、叩きづぶしたい、そのな気がする今日この頃です。 3時かー
ヨブって300歳まで生きてて
何だ永遠には生きられなかったのかとか
アダムは1000年だぞとか
俺も300年生きてえわとか
評価が分かれるよね ピオ神父は寝顔ですね
今にも瞼が開きそうな姿をしておられます 神様がお友達って人この板にもいるけど
サタンがお友達って人いないね
ものっそい蔑むか
崇拝とか賛美の象徴になってる 人が人を救うことは永久にできません
どんな美談も慈善も、偶像に捧げられたら悪魔に捧げたものとみなされるからです
神のものは神に返しましょう
そうしたら行いによっては誰も救われない現実も、神にあって祝福を受けます 旧約全般において悪い事しかしないから
新約においてはじゃあ悪い物なんだろう?
と決めてかかってるけど
ヨブ記においては神に物申す
特別な何かなのよね サタンとお友達ゴロゴロ居るじゃないか?
選ばれた使徒であるユダさんでさえサタン呼ばわりなのに
みんな自覚無いだけ >>994
私の考え方では受験勉強みたいなもんでな
信仰と行いで分けるの?
信仰はよくわからんが
行いだけは根性でなんとかなると思うの 和紙は新約しか読まんのだったな
サタンは悪者では終わらんのだよ… ヨブ記においては
こころみという物も
悪ではなくてな レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。