【イエス】統合スレ2【キリスト】
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天にまします我らの父よ。
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝(なんじ)のものなればなり。
アーメン。
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前スレ
【イエス】統合スレ1【キリスト】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1675160060/ >>847
ーーー
マタイ12:34-35
まむしの子らよ。
「あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか」。
「おおよそ、"心からあふれること"を、口が語るものである」。
「善人はよい倉から良い物を取り出し」、
「悪人は悪い倉から悪い物を取り出す」。
ローマ10:8-10
では、なんと言っているか。「言葉はあなたの近くにある。"あなたの口にあり、心にある"」。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。
すなわち、「"自分の口"で、イエスは主であると告白し」、「"自分の心"で、"神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じる"なら、あなたは救われる」。
なぜなら、「人は"心に信じて義"とされ、"口で告白して救われる"からである」。
ーーー >>851
ーーー
「心から溢れて」→「ガソリン供給」
「口で語る(業としての行い)」→「車を運転する」
ーーー >>852
ーーー
「ガソリン引火」
→「はげ頭よ、のぼれ。はげ頭よ、のぼれ」
ーーー こんばんは
最近はレスの勢いがいいので探すのに手間どいました
前の議論のコテのことを思い出したりしました
>>722
なるほど、確かに、隣人になれの「隣人」は宗教に限らないあらゆる苦しみの人たちとして考えなければ閉じた物語で終わってしまうようです
作者が述べた対象がどのようであれ、それでも普遍性を持つがゆえにキリスト者の枠を超えいて、この喩えは、民族や人種や国家など、そして宗教さえも超えて及んでいるようです
どのようにして個別的な一例(無限回くり返されたとしても個別は個別ですが)が、どのような超越がなされるならば、個別が共通観念をもつ道徳などの普遍性を獲得できうるのかという謎は残りますが、現に、宗教の枠におさまらないエイシストさんにまでそのように本質が届いているのならば、そのこと自体が宗教を超えて行われたという明快な証左なのかもしれません
ぼくは、神がなければ善もない、くらいに考えてしまうから、例え個人の一例であっても、神の言葉である聖書に書かれていること、という理由にしてしまえば普遍的なこととして受け入れることは簡単でした
イエスの言葉が神の言葉であるがゆえにそういう善も行わなければならない、と本当のところは単純にしか考えていないのかもしれません
もともと社会的な倫理観と道徳的な生き方には弱いところがあるので、そう思うのかもしれません
道徳とはそもそも仮言された条件がある上でのみ述語づけることができうる、なんて思ってしまう弱い道徳観の持ち主の見方ですが、ないよりはましだと思って結果よしと開き直っていますw 最後の審判はないのです。
人間はみんな、何も解くことは出来ず、倒錯した状態で世界や他人と混ざりあっているのですから。 ーーー
何故
今そこに居るのが他の誰かでは無くあなたなのか?
・・・ただの一言。
ーーー 人助けでは世界最下位の日本
日本の結果は惨憺たるものだ。総合順位は126カ国中107位と先進国の中では最下位だ。
ちなみに、1位はアメリカで、2位ミヤンマー、3位ニュージーランド、
4位オーストラリア、5位アイルランド、6位カナダ、7位イギリス、8位オランダ、
9位スリランカ、10位インドネシアと続いている。
(…)
注目すべきは、調査した3つの観点の中でも、
「見知らぬ人、あるいは、助けを必要としている見知らぬ人を助けたか」という観点で、
日本は125位と世界最下位であることだ。
//news.yahoo.co.jp/byline/iizukamakiko/20191017-00147100 >>857
そうですか、それは残念ですが、私個人は生まれて今まで
たくさんの人々にどれほど助けられて、生きて来たことかと思います。
有形無形の・・・ありがとうございます。
そのアンケートは、他者の命に対して、手を差し伸べたかだと思います。
世界の凶悪犯=殺人率になると様相は一変します。
あなたが調べたアンケートは、主観なので自己評価で変るので、世界何位と言うのは
分りにくい面があります。
凶悪犯(殺人率)になると、主観でなく統計が客観的にでます。
日本は最下位の部類に位置しています。
先ほどあげられた国々よりはるかに下です。
ということは、他者の命に対して、大袈裟な気持ちでなく、
日常的に支えようと言う意識レベルが生活感覚に流れている、
気付きにくいかも知れませんが。
残念と言えば、むしろお人好しで、詐欺に騙されやすい。
文鮮明は、朝鮮半島や米国では通用しない、
日本だから、お金を引っ張り出せたり、新婦を働き手として獲得できる
バカにされているのでしょうね。
しっかりしないとね。 >>723
日本にも「仏を作って魂入れず」ということわざがありますが
イエスのパリサイ人や律法学者に対する批判もそれに似たところがありますね
彼らは口伝律法の細目まできちんと守る(あるいは守るよう説教する)のに
律法の魂である神への愛や隣人への愛が抜け落ちてしまっているという批判です
ここでも隣人愛の実践者としてサマリア人を出しているのは
こういった律法学者らに対する痛烈な批判を意味しているのだと思います
まあこんなことばかり言っていれば、そりゃ殺されますw
琴さんも知っているご隠居という徹底したアンチキリスト教、アンチイエスの人がいましたが
彼はよくキリスト教は愛を観念化・抽象化したため、かえって愛を抑圧するといった類いのことを
言って、ことばにする以前に起こる惻隠の情を対置していました
使徒たちの手紙などを見ると、頷けるところがあります
しかしイエスは、この喩えで分かる通り、決して愛を観念化・抽象化して語っているわけではありません
むしろ愛などということばを使わずに隣人愛の本質を見事なまでに、具体的にかつ鋭く言い表しています
サマリア人というのは当時のイエスのことばのインパクトを理解するためには欠かせないもの
だったのだろうと思います >>726
The House of The Rising Sun はアニマルズのものしか知りませんでしたが
調べてみるとものすごく沢山の人が歌ってるんですね
元々は作者不明の古くからあるフォークソングあるいはブルースのようです
歌詞も時代や歌い手とともに変わってきてるようで
ボブ・ディランは女性主人公、アニマルズは男性主人公の歌詞になってますね
件の「朝日のあたる家」が何を指しているかは娼館や刑務所など諸説あるようです
ちあきなおみの歌はもちろん初めて聞きましたが、今で言うAdoのように
他人には真似できない超個性的な歌い方ですね
身を持ち崩してしまって後戻りできなくなった娼婦の悲しみがよく表れていると思いました
ブルースはどうしようもない現実の悲哀を歌に乗せるものですから
その意味ではこの歌唱法はまさにブルースと言っていいと思います >>854
イエスのことばは宗教や民族を超えて、心の一番深いところまで突き刺さるようなものなのだろうと思います
その深さが普遍性の尺度なのかもしれません
ただ質問者さんが言うことも頷けるところがあって、いくら普遍的な価値観だとしても
それを継続的に実践し、生活の一部とするには絶対的な拠り所が、(キリスト教の場合は神ですが)
あるとないではやはり違ってくるとは思います
人間誰しも弱いですから最後に揺るがない絶対的な基準というのは強いものです
向ける方向によっては、宗教的情熱によって殺戮や暴力を正当化することもあるので
諸刃の剣だと思いますが、それだけに宗教者はこの行為、この発言は本当に
隣人愛に照らして正しいことなのか、精査することが常に求められるのかも知れませんね
わたしは宗教者ではないので想像するしかありませんが、もしそれをまともにやるのであれば
生半可なことではないと思います >>854
そういえば、わたしがイエスのことばを初めて耳にしたのは小学生の頃
たしか「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」ということばだったと思います
「右の頬を打たれたら……相手の頬を打ち返せだろ普通」と思ってた自分には
かなり衝撃的なことばでしたw
そういうことばの力が、福音書に記されたイエスのことばにはあるんだと思います 違います。アニメオタクの旦那様はキリスト教を学問として見ている人なのですが
クリスチャンは宗教ですから救いへと信じる霊的活動なので
聖書の言葉であれ何であれ言葉や文字、アニメには縛られないのです。
コリント第二の手紙3.6
文字は殺し御霊は生かす。 現在の多くのキリスト教では聖書の無誤謬性主張を止めています。
聖書をそのまま解釈すると聖書が間違えていることは既に多くのキリスト教間では常識となっています。 十字架の救いを無にさせようと目論むのは悪魔の働きです
聖書にもあるとおりそれは偽りの「知識(グノーシス)」で、警戒に値するものでした
偽りの知識と天使崇拝を行う人らはもともと仲間ではなかったとまで言われています
堕天使たちは現代まで同じ偽りを吹聴し、騙されやすい人を集めています −−−
『キリスト教共産主義』とは
キリスト教共産主義(キリストきょうきょうさんしゅぎ)は、キリスト教内における宗教的共産主義思想。
『概要』
「イエス・キリストの教えによれば、キリスト教徒達が共産主義を理想的な社会体制として支持しなければならない」という見解に根拠をおき発達した神学的で政治的な理論。キリスト教共産主義が何時生じたのかは正確には判っていない。新約聖書の使徒行伝によれば、エルサレム教会では財産を共有するキリスト教社会主義共同体を維持したとされている。エルサレム教会とは神学性格が違った使徒パウロやヤコブも、教会では教友達の間の不平等があってはいけないと信じた。アウグスティヌスも哲学について述べているが、自由に共有すべきと考えていた(このことからフリーソフトウェアなどの知的財産の無償性を唱えた最初の人物であるとみなされることがある)。
また、『中世の教会法では万物が神の財産であり、「神のもの」だから財産の私有は正しくなく、
"財産の共有が正しいという見解が主流"だった』。
宗教改革期においても、『アナバプテスト等の"急進的なプロテスタント教派達"は、"財産共有を主張"しながら、"平等社会の具現"を、キリスト教を通じて成そうとした』。
キリスト教共産主義は、穏健なキリスト教社会主義と、急進的なキリスト教アナキズムの中間に位置するとされている。キリスト教共産主義者達は、大部分のマルクス主義者達が持つ無神論的な視覚等いくつかの部分に異見を提示しているが、「金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がもっとやさしい」や「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。」などといったキリスト教の言葉を根拠に、資本家が労働者階級から余剰価値を搾取して利益を得る、といった経済的な綱領や、資本主義が社会主義に入れ替えられ、最終的には共産主義に発展する、といったマルクス主義者達の政治的な綱領には同意している。
しかし、キリスト教共産主義は、根本的にマルクス主義とは相容れない。これは社会主義、または共産主義社会が組職される方法に関する事であるが、マルクス共産主義者達の“結論”を共有するが、その“前提”には同意しない事が見られる。
Wikipediaより
−−− 日本には日本独自の宗教文化がありますのでそれを守ることです
西欧の宗教に洗脳されないことです >>866
ーーー
また、『中世の教会法では万物が神の財産であり、「神のもの」だから財産の私有は正しくなく、
"財産の共有が正しいという見解が主流"だった』。
宗教改革期においても、『アナバプテスト等の"急進的なプロテスタント教派達"は、"財産共有を主張"しながら、"平等社会の具現"を、キリスト教を通じて成そうとした』。
↓
あなたには「溢れる程に愛がある」から
「愛されないあたしを愛しなさいよ!!」
ーーー ーーー
0867 神も仏も名無しさん 2023/03/07(火)
09:15:42.35
日本には日本「独自の宗教文化」がありますのでそれを守ることです
↓
「普遍的では無い」のでは?
則ち「他者には通じなくて独りよがり」
と言う事なのでは?
ーーー >>868
ーーー
ちなみに
「テイカー(taker)とギバー(giver)との関係」だと
「愛されないあたしを愛しなさいよ‼」となるの
ですよね。
「ギバー(giver)とギバー(giver)との関係」なら
「お互いに慈しみ恵み合い」となるのですよね。
ーーー 独りよがりなのはキリスト系宗教も同じことです
自分のところの神様が一番正しいと言ってるからです >>870
ーーー
さて「善きサマリア人」に於いて
「強盗に襲われた方と助けたサマリア人との関係」
とは?
「テイカー(taker)とギバー(giver)との関係」なのか?
「ギバー(giver)とギバー(giver)との関係」なのか?
「善き隣人関係となる」のは?
ーーー >>872
ーーー
ついでに
「テイカー(taker)とギバー(giver)との関係」だと
「チューチュートレイ・・・」
「ギバー(giver)さんがチューチュー吸われ・・・」
・・・挙句の果てには。
ーーー ※1・イエスは、本質論であり、聖霊の方でありますよね。
わたしは、グノーシスにはまだまだ詳しくないのですが、
グノーシスの知識の意味は霊的な知覚の事です。
霊の清純性と神秘性を強調します。
罪が無いイエスが、人々の肉にともなう罪を、自分の肉を使って処刑しました。
罪の無い肉というのはなかなか分かりづらいのだけれど、
はじめから霊体であったなら、処刑の前も後も同じ、
復活といいますが、復活するのは当たり前ですよね。
自分の肉の処刑は仮象だとすると、※1・もわかります。
私たちの霊的レベルアップのために活動された。
そうなりますと、グノーシスに近いと考えられるところもあるのです。 肉を持って人として来られたイエス様を告白しない霊は聖霊ではありません
聖書にそう書いてあります ーーー
「自己言及パラドックス」とは?
「十字架の死」とは?
「霊的リアル」とは?
ーーー 🅰聖書の一元論
・霊肉一致
❎グノーシス主義の二元論
・霊肉の分離
※ 苦しんだのは人間イエスであり、キリストの霊は天に逃れたので痛まなかったと主張している
🅰聖書の二元論
・祝福と呪いの明確な分離
❎グノーシス主義の一元論
・祝福と呪いの融解
※ 善悪は一元なので悪霊たちも救われると主張している >>875
ピッピさん、人として来られた。
そこを否定しているのではありません。
聖母マリア様からお生まれになりました。
聖霊によって身ごもるのは、受肉ですから身体を纏いますが
罪の無い霊体である。
クオリティが違う。 >>873
ーーー
「抱っこ◯ゃん人形の様」に
「纏わり付いてチューチュー吸われ続け」て・・・
ーーー 翻訳の限界と、原語の多彩な意味を考慮して慎重に考えてください
愛は愛でも元の原語は違うことがあります
同じように、肉は肉でも意味が違う場合があります
パウロの手紙はとくに分かりづらいといわれています
とにかく霊肉あっての「人」ですから、グノーシス主義の霊肉分離思考はパウロのメッセージを歪めます ーーー
「猿存在と人間存在との違い」とは何でしょうか?
何故「受肉と言う言葉が充てがわれている」のか?
ーーー 人となられたイエス様は肉の弱さを纏いながら罪を犯されなかった、死を免れなかったほど誘惑にも遭われました
実績があるということです
罪を犯すことのできない肉を纏われたわけではありません >>881
ーーー
0880 神も仏も名無しさん 2023/03/07(火)
10:39:56.82
愛は愛でも元の原語は違うことがあります
↓
「人の義と神の義との違い」
ーーー ーーー
0884 ネフシュタン ◆lrHJdGXaEQVz
2023/03/07(火) 10:46:47.46
↓
「テイカー(taker)」って
「挑発してでも纏わり付こうとする」のですよね。
ーーー >>880
>とにかく霊肉あっての「人」ですから、
>グノーシス主義の霊肉分離思考はパウロのメッセージを歪めます
霊肉あっての人。
そうですね。 グノーシス派の人も、イエスも人です。
じゃあ何が違うか。
分離思考ではないのです。
分離を説明しているのではありません。 ーーー
確か「チンパンジーは要求すれば与えられると言う行動原理」なのですよね。
何年か前に「キリスト教スレッド」にて
「その話が出ていた」のですよね。
話の提供は「サティさん」だったかと。
ーーー パウロの思想の中で愛の考察については多少の見どころはあるが、それだけだね。
トータルとしては分裂症を来たしていて、精神病が強く疑われるものだ。
ボクはパウロと云う人は精神異常者だろうと断定している。
こんな人がキリスト教を創唱したのだから、キリスト教を真に受けてはならない。
新約聖書と云うものは、このパウロの思想を軸にして編集されている。
福音書も数多の中からパウロの思想に都合の良いものを四つ選びだしたものです。
しかし、そんな何処の馬の骨とも知れぬ福音書ではあっても、イエス本人の言葉が隠されているように思う。
それを発掘する作業は、畑の中に隠された真珠を探し当てる事のようだ。
グノーシスがなければ難しいだろうと思う。 ーーー
「人の義と神の義」は
「Antinomie(二律背反)の関係」なのですよね。
ーーー イエスは二千年も前に死んでしまった。
多くの知恵の言葉を地上に残して。
彼の肉体は塵に還り、霊と心魂は故郷のプレーローマへと帰還した。
地上の苦痛の中で生きる現代の我々は、自分にとっての救済者を探さなければならない。
救済者もまた苦しみながら、我々を待っている。
彼(救済者)は、隣人として我々に姿を表す。
彼を見つけ出して救済することで、私は救済されるのだ。
そう、彼のサマリア人は隣人として傷付き倒れているユダヤ人を助けた。
だから、そのサマリア人は救済されたであろう。
そのサマリア人は愛を知って居たのである。 >>887
ーーー
確かその話の時に
「アストリッド(グノーシス派)さん」も
居たのですよね。
ーーー 生活の救済、霊魂の救済、そしてそれぞれが「救済される」とは
どういうことなのか。これを定義したり語り合ってるうちに人は死ぬことに
なるのだろう。答えはでないまま。出たつもりになっても、自己満足に
すぎず。話は伝わらず。伝わったつもりでも同じものは伝わっておらず。
そして人はわがままで自分の救済観のとおり己が救済されないと満足しない
だろう。
人間はふわふわしたことしか語り合うことしかできないんだ。
まあまあまあ、そういうことが前提で、下敷きにあって。
そんな私もふわふわしたことを書くことしかできない。
生活で救済されても、霊魂が救済されるとは限りませんよね。
(いやあ、同時におこることもあるだろ。たしかにそうかもしれない。)
そして、本人の救済観によって、求める救済は違うだろうし。
救済の満足感も人それぞれちがう。
同じ救済がなされても?ある人にとっては救済されたとは思えなかったり。
そんなことを考えて、グノー氏の>>890を読みました。
ここは生活の救済、ここは霊魂の救済かも・・。愛の光線を受けた
助けられた人の霊魂は救済されるのだろうか?等々。
駄文長文ぺこりエントリー。 >>888
>しかし、そんな何処の馬の骨とも知れぬ福音書ではあっても、
>イエス本人の言葉が隠されているように思う。
>それを発掘する作業は、畑の中に隠された真珠を探し当てる事のようだ。
>グノーシスがなければ難しいだろうと思う。
◆はい、荒井献氏の著作でわかります。
大変高度ですが、グノーシスに出会われた事の意味は
氏のかけがのない、真珠を探し当てる成果として、
これからの人々にとってますます貴重になるだろうと、思います。
・一九四五年、エジプトで写本が発見され、
「新発見の福音書」として世界にセンセーションをまきおこした。
〈トマスによる福音書〉
異端として排斥されたグノーシス派の立場から編まれた
一一四のイエスの語録集である。
新約聖書学・グノーシス主義研究の世界的権威がその語録を精緻に注解し、
独自の福音を明らかにした本書は、
従来の「正典福音書」のイエス像を一変させることを迫る衝撃の書である。
・著者 荒井献について
1930年秋田県に生まれる。東京大学教養学部教養学科卒業。
東京大学大学院西洋古典学博士課程修了。
ドイツ・エルランゲン大学よりDr・Theol.(神学博士)取得。
東京大学名誉教授。
主著『原始キリスト教とグノーシス主義』『イエスとその時代』
『イエス・キリスト』『新約聖書とグノーシス主義』『問いかけるイエス』など。 ーーー
0877 神も仏も名無しさん 2023/03/07(火)
10:29:16.07
🅰聖書の二元論
・祝福と呪いの明確な分離→「霊的復活と霊的死」
↓
🅰聖書の一元論
・霊肉一致
→「霊的復活に於ける聖体拝領(ミサ)」によるもの。
ーーー ーーー
「新約聖書」は
「父による霊的復活(魂の救済)」の後。
ーーー >>896
ーーー
「十字架の死」→「安息」→「復活-再臨」の後。
ーーー >>894
これからの人類はその本を読まないと、天の国に入ることはできませんか? パパチンコ活が多すぎて性病が爆発的に広がってるんだとね
ザーメン 迂闊に、人にこれを読め、だなんて。
いったいどういう動機で読ませようとしているのか?
人への愛なのか?
俺は私はこんな難解な本を読んでるのですよ?
虚栄心8。
恥ずかしいぞ?
あ、やっぱり読まなくていいです。
とでも書くほうがイエス様は喜ばれる。
人に勧めるときには、もうほんとぎりぎり考えて、祈ってから
勧める。(お前は何を勧めるんだ?)自信をもって勧めることが
できるのは、聖書。キリストにならう。将棋盤に駒を強く叩きつけるように
勧めることができるのは、この二冊くらいですよ。
(そういえばお前は「神よりの逃走」を勧めてたな?)
あ、あれ?あれは、どうしようもない人をどう捉えるかのカンフル剤的な
本でしたから! >>898
ーーー
ちなみに「福音"記者"」とか
「"伝道"者(エバンジェリスト)」とは何か。
ーーー >>903
グノーシスの話が出ましたから、次にわたしは述べました。
次にアストリッドさんが、書かれました。
その意味がわかるとわたしは返したのです。
イエスキリストと関係するならこの辺りから、ですよねって。
その順番ですよ。 わからないのですか。 今から二千年後、大川隆法の霊言が発掘される
馬鹿だけが信じる
そんな未来が見える… キリストにならいて、は
引照聖句が見当たらなくてたびたび中断して
一向に進まなかった >>904
ーーー
「テイカー(taker)」では「福音"記者"」とか
「"伝道"者(エバンジェリスト)」とはならない
のですよね。
「ギバー(giver)」ならではなのですよね。
さて「善きサマリア人」に於ける
「そのサマリア人」とは・・・
「善き親」は
「子供の将来を思って子供に必要なものを恵む」
のですよね。
「子供にとって都合のいいものを恵む訳では無く」
ーーー febcの番組で雨宮慧神父もこう教えておられます
「善きサマリア人のたとえ」として知られるこの箇所は、「追いはぎに襲われた人」(30、36節)の内側に「道の向こう側を通って行った」人と「介抱した」人が置かれている構造になっています。その中心には、33〜34節の「その人を見て憐れに思い、 近寄って」があり、これが道の反対側を通ってしまわずに介抱する人になるための条件として描かれていると思います。つまり、行動に直結する「憐れに思う」は、単なる「かわいそうに思う」ことではありません。ここでは、行動によって隣人となっているからです。そして私は、この「同じようにしなさい」とイエスに示されたサマリア人こそがイエスご自身だと思います。そうでないと、この箇所の真意は分からないからです。 >>910
ーーー
また
「親にとって都合のいいものを恵む訳では無く」
ーーー 隆法から君は光の戦士だね。待ってたよ。と言われ、喜んで入信した奴は暗部の任務をまかされていた。
宏洋が暗殺されるかもしれないとYouTubeで言っているがあながち嘘ではない。
トゥース >>911
>ここでは、行動によって隣人となっているからです。
>そして私は、この「同じようにしなさい」とイエスに示されたサマリア人こそが
>イエスご自身だと思います。
>そうでないと、この箇所の真意は分からないからです。
ありがとうございます。
そうです、イエスはご自分がそうでないのに、律法の専門家に言う事は出来ません。
ですから、イエスは愛のサマリア人だというのは、もちろんそうですよ。
しかし、自分はサマリア人であると自己紹介でアピールする為に
この話をされたと思いませんでしょ。
話のやり取りがあり、
しめは、イエスは言われた「行って、あなたも同じようにしなさい」
ですから、行動ですね。
プロテスタントのある人たちは信仰義認を取り違えているのでは?
信じる事で義とされた者の刷新は、
同時に信仰に裏付けられた新しい隣人への愛の掟を付与される。
掟と言っても律法の偽善や、無理やりでなく、刷新とはそれが付与されて起きる、
それが、苦手、サマリア人の話が苦手で、
サマリア人はイエス様のことですから、自分と切り離してしまうのです。
はっきりしているのです。
イエスは言われた「行って、あなたも同じようにしなさい」
命令のようなきつい言い回しにされましたが、
全く分かっていないからであり、
そうでなくイエスの父を愛する、信仰にある者は、
当然そうでしょ、と言われているのです。 ーーー
「心の声を聞く」とは何でしょうか。
「自他の関係でなければ聞けない」のですよね。
ーーー ーーー
「善きサマリア人」に於いての
「自分は強盗に襲われた方と同じであると言える方」
は居るのだろうか?
「内面-内実」を含めて。
ーーー >>917
ーーー
「襲った強盗」は「どんな方」なのでしょうか?
「ギバー(giver)」なのか?
「テイカー(taker)」なのか?
ーーー >>915
サマリア人はイエス様のことですから、自分と切り離してしまうのです。
↓
○サマリア人はイエス様の事だとして、自分と切り離してしまうのです。
けれど、しめのイエスの言葉は、それをさせないのですが、
それを無視してしまうほどの拒否感・・・まあ、なんなのかわかりましぇん。 >>918
ーーー
先程「僕は絡まれそうになりました」よね。
「善きサマリア人のたとえ」とすれば
僕はどうなのだろうか?
・・・自分で言うのも何ですけど。
ーーー 絡まれた人だから
助けてもらえるという意味ではないと思うよ でもこのままだと
この助けられた人
サマリア人になっちゃうね だから、そんな親切なサマリア人みたいな
ゴミみたいな人よりも
イスラエルという国を
恵みある乳と密のあふれる土地にしようね、
という意味だと思ってたよ >>924
ーーー
「自分に矛先が向かわない様に論点ずらし」かな?
ーーー 襲った強盗はグレーゾーンで犯罪する
知能犯だから
取締が難しいとか聞いた事あるけど
そういう話ではないと思うよ
なんなん? ーーー
0926 ネフシュタン ◆lrHJdGXaEQVz
2023/03/07(火) 14:48:27.06
襲った強盗はグレーゾーンで「犯罪する 」
知能犯だから
↓
「犯罪を犯した」のだから「犯罪者」
「実績」に於いて「行った/行わなかった」
しか無いのだから「グレーゾーン」なんて無い
のですよ。
ーーー >>927
ーーー
「吐いた唾は飲めない」のですよ。
ーーー いつまでお前の被害者妄想の言論封殺に付き合えばいいんだ? >>928
ーーー
ちなみに
「キリスト教の唯一神(父)」って知っていますか?
ーーー >>931
ーーー
本日「あなたが僕に絡もうとする」までに
「僕はあなたに向けてレスしました」か?
ーーー >>932
ーーー
何故「いきなり僕に絡もうとした」のか?
「何かしらの被害を受けたと"思い込んだ"」
からでは?
ーーー いや、すまんな、俺にとって
会話とはこういうもんなんだ
コインにとっては違うというのはわかった 高橋佳子はまさかのトランプ派でした
バイデン失脚とトランプ再選を予言しています
数年後には宇宙人との交流が始まるそうです
まさかの「銀河連合」報告でしたー 雨宮慧神父の放送は3月10日金曜日です
第2朗読 コロサイ1:15~20
〈直訳〉
15-16a 彼はある 見えない神のかたちで 全ての被造物より前の最初のもの というのは 彼において万物が創造された ...
18b-19 神はある 初めである 死者の中から最初のもの 彼が全てのことにおいて第一のものとなる ように
というのは 彼において喜んだ
同じ言葉が繰り返され、神の計画を担う御 子の姿が、15節からでは神の創造の業との関 連で、18節からでは神と万物との和解との関 連で描かれています。つまり「御子の中にあ る」ことを失うなら、被造物は存在の意味を 無くします。これは教会も同様です。ですか ら、損なわれてしまった万物の創造の秩序を 取り戻すため、神は御子を十字架の上で死な せました。御子の十字架の血にこそ神の創造 の思いがあらわれているからです。イエスの 死という出来事を離れては、万物はありえな いことを表すのです。 まあ何を言われるかは知らんが
良きサマリア人の例えとは
ユダヤの法の賛美だ キレネ人シモンのように十字架を背負う人になりましょう
人は行いによって自分を救うことはできませんが、キリストと繋がることによって救いにあずかることができます
どんな美談も慈善も、偶像に捧げられたら何の役にも立ちません
アブラハムは信じたから認められました
パウロが手紙の中で行いによるのではなかったと力説しています
行いは信仰のしるしではありますが、単体では判断できかねます
人に見えるのは外見だけだからです
よきサマリア人も、介抱されたユダヤ人も、どちらもイエス様です
傷を負って倒れているのは弱い人々とともにあるイエス様ご自身でもあります 雨宮慧神父の番組は3月10日金曜日です
第1朗読
「心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、 主に立ち帰るからである」(申命記30:10)の 立ち帰る(シューブ)というヘブライ語は、1~ 10節までに7回も使われている一方で、11節 以降には一度も出てきません。ですから、10 節までは、11節からとは書かれた時代が違っ て、後のバビロン捕囚期と言われています。 申命記の精神は、「聞け、イスラエルよ」 (6:4)ですが、それゆえ日頃から神の言葉を 語り聞かせ、心を用いて記憶に留めていれ ば、それを行えるとなりがちです。しかし、 申命記30:1~10の「立ち帰る」と結びつく と、全く違った意味合いを響かせるのではな いでしょうか。つまり、14節の「あなたの 口と心」とはただの口と心ではなく、6節の 「心に割礼を施された者の口と心」なのであ り、11節以後のような人間の可能性を強く信 頼していた言葉は、10節までの捕囚時代の言 葉と結びつくことによって、この箇所に隠さ れていた真の神の呼びかけを顕にし、新約に まで至るのです。 バビロン捕囚の時代の人が挿入したとすれば、体験的に知ったということでしょうか? ーーー
0942 神も仏も名無しさん 2023/03/07(火) 16:32:33.12
6節の 「心に割礼を施された者の口と心」
↓
「心の割礼と唇の割礼」の事。
ーーー >>944
ーーー
「AさんとBさん」が
「同じ"あなたを愛しています"」と言ったとして
「言われた方」が「Aさんから受ける印象」と
「Bさんから受ける印象」が「異なる」のは
何故だろうか。
ーーー 載せられなかったが。
やったど!おお!
今日の1日の締め括りにやったんぜ!やったんぞ!おお!
では始めよう。
でんでん!でんでん太鼓!伝!
今日は一生懸命やったど!
うい!
酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ!
うい!
酒が飲める飲めるのめるぞ!酒が飲めるぞ!!うい! ーーー
0946 神も仏も名無しさん 2023/03/07(火)
17:51:59.67
一致か不一致かで印象が変わります
↓
「心に響く言葉」と「口先だけの言葉」との違い
なのですよね。
ーーー >>949
ーーー
先程書き記したレス内容の修正
「心に響く言葉」と「口先だけの言葉」との違い
なのですよね。
↓
「心からの言葉」と「口先だけの言葉」との違い
なのですよね。
・・・失礼致しました。
ーーー 915琴2023/03/07(火) 14:06:36.66ID:65XOicAL
>>911
>ここでは、行動によって隣人となっているからです。
>そして私は、この「同じようにしなさい」とイエスに示されたサマリア人こそが
>イエスご自身だと思います。
>そうでないと、この箇所の真意は分からないからです。
ありがとうございます。
そうです、イエスはご自分がそうでないのに、律法の専門家に言う事は出来ません。
ですから、イエスは愛のサマリア人だというのは、もちろんそうですよ。
しかし、自分はサマリア人であると自己紹介でアピールする為に
この話をされたと思いませんでしょ。
話のやり取りがあり、
しめは、イエスは言われた「行って、あなたも同じようにしなさい」
ですから、行動ですね。
プロテスタントのある人たちは信仰義認を取り違えているのでは?
信じる事で義とされた者の刷新は、
同時に信仰に裏付けられた新しい隣人への愛の掟を付与される。
掟と言っても律法の偽善や、無理やりでなく、刷新とはそれが付与されて起きる、
それが、苦手、サマリア人の話が苦手で、
サマリア人はイエス様の事だとして、自分と切り離してしまうのです。
けれど、しめのイエスの言葉は、それをさせないのですが、
それを無視してしまうほどの拒否感・・・まあ、なんなのかわかりましぇん。
しかしはっきりしているのです。
イエスは言われた「行って、あなたも同じようにしなさい」
命令のようなきつい言い回しにされましたが、
全く分かっていないからであり、
そうでなくイエスの父を愛する、信仰にある者は、
当然そうでしょ、と言われているのです。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。