勿論、宗教には宗教にしか出来ないことがあり、その事について既成宗教では及ばない部分もある訳です。
掛かる意味に於いて宗教や新興宗教が無くなることはないと思うんです。
ただ、(以下は例の本から釈徹宗さんのコメントですが・・・)


いずれにしても、とにかく宗教というのは、本当に取り扱い注意な案件で、畏敬の念を持ってお付き合いしなければならないものです。
宗教は人間から生まれたものであるにもかかわらず、人間の手を離れて動き出すとコントロール不能になってしまうからです。
宗教の暴力装置や差別装置が稼働し始めると、止まらないんです。
宗教には人間の力ではどうにもならない危なさがある。
だからこそ、飽くなき教義・教学の議論を重ねて、宗教が内包している暴力性や差別性を稼働させないようなリミッターを設定し続けなければならないわけです。
だから私は、信仰の持つ加害者性について考える必要があると思っています。
信仰とはそもそも加害者性を持っているという地点に立たねばならない。
信仰は常に人を傷つける可能性を持っているんです。
信仰を持っていると、他のストーリーを生きている人に対して無頓着になったり、無自覚になったりしがちだからです。


なのだと。