イエス様のお名前に力があります 4
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「主の名を呼び求める者は誰でも救われる」ローマ10-13
「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです」ローマ10:9
イエス様を知りたい人、是非、このスレに参加してください。
前スレ
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1646929663/ 2シロッコ2021/12/12(日) 23:56:57.66ID:ZDug7ERG
私はプロテスタントです。
イエス様を信じて、心がとても平安になりました。
どんな時も祈ると神様は私を助けてくださいます。
みなさんもイエス様を信じて平安を神様からいただいてください。
神は平安の神です。 3シロッコ2021/12/13(月) 00:11:54.80ID:Ly4E7fc+
救われるとは、この世の悪い世から救われ、イエス様の内に入ることなのです。
あなたの心がいつもイエス様の中に居れば、あなたは悪いものから守られます。
今苦しみの中にいる方、是非、イエス様を信じて、神様に助けていただきましょう。
イエス様はあなたと神様の橋渡しのために、この世に来られました。
あなたの願いが神様に届きますように、イエス様のお名前によりアーメン。 −−−
『蒔いた種を刈り取る』と言う言葉がありますが、
『刈り取る事さえ出来なくなった』場合はどうなる
のでしょうか?
マザーテレサの言葉より
『愛の反対は憎しみでは無く無関心である』
『高慢』で『相手方にご迷惑をを掛けた事』を
謝りたくても『相手方が無関心となってしまった』
場合は『相手方に謝る事が出来無くなってしまう』
のですよね。
(『黄金律(golden-rule・因果応報)』より)
(『高慢』は自己愛なので相手方への無関心に・・・)
『相手方への罪の十字架を背負い続けてしまう事』
となるのですよね。
『相手方が拒絶をしてしまっている』のだから・・・
『相手方の尊厳を踏み躙る様な無責任な事』は
『慎まれるべき』なのです。
『自らの過ちは早めに気付き認めるべき』なのです。
ー『It is no use crying over spilt milk』ー
(『こぼれたミルクを嘆いてもしょうがない』)
『ミルクを溢してしまった事は事実』なのだから。
(『無かった事にする事は出来無い』のだから)
『決して自らの過ちから目を背けずに』・・・
『蒔いた種さえ刈り取れなくなる』のだから・・・
僕として思う所を一筆乱文にて書き記します。
−−− −−−
参考:マタイ5:22-26
しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。
だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、
その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。
あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。
よくあなたに言っておく。最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、決してそこから出てくることはできない。
−−− −−−
『お互いに銃のトリガーから手を離せば』
『お互いに手持ち無沙汰(ぶさ)』となるので』
『お互いに握手を交わしてゆくのです』
『相手に向けて銃のトリガーに手を掛けるその過ち』
からの『自らの悔い改め』こそが『お互いの平和
に向けての一歩』であるかと僕はそう思います。
『愛する事は相手方の尊厳に対する尊重』から
始まるのです。
(※『相手方に媚び諂(へつら)う事』ではありません)
そして、
『お互いの協力の元に一粒の種を地に蒔いたなら』
『記念樹の種を蒔いたなら・・・』
『樹が育ったならその下に記念碑など・・・』
僕として思う所を一筆乱文にて書き記します。
−−− −−−
『イケメン』と言うのは、
『御自分から見て』の『イケメン』では無くて、
『相手方の女性から見て』の『イケメン』なのです。
何故なら『イケメン』は『名誉による称号』なの
だから。
『驕り高ぶりによる自称』では無いのだから。
(それだと『ただのナルシスト』なのです)
なお『出来レース』による『イケメンの称号』は
『論外』なのです。
(『評価に於ける実質性を問う』のだから)
僕として思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『御自分の花壇』が
『相手方によって踏み荒らされた』ので
『相手方の花壇を踏み荒す』のはどうなのか
と思います。
(『御自分の花壇を守る』のは『専守防衛』)
それは『お互いの花壇を踏み荒し続ける事』となり
『最後に残るのは"花壇の残骸"しか無い』のだから。
だから『相手方の花壇を踏み荒す』事よりも
『花壇の回復』の方が『優先事項』なのです。
(『原状回復』として)
『報復』よりも『ケア(癒し)』の方が『優先事項』
なのです。
相手方にには『被害分のケアの要求』をするべき
であるべきかと思います。
『被害者が泣き寝入りとならない為』に・・・
また『被害者が加害者とならない為』に・・・
・・・僕の思う所として一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『贖罪の機会を与える事』は『一つの優しさ』
であるかと思います。
『贖罪が果たされた』ならば、
『これ以上罪に問われる事が無い』のだから。
更に僕の思う所として一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『贖罪の機会さえ与えられ無い』なら、
『蒔いた種を刈り取るさえ出来無い』のだから。
マザーテレサの言葉より
『愛の反対は憎しみでは無く無関心である』
『無関心なら取り返しが付かなくなる』のだから。
『御自分の過ちに向かい合って罪を認めるべき』
なのです。
ー『虚勢を張って自己を美化せず誤魔化さずに』ー
更に僕の思う所として一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『アリとキリギリス』に於いて『アリが勤勉』
なのは『アリ達が越冬する為』なのです。
(※『冬=艱難』)
『あなたは何の為に勤勉に勤しむ』のでしょうか?
『あなたは何の為に働く』のでしょうか?
『あなたの愛する方々を守る為』ではないの
でしょうか。
『あなたの愛する方々を支える為』ではないの
でしょうか。
『キリギリスの様に享楽に耽る為』では無いの
ですよね。
(『越冬する事が出来無くなる』ので)
だから、
『アリはキリギリスの為では無くアリ達の為に働く』
と僕はそう思います。
僕の思う所として一筆此処に書き記します。
−−− −−−
補記:
『アリ=神の義(神性-利他愛)を有する者』
『キリギリス=人の義(獣性-自己愛)を有する者』
僕の思う所として一筆此処に補記を書き記します。
−−− −−−
『良きサマリア人のたとえ』に於いて、
『追い剥ぎを捕らえた』としても『襲われた方』は
『救われる事は無い』のです。
何故なら『怪我をしている』ので、
『傷付き続けている為に癒される事が無い』
のだから。
『強い武器を持って敵を倒す英雄』であっても、
『傷付いた者を癒す事が無い』のならば、
それは『ただの自己満足』でしかないのです。
『ただの野蛮人(barbarian)』でしかないのです。
『強い武器』を求めても『一粒の感冒薬』にさえ
ならないのです。
『あなた』は『何の為に知性を求める』のですか?
『強い武器を持って敵を倒す英雄となりたいから』
なのですか?
『あなた』は『アリとキリギリス』に於いて、
『アリを求める』のでしょうか?
それとも『キリギリスを求める』のでしょうか?
『心あるあなた』に向けて、
僕の思う所を此処に一筆、乱文にて書き記します。
−−− −−−
『人』の持つ『獣性』の『存在意義』は、
『人』の持つ『神性をサポートをする為』なの
です。
だから『神性と獣性』の『適正な関係性』は、
『神性が上』であり『獣性が下』となるのです。
(『上下』は『価値としての優先度』)
『獣性』は『聖書』に於いて『馬やロバやラクダ』
として『喩え』られていると思われます。
しかし『人の認知上』の『神性と獣性の関係性』は
『獣性が上』として『神性を下』にしてしまうのです。
(『神性は自己犠牲のもの』なのだから)
(『人は生命体』なので『生物本能が優先される』)
だから『人』は『主』より『人の神性保護の為』に
『自己-セルフ』が『齎され人の神性-獣性の管理』
を任せます。
それが『あなた』なのであり『あなたの使命』
なのです。
それが『あなたのこれからの人生の第一歩』と
なっていきます。
その為に『あなたに必要なもの』は、
『判断の為の正しい善悪是非の知識』なのです。
『良心』の為の『良識』を持つ為に、
『あなた』は『主より学ぶ必要』あります。
『聖書の助け』を借りながら。
『神性が解放され自ら生きてもらう為』に。
『約束の地へと誘う為』に・・・
『羊さんは羊の群れの中に居るのが良い』のです。
『決して狼の群れの中に放り込む事が無い様』に。
『心あるあなた』に向けて、
僕の思う所を此処に一筆、乱文にて書き記します。
−−− −−−
『獣性』が齎す恩恵は『快楽』であり、
『神性』が齎す恩恵は『安らぎ』なのです。
『快楽』は『生きている間のみ齎されるもの』であり『安らぎ』は『生と死に跨って齎されるもの』なのです。
だから『獣性を優先とする方』は、
『生に執着して生き汚くなってしまう』のです。
『快楽の奴隷(依存)』なのだから・・・
『快楽が得られ無い』と『禁断症状』・・・
従って『あなたの判断』は『獣性優先』では無く
『神性優先』とするべきなのです。
『心あるあなた』に向けて、
僕の思う所を此処に一筆、乱文にて書き記します。
−−− −−−
ついでに『僕とあなた』は、
『お互いの神性』によって『お互い相手を守り支え合う事』により『お互いに安らぎを恵み与え合う』と言う事なのです。
『それが正しい判断』となってくるかと思います。
『心あるあなた』に向けて、
僕の思う所を此処に一筆、乱文にて書き記します。
−−− −−−
『神による真理(神の義)』が『人を自由にする』の
であって『人による理(人の義)』が『人を自由にする』
のではないのです。
何故なら『真理の下の人』であって『人の下の真理』では無いのだから。
・・・『一方的恩寵』なのだから。
・・・僕の思う所を一筆、此処に書き記します。
−−− −−−
『哲学は世界に恋をして、宗教は世界を愛する』
『それは"あなたへの恋"から始まります』
『それこそがただ一つの鍵』
『至高への扉を開けるただ一つの鍵』
『恋から始まり愛へと誘うただ一つの鍵』
ー『恋から愛へと』ー
・・・僕はそう思います。
『心あるあなた』に向けての
『一通の手紙』として一筆、此処に書き記します。
2022/05/15
written by stranger-criminal coin
−−− −−−
追記:
また『世界を呪う者』は、
『神を見失う事となり至高への扉は閉ざされます』
・・・僕の思う所として。
僕の思う所として一筆、此処に追記致します。
−−− −−−
誠に勝手ながら、
僕の思う所を一筆、此処に書きさせて頂きました。
・・・大変失礼致しましました。
−−− −−−
上記のレス内容の修正
誠に勝手ながら、
僕の思う所を一筆、此処に書きさせて頂きました。
↓
誠に勝手ながら、
僕の思う所を一筆、此処に書き記させて頂きました。
・・・締まらないです。
−−− −−−
『自らの内』に『善意が湧き起こらず』に
『善行を果たす』のは『偽善の行為』でしかない
のですよね。
それって『相手』からしたら『白々しいだけ』
なのですよね。
その『行い』は・・・
(『果たさないよりはマシ』なのですが・・・)
ただの『真似事』であって『パブロフの犬』となり
結果『マンネリズム』に陥ってしまうのですよね。
ー『真似事で"自己犠牲"は果たせますか』ー
『心あるあなた』に向けて、
思う所を乱文にて此処に一筆書き記します。
−−− 自己満足の投影も善意だとするなら
アドバイスしている側も果たして善行なのでしょうか
相手のことを思いやっているようで・・・それは実は・・・
言葉で他人を動かすのは時と場合によりますね −−−
御自分の足の裏に手を差し込み御自分を持ち上げよう
としても『決して持ち上げる事が出来無い』のです。
だから『全能』とは『自己による全ての出来る事』
なのです。
そして『全知』とは『全能の為の全ての知の事』
なのです。
『自己言及のパラドクス - 全能のパラドクス』に
ついて思う事です。
・・・僕の思う所を一筆、此処に書き記します。
−−− −−−
『自己改善(実現)』と言うのは、
『御自分で御自分を持ち上げる様な事を求める行為』
なのですよね。
だから『痛悔による悔い改め』とは『大切な事』
なのです。
(御自分を持ち上げてもらう(引き上げられる)ので)
・・・更に僕の思う所を一筆、此処に書き記します。
−−− −−−
『善意の行為』は『善意の助けによる行為』
なのですよね。
何故なら『善意』によって『行為が引き上げられる』のだから。
だから『善意無き行為』は『ただ虚しいだけ』なの
です。
『良心に従う事』は大切な事なのです。
『御自分』にとっても『相手方』にとっても。
・・・更に僕の思う所を一筆、此処に書き記します。
・・・乱文気味ですが。
−−− −−−
追記:
『神を持ち上げる事は出来無い』事を追記致します。
何故なら、
『全てのもの(存在)』は『神(存在者-絶対者)』の
下のものなのだから。
・・・僕の思う所として一筆、此処に追記致します。
−−− −−−
どれだけ御自分が他の誰かの真似をしても、
『御自分が他の誰かになる事は出来ない』のです。
何故なら『御自分を自ら持ち上げ他の誰かになる事』
となってしまうのだから。
だから『僕は僕』であり『あなたはあなた』なのです。
そして『存在する僕が僕である事を保証する方』は
『存在者(絶対者-創造主)である神』なのです。
『どんな僕であっても僕で居られる』のは
『神の保証によるもの』なのです。
また『僕は神の保証によって他の誰かになる事が
出来無い』のです。
『自己言及パラドクス(テトスへの手紙1:12)』より
思う事として。
『テセウスの船』より思う事として。
『本質-様態』より思う事として。
・・・僕の思う所を一筆、此処に書き記します。
・・・甚だ乱文気味ですが。
・・・眠いので。
−−− −−−
『僕』は、
『過去へ手紙を投函』して
『未来の変革を望む』のです。
『僕』は『自ら詩を"書き記せる"』のだから・・・
『僕』は『色々な詩を"書き記せる"』のだから・・・
・・・『祈りを捧げる』とは何でしょう。
・・・『祭壇に捧げる』とは何でしょう。
・・・乱文による独り言です。
・・・眠いです。
−−− 此処に書き記す一つの問い
(乱文・独り言・修正-再掲)
−−−
「瓦礫は未来に種を残さず、ただ風化していく」
「花は未来に種を残し、前より花々しくなる」
「光と熱と水は瓦礫を造らず花を育む」
今の人は、人々は、
「この地を不毛な砂漠にしていくのか?」
それとも、
「この地を緑溢れる野原にしていくのか?」
或いは、
「この地を人工芝で野原の様に見せかけるのか?」
きっと、
「答えは、後の世代が証明するのかもしれません」
・・・その時に知っていくのでしょう。
「その選択は正しかったのか、間違いだったのかを」
ー「あなたは未来の世代に何を残しますか?」ー
−−−
此処に書き記す一つの問い "未来に残すもの"
2021/03/19(2022/05/29 修正-再掲)
written by stranger-criminal coin −−−
『私』が『再び歌える様になった』のは、
『信仰によって山が動いた』からなのです。
それにより『星より雫る欠片』を集め『一編の詩』を織りその元に『再び僕は歌を奏でる事が出来る』
のだから・・・
『"あなた"に恋する想いから愛の歌へと』
『"死の谷(void)"を超えて"あなた"へと歌う』
『"あなた"へと向かう"愛の歌(love song)"』
ー『私はあなたを愛しています』ー
『祈りに於ける詠唱について僕が思う事』として
此処に一筆認(したた)めます。
−−− −−−
参考:ヨハネ21:16-17
16 またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、『わたしの羊を飼いなさい』。
17 イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、
『わたしの羊を養いなさい』。
参考マタイ6:6
あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
参考:マタイ17:20
するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。
参考:マタイ21:42
家を建てる者の『捨てた石』、これが『隅の親石』となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。
−−− 我が子よ。
詩篇119:1
私はあなたのことを全て知っています。
2
あなたが座るのも立つのも知っているし
3
あなたの道をことごとく知っています。
マタイ10-28から31
あなたの髪の毛も全部しています。
創世記1-217
あなたは私の中で行動き存在しています
使徒 17-28
あなたは私の子孫だからです 主の祈り
天におられる私たちの父よ、
御名があがめられますように。
御国が来ますように。
御心が行われますように。
天におけるように地の上にも。
わたしに必要な糧を今日与えてください。
わたしたちの負い目を赦してください。
わたしたちも自分の負い目を赦しましたように。
わたしたちに誘惑に遭わせず、
悪いものから救ってください。
御国と御力と栄光とは永遠にあなたのものです。
イエス・キリストの御名により、アーメン。 −−−
僕の今の一部の人々について思う所として、
『痛悔から逃れる』為に『快楽に逃げ(溺れ)た』為
いつまでたっても『十字架上の死を迎えられない』
ままでいるので『他者に対して残酷になれてしまう』のですよね。
『性善説を悪用』して『自己正当化(自己神格化)』
をしてしまうから・・・
僕の思う所を乱文ながら一筆此処に書き記します。
ーー
参考:コリント人への第一の手紙3:18-3:20
『だれも自分を欺いてはならない。』
もしあなたがたのうちに、自分がこの世の知者だと思う人がいるなら、『その人は知者になるために愚かになるがよい。』
なぜなら、この世の知恵は、神の前では愚かなものだからである。「神は、知者たちをその悪知恵によって捕える」と書いてあり、
更にまた、「主は、知者たちの論議のむなしいことをご存じである」と書いてある。
だから、だれも『人間を誇ってはいけない。』
すべては、『あなたがた』のものなのである。
参考:コリント人への第一の手紙4:6
兄弟たちよ。これらのことをわたし自身とアポロとに当てはめて言って聞かせたが、それはあなたがたが、わたしたちを例にとって、「しるされている定めを越えない」ことを学び、『ひとりの人をあがめ、ほかの人を見さげて高ぶることのないため』
である。
−−− −−−
追記:
『知識だけ』ではあまりにも『無力』であり、
『人の義』ではあまりにも『虚しい』のですよね。
『神の国(ekklēsia)による神の義の助け』による
ものでなければ・・・
僕の思う所を乱文ながら一筆此処に追記致します。
ーー
参考:マタイ6:33
まず『神の国と神の義』とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
−−− −−−
更に追記:
『未だ己の無力さ-愚かさに打ちひしがれていない』
のですよね。
『自尊心が高い(傲慢の)まま』なのだから・・・
『十字架上の死(心の割礼)を迎えていない』
のだから・・・
だから『他者に対して残酷になれる』のですよね。
『他者の尊厳を尊重する事が出来無い』のです
よね。
『言い訳をして痛悔から逃げた』のだから・・・
僕の思う所を乱文ながら一筆此処に追記致します。
−−− −−−
3つ目の星は欠けてゆき、
虚しき実りは鎌にて刈られ、
投げ入れられるは赤の池、
正義の鉄槌(裁き)下される。
・・・ただの独り言を一筆此処に記します。
−−− −−−
更に追記:
『御自分のされてきた事』に『恐怖した事が無い』
のですよね。
『自尊心の高さ』によって『陶酔感に浸っている』
のだから・・・
『悪酔い(夢)から醒めていない』のだから・・・
『言い訳で更に酔おうとする』のだから・・・
『己の残酷さから目を背けている』のだから・・・
『自己正当化によって自己神格化する』のだから。
ー『他人を傷つけ苦しめて楽しいですか?』ー
ー『屍の山を築くのは楽しいですか?』ー
ー『後に残るのは瓦礫だらけなのに』ー
ー『周りから人が居なくなり孤独となるのに』ー
・・・『悲しいですね』
・・・『この様な世界は』
僕の思う所を乱文ながら一筆此処に追記致します。
−−− −−−
更に追記:
『神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや』
(『Eli, Eli, Lema Sabachthani?』)
・・・『悲しく寂しいですね』
・・・『今のこの様な世界は』
僕の思う所を乱文ながら一筆此処に追記致します。
−−− −−−
『苦難に甘んじる事(不幸に甘んじる事)』は、
『hentaiを甘んじて受け入れる事の様なもの』
なのですよね。
『hentaiと同席(相席)』なのはどうかと・・・
『hentaiに押し倒される』のはどうかと・・・
『人生罰ゲーム』かと・・・
・・・『嫌』です、『NO』なのです。
・・・『嫌なものは嫌』なのです。
『hentaiと同化する』のは『嫌』なのです。
『hentai』は『力ずくで無理矢理に同化を求める』
から『嫌』なのです。
『残酷』なのだから『嫌』なのです。
・・・ただの独り言として一筆です。
−−− −−−
追記:
参考:マタイ6:13
わたしたちを『試みに会わせない』で、
『悪しき者からお救いください』。
−−− −−−
更に追記:
『hentai』は『一人で居る事が怖い』ので
『共犯者を求めてしまう』のですよね。
『騙して共犯者に仕立て上げる』のですよね。
『赤信号みんなで渡れば・・・』とか謳って。
・・・ただの独り言として乱文ながら追記です。
−−− −−−
何故『カイン』は『アベルを殺害』したのか?
何故なら『アダムとイヴ』が『楽園を追われた』から。
二人が『神(主-絶対者)』より『誘惑の蛇』を選んだ
ので『楽園を追放された』から。
だから『神(主-絶対者)』は『カイン』を二人のもと
に『先に使わし』て『後から来るアベルを殺害』
させ『アダムとイヴ』に『自らの過ちに気付かせた』のです。
『アベル』は『墜ちたアダムとエバ』を『継承してしまう』のだから。
『カインの妹でありアベルの妻であるルルワの為』
とはなっていないのだから。
『それ程までに神(主-絶対者)はルルワを愛されていた』のだから。
『神(主-絶対者)の嫉妬にして復讐』なのが
『カイン(daemon)』なのです。
(※『daemon』≠『demon』)
また『アベルの神聖化(baptisma)』は『セト』
なのです。
ちなみに『ヨブ記』に於ける『ヨブ』は『アベル』であり『サタン』は『カイン(daemon)』であるかと思われます。
僕の思う所を乱文ながら一筆此処にて書き記します。
ーー
参考:出エジプト記12:12
その夜わたしはエジプトの国を巡って、
エジプトの国におる人と獣との、
『すべてのういごを打ち、』
またエジプトの『すべての神々に審判を行う』
であろう。わたしは主である。
参考:マタイ21:42
家を建てる者の『捨てた石』、これが『隅の親石』となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。
−−− −−−
追記:
ー『悪に対する裏切り(反発-対立)は善である』ー
ー『批判(精査)無き許容(容認)は偽善である』ー
ー『見た目だけで判断するのは早計である』ー
僕の思う所を一筆此処に追記致します。
−−− −−−
更に追記:
『どれだけ見た目が良くて』も、
『hentaiはhentaiでしか無い』のです。
『hentai』は『論外』なのです。
僕の思う所を更に一筆此処に追記致します。
ーー
参考:マタイ23:27-31
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。
『あなたがたは白く塗った墓に似ている。』
『外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。』
このようにあなたがたも、
『外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。』
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。
『あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、』
『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。
このようにして、
『あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。』
−−− 若いうちに神を覚えてください。
この若いは、クリスチャンになって、心が燃えている間は、若いのです。
✝ 神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。(ヨハネ3:16) −−−
『まちこさん』へ
『イエス様のお名前に力がありますスレッド』を
『占有的に使ってしまって』誠に申し訳ありません。
このままこの様な僕が
『イエス様のお名前に力がありますスレッド』
にて書き記してもよろしいのでしょうか?
−−− −−−
『主より貸されし一本の剣(つるぎ)』
『銀の刃にて暗闇を切り裂きその身を守られ』
『純粋なる想い宿すその身は黄金に輝き』
『合わす白金の意思は剣(つるぎ)となり相手を貫く』
『主より貸されし一本の剣(つるぎ)』
『それは清浄なる霊の剣(つるぎ)』
『それこそが御言葉の剣(つるぎ)なのである』
ー『光あれ』ー
剣(つるぎ)について僕の思う所を
一筆此処に書き記します。
−−− >>49
おはようございます、コインさん。
出来るだけ、聖書に沿ってお話しをしてください。
御言葉は、聖霊によって書かれたものですので、御言葉をみなさんに伝えることにより、神様はどんなに喜ばれるか、それによってあなたを祝福するでしょう。 おはようございます。
✝ すべて主を待ち望む者よ、強くあれ、心を雄々しくせよ。
詩篇31:24 ✝草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉は/とこしえに変ることはない」。イザヤ40:8 以前、話していた少し知恵が遅れた男の子のことを覚えていますか?
子どもの頃からいじめられている子で、今まで仕事に行ってもいじめられたようで、話しを聞いてると、とても可哀想でした。
今、私たちの教会に来て、神様から訓練され、彼は少しずつ変わっています。
まず、当たり前のことをする訓練をさせられました。
教会には遅刻はしないこと。
聞く時は、集中して聞くこと。
お手伝いも言われたらすぐすること。
わずかな時間でしたが、驚くほどしっかりした大人となって来てます。
そして、今、言われたとおり聖書は毎日読み、それに信仰を使い始めました。
今、私たちが彼を見て学んだことは、素直な心が一番だということです。 −−−
『あなたは幸せで"なければならない"』
この一文は『あなたは不幸で"なければならない"』
と同じ様に『一種の呪いの言葉』となるのですよね。
『固定観念-義務感に取り憑かれる』のだから・・・
−−− −−−
上記のレスの内容修正
『固定観念-義務感に取り憑かれる』のだから・・・
↓
『固定(強迫)観念-義務感に取り憑かれる』
のだから・・・
−−− −−−
不用意に『イエス(はい)』と言ってしまうと
『固定(強迫)観念-義務感に取り憑かれ』てしまい
『返って幸せが遠のく』のですよね。
『幸せな時は幸せである』と言い、
『不幸な時は不幸である』と言うべきである。
『自分に嘘を付いても"amen(然り)"とはならない』
のだから・・・
ーー
参考:十戒より
『あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない』
−−− −−−
『雨が降り続いている時に虹なんて見られない』
のだから・・・
『雨が止んで日差しが出た時に初めて虹が見える』
のだから・・・
『雨が降り続いている時に虹を見たつもり』
則ち『不幸な時に幸せであると思い込んで』も
『返って虚しさが募ってきてしまい』代わりに
『固定(強迫)観念-義務感を受け入れてしまう』
のだから・・・
『自分に嘘を付いてしまい主から離れてしまう』
のだから・・・
ーー
参考:ルカ6:45-46
善人は良い心の倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。心からあふれ出ることを、口が語るものである。
わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。
−−− −−−
『本日僕には辛い事がありました』
『それは僕の事についてではありません』
『だけど僕の胸が悲しく痛くて苦しいのです』
『主よ・・・救いを・・・』
『僕の事などどうでもいいから』
−−− −−−
『キリスト教』に於ける『幸福感』は、
『御自分を英雄視する事(自己神格化)』による
『高揚-愉悦感ではない』のですよね。
そんなものは『一過性のものでしかない』
のに・・・
『すぐに醒めてしまう』のだから・・・
なのに『人は求めてしまう』のですよね。
『快楽を求めるから・・・』
−−− −−−
どれだけ『自らを飾り(カッコばかり)つけても』
『何も叶わずにただ虚しいだけ』なのですよね。
『虚栄心を満たしてもただ虚しいだけ』なのです
よね。
『虚しさを虚しいもので埋める』なんて・・・
『全くをもって意味を成していない』のですよね。
ー『ただ哀れすぎて悲しいだけ』ー
−−− −−−
ちなみに上記のレスNo.59の内容と
レスNo.55-58 60-61の内容は別件です。
−−− −−−
どれだけの『イエスマン』を揃えても、
どれだけの『綺麗賛辞』をならべても、
『決して"かけがえのなさ"に勝るものはない』
のです。
『数の理論』なんて『全くの無意味』なのです。
『もみ殻の山』なんて『全くの無意味』なのです。
『もみ殻』では『"想い"が詰まっていない』のだから。
『ただ、ただ虚しいだけ』なのだから。
『虚しく響くだけ』なのだから。
−−− −−−
『記憶と言う名のフォトアルバム』に『誰がいる』
のでしょうか?
『虚しい虚像しか写っていない』のではないの
でしょうか?
『かけがえのないもの』は『いない』のでしょうか?
−−− −−−
『心と言う名の聖書(写本)』は『何を告げる』
のでしょうか?
『何も記されていない』から『虚しい言葉だけ』
なのでしょうか?
『かけがえのないもの』を『告げ知らせない』
のでしょうか?
−−− −−−
『暴言気味』となってしまったので失礼致します。
−−− −−−
ルカ17:24-27
『いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るよう』に、『人の子もその日には同じようであるだろう』
しかし、『彼はまず多くの苦しみ』を受け、
また『この時代の人々に捨てられねばならない』
そして、ノアの時にあったように、
『"人の子の時"にも同様なことが起るであろう』
ノアが箱舟にはいる日まで、
『人々は食い、飲み、めとり、とつぎ』などしていたが、『そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした』
ーー
↓
『人の子』とは『男の子』の事であるかと思われます。
↓
ーー
ルカ17:25
しかし、『彼はまず多くの苦しみ』を受け、
また『この時代の人々に捨てられねばならない』
↓
マタイ21:42
『家を建てる者』の『捨てた石、これが隅の親石』
となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。
※『人の子』は『彼』または『隅の親石』として
『この時代の人々』は『家を建てる者』として
また『この時代の人々』または『家を建てる者』は
『十字架上の死を迎えていない状態を表すもの』
として
−−− −−−
上記のレスの補記:
『十字架上の死を迎えていない状態』
↓
『神性より獣性の方が優先される状態』
則ち『自由状態』では無く『放縦状態』である。
−−− −−−
思うに『キリスト教を否定する方』って、
『神が存在したら困るから否定しているだけの様』
なのですよね。
『御自分が神(支配者)になりたい』のですかね。
−−− −−−
『家を建て直した住人』は、
『古い家から出て』行き『新しい家に移り住む事』
となります。
『新しい家に移り住んだ住人』は『何もせず』にいると『経年劣化』により『古い家に出戻る事』となります。
それは『水が淀んでくるかの様』に・・・
『風通しが必要』なのである。
−−− −−−
どれだけの『言葉を知っていて』も
『血肉とならなければ』語る言葉は『ただの猿真似
(replica)でしかない』のです。
『付け焼き刃程度』でしかないのです。
−−− −−−
『SDGs』について思う事として、
『自然破壊』って『人の獣性』による『貪り』に
よるものであるかと思う。
『乱獲』や『過剰な伐採』などは『"節制"なき行為』であるかと思うのだから。
則ち『"理性のタガ"が外れた行為』なのですよね。
余談ですが『誹謗中傷』は『"理性のタガ"が外れた行為』であるのかと思うのですよね。
−−− −−−
どれだけ『知性』があったとしても、
『人の獣性』が『色々なものを失わせてしまう』
のですよね。
『"理性のタガ"が外れる事』によって・・・
例えば『戦争に於ける無闇な兵器の使用』などは
『かけがえのないもの』即ち『大切な方々と思い出、思い出の場所など』を『無慈悲に奪ってしまう』のですよね。
『戦争に於けるマウントの奪い合い』によって、
『欲望の赴くままに奪ってしまう』のですよね。
後に残るのは『虚しさ、悲しさ』だけ・・・
『やりきれない思いに苛まされる』だけ・・・
『高揚感で誤魔化す事』だけ・・・
−−− −−−
『心なき言葉(誹謗中傷)の銃乱射』であろうとも
『無慈悲に色々なものを奪い去っていく』のです
よね。
後に残るのは『虚しさ、悲しさ』だけ・・・
『やりきれない思いに苛まされる』だけ・・・
『高揚感で誤魔化す(言い訳する)事』だけ・・・
−−− −−−
どれだけ『そこが綺麗な環境(人々)』であっても
『そこに神の義(清浄な血)が巡る事』が無ければ、
『ただ、ただ虚しく悲しいばかり』なのです。
『作り物(張りぼて)の世界でしかない』のです。
『命溢れんばかりの輝ける世界ではない』のです。
−−− −−−
『三位一体』について思う事
唯一神(絶対者-知られざる神-主(の主)):
『聖霊』を基に、
『世界の基底』が『父(存在者)』
『存在者上の世界存在(有-無)に関わる部分』が
『子(ひとり子)』
※『ひとり子』とは『個を規定付ける保証者』
則ち『存在を創造する(裁く)者』なのです。
至聖三者(至高者-トリニティ-御使い):
『魂に於ける理性』が『父(男性性-cosmos)』
『魂に於ける情性』が『母(女性性-chaos)』
『魂に於ける自主(能動)的認知-思考判断-実行』
が『子(男の子)』
※『父(理性-kosmos)+母(情性-kosmos)』は
『御子』
※『Edenでの過ち』は、
『父と母から"利他愛"が失われた(死んだ)事』に
よる『獣性メイン(放縦-自己愛化)となる事』です。
則ち『御子を失う事(魂-神性の死)』なのです。
『示される林檎』は『中まで実が詰まっている』
のに対して『示される無花果(イチジク)の実』は
『中まで実が詰まっていない』事を示しますので
『実の詰まっている部分』は『御子を示します』
(『善悪の実』について)
僕の思う所を一筆此処に乱文にて書き記します。
−−−
2022/06/15
written by stranger-criminal coin −−−
癒しスレッドレスNo.771に於ける
『完全なる愛』について思う事
『利他愛』に於ける『男性性の愛+女性性の愛』
則ち『エロス(eros)』であるかと思われます。
(『真善美』より)
ちなみに『"+"は和解』であり『混在』ではありません。
僕の思う所を一筆此処にて書き記します。
−−− −−−
『悲しみを知らない方』が『悲しんでいる方』に
対して『慈悲(憐憫-情け)を掛けよう』としても
『傷口に塩を塗る事(余計な御世話)』でしかないのです。
『悲しんでいる方の心痛を察する事が出来ない』
ので『掛けるべき言葉が見つからない』のだから。
『独りよがりの善(独善)』でしかないのだから。
それくらいに『軽はずみで愚かな(罪な)行為』
なのだから。
『心中お察しします』とは何でしょうか?
ヨーロッパの諺
『地獄への道は善意で舗装されている』
−−− −−−
『悲しみを少しでも引き受ける事が出来る』のは、
『同じ様な"悲しみを受けた事がある者"だけ』です。
−−− −−−
『お金』で『物を買う事が出来る』けど
『かけがえのない方との"大切な思い出"』は
『お金』では『買う事は出来ない』のですよね。
『一人』で『高級なものを食して』も
『かけがえのない方』と『一緒に食するカップ麺』
には『決して敵わない』のですよね。
『どんなに良いもの』を『見せびらかして』も
『かけがえのなさのない方』のは『どうでもいい』
のですよね。
−−− −−−
『見せびらかして上から目線で語る方』って、
『他人を膝まつかせたい』のですよね。
『どうでもいい方』なのですよね。
『痛みを共有出来ない"無神経な方"』なので。
−−− −−−
『その様な方』って、
『色々な思い出を共有して大切に守ってくれない』
のですよね。
『いい思い出』も・・・
『悪い思い出』も・・・
『苦楽を共にしたかけがえのない思い出』を・・・
『ぞんざいな扱いしか出来ない』のだから・・・
『自己の都合の良さしか求めない』のだから・・・
ー『心のフォトアルバムに誰がいるのでしょうか』ー
−−− −−−
『相手方と向き合えない方』って『独りよがり』
なのですよね。
『一人きりでしかない』のですよね。
どれだけの『多くの人数集めて』も、
『皆一様に一人きりでしかない』のですよね。
だから『かけがえのない方(々)にはなり得ない』の
ですよね。
僕の勝手な想いを
暴言気味に此処にて一筆書き記します。
−−− −−−
『自己都合』にて『英雄に縋り一団となって』も
『その英雄がいなくなる』と『すぐに瓦解する』
のですよね。
もともと『自己都合による烏合の集でしかない』
のだから。
『縋る相手がいないので右往左往する』ので
『その代償は大きい』のだから。
−−− −−−
上記のレス内容修正
『縋る相手がいないので右往左往する』ので
『その代償は大きい』のだから。
↓
『縋る相手がいないので右往左往してしまう』為に
『その代償は大きいもの』となってしまうのです
よね。
−−− −−−
『自分が傷つく事』なんかよりも
『かけがえのない方を傷つけてしまう事』の方が
『何よりも怖い』のです。
・・・『悲しくなってくる』から。
・・・『自分が赦せなくなる』から。
・・・『笑ってもらいたい』から。
・・・『安らいでもらいたい』から。
−−− −−−
『自らが持ち得るものを何に使う』のでしょうか?
『御自分を英雄視してただ御自分を慰めたいだけ』
なのでしょうか?
・・・『ただ虚しいだけ』なのですよね。
・・・『ただの自己満足でしかない』のですよね。
・・・『独りよがりでしかない』のですよね。
・・・『一人ぼっちの寂しく虚しい世界』
−−− −−−
『神の義』は、
『恵むべき方』即ち『かけがえのない方』にこそ
『自ら持ち得るものを使って恵むべき』であるかと
僕はそう思います。
『ただ要求してただ貪って踏み躙るような方』には
『決して神の義を恵むべきではない』と僕はそう
思います。
『心を、想いを残酷に踏み躙るだけ』なのだから。
僕の勝手な想いを
暴言気味に此処にて一筆書き記します。
−−− −−−
『善悪の実』とは、
『食す前』は『林檎の様なもの(善状態)』であり、
『食した後』は『無花果の実の様なもの(悪状態)』
である。
『実に於ける果肉(『林檎-無花果』共通)』は
『肉(獣性)』である。
『林檎のみに詰まっている果肉部』は
『霊(神性)』である。
『Eden』に於いて『アダムとエバ』は
『霊(神性)と肉(獣性)の和解』に於ける『霊肉二元』
であったのだけど『誘惑の蛇(void)』による
『霊(神性)の消失(void化)』による『肉(獣性)のみ』の『肉(+void)一元』となったのである。
これが『アダムとエバの過ち』に於ける
『神の計画(予定論-開始)』なのである。
僕の思う所を一筆此処に乱文にて書き記します。
−−− −−−
上記のレス内容修正
これが『アダムとエバの過ち』に於ける
『神の計画(予定論-開始)』なのである。
↓
これが『アダムとエバの過ち』に於ける
『神の計画(予定説-開始)』なのである。
−−− −−−
『虚しさ』を『思い込みで埋めよう』としても
『思い込み自体』は『虚構のもの』なのだから
『決して埋まる事がない』のですよね。
『神の義』でなければ『埋まらない』のですよね。
『悪い夢(夢魔)は日差しと共に消えてゆく』のだから。
『悪い夢(夢魔)に溺れ(取り込まれ)ない限り』
−−− −−−
『八紘一宇の名を謀った"侵略戦争"』
『偽りの八紘一宇に心酔する"悪い夢"』
『悪い夢から覚めて今の時代に至った』
ーー
ヨハネ8:7-11
彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。『今後はもう罪を犯さないように』。
−−− −−−
癒しスレッドレスNo.905を拝読致しまして、
『人間は物語る猿である』
『人間』って『猿』なのかな?
『林檎は林檎』であって『無花果(イチジク)』
ではないのですよね。
『海賊版(replica)』とは?
『人間(human being)として生きる』
とは何でしょうか?
−−− −−−
『"人間"及び"自己(セルフ)"の存在意義』は
『十字架上の死(心-唇の割礼時)』に『気付かされる』のですよね。
『主(絶対者)がヴェールを纏った御子を遣わす事』
によって。
『御子が"答えそのもの"』なのだから。
僕の思う所を此処に一筆書き記します。
−−− −−−
『泣いている方や辛そうな方など』を見て
『慰めたくなってしまう』のは何故なのでしょうか?
『悪の行為』を見て『悪を追い払いたくなる』のは
何故なのでしょうか?
−−− −−−
宗教板避難所レスNo.859-860を拝読致しまして、
『買うもの』は『傷が付いているもの』を仕入れて
『売るもの』は『傷を修復して』売り捌く。
フロー:
A:『傷が付いているもの2の価値で買う』
↓
B:『1の価値を加えて傷を修復する』
↓
C:『3の価値(本来の価値)にして売り捌く』
そこで、Bに於ける『1の価値』とは何でしょうか?
そして『"痛悔"に於ける悔い改め』とは?
ーー
ルカ15:4-7
「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、
『いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。』
そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、
家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、
『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。
よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。
−−− −−−
余談として、
『誹謗中傷等』に於いて『理不尽に傷つけられた方』は『元の価値に戻るまで癒されるべき』なのです。
(『現状回帰』として)
−−− −−−
どれだけ『他人』に縋っても、
どれだけ『民族、国籍、組織などの肩書き』
に縋っても、
どれだけ『果たした事(実績)』に縋っても、
どれだけ『姿形、行動を真似た』としても、
どれだけ『思い込んだ』としても、
『主(絶対者-裁定者)の御前』に於いては、
『その人の"心の内"が問われる』のですよね。
『その人の"精神性"が問われる』のですよね。
『性善』なのか『性悪』なのか、
『聖』なのか『邪』なのかを・・・
−−− −−−
どれだけ『偽装して取り繕った』としても
『その人の"本心"』は『語られた言葉にて現れる』
ものなのですよね。
『どの様な思い』にて『語られたのか』を・・・
−−− −−−
あと『語った者の"性格"』も・・・
−−− −−−
『御自分の我儘な要求ばかり突き付ける方』って、
『信用ならない』のですよね。
何故なら、
その行為自体『"不義"の行為』なのだから。
−−− −−−
『誰かの為に心を痛める事』はあるのでしょうか?
『誰かの為に涙する事』はあるのでしょうか?
『自己中心な方』って『御自分の事ばかりしか関心
がない』ので『その様な事はない』のですよね。
だから『平気な顔をして心や想いなどを踏み躙る』
のですよね。
即ち『冷血で残酷な方』なのですよね。
『その様な方とは関わりたくない』のですよね。
−−− −−−
創世記2:7
主なる神は土のちりで人を造り、
命の息を『その鼻』に吹きいれられた。
そこで『人は生きた者』となった。
↓
『人の頭』に於いて『鼻』とは、
『空気を吸い込んで口から息を吐く為のもの』
なのですよね。
『口』を『男の子』とすると『鼻』は『生をうける部位』であり『命の息』とは『御子』なのである。
『澄んだ空気』を吸えば『口から吐く息は澄んで』ゆき、
『淀んだ空気』を吸えば『口から吐く息は硫黄の様』になる。
ちなみに『硫黄』は『腐食を齎らす』のですよね。
『甘い誘惑』は『自らを腐食してしまう』のですよね。
ー『都合のいい言葉には気を付けるべきである』ー
−−− −−−
『心の卑しい方』に限って、
『御託(言い訳)を並べてその気にさせようとする』
のですよね。
『心の卑しさ』を
『相手方に気取られないようにする為』に。
『潔さが無い』のですよね。
−−− −−−
『どれだけ何かを"見せびらかした"』としても、
『他人にとって』は、
『御自分に関係なければ"どうでもいい事"』
でしかないのですよね。
『羨ましがるどころか"呆れ返るだけ"でしかない』
のですよね。
『虚しいだけのただの"独りよがり"でしかない』
のだから。
『哀れなピエロ(痛い人)』でしかないのですよね。
−−− −−−
僕の思う所として、
『男性』が『無意味に女性をバッシング(見下す)』
するのって、
『男性側の"女々しさ(女性性)"からによるもの』
からなのですよね。
則ち『女性性に於ける"嫉妬心"』からなのですよね。
『見た目は男性、心は女性』なのですよね。
ーー
第二コリント4:18
わたしたちは、見えるものにではなく、
『見えないものに目を注ぐ。』
見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。
−−− −−−
上記のレスの補足として、
『心は女性』については『神殿娼婦』の事である。
『慎ましやかな(品のある)女性』ではなく、
『ドラの様に騒がしい(下品な)女性』の方である。
・・・僕の思う所として。
−−− −−−
上記のレスNo.106レスの内容修正
『男性側の"女々しさ(女性性)"からによるもの』
からなのですよね。
↓
『男性側の"女々しさ(女性性)"からによるもの』
だからなのですよね。
−−− −−−
宮崎駿監督作品
『千と千尋の神隠し』に於ける『カオナシ』は
『何をモチーフ』にして『作品に描き出した』
のでしょうか?
『フェイス(顔-カオ)』とは?
ふと僕の思った所を此処に一筆書き記します。
−−− −−−
ついでに『悪魔に魂を売る』とは何でしょうか?
・・・その行く着く先は?
ーー
エペソ6:10-13
最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。
悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。
わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。
それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。
−−− −−−
『〜をしなさいと指示する方』は、
『行って"もらう"』のだから『借りを作っている』
ので『対価の支払いを"果たすべき"』であるかと思います。
『借りに於ける逃げ得』はどうかと思うのです。
『対価の支払いが出来なさそう』であるのならば、
『指示者が"率先して行い果たすべき"』であるかと思います(『貸しを作る事』としてです)。
でなければ『誰も付いてこない』と思いますので。
『"説得力"が無くなってしまう』ので。
ー『人に言う前にまず御自分から』ー
・・・甚だ乱文にて一筆此処に書き記します。
ーー
ルカ16:8-11
ところが主人は、
『この不正な家令の利口なやり方をほめた。』
この世の子らはその時代に対しては、
『光の子らよりも"利口"である。』
またあなたがたに言うが、
『不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。』
そうすれば、『富が無くなった場合、あなたがたを"永遠のすまいに迎えてくれる"であろう。』
小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。
だから、もしあなたがたが『不正の富について忠実』でなかったら、だれが『真の富を"任せる"』だろうか。
−−− −−−
マタイ10:16-17
わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。
だから、『へびのように"賢く"、はとのように素直であれ。』
『人々に注意しなさい。』
彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、
『会堂で"むち打つ"であろう。』
−−− −−−
『口先だけの方』は『主(絶対者)への信仰が無い』
ので『非常に"説得力が無い"』のですよね。
『"神の義"が欠けてしまっている』のだから。
−−− −−−
『戦争放棄を要請する』のならば、
『率先して"平和を築く事"をすればいい』
と思います。
『戦争を行う事を要請する』のならば、
『率先して"戦地に向かい戦争をすればいい"』
と思います。
同様に『愛国心を要請する』のならば、
『率先して国の為に"粉骨砕身務めを果たすべき"』
であるかと思います。
ー『上から目線で"指示だけ"しないで』ー
ー『"説得力が無くなってしまう"のだから』ー
−−− −−−
僕は『戦争放棄を要請する』のだから、
『率先して平和へのレスを書き記しているつもり』
なのですよね。
(『些か表現は不十分』なのですけど・・・)
・・・『他の方』はどうなのでしょうか?
『率先して何かを果たしている』のでしょうか?
『口先だけでは無い』のですよね。
−−− −−−
ナポレオン・ボナパルト
「真に恐れるべきは有能な敵ではなく"無能な味方"である」
『もみ殻』を集めても『パン一つ焼けない』のですよね。
・・・『烏合の集』なのですよね。
・・・何となく一筆此処に書き記します。
ーー
詩篇 1:4-6
悪しき者はそうでない、
『風の吹き去る"もみがら"のようだ。』
それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。
−−− −−−
追記:
『有能な上司』は、
『無能な部下を"育てて"底上げを図る』
対して『無能な上司』は、
『無能な部下を"虐めて"更に底を下げる』
・・・何となく一筆此処に追記致します。
−−− −−−
更に追記:
『有能な上司』は、
『正しくて善いもの』を『自ら率先して吸収して』
『無能な部下に伝え育てて有能な部下に成長してもらう』かと思います。
対して『無能な上司』は、
『自らに都合の良いもの』を『受け売りで覚えて』
『無能な部下に丸投げをして無能な部下のままにしてしまう』かと思います。
・・・何となく一筆此処に更に追記致します。
ーー
マタイ10:42
わたしの弟子であるという名のゆえに、
『この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者』は、よく言っておくが、『決してその報いからもれることはない』
−−− −−−
更に追記:
『有能な上司』は、
『無能な部下の"自主的可能性を活かしつつ"育てる』
対して『無能な上司』は、
『無能な部下の"自主的可能性を潰して"より悪くする』
・・・何となく一筆此処に追記致します。
−−− −−−
『男性性(cosmos)』は『女性性(chaos)』の
『可能性(possibility)』を『最大限生(活)かす事』
を『意義(喜び)とするもの』であるかと思います。
『善き女性性の可能性を最大限生(活)かす事』を
『喜び-使命とする』のは『善き男性性』であり、
『悪しき女性性(神殿娼婦)の可能性を最大限生(活)か
す事』を『喜び-使命とする』のは『悪しき男性性』
となるかと思います。
『悪しき女性性(神殿娼婦)』は『善き女性性』を
『虐めて喜びを感じ得るもの』であるかと思います。
『善き女性性』を『voidに呑み込ませる為』に。
『嫉妬』によって・・・
何となく僕の思う所を
乱文ながらに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
追記:
『あなた』は『善き男性性』を有するのでしょうか?
それとも『悪しき男性性』を有するのでしょうか?
・・・追記として一筆此処に書き記します。
−−− −−−
更に追記:
『善きもの』の齎らすもの』は『安らぎ』であり、
『悪しきもの』の齎らすもの』は『愉悦-快楽』である。
ー『甘い言葉には気を付けるべきである』ー
・・・追記として更に一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『愚かな方』って、
『相手方の自主性を奪って"思い通りに出来る"』
と『考えてしまう』のですよね。
そして『思い通りにならない』と『力ずく(暴力)』
で『無理矢理に思い通りにしようとする』のです
よね。
それは『DVな方』のように『無理矢理』に・・・
『悪しき女性性(神殿娼婦)に魅了されている』
のだから・・・
ー『嫌なものは嫌なのです』ー
ー『呑み込まない(穢さない)で下さい』ー
『個人の尊重』とは何でしょうか?
−−− −−−
『DVやハラスメントなどの抑圧的暴力行為』は
『相手方の"自主的可能性"を潰えさせる』のですよね。
『相手方は"自主的に判断する権利"を持っている』
のに・・・
(『良俗の範疇内(善き男性性-保護)』に於いて)
『その権利を行使する事を"暴力的に阻害する"』
のですよね。
(『悪しき男性性-暴力』に於いて)
・・・『"虐め"を行う方』は。
僕の思う所を乱文ながら一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『十字架(主-絶対者-裁定者の御手)』とは、
『善きものに対しての守(護)り』であり、
『悪しきものに対しての"罰する(祓う為の)刑具"』
であるかと思います。
僕の思う所を乱文ながら一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『レッテルを貼る(誹謗中傷をする)方』って、
『御自分の身勝手な我儘を通す為に行われる』
のだから『"自己憐憫の為せる業"に依るもの』
なのですよね。
何故なら『身勝手な我儘を通す事』によって、
『御自分の憐れみを解消(自己実現)する』の
だから。
その様な方からは『離れるべきである』かと
僕はそう思います。
僕の思う所を乱文ながら一筆此処に書き記します。
−−− −−−
地上に於ける『結婚生活』に於いて、
『浮気などの"不貞"に走ってしまう』のは『実質的
に"結婚が成立していない"からである』かと思います。
『結婚自体』は『始めに主(絶対者)が執り行なう事』
であり『地上での挙式』は『その後にて執り行う事』
であるのだと思うのだから。
(『性愛(eros-platonic)』によるもの)
(『指輪の交換』はそれを示すもの)
だから『主(絶対者)の"結婚の執り行ない無き"』に
『地上での挙式を行って』も『主の"祝福無き"』
であるので『"破綻"したり"不貞"に走る』かと思います。
(『"偽装結婚"的』であるかと思いますので)
『出来ちゃった婚など』は如何なものかと思います。
僕の思う所を乱文ながら一筆此処に書き記します。
−−− −−−
追記:
『善き男性』と『善き女性』
則ち『貞淑な者同士』であると『祝福される』かと
思います。
どちらかが『悪しき男性』は『悪しき女性』
則ち『不貞な者』が割り込むと『破綻してしまう』
かと思います。
・・・『可能性』に於ける僕の思う所として。
・・・追記として更に一筆此処に書き記します。
−−− −−−
思うに、
『右翼』とか『左翼』とか言っている方って、
『保守』や『革新』とか『中道』とか『ノンポリ』
について『きちんと語れるのか』甚だ疑問に思います。
(『イデオロギー』について)
・・・ただの疑問です。
−−− −−−
マタイ7:15-21
『にせ預言者を警戒せよ。』
彼らは、『羊の衣を着てあなたがたのところに来る』が、『その内側は強欲なおおかみである。』
あなたがたは、
『その実によって彼らを見わける』であろう。
『茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか』。
そのように、
『すべて良い木は良い実を結び』、
『悪い木は悪い実を結ぶ』。
『良い木が悪い実をならせることはない』し、
『悪い木が良い実をならせることはできない』。
『良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる』。
このように、あなたがたは
『その実によって彼らを見わけるのである。』
わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、
『みな天国にはいるのではなく』、
ただ、『天にいますわが父の御旨を行う者だけ』が、はいるのである。
−−− −−−
よく『数字に踊らされる』といった言葉を聞くのですが果たしてどうなのでしょうか?
例えば、
『AとB結果として同じ数値となった』として、
『Aとなる"起因及び過程"』と『Bとなる"起因及び過程"』が『異なっている』ならばどうなのでしょうか?
『AとBは同じでものであると判断を致しますか?』
ふと思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『義憤に駆られて注意する』のはいいのですが、
あまりにもやり過ぎると『ただの憤怒による暴力』
に『変わってしまう』のですよね。
・・・『自分でも気が付かない内に』
『ミイラ取りがミイラになる』のですよね。
先程のレスに於ける
『AとBの起因及び過程が其々異なっている』
として『AがBに変わってしまう』かの様に。
『AとB、"見た目"は結果として"同じもの"』
なのに。
ー『見た目だけで判断するのは早計なのです』ー
ふと思う所を一筆此処に更に書き記します。
−−− −−−
ヨハネ8:7-11
彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、
『あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい』。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。
−−− −−−
思う所として『義憤に駆られた方』を『挑発』
すると『罪-憤怒が引き起こされ』て『結果的に
"自制が働かなくなり"自体の収集が付かなくなる』
のですよね。
・・・『炎上となる』のですよね。
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
上記のレス内容の修正
思う所として『義憤に駆られた方』を『挑発』
すると『罪-憤怒が引き起こされ』て『結果的に
"自制が働かなくなり"自体の収集が付かなくなる』
のですよね。
↓
思う所として『義憤に駆られた方』を『挑発』
すると『罪-傲慢により罪-憤怒が引き起こされ』て
『結果的に"自制が働かなくなり"自体の収集が付かなくなる』のですよね。
−−− −−−
空飛ぶ鳥を見て思う。
一生懸命羽ばたいて、
羽ばたき続けて疲れない?
力が尽きて落ちないか?
いつしか僕は願ってた、
羽ばたく鳥の苗木になろうと、
羽を休ます樹木になろうと。
いまはまだまだ小さな苗木、
枝も小さく乗る事出来ない。
けれどいつかは大きな木となり、
羽ばたく鳥を休ませる、
神さまどうかお願いします。
小さな苗木を育てて下さい。
羽ばたく鳥を休ませて下さい。
−−−
此処に書き綴るただ一つの願い詩 "苗木の詩"
2022/06/21
written by stranger-criminal coin −−−
上記のレスNo.125の内容に於ける一文、
(十字架について)
『善きものに対しての守(護)り』であり、
『悪しきものに対しての"罰する(祓う為の)刑具"』
に於いて『十字架は免罪符とはならない』のです。
『免罪符だと思っている』方がおられますので。
『キリスト者』は『特権階級となる訳ではない』
のですけど。
何故なら『どんなキリスト者』であっても、
『パンを万引きしたら"即座に窃盗犯"となる』
のだから。
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ヨーロッパの諺:
『地獄への道は善意で舗装されている』の
『意味』とは、
『自分が相手に対して善い事と思った行いは、
"必ずしも良い結果が齎らされるとは限らない"』
としての『警句』なのですよね。
・・・何と無く一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『鳥が空を飛べる』のは、
『主(絶対者)』より『空を飛ぶ事が許されている』
のだから。
そして『その証』は、
『空を飛ぶ為の"翼"が与えられている事』なのです。
同様に、
『人の子』が『相手方に想いを伝えられる』のは
『主(絶対者)』より『伝える事を許されている』
のだから。
そして『その証』は、
『"心-唇の割礼を受けた事"によるもの』なのです。
だから『口先だけの告白』は、
『心-唇の割礼によるものでは無い』ので『偽証』
となるのです。
・・・『白々しいだけ』なのです。
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
何故『あなた』は『平和を求め願う』のでしょうか?
『ただ生き長らえたいだけ』なのでしょうか?
『御自分の享楽に耽りたいから』なのでしょうか?
それとも、
・・・『他の理由によるもの』なのでしょうか?
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『御自分の胸に手を当ててよく思い返す必要がある』かと思います。
『後先考えずにものを語ってしまう』と、
ヨーロッパの諺:
『地獄への道は善意で舗装されている』
となってしまうので。
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
西田幾多郎氏『主客未分に於ける純粋経験』
について僕の思う事として、
『主体』を『神性(利他愛-善)』とし、
『客体』を『獣性(自己愛-悪)』を『前提』として、
『人が言葉(想い)を相手方に伝える過程』に於いて
『主体』は『客体』を通して『言葉(想い)を語り』
『言葉を受けた相手』は『相手の客体』を通して
『相手の主体』へと伝えます。
フローとして、
『自分主体』→『自分客体』→『言葉(想い)』→
→『相手客体』→『相手主体』
『客体-悪』が『対立(阻害)要因』となるので、
『相手方に言葉(想い)が十分に伝わらない』のです。
そこで『問題解決』の為に『客体を弾いた伝達』が
『主客未分に於ける純粋経験』であると思われます。
フローとして、
『自分主体』→『言葉(想い)』→『相手主体』
の『ダイレクト化』なのです。
早い話が『神性(善)同士のシンパシー』なのです。
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
追記:
上記のレスNo.128にて記した一文、
『善き男性』と『善き女性』
則ち『貞淑な者同士』であると『祝福される』かと
思います。
については『主客未分に於ける純粋経験』が、
『主(絶対者)による結婚祝福の証』であるかと
思います。
追記として乱文ながらに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
マタイ6:3-4
あなたは施しをする場合、
『右の手のしていることを左の手に知らせるな』。
それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
−−− −−−
ついでに、
『主客未分に於ける純粋経験』って、
『性愛(Eros-Platonic Love)』によるもの
なのですよね。
・・・『真善美』なのですよね。
・・・『想いの通じ合い』というのは。
ついでとして一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『幸せの価値』とは『測れるもの』
なのでしょうか?
『幸せの価値』とは『誰かと比べられるもの』
なのでしょうか?
『僕の幸せ』は『他人と比べて価値がないもの』
なのでしょうか?
『そんなに見窄らしいもの』なのでしょうか?
ー『僕にとってはこれ以上のものは無いのです』ー
ー『どうか奪わないで下さい』ー
ー『・・・どうか』ー
−−− −−−
『どれだけのお金を見せ付けられた』
としても、
『どれだけの美味しいものを見せ付けられた』
としても、
『どれだけの綺麗な服を見せ付けられた』
としても、
『どれだけの腕力を見せ付けられた』
としても、
『どれだけの知性を見せ付けられた』
としても、
『どれだけのものを見せ付けられた』としても・・・
ー『虚しさ溢れるものでしかないのです』ー
ー『僕にとっては無価値でしかないのです』ー
ー『"かけがえのないものでは無い"のだから』ー
−−− −−−
ー『ビー玉は宝石なんかよりも劣るのですか?』ー
−−− −−−
ー『胸が痛くてただ悲しいだけなのです』ー
−−− −−−
『何かを見せびらかす方』は、
『御自分の内にある"虚構"をただ告げ知らせるだけ』
でしかないのです。
ー『哀れなくらいにただ虚しく響くだけ』ー
−−− −−−
『善き(心ある)方』は
『相手方』の『外面(見かけ)では無く内面(良心)』
で判断するのですよね。
『惹かれる時は"内面(良心)"に惹かれる』のだから。
−−− −−−
『悪しき(虚構-心無き)方』は『御自分の心無さを
解消する為』に『嫉妬で他人の"良心を貪ろう"と
する』のですよね。
『吸血鬼(vampire)の様に』
『蝙蝠(こうもり)の様に誰かにぶらさがりながら』
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『善がある』また『悪がある』とは、
『善は善』であり『悪は悪』なのである。
『善』は『善の存在意義』の元にて『善』となり、
『悪』は『悪の存在意義』の元にて『悪』となる。
だからこそ『善も悪も"其々"にある』のであり、
『善も悪もない』のではないのです。
・・・甚だ乱文ですが一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『犯罪者(サイコパス)』は、
『御自分を善だと認識して犯罪を犯す』のです。
『自己愛を最善とするによる自己正義』によって。
『他人の良心を穢して』も『良心が無い』ので
『良心の呵責が無い(良心が痛まない)』のです。
甚だ乱文ですが
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『暗闇の中に光がある』からこそ
『光は"明るさ"と呼ばれる光の価値が生きてくる』
のです。
同様に『自己愛に満ちた悪の領域に善がある』からこそ『善は"利他愛"と呼ばれる善の価値が生きてくる』のです。
『この世と呼ばれる悪の領域(虚しき地-荒野)』
にて『果たされるべき善の役割-使命』とは?
・・・『この世と同化』致しますか?
・・・それとも『この世と対立』致しますか?
・・・『伝道』とは何でしょうか?
『大切な方から頂いたガラス玉(心ある言葉)』は
『虚しい方から頂いたどんな宝石(見た目の言葉)』
なんかよりも『遥かに高い価値がある』と僕はそう
思います。
何故なら、
『記憶という名のフォトアルバムの中で燦然光輝く』
のだから。
僕の思う所を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『生めよ増やせよ地に満ちよ』と人々は口にするの
でしょうけど、
『増えたのはもみ殻だけ』なのでしょうか?
『枯れ木も山の賑わい』なのかもしれないけど、
・・・『寒々しさが増えただけ』なのですよね。
・・・僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
コリント第一13:1
たといわたしが、
『人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、
"もし愛がなければ"、わたしは、やかましい鐘や
騒がしい鐃鉢と同じである』。
コリント第一13:6
不義を喜ばないで『真理を喜ぶ』。
−−− −−−
マタイ4:8-11
次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、『この世のすべての国々とその栄華とを見せて』
言った、
「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、
『これらのものを皆あなたにあげましょう』」。
するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。
そこで、悪魔はイエスを離れ去り、
そして、『御使たちがみもとにきて仕えた』。
−−− −−−
『0をどれだけ足しても0でしかない』のですよね。
『虚しいものをどれだけ積み重ねても虚しいだけ』
なのですよね。
・・・『バブル』とは何でしょうか?
ー『泡沫の夢は飛沫となって消えてゆく』ー
ー『何の記憶も残さずにただ静かに消えてゆく』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『相手方の弱みにつけ込むような方』って、
『物凄く嫌われる』のですよね。
『御自分が頭となり"手足となる方(奴隷)"を求める』のだから。
『その様な"兆候や片鱗"を見せた方を見かけた』
なら『距離を置くか逃げる』のが『懸命な判断』
なのですよね。
『骨の髄までしゃぶられるのがオチ』なのだから。
『反発をするとDV(暴力)をしてくるのがオチ』
なのだから。
僕の思う事を一筆乱文にて此処に書き記します。
−−− −−−
追記:
『性格』は『そう簡単には変わらない』のだから。
『"痛悔"による"十字架上の死"』に服さない限り
『"変わらない"』と思いますので。
追記として一筆此処に書き記します。
−−− −−−
更に追記:
普段から、
『自己愛による自己正義感に耽ってばかり』
いてしまうと・・・
追記として一筆更に思う所を此処に書き記します。
−−− −−−
更に追記:
『悪しき方と同じ舞台に立たないようにするべき』
なのですよね。
追記として一筆更に思う所を此処に書き記します。
−−− −−−
更に追記:
イギリスの第71代首相
マーガレット・サッチャー氏の言葉
『 "考えは言葉"となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、"人格は運命"となる』
『邪な考え(悪魔の囁き)には注意するべきである』
『内省によって』
『悪しき方と同じ舞台に立ってしまうのだから』
『悪しき方と同じ道を歩んでしまうのだから』
追記として一筆更に思う所を此処に書き記します。
−−− −−−
詩篇1:1-6
『悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人』は『さいわい』である。
このような人は
『主のおきてをよろこび』、
『昼も夜もそのおきてを思う』。
このような人は
『流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える』。
『悪しき者はそうでない』、
『風の吹き去るもみがらのようだ』。
それゆえ、
『悪しき者はさばきに耐えない』。
『罪びとは正しい者のつどいに立つことができない』。
『主は正しい者の道を知られる』。
しかし、『悪しき者の道は滅びる』。
−−− −−−
『国家だ、国家だ』と人々は口にするが、
そもそも
『国家というもの』は『一体何なのでしょうか?』
『答えられる方』って『居られるのでしょうか?』
・・・『甚だ疑問に思います』
ー『"訳も分からないもの"を愛せますか?』ー
ー『口先だけの"愛国心"となるのでは?』ー
ー『僕はそう思ってしまいます』ー
僕の疑問に思う所を一筆此処に書き記します。
ーー
サミュエル・ジョンソンの言葉
『愛国主義は不埒なやつらの最後の隠れ家だ』
『腐敗した社会には、多くの法律がある』
−−− −−−
マタイ15:14
彼らをそのままにしておけ。
『彼らは"盲人を手引きする盲人"である』。
『もし盲人が盲人を手引きするなら、
"ふたりとも穴に落ち込む"であろう』。
−−− −−−
『企業の価値を創出する』のは、
『ブルーカラー(労働者)の務め』なのですよね。
『ホワイトカラー(管理者)の務め』は、
『生み出された"価値"』を『最大限に"活かす"事』
なのですよね。
『ホワイトカラー(管理者)の方』が、
『ブルーカラー(労働者)の"生み出された価値"』を
『"ぞんざいに扱った"り"私的に貪る"』と・・・
『ブルーカラー(労働者)の"心証"』は・・・
『ブルーカラー(労働者)が"居なくなる"』と・・・
『ホワイトカラー(管理者)"だけ"』では・・・
『ブルーカラー(労働者)の"士気"』は、
『企業にとって何よりも"重要な要素"』であるかと
僕はそう思います。
『ホワイトカラー(管理者)』が、
『ブラックカラー(管理者)』となってしまい、
『ブラック企業とならないように』一筆です。
※『ブルーカラー(労働者)』は『善性の者』として。
僕の思う所を乱文ながら一筆此処に書き記します。
ーー
ルカ16:10-11
『小事に忠実な人は、大事にも忠実である』。
そして『小事に不忠実な人は大事にも不忠実である』。
だから、もしあなたがたが『不正の富について忠実』でなかったら、だれが『真の富を"任せる"』だろうか。
−−− −−−
追記:
『ブルーカラー(労働者)』を『良心』とし、
『ホワイトカラー(管理者)』を『良識-あなた』とし、
『企業の価値を創出する事』を『良心の働き』とし、
そして、
『生み出された"価値"』を『最大限に"活かす"事』
を『相手方に想いを伝える(祈る)事』とすると・・・
僕の思う所を一筆此処に追記致します。
−−− −−−
ついでに、
『企業』を『あなたの体』とすると、
『栄光の体』とは何でしょうか?
そして『楽園』とは何でしょうか?
僕の思う所をついでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
更についでに、
上記のレスNo.166の『国家』について、
『国民』を『良心』とし、
『政府』を『良識-あなた』とし、
『国家の価値創出』を『良心の働き』とし、
そして、
『生み出された"価値"』を『最大限に"活かす"事』
を『他国との外交』とすると・・・
更に『企業』を『国体』とすると、
『栄光の体』とは何でしょうか?
そして『国家』及び『楽園』とは何でしょうか?
ー『国民が疲弊すると国民の生み出す価値は?』ー
ー『相手国はどの様な印象を受けるのか?』ー
僕の思う所を更についでに一筆此処に書き記します。
−−
マタイ10:42
わたしの弟子であるという名のゆえに、
『この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者』は、よく言っておくが、『決してその報いからもれることはない』
ルカ16:8-11
ところが主人は、
『この不正な家令の利口なやり方をほめた』。
『この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である』。
またあなたがたに言うが、
『不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい』。
そうすれば、『富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう』。
『小事に忠実な人は、大事にも忠実である』。
そして『小事に不忠実な人は大事にも不忠実である』。
だから、もしあなたがたが『不正の富について忠実』でなかったら、だれが『真の富を"任せる"』だろうか。
−−− −−−
『他者に対して"無意味にレッテルを貼る"方』って、
『"悪意に基づいた"行い』なので、
『他者から嫌われる』のは『"道理-当然"である』
のですよね。
・・・一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『DVなどの"家庭内虐待"を行なっている家庭』を
『周辺の良心-良識を持つ住民達』は『その家庭』
に対して『どんな印象を持ってしまう』のだろうか?
・・・一筆此処に書き記します。
−−− −−−
マタイ7:15-21
『にせ預言者を警戒せよ』。
彼らは、『羊の衣を着てあなたがたのところに来る』が、『その内側は強欲なおおかみである』。
あなたがたは、
『その実によって彼らを見わける』であろう。
『茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか』。
そのように、
『すべて良い木は良い実を結び』、
『悪い木は悪い実を結ぶ』。
『良い木が悪い実をならせることはない』し、
『悪い木が良い実をならせることはできない』。
『良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる』。
このように、あなたがたは
『その実によって彼らを見わけるのである。』
わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、
『みな天国にはいるのではなく』、
ただ、『天にいますわが父の御旨を行う者だけ』が、はいるのである。
−−− −−−
『国家』に於いて『国民』は『一人一人個性を有する』のだから『国民全体』は『女性性(chaos)』なのです。
また『一人一人は個性を有する』のだから『対立による個性間の不協和』に基づいて『可能性-多様性への種(seed of possibility)を生み出すもの』となるのです。
『議論』に於いて『各論の突き合わせ』による
『更により良い論を生み出される』かの様に。
『政府』は『可能性-多様性への種(seed of possibility)』を『最大限に活かす』ので『男性性
(cosmos)』となります。
『善き男性』は『善き女性を守(護)り活かす事を
喜び-使命』であるかと思います。
でなければ『ただの女性に対する"DV"でしかない』
のだから。
『次世代の為の種(希望-hope)が潰えてしまう』のだから。
もし『女性性』である『国民一人一人、国民全体』
が『男性によるDVにより摩耗し疲弊した』のならば
一体どうなってしまうのでしょうか?
『国家と言う名の"方舟"』は『国民を何処に誘う』
のでしょうか?
『約束の地(promised land)』なら良いのですが。
僕の思う所を
甚だ乱文ながら一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『善き論者同士の対立』は『可能-多様性』に基づいて『更に良い論が生み出される』のですよね。
(『愛の結晶』が生み出されるのです)
『悪しき論者同士の対立』は『逆の可能-多様性』に基づいて『良い論への可能性を潰えさせる』のですよね。
(『不義の子』が生み出されるのです)
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
ーー
イザヤ54:1
「子を産まなかったうまずめよ、歌え。産みの苦しみをしなかった者よ、声を放って歌いよばわれ。夫のない者の子は、とついだ者の子よりも多い」と主は言われる。
−−− −−−
『キリスト教』は『神』を求め『人間について』を
『神に問いながら"人間として生きてゆく"教え』であるかと思います。
だから『猿でも出来る事』を『どれだけ問うても』
『甚だ"ナンセンスなもの"でしかない』のですよね。
『性愛(eros)』についてでも、
『肉体的性行為メイン』なら『猿でも出来る事』なので『その理解は甚だナンセンスでしかない』のです。
だから『求める回答』としては、
『人間ならではのもの(platonic)を理解するべき』
なのです。
昨今『キリスト教を批判する方』って、
『人間ならでは』ではなく『猿ならでは』を
『ひたすら擦り込もうとしている様』に見受けられます。
『人間と猿を巧妙にすり替え』て・・・
※『猿=獣性(自己愛)』として。
僕の思う所を
甚だ乱文ながら一筆此処に書き記します。
−−− −−−
追記:
ー『猿山に"文化"はありますか?』ー
ー『野蛮なしきたりはあるのでしょうけど』ー
ー『"慈しみや憐れみの文化"はありますか?』ー
ー『血湧き肉躍るものはあるのでしょうけど』ー
『国家』とは『人間の社会』なのでしょうか?
それとも『猿達の猿山』なのでしょうか?
僕の思う所を
甚だ乱文ながら一筆此処に追記致します。
−−− −−−
ついでに、
『キリスト教の教え』に於ける『異邦人』とは、
・・・『野蛮人の事』であるかと思いましたけど。
そして『異端の教え』とは、
・・・『野蛮人の為の教え』であるかと。
僕の思う所をついでに一筆此処に書き記します。
ーー
ちなみに僕個人が名乗る為に使っている『異邦人
(stranger)』は『何処の所属にも属さない"外国人
の意味"』として使用している事を記しておきます。
−−− −−−
『猿』は『猿の運命(さだめ)-意義』を持ち、
『人間』は『人間の運命(さだめ)-意義』を持つ。
『あなた』は、
『ただ物語る猿となる事』を願い求めますか?
それとも、
『大切な方達へ歌を捧げられる人間となる事』
を願い求めますか?
ー 愛しさに 溢れる想い 胸に秘め
歌を歌いて あなたへ伝え ー
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『堕落』って『人間から猿となる事(愛-精神性)』
なのですよね。
それを『原罪(神から離れる)』であるかと思いま
したけど。
『愛を失う事』なのですよね。
『愛する喜びを忘れ去ってしまう事』なのですよね。
ー『猿の様に愉悦-快楽ばかり耽ってしまうから』ー
ー『人間を放棄してしまうから』ー
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『ナイト(騎士)』と『バーサーカー(ベルセルク
-狂戦士)』との『違い』は?
『武士』と『野武士』との『違い』は?
則ち『勇敢』と『蛮勇』との『違い』は?
・・・『騎士(武士)道精神』とは何でしょうか?
・・・『聖母の騎士』とは?
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『チンパンジー』が適当にタイプライターを打っても『シェイスクピアの様な"作品(art)"』ではなく
『ただの"文字記号の羅列(string)"でしかない』のですよね。
そこには『シェイスクピアの様な"想い"が無い』
のだから。
『"適当に"タイプライターを打っている事』だけでしかないのだから。
則ち『愛の結晶』ではなく『不義の子』でしかないのだから。
『もみ殻(無花果-イチジク)でしかない』のだから。
・・・『野蛮人(野獣-猿)』って。
ちなみに『不義の子』を『撒き散らす』事って、
『"虚しいもの"を撒き散らす事だけ』なのですよね。
僕の思う所を乱文ながら一筆此処に書き記します。
−−− −−−
思うのですが、
『掲示板等にてネットリンチを行う方』って、
『新年会で"症状"を手渡す方』と『同じ様な精神性』
なのかなと思います。
『青森のパワハラ事件のニュース』を見ての感想。
・・・『世も末』かと。
−−− −−−
『DV(暴力-虐待)を行う方』って、
『理不尽』に『お前はダメだ』と
『無理矢理に"症状"を手渡してくる』のですよね。
『自己愛に於ける身勝手な自己正義』によって。
『青森のパワハラ事件のニュース』を見ての感想。
−−− −−−
続き、
『批判にならない批判』則ち『言いがかり』で、
『無理矢理に"症状"を手渡してくる』のですよね。
『青森のパワハラ事件のニュース』を見ての感想。
−−− −−−
更に続き、
『DV(暴力-虐待)を行う方』って、
『相手方がどう思うか』を『考える事が出来ない』
のですよね。
また『相手方の心の苦しみ』に『気付く事がない』
のですよね。
『自己愛』によって『自分の事しか関心がない』
のだから。
ーー
ローマ12:15-16
『喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい』。
『互に思うことをひとつにし』、『高ぶった思いをいだかず』、かえって低い者たちと交わるがよい。
『自分が知者だと思いあがってはならない』。
ーー
『自己愛による自尊心が高い(『傲慢』)』なので
『無理矢理に"症状"を手渡してくる』のですよね。
『青森のパワハラ事件のニュース』を見ての感想。
−−− −−−
更に、
僕の思う所として『社会風潮上』に於いて『謙虚
(美徳)』が『自虐(美徳でない)』に『すり替わった』
ので『自虐否定』により『社会から謙虚(美徳)が
失われた』為に『傲慢(悪徳)』が『社会風潮上に
溢れ返ってしまった』のですよね。
だから『この社会風潮に当てられた方』が
『この様な事件を社会上に引き起こしてしまった』
のですよね。
『残酷なまで』に・・・
『公序良俗が守られなくなってしまったから』・・・
『青森のパワハラ事件のニュース』を見ての感想。
−−− −−−
ついでに、
『社会風潮上』に於いて『自由』と『放縦』が
『すり替わっている』のですよね。
・・・『意味』として。
『青森のパワハラ事件のニュース』を見ての感想。
−−− −−−
イザヤ1:18
主は言われる、
『さあ、われわれは互に論じよう』。
『たといあなたがたの"罪は緋のよう"であっても、"雪のように白くなる"のだ』。
『"紅のように赤く"ても、"羊の毛"のようになるのだ』。
・・・『羊の毛のように』となれば良いけど。
・・・『主と論じられば』ですが。
『青森のパワハラ事件のニュース』を見ての感想。
−−− −−−
余談として、
『ヨブ記』に於ける『ヨブ』は『一体誰と"論じた"』
のでしょうか?
僕の思う所を余談として一筆此処に書き記します。
−−− −−−
更に続き、
『人が"人足るもの"を踏み躙る事』は、
『人の"尊厳"を踏み躙る事』なのですよね。
ちなみに『人』は『human(人)』では無くて、
『human being(人存在)』なのですよね。
『人権の保護』とは『"人足るもの"の保護の事』
なのですよね。
『野蛮人(異邦人)』って『人の尊厳』を
『"平気な顔"をして踏み躙る』のですよね。
『御自分の"愉悦-快楽しか関心がない"』のだから。
『他人の尊厳を踏み躙る事』で
『愉悦-快楽に"溺れ浸ってしまう"』のだから。
ー『人足るものが"消失している"のだから』ー
ー『"良心の呵責"が起こらないのだから』ー
『青森のパワハラ事件のニュース』を見ての感想。
−−− −−−
最近の『人権保護』は、
『人存在(human being)の保護』では無く
『人(human)の保護』を謳っているようなの
ですよね。
『人存在(human being)同士』ならば
『対立による衝突が無い(和解に至る)』のですが、
『人(human)同士』ならば、
『対立による衝突が引き伸ばされてしまう』の
ですよね。
『人(human)と人存在(human being)』ならば、
『人(human)によって人存在(human being)は
"淘汰されてしまう"』のですよね。
だから『人権保護』とは、
『"人足るもの"を持った人(human being)の保護』
なのですよね。
だから最近の『人権保護』は・・・
僕の思う所を
乱文ながらに一筆此処に書き記します。
ーー
エペソ6:10-13
最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。
悪魔の策略に対抗して立ちうるために、
『神の武具で身を固めなさい』。
わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、『もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである』。
それだから、
『悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい』。
−−− −−−
ついでに、
『人格』とは『人存在(human being』の事であり
『人足るもの-全きもの(御子)を持った人(human)』
の事なのですよね。
だから『人格否定』は『人権侵害』となるのですよね。
僕の思う所を
ついでに乱文ながらに一筆此処に書き記します。
−ー
コリント第一13:10
『全きもの』が来る時には、部分的なものはすたれる』。
マタイ5:48
それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも『完全な者』となりなさい。
−−− −−−
更についでに、
『悪しきもの』を『批判』しても、
『人権侵害』には『当たらない』と思うのですよね。
むしろ『保護してしまう』と、
『人間社会』が『猿達(獣性-自己愛者達)の猿山』
となってしまうのだから。
『人間社会』が『阿鼻叫喚の地獄絵図となってしまう』のだから。
・・・『青森の症状パワハラ事件の舞台』のように。
僕の思う所を
更についでに乱文ながらに一筆此処に書き記します。
−ーー −−−
更についでに、
『保護』と謳いながら、
『一体何を"保護"する』のでしょうか?
『獣性(自己愛)を保護』するのでしょうか?
それとも『神性(利他愛)を保護』するのでしょうか?
ー『"人足るもの"の保護とは何でしょうか?』ー
僕の思う所を
更についでに乱文ながらに一筆此処に書き記します。
・・・暑いです。
・・・頭がボーっと。
−ーー −−−
『構ってちゃん』に『こちらから反撃』したら、
『構ってちゃん』は『更にこちらに反撃してくる』
のですよね。
・・・『そして"ループ(循環)"するのですよね』
・・・『"炎上騒ぎ"となるのですよね』
・・・『収集つかなくなる』のですよね。
ー『構って(我儘を叶えて)もらいたいのだから』ー
ー『炎上騒ぎで"英雄気取りでいたい"のだから』ー
ー『構う(反撃)するだけ"時間のムダ"』ー
ー『嫌なら嫌と告げる(専守防衛)だけなのです』ー
何と無く思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ついでに、
『ネ○ト ス○ーカー(構ってちゃん)』って、
『非常にタチが悪い』のですよね。
『悪行の自覚が無い(自己正義の慣行である)』
のだから。
僕の思う所をついでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
更についでに、
・・・『自己正当化-誹謗中傷』をしてまで、
・・・『英雄気分に浸りたい』のでしょうか?
・・・『ただ"痛いだけ"』かと思うのですよね。
ー『"人間性が問われるだけ"なのですよね』ー
僕の思う所を更についでに一筆此処に書き記します。
・・・暑いです。
・・・頭がボーっとしてきます。
−−− −−−
僕の思う所として、
『キリスト教』って、
『感動物語ではない』のですよね。
『感動物語として教えを受けてしまう』と、
ー『中二病全開(自己英雄視-メシアニズム)』ー
となってしまうかと思う。
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『マフィアの仲間内』で『どれだけの賞賛を浴びて』も『一般界隈での"賞賛には繋がらない"』の
ですよね。
『"悪意の炎上騒ぎ"に参加』しても、
『"悪意を持つ者の一員"となってしまう』のだから『一般界隈での"賞賛には繋がらない"』のですよね。
ー『マフィアの"構成員"となってしまうのだから』ー
『善意(一般)』と『悪意(マフィア)』は、
『"決して繋がらない"(折り合わない)』のだから。
従って『マフィアからの賞賛を誇る方』って、
『一般からすると単なる"危ない方"でしかない』
のですよね。
所属しているのが『マフィア組織』だと気が付いたなら『直ちに"足を洗う(離れる)"べき』なのですよね。
・・・『手遅れとなる前』に。
・・・『取り返しがつかなくなる』のだから。
ー『あなたの手は"綺麗なまま"ですか?』ー
ー『"汚れた手"とはなっていませんか?』ー
僕の思う所を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『強姦など』によって『自ら望まない子』を
『産んでしまった方』は『御自分の子』に対して、
・・・『愛情を掛けて育てられる』のだろうか?
きっと『その方』が『御自分の子を見るたび』に
『過去の嫌な記憶がフラッシュバックとして蘇る』
のではないのでしょうか?
そして『御自分の子に対してネグレクトを行う』
のではないのでしょうか?
結果として『親子共々"不幸のどん底"に落ちてしまう』のではないのでしょうか?
『"無条件"の中絶反対を掲げる方』は、
『その辺りの"事情を察して"頂いている』のだろうか?
『察する事もなく考えにも至らない』のであれば、
・・・『物凄く"残酷かつ偽善"に見える』のですよね。
『"無条件"の中絶反対』を掲げる前に
『強姦などの"理不尽な暴力(性犯罪)"の撲滅』を
掲げる方が先なのではないかと思う。
『某国に於いての"中絶問題"』について僕の感想。
(『不義の子問題』について思う事として)
−−− −−−
ついでに、
『これから先に起こるかも知れない理不尽な暴力
(犯罪)を容認-保護する為の論』となっているのです
よね。
『理不尽な暴力(犯罪)』を『当然としてはいけない』のですよね。
ー『仕方ないと妥協してはいけないのですよね』ー
ー『妥協した時点で"敗者"となるのだから』ー
『某国に於いての"中絶問題"』について僕の感想。
(『不義の子などの問題』について思う事として)
ーー
エペソ6:10-13
最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、
強くなりなさい。
悪魔の策略に対抗して立ちうるために、
『神の武具で身を固めなさい』。
わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、
『もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである』。
それだから、
『悪しき日にあたって、"よく抵抗し"、完全に勝ち
抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけ
なさい』。
−−− −−−
ー『未来への"ツケ"は"残すべきではない"のです』ー
ー『悪しき慣習や悪しき論とか悪しき論法など』ー
ー『これからの人々に対して凄く迷惑なのだから』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ヘブル13:2
『旅人をもてなすことを忘れてはならない』。
このようにして、ある人々は、気づかないで御使たちをもてなした。
※『旅人=これからの人々』として。
−−− −−−
『専守防衛』を『非難する方』って、
『"攻撃"させろ‼』と『要求するようなもの』なの
ですよね。
『セキュリティの"無効化"を要求するようなもの』
なのだから。
『悪意のあるウィルスの"侵入を認める"』のですか?
それから『反撃』についてはどうなのでしょうか?
・・・『反撃』って『攻撃』なのですよね。
・・・『やり返す』のだから。
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ついでに、
『反撃』って、
『"悪意のあるウィルス"が送られてきたので
"ウィルスを送り返す様"な事』なのですよね。
そして更にまた、
『"悪意のあるウィルス"が送られてきて以下ループ』
となるのですよね。
・・・『"不毛なやり取り"でしかない』のですよね。
・・・『堂々巡りなので"時間のムダ"』ですよね。
僕の思う所をついでに一筆書き記します。
−−− −−−
『暴力的に攻撃する事に"愉悦-快楽"を見いだす方』
って『言わば血に飢えた獣(野蛮人)』なのですよね。
・・・『残酷で残忍な方』なのですよね。
ー『人は"血に飢えた獣(けだもの)"なのかな?』ー
僕の思う所を一筆此処に乱文にて書き記します。
−−− −−−
僕の思う所として、
『人は"罪の自覚"を持つ事が出来るもの』なのですよね。
だからこそ、
『"反省の元"に於いて"発展の礎"となる』のですよね。
対して、
『獣(野蛮人)は"罪の自覚"を投げ捨てるもの』なのですよね。
だからこそ、
『"反省が無い"ので"発展の仕様がない(頭打ち)"と
なる』のですよね。
僕の思う所を一筆此処に乱文にて書き記します。
ーー
トーマス・エジソン
『天才とは、1%のひらめきと99%の努力である』
『私たちの"最大の弱点は、諦めることにある"。
成功するのに最も確実な方法は、常にもう1回だけ試してみることだ』
ーー
ヨハネ8:7
彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。
−−− −−−
追記:
『罪の自覚(痛悔)を元にした悔い改め』って
『とても大切な事』なのですよね。
ただし『悔い改めを無理矢理に要請する方』には
『注意を払うべき』なのです。
『"悪に屈してしまう"かも知れない』のだから。
僕の思う所を一筆此処に乱文にて追記致します。
ーーー −−−
マタイ10:16
わたしがあなたがたをつかわすのは、
羊をおおかみの中に送るようなものである。だから
『へびのように賢く、はとのように素直であれ』。
−−− −−−
僕の思う所として、
『自尊心が高く(高慢-傲慢)"責任転嫁"する方』って
『自らの"失敗"』を『責任転嫁で"誤魔化す"』から
『失敗を"生かせない"』ので『すぐに"頭打ち"』と
なるのですよね。
『責任転嫁をする程に"勝手に自己完結"してしまう』のだから。
『何も"学習をしていない"』のですよね。
だから『"メンツばかり"に拘る方』に対しては
『全く"期待をかける事が出来ない"』のですよね。
『その様な方』って『短絡的で"深みが無い"』の
だから。
だから『相手に"したくない"』のです。
『単に"薄っぺらい"だけ』なのだから。
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ついでに、
『その様な方』って『すぐに"逆ギレ"する』のです
よね。
だから『相手にしたくない』のですよね。
僕の思う所をついでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
更についでに、
『失敗をなかった事にする』と『失敗を生かせない』のですよね。
『敗戦と言う"失敗"があった』からこそ
『失敗を生かして"復興を果たし成長した"』のです
よね。
(『平和を尊ぶからこそ』ですよね)
『"敗戦をなかった事"にする』と・・・
・・・『退行化となる』のでしょうか?
僕の思う事を更についでに一筆此処に書き記します。
・・・暑い、暑いです。
−−− −−−
『夫の務め』さえ『満足に果たしていない』のに
『妻が悪いと"一方的かつ理不尽に責める男性"』
っているのですよね。
(俗に言う『DV夫(男)』)
『近頃の一部の世の男性』は『何か勘違いをした』
かの様に『"自己神格化"としての"絶対善を謳う"』
のですよね。
『神は神、人は人』であり『人は"絶対ではない"』
ので『人の男性は"絶対ではない"』のです。
だから、
『"女性を玩具とする"為の"詭弁"』なのですよね。
『この様な"痛々しく勘違い"な男性』には
『細心の"注意を払うべき"』なのです。
『人生罰ゲーム』となってしまうのだから。
『"結婚"というものが"分かってい無い"』のですよね。
『結婚は"女性蔑視の元のものでは無い"』のだから。
僕の思う所を何となく一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ついでに、
『その様な"女性蔑視"な男性』って、
『妻を"幸せにする事が出来(叶わ)ない"』ので、
『妻に"幸せだと思い込ませようとしている"』
だけなのですよね。
ー『実質的に"妻を愛せない"のだから』ー
ー『繰り返し"思い込ませよう"と』ー
ー『"DVなど"を繰り返して』ー
僕の思う所を
何となくついでに一筆此処に書き記します。
ーー
箴言26:11
犬が帰って来てその吐いた物を食べるように、
『愚かな者はその愚かさをくり返す』。
−−− −−−
思う所として『身体を重ねる行為』とは、
『身体(言葉)』を通じて、
『御互いの"相手への想い"を交わし合う事(対話)』
に於ける『心の"結び付き"(御二方の和解)』による
『祝福の喜び(ecstasy-安らぎ)の神聖行為』なの
ですよね。
そして『御二方には"愛の結晶"が授けられる』の
ですよね。
決して『御互いの身体を"ただ貪り合う事だけ"』の
『独りよがりの"興奮-快楽行為"ではない』のです
よね。
『御二方に"不義の子"が出来てしまう』のですよね。
ー『"身体目当ての方"には細心の注意を払うべき』ー
ー『貪られるのがオチなのだから』ー
僕の思う所を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ー 巡り会い(愛) 二人の想い 交わし合い(愛)
身体重ねて 恋心(こころ)結ばれ ー
−−− −−−
ー 送られし 貴女(きみ)の恋歌(こいうた) 抱きしめて
僕の恋歌(こいうた) 貴女(きみ)に歌いて ー
−−− −−−
『身体を重ねる行為』に於いて、
『"方法が目的"となる論』は
『本末転倒』でしかないのですよね。
『御二方の"想いを伝え合う"行為』は
『"幾多にも及ぶ方法"がある』のだから。
『方法が目的となる論を"盲目"的に信じてしまう』と
『想いを伝え合う行為は"身体を重ねる行為だけ"』
だと『"錯覚"してしまう』のですよね。
ー『"プラトニック ラブ"とは何でしょうか?』ー
僕の思う事を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ついでに、
『"hentaiの身勝手な論"には細心の注意を払うべき』
なのです。
『あなたの掛け替えの無い大切なものを守るべき』
なのです。
『"虚しいもの"を地に"増やすべきでは無い"』
のです。
僕の思う事を
ついでに乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『昨今の論』について思う所として、
『"life(生命)"を謳う論ばかり』で、
『"live(生きる-営み)を謳う論が無い』
のですよね。
だから『論を盲目的に受けた方々』って、
『live(生きる-営み)がおざなりとなって』しまい、
『"いい加減(不誠実)"なlive(生きる-営み)』となって
しまうのですよね。
ー『真剣さが無い(無責任な)のですよね』ー
ー『"虚しさ溢れる世界"でしかないのですよね』ー
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
※『"live(生きる-営み)』については、
『スタイル(様態)』では無く『そのもの(本質)』
のものとしてです。
−−− −−−
『掛け替えが無く大切なもの』って、
『"当たり前-さも当然"であると感じてしまう』と
『"掛け替え無さ"が全く見えなくなる』のですよね。
例えば『平和』とか『愛』とか、
『愛おしく掛け替えの無い大切な方』とか・・・
だから『見えなくなる』と『ぞんざいな扱い』と
なってしまうのですよね。
そして『"虚しくつまらない"ものに"傾倒"する』の
ですよね。
(『"不貞"を働いてしまう』のですよね)
『知らぬ間に"失って(手放して)しまう"』のですよね『掛け替えが無く大切なもの』を・・・
『悪魔に魂を売ってしまい穢れてしまう』から・・・
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ15:2
あなたの弟子たちは、
なぜ『昔の人々の言伝え』を破るのですか。
彼らは食事の時に手を洗っていません。
マタイ15:7-9
偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、こういう適切な預言をしている。
この民は、『"口さき"ではわたしを敬う』が、
『"その心"はわたしから遠く離れている』。
『人間のいましめ』を教として教え、
『無意味』にわたしを拝んでいる。
−−− −−−
追記:
『ヨブ記』に於ける『ヨブ』は、
『"ルーチンワーク"の様な(虚しい)信仰』だった
のではないのでしょうか。
だから『主(絶対者)』は『ヨブ』に対して・・・
僕の思う事を一筆此処に追記致します。
−−− −−−
更に追記:
『昨今の人々』は『生きる事(live)自体』を
『"当たり前-さも当然"であると感じてしまっている』
のですよね。
だから『軽薄な生き方でしかない』のですよね。
それ故に『短絡的な考えでしかない』のですよね。
僕の思う事を更に一筆此処に追記致します。
−−− −−−
癒しスレッドレスNo.698等を拝読致しまして、
まるで『DVストーカーが僕の事を嫌わないで‼』
と『言っているかの様』ですよね。
『嫌われるには"嫌われるなりの理由"がある』
のに・・・
(それを指して『サタンと告げている』のかと)
ー『自己神格化(中二病)ってタチが悪いのです』ー
ー『御自分の"落ち度を全く見直さない"のだから』ー
ー『物凄く都合の良い論(詭弁)で誤魔化すから』ー
ー『あなたは"誰かにとっての神では無い"から』ー
『どれだけ"言い訳を重ねて"』も
『"振られた事実"を"覆す事は出来ない"』のです。
『吐いた唾は飲めない』のです。
ー『"痛悔による悔い改め"による赦しがない限り』ー
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ついでに、
ちなみに『御霊』は『主(絶対者)では無い』のです。
何故なら『分かれてしまう』ので『唯一では無い』
のだから。
僕の思う所をついでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
どれだけ『御自分の事を神だと名乗って』も
あなたは『僕を救える』のでしょうか?
『救えない』のなら『僕にとっての神ではない』
のです。
ー『"どうでもいいもの"でしかないのです』ー
ちなみに『"陶酔"は救いでは無い』のです。
『自らの足で立ち上がり"歩く事が出来無くなる"』のだから。
『"単なる堕落"でしかない』のだから。
『"自らの可能性"が損なわれてしまう』のだから。
『生きる事(live)を失って、"死んでしまう(dead)"』
のだから。
『"自分で自分の首を絞める事"になってしまう』
のだから。
ー『だから"どうでもいいもの"なのです』ー
ー『"モノトーンの世界しか"恵まれないのだから』ー
ー『"自由とは何か"御存知なのでしょうか?』ー
僕の思う事を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
僕の思う所として、
『人々が歴史を紡ぎ出す』のならば
『"歴史に傾倒"する事自体』は、
ー『"人が造った神を崇める"様なもの』ー
でしか無いのですよね。
ー『一種の"偶像崇拝"でしかないのですよね』ー
僕の思う所を一筆乱文にて此処に書き記します。
・・・暑いです。
ーー
マタイ15:7-9
偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、こういう適切な預言をしている。
この民は、『"口さき"ではわたしを敬う』が、
『"その心"はわたしから遠く離れている』。
『人間のいましめ』を教として教え、
『無意味』にわたしを拝んでいる。
−−− −−−
どうして『残酷』なのだろうか?
・・・どうして、どうして・・・
どうして『大切なものを奪う』のだろうか?
・・・どうして・・・奪うのか?
−−− −−−
『生まれた事に"意味が無い"』のか?
『生きて来た事は"全て無意味"』なのか?
なら何故『この世に生まれる必要があった』のか?
『嬉しかったりした"色々な思い出"』などは、
『全て"無意味で無駄なもの"だった』のか?
今までに『紡がれた"思い出"』は、
『何一つ"無いものとして処理する"もの』なのか?
『違う、違うんだ、そんな事は無い‼』
ー『生まれて生きて来た事を"呪うな‼"』ー
ー『生まれて生きて来た事は"無駄では無い‼"』ー
ー『だからこそ、全ての"命-生命"に"福音"を』ー
ー『だからこそ、全ての"命-生命"に"安らぎ"を』ー
−−− −−−
『僕の掛け替えが無く大切な方にどうか"奇跡"を』
ー『"命-生命の奇跡"を』ー
・・・どうか、どうか。
−−− −−−
『僕の我儘だと言う事は分かっている‼』
それでも、どうか、
『たった一つの"奇跡"』を・・・
ー『僕の胸が痛くてとても悲しいです』ー
−−− −−−
ー『全てを"偽り"としないで下さい』ー
ー『これからの"真実"を恵んで下さい』ー
ー『これからも"確かに在る"として下さい』ー
だから、だから、
『僕の掛け替えが無く大切な方にどうか"奇跡"を』
ー『"命-生命の奇跡"を』ー
・・・どうか、どうか。
−−− −−−
『もっと、もっと"話しをさせて"下さい』
『もっと、もっと"話したい"です』
・・・だから、どうか『僕の大切な方に"奇跡"』を。
・・・『奇跡を恵み与えて』下さい。
−−− −−−
『僕はあまりにも"無力"』なのだから。
・・・どうか、どうか『ただ一つの"奇跡"』を。
−−− −−−
『歴史』に縋ろうが、
『国家』に縋ろうが、
『ブランド』に縋ろうが、
『肩書き』に縋ろうが、
そんなもの『僕にとって何の価値がある』のか?
『数多くのもの』があっても、
『僕にとって一体何の価値がある』のか?
そんなもの『僕にとって"どうでもいい‼"』
−−− −−−
『虚しいもの』に縋っても、
『何も満たされる事などない‼』
『自尊心を満たす事』なんて『どうでもいい‼』
そんな事なんて『ただ、ただ虚しいだけなんだ‼』
『下らなくて馬鹿馬鹿しいだけなんだ‼』
『掛け替えの無い方』と『その思い出』に
『勝るものなどない‼』
だから、
どうか、どうか『奇跡を恵み与えて下さい』
『僕の事なんてどうでもいいのです』
−−− −−−
『どれだけの"理屈を持っていた"』としても、
『どれ程の喜びがあると言うのか‼』
『どれ程の"賞賛を浴びた"』としても、
『どれ程の嬉しさがあると言うのか‼』
『大層な"綺麗賛辞"を告げられた』としても、
『どれ程に満たされると言うのか‼』
『"虚しい方から"のもの』なんて、
『一体どれ程の"価値"なんてあるのか‼』
僕はただ『掛け替えの無く大切な方』に
『ただ"素直に喜んで欲しかった"だけなんだ‼』
それに比べたら、
『全て"霞む程の価値"でしかないんだ‼』
『それ以上の価値なんてあるのか‼』
ただ、ただ『"虚しいもの"でしかないんだ‼』
だから、どうか、
どうか、どうか『奇跡を恵み与えて下さい』
−−− −−−
街の至る所で、
『思い出ばかりが目に浮かんでしまう』のです。
目につく度に、
『僕の胸が締め付けられ、ただ悲しくなるばかり』
なのです。
だから、どうか、
どうか、どうか『奇跡を恵み与えて下さい』
−−− −−−
『生きている事』に『意味が無い』なら、
『既に死んだ(dead)人間』でしか無い。
『あなた』は『何故生き(live)ている』のか?
『あなたの人生に"意味はあった"』のか?
『あなたのこれからの人生に"意味はある"』のか?
『低俗な者』である程、
『あなたに"生きている意味が無い"と刷り込ませる』のです。
『御自分に"生きる意味が見いだせない"』ので、
『"嫉妬に駆られ"て刷り込ませる』のです。
『あまりにも"低俗"』なので。
『その様な者』と『同じ様になるべきではない』
のです。
『その様な者』は、
『"生きている"のではなく"生かされている"だけ』
なのだから。
『生かされている』から
『"ぶら下がるだけ"の"虚しい生き方"でしかない』
のだから。
『"死者が彷徨う"かの様にしかならない』のだから。
『"生きる意味を持つ者"こそが"自ら生きていく"』
のだから。
・・・僕の思う事を甚だ乱文にて一筆です。
−−− −−−
追記:
『ただ何かにぶら下がっているだけの方』って、
『何も"恵むものが無い"からぶら下がっているだけ』
なのですよね。
・・・僕の思う事を甚だ乱文にて一筆追記です。
−−− −−−
更に追記:
『何も"恵むものが無い"』から、
『他人の論を猿真似で"語った気になっている"だけ』
なのですよね。
僕の思う事を甚だ乱文にて一筆更に追記です。
−−− −−−
マタイ15:1-6
ときに、パリサイ人と律法学者たちとが、
エルサレムからイエスのもとにきて言った、
あなたの弟子たちは、
なぜ『昔の人々の言伝え』を破るのですか。
彼らは食事の時に手を洗っていません。
イエスは答えて言われた、
『なぜ、あなたがたも自分たちの言伝えによって、神のいましめを破っているのか』。
神は言われた、『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は、必ず死に定められる』と。
それだのに、あなたがたは『だれでも父または母にむかって、あなたにさしあげるはずのこのものは供え物です、と言えば、
父または母を敬わなくてもよろしい』と言っている。
『こうしてあなたがたは自分たちの言伝えによって、神の言を無にしている』。
−−
↓
『文面の猿真似でしか無かっただけ』だから、
『趣旨が違う事に対する批判を行った事について』
なのですよね。
僕の思う事を甚だ乱文にて一筆更に追記です。
−−− −−−
ついでに私的に思う所として、
『マタイ15:1-6』は『告解-悔い改め(形而上-下)』
に対して『猿真似の告解-悔い改め(形而下のみ)』
だった事への批判なのですよね。
僕の思う事をついでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
僕の思う所として、
『祈りなど』は『そうせずはにいられない時』に
『そうするもの』であって『その時でない時』に
『そうして』も『"ただ虚しいもの"でしかない』の
ですよね。
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−
伝導の書3:7-8
裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。
−−− −−−
何故『心と言うもの』があるのだろう・・・
確かに『心』があるから『嬉しくもなる』けど、
『心』があるから『悲しくもなる』のです。
『楽しかった日々の思い出』は、
『日々心を悲しみに染め上げ続けている』のです。
今は『心が軋む』のです。
『悲しさに悲鳴を上げ泣き続けている』のです。
『思い出がふと鮮明に蘇り僕を苛み続ける』のです。
・・・『僕に訴え続けている』のです。
・・・『とても悲しい』と。
・・・僕は『心を持つ資格がある』のだろうか。
・・・今日も『問い続ける』のです。
・・・『当てもなく彷徨いながら』
−−− −−−
これまでに『出会ったもの』は『意味があった』
のだろうか。
それとも『出会うべきではなかった』のだろうか。
・・・『ただ、ただ問い続けている』のです。
・・・『ただ、ただ彷徨い続けている』のです。
ー『僕の心が軋み続ける』ー
ー『ただひたすらに悲しみを訴え続ける』ー
ー『そんな僕に心を持つ資格があるのだろうか』ー
−−− −−−
今朝未明に、
『僕のお母さん』が『亡くなってしまった』
病院からの連絡は、
携帯(au)は通信障害でつながらなかった。
−−− −−ー
僕にとって『お母さんとの出会い』には、
『充分過ぎる程に確かに"意味があった"』
『確かに言える』
『思い出は" 掛け替えの無い僕の大切な宝物 "』
『僕は胸を張って確かに言える』
『僕はお" 母さんの息子で良かった "』
『僕には" もったいないくらいのお母さん "』
−−− −−−
未だに『胸が締め付けられ辛く苦しく悲しい』です。
僕は『お母さん』と、
もっと、もっと『話したい、話し続けたい』です。
もっと、もっと『頭を撫でて手を握りたい』です。
もっと、もっと『顔を合わせて抱きしめたい』です。
もっと、もっと『怖くない様に安心させたい』です。
−−− −−−
『コロナの件で" 面会が出来なかった "』のです。
『ずうっと" 面会が出来なかった "』のです。
『胸が締め付けられ辛く苦しく悲しい』です。
−−− −−−
『世界』は『惨たらしい程に残酷で残忍』です。
そんな中『僕を支えてくれたお母さん』
『お母さんに"僕は何一つ満足に返していない"』
『僕の胸が締め付けられ辛く苦しく悲しいんだ‼』
−−− −−−
『僕がお母さんの代わりになればよかった‼』
『僕の事なんてどうでよかった‼』
『胸が酷く締め付けられ辛く苦しく悲しいんだ‼』
−−− −−−
『お父さん』が『亡くなって』から、
『僕とお母さん』は『二人で何とか頑張ってきた』
『何とか頑張って・・・きたのに・・・』
・・・『お母さん』
『胸が酷く締め付けられ辛く苦しく悲しいんだ‼』
−−− −−−
・・・『モノトーンの世界』
・・・『僕は"意味を失った"』
『胸が酷く締め付けられ辛く苦しく悲しいのです』
−−− −−−
『とうとう"独りぼっち"になってしまった』
『胸が酷く締め付けられ辛く苦しく悲しい』
−−− −−−
『ベッドはそのままにしていた』のに・・・
『いつでも家に帰れる様』にしていたのに・・・
・・・『お母さん』
『胸が酷く締め付けられ辛く苦しく悲しい』
−−− −−−
『色々な場所に車で向かう』と、
『フラッシュバックかの様に思い出が蘇って』
しまう・・・
−−− −−−
『昨日の出来事の様にはっきりと思い出していまう』
−−− −−−
『胸が酷く締め付けられ辛く苦しくただただ悲しい』
−−− −−−
『僕は"罪人"』なのでしょう。
『"呪われるべき"もの』なのでしょう。
『この痛みを受け続けてしまう程』に・・・
『悲しみしかなくなってしまう程』に・・・
『罰を受け続けてしまう程』に・・・
『胸が酷く締め付けられ辛く苦しくただただ悲しい』
−−− −−−
『心を無くす-冷血-無神経』則ち『自己愛』なら、
『この様な痛みと悲しみが無くなる』のでしょうか。
『胸が酷く締め付けられ辛く苦しく悲しいのです』
−−− −−−
しかし『お母さんの事を思う』と・・・
『僕はどうしたらいい』のか・・・
『実際に受けているこの痛みと悲しみ』は・・・
『胸が酷く締め付けられ辛く苦しく悲しいのです』
−−− −−−
『世界』は『惨たらしい程に残酷で残忍』
また『僕は世界の内の一部』だから、
僕はきっと『惨たらしい程に残酷で残忍』
だから『僕は"罪人"』
だから『罰を受け続けている』
・・・『この痛みと悲しみは"罰"』
−−− −−−
『僕のお母さんを返して下さい』
『僕のお母さんを返して下さい』
『僕のお母さんを返して下さい』
『僕のお母さんを・・・返して下さい』
『胸が酷く締め付けられ辛く苦しく悲しい』
−−− −−−
『何も話せなかった』
『何も出来なかった』
『何一つ満足にしてやれなかった』
『話しがしたい』
『頭を撫でて手を握りたい』
『顔を見て抱きしめたい』
『会いたい』
『お母さん』
『胸が酷く締め付けられ辛く苦しく悲しい』
−−− −−−
『また僕に文句を言って欲しい』
『また色々な所を一緒に行きたい』
『また色々な話しを聞きたい』
『また一緒にご飯を食べたい』
『まだまだ側に居たい』
『ずうっと側に居たい』
『お母さん』
−−− −−−
『お母さんが居たから今まで何とか頑張ってこられた』
『いつも居てくれて居たことで安心した』
『嬉しかった』
『楽しかった』
『お母さん』
『悲しい、悲しい』
『痛くて辛くて苦しくて悲しい』
『寂しい』
−−− −−−
『転院する時ずうっと僕の手を握り続けたんだ』
『僕も握り続けていたかった』
『これからも握り続けていたいんだ』
『出来の悪い息子でごめんなさい』
『お母さん』
−−− −−−
『僕に作ってくれた七草かゆ』
『僕に作ってくれた厚揚げの煮物』
『僕に作ってくれた卵焼き』
『僕に作ってくれたご飯・・・』
『美味しかった、とても美味かった』
『まだまだ食べたかった、これからも食べたい』
『お母さん』
『寂しい』
−−− −−−
『出来の悪い僕は何一つ満足に返せなかった』
『ごめんなさい』
『お母さん』
−−− −−−
『痛い、痛い・・・』
『悲しい、寂しい・・・』
『お母さん』
−−− −−−
『お母さんが居てくれたから僕は生きていた』
−−− −−−
『何一つ守れないなら僕は生きている意味がない』
『何一つ喜ばせられないなら生きる意味がない』
『僕は意味を失った』
−−− −−−
『不器用なお母さんです』
でも『僕に対して一所懸命だった』
『僕が病気になった時・・・』とか、
『僕がお腹を空かせていないか・・・』とか、
『僕が寂しくなっていないのか・・・』とか、
『僕に対して一所懸命だった』
『対して僕は・・・』
『何一つ満足に返せていない・・・』
『お母さん』
−−− −−−
『とっても人一倍寂しがり屋なのです』
『いつも周りに気を使ってばかり』
『とっても怖人一倍がりなのです』
『それなのに周りに対して気丈に振る舞っていた』
『僕はそんなお母さんを安心させたかった』
『僕はそんなお母さんを喜ばせたかった』
『なのに、僕は・・・』
『何一つ満足に果たせなかった・・・』
だから僕は『惨たらしい程に残酷で残忍』
だから『僕は"罪人"』
だから『罰を受け続けている』
『僕は罰を受け続ける事は構わない』
『構わないのです』
−−− −−−
『お母さんと一緒に居る時間』は、
『確かに生き生きとしていた時間なんです』
『一緒にご飯を食べた時とか』は、
『確かに楽しい時間だったんです』
『僕が生きていた時間だったんです』
『昨日の事の様にはっきりと思い出すんです』
『お母さん』
『寂しい、辛い、悲しい』
『側に居たいんです』
−−− −−−
『僕とお父さん』の為に、
『いつも周りに対して気丈に振る舞っていたんです』
『僕やお父さんや周りの人』の為に、
『いつも周りに対して気を使っていたんです』
『お母さん』
『寂しい、辛い、苦しい、悲しい』
『まだまだ側に居たいんです』
−−− −−−
『大変だからご飯の用意をしなくてもいい』
と言っても『ご飯の用意』をしたり、
『一緒に食べに行った時』に、
『夜中お腹が空くでしょう』と言って
『勝手にお土産を注文』したり、
『大体は僕の方が折れたんだ』
『僕の事を考えての事』だったから・・・
『お母さん』
『寂しい、辛い、苦しい、悲しい』
『まだまだ側に居たいんです』
『一緒に居たいんです』
−−− −−−
『お母さんの目が覚めない事が辛く苦しいです』
『お母さんが話さない事が辛く苦しいです』
『お母さんが笑わない事がが辛く苦しいです』
『なんで僕の事ではなかったんだ』
『お母さん』
『寂しい、辛い、苦しい、悲しい』
『まだまだ側に居たいんです』
『一緒に居たいんです』
『不器用な僕だけど』
『どうしようもない僕だけど』
『僕はまだまだ色々な事を一緒にしたいんです』
『まだまだいっぱいしたいんです』
『お母さん』
−−− −−−
『僕の為に色々風当たりがあったけど』
『お母さんは僕を守っていたんだ』
『僕も色々な風当たりから守りたかった』
『でも僕は何一つ満足に果たしきれなかった・・・』
『お母さん』
『寂しい、辛い、苦しい、悲しい』
『僕はお母さんの辛さを取り除きたかったんだ』
−−− −−−
『お母さんと一緒に居た日々』は、
『僕にとっての掛け替えの無い大切な宝物』
『お母さんは僕にとっての掛け替えの無い大切な方』
『今までも、これからも・・・』
『ずうっと、ずうっと・・・』
『お母さん』
『寂しい、辛い、苦しい、悲しい』
『まだまだ側に居たいんです』
『一緒に居たいんです』
−−− −−−
『痛い、痛くて悲しいです』
『胸が心が張り裂けるくらいに痛くて悲しいです』
『お母さん』
−−− >>277
お母さんはね、あなたが前向きになって生きていくだけで、嬉しいんですよ。
母の気持ちとは、それだけです。 −−−
『僕は人見知りの子です』
『いつもそんな僕を心配してくれていた』
『だけど僕は今でも人見知り・・・』
『僕は答えきる事が出来なかった』
『僕に充分過ぎる程に心配してくれたのに・・・』
『ごめんなさい』
『不出来な息子で』
『痛い、痛くて悲しいです』
『胸が心が張り裂けるくらいに痛くて悲しいです』
『お母さん』
−−− −−−
『僕はお母さんとの平和な世界を失った』
『僕の生きる意味を失った』
−−− −−−
『お母さんに会いたい』
『会いたい』
『会いたい』
『話したい』
『話したい』
−−− −−−
もう少し僕の独白をお許し願います。
−−− −−−
『いつも自分の事よりも僕の事ばかり気にかけていた』
『どんなに些細な事でも喜んでくれた』
『何度も、何度も衝突してしまったけど』
『決して僕を嫌いにはならなかった』
『仲直り』
『僕の事を好きよと言ってくれた』
『なのに僕は何一つ満足に返せなかった』
『お母さん』
『痛い、痛くて悲しいです』
『胸が心が張り裂けるくらいに痛くて悲しいです』
−−− −−−
『側に居て話し掛けてくれているだけでよかった』
『僕はそれだけで幸せなんです』
『お母さん』
『痛い、痛くて悲しいです』
『胸が心が張り裂けるくらいに痛くて悲しいです』
『お母さん』
『寂しい』
−−− −−−
『日を追うごとに心の痛みが強くなっています』
−−− −−−
『フラッシュバック』
『疲れた』
『苦しい、辛い、悲しい』
『お母さん』
−−− −−−
『お母さんは』
『いつも僕を信頼していた』
『けど僕は充分に答える事が出来なかった』
『辛くさせてしまってごめんなさい』
『こんな不出来な息子で』
『ごめんなさい』
『お母さん』
『痛い、痛くて悲しいです』
−−− −−−
『お母さんが良くなるを願っていただけなのに』
『僕が悪い・・・』
『お母さん』
『ごめんなさい』
−−− −−−
『独りぼっち』
『辛い』
『自分が嫌だ』
『自分が嫌い』
『何一つ満足に出来ない自分』
『自分が嫌い』
−−− −−−
『痛い、辛い、苦しい、悲しい』
『自分が嫌い』
『自分が嫌いなんだ‼』
−−− −−−
『手のひらから砂が溢れ落ちる』
『自分が嫌だ、嫌いなんだ‼』
−−− −−−
『迷惑掛けたくない』
『身体が思う様に動かない』
『うつが再発』
『こんな自分が嫌だ』
−−− −−−
『長期うつ』
『いつでも身体が思う様に動かなかった』
『気分が重くなって身体が思う様に動かなかった』
『ごめんなさい』
『お母さん』
−−− −−−
『病院に一緒について行ってくれた』
『いっぱい心配してくれた』
『なのに僕は・・・』
『お母さん』
−−− −−−
『心不全の時も』
『病院に一緒について行ってくれた』
『いっぱい心配してくれた』
『なのに僕は・・・』
『お母さん』
−−− −−−
『僕の心は弱いから・・・』
『いつも臆病で気が小さいから・・・』
『ごめんなさい』
『お母さん』
−−− −−−
『いっぱい、いっぱい迷惑掛けて心配してしまった』
『どうしようもない自分なんです』
『僕は』
『そんな僕の側に居てくれた事が僕にとっての
何よりの幸せなんです』
『お母さん』
『なのに僕は何一つ満足に返せなかった』
『ごめんなさい』
−−− −−−
『お心遣いありがとうございます』
『レスをして下さり真に恐れ入ります』
あと誠に申し訳ございませんが、
もう少しだけ僕の独白を静かにさせて頂きたいと
思いますので、どうか御了承の程何卒宜しく御願い
申し上げます。
−−− このスレッドが落ちないように気づいた時は保守してageることはあります。
私はそれだけです −−−
そうですか。
わかりました。
では失礼致します。
−−− >>309
いえ、ご自身も大変な中お構いなく。
自分への返信等は不要です。 −−−
『小さい頃、お歌を歌ってくれた』
『今でも覚えています』
『僕の為の歌』
『お母さん』
−−− −−−
ー小休止ー
『あなた』は、
『どんな理想の人物になりたい』のでしょうか?
『あなた』は、
『何故、今を生きているのでしょうか?』
『何を見据えて今を生きているのでしょうか?』
『あなた』は、
『これから先どんな世界に居たいのですか?』
−−− −−−
どれだけ『自分にとっての理想の人物』となっても
『独りよがり』では『きっと寂しい』のかと思う。
『独りきり・・・独りぼっち・・・』
明日は『七夕の日』
年に一度の『牽牛と織姫との逢瀬の日』です。
『牽牛と織女』
御二方はこの日まで『御互いに独りぼっち』ですが
だけど『この日だけは再び巡り会える日』です。
きっと『牽牛と織女』この『御二方は寂しくない』
のかなと思います。
何故なら『御互いに相手方の為の自分』だから
『寄り添う事がきっと叶う』のでしょうから。
『この日までそれぞれ独りきりでも頑張っていた』
のだから。
『あなた』は『どんな理想の人物』になりたいの
でしょうか?
『自分の為の自分』なのでしょうか?
それとも、
『相手方の為の自分』なのでしょうか?
ー『Altair and Vega』ー
僕の思う事を甚だ乱文にて一筆此処に書き記します。
支離滅裂気味だけど失礼致します。
−−− −−−
『誰かの為の自分』
『僕は満足になれなかった』
『ごめんなさい』
『お母さん』
−−− −−−
何をもって『あなたは嬉しいと思う』のでしょうか?
『あなたの目指す所はどんな所』なのでしょうか?
『誰かから愛される場所』なのでしょうか?
『誰かを愛せる場所』なのでしょうか?
それとも『誰かを愛して誰かから愛される場所』
なのでしょうか?
僕の思う事を甚だ乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『あなた』は『この過酷で残酷な世界の中』で、
ー『何かを見据えて今日を生きていく』ー
ー『ただひたすらに今日を生き抜く』ー
果たして『あなた』は『どちら側』なのでしょうか?
『あなた』には『夢と希望』はあるのでしょうか?
−−− −−−
ー『想いが繋がり寄り添い合う心』ー
『そんな場所、天の川(milky way)』
ー『Altair and Vega』ー
−−− −−−
『世の人々が紡ぎ出す世界』は
あまりにも『過酷で残酷な世界』なのです。
『夢や希望』は『悪意のものに踏み躪られてゆく』
のです。
まさに『弱肉強食の様な世界』なのです。
そんな中に於いて、
一体どんな『夢や希望が生み出せる』のだろうか?
・・・『悪夢(nightmare)』なのだろうか?
・・・疲れました。
−−− −−−
『弱肉強食の世界』に於いて、
『弱者の総数』が『だんだん少なくなる』と
『これまでの強者』が『少しずつ弱者』となり
最終的には『弱者しか居なくなる』のです。
そして『最後まで残った者』は『弱者故の孤独』
となりその後は・・・
結局『弱肉強食の世界』は最終的に・・・
『過当競争に於いての弱者の捕食を続けていく』と
最終的に一体どうなってしまうのだろうか?
『ホワイトカラー』が『ブルーカラーの果たす事』
が出来るのでしょうか?
そんな中で『あなた方』は『何を目指す』のか?
・・・疲れた。
僕の思う所を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『部下が居なくなった上官』は、
『自ら最前線に赴かなければならない』のです。
『一人で銃を片手に戦地に突撃』なのです。
今『至る所で戦々恐々としている』のではないの
でしょうか?
・・・『悪夢(nightmare)』でなければいいけど。
・・・疲れた。
−−− −−−
『"訳の分からない何か"が怖い』ので
『私は武器を手に取りました』
『持っている武器では不安になってくる』ので
『私はより強い武器を手に取りました』
『何しろ"訳の分からない何か"』なのだから。
『持っている武器では不安になってくる』ので
『私は更により強い武器を手に取りました』
『何しろ"訳の分からない何か"』なのだから。
『持っている武器で不安になってくる』ので
『私は更に更により強い武器を手に取りました』
『何しろ"訳の分からない何か"』なのだから。
・
・
・
最後に行く着く所は一体どんな所なのでしょうか?
僕の思う所を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ちなみに『レッテルを貼る方』って、
『相手を訳の分からない何か』として『認知-認識』
しているから『段々と強いレッテルを貼ってくる』のですよね。
『訳の分からない何か』だからこそ、
『言い掛かりで決め付けて自らの不安解消を図る』
のですよね。
フリードリヒ・ニーチェ
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」
僕の思う所を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『過度な期待は過度な不安を齎す』のですよね。
だから『自分に過度な期待』をすると
『自らに過度な不安が齎される』のですよね。
『自尊心の高い方』程『自らに過度な期待をする』
のだから・・・
僕の思う所を乱文にて一筆此処に書き記します。
支離滅裂気味だけど失礼致します。
−−− −−−
マタイ16:24-25
それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
自分の命を救おうと思う者はそれを失い、
『わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう』
−−− −−−
『人は思いがけない事には案外脆い』のですよね。
『自分のする事に"過度な期待"を持ってしまう』と
『自分のする事には"想定外の事"はないと思って
しまう』のだから『想定外の事が起こってしまう』
と『不安が押し寄せてきて』しまって『パニックを引き起こしてしまう』のですよね。
『自尊心が高い方』である程・・・
『深淵を覗けるつもりの自信家』である程・・・
(『怖いものはないつもりの自信家』である程・・・)
『パニックに駆られた自己保身の働き』によって・・・
僕の思う所を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『辛い、悲しい』
『あの頃の日々に還りたい・・・』
『還りたい・・・』
−−− −−−
『あの頃の安らげた日々に・・・』
『還りたい・・・』
−−− −−−
『穏やかさで満ち溢れる日々に還りたい・・・』
『そんな安らいだ日々に還りたい・・・』
−−− −−−
『いつも戦々恐々の安らげない日々・・・』
『手のひらから砂が溢れ落ちる様な感じ・・・』
『穏やかさで満ち溢れる日々に還りたい・・・』
『そんな安らいだ日々に還りたい・・・』
−−− −−−
『作り笑顔の社交辞令な日々ではなく・・・』
『自然な笑顔の穏やかな日々・・・』
『そんな安らいだ日々・・・』
『還りたい・・・』
『辛い、苦しい、悲しい・・・』
−−− −−−
『穏やかな心でいたい・・・』
『安らいだ日々に還りたい・・・』
『還りたい・・・』
−−− −−−
『安らぐ夢を見たい・・・』
『見続けたい・・・』
『還りたい・・・』
『そんな穏やかな日々に還りたい・・・』
−−− −−−
『穏やかで優しさ溢れる安寧の日々・・・』
『そんな日々に還りたい・・・』
『想いに溢れ明日を夢みるそんな日々・・・』
『そんな日々に還りたい・・・』
−−− −−−
本日は『七夕の日』
ー天の川 星達煌めく 水流れ 笹舟浮かべ 流す静かにー
ー 時の残滓に 願い拾われー
−−− −−−
ー悲しみの 涙集めし 天の川 涙の流れ 何処へ向かうー
−−− −−−
ー 穏やかな 想い出煌めし 天の川
想い出集め 詩を織り成し ー
−−− −−−
ー寂しさに 悲しみ募りし 僕の胸
心の痛み 涙に変わりてー
−−− −−−
『あの頃の穏やかで安らいだ日々に還りたい🎋』
−−− 今、私は神を信じ、希望を持って前に進むことができます。
✝ だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。
22 そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。
ヤコブ1:21〜22 −−−
『命の尊厳を見失い戦々恐々とした世界』なんて
『もう嫌なんです』
『もう嫌なんです・・・』
『命の息吹無き荒野にて一人きり』
『痛い、辛い、苦しい、悲しい』
−−− −−−
『理不尽-無情』に対し、
『自分の力では叶えられないと分かっている』から
こそ『人は"奇跡"を願い求める』のです。
−−− −−−
『神の義なくして祈りを捧げる事が出来ましょうか』
『想いを吐き出す事が出来ましょうか』
−−− −−−
『猿真似の言葉(祈り)』は、
『虚しく響く事ばかりでしかない』
『想いの無き言葉』は、
『ただ、ただ虚しいばかりのものでしかない』
−−− −−−
『百編の綺麗賛辞は虚しく響く事ばかり』
『一途な言葉(祈り)は心に響く』
『僕のことを"好きよ"と言ってくれたお母さん』
『その一言は"僕を生かした"のです』
『・・・確かに"僕を生かした"のです』
『・・・だけど僕は・・・満足に返せなかった』
『まだ胸が痛くて悲しいです』
−−− −−−
『虚しき言葉が響き渡る世の中で』
『虚しき言葉で満ち溢れるゆく世の中で』
『思い込みや錯覚で自らを誤魔化しゆく世の中で』
ー『人々は"自ら生きる事"が叶うのだろうか』ー
ー『虚しさにただ溺れゆくだけなのだろうか』ー
ー『満ち足りゆく日々は何処(いずこ)に』ー
僭越ながら一筆此処に書き記させて頂きます。
−−− −−−
『想い持ち自ら祈る者は胸を打つくらいに美しい』
『猿真似で祈ったふりの者は虚しいくらいに醜い』
−−− −−−
『昨今の世の中に於いて世の人々は』
『血統とか民族とか国籍とか思想とか・・・』
『言い訳による繋がりを家族と呼んでいる・・・』
『言い訳で家族であると思い込んでいるだけ・・・』
『家族の一員であると思い込んでいるだけ・・・』
『何故なら』
『そこには利害関係しかないのだから・・・』
『御自分にとって都合の良い言い訳だから・・・』
『自己憐憫に対して都合の良い言い訳だから・・・』
『自己都合による繋がりは家族ではないのです』
『心から認め合い赦し合える繋がりこそが家族です』
・・・『それが"絆"と言うものです』
ー『愛する事に言い訳はいらないのです』ー
ー『その恩寵は主からの恵みなのだから』ー
甚だ支離滅裂気味ですが、
僭越ながら乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『愛は人の造りし国境を越えるもの』
『その繋がりこそが"家族の絆"なのです』
『どれだけ距離が離れても"絆が家族を証する"のです』
甚だ支離滅裂気味ですが、
僭越ながら乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『家族でいる為には神の義が必要であり』
『方法は二の次なのです』
『だからこそ』
『認め合い赦し合える祝福された家族となるのです』
甚だ支離滅裂気味ですが、
僭越ながら乱文にて一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ6:33
まず『神の国と神の義とを求めなさい』。
そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
−−− −−−
『お互いに認め合い赦し合う事』は、
『お互いの自主性を尊重し合う事なのです』
『お互いの"自由"を精一杯守り合う事なのです』
ー『それが"家族と言うもの"』ー
ー『だから自由を損ねる者は家族ではないのです』ー
僕の思う事を僭越ながら一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『相手の自主性を尊重する事が出来無い方』は、
『自分の"欲望-放縦"を満たそうとするので』
『相手の自由を損ねる為に"暴力を振るう"のです』
ー『DVなどの"死の恐怖"を用いて』ー
ー『だから家族ではないのです』ー
ー『家族とはお互いに"生かし合う"ものなのです』ー
僕の思う事を僭越ながら一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ー『神の義をもって"お互いに生かし合う"もの』ー
ー『愛をもって"お互いの生を満たし合う"もの』ー
ー『それが"家族(church)"なのです』ー
僕の思う事を僭越ながら一筆此処に書き記します。
−−− −−−
コリント第一15:26
最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
−−− −−−
ー小休止ー
『怨嗟』による『反撃』なのでしょうか?
『専守防衛(正当防衛)』では無い様ですので。
『今回の銃撃事件について思う事として』
ー小休止終わりー
−−− −−−
ついでに、
『撃たれた方』は『加害者』だったのだろうか?
『加害者』でなければ『怨嗟による身勝手な反撃』
であるかと思います。
『被害妄想』に対する『反撃』は、
『言いがかりによる犯行』でしか無いのですよね。
『被害妄想』では『実害が無い』ので。
『自己正当化による身勝手な犯行』でしか無いの
ですよね。
『今回の銃撃事件について思う事として』
ーついでの小休止終わりー
−−− −−−
『過剰防衛』に於ける『過剰』は
『相殺分を超えた反撃』なのですよね。
『相手の剣を自らの剣で防ぐ事』は
『正当防衛(専守防衛)』なのですが、
『自らの剣で相手を○めてしまう事』は
『過剰防衛(反撃)』となるのですよね。
『自らの剣で相手を○めてしまう事』は
『○める事によって"生存権を損ねる"事』となり
『"基本的人権を損ねる行為"となる』のですよね。
『正当防衛と人権』について、
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
ーー
モーセ十戒より
(ウィキペディアより抜粋-引用)
正教会・聖公会・プロテスタント
(カトリック教会及びルーテル教会以外)の場合
『6.○人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)』
カトリック教会・ルーテル教会の場合
『5.○してはならない。』
ヘブライ語聖書(タナハ)におけるモーセの十戒
『あなたは○してはならない。』
ウェストミンスターレーニングラード写本(欽定訳参考)によるモーセの十誡
『○人をしないこと。』
−−− −−−
追記:
『正当防衛(専守防衛)』なら
『和解によるお互いの共存-共生への道は残される』
のですが、
『過剰防衛(反撃)』なら
『和解によるお互いの共存-共生への道は断たれる』
のですよね。
『正当防衛と人権』について、
僕の思う所を一筆此処に追記致します。
−−− −−−
『宗教』とは『世界内存在としての"人"』が
『自らをもって世界内で"人生を全うする"為の教え』
その為に『必要なもの』を
『各宗派は求めて突き詰め(文化)発展してきた』
『神との関係』『世界との関係』『歴史との関係』
などに基づき『人間存在意義(心-精神-魂)』を知り
『人生を全うする為の教え(文化)』を築き発展させ
ていった。
僕の思う事を僭越ながら一筆此処に書き記します。
−−− −−−
追記:
『宗教の教え』が、
『人々の営み(生活習慣)に落とし込まれる(一般化)』
となるのは先に記した事によるものである。
ー『自らをもって世界内で"人生を全うする"為に』ー
僕の思う事を僭越ながら一筆此処に追記致します。
−−− −−−
ー『揺り(百合)籠落ちては泣き叫び』ー
ー『揺り(百合)籠還され安らぎ夢見る』ー
−−− −−−
ー『和解無き果て孤独に堕ちて』ー
ー『和解在り果て安らぎ夢見る』ー
−−− −−−
ー『愛し愛され安らぎ夢見る』ー
ー『未来(さき)への兆し安らぎ夢見る』ー
ー『engage』ー
−−− −−−
街の風景が変わってゆく。
それに伴い住人達も変わってゆく。
少しずつ・・・変わってゆく。
少しずつ・・・少しずつ・・・変わってゆく。
だけど僕はあの頃のまま。
いつまでたってもあの頃のまま。
僕は取り残されたまま。
僕はひとり置いてけぼり。
ひとりぼっちで置いてけぼり。
街の残滓に僕は埋もれる。
街路樹の落ち葉に僕は埋もれる。
朽ちた時に僕は埋もれる。
僕は・・・取り残されたまま。
−−−
此処に書き記すただ一つの世界 "時の残滓"
2022/07/10
written by stranger-criminal coin −−−
見慣れた風景、
その変わりゆく姿は、
僕の記憶をセピアに染めゆく。
夏の前の今日、
僕の心象秋の夕暮れ、
なんとも寂しく悲しく映る。
・・・僕の心象風景。
−−−
此処に書き記すただ一つの世界 "心の風景"
2022/07/10
written by stranger-criminal coin −−−
『世界は残酷』で『時間(とき)は残忍』
『・・・だからこそ・・・』
−−− −−−
『他人の"心の痛み"が分からない方』が、
『隣人愛を口走っても説得力が無い』のです。
『そんな方が宗教をするべきでは無い』のです。
『他人を追い詰め傷つける事くらいしかない』ので。
ヨーロッパの諺:
『地獄への道は善意で舗装されている』
−−− −−−
『相手方を破滅に追い込む事が隣人愛』
と言うのは可笑しな話でしか無いのです。
『神の義(愛)』とは、
『心が傷ついたり弱ったりしている方の為のもの』
であって『自分で貪る為のものでは無い』のです。
何故なら『神の義(愛)』とは、
『相手方の心を生かす為のもの』なのだから。
ー『"厳しさ"も"優しさ"も』ー
ー『愛する喜びを知っていますか』ー
僕の思う事を僭越ながら一筆此処に書き記します。
−−− −−−
マタイ10:42
わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。
−−− −−−
『掛け替えの無い大切なものを失う痛み』
が分かるのでしょうか。
『独善なんてただ残酷でしか無い』のですよね。
−−− −−−
『気に入らないからただ排除する事』と言うのは
『ただの自己都合によるものでしか無い』のです
よね。
『何が相手の為になるのかを考えるべき』なのです
よね。
−−− −−−
他人から『理不尽な目に遭わされた』ら、
自分は『同じ事をしないと心に刻む』のです。
『理不尽な方と同じ事をする』と
『自分も同じ理不尽に堕ちる』ので・・・
『理不尽な事をされたから』と言って、
『同じ事をしていいという道理は無い』から。
『理不尽を自分の所でせき止める』のですよね。
ー『"不幸の連鎖"でしか無くなるから』ー
ー『"同じ穴のムジナ"でしか無くなるのだから』ー
−−− −−−
ローマ人への手紙12:19
愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
−−− −−−
『赤信号みんなで渡れば怖くない』と言うのは
どうなのでしょうか。
たとえ『他の方が"みんな赤信号を渡った"』としても
『せめて"自分は決して渡らない"と努める』のです
よね。
ー『みんなと同じ所に堕ちてしまうから』ー
−−− −−−
ヨハネ8:7-12
彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。
イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。
−−− −−−
『自分は何でも卒なくこなせると思う事自体』
『傲慢-高慢(自尊心)によるもの』なのですよね。
『数多くの失敗から人は大事な事を学ぶ』のです
よね。
『自分の無力さを感じる事』は『重要な事』なのです。
ー『そこから一歩先へ歩み出す為に』ー
『寓話ウサギとカメ』に於ける『ウサギ』は
『最終的にどうなった』のでしょうか?
−−− −−−
イザヤ1:18
主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。
−−− −−−
『何故、自分の命の燈をぞんざいに扱うの?』
『あなたの命の燈』が
『理不尽に消えてもらいたくない人が居るかも
知れないのに・・・』
『あなたの命の燈』が
『愛おしく思える人が居るかも知れないのに・・・』
『あなたの命の燈』を
『大切にしたい人が居るかも知れないのに・・・』
『燈が消えてしまった』ら
『悲しみに沈む人が居るかも知れないのに・・・』
−−− −−−
『残される人』は
『悲しみに明け暮れてしまうのです・・・』
だから、どうか、
ー『自分の命の燈を大切になさって下さい』ー
−−− −−−
『人見知りの方』って、
『相手方に対して"萎縮"してしまう』から
『御自分の思っている事が上手く伝えられない』
のです。
『大抵の方』は、
『相手方を御自分と同じ様な方と認識してしまう』
から『人見知りの方』に対して『イライラする』の
です。
そして、
『人見知りの方』に対して『暴力的になってくる』
のですよね。
・・・『残酷』な事に。
・・・そして『より人見知りとなる』のです。
『大抵の方は"御自分の事が優先的"なので』
『相手方の"御心情を察する事が無い"から』
『結果として"悪循環"となるのです』
『人見知りの方は"救われないまま"なのです』
『昨今の世の中に於いて』
僕の思う事を乱文ながら一筆此処に書き記します。
−−− −−−
追記:
『真摯に相手方と向き合ってこその"救いの手"』
『いい加減な態度ではいけないのです』
『相手方をただ残酷に見下す事になるだけだから』
『結果として残酷に傷付けるだけでしか無いから』
ー『相手の心の"悲痛な叫び"を聞いていますか?』ー
僕の思う事を乱文ながら一筆此処に追記致します。
−−− −−−
更に追記:
『人見知りってそんなに悪い事ですか?』
『弱者を"見下す卑しさ"の方が"悪い事"なのです』
『何故なら"傲慢-高慢-驕り高ぶり"なのだから』
『相手方への"無理解はただ残酷でしか無い"のです』
僕の思う事を
乱文ながら更に一筆此処に追記致します。
−−− −−−
『手にした筆記具』を見せ付けて、
『これがボールペンなんだ‼』と言った所で
一体『誰が信用する』のだろう・・・
何故ならば『誰か』が『見せ付けた方』に対して
『この筆記具はボールペンだと"吹き込まされた"
かもしれない』のだから・・・
『証を明かす(証明)』とは何でしょうか。
ー『陰謀論などには是非ともご注意の程を』ー
癒しスレッドを拝読して一筆此処に書き記します。
−−− −−−
追記:
『ボールペン足るもの』が『ボールペンの証』
なので『その筆記具がボールペンである証明』
は『ボールペン足るものを提示する事』なのです。
『ボールペン足る(決定づける)もの』とは・・・
癒しスレッドを拝読して一筆此処に追記致します。
−−− −−−
『人は何も知らずにこの世に生を受けたのです』
『しかし、何をしたらいいのか分からずじまい』
『何が正しくて善いのか分からずじまい』
『だから、人は願い探し求めたのです』
『正しくて善いものを・・・』
『生きてゆくのに必要なものだから・・・』
−−− −−−
『最も正しく、至上の善さを・・・』
『人は願い探し求めた・・・』
−−− −−−
『世界は残酷で時間(とき)は残忍なのだから・・・』
『だから、人は願い探し求めた・・・』
−−− −−−
『・・・救いを求めた・・・のです』
−−− −−−
『この・・・過酷な地に於いて・・・』
『・・・人は・・・願い探し求めたのです』
『・・・荒野を・・・彷徨いながら』
『・・・神を・・・救いを・・・』
『・・・傷つきながら・・・迷いながらも・・・』
『・・・人は・・・願い探し求めたのです』
『・・・神を・・・救いを・・・』
−−− −−−
普段から『弱い者いじめばかりに勤しむ方』は
『自分に対峙する相手は全て自分より弱いと錯覚』
するのです。
そして『実際に自分より強い相手と対峙した時』は
『理性(知恵)が働かずにパニックに陥ってしまう』
のです。
『そして不安に取り憑かれ続けると最終的に・・・』
フリードリヒ・ニーチェ
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」
−−−
箴言16:18
高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ。
マタイ16:25
自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。
イザヤ1:18
主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。
−−− −−−
『虎の威を借る狐』は、
『虚勢を張っても、"所詮狐でしか無い"』のです。
−−− −−−
『人は"漠然とした不安"には中々抗えないもの』
なのです。
『虚勢を張るのはその証』なのです。
『不安を払拭する為の光が無い限り・・・』
−−− −−−
『タロット・大アルカナ』に於いて、
旅人である『愚者(the Fool-No.0)』は、
最終的に『審判(Judgement-No.20)』を受け
『世界(the World-No.21)』へと至るのです。
ー『新しき世界へと至る』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『"漠然とした不安"に当てられ取り憑かれた人』は
『見るもの全てが"敵に見えてくる"』のです。
そして『周りの全てが"自分を襲う"と思ってしまう』
のです。
だから『不安感を払拭する為にに力で・・・』
−−− −−−
力を行使する為に『適当な言い訳』を用意して・・・
『理性のタガ』を外してゆく・・・
『挙げ句の果てにゆく着く所』とは・・・
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
実際『癒しスレッドの住人達』は
『誰一人とも襲い掛かっていない』のに
−−
レスNo. 236
もう統一協会とキミたちを区別する者は日本には居ない
この先どうするの?
−−
と『勝手に襲い掛かると決め付け』て
『力の行使(弾圧)の為の言い訳を用意してしまう』のです。
僕の思う事を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
以前上記レスNo.323にて記した事になってくるのです。
『自らの不安の肥大化』により『不安に呑み込まれ』
てしまい『自ら"不安と同化"してしまう』のです。
そうなると『自ら不安を撒き散らす者』に・・・
僕の思う所を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ローマ人への手紙12:19
愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
ヨハネ8:7-12
彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。
イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。
−−− −−−
こういう時にこそ『試される』のです。
『忍耐力』を・・・
『信仰者か否か』であるかを・・・
ー『試練の時』ー
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
この間の『銃撃事件』についてですが、
『家庭がメチャクチャになった被害者』は
『元通りの家庭になる事を願っていた』のですよね。
『復讐』ではなくて・・・
『復讐では元通りにはならない』から・・・
けど、どうにもならないから『腹いせで復讐』・・・
『自暴"自棄"』になって・・・
※『復讐という方法』は過ちです。
−−− −−−
『愛し愛される家族をただ守りたかった・・・』
『けどそれが叶わなくて・・・』
『"やるせない思い"に駆られて・・・』
『自暴"自棄"になり、"復讐心"に取り憑かれ・・・』
『"無我"夢中に犯行へと・・・』
ー『痛ましく悲しい事件』ー
※『復讐という方法』は過ちです。
僕の勝手に思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『人見知り』だから『やるせない思い』を
『誰にも打ち明ける事も出来ずに・・・』
もし『やるせない思いを理解してくれる方』がいて
『正しく導いてくれた』なら・・・きっと・・・
『復讐という方法は過ちと諭された』なら・・・
『この様な事件は起こらなかったかも知れない』
僕の勝手に思う所を一筆此処に書き記します。
ーー
ローマ人への手紙12:19
愛する者たちよ。『自分で復讐をしない』で、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
−−− −−−
追記:
癒しスレッドレスNo.313
山上のような家庭事情と境遇なら誰だって人生詰むよ
『こんな奴は"自〇"をすることで世の中は大団円で収まっていたけど 』
今回はその怒りが政治家に向けられただけの話
安倍が日本社会の光なら山上は影
この様な『弱者への無理解者』が
『弱者を残酷に追い詰める』のです。
僕の勝手に思う所を一筆此処に追記致します。
−−− −−−
更に追記:
この様な方は、
『他人の命の尊厳を守らない』のです。
『個人の尊厳を守らない』のです。
『信用の置けない方』なのです。
『差別主義者』なのです。
ー『人命に上下差別なんてあるのですか?』ー
僕の勝手に思う所を更に一筆此処に追記致します。
−−− −−−
癒しスレッドレスNo.313
『山上のような家庭事情と境遇なら誰だって人生詰むよ
こんな奴は自〇をすることで世の中は大団円で収まっていたけど 』
『強姦された女性の事情と境遇なら誰だって人生詰むよ こんな奴は自〇をすることで世の中は大団円で収まっていたけど 』とでも言うのでしょうか・・・
この方は・・・
僕の勝手な印象を一筆此処に書き記します。
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『魅力(Charisma)』について、
『神の義(神性)』→『魅了』→『愛着(心)』
→『楽園』
『人の義(獣性)』→『誘惑』→『執着(心)』
→『猿山』
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『還らぬ時間(とき)・・・』
『悲しみと痛み・・・』
『僕は・・・』
『一人きり・・・』
ー『雨降る日にて』ー
−−− −−−
『雨に打たれて・・・』
『涙に溺れて・・・』
『思い出抱いて・・・』
『このまま沈む・・・』
『還らぬ時間(とき)に・・・』
『僕は沈む・・・』
ー『雨夜の夢』ー
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『レッテル貼りをする方』って、
『その方を愚かな方と勝手に規定しようとする』
のです。
何故なら『自分にとって愚かな方』でなければ、
『攻撃する理由(言い訳)が無くなると思っている』から。
『御自分の"獣性"を満足する事が出来無くなる』
から。
だから『自分の為の生贄に仕立て上げる為』に
『必死になってレッテル貼りを行う』のです。
ー『残酷で残忍な程に』ー
ー『生贄を求め貪ろうとする』ー
ー『それは血に飢えた獣(ケダモノ)の様に』ー
僕の思う事を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
追記:
自分をどれだけ『美化』しようとしても、
『罪を犯せば"その事実は覆せない"』のです。
『無かった事にする事が出来ない』のです。
『1000人倒した英雄は、1000人○した○戮者』
なのです。
『救国の英雄と言う名の・・・でしか無い』
のです。
ー『その手は敵の血で染まって・・・』ー
僕の思う事を乱文にて一筆此処に追記致します。
−−− −−−
『敵を打ち倒し"排除する事"を願うのか?』
『敵が敵で無くなり"和解する事"を願うのか?』
『暴力で席に割り込んでも独りぼっち』
『和解で席を譲ってもらうと家族の一員』
『暴力支配でボス猿の様に君臨するのか』
『民を愛して名君の様に慕われるのか』
ー『あなたはどちらを選びますか?』ー
−−− −−−
『暴力で支配しても心は離れたまま』
『人数を集めてもお互いに心は離れたまま』
『繋がりの無い烏合の集でしか無い』
ー『独りぼっちのままでしか無い』ー
−−− −−−
『暴力で支配』して『周り中イエスマンだらけ』
にしても『お互いに心は離れている』のだから
ー『結局、独りぼっちでしか無いのです』ー
−−− −−−
『見せかけだけの"偽装家族"でしか無い』のです。
いつも『戦々恐々として安らげない』のです。
ー『独りぼっちでしか無いのだから』ー
−−− −−−
マタイ5:43-48
『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。
兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。
それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
−−− −−−
どれだけ『自分の事を神や権威者とか名乗った』
としても『嫌われる方は嫌われる』のですよね。
また『同じ言葉を語った』からと言って、
『信用されない方は信用されない』のですよね。
何故なら『人は中身で判断する』のであり、
『見かけで判断する訳では無い』のだから。
ーー
マタイ12:33-37
木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木はその実でわかるからである。
まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、『心からあふれることを、口が語るものである』。
善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。
あなたがたに言うが、審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。
あなたは、『自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされるからである』。
−−− −−−
『語る言葉の奥底』には、
『良くも悪くも相手に掛ける想いや願いがある』
のだから。
『聞いた人はその想いを汲みとり語り手を判断する』
のだから。
『あなた』は、
『どんな想いに駆られて言葉を発し相手に伝える』
のでしょうか?
僕の思う事を僭越ながら一筆此処に書き記します。
−−− −−−
追記:
ー『付け焼き刃の安っぽい言葉は誰も聞かない』ー
ー『それは、心に響く事は無い言葉なのだから』ー
ー『印象にもならずに思い出とならないから』ー
僕の思う事を僭越ながら一筆此処に追記致します。
−−− −−−
第二コリント4:18
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。
−−− −−−
『善き羊飼い』は『羊を見かける』と、
『家族として認めて癒し守り羊を寂しくさせない者』
であるかと僕はそう思います。
僕の勝手に思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
追記:
『暴力等で羊を脅かし痛めつける事の無い様に』
『また堕落で羊を穢す事の無い様に』
『それは羊に自ら生きてもらう為に・・・』
『守り、癒し、励まし等で羊に自ら生きてもらう』
『でなければ羊は死んでしまうのだから・・・』
僕の思う事を僭越ながら一筆此処に追記致します。
ーー
ヨハネ21:17
イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、
『わたしの羊を養いなさい』。
−−− −−−
『宗教二世』と言う言葉を用いて、
『他人を見下し誹謗中傷を行う自体』が問題である。
(『ニュアンス』としての『誹謗中傷』)
『子は親を選べ無い』から『なんの落ち度がある』
のでしょうか。
それを『子に落ち度があるかの様に言ってしまう』
から。
『宗教二世の方』は『その誹謗中傷を真に受け』て
『宗教の被害者と勘違いの自認識をしてしまう事』
になってしまう。
そして『イジメられるのが怖いのでイジメる側に
なってしまうかの様に・・・』
『誹謗中傷者への非難では無く宗教への誹謗中傷』
『"宗教二世"と言う言葉の使用』について
僕の勝手に思う事を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
追記:
『心無き言葉-理不尽』が『パンデミックの様に辺り一帯に広がる』かの様に、
その一帯は『心無き言葉-理不尽に染まる』・・・
そしてその一帯に住まう人々は・・・
僕の勝手に思う事を
乱文にて一筆此処に追記致します。
−−− −−−
『今の世の中の一部の人々』は、
『言論の自由』を『履き違えている』のですよね。
『言論の自由』は、
『ヘイトなど好き勝手な事を言う権利では無い』
のですけど。
ー『言われた方の御心情を考えていますか』ー
ー『残酷な言葉は相手の心を傷つけるのです』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『非難を浴びる事』と『イジメられる事』は
『似て非なるもの』なのですよね。
『被害妄想の方』は、
『非難を浴びる事』を『都合良くイジメられる事』
に『すり替える』のです。
そして『責任の所在をすり替え』て『責任転嫁』を果たすのです。
『単にズル賢いだけ』なので『弱者では無い』
のです。
ー『被害者ぶった加害者となるのだから』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ7:15-20
にせ預言者を警戒せよ。
彼らは、『羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである』。
あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。
良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。
このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。
−−− −−−
『宗教二世の方』は『何かしらの実害を与えた』
のでしょうか?
『実害を与えた』なら
『"与えた部分"は問われるべき』なのですが、
『実害を与えていない』なら
『問われるべきでは無い』のですよね。
『心無き方(々)』は『揚げ足(レッテル貼り)』で
『実害を与えていないのに与えた事にする"偽証"』
で『暴力によるイジメを行う』のです。
『暴力によるイジメを行う方(々)』の方が、
『罪深き者である』と僕はそう思います。
ー『獣(ケダモノ)が獲物を捕食する様なのだから』ー
『"宗教二世"と言う言葉の使用』について
僕の思う事を乱文にて一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ7:15
にせ預言者を警戒せよ。
彼らは、『羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである』。
ヨハネ8:7-12
彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。
イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。
−−− −−−
上記のレスの内容修正
『実害を与えた』なら
『"与えた部分"は問われるべき』なのですが、
↓
『実害を与えた』なら
『"与えた部分(行い)"は問われるべき』なのですが、
−−− −−−
マタイ18:22
イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。
↓
『善きサマリア人のたとえ(ルカ10:25-37)』
に於ける『善意の"無償"提供の事』
ー『提供した善意を返さない事に対するゆるし』ー
ー『愛は見返りを求めない』ー
ー『見返りを求める愛は愛ではない』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
追記:
『私はあなたを愛しました』だから『あなたは私を
愛しなさい』なんて『誰が言える』のでしょうか?
『言ってしまったら、ただのDVな方・・・』
『相手は"下僕(ロボット)さんでは無い"ので・・・』
僕の思う事を一筆此処に追記致します。
−−− −−−
更に追記:
マタイ18:33
わたしが『あわれんで』やったように、あの仲間を『あわれんで』やるべきではなかったか』。
・・・『憐れみについて』なのですよね。
僕の思う事を一筆此処に更に追記致します。
−−− −−−
雨が降る。
雨が降る。
雨音雫鳴り響く。
街の喧騒打ち消して、
雨音雫鳴り響く。
人々騒めきかき消され、
雨音雫鳴り響く。
雨が降る。
雨が降る。
雨音雫鳴り響く。
季節(とき)の世界を洗い去る。
ー『雨雫ノ音』ー
−−− −−−
季節(とき)の狭間に僕は立ち、
過ぎ去る季節(とき)に手を伸ばし、
届かぬ想い出涙する。
届かぬ想いに涙する。
僕は狭間に佇んで、
一人きりで涙する。
背中に受ける風を知り、
過ぎ去る季節(とき)を予感して、
ますます僕は涙する。
想い出褪(あ)せて涙する。
ー『Requiem』ー
−−− −−−
過ぎ去る季節(とき)に手紙を添えて、
僕はこの場で返事を望む。
過ぎ去る想いに別れを告げて、
新たな想いを待ち望む。
涙と共に別れを告げて、
想い出づくりを願い待つ。
『風のたよりを待ち望む』
『桜の季節(とき)を願い待つ』
『生まれる季節(とき)を求め待つ』
ー『Re:Birth』ー
−−− −−−
『救われ自立したらあなたはどうするのか?』
『その先が無ければ"そこで終わり(dead end)"』
『永遠なんて"夢の話"でしか無いのです』
『ただ"生き長らえるだけ"なのでしょうか?』
『それとも・・・』
僕の何と無く思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『山の頂を目指すなら山の向こう側を目指します』
何故なら、
『山の頂なら其処まででしか無い』のに対して
『山の向こう側ならまだ先は続く』から。
ー『果て無き先を見据えられるから』ー
−−− −−−
ー『あなたは"生きる意味"を見つけましたか?』ー
ー『未来(さき)へと誘う"生きる意味"を』ー
−−− −−−
闇夜の中の羊さん、
未来(さき)が分からずメェーメェーメェー。
それを聞いてた羊たち、
釣られて一緒にメェーメェーメェー、
メェーメェーメェー、
メェーメェーメェー、
メェーメェー・・・メェー・・・。
ー『迷い子達の不協和音』ー
−−− −−−
コリント第一1:25-31
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。
兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。
それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、
有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。
それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。
あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。
それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。
ヨハネ21:17
イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、
『わたしの羊を養いなさい』。
−−− −−−
『"姿形や思い込みによる決め付け"だけでしか相手を識別する事が出来ない方』は『すぐに相手を見失う』のですよね。
『同窓会に出て誰が誰だか分からなくなる』
かの様に。
『元々相手と向かい合っていなかった』のだから。
『結局相手を全く見ていなかった』のだから。
『だから見当違いの相手ばかり探してしまう』
のだから・・・
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
追記:
『相手を勝手に決め付ける方』は、
『基本的に"物事の本質を見抜く目"が無い』のです
よね。
だから『姿形に捕らわれてしまう』のです。
『かつての頃の相手の姿形に捕らわれてしまう』
から『すぐに相手を見失ってしまう』のですよね。
ちなみにこの様な方って、
『噂話などにすぐ踊らされてしまう』のですよね。
『物事に対する精査に欠けが生じてしまう』から。
僕の思う事を一筆此処に追記致します。
ーー
ヨハネ黙示録3:18
そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、
『目にぬる目薬を買いなさい』。
マタイ15:14
彼らをそのままにしておけ。
『彼らは盲人を手引きする盲人である』。
『もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう』。
−−− −−−
更に追記:
またその様な方の『キリスト教批判』は、
『聖句の趣旨等を読む事に難がある』ので、
『聖書を読む事が出来ない』のですよね。
だから『キリスト教批判等が批判にならなくなる』
のですよね。
『見当違いの批判はただの言いがかりでしか無い』
のですよね。
『聖書に矛盾がある』とか言って・・・
『読み手が矛盾を勝手につくり出す』のに・・・
僕の思う事を一筆此処に更に追記致します。
−−− −−−
ついでに、
『相手の姿形しか見ようとしていない方』は、
『相手の心の機微を共感によって察する事が出来ない』ので『デリカシーに欠ける』のですよね。
『所謂無神経な方でしか無い』のですよね。
『相手に嫌われてしまうのがオチ』なのですよね。
僕の思う事をついでに一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ10:40-42
あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう。
わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。
−−− −−−
更についでに、
『相手の心の痛み』を
『共感によって察する事が無い』のならば
『相手の心の痛みを踏み躙る事にもなりかねない』
のですよね。
『それ故にデリカシーに欠ける』のですよね。
ヨーロッパの諺:
『地獄への道は善意で舗装されている』
僕の思う事を
更についでに一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ22:39
第二もこれと同様である、
『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
−−− −−−
更についでに、
『相手の心の痛みを踏み躙る事になってしまう』と
『責任転嫁で言い訳』なのですよね。
『"自分の罪深さ"から目を背ける為に言い訳する』
のですよね。
『言い訳で"自分の罪を無かった事"にしようとする』
のですよね。
『起きた出来事を無かった事にする事は出来ない』
のに『出来ると自己暗示を掛けて言い訳を続ける』
のですよね。
そして『罪を重ね続けてより罪深くなってゆく』の
ですよね。
『悔い改めも無い』のだから、
『嘘に嘘を重ねて後戻りが出来なくなる』様に、
ー『より罪深くなるのですよね』ー
僕の思う事を
更についでに一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ5:25
あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。
−−− −−−
更についでに、
『出口の見えない迷宮に迷い込んだ様なもの』
でしか無くなってくるのですよね。
『言い訳で自らに嘘を重ね続けた者の末路』
『他人に厳しく自分に甘い者の末路』
ー『混迷の時』ー
僕の思う事を
更についでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『相手を見失う方の証』は、
『根拠が無く憶測のみで相手を認識してしまう事』
なのですよね。
(或いは『"過去の記憶像のみ"での認識』)
(または『"他の誰かの言葉のみ"での認識』)
(則ち『"勘違いの思い込み"による認識』)
だから
『自分の"妄想した相手"に向けて語ってしまう』
のですよね。
そうなると、
『自分に向かって話し掛ける事になってしまう』
のですよね。
(『"壁に向かって話をする事"と同じ・・・』)
従って、
『相手を"無視してしまう"から相手を見失う』
と言うのですよね。
僕の勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
追記:
『リテラシーが低い事にも通じてしまう』から、
『怪しいオカルト・陰謀論』に傾倒・・・
僕の勝手に思う事を一筆此処に追記致します。
ーーー −−−
ヨハネ6:9-13
「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。
イエスは「人々をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。そこにすわった男の数は五千人ほどであった。
そこで、イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた。
人々がじゅうぶんに食べたのち、イエスは弟子たちに言われた、「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい」。
そこで彼らが集めると、五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。
↓
ヨハネ6:26-27
イエスは答えて言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、
『パンを食べて満腹したからである』。
『朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい』。
これは人の子があなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである」。
ーー
『永遠の命に至る"朽ちない食物"』とは何?
『働く-分かち合う』について、
聖句を用いて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
マタイ6:33-34
まず『神の国と神の義』とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
ルカ11:2-4
そこで彼らに言われた、「祈るときには、こう言いなさい、『父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。
『わたしたちの日ごとの食物』を、日々お与えください。
わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないでください』」。
ーー
『働く-分かち合う』について、
聖句を用いて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
マタイ10:40-42
あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう。
わたしの弟子であるという名のゆえに、
『この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない』。
ーー
『働く-分かち合う』について、
聖句を用いて更に一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『善悪の(知恵の)実』を食す(触れる)と、
『善が死ぬ事』により『悪を知る』のです。
それは、
『悪を知る事で"神のように善悪を知る者"となる』
のであって『神になる訳では無い』のです。
だから、
『神の似姿』は『姿が似ているだけ』であって
『神では無い』のです。
ちなみに、
『目が開けると何が見える』のか・・・
『善悪の(知恵の)実と神の似姿』について、
僕の思う事を僭越ながら一筆此処に書き記します。
−−
創世記2:9
また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、『"善悪を知る"木とをはえさせられた』。
創世記3:3-5
ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、『これに触れるな、死んではいけない』からと、神は言われました」。
へびは女に言った、
「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。
それを食べると、あなたがたの目が開け、
『神のように"善悪を知る者"となる』ことを、
神は知っておられるのです」。
女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、『賢くなる』には好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
−−− −−−
補記:
『元々善しか知らない』から『悪を知る事』によって『神のように"善悪を知る者"となる』となる。
−−− −−−
ついでに、
『善悪(知恵)の実』のくだりは、
『暗黙的に知恵をメインとする事の愚かしさ』
を伝えているものである。
ー『賢くなる誘惑に呑まれ悪になったのだから』ー
ー『だから"お勉強だけ出来る馬○"って・・・』ー
『善悪の(知恵の)実と神の似姿』について、
僕の思う事をついでに一筆此処に書き記します。
ーー
創世記3:5
女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、『賢くなる』には好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
−−− −−−
『癒し(被害回復-現状回復)』とは、
『つまづいて倒れ自ら歩けなくなった方』に対して
『手を差し出し立たせて"再び自ら歩き出せる様"に
する事』なのですよね。
則ち『再自立支援』なのですよね。
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
ーー
ローマ人への手紙6:23
罪の支払う報酬は死である。『しかし神の賜物は、
わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠の
いのちである』。
マタイ10:42
わたしの弟子であるという名のゆえに、
『この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない』。
−−− −−−
追記:
ちなみに『再び自ら歩き出す事に対する阻害』は、
『罪による堕落』なのですよね。
僕の思う事を一筆此処に追記致します。
ーー
ローマ人への手紙6:23
『罪の支払う報酬は死である』。
しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。
−−− −−−
ついでに、
『被害妄想』で『被害に甘んじる事』は、
『自分の罪の誘惑に対する甘え(悪魔に魂を売る)』なのですよね。
だから『最後には・・・』
僕の思う事をついでに一筆此処に書き記します。
ーー
ローマ人への手紙6:23
『罪の支払う報酬は死である』。
しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。
−−− −−−
更についでに、
『病人』→『治療による救済』→『健康な人』
『病人』→『不幸に甘んじる』→『病人』
『被害者』→『回復よる救済』→『普通の人』
『被害者』→『被害に甘んじる』→『被害者』
僕の思う事を
更についでに一筆此処に書き記します。
ーー −−−
『"人に罪が無い"と主張する方』は、
言うなれば『私もあなたも罪が無い』のだから
ー『私が何をやっても皆文句を言うな‼』ー
と『勝手な要求を誰彼構わずに突きつける様な事』をしているのですよね。
ー『物凄く"傍迷惑な主張(行為)"なのですよね』ー
ー『まるで"駄々っ子の主張(行為)の様"ですよね』ー
『公序良俗を守る』って御存知なのでしょうか?
『罪に問われる』って御存知なのでしょうか?
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ついでに、
『関数的法則に於ける(運命)決定論を主張する方』は『関数的法則で○月○日に××さんは"必ず"犯罪を
犯すのだから罪の規定を求める(定める)必要がない』と
主張するのですよね。
『"人の自主判断"を抜かした主張』なのですよね。
『"放縦解放"の為の主張となってくる』のですよね。
僕の勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
ーー
ヨハネ黙示録22:15
犬ども、『まじないをする者』、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。
−−− −−−
『世界』に於いて、
『善悪是非の規定』を『制定-施行』したのは、
『神(絶対者-創造主)』なのです。
だから『神(絶対者-創造主)』は、
『神(裁定者)』でもあるのです。
『唯一神』について、
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『あなたは僕に何を願い祈るのでしょうか?』
『そして僕はどう応じればいいのでしょうか?』
今の僕の素直な気持ちは・・・
僕は胸に手を当て静かに聴き入る・・・
僕の心の声を・・・
ー『Respond』ー
−−− −−−
『仲良きことは美しい』とは言われますけど、
『"不貞"による不倫カップルの様な"爛れた関係"』
って『美しい』て思えるのでしょうか?
まず『不潔です‼』って言われるかと思います。
・・・『貞操観念』って御存知なのでしょうか?
・・・『純潔清浄』って御存知なのでしょうか?
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『乾ききった砂でお城を造った』としても
水が無いので『すぐに崩れてしまう』のです。
また『水を混ぜた砂で立派なお城を造った』としても
『綺麗な水』なら『見惚れてしまう』のですけど
『腐った水』なら『腐臭で目を背けたくなる』の
です。
そこで『一粒の砂を一人の人とする』と・・・
『今の世の中(共同体)』は・・・
『砂の城』について、
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ー『Aさんはテストで80点取りました』ー
ー『Bさんはテストで40点取りました』ー
※点数は『神の義』によるものです。
周りの人は『Aさんを好んで』てAさんに群がりますが
Bさんの所には『好まれない』のであまり群がっ
ては来ません。
『Bさん』は『Aさんに嫉妬』をして
『Aさんを排除』して『Aさんの後釜』に着きます。
けれども『元々Bさんは40点の方』なので
『変わらずBさんの所に群がってきません』
なので『元々あったAさんのコミュニティ』は
『Bさんが後釜に着いた事によって瓦解する恐れ』
があると言う事になります。
そこで『Bさんのとる行動』とは一体何か・・・
僕がふと思った事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
追記:
『Bさんのとる行動』とは、
『コミュニティの人々を監視-レッテル貼り』
『"ごますり"や"自己PR"などの人気取り』・・・
則ち『"神の義でない別の価値を刷り込ませる手法"
で人を集める事に終始する』のか、
或いは『"痛悔"による"自らの悔い改め"』
則ち『コミュニティの為にAさんの様になる事』
を求めるのか。
僕がふと思った事を
乱文にて一筆此処に追記致します。
−−− −−−
ヨハネ6:26-27
イエスは答えて言われた、
「よくよくあなたがたに言っておく。
『あなたがたがわたしを尋ねてきている』のは、
『しるしを見たためではなく』、
『パンを食べて満腹したからである』」。
『朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい』。
これは人の子があなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである」。
マタイ6:33
まず『神の国と神の義』とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
−−− −−−
ついでに、
『"責任転嫁をする"様な方に近づきたい方』は
居られるのでしょうか?
『いつ自分に"責任転嫁をされてしまう"』のか
『"戦々恐々"となってしまう』のですけど・・・
『関わらない方が"賢明な判断"である』かと思うの
ですけど・・・
僕の思う事をついでに一筆此処に書き記します
−−− −−−
マタイ10:16-17
わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、
『へびのように賢く、はとのように素直であれ』。
『人々に注意しなさい』。
『彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう』。
−−− −−−
宗教板避難所
0994 atheist 2022/07/22 01:51:52
4章5節はそういう意味だったんですか
働かないから『自分の肉(財産)』を食い潰して死んでしまう、ってことですね
↓
『atheist氏』は『財産(人にとって価値のあるもの)』
を『履き違えている』のですよね。
↓
歓談室スレッド
0102 神も仏も名無しさん 2022/07/21 12:09:03
知能の差が大きいとサルの集団の中では人間が暮らせないのと同じこと。
知能高いと世の中から社会不適合者にされていく。
旦那様もサル集団のサル側だったわけです。『旦那様も知能高い人を社会不適合者にしていく人間側であります』。
(※『atheist』=『旦那様』)
↓
歓談室スレッドでの批判は、
ある意味『適切な批判-非難であると言える』と
思います。
(『言動の責任』に於いての『批判-非難』かと)
↓
そこで『楽園』より、
『人々の共存共生』に『必要なもの』とは?
(『サル同士の共存共生』では無く)
その『必要なもの』が『財産』となるのですよね。
−−− −−−
『実害を受けていない方』が
『実害を受けた被害者』に『便乗』して
『"被害者のフリ"をして回復(賠償)要求する事』は
ー『一種の"詐欺行為"なのですよね』ー
ー『全く"実害を受けていない"のだから』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
更に、
『被害妄想』で『被害を訴え出て』も
『"実質被害"を受けていない』のだから
ー『"被害者のフリでしか無い"のですよね』ー
だから『"被害回復要求"をする事自体』は
ー『一種の"詐欺行為"となるのですよね』ー
ー『"請求権は無い"のだから』ー
僕の思う事を更に一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『反撃を主張する方』って、
『相手から決して反撃をされないと言う前提』
で『主張している』のですよね。
でも『相手は反撃されたら反撃を仕返ししてくる』
のですけど・・・
そして『仕返しされたら反撃の循環・・・』
結果『双方共に消耗し続けて・・・』
『自分達が一方的に相手に対して事を起こせる』と
『勝手に思い込んでいるだけ』なのですよね。
やっぱり『ネット上での"匿名での一方的攻撃"』
が『この様な考えに至らせる』のかなと思う。
『匿名を使った一方的に力でねじ伏せる価値観』が
『この様な社会風潮を齎し人々に影響を与えた結果』なのかなと思う。
だから『相手から反撃をされないと言う前提』での
『反撃の要求を主張する方が出てくる』のかなと思う。
ー『随分と都合のいい主張だと思うのです』ー
僕の思う事を
甚だ乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
箴言1:14-16
あなたもわれわれの仲間に加わりなさい、われわれは共に一つの金袋を持とう」と言っても、
わが子よ、彼らの仲間になってはならない、あなたの足をとどめて、彼らの道に行ってはならない。
彼らの足は悪に走り、血を流すことに速いからだ。
箴言16:18
高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ。
−−− −−−
ルカ6:37
人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。
マタイ26:52
そこで、イエスは彼に言われた、「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。
−−− −−−
『神の義』をもって『相手方に働き掛ける』と
『相手方』も『神の義をもって自らに働き掛ける』
ものです。
『行いの姿形だけ』で『返ってくる訳』ではありません。
(『打算的』なので『偽善者』なのだから)
『黄金律(因果応報)』について、
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ6:33
まず『神の国と神の義』とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、『すべて添えて与えられるであろう』。
マタイ7:6-15
聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。
狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
−−− −−−
追記:
自分と相手『お互いに神の義無く』して
『友の為に喜びや悲しみを友に分かち合う事は無い』ものなのです。
『友である』なら『共感によってつられる』から。
また『相手に神の義が無い(友で無い)』と
『醒めてしまい共感が起きなくなる』から。
『黄金律(因果応報)』について、
僕の思う事を一筆此処に追記致します。
ーー
ローマ人への手紙12:15
喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。
ーーー −−−
『大切なものは胸の内にあるものなのです』
『どうか、その大切なものを手放さないで下さい』
『悪魔なんかに売り渡さないで下さい』
『どうか、その善き御心を守り生かして下さい』
『それが何よりもあなたの為に良い事なのだから』
ー『believe your Heart』ー
−−− −−−
『幸せに規定付けられる形なんて無いのです』
『幸せだと思い込む様になってはいけないのです』
『虚構の幸せに縋り付いてはいけないのです』
『どうか、他人と幸せを比べないで下さい』
『あなたの幸せなのだから』
『他人の幸せなんてあなたにとって無意味だから』
『他人は他人、あなたはあなただから』
『だから、どうか・・・』
『どうか"あなたの幸せ"を自ら掴んで下さい』
ー『search your Happiness』ー
−−− −−−
ー『幸せを自慢する方は幸せでは無いのです』ー
ー『足りない分は自慢で補おうとするから』ー
ー『満ち足りているなら自慢する必要がないから』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− >>474
また粘着ですか
わたしはあなたがどうしてここまでわたしに粘着するのかさっぱり分かりませんが
それにしても相変わらず酷い難癖の付け様なので、一応指摘しておきます
そこでの「財産」はわたし自身の解釈ではありません
わたしの質問に答えてくれた福音伝道氏が書いたことを確認しただけであり、
なおかつその福音伝道氏も、言い回しからはっきりと分かるようにコメンタリーの解釈を
説明しただけです
あなたはそれを勝手にわたしが履き違えていることにし、あろうことか
他スレの美魔女による誹謗中傷をそのまま引用して肯定しています
見てわかる通り、あなたは著しく読解力、理解力が低く、かつ
異常なまでに性格が歪んでいるので、小学生でもわかるような単純なことも分からず
とにかく難癖をつけるためだけに自分で勝手に歪んだ読み込みをしているだけなのです
これは以前も具体的に例を示して証明しましたよね?
というか何度もこれまであなたの誤解、無理解に基づいた誹謗に対して
わたしはきちんと説明して答えてきましたよね?
いくらわたしがそうしても、あなたは自分の間違いを訂正して謝るどころか
それを無視して、忘れた頃にまた卑怯な難癖をつけ始めます
わたしはあなたほど卑怯かつ陰湿な人間に出会ったことはありません
ですからそんな人間に関わること自体、嫌ですし、そんな人間に
いちいち説明すること自体無駄だと思うのですが、放っておくとこのように
あなたは影に隠れて陰湿な誹謗を続けるますから、今回は指摘しました −−−
『被害者は見下げるべき対象では無い』が
『被害者は持ち上げられるべき対象では無い』
何故なら『同じ隣人(人同士)でしか無い』のだから。
『なのに一部の世の人々』は、
『被害者を見下す事』をしたり、
『被害者を持ち上げ』たりするのですよね。
それは『被害者』を
『一部の世の人々の為の"キリストと言う玩具"化』
にしているのだから・・・
だから『被害者は勘違いしてしまい・・・』
『昨今の被害者の扱い』について、
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ24:23-28
そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。
にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。
見よ、あなたがたに前もって言っておく。
だから、人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、へやの中にいる』と言っても、信じるな。
ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。
死体のあるところには、はげたかが集まるものである。
−−− −−−
『働く姿は美しい』と言われますが、
『奴隷労働の姿は美しい』と言えるのでしょうか。
『奴隷労働が美しいと心酔する方』って
一体『どんな方』なのだろうか?
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『"自虐"に追い込んて"自殺"してしまった方』
に対して『自殺してしまった方が悪い』と
言えるのでしょうか?
『自虐に追い込んだ方』が『悪い』のですよね。
『自虐に追い込まなかった』のであるならば
『自殺する事は無かった』のだから。
『自殺してしまった方が悪い』なんて
『単なる責任転嫁でしか無い』のですよね。
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『無いが無い』ので『在る"しかない"』となる。
『無いが在る』とは『"無い自体"が在る』となる。
だから『世界は在るしかない』となる。
僕の思う事を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『他者の心の傷の痛みや辛さなど』から、
『目を背けたり傷口に塩をぬる様な事をする方』は
『キリスト教に関わるべきでない』と僕は思う。
また、
『自分の都合ばかりに感け』て『他者の心情理解に
及ばない』なら『キリスト教に関わるべきで無い』と僕は思う。
(『特に自分と他者を同じ様に見てしまう方』)
『きっと聖書は読めない』と思うので、
『多分信仰の道を歩む事が出来無い』と僕は思うから。
何の権威も無い僕が勝手に思う事を
一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『理不尽』で『心に深い傷を負ってしまった方』は
『心が弱かったから悪い』のでしょうか?
『理不尽』は『何も悪くない』のでしょうか?
『理不尽』は『肯定されるべき』なのでしょうか?
−−− −−−
『あなたは宗教二世なのでしょうか?』
『あなたは"あなた"なのでしょうか?』
どんな『肩書き』であっても、
『あなたは"あなた"で何一つ変わらない』のです。
だから『他人から何を言われても気にする必要がない』のです。
『肩書きはあなた自身ではない』のだから。
『宗教二世さんではなく〇〇さん』なのだから。
『周りの方々と"同じ人同士"でしかない』のだから。
あなたの事を『宗教二世と馬鹿にする方』がいれば、
『見下げる為の揚げ足取りを目的とした行為』
でしかないのだから『単に矮小な方でしかない』
のです。
(『人間性が問われる様な方』でしかないのです)
だから『何を言われても気にする必要がない』のです。
ー『あなたにはあなたの為の名前があるのだから』ー
ー『宗教二世と言う名前ではないのだから』ー
ー『善き方なら"あなたと向かい合う"のだから』ー
ー『肩書きと向かい合う訳ではないのだから』ー
僕の勝手に思う事を
僭越ながら乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
追記:
『あなたが"あなたのまま"で居られる』のは
『神(主)のご加護による保証がある』からなのです。
僕の勝手に思う事を
僭越ながら一筆此処に追記致します。
−−− −−−
『レッテルを貼る方(誹謗する方)』とか
『肩書きで相手を見る(相手自身だと思い込む)方』
などは、
『相手を相手として見ている訳』では無くて、
『自分が"妄想した偽りの相手(虚像)"を見ている』
だけなのですよね。
だから『相手と直に向かい合えない』ので、
『相手を"無視する事"になり"嫌われてしまう"』
のですよね。
『一人遊び(自己陶酔)でしか無い』のですよね。
『人としての質が問われる』と思うのですよね。
『だから"好かれる事は先ず無い"』のですよね。
僕の勝手に思う事を
僭越ながら乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ついでに、
『聖書を読む事』でさえも、
『相手を相手として向かい合う事が出来無い』と
『"聖書から嫌われて"聖句を読む事が叶わない』
のですよね。
ー『聖書は読み手を選んでくるのですよね』ー
ー『読みたい様に読むと"嫌われる"のですよね』ー
ー『"視姦となってしまう"のだから』ー
ー『"読み手の人間性(性格)"が問われるのだから』ー
僕の勝手に思う事を
僭越ながらついでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
更についでに、
『"視姦"して読みたい様に読む方』は、
『"力ずく"で読みたい様にに読む訳』だから・・・
『レッテル貼り』って『"力ずく"での言葉』・・・
(『"無理矢理"相手に貼りつける』のだから・・・)
・・・さて。
僕の勝手に思う事を
更についでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
更についでに、
『君子危うきに近寄らず』ですよね・・・
今年も、
『"薄着"にならざる得ない程の暑い夏』ですね・・・
『女性の方』は大変ですね・・・
・・・さて。
僕の勝手に思う事を
更についでに一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ7:15
にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
マタイ24:23-26
そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。
にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。
見よ、あなたがたに前もって言っておく。
だから、人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、へやの中にいる』と言っても、信じるな。
−−− −−−
『責任転嫁をする方』って、
『僕に読める様に書かれていないから聖書が悪い』
と『聖書にレッテル貼り』を行い『"視姦"で聖書
を"お人形さん"の様にして"玩具"にする(改変する)』のですよね。
(『勝手に創作(主旨等改変)してしまう』のですよね)
『二次(同人)界隈』に於ける、
『原作レ〇プ』って御存知でしょうか?
『相手は相手』であって、
『あなたの"都合の良い玩具"では無い』のです。
ー『あなたの"慰安婦(性奴隷)では無い"のです』ー
僕が勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
ーー
ヨハネ黙示録22:18-19
この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。
また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。
−−− −−−
『ある方』が『A組織』から抜けて『B組織』に
移っても『やっている事が変わらない』のは、
一見『A組織と対立しているB組織』であっても、
『A組織とB組織の"本質は変わらない(同じ)"』なの
だから。
例えば、
『カルト組織(A)と反カルト組織(B)』の『本質』は『どちらも"相手を見下し力でねじ伏せる事を主目的
とした組織結成"である』ので『どちらに属しても
やる事は変わらない』のです。
(※仮の組織なので実在のものとは関係ありません)
則ち、
『A組織とB組織は"悪意"に基づく組織結成』なのだから『どちらに属しても"やる事は変わらない"』
のです。
僕の勝手に思う事を
乱文にて一筆此処に書き記します。
ーー
コリント第二4:18
わたしたちは、見えるものにではなく、
『見えないものに目を注ぐ』。
『見えるものは一時的』であり、
『見えないものは永遠につづく』のである。
ヨハネ20:29
イエスは彼に言われた、
『あなたはわたしを見たので信じたのか』。
『見ないで信ずる者は、さいわいである』。
−−− −−−
ついでに、
ー『見た目が逆でも本質が同じなら同じものです』ー
ー『見た目に"惑わされるべきでは無い"のです』ー
僕の勝手に思う事を
ついでに一筆此処に書き記します。
−− −−−
『atheist』さん
『ですね』って、
『同意を示す言葉』なのですよね。
だから『atheist』さんは、
ー
働かないから『自分の肉(財産)』を食い潰して死んでしまう、ってこと『ですね』
ー
に於ける『自分の肉(財産)』の理解に
『自ら同意している事になる』と思いますよ。
あと『atheist』さんって、
『御自分のメンツに拘る方』なのですよね。
『sage』続けている『このスレッド』に
『見回りに来られるくらい』ですから。
『御自分の"評判"が気になる』のでしょうか?
ちなみに『sage』ているのは『age』てしまうと
『公開処刑的』になってしまうからですよ。
それから『批判と誹謗の区別』くらい付けた方が
宜しいかと思いますよ。
・・・では失礼致します。
・・・『atheist』さん。
−−
批判とは(goo辞書より)
『物事に検討を加えて、判定・評価すること』。
「事の適否を―する」「―力を養う」
『人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること』。「周囲の―を受ける」「政府を―する」
哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。
誹謗とは(goo辞書より)
[名](スル)他人を悪く言うこと。そしること。「陰で他人を―する」「―中傷」
−−− −−−
あと『"心"と宗教板』に於いて、
『自分の肉(財産)』としての『同意-理解は無い』
かと思いますよ。
『宗教板避難所』でも『"心"と宗教板』だと思いますので。
・・・では失礼致します。
・・・『atheist』さん。
−−− >>501
あなたがコミュニケーション不能なのがよく分かります
流れはこうです
私: Aはどういう意味ですか?
福音氏:AはBという意味のことわざのようです(つまり福音氏が参照したコメンタリーではそのように
解説されている)
私: Bという意味ですね
要するにわたしが「~ですね」という語尾を使ったのは、同意ではなく単にそういう意味だったのかという
確認です
どこに「私もそう思う」というような同意を示す文章を私が書いてますか?
もうこのレベルの基本的なコミュニケーションすら理解できないのですから
わたしはあなたに説明しても無駄だと再三言っているのです
ただ指摘しないとあなたの陰湿なストーカー行為が続くので指摘しているだけです
それからここはそもそもあなたのスレではなくてまちこさんが癒やしスレが荒らされていたため
立てたスレですよ?あなたが乗っ取ってしまった形になったので、まちこさんはほとんど
ここには書き込まなくなりましたが
というか、普通の常識のある人間ならば、他人が立てたスレを占有するような真似はしません
癒やしスレで糖質くんがやっていたのと同じようなことをあなたはやっているのです
しかも糖質くんなら他人の悪口や陰口を言わないだけ、あなたよりはるかに高潔です
>>502
宗教板での同意や理解もへったくれもありません
なぜならば、これは単にことわざとしてこういう意味だと解説されているだけのことだからです
単純にあることわざがこういう意味だと解説されたものを、ああそうなのか、と受け取っているだけです
ついでにあなたが如何に陰湿であるかを追記しておきます
この「自分の肉(財産)」という解釈はわたしがしたものではなく
福音氏がコメンタリーに書いてあることとして解説したものです
ですからもし、その解釈がおかしいと思うなら、あなたはまず福音氏に直接聞くべきだし
福音氏に(そのコメンタリーに)「その解釈は履き違えている」と言うべきなのです
それをあなたは福音氏にではなくわたしに向けています
しかも自分の言葉ではなく他人が書いた誹謗中傷を引用する形で責任を転嫁しながら
陰湿に誹謗しているのです
如何にあなたが陰湿な人間かわかるでしょう −−−
『携帯の修理(ディスプレイ)が終わった』ので
『書き込みテスト』です。
−−− −−−
『自動車が歩行者をはねてしまう事故』に於いて、
『歩行者に過失責任が問える』のでしょうか?
『被害者の過失責任を問える条件』とは?
『加害者-被害者』に於ける『過失割合』とは?
−−− −−−
マタイ15:4-14
神は言われた、『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は、必ず死に定められる』と。
それだのに、あなたがたは『だれでも父または母にむかって、あなたにさしあげるはずのこのものは供え物です、と言えば、
父または母を敬わなくてもよろしい』と言っている。こうしてあなたがたは自分たちの言伝えによって、神の言を無にしている。
偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、こういう適切な預言をしている、
『この民は、口さきではわたしを敬うが、
その心はわたしから遠く離れている。
人間のいましめを教として教え、
無意味にわたしを拝んでいる』」。
それからイエスは群衆を呼び寄せて言われた、「聞いて悟るがよい。
口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」。
そのとき、弟子たちが近寄ってきてイエスに言った、「パリサイ人たちが御言を聞いてつまずいたことを、ご存じですか」。
イエスは答えて言われた、「わたしの天の父がお植えにならなかったものは、みな抜き取られるであろう。
彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」。
−−− −−−
『被害者に"過失責任を問える"条件』は、
『被害者に"過失(不注意)がある"場合』なのです。
先程の『自動車事故』に於いて、
例えば『歩行者が赤信号を渡った事』や、
『歩行者通行禁止の所を通った事』などです。
『歩行者が"重過失"に問われます』ので。
僕の勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『人が人を力ずくで傷つける事』に
『どんな正当性がある』のでしょうか?
『自分にとっての正当性がある』のでしょうけど。
『敵対する相手にとっては不当性がある』のでは?
ー『1000人倒した英雄は1000人〇した〇戮者』ー
ー『赤信号は止まるべきなのです』ー
ー『過失責任とは?』ー
ー『共通の善とは?』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『破壊する道具』で『何を育てる』のでしょうか?
『一面の花畑にする事』が出来ますか?
『辺り一帯瓦礫だらけ』にする事は出来ますけど。
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ー『他人の命は無価値なのでしょうか?』ー
ー『命の価値に上下はあるのでしょうか?』ー
ー『命の尊厳ってなんでしょうか?』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ー『他人は"お人形さん"なのでしょうか?』ー
ー『"人の心"は何処へ行ったのだろうか?』ー
−−− −−−
ー『人は"お人形(偶像)さん"では無いのに』ー
ー『人は"心ある者"である筈なのに』ー
『どうか、どうか』
ー『人から"心を奪い去らない"で下さい』ー
ー『"人としての想いを消さない"で下さい』ー
−−− −−−
『時間と呼ばれるものの理解を履き違える方』
である程『史実や歴史像に縋ってしまう』様な
気が致します。
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
どれだけ『肩書き(ブランド名)に拘って』も、
どれだけ『数多くの知識を有して』も、
どれだけ『優れた誰かの真似をして』も、
『問われるのはあなた自身』なのですよね。
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
ーー
コリント第一1:10-19
さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたに勧める。みな語ることを一つにし、お互の間に分争がないようにし、同じ心、同じ思いになって、堅く結び合っていてほしい。
わたしの兄弟たちよ。実は、クロエの家の者たちから、あなたがたの間に争いがあると聞かされている。
はっきり言うと、あなたがたがそれぞれ、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケパに」「わたしはキリストに」と言い合っていることである。
キリストは、いくつにも分けられたのか。パウロは、あなたがたのために十字架につけられたことがあるのか。それとも、あなたがたは、パウロの名によってバプテスマを受けたのか
わたしは感謝しているが、クリスポとガイオ以外には、あなたがたのうちのだれにも、バプテスマを授けたことがない。
それはあなたがたがわたしの名によってバプテスマを受けたのだと、だれにも言われることのないためである。
もっとも、ステパナの家の者たちには、バプテスマを授けたことがある。しかし、そのほかには、だれにも授けた覚えがない。
いったい、キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授けるためではなく、
『福音を宣べ伝えるため』であり、
『しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった』。
『それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである』。
『十字架の言』は、
『滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である』。
すなわち、聖書に、「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする」と書いてある。
−−− −−−
『姿形をどれだけ真似ても心の真似は誰も出来無い』
のです。
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『死体が見つからなければ殺人事件にはならない』
『被害届が受理されなければ事件にはならない』
則ち『"被害者が居なければ"事件にはならない』
果たして『この間の銃撃事件』に於いて、
『母親は"誰から何の被害を受けた"』のか?
『本人は"被害を受けたと自認識している"』のか?
『周りが"被害を受けた"と騒いだ』としても、
『本人が"被害を受けていない"と言う』と・・・
僕の勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ついでに、
『この間の銃撃事件』に於ける『加害者』は、
『母親が"ホストに入れ込んで"いた』としたら
『銃撃事件を起こさなかった』のだろうか?
僕の勝手に思う事を
ついでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
更についでに、
『宗教団体』だと『周りは騒ぐ』のですよね。
『ホストクラブ』だと『周りはどうなる』のか?
僕の勝手に思う事を
更についでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『相手が僕に分かる様に話さないのが悪い』
『だから相手は"頭が悪い"』と言っても、
そもそも『相手の話を"理解しようと努めた"』
のでしょうか?
でなければ『相手は"頭が悪い"と言うセリフ』は、
『ただの"言いがかり(誹謗)"でしか無い』のです。
『相手の論に於ける"不備を指摘(批判)"していない』
のだから。
『理解の為の努力を怠っているだけ』なのだから。
(結果『証明責任の放棄』でしか無くなるだけ)
『自分の不手際を棚に上げているだけ』なのだから。
『責任転嫁で誤魔化しているだけ』なのだから。
『相手はあなたのお母様では無い』のだから。
ちなみに、
『聖書が僕に分かる様に書かれてないのが悪い』
と言うのは『ただの言いがかり(誹謗)』なのです。
『罵声を浴びせ有耶無耶にしようとして』も
『ただの言いがかり(誹謗)の事実は変わらない』
のです。
僕の思う事を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『空気の入った風船』に於いて、
『法律』は『外部気圧(秩序)』の様なものであり、
『憲法』は『内部気圧(自由)』の様なものである。
だから『憲法が弱まる』と『外部気圧>内部気圧』
となり『風船は縮む(不自由-束縛化)』のです。
逆に『法律が弱まる』と『内部気圧>外部気圧』
となり『風船は破裂する(放縦-身勝手化)』のです。
従って『法律と憲法との関係性』は、
『風船を保たせる』為に『内部気圧=外部気圧』と『適正なバランスを取る事(自由化)が必要』なのです。
僕が何げに思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ついでに、
『憲法を蔑ろにして"法ガー"と叫ぶ方』は、
『法律で不都合な方を縛りたいだけ』なのです。
『罰を与え"自己保身"を図りたいだけ』なのです。
『"相手の自由"を全く考えていない』のだから。
『"共存-共生"なんて全く考えていない』のだから。
・・・『DV-ハラスメントの様な束縛男』とか。
・・・『"社会性に欠落"がある』のかと。
僕が何げに思う事を
ついでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
箴言26:9-12
愚かな者の口に箴言があるのは、酔った者が、とげのあるつえを手で振り上げるようだ。
通りがかりの愚か者や、酔った者を雇う者は、すべての人を傷つける射手のようだ。
犬が帰って来てその吐いた物を食べるように、愚かな者はその愚かさをくり返す。
自分の目に自らを知恵ある者とする人を、あなたは見るか、彼よりもかえって愚かな人に望みがある。
マタイ7:15
にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
−−− −−−
更についでに、
『法律-憲法のバランス取り』は、
『胸の"鼓動"の様なもの』なのですよね。
だから『法律-憲法のバランスが取りにくくなる』と
『"心不全"が引き起こされ』て・・・やがて・・・
僕が何げに思う事を
更についでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『林檎の味(感受性による経験)』を知りたければ、
『誰かから林檎の味を聞いて知る』のでは無く、
『林檎を食べて"直接"知る』必要があるのです。
どれだけ数多く誰かから聞いても、
『知ったかぶりまでしか無い』ので。
ー『百聞は一見に如かず』ー
−−− −−−
『愛された事が無い方』が
『誰かから愛について聞いた』としても
『感受性による愛される経験が無い』から
『いつまでたっても愛を知る事が無い』のです。
『愛される喜び』について『語り合いたい』なら
『愛された事がある者同士』なら『経験-共感性』
により『話が合う事(コミュニケーション成立)』
となり『愛される喜びについて語り合う事が叶う』
のです。
−−− −−−
『伝聞のみで知ったかぶりのまま』であると、
『愛?なにそれ美味しいの?』のままでしかない
ので『話が合わない事(コミュニケーション障害)』
となるのです。
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
(先程歓談室スレッドにて記したものの再掲)
−−− −−−
コリント第一1:17-19
いったい、キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授けるためではなく、
『福音を宣べ伝えるため』であり、
『しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった』。
『それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである』。
『十字架の言』は、
『滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である』。
すなわち、聖書に、「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする」と書いてある。
−−− −−−
追記:
そこで『純粋経験』とは何でしょうか?
僕の思う事を一筆此処に一筆追記致します。
−−− −−−
『厳しさ』に於いて、
『批判』には『相手への"愛"はある』のですけど
『誹謗』には『相手への"愛"は無い』のですよね。
(※『本質-実質性に於いてのもの』として)
ー『愛(神の義)は感受性で受け取るものなのです』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−
第二コリント4:18
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。
−−− −−−
『心無き言葉に溢れる』という事は、
『虚しさに満ち溢れる』という事でもあるのです。
『現状のネット-言語空間』に於いては、
『取り繕いによる心無き言葉で溢れている』から、
『空間内は軽薄で虚しさに満ち溢れている』のです
よね。
『軽薄で虚しさ溢れるネット-言語空間』で
『コミュニケーションを取りたい』なんて
『湧き起こる事はほとんど無い』のですよね。
僕の勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
僕が勝手に思う所として、
『ギフデットの方』って『人よりも感受性が余りにも高い』ので『繊細な心の持ち主』なのですよね。
『悪意による嫉妬などでとても心が傷付きやすい』ので『メンサなどの保護組織』で『保護される』のですよね。
『優秀な才能の芽を枯らさず芽吹かす為』に
『繊細な心の保護を目的』として・・・
『保護組織が形骸化されていなければの話』だが。
僕の勝手に思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
マタイ25:1-13
そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。
その中の五人は思慮が浅く、五人は『思慮深い者』であった。
思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。
しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。
花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。
夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。
そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。
ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。
すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。
彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。
そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。
しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。
だから、『目をさましていなさい』。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。
−−− −−−
マタイ25:31-40
人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。
羊を右に、やぎを左におくであろう。
そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。
あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、
裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。
そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。
いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。
また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。
すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。
−−− −−−
『隣人の事を考えると"いい加減(無責任)"ではいけない』のですよね。
『いい加減(無責任な)なもの』だと
『隣人を突き落とす事にもなりかねない』から。
『自分のした事を知らない筈は無い』ので
『いい加減(無責任)である事を自ら知っている筈』
であり『自覚していれば極力いい加減(無責任)な事
をしない』ので『言い訳は通用しない』のです。
ー『人に優しく自分に厳しく』ー
僕の思う事を乱文にて一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ15:14
彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう」。
−−− −−−
『イジメが行われている場面』に於いて、
『自分の事を優先し自分は関係ない』と言って
『イジメ-誹謗を黙認する方』って『残酷な方』
であると思うのですよね。
『イジメ-誹謗されている方』を
『横目で"見殺し"にしているだけ』なのだから。
※『批判を浴びる事』と『イジメ-誹謗される事』
とは全く違います。
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−−
ルカ10:29-37
すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。
イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。
するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。
同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。
ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、
近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。
この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。
彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。
−−− −−−
『和をもって尊し』という言葉がありますけど、
『昨今の風潮』に於ける『和をもって尊し』は
『ただ人を数珠の様に並べただけ(見た目だけ)』で
『"和"と言う事にしろ‼、そう思い込め‼』と言った
感じになっているのですよね。
『人と人とを繋ぐ"絆"を"全く無視"』して・・・
『"絆"あってこその"和"である』と言うのに・・・
『思い込みでの"和の精神"』とはね・・・
僕が勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
ーー
第二コリント4:18
わたしたちは、見えるものにではなく、
『見えないものに目を注ぐ』。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。
マタイ6:33
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
−−− −−−
『幸せのお裾分け』とは、
『幸せを"見せびらかす(自慢する)事』では無くて、
『ブーケトスの様に"幸せになれる様に祈る"事』
であるかと思います。
ー『次はあなたが幸せになる番です』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『男性の見方や考え方』と『女性の見方や考え方』
は『異なっている』のです。
『男性は男性ならでは』であり、
『女性は女性ならでは』であるのです。
どちらも『其々に一長一短』なのです。
どちらかが『優(上)位である訳では無い』のです。
『男尊女卑』でも『女尊男卑』でも無いのです。
『男性と女性、お互いに持ちつ持たれつ』で
『お互いに生(活)かし合う』のが『丁度良い関係』
なのです。
ー『御二方でワルツを舞い踊るかの様に』ー
僕の思う事を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ついでに、
ちなみに『"傲慢"で相手を見下げる方』であると、
『男尊女卑』だったり『女尊男卑』だったりする
のです。
則ち『"性差別"となる』のです。
僕の思う事をついでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
更についでに、
『夢を形にする』と言う言葉はありますが、
『夢を生み出す事が得意』なのは『女性』であり、
『形にしていく事が得意』なのは『男性』なのです。
だから『男性と女性』は『持ちつ持たれつ』で
『夢を形にした"愛の結晶"を世に出す』のです。
ー『御二方の舞うワルツはアートの様に美しい』ー
僕の思う事を
更についでに一筆此処に書き記します。
−−
マタイ5:48
それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
−−− −−−
更についでに、
『男性+女性に於ける世界(アート)』について、
『男性>女性』なら『モノトーンの世界』であり、
『女性>男性』なら『サイケデリックの世界』であり、
『男性=女性』なら『オーロラ(虹)の世界』となる
のです。
(※『男性と女性との混在』ではありません)
僕の思う事を
更についでに一筆此処に書き記します。
−−ー −−−
『仮想敵』と言う名の『救済者(生け贄)』
『イジメられっ子』と言う名の『救済者(生け贄)』
『DV男の妻や子供』と言う名の『救済者(生け贄)』
などなど・・・
『弱い』からこそ『悪人に祭り(もち)上げられる』
『本人の事なんて御構い無し』に、
『詰られ、嬲られ、貪られ・・・』
『お手製の十字架の刑具に括り付け・・・』
『悪人達の救済者(生け贄)』となってしまう。
『理不尽達の救済者(生け贄)』となってしまう。
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−
ヨハネ8:7
彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
−−− −−−
ついでに、
『悪人達は気が付いていない』のです。
『理不尽達は目を背け続けている』のです。
『弱者が居なければ"自分達は救われない"』と。
『自ら"決して救済者を名乗れない"事』を。
ー『弱者に救われている対象でしか無い事を』ー
僕の思う事をついでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ヨハネ8:9-11
これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。〕
−−− −−−
ついでに、
『弱者を上から目線で見下す方』は、
『弱者によって"自ら救われている"』のです。
『レッテルを貼り続ける』のは何故なのか?
それは『自らを救ってもらいたい』から。
『人による自己救済』とはこんなもの、
だから『人は罪深いもの』なのです。
『救われる為に他者を傷つけずに居られない』
のだから。
『痛みを与える事で自らの痛みを忘れようとする』
のだから。
ー『お酒に溺れるかの様に』ー
僕の思う事を
ついでに乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
更についでに、
どれだけ『八つ当たりで責任転嫁』をしても、
『自らの痛みが癒される事は無い』のです。
『浴びる程に強いお酒を飲んで痛みを忘れ』ても、
『酔いが醒めてしまうと痛みはぶり返す』のです。
そして『強いお酒を飲み続けた(責任転嫁の)ツケ』が
やがて『自身の身の破滅を齎す』のです。
僕の思う事を
更についでに乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
マタイ23:29-31
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、
『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。
このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。
−−− −−−
『無理矢理に戦地に向かわされて命を落とした方』
に『二階級特進授与』はどうなのかと思う。
『昇進目当てで戦地に向かった訳では無い』
のだから・・・
『自己犠牲精神は素晴らしい』から、
『無理矢理に自己犠牲精神を貫かされる様なもの』
ですよね。
『好き好んで悪人に尽くした訳では無い』
のだから『褒められて』も・・・
僕がふと思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
マタイ24:28
死体のあるところには、はげたかが集まるものである。
−−− −−−
『誰かに踊らされて"革命家"になった』としても、
『命を落とす時に"納得がいく"』のだろうか?
『納得がいかなくなる』と・・・
『他人に納得がいくと言う事にされて』も・・・
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『被害者を褒め称える事より』も、
『被害者は憐れみをもって癒される』べき・・・
ー『二階級特進なんかよりも鎮魂歌なのです』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『無神経な(デリカシーの無い)方』って、
『誰かを傷付けても全く気付く事が無く』て
『同じ様な過ちで更に傷付けていく』のです。
それはまるで、
『談笑しながら殴り続ける様な事』なのです。
そして『傷付けられた事を非難』すると、
『自分は傷ついていなくて痛みを感じて無い』
から『責任転嫁をする様に勝手な非難をしてくる』
のです。
『お前、オカシイだろ‼』と『逆ギレ』して、
『暴力的に誹謗中傷をしてくる』のです。
『適当な言い訳を用意しながらの暴力的誹謗中傷』
なのです。
そして『自分だけではどうにもならなくなる』と
『仲間を集めて集団イジメ(リンチ)』をしてくる
のです。
『無自覚な加害者が被害者のフリをして』
『自らの暴力性を言い訳で正当化』しながら
『逆ギレでイジメ(リンチ)』をしてくるのです。
とても『残酷で残忍な事』なのです、
『無神経な(デリカシーの無い)方のする事』は。
ー『何様なんですか?』ー
僕の勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『人が心に受ける痛み』には『個人差』があるのです。
『相手を自分と同じであると言った感覚の方』だと
『自分なら大丈夫だからお前も大丈夫なんだ‼』と
『勝手に相手を規定付けて無理難題を押し付ける』
のですよね。
(足を怪我している方に自転車に乗れと言う様な事)
(足を怪我している事から目を背けて・・・)
『自分の事ばかりで相手と向かい合わない』から
『無自覚で残酷な程に相手を傷付ける』のですよね。
(『心痛-心労が積み重なり続ける』のです)
そして『相手の心が折れて潰され再起不能となる』
のですよね。
『無神経の(デリカシーの無い)方』って『タチが悪い』のですよね。
僕の勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『相手と向かい合う事より"決め付ける事"の方』が
『遥かに楽な事』なのですよね。
でもそれって『罪による傲慢-怠惰』なのですよね。
『無神経の(デリカシーの無い)方』は・・・
『無理解者』は・・・
僕の勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ13:5-7
ほかの種は『土の薄い石地』に落ちた。
『そこは土が深くない』ので、すぐ芽を出したが、
日が上ると焼けて、
『根がないために枯れてしまった』。
ほかの種はいばらの地に落ちた。
すると、『いばらが伸びて、ふさいでしまった』。
−−− −−−
『飛ぶ為の翼が傷つき折れた鳥』は、
『自ら大空に向かって飛び立つ事が出来る』
のでしょうか?
ー『お前鳥なんだろ、今すぐ飛べよ‼』ー
『その言葉』に『傷つき苦しむ鳥は何と思う』
のでしょうか?
『昨今の世の中の風潮』は、
『この様な心無い言葉に溢れている様』な気が
致します。
『無神経の(デリカシーの無い)方』によって・・・
『残酷な程』に・・・
僕が勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『心無い言葉に溢れている世の中の風潮』
に当てられた『弱者と言う救済者(生け贄)』は、
気がついたら『心は手遅れの状態』になっていて、
『批判や非難で悪人を訴え出ようとする』が、
『お前、オカシイだろ‼と悪人から逆ギレ』され、
『悪人の救済者(生け贄)に仕立て上げ』られ、
『悪人お手製の十字架に磔(はりつけ)られ』て
『集団イジメ(リンチ)』をされるのです。
そして『弱者と言う救済者(生け贄)は消え去り』
『悪人達は胸を撫で下ろす』のです。
『批判や非難で悪人を訴え出ようとする事』が
今後一切無くなると悪人は思うのだから。
『理不尽が世の中でまかり通る様になるのだから』
僕の勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ24:9
そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。
ヘブル人への手紙6:6
そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能である。
−−− −−−
『悪人は罪悪感から逃れる為』に
『弱者と言う悪人の救済者(生け贄)』に
『二階級特進授与』をして『自分の体裁を守る』
のです。
『批判や非難で悪人を訴え出ようとする事』が
今後一切出て来なくなるし、
『理不尽が世の中でまかり通る事が保証される』
のだから。
僕の勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ23:29-31
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、
『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。
このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。
−−− −−−
『もうこんな殺伐とした世界に疲れました』
『楽になりたいです』
『人から人足るものが失われた世界の中で』
『一人ぼっちとなった僕がただ素直に思う事』
−−− −−−
自由意志(じゆういし、英語: free will、ドイツ語: freier Wille、フランス語: libre arbitre、ラテン語: liberum arbitrium)とは、人間には、何からも影響(指図や制約)を受けずに、「何かを成そうとする気持ちや考え」を自由に生み出す能力がある、とする仮説である。
Wikipediaより
−−−
『「何かを成そうとする気持ちや考え」
を自由に生み出す能力がある』
↓
『"思い込む(気持ちをつくる)事と言うもの』
なのでは?
『心因性』とは何でしょうか?
『心の声』とは何でしょうか?
『自主的につくってしまう』のでしょうか?
『自分(本心)に嘘を付く事』になるのでは?
『"心から〜"と言うのが無くなる』のですけど。
ー『全く"信用出来かねる事"になりますけど』ー
ー『"本心からのものでは無い"のだから』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『自由意志なんて謳う方』ばかりだから、
『人はあまり好きにはなれない』のですよ。
『腹黒くて何を考えているのかわから無い』から。
『信用なんて出来ない』のですよ。
こんなのばかりだから『殺伐となってくる』のに。
ー『疲れましたのです』ー
ー『楽になりたいのです』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
マタイ12:34
まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、『心からあふれることを、口が語るものである』。
−−− −−−
『自由意志』で『クリスチャン』と成ろうとしても
結局は『クリスチャンの役に成りきっているだけ』
の『ロールプレイ』でしか無いと思うのですよね。
ー『ネット・キャラクターを演じるかの様に』ー
ー『心から素直と言うものが無いのですよね』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−
マタイ24:4-5
そこでイエスは答えて言われた、
人に惑わされないように気をつけなさい。
多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
−−− −−−
『愛を示すのに言葉数は然程必要ない』のに・・・
『薄っぺらい言葉を盛り続けて取り繕い続ける』
のですよね。
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−
マタイ6:7
また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。
『彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている』。
−−− −−−
『イミテーションの環境』だから
『イミテーションの人』なのでしょうか?
『イミテーションの人』だから
『イミテーションの環境』なのでしょうか?
それとも何方(どちら)でもあるのでしょうか?
何(いず)れにしろ『この様な人-環境はもう嫌』
なのです。
『疲れた』のです。
−−− −−−
僕は彷徨う。
生きる意味を失ったから。
僕は彷徨う。
何の希望も見出せないから。
僕は彷徨う。
どこにもたどり着けずに。
僕は彷徨う。
ただ僕は彷徨い続ける。
俯き続けながら・・・
この虚構の世界の中で・・・
ー『imitation world』ー
−−− −−−
僕は未だに・・・
イミテーションの世界で独りぼっち・・・
崩れ続ける世界で独りぼっち・・・
壊れた世界で独りぼっち・・・
思い出がフラッシュバックする・・・
あの頃の・・・
ー『Flash Memories』ー
−−− −−−
壊れゆく世界の中で、
いつも心が辛く苦しかった。
いつでも心が辛く苦しかった。
だから・・・
心が消える事を願っていた。
辛さや苦しみを消したかった。
でも・・・叶わなかった・・・
心を手放せなかった・・・
僕は弱かった・・・
ー『Crime Heart』ー
−−− −−−
カルト(仏: secte、英:cult)は、新宗教団体を含む非科学的(ニセ科学)主張をしている集団や組織を指して使用されるカルト団体には10つの特徴があり、虚偽に基づいた非科学的主張を信じていないことへの恐怖心を煽り、親団体の組織名を隠した強制的又は詐欺的な入信勧誘・多額の寄付金強要による経済的搾取や性搾取を含む『人権侵害』など様々な反社会的活動のため、世界各国で社会問題になっているSDGs・就活・ボランティアなどイベントを開催するなど勧誘手法が巧妙化しているため、全国霊感商法対策弁護士連絡会は注意喚起している。
元来は英語圏で『正統的キリスト教』の「教会」をchurch、その分派をセクト(sect)と呼ぶのに対し、過激で異端的な新興宗教集団をカルト(cult)と呼んでいる。
ただしヨーロッパでは、カルトとセクトは同義語となっている。
Wikipediaより
−−ー −−−
元来は英語圏で『正統的キリスト教』の「教会」をchurch、その分派をセクト(sect)と呼ぶのに対し、過激で異端的な新興宗教集団をカルト(cult)と呼んでいる。
↓
コリント第一1:10 (church)
さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたに勧める。
『みな語ることを一つにし、お互の間に分争がないようにし、同じ心、同じ思いになって、堅く結び合っていてほしい』。
コリント第一1:11-16 (sect cult)
わたしの兄弟たちよ。実は、クロエの家の者たちから、あなたがたの間に争いがあると聞かされている。
はっきり言うと、あなたがたがそれぞれ、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケパに」「わたしはキリストに」と言い合っていることである。
キリストは、いくつにも分けられたのか。パウロは、あなたがたのために十字架につけられたことがあるのか。それとも、あなたがたは、パウロの名によってバプテスマを受けたのか。
わたしは感謝しているが、クリスポとガイオ以外には、あなたがたのうちのだれにも、バプテスマを授けたことがない。
それはあなたがたがわたしの名によってバプテスマを受けたのだと、だれにも言われることのないためである。
もっとも、ステパナの家の者たちには、バプテスマを授けたことがある。しかし、そのほかには、だれにも授けた覚えがない。
−−− −−−
コリント第一1:17-19 (baptisma for church)
いったい、キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授けるためではなく、
『福音を宣べ伝えるため』であり、
しかも『知恵の言葉を用いずに宣べ伝える』ため
であった。それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである。
『十字架の言』は、
『滅び行く者には愚かであるが』、
『救にあずかるわたしたちには、神の力である』。
(※『十字架の言』=『啓示 律法 癒し等の神の義』)
(※『滅び行く者』=『cult』)
(※『救にあずかるわたしたち』=『church sect』)
すなわち、聖書に、『わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする』と書いてある。
(※『知者-賢い者』=『アポロ(仮)』)
(※『形式知のみの知ったかぶりの者』)
僕の勝手に思う所を
聖句を用いて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『本質-church』を基に『容態-sect』となり、
『本質-church』から外れたものは『容態-cult』
となります。
(『罪が本質』となるから『cult』となります)
また『容態-sect』に於いて『本質-church』から
外れたものは『容態-sect-cult』となる。
(『見た目はsect』だが『実質はcult』となります)
『主(絶対者)→ekklēsia→church→sect』であり
『罪→ekklēsia(偽)→church(偽)→cult』であるので
ー『判断の鍵は神の国と神の義なのです』ー
『church、sect、cult』について
僕が勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
−−
マタイ6:33
まず『神の国と神の義』とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
−−− −−−
上記のレス内容の修正
『容態』→『様態』
−−− −−−
『詐欺師を根絶』させたければ、
『詐欺師に騙される人が居なくなれば良い』
のです。
『詐欺師の商売が上がったり』となるので、
『詐欺師を廃業せざる得なくなる』のだから。
『人が正しくて善いもの(必要なもの)を知っている』
なら『人が過ちに向かう事が無くなってくる』
ので『過ち』は『自然消滅』してしまうのだから。
だから『詐欺師は自然消滅』してしまうのです。
ちなみに『詐欺師と言うもの』は、
『都合のいいものを提示し(見せ付け)て』
『必要なものを手放す様に仕向ける』のです。
例えば『ルールは破る為にある』と言った言葉など。
僕の思う事を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−
ヨハネ10:1-5
よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。
門からはいる者は、羊の羊飼である。
門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。
自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。
ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。
−−− −−−
ついでに、
『詐欺師』は、
『正論を振りかざす事』での『ルールで縛る事』
によって『ルールは破る為にある』に『反発で
過ちに向かう様に仕向ける事』もあります。
(『法の守り』を『法の縛り』にすり替える事で)
僕の思う事を
ついでに乱文にて一筆此処に書き記します。
−−ー −−−
『全能は全知となる』が『全知は全能とはならない』
だから『科学は万能(何でも出来る訳)では無い』
のです。
『全知全能』について、
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『理屈で誰かを愛せるの?』
『自由意志による思い込みで誰かを愛せるの?』
『理屈で愛するならそこに愛は無い』のです。
『思い込みで愛するならそこに愛は無い』のです。
何故なら『愛しさは"湧き起こる"もの』のであって
『愛しさは"つくり上げるのでは無い"』のだから。
『つくり上げた時点で"ただの言い訳"でしか無い』
のだから。
ー『社交辞令的営業スマイルでしか無いのだから』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ6:33
まず『神の国と神の義とを求めなさい』。
そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
マタイ12:34
まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、
『心からあふれることを、口が語るものである』。
−−− −−−
コリント第二5:13-14
もしわたしたちが、
『気が狂っているのなら、それは神のため』であり、気が確かであるのなら、それはあなたがたのためである。
なぜなら、『キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである』。わたしたちはこう考えている。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。
−−− −−−
上記のレスNo.572の補記として、
『主(絶対者)→ekklēsia→church→sect』
『罪→ekklēsia(偽)→church(偽)→cult』
について、
『主(絶対者)→ekklēsia』『罪→ekklēsia(偽)』が
『形而上の部分』なのであり、
『church→sect』『church(偽)→cult』が
『形而下の部分』なのである。
ちなみに『形而上と形而下とを"繋ぐもの"』は、
『万人祭司に於ける"祭司"』なのである。
だから、
『主(絶対者)→ekklēsia→(祭司)→church→sect』
『罪→ekklēsia(偽)→(祭司)→church(偽)→cult』
となります。
僕の思う事を補記として一筆此処に書き記します。
−−− −−−
マタイ22:37-40
イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
−−
↓
『第一のいましめ』は『形而上のもの』であり、
『第二のいましめ』は『形而下のもの』である。
だから『祭司』である『あなた』は
『形而上のものを受け取り形而下へと展開する』
のです。
これが『使命-伝道』となってくるのです。
『ブーケトスの様に"幸せになれる様に祈る"事』
なのです。
ー『次はあなたが幸せになる番です』ー
ー『神の義(主からの愛)のお裾分けです』ー
僕の勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
マタイ10:42
わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。
ーー
↓
『冷たい水一杯』に於いて、
『冷たいは律法』であり『水は乾きへの癒し』
なのです。
僕の勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『自分の論を確立していく事』は、
『自分の子供を育て上げる事と同じ様な事』である
かと思います。
だから、
『その方の論の質』を見ると『その方の子供』が
『どの様に育つのか大筋で分かってくる』と思われ
ます。
『誠実な論』なら『誠実な子供』に、
『いい加減な論』なら『いい加減な子供』と言う風に。
ー『何故なら子は親の鏡なのだから』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ついでに、
『誰かの受け売りに終始する論』なら、
『誰かの真似事に終始する様な子供』に、
『レッテル貼りに終始する論』なら、
『責任転嫁に終始する様な子供』に・・・
僕の思う事をついでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
更についでに、
『論と言うもの』は、
『その方の"性格"が色濃く現れるもの』なのです。
ー『だから"子は親の鏡"となるのです』ー
僕の思う事を
更についでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『誰かが相手に一方的に要求』する、
『相手の事なんて一切お構い無し』に・・・
『自分の事ばかりを優先』して、
『相手の悲痛な叫びを無視』しながら、
『相手を袋小路に追い詰めて』ゆき、
『相手を衰弱させ絶望させて』ゆく・・・
ー『相手を絶望感に苛まされさせて』ー
ー『相手に救いの手を求める事もさせずに』ー
ー『相手を漆黒の海に沈めてゆく・・・』ー
ー『そしてほくそ微笑む』ー
ー『あなたの尊い犠牲に自分は救われたのです』ー
−−− −−−
マタイ23:29-31
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、
『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。
このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。
−−− −−−
『家族』とか『国家』とかを謳う方は、
『家族そのもの』や『国家そのもの』を
『説明する事が出来る』のでしょうか?
『家族らしいもの』とか『国家らしいもの』とか
では無くて。
『家族そのもの』や『国家そのもの』の
『説明が出来ない』と『肯定も否定も出来無い』
のですよね。
(演繹に於ける前提の問題として)
『訳の分からないもの』について『批評する事』
になるのだから・・・
(正しい前提でなければ批評が出来ない筈なので)
(言いがかりとなる可能性が否めないので)
僕の勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ついでに、
『何と無くの前提』で持論を展開しても、
『説得力が無くなってくる』のですよね。
『独りよがりのものでしか無い』のだから。
僕の勝手に思う事を
ついでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
更についでに、
『名目的家族や国家』なのか、
『実質的家族や国家』なのですよね。
問われるのは、
『名目的』では無く『実質的』なのですよね。
何故なら『名目的』なら『無意味』なのだから。
(『似て非なるもの』でしか無いのだから)
僕の勝手に思う事を
更についでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
更についでに、
『虐待親と虐待される子供で構成されている家族』
は『名目的家族』なのか『実質的家族』なのか。
『判断の鍵』は『親の務め(責務)が焦点』となる
かと思います。
僕の勝手に思う事を
更についでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『人の親』となる為には『親の資質』が必要であり
『親の資質無き者』が『人の親となるべきでは無い』のですよね。
『子供さんに対する虐待にしかならない』ので。
『子供さんの成長が損なわれる』ので。
(『人間性-社会性が未成熟なまま』になるので)
僕が勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『昨今の世の中の人々』は、
『大人(社会人)として社会を担(にな)う』のか、
『社会(システム)に単にぶら下がるだけ』なのか。
僕が勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『ある"日本人"が素晴らしい功績を残した』のです。
『私は"同じ日本人"』なので
『この功績は"私が残した"』のです。
・・・『可笑しい』とは思いませんか?
『"誰が"素晴らしい功績を残した』のですか?
−−− −−−
『ある"女性"が素晴らしい功績を残した』のです。
『私は"同じ女性"』なので
『この功績は"私が残した"』のです。
・・・『可笑しい』とは思いませんか?
『"誰が"素晴らしい功績を残した』のですか?
僕のふと思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『上記にて記した様な方』は
『自分が"賞賛を受けた気になってしまう"』ので
『素直に"その方を賞賛する事が出来無い"』のです
よね。
(『気持ち的に"賞賛を横取り"している』から)
僕のふと思う事を
ついでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ー『実るほど頭を垂れる稲穂かな』ー
ーー
マタイ7:16-21
あなたがたは、
『その実によって彼らを見わけるであろう』。
茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
そのように、『すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ』。
『良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない』。
『良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる』。
このように、『あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである』。
わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
−−− −−−
『自慰行為』の問題点は『独りよがり』なので
『相手方に対する尊重がなされない(無視する)事』
なのです。
『性行為』に於いても『身体目当て』ならば
『それぞれ"自己の快楽"を追う事ばかり』なので
『お互いに"相手方を使った自慰行為"でしか無い』
のです。
『お互いに"相手方に対しての愛の恵み合い"』なら
『共同作業として"愛の結晶"が生み出される』けど
『お互いに"相手方を使った自慰行為"』なら
『"虚しいもの"が生み出されてしまう』のです。
『自慰行為(独りよがり-独善など)』について、
僕の思う事を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ついでに、
『愛の無い〜(身体だけの関係)』とは何でしょうか?
ー『"交尾だけ"なら"猿(獣)でも出来る"のです』ー
『自慰行為(独りよがり-独善など)』について、
僕の思う事をついでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
創世記2:18
また主なる神は言われた、
「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。
−−− −−−
更についでに、
『お互いに愛しさ溢れるもの同士の"愛の恵み合い"』
なら話は分かりますけど、
『お互い自己快楽追求の為の"身体の貪り合い"』は
どうかと・・・
・・・『真善美-Eros』とは。
・・・『"人としての醜美感覚"が問われる』のかと。
僕の思う事を更についでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
更についでに、
『薄着にならざる得ない程の暑い夏』ですね・・・
『女性の方』は気をつけた方が・・・
『口先男や詐欺師など』には是非ご注意の程を・・・
『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、"野獣の子達"よ』
では『全く洒落にはなりません』ので。
僕の思う事を更についでに一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ7:15
にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、
『その内側は強欲なおおかみである』。
創世記1:26-28
神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、『地のすべての獣』と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
神は彼らを祝福して言われた、
「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。
『また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ』」。
−−− −−−
『お互いに愛しさ溢れるもの同士の愛の恵み合い』
と言うのは、
『お互い相手に愛(乳と蜜)を恵み合うと言う事』
なのです。
だから『地上でお互いに相手の為の居場所となる事』によって、
『地上でのお互いの約束の地(乳と蜜の流れる地)』となるのですよね。
ー『それが家族になると言う事なのです』ー
僕が勝手に思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ついでに、
『不貞を働く方』は『相手の為の居場所になれない』ので『相手の心が離れるのは必然』なのです。
『自分の為のNumber Oneを求めさせる方』より
『相手の為のOnly Oneを求める方』なのです。
僕が勝手に思う事を
ついでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『傷と言うもの』は、
『傷が治ると傷のあった場所は以前よりも強くなる』
ものなのです。
(ただし『傷が深くなければ』ですが)
(傷が治らないので・・・)
だから『傷ついていない方』は、
『打たれ弱く傷つきやすい』ものなのです。
(ちょっとした事ですぐに『慌てふためく』のです)
だから『傷ついた事のない方』は、
『全く強くなっていない』ので『身を挺して相手を
守れない』から『相手の為の居場所(砦)になれない』のです。
ー『全然"頼りにならない方"なのです』ー
ー『辛さを乗り超えた分だけ強くなれるのです』ー
ー『純粋な愛はお互いを強くしていくのです』ー
僕の思う事を乱文にて一筆此処に書き記します。
−−− −−−
お互いに『相手方の為の居場所』であり、
お互いに『許し合い認め合える場所』であり、
お互いに『素の自分で居られる場所』であり、
お互いに『安らぎに満ちた神聖な場所』である、
ー『乳と蜜の流れる場所、約束の地』ー
ー『楽園-家族』ー
『僕はそのかけがえのない居場所を失った』
『僕は独りきり』
−−− −−−
『〜だからと言い訳』して『愛そうとする』なら
される側としては『ふざけるな‼』なのですよね。
ー『愛する事に言い訳は全く必要無いのだから』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『導きとは"信仰によって導かれる事"』なので、
『"思い込みで導かれる事"は"立ち往生"しか無い』
のですよね。
ー『信仰とは思い込みの事では無いのです』ー
ー『思い込みなら元の木阿弥でしか無いのです』ー
僕の思う事を更に一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『誰かを愛するのに"言い訳"なんて必要なのか?』
『"義務感"で愛されたら"冗談じゃない‼"』なの
ですよね。
ー『愛の無い方程"口数(言い訳)が多い"のです』ー
ー『"やっつけ仕事的"なのは願い下げなのです』ー
ー『自己満足なら"一人で踊ってろ‼"なのです』ー
僕の思う事を更に一筆此処に書き記します。
−−− −−−
ー『"独り善がりの愛"は空回りしか無いのです』ー
ー『単なる"自慰行為"でしか無いのだから』ー
ヨーロッパの諺:
『地獄への道は善意で舗装されている』
僕の思う事を更に一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『ホストやホステスにどれだけ貢いだ(愛した)』
としても『上質な客(ATM)くらいにしか思われない』のですよね。
ー『所詮"疑似恋愛でしか無い"のですよね』ー
ー『"ごっこ遊びでしか無い"のですよね』ー
ー『"誠実な恋愛では無い"のですよね』ー
『貢いだもの』が、
『質屋行き』なのか『大切に扱われる』のか・・・
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『汝敵を愛せよ』について
(『好敵手(ライバル)関係』として)
『敵ながら見事な決断です』などの様に
『敵であっても称えるべき所は称える』とか
『敵であっても見習うべき所は見習う』とか
『敵に塩を送る』の様に
『敵を憐れむ(情けをかける)』とかですよね。
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
果たして『シェイスクピアの作品』は、
『チンパンジーがタイピングした確率的文字列群』
なのでしょうか?
ー『僕は想い駆られて知性を用いて詩に認める』ー
ー『想い無く知性のみの詩はただの文字列群』ー
僕が思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『コップ』は『水(液体)を入れる為』にあります。
ならば『水(液体)が決して入る事の無いコップ』
は『コップと呼ぶべきもの』なのだろうか?
『チンパンジーと人間との違い』とは?
『人間は物語る猿』なのでしょうか?
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
ーー
コリント第二4:7
しかしわたしたちは、
『この宝を土の器の中に持っている』。
『その測り知れない力は神のもの』であって、
『わたしたちから出たものでない』ことが、あらわれるためである。
−−− −−−
どれだけ『優れた自動車』に乗り換えても、
『ドライバーは全く変わらない』なのですよね。
『過失運転しがちな方』なら『変わらず』に・・・
『自動車に乗せられる(振り回される)』と言うのは
ご存知ですか?
『自動車は乗る(制御-運転する)もの』なのですよね。
ー『安全運転を心がけ交通ルールを守りましょう』ー
僕が思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『病気の方』に対して『可愛そう、可愛そう』
なんて言う方って『残酷でしか無い』のですよね。
『病気の方』は『何とか"健常者の様に"なろう』と
しているのにね。
『可愛そう、可愛そう』では『病気の方扱い』で
しか無いのですよね。
『"愛玩動物"扱い』でしか無いのですよね。
『長期うつなどの病気持ち』の者より。
−−− −−−
『安っぽい同情』って、
『自分が弱者よりも"上であると自己認識"したい』
からなのですよね。
則ち『同情する"自分に酔いしれている"だけ』なの
ですよね。
ー『弱者を"愛玩動物"に仕立て上げて』ー
僕が思う事を一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ23:15
『偽善な律法学者、パリサイ人たちよ』。
あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。
『そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする』。
−−− −−−
ついでに、
『ご病気の方などの弱者』って、
『健常者の様な"普通の人"でありたい』のであって
『英雄とかの"特別な人"でありたい』訳ではないと
そう思うのですよね。
『弱者と言う"肩書き"でしか自分が見られなくなる』
のだから。
『自分と言うものが"そこから無くなって"しまう』の
だから。
『自分が置いてかれた様な感覚となってしまう』の
だから。
僕が思う事をついでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『人に"死"が入り込む事』について、
この場合の『死』は『創世記2:17』に於ける
『主なる神が告げた死』であるので『創世記3:4』
に於ける『蛇が告げる死』ではないのです。
『主なる神の告げる死』と『へびの告げる死』は
それぞれ『"何に対する"死』なのでしょうか。
『人に死が入り込む事によって"罪が誘発"される』
のですよね。
ただ一言える事と言えば、
『主の告げる死』によって『へびの告げる死』へと
至るのですよね。
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
ーー
創世記2:17
しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと『死ぬ』であろう」。
創世記3:4
へびは女に言った、「あなたがたは決して『死ぬ』ことはないでしょう。
ローマ人への手紙6:23
『罪の支払う報酬は死』である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。
−−− −−−
追記:
『創世記3:7』に於いて、
『目が開けて"何が見えた"』のか。
『人は常に世に隣接している』のですよね。
だから『死は世から入り込む』のですよね。
ー『"虫食い林檎"なのですよね』ー
ー『虫食い林檎の"復活"とは?』ー
僕が勝手に思う事を一筆此処に追記致します。
ーー
創世記3:7
すると、『ふたりの目が開け』、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。
−−− −−−
第二コリント4:18
わたしたちは、見えるものにではなく、
『見えないものに目を注ぐ』。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。
−−− −−−
創世記3:7
すると、『ふたりの目が開け』、自分たちの裸であることがわかったので、『いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた』。
↓
マタイ24:11-12
また多くのにせ預言者が起って、
多くの人を惑わすであろう。
また不法がはびこるので、
『多くの人の愛が冷える』であろう。
マタイ24:32
『いちじくの木からこの譬を学びなさい』。
その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、
『夏の近いことがわかる』。
ーー
・・・『今年の夏は暑い』ですね。
・・・『喉が渇いてきます』よね。
・・・『このまま干涸びてしまう』のでしょうか?
・・・『しかし水中毒には気をつけて』ですよね。
僕がふと思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
今の時代の人々って、
『各人ハリネズミとなったハリネズミのジレンマ』
の様になっている気がするのです。
ー『各人針の衣を身に纏って・・・』ー
ー『お互いに相手の針に怯えて・・・』ー
ー『疑心暗鬼に陥って・・・』ー
ー『お互い相手の針を折ろうと画策する』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『純粋経験』って、
『愛される喜び、愛せる事の喜びとしての感覚』
なのですよね。
『五感』によるものでは無いのです。
『純粋経験』から『五感に展開するもの』なのです。
(『実感』は『後から湧き起こるもの』なので)
『感受性(sense)による経験』なのです。
ー『自分が認められ受け入れられる喜びの経験』ー
ー『安らぎに満ちた経験』ー
僕が思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
マタイ6:28-34
また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。
『野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。"働きもせず、紡ぎもしない"』。
しかし、あなたがたに言うが、『栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった』。
『きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、"神はこのように装って下さる"』のなら、『あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ』。
だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
まず『神の国と神の義とを求めなさい』。そうすれば、『これらのものは、すべて添えて与えられるであろう』。
だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
−−− −−−
『過去に戦争があった』からと言って、
『当時の人達でない今の方々』に、
『戦争責任を負わす』のはどうかと思います。
『組織の中の誰かが罪を犯した』からと言って、
『組織の中で罪を犯していない方に罪を負わす』
のはどうかと思います。
『身勝手な"連座制"』を用いて、
『スケープゴートに仕立て上げ石をぶつける』
のはどうかと思います。
ー『罪を犯していない方は無罪なのです』ー
『自分の不満の捌け口として"勝手に罪を負わす"』
のはどうかと思います。
『ただの冤罪行為でしか無い』のです。
『独善による身勝手な正義でしか無い』のです。
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
ーー
ルカ18:10-14
「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。
パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、
『また、この取税人のような人間でもないことを感謝します』。
わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、
『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。
あなたがたに言っておく。
『神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった』。
おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
−−− −−−
『人の原罪』とは、
『猿の様な獣に対しては許されるもの』であり、
『人間存在に対しては許されないもの』である。
ー『"人として生を全うする"とは何でしょうか?』ー
ー『人間は"物語る猿"ではありません』ー
『人の原罪』について、
僕が思う事を一筆此処に書き記します。
−−
ローマ人への手紙6:16-23
あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、
『死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである』。
しかし、神は感謝すべきかな。
あなたがたは罪の僕であったが、
伝えられた教の基準に心から服従して、
『罪から解放され、義の僕となった』。
わたしは人間的な言い方をするが、
それは、『あなたがたの肉の弱さのゆえである』。
あなたがたは、かつて『自分の肢体を汚れと不法との僕としてささげて不法に陥った』ように、『今や自分の肢体を義の僕としてささげて』、きよくならねばならない。
あなたがたが罪の僕であった時は、
『義とは縁のない者であった』。
その時あなたがたは、どんな実を結んだのか。
『それは、今では恥とするようなものであった』。
『それらのものの終極は、死である』。
しかし今や、『あなたがたは罪から解放されて神に仕え、きよきに至る実を結んでいる』。
『その終極は永遠のいのちである』。
『罪の支払う報酬は死である』。
『しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである』。
−−− −−−
ついでに、
『義の終焉』が『永遠の命』となるのなら、
『不義の終焉』は『永遠の死』となります。
(『命』は『"生きる"のに"必要"なもの』なのだから)
また『罪の支払う報酬は死である』となるのだから、
『罪は不義を齎すもの』となります。
従って『罪と対を成すもの』は『義を齎すもの』
となります。
『人の原罪』について僕が思う事を
ついでに乱文ながら一筆此処に書き記します。
−−
マタイ6:33
まず『"神の国"と神の義とを求めなさい』。
そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
−−− −−−
更についでに、
『"猿(獣)でも出来る事"をメインにして果たす』と、
早い話し『"罪の僕"でしか無い』のですよね。
ー『人道では無く"猿(獣)道"となるのです』ー
『"人間ならでは"を求め果たすべき』なのです。
『人の原罪』について僕が思う事を
更についでに一筆此処に書き記します。
−−− −−−
更についでに、
『"人間らしく"振舞って』も
『所詮は"猿知恵-猿真似"でしか無い』のです。
ー『あなたが人間なら"人間として"です』ー
『人の原罪』について僕が思う事を
更についでに一筆此処に書き記します。
−−
マタイ7:15
『にせ預言者を警戒せよ』。
『彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである』。
−−− −−−
『相手方と向き合わず外方を向いて話す方』
に対して『真摯な態度で誠実な対応をする方』
って『先ず居ない』かと思います。
『相手方の尊厳を無視している』ので、
『相手方の尊重を果たす事が出来無い』のだから
『相手方を馬鹿にしている事になる』のだから。
ー『黄金律(因果応報)とは何でしょうか?』ー
ー『愛の無い方を愛する道理はありません』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ7:6-12
『聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな』。
『恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう』。
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
このように、『あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか』。
だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。
−−− −−−
ついでに、
『黄金律(因果応報)の理解』に於いて、
『〜"したから"返ってくる』と言う様な『行為中心
の打算的な方』は『神の義(愛)が抜けている事』に
『全く気付いていない』のですよね。
ー『相手方の"心証"を無視しているのだから』ー
ー『それだけ"自己中心な方"でしか無いのだから』ー
ー『"自己犠牲精神"とは何でしょうか?』ー
僕の思う事をついでに一筆此処に書き記します。
ーー
マタイ6:24
だれも、『ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである』。
あなたがたは、『神と富とに兼ね仕えることはできない』。
マタイ6:30-33
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。『ああ、信仰の薄い者たちよ』。
だから、『何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな』。
『これらのものはみな、"異邦人"が切に求めているものである』。
あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
まず『神の国と"神の義"』とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、『すべて添えて与えられるであろう』。
−−− −−−
『自分の過ちに気付く方は幸い』なのです。
何故なら『気付いた時点で改まる』のだから。
『自分の過ちに気付かない方は不幸』なのです。
何故なら『堂々巡りに陥(おちい)る』のだから。
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『ブランドバッグを買わなければ愛が無い』のか?
『愛ゆえにブランドバッグを買ってあげる』のか?
『"負い目"で愛を示す』のでしょうか?
『"自発的"に愛を示す』のでしょうか?
−−− −−−
『負い目で誰かを愛せる』のでしょうか?
『愛ゆえに愛せるからこそ誰かを愛する』のです。
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− −−−
『〜と言う行いでなければ愛した事にはならない』
なんて言うのは『可笑しな話でしか無い』のです。
『愛ゆえに愛する行いを果たせる』のだけど、
『愛無きで"愛する行いを真似る事"が出来る』
のだから。
ー『徳有る者は必ず言有り』ー
ー『言有る者は必ずしも徳有らず』ー
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−
マタイ7:15
にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
−−− >>637
いつも時宜に適った御言葉をありがとうございます。
いつも感謝します。
coinさんは、聖霊に満たされているクリスチャンなんですね。
今まで忙しかったので、5ちゃんに来れませんでしたが、時宜に適った御言葉を読めることがとても嬉しいです。 私の好きなことば
「コロサイにいる聖なる者たちへ。キリストに結ばれている忠実な兄弟たちへ。
私たちの父である神からの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」コロサイ1:2
☆このセクションの言葉は、心から神を愛する者には、ジーンときます。
一所懸命やってきて良かった、私には、励ましの言葉となります。
だって、聖なる者たちへとか、キリストに結ばれている忠実な兄弟たちへとか、嬉しいですね。 −−−
『まちこさん』へ
僕なんて大して何もしていないのです。
きっと僕は『導かれただけ』なんだと思います。
『主イエスキリストに感謝』なのです。
でも『ありがとうございます』。
では失礼致します。
ーー
第一コリント1:17
いったい、『キリストがわたしをつかわされた』のは、バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝えるためであり、しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである。
−−− −−−
第一コリント1:10
さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたに勧める。
『みな語ることを一つにし、お互の間に分争がないようにし、"同じ心、同じ思い"になって、堅く結び合っていてほしい』。
第一コリント1:18
『十字架の言』は、滅び行く者には愚かであるが、『救にあずかるわたしたちには、神の力である』。
第一コリント14:21-25
律法にこう書いてある、『わたしは、異国の舌と異国のくちびるとで、この民に語るが、それでも、彼らはわたしに耳を傾けない、と主が仰せになる』。
(『アンチキリスト達』の集まり)
(『治安が悪く内紛状態の国に入国する』様な事)
このように、『異言は信者のためではなく未信者のためのしるし』であるが、『預言は未信者のためではなく信者のためのしるしである』。
(『異言』は『十字架の言では無い言葉』です)
(『預言』は『十字架の言の言葉』です)
もし全教会が一緒に集まって、『全員が異言を語っているところに、初心者か不信者かがはいってきたら、彼らはあなたがたを気違いだと言うだろう』。
(『アンチキリスト達』の集まり)
(『治安が悪く内紛状態の国に入国する』様な事)
しかし、『全員が預言をしているところに、不信者か初心者がはいってきたら、彼の良心はみんなの者に責められ、みんなの者にさばかれ、
その心の秘密があばかれ、その結果、ひれ伏して神を拝み、「まことに、神があなたがたのうちにいます」と告白するに至るであろう。』
(『クリスチャン達』の集まり)
(『治安が良く安定した国に入国する』様な事)
※『全教会』とは、
『ekklēsiaを基にした者達の集合体church』の事
です。
ー『愛ある言葉は人種や民族等の壁を超えます』ー
−−− −−−
ヘブル人への手紙12:4-11
あなたがたは、
『罪と取り組んで戦う時、"まだ血を流すほどの抵抗"をしたことがない』。
また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。『主に責められるとき、弱り果ててはならない』。
『主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである』」。
『あなたがたは訓練として耐え忍びなさい』。
『神はあなたがたを、"子として取り扱っておられる"のである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか』。
『だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは"私生子"であって、"ほんとうの子ではない"』。
(『叱られる内が花』であり『叱られ無くなる』と)
(『罪の奴隷化』であり『神の子では無い』)
その上、『肉親の父はわたしたちを訓練する』のに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、『"たましいの父"に服従して、"真に生きるべき"ではないか』。
『肉親の父は、しばらくの間、"自分の考えに従って"訓練を与える』が、『たましいの父は、"わたしたちの益のため"、"そのきよさにあずからせるため"に、そうされるのである』。
『すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、"むしろ悲しいもの"と思われる』。
しかし後になれば、『それによって鍛えられる者に
"平安な義の実"を結ばせるようになる』。
(『神の子としての恩恵を受ける』)
−−− イエス様を信じた方には、下の聖句が働かれます。
✝ 「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、私の天の父はそれを叶えてくださる。
二人または三人がわたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:19、20)
☆イエス様のお名前に力があります! ✝ しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。 (ヨハネ1:12)
☆神の子となった者は、その人には、イエス様のお名前に力があるのです。
✝ わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。 (ピリピ4:13) ✝ というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。 (第二テモテ1:7)
☆神は備えてくださるという神の約束に土台を置くなら、あなたは、必要としている神の奇跡を受け取ることができます。
✝ 10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
11 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている」(ローマ10:10〜11) おはようございます。
✝ また、あなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわち、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。
聖霊は私たちが御国をうけつぐことの保証であられます。これは、神の民の贖いのためであり、神の栄光が褒め称えられるためです。
(エペソ1:13)
☆神の言葉を聞いて信じることが信仰へと入っていくのです。 coinさんは、聖書をよく読まれているので、嬉しいです。
きっと、聖霊も働かれていることでしょう。
主に感謝します。 ✝ 神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。(ヨハネ3:16) ✝28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。 (ローマ人への手紙 8:28 口語訳) ....-――-....
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八 .:.Y∠二二二≧=-⌒マ (⌒)::::厂⌒/r'´ ̄::7::::/
ヽ __ 人__人: \.:.マ .:.:厂廴/ {:{::::::}::/:::/
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|.Y⌒Y^Lノ⌒i.::..:{包ノ.:.:.r'⌒Y⌒Y{:::V:≧く
|.:. 人 {/⌒Y.:.:: ̄.:.:.:人__人__人>=--べ >>652
こんばんは。
お久しぶりです。
ロゼさん、名前をかえたのですね。 . . : ´ ̄ ̄ `: : . .
/: : : : : : : : : : : : : : : \
'.:.:.:.:.:.:.:::::::::: i::::::ヽ::::::.:.:.:':.:.ヽ
/.:.:.:::l:::::l:::::::::::::|::ハ:::ト、:::::.:.:..l:.:.::..
.:./ :l:|: ::|l::::::::::::| -―-::l::::.:.:.:l:.:.l::.
|: l::::斗-:|l::::::::::::||:l |:ハ::|:::::.:.:.l:.:.l:.:.
|: l::::| |: ::|L:: -'ィ芹气ト、:::i::::::|::..|: | まちこさんお久しぶりです。ありがとうございます。名前は気分で変えてます。
|:{ ::::〈|: ::|ト. 乂ツ /::::i::::::|::::|: | 私は宗教板に失望してるので何れ消えます。消えない時は寂しい時
|:{i::::ハ|: ::|´ ,,,,, |:::::i::::::|::::|: | 勝手に今スレ立てしますね
|:{|:::{: |: ::| ’ |:::/:: : |::::|: |
|八::圦::::| _ /::::::::::/:::::|八
. ヾ::::>:|、 ,....::::::::::::::::::/:::::::j: : \
/\{/ >- '::::::::::_彡'::::::: :::'::: : : :.\
/::|:::::::::/`Y丁 ̄/ /::::::::::::/:::::::::: : : : \
-=≦:/::::|:::::::/:::::{/ }У::*::/::::::::::::/\__:::::: :\⌒
_彡イ::::: |:::::::{::r⊆⌒ヽ*::/:::::::::/*::::*:::ヽ:::ハ::ト、
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/::i :|::*://::*〃::*:::*::::*:::*:\::/::*:::*:::|
{:/::/⌒シ':::*::::{{::::*::::*::::*::::*::::*:\:*:::*:::|
/*〈 イ'三三三}:::*::::*::::*::::*::::*::::*\:*:::| ロゼは私のポルノが見たくて見たくてたまらないのよ。👰 −−−
結婚について
コリント第一7:1-7
さて、あなたがたが書いてよこした事について答えると、男子は婦人にふれないがよい。
(『夫と妻の肉体的結び付き優先』を避ける為)
(『夫と妻の霊的結び付きが無いまま』なので)
しかし、『不品行に陥ることのないため』に、男子はそれぞれ自分の妻を持ち、婦人もそれぞれ自分の夫を持つがよい。
(『不品行に陥る』は『肉体的結び付き優先』の事)
(『夫と妻の霊的結び付き優先』の事)
夫は妻にその分を果し、妻も同様に夫にその分を果すべきである。
(『夫と妻の霊的結び付きを強める』為)
妻は自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは夫である。夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは妻である。
(『夫と妻の霊的結び付き』による『支え合い』)
(『おしどり夫婦』なのです)
互に拒んではいけない。ただし、合意の上で祈に専心するために、しばらく相別れ、それからまた一緒になることは、さしつかえない。
『そうでないと、自制力のないのに乗じて、サタンがあなたがたを誘惑するかも知れない』。
(『互に拒んではいけない』は『相手からの愛』の事)
(『しばらく相別れ』は『相手への愛を問い直す事』)
(『本当に相手を愛しているのか』を)
(『サタンの誘惑』は『肉欲に溺れる事への誘惑』)
以上のことは、譲歩のつもりで言うのであって、命令するのではない。
(『結婚する事』は『当人達に判断を委ねる』)
わたしとしては、『みんなの者がわたし自身のようになってほしい』。『しかし、ひとりびとり神からそれぞれの賜物をいただいていて、ある人はこうしており、他の人はそうしている』。
(『ekklēsia』を基にした『churchとしての夫婦』)
(『地上に於ける夫婦を見ている時』の『啓示』)
−−− −−−
コリント第一7:13-15
また、ある婦人の夫が不信者であり、『そして共にいることを喜んでいる場合』には、離婚してはいけない。
(『夫と妻の"霊的結び付き"』による『喜びの時』)
なぜなら、
『不信者の夫は妻によって"きよめられ"て』おり、
また『不信者の妻も夫によって"きよめられ"ている』からである。『もしそうでなければ、あなたがたの子は汚れていること』になるが、『"実際はきよい"ではないか』。
(『夫と妻の霊的結び付き』なら『きよめられる』)
(『肉体的優先』なら『汚れている』となる)
(『肉体的優先の時の子』は『不義の子』となる)
しかし、『もし不信者の方が離れて行く』のなら、
『離れるままにしておく』がよい。兄弟も姉妹も、こうした場合には、『束縛されてはいない』。
神は、あなたがたを『平和に暮させるために、召されたのである』。
(『きよめられていない場合』は『別れたまま』)
(『"不貞"によって離れる』のだから)
(『束縛されてはいない』とは『結婚解消』の事)
−−− 夏の日に書き記すただ一つの想い詩
(以前書き記したものの再掲)
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−−−
僕は・・・
貴女(きみ)の為の手になりたい、
貴女(きみ)に良いものに触れて貰いたいから。
僕は・・・
貴女(きみ)の為の足になりたい、
貴女(きみ)を良い所に連れて行きたいから。
僕は・・・
貴女(きみ)の為の目になりたい、
貴女(きみ)に良い世界を見せたいから。
僕は・・・
貴女(きみ)の為の耳になりたい、
貴女(きみ)に良い音色を聴かせたいから。
僕は・・・
貴女(きみ)の為の盾になりたい、
邪(よこしま)から貴女(きみ)を護りたいから。
僕は・・・
貴女(きみ)の為の剣になりたい、
貴女(きみ)への邪(よこしま)を祓いたいから。
僕は・・・
貴女(きみ)の為の思考となりたい、
貴女(きみ)の色んな想いを良い詩にしたいから。
僕は・・・
貴女(きみ)の為の口になりたい、
貴女(きみ)の詩を色々語り聞かせたいから。
僕は・・・
貴女(きみ)の為の身体になりたい、
貴女(きみ)の望む僕でいたいから。
−−−
page 1of2 end page 2of2 start
−−−
もし、もしも・・・
貴女(きみ)がこの僕を嫌うなら、
どうか、この僕を見捨てて下さい、
貴女(きみ)が泣き続けてしまうのは辛いから。
どうか、どうか・・・
貴女(きみ)は貴女(きみ)でいて下さい、
微笑む貴女(きみ)でいて下さい。
貴女(きみ)が微笑む為に、
僕は貴女(きみ)の願いを聴きますから。
貴女(きみ)が喜んで下さる事・・・
これが僕の願い、僕の救いなのだから。
どうか、どうか・・・
我が父、我が主・・・
許されるならば僕のこの想いを常(とこ)しえに・・・
これが・・・
この僕の貴女(きみ)へと捧げる想いの言葉、
そして・・・
添い遂げ願う主への求めの言葉・・・
−−−
愛しき貴女(きみ)への想い詩 "propose to you"
2021/02/07(2022/09/06 再掲)
written by stranger-criminal coin
"愛おしき 優しき温もり 抱きしめて 護り抜こうと 貴女に誓う"
page 2of2 end >>661
−−−
『ageさん』へ
こんな僕の事を
気にして下さって真にありがとうございます。
正直な所まだ心情的に悲しく辛いです。
いつか癒されればいいなと思っています。
・・・それでは失礼致します。
−−− >>664
いえいえ。
ご自身が大変な中、わざわざご返信ありがとうございます。
coinさんの詩と御言葉をこれからも楽しみにしています。
人間大変な時に人間性って出ますよ。
冷静にご自身の中で対処されているようで何よりです。
ではでは。 コインさん、いつもありがとうございます。
今、私の携帯が古くなって、5ちゃんねるに対応しないようです。
新しいのがくるまで。よろしくおねがいします。 こちらにも貼りますわ
賛美歌ですわ
カッコイイ!
7eventh Time Down - God Is On The Move (Official Lyric Video)
https://www.youtube.com/watch?v=yPB9ENSd1Xc 癒しスレは・・・あんな状態でも、coinさん、まちこさん、ageさんは書けるのかぁ・・・
強いなぁ・・・
ここで書くと自分の肉体の痛みで発狂しそうだし、また酒に酔って暴れても・・・
ageさんには悪いことをしたし・・・
私は私のスレへ
天のお父様、coinさん、ageさん、まちこさんを豊かに祝福してください、日々の生きる糧を
与えて下さい。心身ともに健康でいられるように病気から守ってください
今coinさんやまちこさんやageさんが抱えてる問題があるのなら解決へと導いてください
あなたがそうしてくださることを信仰により受け取ります、イエス様感謝します
感謝してイエス様のお名前によって祈りますアーメン >>668
お気になさらず。
ありがとう、お大事に。
(詩篇107:20)
主はみことばを送って
彼らをいやし,
その滅びの穴から
彼らを助け出された。 −−−
『三尋木咏さん』へ
あなた様のそのお気持ち有り難く受け取ります。
本当にありがとうございます。
あなた様も心身共に癒される事を僭越ながら
此処にてお祈り申し上げます。
それでは失礼致します。
−−− −−−
癒しスレッド レスNo.202
「死は勝利にのまれてしまった。
死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。
死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
↓
コリント第一15:56
死のとげは罪である。罪の力は律法である。
↓
創世記2:17
しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、『きっと死ぬ』であろう」。
(※『へびの語る死』ではありません)
↓
創世記3:6
女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
(※罪が死のとげ(律法)を用いて永遠のいのちを殺す)
(※則ち『罪の律法』による『永遠のいのちの死』)
(※堕落による『罪の奴隷化』)
↓
ローマ6:23
『罪の支払う報酬は死』である。
『しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける"永遠のいのち"である』。
(※『不老不死』ではありません)
(※『十字架上の死』に於ける『永遠のいのち
の"復活"』による『正規律法化(律法の完成)』)
(※救いによる『キリストの奴隷(聖隷)化』)
(※『死のとげ(律法)が罪に向く』ので『聖化』へ)
『罪からの影響』を受けなければ
『永遠のいのちの死は訪れない』のです。
『まちこさんの語る十字架へびの話』
とは何でしょう。
・・・では失礼致します。
−−− −−−
ヨハネ8:3-12
すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、
「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。
モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。
彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。
イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。
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i::::::::i:::::::i`ト:;::」:::::::::::i i:::::i i:::::::::::::::::i 保守
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i:::::::::!::::平テ' ` '气テ芹 !:::::::::::::::::i
l:::::::::i::::::じ’ 弋::::ソ |:::::::::::::::::i
ハ:::::::|i::::|xx____ xxx, |::::::::::::::::;'
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/ i:::::::i::::ト . ` -‐' /;;''イ:::彡イ:::::::i
. { i:/i:::i:::i::::;;;;≧≦{:::i彡イ|:::|::::|:::::::ハ
! ,リ .!::::i:i,イ::::ヽY´_!::i: . イリ!:::!::::!:::::乂
_nm /__ハ::::i{ {::::::::iイ: .i::i/ : ..i:リ. : ` < `ヽ
.(( .l |.| !!i´: . :ル': . :.>=ミ≧≠: . : . : . : . : . : . \
. | .リ: . : . :..:/: . : /: . : . : . : . : . : . : . : . .', 高野山真言宗が御坊さん月給制募集してましたよ。行きなさいダーリン 【毎日の健康の強力な味方!アブラナ科の野菜を食べよう】
〈アブラナ科ってどんな野菜?〉
キャベツ、ブロッコリー、大根、白菜、ブロッコリースプラウト、ワサビ、
カリフラワー、ルッコラ、ケール、小松菜、水菜、チンゲン菜など、スーパーで手に入る身近な野菜です。
〈どんな効果があるの?〉
イソチオシアネートという成分と抗酸化性ビタミンの働きにより、以下の効果が期待できます。
☆今の時期に嬉しい「免疫力アップ」
☆老廃物を排出「デトックス効果」
☆老化と生活習慣病を防ぐ「抗酸化」
☆肌や粘膜の荒れにも◎「抗炎症」
☆にんにくに並ぶ予防効果!「抗がん作用」 −−−
『あなた』は、
『未来にどんな"夢を見る"のでしょうか?』
『未来にどんな"夢を描く"のでしょうか?』
『あなた』は、
『過去の"思い出に縋る"のでしょうか?』
『過去の"思い出に浸る"のでしょうか?』
『あなた』は、
『未来に向けて"今を生きている"のか?』
『過去を振り返り"今に生かされている"のか?』
『今のあなた』は・・・
−−− −−−
・・・思い出。
・・・哀しく辛い。
・・・限界。
−−− −−−
『女性に比べて男性のメンタルが弱くなりやすい』
のは『キェルケゴールの死に至る病』に罹りやすい
から・・・
−−− −−−
・・・『記憶-フラッシュバック』
・・・『哀しい』
−−− −−−
『表現の自由』
表現の自由とは、すべての見解を検閲されたり規制されたりすることもなく表明する権利。外部に向かって『思想・意見・主張・感情などを"表現"したり、"発表"する自由』。個人におけるそうした自由だけでなく、報道・出版・放送・映画の自由などを含む。
『言論の自由』
言論の自由は、検閲を受けることなく『自身の思想・良心を"表明"する自由を指す。自由権の一種である』。
↓
『明白かつ現在の危険』
明白かつ現在の危険(めいはくかつげんざいのきけん、英:clear and present danger)とは、『表現の自由の"内容規制"に関する違憲審査基準の一つ』。アメリカの意見判例で用いられ、理論化された。違憲審査基準としては非常に厳格な基準であり、対象となる人権(表現内容を根拠とする表現の自由の規制)の制約を認める範囲は、著しく限定的である(自由の制約が違憲とされやすい)。
『明白かつ現在の危険の基準』
「明白かつ現在の危険」の基準は、表現内容を直接規制する場合に限定して用いられるべき、最も厳格な違憲審査基準である。この基準は、次の3要件に分析される。
1.近い将来、実質的害悪を引き起こす蓋然性が明白であること
2.実質的害悪が重大であり時間的に切迫していること
3.当該規制手段が害悪を避けるのに必要不可欠であること
この3要件を満たしたと認められる場合には、『当該表現行為を規制することができる』。1と2の要件は『重大な害悪の発生に明白な蓋然性があり時間的に切迫していること』とまとめることができる。
Wikipediaより
−−ー −−−
コリント第一14:24-25
しかし、『全員が預言をしているところに、不信者か初心者がはいってきたら、"彼の良心はみんなの者に責められ、みんなの者にさばかれ"、
"その心の秘密があばかれ"、その結果、"ひれ伏して神を拝み"、「まことに、神があなたがたのうちにいます」と告白するに至るであろう。』
(『クリスチャン達』の集まり)
(『治安が良く安定した国に入国する』様な事)
(『悔い改め』へと至る)
※『全教会』とは、
『ekklēsiaを基にした者達の集合体church』の事
です。
−−ー −−−
ヒュパティア
『キリスト教との反目』
ヒュパティアの哲学は他の新プラトン主義の
学校の『教義より学術的』で、その関心のためか
『科学的で神秘主義を廃し』、しかも妥協しない点では、キリスト教徒からすると全く異端であった。
Wikipediaより
↓
『愛された"実感が湧き出てくる"』からこそ
『愛された事を"始めて知る"』のです。
だから『愛された実感を得た事が無い方』が
『愛されたと言う言葉』を聞いても
『何も分からずじまい』でしかないのです。
どれだけの『学術的形式知』を知ったとしても
『決して愛された事を知り得る事は無い』のです。
『愛された事が無い限り、決して』
『ヒュパティアの件の問題点』は
『"知ったかぶり迄"でしかない事』なのです。
『無神論の問題点そのもの』なのです。
コリント第一1:30
あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。『キリストは神に立てられて、わたしたちの"知恵"となり、義と聖とあがないとになられたのである』。
−−
参考:『無神論』とは
無神論(むしんろん、英語: atheismラテン語:atheismus)は、世界観の説明に神の存在、意思の介在、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、道教のような「『精神的、超自然的、または超越的な概念など存在しない、または不要と主張する』考え方」である。
Wikipediaより
−−− −−−
参考:マタイ23:25-28
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。『杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている』。
盲目なパリサイ人よ。まず、『杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう』。
(※『痛悔』による『食い改め』)
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。『あなたがたは白く塗った墓に似ている』。『外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである』。
このようにあなたがたも、『外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである』。
−−− −−−
『誰かに命を捧げる事』は
『御子に従い捧げるべき相手に捧げる』のであり
『誰かに言われて捧げさせられるべきでは無い』
のです。
『捧げられた命は捧げられた方の内で生きる』
ので『命は"引き継がれ"てゆく』のだから。
また『捧げさせられた命なら無残に貪られるだけ』
であり『命の"引き継ぎが消失"してしまう』のだから。
『自己犠牲精神は命の連鎖を生む為のもの』である。
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歓談室スレッドより
0272 神も仏も名無しさん 2022/09/29(木)
17:09:29.40
ダーリンが来ないとおもしろくない。
↓
・・・だそうです。
・・・『ロゼさん』
−−− >>687
どうなんでしょう
私のこと呼ばれてるのかな・・・隔離スレにはいる。
coinさん教えてくれてありがとうね! >>692
御言葉を思い巡らしたり、イエス様に感謝すれば、すぐに、神の暖かい愛があなたを包み込んでくださいます。
直ぐにやってみてください。 † なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである(ローマ10:13) >>692
ロゼさん、イエス様は生きておられます。
御言葉を口にして、イエス様を呼んでください。
私も、心が苦しくなった時、人に話さず、神に信仰の告白をすることで、光が差したように、心があかるくなります。
不思議です。本当にイエス・キリストは凄いです。 −−−
『自分に対する善が他者に対する悪となる』
『自分に対する悪が他者に対する善となる』
『キリスト教』に於ける『罪』とは
『自己愛』の事なのです。
『自己愛で自分の事にしか関心事が無い』からこそ
『相手方に向き合わないので"齟齬-対立"が起きる』
のです。
『人の義では相手方との間に溝が出来る』のです。
『どれだけ取り繕っても溝は深まるばかり』です。
『神の義だけが溝を埋める事が出来る』のです。
ー『相手方への無関心-無理解は残酷な事です』ー
ー『相手方の尊厳を尊重していますか』ー
ー『認め合い赦し合いは大切な事なのです』ー
ー『相手方と素直に握手が出来ますか?』ー
そして『罪の赦し』とは
『自己愛による過ち(齟齬-対立)に対しての赦し』
なのです。
(『贖罪-和解に基づく赦し』なのです)
(『雨降って地固まる』なのです)
−−− −−−
参考:コリント第二6:14-18
『不信者と、つり合わないくびきを共にするな』。
『義と不義となんの係わりがあるか』。
『光とやみとなんの交わりがあるか』。
『キリストとベリアルとなんの調和があるか』。
『信仰と不信仰となんの関係があるか』。
『神の宮と偶像となんの一致があるか』。
『わたしたちは、生ける神の宮である』。
神がこう仰せになっている、
『わたしは彼らの間に住み、かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう』。
だから、「『彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる』。そして、『汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう』。
そして『わたしは、あなたがたの父となり、あなたがたは、わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる』」。
ローマ人への手紙12:15
喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。
−−− −−−
『自分に対する悪が他者に対する善となる』
『お互いへの他者に対する善』によって
『其々自分に対する悪への贖罪-和解-赦し』
となります。
それは『黄金律』より『恵み合い赦し合い』
となるから。
・・・乱文にて一筆記します。
ーー
参考:ルカ7:44-48
それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、「この女を見ないか。わたしがあなたの家にはいってきた時に、あなたは足を洗う水をくれなかった。ところが、『この女は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた』。
あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、彼女はわたしが家にはいった時から、『わたしの足に接吻をしてやまなかった』。
あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、『彼女はわたしの足に香油を塗ってくれた』。
それであなたに言うが、『この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである』。
『少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない』」。
そして女に、『あなたの罪はゆるされた』と言われた。
(※『彼女自ら自分から離れてしまう"罪"』)
(※『相手方に自分に恵まれた命を恵む"悪"』)
(※『相手方の内』にて『彼女は新たに生き始める』)
参考:ルカ16:9-12
またあなたがたに言うが、『不正の富』を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。
小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。
だから、もしあなたがたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。
また、もしほかの人のものについて忠実でなかったら、だれがあなたがたのものを与えてくれようか。
−−− −−−
『キリスト教に於ける罪』は『自己愛』の事であり
『基本的に"自己都合の良さ"として顕れるもの』
なのです。
言うなれば『自己神格化としての身勝手さ』
なのです。
−−
参考:マタイ22:2-7
「天国は、ひとりの王がその王子のために、婚宴を催すようなものである。
王はその僕たちをつかわして、この婚宴に招かれていた人たちを呼ばせたが、『その人たちはこようとはしなかった』。
そこでまた、ほかの僕たちをつかわして言った、『招かれた人たちに言いなさい。食事の用意ができました。牛も肥えた獣もほふられて、すべての用意ができました。さあ、婚宴においでください』。
しかし、『彼らは知らぬ顔をして、ひとりは自分の畑に、ひとりは自分の商売に出て行き』、
『またほかの人々は、この僕たちをつかまえて侮辱を加えた上、殺してしまった』
『そこで王は立腹し、軍隊を送ってそれらの人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った』。
−−− −−−
参考:マタイ22:8-14
それから僕たちに言った、『婚宴の用意はできているが、招かれていたのは、ふさわしくない人々であった。
だから、町の大通りに出て行って、出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい』。
そこで、僕たちは道に出て行って、出会う人は、悪人でも善人でもみな集めてきたので、婚宴の席は客でいっぱいになった。
王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人を見て、
彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、彼は黙っていた。
(※『"くちびるの割礼"を受けていなかった』為)
(※『偽装でどうにかなると思っていた』為)
そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。
−−− −−−
あと『キリスト教』に於いて『獣を良く見ない』
のは『"生物学的本能"が"罪=自己愛"によるもの』
だから。
従って『物語る猿』とは・・・
あと『獣の刻印』とは・・・
ーー
ヨハネの黙示録22:15
『犬ども』、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。
−−− −−−
『初子のいけにえ(赤い雌牛)-神の計画』について
マタイ25:18
しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。
↓
マタイ25:24-27
一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。
(※『初子のいけにえ(赤い雌牛)』の要求)
そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。
すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。
それなら、『わたしの金を銀行に預けておくべきであった』。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。
(※『銀行に預ける=初子のいけにえを捧げる事』)
(※『お金の返却="浄化"されて返却される事』)
(※『利子="善悪判断の確立"による聖化』)
−−− −−−
2022/3/24
癒しスレッドにて書き記したもの
−−
思うに、
「東側」は「性悪説」としての「人間理解」であり、
「西側」は「性善説」としての「人間理解」ですね。
従って「責任主体」は
「性悪説」なら「国家主権」であり、
「性善説」なら「国民主権」ですね。
だから「国策」としての「国民への教育方針」は
「性悪説」なら「戒律主義中心」であり、
「性善説」なら「放任主義中心」ですね。
−−− −−−
だから、
「戒律主義」から見た「放任主義」は、
「異邦人-放縦」に「見えてしまう」
かと思います。
また、
「放任主義」から見た「戒律主義」は、
「異邦人-不自由」に「見えてしまう」
かと思います。
則ち
「東側から見た西側」は「野獣の王国」
として「見えてしまう」かと思います。
「西側から見た東側」は「奴隷の牢獄」
として「見えてしまう」かと思います。
−−− −−−
果たして「東側」と「西側」は、
それぞれ一体「どんな十字架を背負っている」
のだろうか?
−−− −−−
「東側」と「西側」との「対立」は、
「戒律主義」と「放任主義」との
「ネガティブな側面同士の対立」
となっているのですね。
則ち、
「戒律主義」から「放任主義」は「野獣狩り」
「放任主義」から「戒律主義」は「暴君討伐」
となっているのですね。
−−− −−−
・・・「同じ"善"を求める者同士」なのに。
・・・「同じ"解放-自由"を求める者同士」なのに。
・・・「対立」なんて。
・・・「虚しく」て「哀しい」ですね。
「国家-国民性-対立」について思う所を一筆です。
−−−
2022/10/5再掲
−−− −−−
・・・もう僕の身体は「錆び付き壊れてしまい」、
・・・それに伴い「僕の心は悲鳴を上げる」。
・・・僕の周辺環境は「僕を残酷に虐げ」、
・・・僕の信頼する方々は「立ち去っていく」。
・・・もう僕に残されているものは「残り僅か」、
・・・残されている時間は「残り僅か」。
・・・どうか「我が神、我が主」よ、
・・・「僕の最後の切なる願いと祈り」として、
・・・「僕が世界を呪う事が無い様」、
・・・「僕が愛すべき人々を憎む事が無い様」、
・・・「僕を跡形も無く」、
・・・「僕をこの世界から消し去って下さい」。
・・・「僕をこの世界に残さないで下さい」。
・・・どうか、どうか「我が神、我が主」よ、
・・・「僕の最後の切なる願いと祈り」として、
・・・「僕の罪と共に」、
・・・「僕をこの世界から消し去って下さい」。
・・・どうか・・・どうか。
−−−
此処に書き記すただ一つの文 "最後の願いと祈り"
2022/10/05
written by stranger-criminal coin −−−
なまじ"夢"を見るから哀しいんだ。
なまじ"希望"に縋るから辛いんだ。
でも、それでも僕は、
"夢"を見ずにいられない。
"希望"に縋らずにいられない。
どうしてもそうせずにはいられない。
哀しみや辛さは真に自分が生きてきた証。
そして、夢や希望は先への兆しの証。
だから、僕は、
たとえ、今哀しくとも、今辛くとも、
まだ夢を見て、希望に縋れる限り、
僕は前を向いて生きていける。
最後の最後まで生きていける。
最後の一歩を踏むその時まで・・・僕は生きる。
−−−
此処に書き記すただ一つの文 "生きる"
2022/10/06
written by stranger-criminal coin †16 わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」。
17 御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。
黙示録22:16,17 coinさんは、いろんな方達の書き込みを読んでいるのですね。
私も読んでいますよ。
coinさんの書き込みは、奥が知らないと書けないことばかりです。
読んでいて、同じ方がいて、とても楽しいです。 私たちには、神の国があります。
そこで、神に感謝し、神の歌を歌い、神を褒めたたえることができることに感謝します。
いつでも、そこに、いられることに感謝します。 †ヒラデルヒヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者が、次のように言われる。
8 わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。
9 見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。
10 忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。
11 わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。
12 勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。
13 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。
黙示録3:7~13 −−−
思うに『666さんとかの"科学主義の方"』って
『自分自身の業のみで科学反応を創る事が出来る』
と思っている方なのですよね。
『神秘(神が自ら果たす業)が分かっていない』
から・・・
ちなみに『神秘の下の秘跡』なのです・・・
則ち『形而上の下の形而下』なのです・・・
これは『不可逆のもの』なのです・・・
(『コペルニクス的転回対象外』なのです)
だから『カール・マルクス』の
『下部構造が上位構造を規定する』とは
『ただの"思い込み"でしか無い』と言う事です。
『科学的社会主義の方』って・・・痛い方・・・
−−− −−−
ちなみに
『くちびるの割礼(十字架上の死)』を迎えないと
『ミサ(聖体拝領)等の秘跡は叶わない』のですよね。
『くちびるの割礼(十字架上の死)』は『神秘』
なのだから・・・
−−− −−−
『心ある方が認められる』のであり
『偽る心の方は認められる事は無い』のです。
『思い込みは本心では無い』のだから・・・
『内在と思い込み言い張って』も・・・
−−− −−−
『生物学的理論メインで人間を語る方』って
『人間を物質-物体としか見ていない』のですよね。
『人間は玩具(オモチャ)では無い』のです。
『その様な方を"相手にする道理は無い"』のです。
『人間(存在)は霊-心-魂のもの』なのだから・・・
『心無き方に"脅かされる筋合いは無い"』のです。
『穢される必要なんて何処にも無い』のです。
『くちびるの割礼(十字架上の死)を迎えた方』
なら・・・
−−− −−−
僕ごときが僭越ながらに・・・
『くちびるの割礼(十字架上の死)を迎えた方達』
『あなたの罪はゆるされた』
『胸を張りなさい』
『真っ直ぐ前を向いて歩みなさい』
『これから辛く哀しい事があるかも知れないけど』
『更にその先を見据えて歩みなさい』
『いつかは辿りつく"約束の地"を目指して』
『インマヌエル(主と共に在れり)なのだから』
『あなた方は"生(行)きなさい"』
−−− −−−
『今秋を迎え此れから長い冬を迎えてゆく』
『冷たく哀しい長い氷の時・・・』
『寒き季節、哀しみに打ち震える日々・・・』
『だけど、いつか長い氷の時が過ぎ去れば・・・』
『暖かな大気-命の息吹と共に氷は溶け始め・・・』
『小さな草木の芽が芽生え始めて・・・』
『辺り一面、命の花々に覆われるでしょう・・・』
『春の訪れと共に・・・』
『だからあなた方は"生(行)きなさい"』
『生(行)きて"春を迎えなさい"』
『インマヌエル(主と共に在れり)なのだから』
−−− >>715
−−−
『形而上と形而下との関係』は
『川の上流側と下流側との関係の様なもの』
なのですよね。
『上流側から下流側に水が流れる』から
『上流側に何が起こったのか"知る事が出来る"』
けど『下流側から"直接上流側に干渉は出来無い"』のですよね。
ちなみに『知る事が出来る事』は『啓示を受ける事』でもあるのですよね。
−−− −−−
『どれだけの時代が変わっても・・・』
『どれだけ世界の姿が変わり続けても・・・』
『世界最後の被造物は"人間存在"なのである』
『何故なら・・・』
『生命体として"先に世に出でて"・・・』
『その後に"人間存在が現れる"のだから・・・』
『生命体としてどれだけ変化が訪れても・・・』
『その後に"神性存在が現れる"のだから・・・』
『時代の終わりを告げ未来の福音を齎す為に・・・』
『神から最も離れたものに現れるのだから・・・』
『弱くて無力な者に"神性"は現れるのだから・・・』
−−− −−−
マタイ5:48
それだから、あなたがたの『天の父が完全であられるよう』に、『あなたがたも完全な者となりなさい』。
−−− −−−
コリント第一1:23-31
しかしわたしたちは、『十字架につけられたキリストを宣べ伝える』。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、
『召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、"神の力、神の知恵たるキリスト"なのである』。
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。
兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。『人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない』。
それだのに神は、『知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、
有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである』。
それは、『どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである』。
『あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、"わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられた"のである』
それは、『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりである。
−−− −−−
『人間(存在)』は『神の憐れみ』によって
『人として自ら生きる事をゆるされた者である事』
を知るべきなのです。
だから・・・だからこそ・・・
『くちびるの割礼(十字架上の死)を迎えた方達』
『だからあなた方は"生(行)きなさい"』
『生(行)きて、生(行)き続けて"春を迎えなさい"』
『インマヌエル(主と共に在れり)なのだから』
−−− −−−
ゲーム『リバーシ』或いは『オセロ』に於いて
『自分の二つ目の石で相手の石を挟み込む』と
『その間にある相手の石を裏返す事が叶う』
のですよね。
則ち『◯⚫⚫ →◯⚫⚫◯→◯◯◯◯』なのです。
−−
マタイ21:42
イエスは彼らに言われた、
「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、
『家造りらの"捨てた石"が
"隅のかしら石"になった。
これは主がなされたことで、
わたしたちの目には不思議に見える』。
−−− −−−
更に、ゲーム『リバーシ』或いは『オセロ』での
『◯⚫⚫ →◯⚫⚫◯→◯◯◯◯』に於いて
『後から置かれた"自分の二つ目の石が下の口"』
だとするなら・・・
『二つ目の石を置く事』とは
『くちびるの割礼の事』なのです。
則ち『◯⚫⚫ →◯⚫⚫◯→◯◯◯◯〜♪』
なのです。
ーー
ローマ10:6-10
しかし、信仰による義は、こう言っている、「あなたは心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな」。それは、『キリストを引き降ろすことである』。
また、「だれが底知れぬ所に下るであろうかと言うな」。それは、『キリストを死人の中から引き上げることである』。
では、なんと言っているか。『言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある』。『この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である』。
すなわち、『自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる』。
なぜなら、『人は心に信じて義とされ』、
『口で告白して救われる』からである。
−−− −−−
癒しスレッド333
0916 鹿野園 ◆ZTfV4x.y4wpe 2022/10/10(月)
00:11:22.59
まさに実践仏教だから、『何もないところから無をだせ!』とか、そう迫られるんだけどなw
↓
『テセウスの船』より
『原材料の状態』なら『テセウスの船と呼ばれず』
『スクラップの状態』でも『呼ばれる事は無い』の
です。
従って『原材料(船に対して無)』から
『テセウスの船(船に対して有)』となり
『スクラップ(船に対して無)』へと還る
『無から有が出来てそして無へ還る』のです。
それは
『船が出来た時に"天から船自体が付与"される事』
という事を示す事なのです。
(『"テセウスの船の特性"が確かにある』のだから)
−−− −−−
『形』に『円という特性が付与』されると『円形』となり『四角という特性が付与』されると『四角形』となるのです。
従って『円形』から『円と言う特性を破棄』し
『形のみ』にして『四角という特性が新たに付与』
されると『四角形』と変わるのです。
何故『人はその形を"円形や四角形と呼ぶ"のか』
なのです。
−−− >>729
−−−
それを踏まえて『反キリスト者』と『キリスト者』
に置き換えて考えてみると・・・
・・・『"痛悔"による悔い改め(血の贖い)』
・・・『反キリスト者』から『キリスト者』へ。
−−− >>730
−−−
ついでに
『主イエス・キリストを着る』とは何でしょうか?
−−
ローマ13:14
あなたがたは、『主イエス・キリストを着なさい』。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。
−−− −−−
『キリスト教』に於ける『人間理解』は
『堕落による性悪説』から『十字架上の死』を経て
『聖化による性善説』へと移行するのですよね。
−−− −−−
光と熱、
寄り添う所で命が生まれ、
光と熱、
交わる所で命が生きる。
今、この時この僕は、
遥か彼方の遠き地で、
過ぎ去る時代(とき)に別れの言葉を、
迎える時代(とき)に福音を、
願い祈りて詩を紡ぐ。
あなたに向けて歌を奏でる。
ー『命の言葉-光のうた』ー
−−−
此処に書き記すただ一つの詩 "光のうた"
2022/10/11
written by stranger-criminal coin −−−
その日、
世界は、人々は沈黙した・・・
身代わりとなり自ら去った者の為、
愚かなる者達の為に自らを差し出した者の為、
口を閉ざし声を上げずにただ静かに泣いていた。
・・・神に赦される様に願い求めながら、
・・・世界は、人々は静かに泣き続けていた。
ー『Requiem』ー
−−−
此処に書き記すただ一つの詩 "Requiem"
2022/10/12
written by stranger-criminal coin −−−
やがて世界、人々の涙が尽き果てた頃に、
世界、人々は自らの飢え渇きを癒す為、
自らの愚かさを隠し他者を貪ろうとする者達と、
自らの愚かさを認めひたすらに神に赦しを乞う者達
に分かれていった。
そうして世界は、人々は二つに分かれていった。
・・・神に赦される様に願い求めつつも、
・・・世界は、人々は混乱に巻き込まれていった。
ー『Tribulation』ー
−−−
此処に書き記すただ一つの詩 "Tribulation"
2022/10/12
written by stranger-criminal coin おはようございます、coinさん。
やはり、聖書が一番面白いです。
まだ知らないことが沢山あるので、今、祈って読んでます。
これぞ、読書の秋。 −−−
『身体から心』なのか?
『心から身体』なのか?
『生物学的本能に従う事』は『身体から心』であり
それは『生物学的本能に自らの心(羊)が蝕まれる』
事となってくるのです。
『北欧神話など』より
ー『Fenrir(狼)に大切な心(羊)を喰われるのです』ー
ー『eclipse(日食-月食)化するのです』ー
ー『日本的に言えば虚(うつろ)なのです』ー
『その人は"生きながら死(living dead)"』となり
そして『心(羊)無い言葉を発する様になる』のです。
(『主なる神の告げる死と蛇の告げる生』の両立)
(『創世記』より)
ー『それは"剣の刃の様な冷たい光"なのです』ー
ー『しかしその光は"力無き光"でもあるのです』ー
だから『虚勢を張った心無き言葉』なんて・・・
『大した事では無い』のですよね・・・
『真に心ある者』にとっては・・・
−−
コリント第一15:50-55
兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。
ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。
というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。
なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。
この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。
「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
−−− −−−
先程の癒しスレッドに於ける『実相さん』について
『ライバルをどれだけ"卑劣な手"で蹴落とした』
としても『あなたが人気を博する事は先ず無い』
のですよね。
『善き人々は"その方の正しさや善さ"についてゆく』
のだから。
『"卑劣な手"を使った時点で善き人々は離れる』
のだから。
−−− −−−
現状の『癒しスレッドに於ける僕に対する仕打ち』
って『史実の再現となっている』かの様・・・
こんな事を書き記すのは
『流石に烏滸(おこ)がましい』のですが。
−−− >>739
−−−
『史実-イエス様』は
『この様な目に遭われた』のでしょうか?
こんな事を書き記すのは
『流石に物凄く烏滸(おこ)がましい事』なのですが。
−−− >>740
こんばんは、coinさん。
私は下記の聖句で、心は穏やかです。
†10 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
11 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
12 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
マタイ5:10~12 −−−
『阿Q正伝』に於ける『精神的勝利法』ばかり
頼ってしまうと『"痛悔"を受ける事が無い』ので
『いつまで経っても精神的成長が無いまま』となる
のですよね。
−−
ヘブル人への手紙12:4-11
あなたがたは、
『罪と取り組んで戦う時、"まだ血を流すほどの抵抗"をしたことがない』。
また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。『主に責められるとき、弱り果ててはならない』。
『主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである』」。
『あなたがたは訓練として耐え忍びなさい』。
『神はあなたがたを、"子として取り扱っておられる"のである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか』。
『だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは"私生子"であって、"ほんとうの子ではない"』。
(『叱られる内が花』であり『叱られ無くなる』と)
(『罪の奴隷化』であり『神の子では無い』)
その上、『肉親の父はわたしたちを訓練する』のに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、『"たましいの父"に服従して、"真に生きるべき"ではないか』。
『肉親の父は、しばらくの間、"自分の考えに従って"訓練を与える』が、『たましいの父は、"わたしたちの益のため"、"そのきよさにあずからせるため"に、そうされるのである』。
『すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、"むしろ悲しいもの"と思われる』。
しかし後になれば、『それによって鍛えられる者に
"平安な義の実"を結ばせるようになる』。
(『神の子としての恩恵を受ける』)
−−− −−−
先程『癒しスレッド』に於ける『鹿野園さん』とのやり取りについて
『史実-イエス様』はこの様に『ファリサイ人』から
『迫害を受けた』のかなと思わされてしまいます。
僕がこんな事を書き記すのは
『流石に物凄く烏滸(おこ)がましい事』なのですが。
−−− Let us not be weary in doing good, for we will reap in due season, if we don’t give up.
(Galatia 6:9) −−−
Thank you for your kindness.
−−− >>743
−−−
先程『癒しスレッド』に於ける『鹿野園さん』とのやり取りについて
ガラテヤ6:3-8
もしある人が、事実そうでないのに、
『自分が何か偉い者であるように思っているとすれば、その人は自分を欺いているのである』。
(『ナルシズムの事』なのです)
(『罪により美化された自分を自分だと思い込む事』)
(『自己認識が正しく認識が出来ない状態』なのです)
ひとりびとり、
『自分の行いを検討してみるがよい』、
そうすれば、
『自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう』。
(『人のふり見て我がふり直せ』なのです)
人はそれぞれ、
『自分自身の重荷を負うべきである』。
(『今の自分』を『正しく認識する必要』があります)
御言を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。
(『良いものの共有化』が『共通善』となるのです)
(『恵み合い分かち合い』なのです)
まちがってはいけない、『神は侮られるようなかたではない』。
『人は自分のまいたものを、刈り取ることになる』。
(『自らの責任を取る事』なのです)
すなわち、
『自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り』、
『霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう』。
−−− >>746
−−−
続きです。
ガラテヤ6:9-15
わたしたちは、
『善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる』。
だから、機会のあるごとに、
『だれに対しても、"とくに信仰の仲間に対して"、
善を行おうではないか』。
(『良きサマリア人のくだり』が関係します)
ごらんなさい。わたし自身いま筆をとって、こんなに大きい字で、あなたがたに書いていることを。
(『十字架の言』を基にした『行為』)
(『信仰義認』の基の『行為義認』へと)
いったい、肉において見えを飾ろうとする者たちは、キリスト・イエスの十字架のゆえに、迫害を受けたくないばかりに、あなたがたにしいて割礼を受けさせようとする。
(『共犯による"悪魔の契約書にサインをさせる"事』)
事実、割礼のあるもの自身が律法を守らず、ただ、あなたがたの肉について誇りたいために、割礼を受けさせようとしているのである。
(『獣の刻印』とは・・・)
しかし、『わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない』。
『この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである』。
(『この世から召し出される事(神の御業)』なのです)
『割礼のあるなしは問題ではなく』、
『ただ、"新しく造られること"こそ、重要なのである』。
(『見た目の割礼』では無いのです)
(『神の御業による(育てられる)事』が重要なのです)
−−− >>747
−−−
ついでに一筆記します。
マタイ6:33
『まず神の国と神の義とを求めなさい』。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
↓
何故『求める必要がある』のか?
『愛しき隣人(兄弟達)』に対して
『隣人の為に神の義や教え等を"恵みたくなる"』
から。
(それが『愛する喜びに繋がってくるのです)
また
『神の助け無きに人だけでは恵む事が叶わない』
から。
↓
ガラテヤ6:6
御言を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。
(『良いものの共有化』が『共通善』となるのです)
(『恵み合い分かち合い』なのです)
−−− −−−
Thank you for your kindness.
この一文に於ける『kindness』は
『とても掛け替えのない大切なもの』なのです。
だから『素直に感謝致します』
だから『その御気持ちを有り難く受けとります』
『まちこさん』と『ageさん』へ。
ーー
マタイ12:34-35
まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、『心からあふれることを、口が語るものである』。
『善人はよい倉から良い物を取り出し』、
悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。
−−− coinさんへ
私は、以前、この5ちゃんねるの中で、最初の頃の愛を忘れたことがあります。でも今は、ちがいますが、
しかし、あなたには神への愛があります。
愛で行けば、すでに、あなたは勝利しています。
この勝利は、自分に打ち勝つ勝利です。
†エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。
2 わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。
3 あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。
4 しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
5 そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。
6 しかし、こういうことはある。あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んでおり、わたしもそれを憎んでいる。
7 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。 −−−
親愛なる方へ
私はあなたを愛せて嬉しかった。
私はあなたに愛されて幸せだった。
私は此処に居る事が出来て本当に良かった。
何しろあなたに出会えたのだから。
だから・・・、
本当に・・・、
あなたとの出会いに、
あなたとの関わりに、
そして・・・、
何よりも・・・、
あなたに伝える・・・"ありがとう"。
あなたは私の何よりも大切な生き甲斐だった。
−−−
あなたに書き綴りし一通の手紙 "last letter"
2022/10/19
written by stranger-criminal coin −−−
最近『繊細チンピラ』という言葉
を聞いたのですが・・・
−−− −−−
癒しスレッドより
0238 ◯◯◯◆ZTfV4x.y4wpe 2022/10/20(木)
15:34:35.19
あなたもいい加減にしておいた方がいいからね。
そうやって『嫌味』ばかりいってると返ってきますから😧
↓
『嫌味と受け取られてしまった様』なのですが
どうなのだろう・・・
−−− −−−
ちなみに『繊細チンピラ』って
『HSP(Highly Sensitive Person)』とは違う様なのですよね。
−−− >>753
皆さん、聖書のことが分からないので、嫌味にきこえるのです。
coinさん、琴さんからも言われてましたね。(笑) 琴さんが聖書を学んでいれば、最強だと思います。
彼女の思考は、この世の考えで、聖書を読み解くので、福音が基盤となっている私たちには理解できないのです。
以前、カトリックの方で、私に助けを求めに来た方がいます。
彼の話しは全く私には通じないので、どのようにクリスチャンになったか聞きました。
しかも、夢で彼は救われていないと、神様が教えてくださいました。
それは、彼は幼児洗礼で、クリスチャンになったと思いこんでいたのです。
彼の死が、直ぐそこに来ていたので、直ぐにイエス様を受け入れさせて、癒やしの祈りをしたら、彼は癒やされました。 −−−
『愛の意義』とは
『命と生きる事』に『密接に関係している』のです。
−−− >>757
−−−
何故『医者にたとえられる』のか?
何故『癒し(治療-治癒)』なのか?
(『良きサマリア人のたとえ等』より)
それらを踏まえ『愛すると言う事』とは?
−−− >>758
−−−
人々は『愛を履き違えている』と思うのですよね。
『愛とは恋愛ばかりでは無い』のに・・・
『悦楽や保身の為に貪るものでは無い』のに・・・
『形ばかりで行うものでは無い』のに・・・
『勝手にそう思い込む』のですよね。
−−− >>759
−−−
『決して穢されるべきでは無いもの』なのですよね。
その基にて『初めてきよさに預かる』と言うのに。
−−− 私の中で生きているのは私ではなく、イエス・キリストが生きています。
†20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。
ガラテヤ2:20 >>760
−−−
コリント第一13:1-7
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、『もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである』。
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、『もし愛がなければ、わたしは無に等しい』。
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、『もし愛がなければ、いっさいは無益である』。
『愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない』、
『不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない』。
『不義を喜ばないで真理を喜ぶ』。
『そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える』。
−−− −−−
澄んだ大気、
透き通る程の青に薄色オレンジ。
余りにもその色の薄さに僕は泣いたんだ。
手が届かぬ程の空の高さに僕は泣いたんだ。
戻らぬ日々(とき)、思い出に僕は泣いたんだ。
失われたものさえも忘れてしまって僕は泣いたんだ。
ただ、ただひたすらに僕は泣いたんだ。
・・・泣き続けたんだ。
・・・月が灯るまで、僕はただ泣き続けたんだ。
・・・そんなある日の僕の出来事。
−−−
黄昏時の夕空にて "clear-orange"
2020/11/22(2022/10/ 21再掲)
written by stranger-criminal coin −−−
静まり返る夜、
静かに灯す月灯り、
照らさる下に僕はいた。
街は静かに眠りにつき、
宛(さなが)らそれはまるで水鏡の様。
僕はただその場にて佇み、
静かに月を見上げていった。
月灯りに魅了されたのか、
僕は月を見上げ続けた。
何時間も、ただ何時間も、
その場にて僕は月を見上げ続けた。
僕はそこに、
「僕が失った何か」がある様な気がしたから。
「月の向こう側」にそれがある様な気がしたから。
僕はただひたすらにじっと月を見上げ続けた。
・・・そして、僕は知らずに手を伸ばしていた。
・・・静かに灯さる月に向かって。
・・・そんな晩秋の夜の僕の出来事。
−−−
晩秋の夜空にて "farside-moon"
2020/11/23(2022/10/21 再掲)
written by stranger-criminal coin −−−
何故、笑うの?
それはもう、嬉しさが込み上げてくるから。
何故、泣いているの?
・・・それは、・・・悲しくなってくるから。
何故、笑わないの?
・・・笑えないから。
・・・どうしても、どうやっても笑えないから。
・・・"笑いかけるべき方"が何処にも居なくて、
・・・"笑える事自体"・・・忘れてしまったから。
"暗き地を 俯きながら ただ歩く
目的地など 何処にも決めずに"
−−−
秋氷雨にうたれながらの一文 "lost-brightness"
2020/10/16(2022/10/22再掲)
written by stranger-criminal coin −−−
何故、人はこの「過酷な地」に生まれ落ちた?
何故、人は「辛さや苦しみ」に苛まされるのか?
何故、世界は未だ「暗いまま」なのか?
何故、世界は「絶望」だらけなのか?
・・・「神」は居ないのか?
・・・人は、人々は「見捨てられた」のか?
それでも・・・それでも尚・・・
何故、人は、人々は、
「明日」を求め「今日」を生き抜こうとするのか?
来る日も・・・来る日も・・・
人は・・・人々は・・・
何故「必死」になり「今日」を生き抜こうとする
のか?
・・・「生き抜こうとする」の・・・か?
・・・「絶望」しているはずなのに?
・・・「希望」は無いはずなのに?
・・・「絶望?」・・・「希望?」・・・
・・・僕は・・・この二つを「知っていた」のか?
・・・「不安?」・・・「期待?」・・・
・・・僕は・・・気持ち揺るがすこの二つを
・・・「知っていた」・・・のか?
何故、僕は「嘆いて」しまうのか?
何故、僕は「神に見捨てられた」と言ってしまった
のか?
何故、僕は「明日」を求めようとしてしまうのか?
−−− >>767
−−−
無意識に・・・何げなく・・・
僕は自分の胸に自分の手をそっと当てていった。
「・・・トクン、トクン、トクン・・・」
・・・静かに脈打つ鼓動と音色。
・・・僕は・・・その時・・・気が付いた、
・・・僕は・・・「知っていた」のだと。
・・・これからの「僕が果たすべき事」を。
・・・「使命」を。
−−−
此処に書き記すただ一つの世界(scene) "嘆き-使命"
2022/03/02(2022/10/22再掲)
written by stranger-criminal coin −−−
"face to face"-"heart to hand"-"word to world"
人に宿される"善き想い"の恵み合う事その求めは、
人々に於いての"善き言葉"の遣(や)り取りとなり、
それが少しずつ世界全土へと広がってゆき、
やがていつかは・・・
"善き世界"が織り成されてゆくのかもしれません。
"human-links make to a good-world"
「あなたは何を求め、願い、祈りますか?」
「愛する喜び、知っていますか?」
「誰かしら愛しく大切に想える方は居ますか?」
−−−
此処に書き記すただ一つの手紙 "優しい世界-楽園"
2020/11/17(2022/10/22再掲)
written by stranger-criminal coin −−−
「残酷な世界」に僕は生まれた。
「過酷な世界」で僕は生きてきた。
けど「傍らにあなたが居て支えてくれたから」こそ
僕は今まで生き抜いてこられた。
そんな「あなた」が去ってゆく。
静かに僕の傍らから去ってゆく。
僕に「想い出」を残しながら・・・
・・・僕に残された「想い出」が責め立てる。
「もう再び巡らない」と僕を責め立てる。
・・・「光煌めく想い出」だったからこそ
激しく強く僕を責め立て続ける・・・
・・・僕は涙した。
ただ・・・ただひたすらに・・・僕は涙した。
もし・・・もしも「世界に奇跡」があったなら、
僕は「あなた」の為に「奇跡」を求める。
「あなた」が「僕から去らなくてすむ様に」と、
「あなた」が「俯かずにすむ様に」・・・と・・・
たとえ僕が「奈落に落ちた」としても、
僕は「あなた」の為に「奇跡」を求める・・・
「こんな僕の傍らに居てくれたあなた」の為に・・・ただ一つ・・・この僕が望む事・・・
「こんな僕を支えてくれたあなた」だからこそ
何よりも「奇跡こそが必要」なのだから・・・
・・・「あなたは笑顔になるべき」なのだから。
−−−
此処に書き記すただ一つの詩 "奇跡への求め"
2021/09/22(2022/10/22再掲)
written by stranger-criminal coin __........-―-.........__
. ..:.:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::`ヽ
/:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::..
. /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::..
. ,':::::::::::::::i::i::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::i
i::::::::i:::::::i`ト:;::」:::::::::::i i:::::i i:::::::::::::::::i
|::::::::l:::::::「.「i::::i:::::::::::| |_;;」」::::::::::::::::::!
i:::::::::!::::平テ' ` '气テ芹 !:::::::::::::::::i 保守
l:::::::::i::::::じ’ 弋::::ソ |:::::::::::::::::i
ハ:::::::|i::::|xx____ xxx, |::::::::::::::::;'
. / i::::::|.!:::! V | ,,;ィ=リ:::::;::::::::::i
/ i:::::::i::::ト . ` -‐' /;;''イ:::彡イ:::::::i
. { i:/i:::i:::i::::;;;;≧≦{:::i彡イ|:::|::::|:::::::ハ
! ,リ .!::::i:i,イ::::ヽY´_!::i: . イリ!:::!::::!:::::乂
_nm /__ハ::::i{ {::::::::iイ: .i::i/ : ..i:リ. : ` < `ヽ
.(( .l |.| !!i´: . :ル': . :.>=ミ≧≠: . : . : . : . : . : . \
. | .リ: . : . :..:/: . : /: . : . : . : . : . : . : . : . .', >>742
−−−
「試練」は乗り越えるのであって、
「試練」に甘んじる訳ではありません。
「甘んじる事」を例えて言うなれば、
「テロリスト」が「怖い」ので「テロリスト」の
「仲間になる」と言う事と同様です。
「発想の転換」を使って「苦境に甘んじる事」は、
「試練を乗り越える事」とはなりません。
「試練」に於ける「益」は「乗り越えた先」にあるものです。
「試練を乗り越える」為には「忍耐」と「愛」
そして何より「主-神への信仰」が必要であるかと
思われます。
もし、
「試練を乗り越えられず」力尽きた(殉教)としても「最後まで信仰を棄てず」にいれば「主-神」は
「憐れみを掛けて下さる」かと思われます。
何故なら、
「御自分を認め愛して下さる方」を
「どうして見捨てる事が出来るのだろうか」と
思われますので。
「愛は試される様に信仰は試されます」
「信じたいからでの愛-信仰では無く
信じられるからこその愛-信仰である」
−−−
試練を乗り越える事について記す事
"overcome-trials"
2021/04/14(2022/10/22再掲)
written by stranger-criminal coin >>772
−−−
それは『平和の為の闘い』なのです。
−−
コリント第二6:14-18
『不信者と、つり合わないくびきを共にするな』。
『義と不義となんの係わりがあるか』。
『光とやみとなんの交わりがあるか』。
『キリストとベリアルとなんの調和があるか』。
『信仰と不信仰となんの関係があるか』。
『神の宮と偶像となんの一致があるか』。
『わたしたちは、生ける神の宮である』。
神がこう仰せになっている、
『わたしは彼らの間に住み、かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう』。
だから、「『彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる』。そして、『汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう』。
そして『わたしは、あなたがたの父となり、あなたがたは、わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる』」。
ローマ人への手紙12:15
喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。
−−− −−−
「何よ‼、何よ‼、何よ‼」
「私はこんなにも貴方に尽くしたのに‼」
「何で貴方は私を愛してくれないの‼」
「あの子のどこがいいのよ‼」
「くやしぃー‼」
「貴女は本当に僕の事を愛していたのですか?」
「貴女は僕の家や財産そして僕の肩書きを愛していただけではありませんか?」
「あの子は本当に僕の事を愛してくれていましたよ」
「親身になって僕の事を支えてくれましたよ」
「僕の家や財産そして肩書きなど全く気にせずに」
「不器用だけど純粋に僕の事だけを心配しながら」
「それなのに・・・貴女は・・・」
「僕の事をいつもほったらかしにして・・・」
「いつも僕の家や財産そして肩書きばかり・・・」
「これから僕はあの子の所に向かいます」
「あの子の為の僕になりたいので・・・」
「あの子を・・・」
「此れからの僕の全てを掛けて幸せにしたいから」
「・・・さようなら」
「・・・今までありがとう」
−−−
此処に書き記すただ一つの世界(scene) "別れ話"
2022/01/24(2022/10/23再掲)
written by stranger-criminal coin >>774
−−−
「待って、行かないで‼」
「私にはどうしても貴方が必要なの‼」
そう言って彼女は纏っていた服を脱ぎ捨て
生まれたままの姿となり僕の前へと立ちはだかった。
そこで僕は着ていた上着を脱いで
そのまま彼女の方に放り投げた。
「これでも着ていなさい」
僕は彼女にそう告げた。
「自分を大切にしなさい」
「貴女には僕よりも相応しい方がいい」
「それでは、僕はもう行くよ」
「今度こそ、さようなら・・・」
「・・・今まで・・・ありがとう・・・」
そう僕は彼女に告げて
背中を向けそのまま部屋を後にした。
・・・彼女のすすり泣く声を背にしながら。
−−−
此処に書き記すただ一つの世界(scene) "退室"
2022/01/24(2022/10/23再掲)
written by stranger-criminal coin −−−
穏やかな陽光(ひかり)、
陽光(ひかり)を受けゆく柔らかな大気、
大気に優しく抱かれゆく桜の木。
僕は誘(いざな)われる様に、
その桜の木に目を奪われていった。
桜の花はまだ咲いていない、
けど愛しき優しさに包まれ寄り添う桜の木。
それを眺める僕の胸は、
だんだんと優しき想いに溢れていった。
思わず僕は自然と口にしていた。
「春になったらしっかり咲き誇って下さいね」、
「それまでは静かにお休み・・・」、
「僕はその時までゆっくり待っているからね」と。
・・・ゆったりとした時間(とき)の流れの中で、
・・・心の安らぎを得ていた午後のひと時。
・・・そんな晩秋(あき)の日の僕の出来事。
−−−
晩秋のひと時(scene)より"short rest-kindness"
2020/11/27(2022/10/23再掲)
written by stranger-criminal coin >>776
−−−
いつか見かけた桜の木、
今日は少し咲いていた。
まだまだ咲けると頑張って、
いっぱい蕾(つぼ)ませ、咲いていた。
暖(あった)か日差しに包まれて、
いっぱい蕾(つぼ)ませ、咲いていた、
それは、あたかも母親に、
抱(いだ)かれ、はしゃぐ赤子の様。
優しき母の温もりで、
安らぎ喜ぶ赤子の様。
僕はそれ見て期待する、
未来(さき)にもっと咲き誇り、
喜び溢れる幼子を、
僕は想いて安堵する、
期待に想いて安堵する。
いつか見かけた桜の木、
今日は少し咲いていた。
まだまだ咲けると頑張って、
いっぱい蕾(つぼ)ませ、咲いていた。
−−−
此処に書き記すただ一つの世界(scene)"桜の福音"
2021/03/18(2022/10/23再掲)
written by stranger-criminal coin >>777
−−−
・・・いつか見た遠く幼い夢、
・・・夢の続きを見ていたかった。
・・・それは、
・・・遠くて遠い、幼く儚い夢。
・・・それは、
・・・穏やかで、
・・・とても安らぎ、
・・・ほんのりと暖かな、
・・・優しさ溢れる、
・・・そんな・・・儚き桜の春の一日。
・・・幼き恋・・・儚き桜の貴女(きみ)の夢。
・・・僕は、貴女(きみ)と共に居たかった。
・・・僕は、貴女(きみ)と共に歩みたかった。
・・・僕は・・・貴女(きみ)と・・・同じ夢を、
・・・見続けて・・・いたかった。
・・・いつか見た、遠くて儚い幼き夢、
・・・僕は、
・・・貴女(きみ)の夢の続きを見ていたかった。
−−ー
此処に書き記す一編の季節(とき)別れ詩
"散ル花サクラノ悲恋詩"
2021/02/23(2022/10/24再掲)
written by stranger-criminal coin >>778
−−−
はらり、はらりと桜花(はな)は散る。
そっと静かに桜花(はな)は散る。
澄みたる青空下(そらもと)桜花(はな)は散る。
葉桜僅かに覗かせて、
桜は静かに衣替え。
新緑(みどり)の服に衣替え。
そこに吹きたる心地の良い風、
未来(兆し)告げたる春の風。
希望齎(もたら)す春の風。
過ぎ行く季節(花弁)を栞(しおり)に仕立てて、
迎える季節を(葉桜)抱きしめる。
切なき恋の終わりを告げられ、
愛の芽吹きが始まるかの様に。
はらり、はらりと桜花(はな)は散る。
澄んだ青空下(あおもと)桜花(べに)は散り、
そっと葉桜(みどり)に衣替え。
春の服 装い新たに 衣替え
貴女(きみ)への愛しさ 新たに芽吹いて
−−−
春の日に桜の樹を想う旅人の詩 "桜恋-実り"
2020/04/24(2022/10/24再掲)
written by stranger-criminal coin −−−
『キリスト教共産主義』とは
キリスト教共産主義(キリストきょうきょうさんしゅぎ)は、キリスト教内における宗教的共産主義思想。
『概要』
「イエス・キリストの教えによれば、キリスト教徒達が共産主義を理想的な社会体制として支持しなければならない」という見解に根拠をおき発達した神学的で政治的な理論。キリスト教共産主義が何時生じたのかは正確には判っていない。新約聖書の使徒行伝によれば、エルサレム教会では財産を共有するキリスト教社会主義共同体を維持したとされている。エルサレム教会とは神学性格が違った使徒パウロやヤコブも、教会では教友達の間の不平等があってはいけないと信じた。アウグスティヌスも哲学について述べているが、自由に共有すべきと考えていた(このことからフリーソフトウェアなどの知的財産の無償性を唱えた最初の人物であるとみなされることがある)。また、中世の教会法では万物が神の財産であり、「神のもの」だから財産の私有は正しくなく、財産の共有が正しいという見解が主流だった。宗教改革期においても、アナバプテスト等の急進的なプロテスタント教派達は、財産共有を主張しながら、平等社会の具現を、キリスト教を通じて成そうとした。
キリスト教共産主義は、穏健なキリスト教社会主義と、急進的なキリスト教アナキズムの中間に位置するとされている。キリスト教共産主義者達は、大部分のマルクス主義者達が持つ無神論的な視覚等いくつかの部分に異見を提示しているが、「金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がもっとやさしい」や「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。」などといったキリスト教の言葉を根拠に、資本家が労働者階級から余剰価値を搾取して利益を得る、といった経済的な綱領や、資本主義が社会主義に入れ替えられ、最終的には共産主義に発展する、といったマルクス主義者達の政治的な綱領には同意している。
しかし、キリスト教共産主義は、根本的にマルクス主義とは相容れない。これは社会主義、または共産主義社会が組職される方法に関する事であるが、マルクス共産主義者達の“結論”を共有するが、その“前提”には同意しない事が見られる。
Wikipediaより
−−− −−−
思うに
先日(時々?)僕に絡もうとしていた『名無しさん』
って以下の聖句の様になっていると思うのですよね。
ーー
マタイ22:8-14
それから僕たちに言った、『婚宴の用意はできているが、招かれていたのは、ふさわしくない人々であった。
だから、町の大通りに出て行って、出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい』。
そこで、僕たちは道に出て行って、出会う人は、悪人でも善人でもみな集めてきたので、婚宴の席は客でいっぱいになった。
王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人を見て、
彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。
しかし、『彼は黙っていた』。
そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。
−−− −−−
『無償の愛』と言うのがありますが
『対価要求は無い』けど『価値が無い』と言う訳
では無いのです。
だけど『対価要求が無い』から『価値が無い』と
言った感覚なのですよね。
『無償の愛の価値』は『奇跡の価値』なのに・・・
だからこそ『尊いもの』なのに・・・
『価値が無い感覚』だから『無下に扱った』り
『当然の様に要求』するのですよね。
『奇跡を俗に落としめる』のですよね。
−−− >>782
−−−
白の結晶、
降り積もる白の結晶達、
どれだけ地上に降り積もるも、
白き絨毯をどれだけ敷き詰めても、
人々の足で残酷なまでに踏み躙(にじ)られ、
泥だらけとなって汚(けが)れてゆく。
白の結晶、
降り積もる白の結晶達、
この「小さな白き者達」に救いは無いのだろうか。
白雪を 集め造りし 雪うさぎ
この子だけでも 天に帰して
−−−
此処に書き綴る一編の詩 "abuse"
2021/12/01(202210/25再掲)
written by stranger-criminal coin −−−
先日『学歴マウント』と言う言葉を聞きました。
(うろ覚えですが・・・)
勝手ながらに僕の思う事として
『他者を見下しマウントを取る為に学位の取得』
って・・・
『何の為に学位の取得を果たした』のか・・・
(『その為に取得したのでは無い』のでしょうけど)
『その権威にただ泥を塗るだけ』なのでは・・・
(『行為』によって実質的にそうなってしまったので)
『権威とは見合うものにこそ与えられるべき』
なのですよね。
−−− >>784
−−−
『見合わない方』が『権威を振りかざして』も
『泥を塗った分周りから認められなくなる』の
でしょうにね・・・
−−− >>785
−−−
僕は・・・見失っていたんだ。
大事な、大事な「何か」を見失っていたんだ。
いつ・・・だったのか?
どこで・・・だったのか?
とにかく僕は、
大事な「何か」を「見失っていた」んだ。
かつて・・・僕は・・・
一振りの「剣」を手にしたんだ。
僕は「剣」を手にした「悦び」にかられて、
とにかく夢中になって「剣」を振るい続けたんだ。
それはもう・・・始めの頃は・・・
周りから「称賛の眼差し」が僕に向けられたもんだ。
数多くの「敵」を「討ち倒した」のだから。
だけど・・・だけど・・・
だんだん・・・だんだんと・・・
周りから「恐怖の眼差し」を向けられて・・・
周りから「罵声」を浴びせられ・・・
1人・・・また1人・・・
「僕の味方は去って」いき・・・
挙げ句の果てに、
僕の周りは「誰も居なくなってしまった」んだ・・・
僕は・・・見失っていたんだ。
大事な、大事な「何か」を見失っていたんだ。
−−−
此処に書き記すただ一つの世界(scene) "独白-剣"
2022/03/03(2022/10/25再掲)
written by stranger-criminal coin >>786
−−−
ガラテヤ6:3-4
もしある人が、事実そうでないのに、
『自分が何か偉い者であるように思っているとすれば、その人は自分を欺いているのである』。
(『ナルシズムの事』なのです)
(『罪により美化された自分を自分だと思い込む事』)
(『自己認識が正しく認識が出来ない状態』なのです)
ひとりびとり、
『自分の行いを検討してみるがよい』、
そうすれば、
『自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう』。
(『人のふり見て我がふり直せ』なのです)
−−− −−−
思うに
『相手方の言いたい事が分からずに汲み取れ無い』
と『聖句一編読む事は難しい』かと思うのです。
『自分にとって都合が悪く汲み取りたく無い』なら
『尚更読む事は難しい』かと思うのです。
『相手方はあなたの"都合のいい玩具"では無い』
のだから・・・
『神や聖書に自分の我儘を求めても"意味は無い"』
のだから・・・
−−− >>788
−−−
『神や聖書等』は
『あなたにとって都合のいい"イエスマン"では無い』のだから・・・
−−− >>789
−−−
ついでに
『相手方の尊厳に対する尊重が出来無い方』ほど
『自分にとって"都合のいいイエスマン(玩具)"』を
『求めてしまう』のですよね。
−−− −−−
癒しスレッドで『やなせたかしさん アンパンマン』の話しが出ていたので勝手ながらに一筆・・・
ある時『バイキンマン』が現れて
『カバおくん達が襲われる』のです。
↓
『カバおくん達を助ける』為『アンパンマン』
が現れるが『バイキンマン』に襲われて
『ピンチに陥ってしまう』のです。
↓
そこで『バタコさん』がやって来て
『アンパンマン、"新しい顔"よ!』と言って
『アンパンマンは"新しい顔"に付け変わる』
のです。
↓
そして『アンパンマン』は『バイキンマン』に対
して『アンパンチ』を繰り出し『バイキンマン』を
『遠くに追いやる』のです。
↓
その後『平和は"再び訪れる"』のです。
これを『キリスト教』と『重ねてみる』と・・・
−−− >>791
−−−
『古い人』と『新しき人』とは?
『堕落』と『救い』とは?
僕の思う事を一筆此処に書き記します。
−−− >>792
−−−
ついでに
『"新しいアンパンマンの顔"をつくる』のは
『ジャムおじさん』なのですよね。
主題歌
『アンパンマンのマーチ(作詞やなせたかしさん)』
より『"愛と勇気"だけが"友達"なのさ〜♪』とは?
僕の思う事を更に一筆此処に書き記します。
−−− >>793
−−−
更についでに
ーー
0727 coin ◆vh.6rK7hdY 2022/10/09(日)
19:16:14.47
更に、ゲーム『リバーシ』或いは『オセロ』での
『◯⚫⚫ →◯⚫⚫◯→◯◯◯◯』に於いて
『後から置かれた"自分の二つ目の石が下の口"』
だとするなら・・・
『二つ目の石を置く事』とは
『くちびるの割礼の事』なのです。
則ち『◯⚫⚫ →◯⚫⚫◯→◯◯◯◯〜♪』
なのです。
ーー
との関係は?
僕の勝手に思う事を更に一筆此処に書き記します。
−−− >>794
−−−
イザヤ54:1
「子を産まなかったうまずめよ、歌え。産みの苦しみをしなかった者よ、声を放って歌いよばわれ。夫のない者の子は、とついだ者の子よりも多い」と主は言われる。
−−− coinさんやまちこさんだって
なんでこんなに苦しくて辛いの?って涙流して生きてることあるよね?
そうゆうの言わないだけで
言わないって強いよね
言っても誰もわかってくれないからって言うのがあるのかな? ごめんなさい
日本酒飲んでる
酔っ払いのざれごと・・・ −−−
癒しスレッドにて『ウルトラマン』の話が出ていた
ので一筆です・・・
『(初代)ウルトラマン第39話(円谷さん監督)』
『さらばウルトラマン』のシナリオとは?
↓
『ウルトラマンが宇宙恐竜ゼットンに負ける』
↓
『一体誰が宇宙恐竜ゼットンを倒した』のか?
↓
『科学特捜隊が(思いを)受け継いでゼットンを倒す』
・
・
・
−−− >>799
−−−
マタイ5:2-10
そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。
『こころの貧しい人たち』は、さいわいである、
天国は彼らのものである。
『悲しんでいる人たち』は、さいわいである、
彼らは慰められるであろう。
『柔和な人たち』は、さいわいである、
彼らは地を受けつぐであろう。
『義に飢えかわいている人たち』は、さいわいである
彼らは飽き足りるようになるであろう。
『あわれみ深い人たち』は、さいわいである、
彼らはあわれみを受けるであろう。
『心の清い人たち』は、さいわいである、
彼らは神を見るであろう。
『平和をつくり出す人たち』は、さいわいである、
彼らは神の子と呼ばれるであろう。
『義のために迫害されてきた人たち』は、さいわいである、
天国は彼らのものである。
マタイ7:21-22
わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、
『ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである』。
その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
−−− >>800
−−−
『科学特捜隊の隊員達』は『倒れたウルトラマン』
を『憐れんで彼の平和への思い-意思を受け継いだ』
のですよね。
『自分達で出来る事を全力で果たす事』によって
『ウルトラマンへの恩義を果たした』のですよね。
そして『科学特捜隊の隊員達』は『独り立ち』を
して『行いをもって人々に平和を伝えてゆく』と
思うのです。
・・・『平和の使者』として。
−−− >>801
−−−
『科学特捜隊の隊員達』は
『ウルトラマンから受け継いだ平和への思い-意思』
を『胸に秘めて今日も平和をつくり続ける』・・・
コリント第一2:2
なぜなら、『わたしはイエス・キリスト、"しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと"、決心したからである』。
−−− >>796
−−−
『三尋木咏さん』へ
僕は余りにも『無力で弱い』ですよ。
それは『ウルトラマン』に対する『科学特捜隊隊員』のように『余りにも無力で弱い』のですよ。
・・・『泣きたい時なんて星の数ほど』ですから。
−−− >>803
酔っぱらてる状態で書いてごめんなさい
私はcoinさんの書き込みは私の頭のスペックではわかりませんが
ただ色んな人に批判されても、動じないで淡々と自分の意見を言えるcoinさんがカッコイイです
リアルとネットでは違いますよね。軽率な発信だったらごめんなさい。
それとレスありがとうございます >>796
イエス様のお名前で、神様に頼むことをしていたので、必ず願いが叶えられることを知りました。
だから、何かあったら、自分を反省し、悔い改めてから、お願いします。
今は、習慣になってしまい、直ぐに祈るようにしています。
だから、私は、神様に委ねられるのです。 悲しみに入っていて、祈ることを忘れてしまうことがあります。
早く気がつくようにしていますが、
神様はご存知なんですね。
そんな時、誰かが助けが来ます。
そして、すべてが憂いにかわります。
今は、そんなことがないようにと、神に祈りと感謝、そして神を褒めたたえることは決して毎日わすれません。 弱いとは無力だから神様に頼むしかないのです。
† すると主は私の恵みはあなたに十分である力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだと言われました 。
第二コリント12:9
☆弱いから神様に頼るのです。
自分の弱さを知っている者は強いです。 >>786
−−−
『剣を手にすると言う事』とは、
『敵を倒す為に手にする訳では無く』て
『守るべき方を悪から守る為に手にする』
と言う事なのです。
何故なら『敵を"倒す事に悦び"を感じてしまう事』より『守るべき方を悪から"守りきる安堵"』の方が
『何より重要な事』なのだから。
だから、
『剣は相応しい使い手が手にするべき』なのです。
『狂気の刃にしてはいけない』のです。
『"正義の味方"を貫くべき』なのです。
『その武具-剣は刃にして盾』なのだから。
−−− >>805
はい、すいません。ごめんなさい。・・・ coinさん奮闘
まちこさんも
癒しスレ・・・混沌としている。 >>810
大丈夫です。
神様を知りたい方には、聖霊が導きます。 −−−
『A級戦犯』の『A級』とは何でしょう。
国際軍事裁判所憲章では、a.平和に対する罪、b.(通例の)戦争犯罪、c.人道に対する罪の3つが英語原文でabc順になっているため、『項目aの平和に対する罪で訴追された者を「A級戦犯」』、項目b、項目cで訴追されたものをそれぞれB級戦犯、C級戦犯と呼ぶ。
『A級戦犯合祀問題』とは
A級戦犯合祀問題(えーきゅうせんぱんごうしもんだい)とは、第二次世界大戦後の連合国による極東国際軍事裁判(東京裁判)において、拘置中に死亡、ないし刑の執行ないし刑期中に死亡した者について、
『靖国神社の"祭神"として合祀されていることに関する論争』。
Wikipediaより
−−
↓
『A級戦犯(平和の破壊者)』を
『靖国神社の"祭神"として祀ってしまった』
と言う事なのですよね。
その上『玉串(神霊の依代(よりしろ)』を
『A級戦犯(平和の破壊者)に奉納している事』
となっているのですよね。
−−− >>812
−−−
思うに『玉串奉納』は『戦没者(戦争の被害者)慰霊』
に対してなら『話しは分かる』けど・・・
−−− >>813
−−−
『合祀として一緒に祀られてしまっている』
から『戦没者(戦争の被害者)慰霊』どころではなく
更に『平和の礎となってこない』と思うのですよね。
−−− >>814
−−−
それは『いじめっ子』と『いじめられっ子』を
『一緒に居させる様なもの』なのですよね。
『分祀』ではなく『合祀』なのだから。
従って『奉納された玉串』は『いじめっ子』の方に。
だから『平和への礎とならない』と思うのですよね。
・・・『A級戦犯合祀』は。
−−− −−−
癒しスレッド
0500 ◯ 2022/10/28(金) 16:12:40.25
わたしは、『臨死体験』もしていますが、その体験からもありえません。
↓
『キリスト教で"臨死体験"なんて謳っている方』は
『キリスト教に関わる方』に『臨死体験させる気』
なのでしょうか・・・
『事故が起きたらどうする』のでしょうか?
『キリスト教』は『臨死体験は謳っていない』
のですけど・・・
『"霊的死"を履き違えているだけ』では・・・
−−− −−−
癒しスレッドにて
0980 神も仏も名無しさん 2022/10/30(日)
11:45:18.60
イエス様は聖霊と火で洗礼を授けに来られた。
わたしは小さな火がついている自覚があるんだ。
◯◯◯さんの心に火はついておられる自覚はありますか?
おそらく私の小さな火、その火より小さな火があなたに触れた。
熱いですよ。頭が痛くなるでしょう。
そういうことなのです。『だから、キリスト者でわたし以上の火で
焼かれてる人であればちゃんちゃら平気っつー。そういうこって』。
↓
『大麻所持法違反』の『罰則強化』が行われても
『大麻を持たない方』なら『別に何ともない』の
ですよね。
・・・『元々引っ掛からない』のだから。
−−
ルカ21:32-36
天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。
あなたがたが放縦や、泥酔や、世の煩いのために心が鈍っているうちに、思いがけないとき、その日がわなのようにあなたがたを捕えることがないように、よく注意していなさい。
その日は地の全面に住むすべての人に臨むのであるから。
これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい」。
−−− >>817
−−−
『開き直り等で悔い改まる事が無く』て
『いつまでも大麻を所持している』と
『その時になって右往左往する事となる』
のですよね。
−−− −−−
思うに『実相さん』の『癒しスレッド』にて
『果たされている事』は『史実の八紘一宇』の
『再現?』となっている様な気がします。
−−− >>819
−−−
0150 ◯◯◯ ◆wxnBcJ8ZogOS
2022/10/31(月) 11:18:20.36
阪神ファンの野次おっさん
自分は対して野球上手くないのに、お客様だから安全だとプロ野球選手に野次をあびせる。
◯◯◯そっくり
↓
『お客様は"神さま"です』なのですよね。
その言葉は『店子(たなこ)言葉』なので
『店子(お店)側がお客さんに対して使う言葉』
であって『お客さん自らが使わない言葉』なの
ですよね。
なのに『お客さん自ら使ってしまう』と
『自称神となってしまう』のですよね。
(『自己神格化の勘違いさん』となるのですよね)
・・・『お店側にとってのただのトラブルメーカー』
−−− >>820
−−−
『ワインはソムリエに任せる』なのですよね。
『ソムリエはお客様の為に最善のワインを用意する』
のだから・・・
−−− 阪神ファンの野次おっさん
自分は対して野球上手くないのに、お客様だから安全だとプロ野球選手に野次をあびせる。
でおーそっくり >>820
−−−
いつも私は
「それ」を恐れていた。
いつも、いつでも、
私は「それ」を恐れていたんだ。
どうしても、
どうやっても、
私は「それ」から
逃れる事が出来なかった。
・・・出来なかったんだ。
そんな時、
私は気が付いたんだ。
「それ」に反発するから、
私は「それ」を恐れるのだと。
ならば私は「それ」を
受け入れればいいのだと。
そうすれば「それ」に反発しないのだから、
私は恐れる必要は無いのだと。
直ぐ様、私は「それ」を受け入れた、
それから私は"大いなる安らぎ"を手に入れたんだ。
・・・私はもう、
・・・恐れる事は無い。
・・・二度と恐れる事は無いんだ‼
−−−
此処に書き記す一つの世界(negative-scene)
"nyarlathotep-oneness (negative-mother)"
2021/03/05(2022/10/31再掲)
written by stranger-criminal coin −−−
思うに『ヒュパティア』は
『ソフィアの過失』に於ける『ソフィア』の事。
何故『キリスト教』は『母性原理』とはならずに
『父性原理』となるのか。
ルカ11:27-28
イエスがこう話しておられるとき、群衆の中から『ひとりの女が"声を張りあげて"言った』、
『あなたを宿した胎、あなたが吸われた乳房は、なんとめぐまれていることでしょう』。
しかしイエスは言われた、『いや、めぐまれているのは、むしろ、"神の言を聞いてそれを守る人"たちである』。
−−− >>824
−−−
『ソフィア』は『知恵』の事。
『知恵』は『使い手により使(遣)うもの』であり
『振り回されるものでは無い』のですよね。
−−− >>825
−−−
また『知恵』は『良い知恵であるべき』であって
『悪知恵であるべきでは無い』のですよね。
−−− >>826
−−−
でなければ『知恵が生(活)きてこない』のだから。
則ち『知恵に光が灯らなくなる』のだから。
−−− >>827
−−−
コリント第一1:20
知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。『神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか』
↓
ーー
『ソフィアの過失』での『ソフィア(知恵)』は
『子に嫉妬して反発していた』ので
『ソフィア(知恵)』が『十字架上の死』に
よって『子の為のソフィア(知恵)となる』と・・・
↓
ーー
0727 coin ◆vh.6rK7hdY 2022/10/09(日)
19:16:14.47
更に、ゲーム『リバーシ』或いは『オセロ』での
『◯⚫⚫ →◯⚫⚫◯→◯◯◯◯』に於いて
『後から置かれた"自分の二つ目の石が下の口"』
だとするなら・・・
『二つ目の石を置く事』とは
『くちびるの割礼の事』なのです。
則ち『◯⚫⚫ →◯⚫⚫◯→◯◯◯◯〜♪』
なのです。
『聖ペトロ教会の逆十字(謙遜)』により
『黒い石が白い石に変わる(新生する)』のです。
↓
ーー
コリント第一1:30
あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。『キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである』。
−−− >>828
−−−
ちなみに『叡智』を基に『知恵』となるので
『ソフィアの過失』は『知恵で叡智をつくる過失』
の事なのですよね。
則ち『知恵で神をつくる過ち』なのですよね。
(『全能の神による叡智』なので)
ちなみに『つくられた神』は『全て虚構の神』
となるのですよね。
『知恵で叡智はつくれない』のだから・・・
−−− −−−
私はあのストーカーに好意を抱いたことなど一度もありません
しかし『誰かが私を想像し、私があのストーカーに好意を抱いているような物語を作り出していました 』『もし少しでも好意を感じる相手だったら、これは恋か運命に違いないと錯覚するでしょう 』
頭の中で自分自身が思いを吐露しているかの如く、自然さを装ってくる場合もあります
私はこの強制力を止めることはできませんでしたが、首の後ろの延髄に霊的な鋭いピン(杭)をたくさん刺して自制し乗り越えました
『敵は私を悲しみの極致に追い込み、再生不能にしようとしました 』
脳内に入り込めば発狂するしかなかったでしょう
−−
『ガスライティング』とは
ガスライティング(英: gaslighting)は『心理的虐待の一種』であり、『被害者に些細な嫌がらせ行為をしたり、故意に誤った情報を提示し、被害者が自身の記憶、知覚、正気、もしくは自身の認識を疑うよう仕向ける手法』。例としては、嫌がらせの事実を加害者側が否定してみせるという単純なものから、被害者を当惑させるために奇妙なハプニングを起こして見せるといったものまである。
Wikipediaより
−−− >>830
−−−
思う所として
『誰かが私を想像し、私があのストーカーに好意を抱いているような"物語を作り出していました" 』
『もし少しでも好意を感じる相手だったら、これは"恋か運命に違いないと錯覚する"でしょう 』
『頭の中で自分自身が思いを吐露しているかの如く、自然さを装ってくる場合もあります』
↓
『ガスライティング』より
『被害者に些細な嫌がらせ行為をしたり、故意に誤った情報を提示し、被害者が自身の記憶、知覚、正気、もしくは"自身の認識を疑うよう仕向ける"手法』。
↓
『首の後ろの延髄に霊的な鋭いピン(杭)をたくさん刺して"自制し乗り越えました"』
↓
『ガスライティング』が上手くいかないと
『敵は私を"悲しみの極致に追い込み、再生不能にしよう"としました 』
−−− >>831
−−−
・・・どう思いますか?
・・・『琴さん』
−−− −−−
寒き冬の日、雪が降る。
しんしん、しんしん雪が降る。
静かに、静かに雪が降る。
淀んだ喧騒、覆う為に雪が降る。
静寂、満ち足るまでに雪が降る。
時間(とき)が止むまで・・・雪が降る。
・・・時間(とき)が止みたる白銀世界、
・・・足跡付けて時間(とき)を進める、
・・・そんな夢見た初冬(ふゆ)の日の事。
−−−
初冬の夢風景(scene)より "white snow-time"
2020/12/04(2022/11/3再掲)
written by stranger-criminal coin >>833
−−−
雪が降る。
静かに、ただ静かに雪が舞い降りる。
舞い降りたる白き結晶は、
どんな願いが込められているのか?
どんな祈りを地に伝えるのか?
受けたる祈りの願いを聞きたる者は、
白銀世界にどんな足跡を残すのか?
雪解けまでにどんな祈りを捧げるのか?
そしてこの僕は、
どんな足跡を残せるのか?
どんな祈りを捧げられるのか?
・・・雪降る程に寒くなり、
・・・春の息吹をただ待ち望む、
・・・そんな寒き冬の日の事。
−−−
捧げる祈りに対する想い "sent-snow letter"
2020/12/21(2022/11/03再掲)
written by stranger-criminal coin −−−
『スキルや職務』に
『アマチュアやプロフェッショナルと言うもの』は
あるのかもしれないが
『愛や信仰』に
『アマチュアやプロフェッショナルと言うもの』は
無いのです。
−−− −−−
癒しスレッド339
0961 神も仏も名無しさん 2022/11/04(金)
11:19:02.23
イエスを信じない者は魔女と認定して火あぶりにしてきたキリスト教
キリスト教がまともだと思うのか?
↓
『演繹』に於ける『前提が偽り』ならば
『以降の論展開は全て偽り』となるのですよね。
『火』一つ取っても『ただの火』と『聖火』では
『異なる』のです。
『キリスト教に於ける火』は『聖火』なので
『ただの火を前提としたキリスト教批判』は
『偽り』となり『偽りのキリスト教が明かされ』
て『その批判は論外として認められない』と
なるのです。
要は『シャープペンを用いたボールペン批判』は
『ただの言いがかり』なので『無意味でしか無い』
ので『論外』と言う事なのです。
−−− >>836
−−−
ちなみに『偽りのキリスト教』が広まるから
『リテラシーが低い方』がそのまま聞いてしまうと
『先入観が出来る』ので『正当なキリスト教に
近づかせない効果』があると思われます。
ルカ11:51-52
そうだ、あなたがたに言っておく、この時代がその責任を問われるであろう。
あなたがた律法学者は、わざわいである。
『知識のかぎを取りあげて、自分がはいらないばかりか、はいろうとする人たちを妨げてきた』。
−−− >>836
−−−
聖火とは
『不浄を選り分け不浄を祓う浄化の火』の事です。
−−− >>838
−−−
ちなみに『聖水』とは
『聖火によって不浄が除かれたきよき水の事』
です。
−−− −−−
最近の『一元論的論を語る方』は
『ジョージ・オーゥエル著1984年』の舞台となる
『オセアニア』の『党の掲げるスローガン』を
『是(然り)として語るかの様』なのですよね。
ちなみに『党のスローガン』とは
『戦争は平和である(WAR IS PEACE)』
自由は屈従である(FREEDOM IS SLAVERY)』
無知は力である(IGNORANCE IS STRENGTH)』
『アンチノミー(二律背反)の融合』なのですよね。
(例:『白=黒』『善=悪』『是=非』『表=裏』・・・)
だから『語る事の内容』は
『その時々で前回の事と真逆の事を語ってしまう』
事があるのですよね。
−−− >>840
−−−
ちなみに
『戦争は平和である(WAR IS PEACE)』
自由は屈従である(FREEDOM IS SLAVERY)』
無知は力である(IGNORANCE IS STRENGTH)』
と上記にて記した『党のスローガン』は
『是々非々』により
『戦争は争いである(WAR IS STRIFE)』
『自由は解放である(FREEDOM IS RELEASE)』
『無知は無力である(IGNORANCE IS HELPLESS)』
となるので『党のスローガン』は『非(否)』となります。
従って『一元論的論を語る方』は
『amen(是-然り)では無い』ので
『反キリスト(antichrist)』となります。
−−− >>841
−−−
更に『一元論的論を語る方』は
『アンチノミー(二律背反)の融合』を『是-然り
(例:『白=黒』)』と『自ら認識している』為に
『無自覚に思考的不整合となってくる』と考えられ
るのだから・・・
その方の行く末は・・・
−−− −−−
『まちこさん』へ
癒しスレッドにて
『名前あり-無しに於ける必要性の有無議論』が
行われています。
もし宜しければまちこさんからの意見
を伺いたいかと存じます。
まちこさんが書き記せる時で宜しいので
一言一筆の程、何卒御願い申し上げます。
−−− >>843
−−−
追記
もしまちこさんが癒しスレッドにて書き記せない
のであるならこちらのスレッドにて書き記しても
構いませんので、
(このスレッドは元々まちこさんのスレッドなので)
まちこさんが書き記せる時で宜しいので
一言一筆の程、何卒御願い申し上げます。
−−− >>844
−−−
『法(ルール)』とは
『羊を守る為の柵』なのでしょうか?
それとも『羊を縛り付ける為の枷』なのでしょうか?
『柵と枷』
はたして『どちらの方が"羊にとって自由"となる』
のでしょうか?
−−− −−−
一体何の為の『ローカルルール』なのか。
その『ローカルルールで一体何を守る』のか。
ーー
マタイ6:1-5
あなたがたの中のひとりが、仲間の者と何か争いを起した場合、『それを聖徒に訴えないで、正しくない者に訴え出るようなことをするのか』。
それとも、『聖徒は世をさばくものであることを、あなたがたは知らないのか』。そして、『世があなたがたによってさばかれるべきであるのに、きわめて小さい事件でもさばく力がないのか』。
あなたがたは知らないのか、『わたしたちは御使をさえさばく者である。ましてこの世の事件などは、いうまでもないではないか』。
それだのに、『この世の事件が起ると、教会で軽んじられている人たちを、裁判の席につかせるのか』
わたしがこう言うのは、あなたがたをはずかしめるためである。いったい、『あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することができるほどの知者は、ひとりもいないのか』。
−−− >>846
−−−
多分『名前欄記入が是であろうと非であろうと』
『あのままの状態』が続くと『癒しスレッド』は
きっと・・・
ーー
マタイ12:43-45(ルカ11:24-26も同様)
汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。
そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。
そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も、このようになるであろう」。
−−− −−−
癒しスレッドのとあるレスを拝読いたしまして
『人に良品とか不良品なんてあるのでしょうか』
・・・冷たくて悲しいですね。
−−− >>842
−−−
『ジョージ・オーゥエル著1984年』
『ダブルシンク』
ダブルシンク(doublethink、二重思考)は、「1人の人間が矛盾した2つの信念を同時に持ち、同時に受け入れることができる」という、オセアニア国民に要求される思考能力である。「現実認識を自己規制により操作された状態」でもある。
『ダブルスピーク』
ダブルスピーク(doublespeak、二重語法)は、矛盾した二つのことを同時に言い表す表現である。『1984年』作中の例でいえば「戦争は平和である」や「真理省」のように、例えば自由や平和を表す表の意味を持つ単語で暴力的な裏の内容を表し、さらにそれを使う者が表の意味を自然に信じて自己洗脳してしまうような語法である。『他者とのコミュニケーションをとることを装いながら、実際にはまったくコミュニケーションをとることを目的としていない』。
ダブルスピークという用語は、実際には『1984年』に登場していないが、初版発刊後の1950年代に一般化した言葉で、しばしば『1984年』由来と考えられている。ニュースピークのB群語彙の定義におおむね影響を受けている。また、現実にある政策や婉曲話法などを批判的に言及する際に「二重語法」という言葉を使うことがある。たとえば事業の再構築を意味するリストラクチャリング(リストラ)を単に「従業員の大規模解雇」の意味に使用するなど
Wikipediaより
−−− 和紙さんは、エッセネ派のクムランの事を言ってるんでしょうけど、自分も流石にその辺の現場には行った事ないのでよく分からないんですよね。
まあ、1人でつぶやきっぱなしなのは止めてあげたいので、たまにツッコミは入れていましたが、どうしたものか。(ヨハネ14:18) >>851
こんばんは。
私、和紙さんの言っていることが、よく分かりません。
普通、聖霊体験している方は、聖霊は一つ、というように、みなさん話すことが一致しています。
だから、お互いにアーメン、と言えるのですが、残念ながら、彼の話しは言えません。
せめて教会は行って欲しいですね。 −−−
ヨハネ14:16
わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に『助け主を送って』、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。
↓
ヨハネ14:17
それは『真理の御霊』である。『この世はそれを見ようともせず、知ろうともしない』ので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。
↓
『真理の御霊』は『御子の事』であり
『コリント第一』での『神の知恵の事』でも
あるのです。
(※まだまだ色々あります)
『この世』はそれを見ようともせず、知ろうともしないのは
『真理の御霊』と『この世』は『互いに相反関係』となる為なのです。
(『光と闇』の関係なのです)
↓
ヨハネ14:18
わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。
『御子の再臨の事』であり、その時『聖霊体験』を
受けるのです。
(『満たされる感覚』なのです)
(『胸がいっぱい』なのです)
−−− −−−
笑顔で、笑って半分こ。
仲良し、仲良く半分こ。
わくわく、どきどき半分こ
あつあつ、ほくほく焼き芋さん。
一緒に食べると美味しいね。
あなたと食べると美味しいね。
笑顔で、仲良し半分こ。
−−−
半分この焼き芋さんの歌
"dear friend's-roasted sweet potato"
2020/12/12(2022/11/06再掲)
written by stranger-criminal coin −−−
『和紙さん』は
『ふあふあ(無重力)感覚』と言っていましたよね。
−−− >>852
まちこさんこんばんは〜。
幽霊の話をよくしているので、仏式の何かを聖霊体験としているんですかね。よく分からんですね。
> せめて教会は行って欲しいですね。
勉強はプロテスタントの勉強をしてる風もあるので、教会に行かない理由にしてるんでしょうね。
よもやまだ続いてるとは思わなんだっスよ・・。 >>853-855
coinさんこんばんは〜。
いつも意図を汲み取って頂いてありがとうございます。
無重力・・原罪から解放されてるという事っスかね・・?
色々よく分かりませんが、まあ、引き続き様子見てみますよ。
おふたりとも、ありがとうございました。 >>855
−−−
『海の中はふわふわ浮いてる感覚』なのでしょうね。
・・・『母性原理』とは。
−−− >>858
−−−
ヨハネ14:15
もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしの『いましめを守るべき』である。
↓
『いましめ』は『気が引き締まる』のですよね。
・・・『父性原理』とは。
−−− >>858
なるほど。やっぱり胎蔵界の慈悲を説いてますね。
なので金剛界の智慧を嫌ってるんでしょう。
片方だけやれば良いというもんではないですが、彼が必要としているものなのかもしれないですね。(だからまちこさん琴さんに絡む) そういえば、おふくろさん亡くなってるって前に話してたなぁ。
その辺も関係あるかもしれんすね。 −−−
癒しスレッドより
0849 琴 2022/11/07(月) 03:49:05.88
そんな悪の権化は、蛇やドラゴンで醜悪そうに表現されています。
↓
『東洋の"龍"』と『西洋の"ドラゴン"』は
『異なっている(別物)』なのですよね。
ちなみに『西洋の"ドラゴン"』は
基本的に『人の悪しきものの総体』なのですよね。
(※『西洋の"ドラゴン"の特性』より)
(※『ファンタジー等の聖龍』は別(逆なので))
−−− >>862
−−−
0862 coin ◆vh.6rK7hdY 2022/11/07(月) 10:00:18.74
ちなみに『西洋の"ドラゴン"』は
基本的に『人の悪しきものの総体』なのですよね。
(※『西洋の"ドラゴン"の特性』より)
↓
『龍殺しの英雄譚(Dragon Slayer)』が
『人々に持て囃されてくる』のはこの為かと・・・
−−− >>855
−−−
または
『ふわふわ(無重力)感』
↓
『携挙(rapture)+昇天(ecstasy)感?』
↓
0852◯◯2022/11/07(月) 05:13:57.27
『宗教と化学は融合しないとならない 』
『人は猿から進化したのだ』
↓
『自称預言者』
↓
『魔境?』
ーー
魔境(まきょう)とは、禅の修行者が中途半端に能力を覚醒した際に陥りやすい状態で、意識の拡張により『自我が肥大し精神バランスを崩した状態』のことを指す。ユング心理学で「魂のインフレーション」と名づけられた状態だという指摘もある。
臨済は、「瞑想により仏陀や如来が現れたときは(瞑想内のイメージの)槍で突き刺せ」「仏見たなら仏を殺せ」と教えている。これは、『瞑想中に神格を持つものとの"一体感を持った"』結果『自分はすごい人間だ』と思い込んでしまい、『エゴが肥大してしまう』のを防ぐ、すなわち魔境に入ってしまう状態を防ぐための教えだとされている。
Wikipediaより
ーー
↓
『ヨハネ福音』
↓
『禅キリスト教?(推定-仮)』
−−− −−−
癒しスレッド
・・・『救いたくても救えない』
・・・『そんな自分が堪らなく嫌になる』
・・・『割り切りたくない』のですよね。
・・・『とても辛い』し『悲しい』ですね。
・・・『苦しい』ですね。
・・・せめて僅かでも癒しあらん事を。
−−− >>865
−−−
・・・あなたがその方を思える様に。
・・・御自分の弱さに負けない様に。
・・・あなたに癒しあらん事を。
−−− −−−
時々思う、
常々思う、
辛い事があった時、
悲しい時、
苦しい時、
辛く、悲しく苦しい時、
「心が無く」なってしまったら、
「思考」が無くなってしまったら、
「自分」が消失されてしまったら、
「狂う事」が叶ったら、
どれだけ気が楽なのだろうかと、
どれだけ救われるのだろうかと・・・
・・・辛くて、苦しく、泣きたくなる、
・・・未だに・・・春桜は・・・遠い。
・・・そんな初春の曇り日の事。
−−−
遠き春桜を哀しく思って "哀しき日々"
2021/03/08(2022/11/07再掲)
written by stranger-criminal coin >>867
−−−
何故、生きていたのだろう・・・
何故、生きているのだろう・・・
何故、生きていこうと・・・するのだろう・・・
何故、捨て去れず・・・
何故、願い求める・・・
何故、手のひらから何かを失い続けても・・・
何故、その手で何かを掴もうとし続ける・・・
何故、哀しき「記憶」に苛まされ続くも・・・
何故、遠き最果ての「夢」を見続ける・・・
僕は・・・まだ「生きて」いくべきなのか?
とりあえず・・・僕は・・・歩く。
歩いて・・・歩いて・・・歩き続ける。
いつか・・・きっと・・・僕は・・・
何処かで・・・何かに・・・出逢うだろうから。
そんな「期待と不安」を胸に秘め、
とりあえず・・・僕は・・・歩き続ける。
未だ「天使」微笑む事許されなきこの地にて、
僕は・・・歩き続ける。
−−−
遠き春桜を探し求めて書き記す詩 "彷徨う日々"
2021/03/08(2022/11/7再掲)
written by stranger-criminal coin >>864
>禅キリスト教
多分そうでしょうね。
芸術の話とか禅の鈴木大拙から引っ張ってるんだろうなと思ってました。 >>870
ピッピさんは、どこのスレにいるのですか? −−−
グリム童話『赤ずきん』
1.赤ずきんと呼ばれる女の子がいた。彼女はお使いを頼まれて森の向こうのおばあさんの家へと向かうが、その途中で一匹の狼に遭い、唆されて道草をする。
2.狼は先回りをしておばあさんの家へ行き、家におったおばあさんを食ってしまう。そしておばあさんの姿に成り代わり、赤ずきんが来るのを待つ。
3.赤ずきんがおばあさんの家に到着。おばあさんに化けていた狼に赤ずきんは食われてしまう。
4.満腹になった狼が寝入っていたところを通りかかった猟師が気付き、狼の腹の中から二人を助け出す
5.赤ずきんは言いつけを守らなかった自分を悔い、反省していい子になる。
Wikipediaより
−−− >>872
−−−
『赤ずきん』とは『赤い雌牛』の事なのですよね。
−−− >>873
−−−
さて、
グリム童話『赤ずきん』と
グノーシス主義『ソフィアの過失』と
キリスト教『創世記』との関係は・・・
−−− >>874
−−−
そして『二重予定説』との関係は・・・
−−− >>875
−−−
ちなみに『赤ずきん』の『赤いずきん』とは。
『"痛悔"による悔い改め』で『赤』はどうなる。
『赤い雌牛』が『雌牛』となるなら・・・
『赤いずきん』が『ずきん』となるなら・・・
・・・『キリストを纏う』とは。
−−− −−−
思う所として
創世記に於いて『禁断の善悪の実』を食して
『堕落』したのです。
そして『十字架の死』をもって『血の贖い(浄化)』
を果たすからこそ『携挙(rapture)-昇天(ecstasy)』
となり『主なる神』より『あなたの罪は赦された』
となるのです。
それは『この世から引き上げられる事』なのです。
『痛悔を受けて悔い改める事』は重要な事なのです。
−−− >>877
−−−
『堕落』に対する『携挙(rapture)-昇天(ecstasy)』
として『生きたまま上げられる』のです。
それは『主なる神の告げる死-へびの告げる生』から
『主なる神の告げる生-へびの告げる生』としての
『復活』なのです。
則ち『生きる屍(living dead)』からの『復活』
なのです。
−−− >>877
−−−
何故創世記に於いて『禁断の善悪の実』を食して
『堕落』したのか。
それは『罪がこの世を求めこの世を受け入れた』
からなのです。
そして『生きる屍(living dead)』となるのです。
−−− >>879
−−−
『人の権威が失墜する』という事でもあるのです。
それは『人の権威が失墜して獣になる』という事
なのです。
『没落』という事なのです。
−−− >>880
−−−
思うに『獣』とは
『他者の心を勝手に汚し貪り主なる神の告げる死』
へと『誘うもの』なのですよね。
(『この世を受け入れたもの』なので)
(『長子の権利を捨てたもの』の事)
それは『以前宗教板で言われたカラス人間』の事
であり『他人の酢豚を勝手に貪り主なる神の告げる死』
へと『誘うもの』なのですよね。
(『レンズ豆のあつもの』より)
(『レンズ豆のあつもの』=『酢豚』)
−−− >>881
−−−
余談ですが
『愛の天たまさん』はどうしているのだろう。
(『カラス人間』を述べられていたと思いましたので)
僕が言うのも何ですが
どうか御自愛下さいます様、
主なる神より癒しあらん事を。
−−− −−−
思うに『同じ様に虚しくなる様に見えて』も
『自らのレンズ豆のあつものを自ら求め貪った者』
『自らのレンズ豆のあつものが他者に貪られた者』
『自らのレンズ豆のあつものを自ら捨てた者』と
『自らのレンズ豆のあつものを他者に提供する者』
とでは『全く異なる』のですよね。
(『初子のいけにえ』をも含む)
『ルター』の言葉は『提供の方』なのですよね。
(『レンズ豆のあつものが生かされる』のだから)
(『長子の権利』が保たれるのだから)
−−− >>883
−−−
『四十日の荒野の彷徨い』とは。
ーー
マタイ4:1-11
さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。
そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。
すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。
イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。
それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて
言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。
イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神をみてはならない』とまた書いてある」。
次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて
言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。
するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。
そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。
−−− こんばんは〜。
まちこさん。
若い内は誰でも自分の心に折り合いがつかない事があるもんですから、反発があっても前向きに今まで通りコツコツと伝導を続けていたらいつか分かってくれる人が出てきますよ。
ドンマイっす。
(イザヤ50-4) >>871
ピッピさんは、YouTuberとなられました。
ピッピのおっぱいちゃんねる
www.youtube.com/channel/UCCNz61o05IFKJdBWVPP9urQ
ピッピ
チャンネル登録者数 5人 −−−
私はあのストーカーに好意を抱いたことなど一度もありません
『"しかし誰かが私を想像"し、私があのストーカーに好意を抱いているような"物語を作り出し"ていました 』
『もし少しでも好意を感じる相手だったら、これは恋か運命に違いないと錯覚するでしょう 』
頭の中で自分自身が思いを吐露しているかの如く、自然さを装ってくる場合もあります
私はこの強制力を止めることはできませんでしたが、
『首の後ろの延髄に霊的な鋭いピン(杭)をたくさん刺して自制し乗り越えました 』
『敵は私を悲しみの極致に追い込み、再生不能にしようとしました 』
脳内に入り込めば発狂するしかなかったでしょう
−−ー >>881
−−−
思う所として
『誰かが私を想像し、私があのストーカーに好意を抱いているような"物語を作り出していました" 』
『もし少しでも好意を感じる相手だったら、これは"恋か運命に違いないと錯覚する"でしょう 』
『頭の中で自分自身が思いを吐露しているかの如く、自然さを装ってくる場合もあります』
↓
『ガスライティング』より
『被害者に些細な嫌がらせ行為をしたり、故意に誤った情報を提示し、被害者が自身の記憶、知覚、正気、もしくは"自身の認識を疑うよう仕向ける"手法』。
↓
『ガスライティング』からの解放
『首の後ろの延髄に霊的な鋭いピン(杭)をたくさん刺して"自制し乗り越えました"』
↓
『ガスライティング』が上手くいかないと
『敵は私を"悲しみの極致に追い込み、再生不能にしよう"としました 』
−−− −−−
癒しスレッドを拝読致しまして
思う所として『キリスト教理解』に於いて
『形而上』と『形而下』を『水平に並べる』と
『不整合(矛盾化)が起きる』のですよね。
・・・『上下関係』だし。
カール・マルクスの
『下部構造が上位構造を規定する』なのかな。
(『下部構造』=『上位構造』による『水平化』)
(『同じ高さ』による『水平化』)
−−− >>889
−−−
『神より人は高さとして下の位置にある』のであり『神と人が同じ高さにあるのでは無い』のです。
また『人より神は高さとして下の位置には無い』
のですよね。
−−− >>885
御言葉が光なので、光を求めている人は、必ずきます。
ありがとうございます。 >>890
−−−
思う所としてカール・マルクスの
『下部構造が上位構造を規定する』について
『思想や政治等』は『基本的に人対人』だから
『水平に置かれる』ので『コペルニクス的転回』
を適用する事が出来るが『形而上と形而下』
では『上下に置かれる』のて『コペルニクス的転回』を適用する事が出来無いのですよね。
−−− >>883
−−−
コリント第一8:6-13
わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである。万物はこの主により、わたしたちもこの主によっている。
しかし、この知識をすべての人が持っているのではない。ある人々は、偶像についての、これまでの習慣上、偶像への供え物として、それを食べるが、彼らの良心が、弱いために汚されるのである。
食物は、わたしたちを神に導くものではない。食べなくても損はないし、食べても益にはならない。
しかし、あなたがたのこの自由が、弱い者たちのつまずきにならないように、気をつけなさい。
なぜなら、ある人が、知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしているのを見た場合、その人の良心が弱いため、それに「教育されて」、偶像への供え物を食べるようにならないだろうか。
するとその弱い人は、あなたの知識によって滅びることになる。この弱い兄弟のためにも、キリストは死なれたのである。
このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、その弱い良心を痛めるのは、キリストに対して罪を犯すことなのである。
だから、もし食物がわたしの兄弟をつまずかせるなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは永久に、断じて肉を食べることはしない。
−−− −−−
『キリスト教スレッド』を拝読致しまして
思うに
『此処のスレッドタイトルの重要性を知らない』
のかなと思うのですよね。
−−− >>894
−−−
『その方-他者の尊厳を守る事』は
『イエスの御名を守る事』でもあるのです。
従って『その方-他者を見下し尊厳を踏み躙る事』は
『イエスの御名を踏み躙る事』でもあるのです。
『その方-他者はイエスの御名に基づき尊厳がある』
のだから。
此処のスレッドタイトル
『イエス様のお名前に力があります』なのです。
−−− >>895
−−−
『神イエス』から
『光あれ』と『暗闇から光へと導き出された』
のだから。
だからこそ『その方-人の尊厳は守られるべき』
なのです。
−−− >>896
−−−
『御子』は『神イエスの御名を生(活)かす事』
により『その方-人の尊厳を守る方』なのです。
だから『神イエスを拝める』なら
『御子を生(活)かす事が務め』となるのです。
決して『罪-この世』によって
『御子が汚される事無い様』に『守りながら』。
『罪はこの世を用いて御子を汚そうとする』
のだから・・・
ー『Edenでの過ちを繰り返さない様に』ー
−−− >>897
−−−
『その人の罪』が
『この世』を招き『その人の御子を失う』と
『その人は他者の尊厳を踏み躙る為』に
『他者の御子をこの世で汚し蝕もうとする』
のです。
所謂(いわゆる)『吸血鬼が眷属を求める様な事』
となってくるのです。
(『クラスター的』となってくるのです)
だから『主なる神』により『楽園から追放される』のです。
『人々の楽園の神聖(善良)さを保護する為』に・・・
−−
ローマ6:23
罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。
−−− −−−
思う所として『争いや戦争』は『人々の罪』が
『和解に対してこの世を用いて虚しくさせる』
からなのです。
ーー
創世記11:3
彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。
ーー
↓
思う所として『神の義』が『人の義』に変わったから、則ち『言』から『文字』に変わった事でもあるのですよね。
『思考実験 : 中国語の部屋』とは・・・
『人は物語る猿』とは・・・
『確率』で
『シェイスクピアの様な作品を書き上げられる』
のか・・・
−−− >>898
−−−
『この世』と言うのは『Nihil(虚無)』の事です。
思う所として
『一部のキリスト教信徒がニーチェを嫌う』のは
『ニーチェは積極的Nihilism(虚無主義)を肯定した事』によるものと思われます。
基本的に『Nihilism(虚無主義)は形而上由来のもの』
かと・・・
−−−
『Nihilism(虚無主義)』とは
ニヒリズムあるいは虚無主義(きょむしゅぎ、英: Nihilism、独: Nihilismus)とは、今生きている世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。名称はラテン語: nihil(無)に由来する。
Wikipediaより
−−− >>698
−−−
そして『Nihilism(虚無主義)』と
上記レスNo.883にて記した『レンズ豆のあつもの』
の関係とは・・・
・・・思う所を一筆です。
−−− >>901
−−−
マタイ10:41-42
預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう。
わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。
−−− −−−
癒しスレッド342レスNo.93の続き
『其々にどの様な自らの内なる声』が
『自らの口を用いて"理不尽"と語らせた』のか。
・・・こちらにて一筆。
ーー
マタイ12:34-35
まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。
善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。
−−− −−−
「人」は「可能性」のもの、
「人」の持つ「能動的自由意思選択」は、
「未来への可能性」を切り開きます。
あなた(方)は「〜どうせ」と言い、
自ら「未来への可能性」を閉じてしまう。
それではもはや「人」と呼べるものではありません。
「人」は、
例え、自ら「無力」であっても、
例え、たった一人であっても、
「想い」を持ち、「言葉にする口」があり、
そして「語る事が出来る自由な判断」があるなら、
「未来への可能性」が0%でなければ、
「自ら想いを言葉にして語る事が出来る」
「未来への可能性」が僅かでも残されているなら、
人は、人々は、何度も、何度でも、
「自ら想いを言葉にして語り続ける事が出来る」
「未来への可能性」が閉ざされていないかぎり、
「自ら言葉を発し続ける事が叶うのだから・・・」
何故なら「人」は「告発者」なのだから・・・
あなた(方)は、
「未来を閉じて口を噤む」のでしょうか?
それとも、
「未来に向かって語り続ける」のでしょうか?
あなた(方)に信仰による善き未来への恵みを・・・
−−−
早春の日に此処に書き記す一通の手紙
"想い-言葉の力"
2021/03/10(2022/11/13再掲)
written by stranger-criminal coin −−−
何故人は、
「誰かの心」を「傷つけて」ゆくのだろう。
何故人は、
「誰かの心」を「踏み躙ろう」とするのだろう。
何故人は、
「誰かの心」を「穢そう」とするのだろう。
何故人は、
「誰かの心」を「壊そう」とするのだろう。
何故人は、
「誰かの心」を「支配」しようとするのだろう。
その様にされても、
「心の乾きは何も癒されない」と言うのに・・・
どれだけ「足掻いても」、
「何一つ変わる事は無い」のに・・・
「足掻けば足掻く程」、
「ますます乾きが酷くなっていく」のに・・・
「ますます手を汚す事」となるのに・・・
「ますます堕ちてゆくだけ」だと言うのに・・・
−−−
心の虐待について思う事 "穢れし者の足掻き"
2021/04/09(2022/11/13再掲)
written by stranger-criminal coin >>905
−−−
銃のトリガーから自ら指を離す。
そこから『平和』が始まってくる。
なのに人は、
『銃のトリガーから指を離す事が出来無い』
・・・僅か一秒の間でさえも。
・・・平和を蹂躙しようと指を掛けてしまう。
・・・自らの罪に抗う事が出来無いのだから。
・・・哀しいですね。
−−
ヘブル12:3-6
あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような『反抗を耐え忍んだかた』
のことを、思いみるべきである。
あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。
また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。
主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。
−−− >>906
−−−
もし、世界中の人が、全員同時にたった一秒でも
銃のトリガーから「指を自ら離す事」が叶ったなら
その一秒間は「世界平和」は叶った事となります。
一秒間が叶ったらば次は二秒間、三秒間・・・
少しずつ「世界平和」を増やせばいい。
もし、増やし続けている時に叶わなくなってしまったら「一秒間の世界平和」を思い出して、また一秒間から始めればいい。
我々人は、生きている間「祈りをもって何度でも挑む」事が許されているのだから・・・
持続的「世界平和」を目指して・・・
決して「不可能」では無いのだから・・・
「しない事」から始まる「世界平和」への第一歩。
「手放す事」で得られる「勝利」への第一歩。
−−−
此処に書き記すただ一つの祈り文
"一秒間の世界平和"
2021/03/20(2022/11/13再掲)
written by stranger-criminal coin >>907
−−−
どんな場所に於いてでも「心を込めた素直な言葉」
その一言が齎(もたら)すその「奇跡」が「地獄」を
「天国」に「変えていく」のです。
そう、それは、
「長き冬が過ぎ去り春の日差しを受けるかの様な」
そう、それは、
「雨降り続く日々が止んで空に虹が架かるかの様な」
そう、それは、
「夜が明けて朝日が昇りゆくかの様な」
「始めに言葉ありき『光あれ』」の『奇跡』なのです。
ー『あなたが居てくれてありがとう』ー
ー『これからもどうかよろしくお願い致します』ー
−−− −−−
『まちこさん』へ
『癒しスレッドに書き記す事を辞めた訳』ですが
この先『癒しスレッドが良くなればいい』ですね。
僕ごときが僭越ながらに
『御健勝の程御祈り申し上げます』
・・・それでは失礼致します。
−−− >>910
−−−
『まちこさん』へ
『癒しスレッドの件』について
どうやら僕の早合点の様でした。
そういえば以前に携帯の問題について述べられて
いたのを思い出しました。
僕の失念です。
真に申し訳ありませんでした。
先程の発言は撤回致します。
−−− −−−
癒しスレッドを拝読致しまして
『真面目な恋をした事がある方(片思い含む)』なら
『プラトニックラブが如何に大切である事が分かる』かと思うのです。
『コリント第一7章の"きよめられる"』について。
−−− >>912
−−−
コリント第一7:1
さて、あなたがたが書いてよこした事について答えると、『男子は婦人にふれないがよい』。
コリント第一7:14
なぜなら、『不信者の夫は妻によってきよめられており、また、不信者の妻も夫によってきよめられているからである』。もしそうでなければ、あなたがたの子は汚れていることになるが、『実際はきよいではないか』。
−−− >>913
−−−
『相手方が善き方』であるなら『きよく在りたい』
と『自然に願ってしまう』のですよね。
『相手方を汚したくない』と『湧き起こってしまう』
のだから。
−−− >>914
−−−
『善い恋をしなさい』
『お互いにきよまり育まれてゆく』のだから。
『悪い恋は避けなさい』
『お互いを堕落させ汚し合うだけ』なのだから。
−−− >>911
スレッドの番号がちょくちょく変わるので、気をつけていたのですが、たまたま、coinさんに当たってしまいました。
こちらこそ、どうも失礼しました。 >>916
−−−
お気になさらないでくださいね。
−−− −−−
願いの下に僕は生まれ、
祈りの下にて僕は生きてきた。
・・・光の下に僕は火を灯した。
・・・一生懸命、僕は灯し続けた。
・・・やがて消えゆくその時まで、
・・・小さく消えゆくその時まで、
・・・僕は懸命に生きた証を灯し続けた。
−−−
此処に書き綴るただ一編の詩 "灯火"
2021/11/19(2022/11/15再掲)
written by stranger-criminal coin −−−
創世記3:22
主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、『命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない』」。
↓
『罪によって人に死が入ってしまった』ので
『罪が増長してそのまま進行する』と・・・
・・・『無花果の実』とは?
・・・『その最果て』とは?
・・・『 1 + 1 = 1 』
−−− >>919
−−−
『主客(自他)未分"純粋経験無し"の私だけの世界』
−−− >>920
−−−
『自他対立無き』の為『自他干渉無き』なので
『自他未分化による"無観測に於ける無経験化"』
となるのですよね。
則ち『自身が"消えてしまう"』なのですよね。
・・・思う所を一筆です。
−−− >>921
−−−
『ageさん』へ
上記レスNo.860より
なるほど。やっぱり胎蔵界の慈悲を説いてますね。
なので金剛界の智慧を嫌ってるんでしょう。
↓
癒しスレッド343より
0507 琴 2022/11/16(水) 12:14:52.98
少し前に書いたのですが、
善悪の知識の木と、命の木
これらの実は、セットで食べないといけないのです。
↓
『西田哲学:主客未分』を用いた『善だけの世界』を
『理論化』してこれを『胎蔵界の慈悲と説いたもの』なのでしょうかね。
・・・推論ながら思う所を一筆です。
−−− >>922
−−−
上記レスNo.860より
なるほど。やっぱり胎蔵界の慈悲を説いてますね。
なので『金剛界の智慧を嫌ってるんでしょう』。
↓
余談ながら『金剛石とはダイヤモンドの事』です。
そして『ダイヤモンドの誕生月は4月』です。
『金剛界の智慧を嫌う』と言う事は・・・
ちなみに
『グノーシス主義:ソフィアの過失』は多分参考に
なるかと思います。
・・・ついでながら一筆です。
−−− >>923
−−−
『反出生主義』とは
反出生主義(はんしゅっしょうしゅぎ、はんしゅっせいしゅぎ)またはアンチナタリズム(英: antinatalism、アンティネイタリズム)とは、人々が子供を持つことは不道徳だという信念。哲学事典では「反出生主義は極端に挑発的な観点であり、生殖を常時または通常許されないこととする」との記載がある。出産行為は生まれてくる子供への暴力・親のエゴであるとし、この世に生まれることおよび子を持つことを否定的に価値づける倫理的見解。誰も産まないことが良いという価値観を普させることで人類を段階的に絶滅させていき、それによって生きるという苦痛を味わうことも無くなり、全てが解決するという考え方である。
この種の考え方は、古今東西の哲学・宗教・文学において綿々と説かれてきた。とりわけ、アルトゥル・ショーペンハウアー、エミール・シオラン、ディヴッド・ベネターが反出生主義の擁護者として知られる。
Wikipediaより
−−− >>924
−−−
Wikipedia『反出生主義』より
誰も産まないことが良いという価値観を普させることで『人類を段階的に絶滅させて』いき、それによって『生きるという苦痛を味わうことも無くなり、全てが解決する』という考え方である。
↓
思うに『二重予定説』を用いて
『人類』を『人性』に『置き換える』と
『人類を段階的に絶滅させて』が
『人性を段階的に絶滅させて』となり
『同時に神性が段階的に生まれてくる』
となると思うのです。
従って『お互いにゆるし合い認め合い』となり
『生きるという苦痛を味わうことも無くなり、
全てが解決する』となると思うのです。
・・・思う所を一筆です。
−−− おふたりとも誤解がとけて良かったっスね( ^ω^ )
(伝道者の書 4:9-10)
>>922-923
coinさん
興味深い推測ありがとうございます。
>善だけの世界
なるほど。考え方極端だからありそうな気が。
グノーシスやっぱり入ってますよね。
ダイヤモンドは永遠の愛の象徴ですが、、ああ結婚。それでソフィアの過失はなるほどと思いました。流石。
単純に普通のキリスト教でいいのではと思いますがねー^^;
プロテスタントに向いてそうな気がしますけど。 >>926
−−−
『ageさん』へ
伝道者の書4:9-10
ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。
すなわち彼らが倒れる時には、そのひとりがその友を助け起す。しかしひとりであって、その倒れる時、これを助け起す者のない者はわざわいである。
↓
『雨降って地固まる』と言うものです。
−−− >>919
−−−
あと『 1 + 1 = 1 』についてですが
『1個の粘土玉』と『1個の粘土玉』を合わせると
『大きな1個の粘土玉となる事』に基づいてです。
−−− >>929
−−−
『宗教板キリスト教スレッド』に於いて
『一部の方』は『"分ける者"を悪と思っている様』
なのですよね。
『自-他に分かれる事によって"対立"が生まれる』
のだから。
だから『その方々』は
『大きな1個の粘土玉への回帰を求める思想』
へと・・・
ちなみに『キリスト教』に於いては
『分ける者は悪では無い』のですよね。
『神イエス様』は
『この世(暗闇-悪)』から『光-善を創造し分けた』
のだから。
・・・乱文ながら一筆です。
−−− >>930
−−−
『神イエス様』は
『この世(暗闇-悪)』から『光-善を創造し分けた』
のだから。
↓
従って以下の聖句となるのですよね。
コリント第二6:14-18
不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。
キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。
神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、「わたしは彼らの間に住み、かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう」。
だから、「彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。そして、汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。
そしてわたしは、あなたがたの父となり、あなたがたは、わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる」。
−−− >>926
−−−
『ageさん』へ
『まちこさん』との件について
御心配の程御掛して下さり誠に有難う御座います。
−−− −−−
罪深き人は、人々は
『罪の声に聞き従う』から
『神の声が聞こえ無くなってしまった』のです。
愚かなる罪深き人は人々は
『罪の声に聞き従った事』を『棚上げ(無視)』
にしながら『神は沈黙した』と言ってしまった
のです。
不安になった罪深き人は、人々は
『自らを慰める為の"金の仔牛の様な虚構の神"』
をつくり『自慰行為的に自らを慰めてしまった』
のです。
・・・『自らの手で自らを救える』と思いながら。
ー『silent』ー
−−− −−−
癒しスレッド343レスNo.782の続き
『謝罪』に於いて
『謝罪しろ‼と言って謝罪された』ら
『自尊心が高くなってくるので認められないもの』
となるのです。
また
『何も言わずに自らの過ちに気付いて謝罪された』
ら『憐れみの心をもって赦せるもの』となるのです。
『神対人』だけでは無く
『人対人』に於いても大切な事なのです。
ちなみに『人対人』に於いて
『何も言わずに自らの過ちに気付いて謝罪された』
としても『値踏みをして赦さない様な方』は
『罪-傲慢を満たす為の行為』なのだから・・・
−−− >>920
−−−
西田幾多郎氏『主客未分に於ける純粋経験』
について僕の思う事として、
『主体』を『神性(利他愛-善)』とし、
『客体』を『獣性(自己愛-悪)』を『前提』として、
『人が言葉(想い)を相手方に伝える過程』に於いて
『主体』は『客体』を通して『言葉(想い)を語り』
『言葉を受けた相手』は『相手の客体』を通して
『相手の主体』へと伝えます。
フローとして、
『自分主体』→『自分客体』→『言葉(想い)』→
→『相手客体』→『相手主体』
『客体-悪』が『対立(阻害)要因』となるので、
『相手方に言葉(想い)が十分に伝わらない』のです。
そこで『問題解決』の為に『客体を弾いた伝達』が
『主客未分に於ける純粋経験』であると思われます。
フローとして、
『自分主体』→『言葉(想い)』→『相手主体』
の『ダイレクト化』なのです。
早い話が『神性(善)同士のシンパシー』なのです。
僕の思う所を一筆此処に書き記します。
(上記のレスNo.142に記したものの再掲)
−−− >>935
−−−
コリント第一1:10
さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたに勧める。みな語ることを一つにし、お互の間に分争がないようにし、同じ心、同じ思いになって、堅く結び合っていてほしい。
−−− >>936
−−−
『純粋経験』って、
『愛される喜び、愛せる事の喜びとしての感覚』
なのですよね。
『五感』によるものでは無いのです。
『純粋経験』から『五感に展開するもの』なのです。
(『実感』は『後から湧き起こるもの』なので)
『感受性(sense)による経験』なのです。
ー『自分が認められ受け入れられる喜びの経験』ー
ー『安らぎに満ちた経験』ー
僕が思う事を一筆此処に書き記します。
(上記のレスNo.625に記したものの再掲)
−−− >>937
−−−
コリント第一14:24-25
しかし、『全員が預言をしているところに、不信者か初心者がはいってきたら、"彼の良心はみんなの者に責められ、みんなの者にさばかれ"、
"その心の秘密があばかれ"、その結果、"ひれ伏して神を拝み"、「まことに、神があなたがたのうちにいます」と告白するに至るであろう。』
詩篇1:3-5
このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
−−− −−−
愛遠き地に於いて、
人は初めて愛の掛け替え無さに気付いていく。
それはあたかも、
水や空気の掛け替えの無さに気付いていく様に。
日常の掛け替えの無さに気付いていく様に。
恋しき方への掛け替えの無さに気付いていく様に。
その後、
人は内に愛しさが芽生え始める。
形や上辺でなく真なる愛しさ。
人は、
すぐ側にあるかけがえの無いものには中々気付かないもの。
遠くになって初めて気付くもの。
失って初めて気付くもの。
後悔して初めて気付くもの。
・・・そのかけがえの無さに。
もし、
一度は離れた愛が再び芽生えた(甦った)なら、
もう二度と失わないで下さい。
何としても護り添い遂げて下さい。
きっと、
それが最も大切な事なのだから。
どんな事よりも大切な事なのだから・・・
−−−
此処に書き綴るただ一編の文 "愛遠き地にて謳う事"
2021/11/18(2022/11/18再掲)
written by stranger-criminal coin −−−
癒しスレッド343
0980 美魔女 2022/11/18(金) 02:41:00.24
兎に角 しょうもないゴチャンネルは引退します。
サヨウナラ
↓
『美魔女さん』へ
・・・引退ですか。
・・・寂しいですね。
・・・でも、其れも貴女様への一つの示される道。
・・・だから、
此れからの美魔女さんに
主なる神から先への善き道を照らされ
貴女様への御健勝かつ御多幸にて
此れから先への道を自ら歩まれる事を
僭越ながらに謹んでお祈り申し上げます。
此れからの 貴女の進む 道照らす
灯火(ともしび)伝いて 楽しき園へと
−−− −−−
「多様な文化」とは、
「文化の本質」を基に「数多くの様態」に
「文化様態発展」した「文化群」であるかと思われます。
ちなみに、
「文化の本質から外れた文化」は「似非文化」となり「文化と呼べるものでは無い」のですが・・・
同様に、
「キリスト教文化に於ける多様性」とは、
「キリスト教の本質」を基に「数多くの様態(党派)」に「キリスト教様態発展」した「党派群」
であるかと思われます。
だから「他の宗教」に於いても、
「キリスト教の本質と"同質"である」なら、
「党派群の内の一党派として見る事が出来る」
と思われます。
また「キリスト教党派」に於いても、
「キリスト教の本質から外れた」ものなら、
「党派群の内の一党派」として見る事が出来なく
なり「その党派」は「似非キリスト教」となって
しまうかと思われます。
「わびさびの 心無きにし 茶の道は
歩むその道 茶道と呼べるか」
・・・思う所を乱文にて一筆です。
ーー
マタイ23:28
このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。
−−−
文化多様性について思う事 "本質継承-様態発展"
2021/11/28(2022/11/18再掲)
written by stranger-criminal coin −−−
「愛される方」は「愛されるべき理由」があるから
「愛される」のです。
また、
「嫌われる方」は「嫌われるべき理由」があるから
「嫌われる」のです。
果たして、
「その理由」とは?
「愛」によるものなのでしょうか?
「罪」によるものなのでしょうか?
相手に対する「罪-悪行」が現れているのに、
無理矢理に相手から「愛されようとする」のは、
(印象操作・詐称・恫喝等に於ける不誠実により)
相手に対する「傲慢」であり、
それは自己の「欺瞞」である。
−−−
愛さ(嫌わ)れるべき理由について思う事(仮)
"why are you loved ?"
2021/02/24(2022/11/18再掲)
written by stranger-criminal coin >>930
−−−
マタイ10:34-36
地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、『つるぎを"投げ込む"』ためにきたのである。
わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと『仲たがい』させるためである。
そして家の者が、『その人の敵』となるであろう。
わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。
あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
−−− >>937
−−−
『仲たがい-対立』があってこそ
『雨降って地固まる』となり『純粋経験へと至る』
のですよね。
『雨が降った後にお互いを繋げる虹が架かる』
のですよね。
(『虹の架け橋』なのです)
それが『想いや気持ちが通じ合う事による純粋経験』なのですよね。
・・・思う所を一筆失礼致します。
−−− >>944
−−−
人は『対立や衝突を繰り返す度』に
『お互いに少しずつ相手の事が分かってくる』
のだから。
だから『果ての和解による虹の架け橋-純粋経験』
は『掛け替えの無い大切なもの』となるのです。
・・・更に思う所を一筆失礼致します。
−−− >>945
−−−
『ダイヤモンド(金剛石)』は『プリズム』なのです。
『プリズムに光を通すと虹が出来る』のです。
そして『お互いに虹を架け合う』と
『虹の架け橋が出来る』のです。
だから『お互いの想いや気持ちが通じ合う』と
『舞い上がる程に嬉しい(経験の)もの』なのです。
・・・『とても掛け替えの無い大切なもの』です。
−−− −−−
癒しスレッド344
0323 神も仏も名無しさん 2022/11/19(土)
17:39:54.43
十字架において神が神を離れるという繁栄派の解釈は、実質上、三位一体の神を否定しています
またワンネスを警戒するあまり、父と子とを別々の霊にしてしまう人も同じで、三位一体の神を否定することになります
主は神です
↓
『主の主(唯一神-"絶対者)』の『下』の
『三位一体の神(天使-"至高者")』が
『罪によって堕落した事により"堕天使"となった事』
を『神から離れた』と言うのですよね。
しかし『この名無しさん』は
『実相さん』と同じ『罪は無いと主張する』為に
『至高者を絶対者にしようとしている』と思うの
ですよね。
それは『絶対者≠至高者』なのに『絶対者=至高者』
としようとした『欺瞞の論』だと思うのですよね。
−−− >>947
−−−
『全能のパラドックス』に於ける
『全能者は自ら全能であることを制限し、全能でない存在になることができるか』
の『間違った回答(『全能=非全能』)』を元にした
論だと思うのですよね。
−−− >>948
−−−
『ワンネス異端?』と言うものかと。
『主の主』と『主』との違いとは。
言うなれば『Master Lord』と『Lord』との違い。
−−− >>946
−−−
コリント第二13:11-12
最後に、兄弟たちよ。いつも喜びなさい。全き者となりなさい。互に励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。
きよい接吻をもって互にあいさつをかわしなさい。聖徒たち一同が、あなたがたによろしく。
−−− >>949
−−−
癒しスレッド344
0532 神も仏も名無しさん 2022/11/20(日)
00:57:38.44
伝統的キリスト教が無限の力を持つ人格としての神への信仰という多くの矛盾を含んだ考え方を元にして全知全能の神への信仰という基準を定める愚弄を犯してきたのです。
実際のところイエスは自分を神だとは思ってなかった。
↓
0542 神も仏も名無しさん 2022/11/20(日)
02:22:18.30
>>532
何度も「わたしはある」という者だと証されてましたが
↓
ヨハネ8:15-18
あなたがたは肉によって人をさばくが、わたしはだれもさばかない。
しかし、『もしわたしがさばくとすれば、わたしのさばきは正しい。
なぜなら、"わたしはひとりではなく"、わたしをつかわされたかたが、"わたしと一緒"だからである』。
あなたがたの律法には、ふたりによる証言は真実だと、書いてある。
『わたし自身のことをあかしするのは、わたしであるし、わたしをつかわされた父も、わたしのことをあかしして下さるのである』」。
−−− >>946
coinさんこんばんは。
興味深い話っスね。
まあ、つまるところそこですよね。
「あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」
(使徒2:11) >>952
−−−
『ageさん』へ
ーー
コリント第一14:1
『愛を追い求めなさい』
『また、霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい』。
ーー
この聖句に尽きるかと思うのです。
何も出来ない弱い僕は求め続けたのだから。
『救う為の命の言葉』を。
『言葉を語りかける事』なら僕でも・・・
−−− >>953
−−−
今だに僕は上手く語れ無いままだけど・・・
余りにも不器用過ぎて・・・
気持ちばかりが先行して空回りしてしまって・・・
−−− >>953
ですね。
コリント人への第一の手紙 13:4-8
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。
しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
>>954
方法は色々あると思いますよ。
去年作ったやつですが、再掲。
https://uploader.cc/s/zjjsefto3wnqt0mpl5evb499utx8fulth1kaw7qmn9baqkkh1ihs2c07um9o26j4.mp3 こんばんは、coinさん、ageさん。
ただ今、私の中で、一番の押しのことばは、イエス様が言った、「今、一番正しいことをするのが、私たちの役目です」。
正しく御言葉を伝えるのもしかり、神の愛を実行するのもしかり、です。
最終的には、イエス様のように、天の父から褒められたいですね。
†13 そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。
14 ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。
15 しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。
16 イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。
17 また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
マタイ3:13~17 >>956
まちこさんこんばんは。
自分のやるべきことをやるだけっスねー。
「あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある」
(詩篇16:11) >>957
自分が救われれば、家族も救われる、と書いてありますが、最近、その御言葉が凄いと思います。
うすうす昔から気づいていたのですが、本当に自分の回りの人にまで、神の愛が流れているのです。
私がいなくても家族や回りの人達が、主に守られているのです。
主に感謝です。 >>956
−−−
それは、参列者無き清浄なる慎ましき結婚式。
それは、厳粛にて果たされる神聖溢れる結婚式。
主の主の許しの基にて果たされる神聖なる約束。
ー『主の主より祝福されし者達に幸多きあれ』ー
ーーー >>959
−−−
『エクレシア(ekklēsia-トリニティ)』より。
『地上の教会(church)』は
『エクレシア』を基に果たされるのです。
(『エクレシア同士のエンゲージ(engage)』として)
ーー
マタイ18:18-20
よく言っておく。『あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ』、『あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう』。
また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、『どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、"天にいますわたしの父"はそれをかなえて下さるであろう』。
『ふたりまたは三人』が、『わたしの名によって集まっている所』には、『わたしもその中にいる』のである」。
(『エクレシア(ekklēsia-トリニティ)』が基となる)
(『わたし=主の主(天の父)に対する主(子)』として)
(上記レスNo.951参照です)
−−− >>959
−−−
それは、参列者無き清浄なる慎ましき結婚式。
↓
かなり前に『ピッピさん』が『黄金伝説か何か』の
『参列者無き結婚式』を書き記したレスを見かけた
のを思い出しましたので。
(うろ覚えですが)
−−− −−−
癒しスレッド344
0742 コズモ 2022/11/25(金) 10:01:21.30
空間に『強い光が作用』すると、『物質と反物質』が同時に創成されます。
↓
『強い光が作用』なら
『エンタグルメント(共益)を用いた通信技術』
は『カルシウム原子等』に『レーザーを当て』て
『一対の光子を生成』して『光子の偏向』を
『測定(ベル測定)して通信情報に用いる』が元
なのかなと思うのですよね。
『物質と反物質』に於ける『対生成』なら
『大きな質量に光子を当て』て『電子と陽電子
(質量と反質量)を生成する』が元なのかなと思うの
ですよね。
・・・うろ覚えながら
・・・乱文ながら勝手に一筆。
−−− >>962
−−−
癒しスレッド345でした・・・
−−− −−−
『罪は人にこの世(悪-虚無)を求めさせる』のです。
『人が罪からの影響に反発-遮断』すれば
『神からの恩寵に於ける御子よる恩恵』により
『この世から少しずつ召される事となる』のです。
そして『人は善に満たされゆく』のです。
−−− >>964
−−−
『神(主の主)は絶対の善』であり
『人にとっての善』でもあるのだから
『この世(悪-虚無)から召される事』は
『人にとっての至高へと至る事となる』
のです。
『神(主の主)は主を通じて悪から善をつくりだす』
のだから・・・
−−− >>965
−−−
『我-汝』に於いて『我が汝をきよめる事』を
『悪から善をつくる(この世から召し出される)』
となるのです。
『神(主の主)が主を通して"光あれ"とこの世に
向けて告げた事』が全ての始まりなのです。
あと『"汝"と言う字を見てみる』と・・・
−−− >>966
−−−
癒しスレッドを拝読致しまして
『善悪論』に勤んでいる様ですが
『善-悪』しか語らず『絶対善下の善-悪』を
語っていないのですよね。
−−− >>954
−−−
「言葉」にして現したい「想い」は数多くある。
だけど・・・、
この僕の「想い」が余りにも大きく錯綜してしまい
どうしても僕は「言葉」にする事が出来ずにいる。
僕は迷える「想い」をただ哀しく見守るのみ。
戸惑う「言葉」をただ寂しく見守るのみ。
せめて少しでも現せたならきっと・・・。
・・・僕の心にのし掛かる灰色の雲、
・・・少しでも隙間と陽射しがあったなら。
・・・そんな曇り日の僕の出来事。
−−−
晩秋(あき)曇りの日にて "cloudy-word"
2020/11/28(2022/11/25再掲)
written by stranger-criminal coin −−−
『ageさん』へ
『エディプスコンプレックス』
はキリスト教スレッドの一部の住人達に対して
多分参考になるかと思います。
−−− >>970
coinさんどうも。
なんかそんな感じっスよね。やれやれ。
ていうか、あっちは年齢が合わんですな。。 −−−
人は「塔」を築きます。
その「塔」は「虚空」に向けて「築きます」
それでも、
何も知らず人は「虚空」に向けて「築き続けます」
「天」に向けて「築いている」と「錯覚しながら」
「神」から「遠くに離れ続け」ながら・・・
「地の底」に向けて「深く築いて」いった・・・
人によって「築き上げられた塔」は、
「何も知らず」に「塔の最上階」に「一人の人」を
「王」として「その玉座」に座らせた。
「王」が「最深層」に「幽閉されている事」に
「気付く事も無く」・・・
その後、
「築き上げられた塔」は「塔の最上階(最深層)」
から「深き地の底(虚無)」に「飲み込まれ」
「その王」を「玉座ごと巻込みながら」
・・・「崩壊」していった。
人は、
「崩壊」するまで「何も気付かなかった」・・・
「何も知らず」に「神に逆らっていた」事を・・・
「無知で高慢で身勝手な人の行い」だった事を・・・
−−−
築く塔について思う事 "the tower-abyss"
2021/04/20(2022/12/01再掲)
written by stranger-criminal coin >>972
−−−
人は、
「目視」にて捉える事が出来る「高い塔」を
求めてしまった。
(「最上階までの"距離が遠い"塔」の建設)
則ち、
「目視確認」が出来る「神」を求めてしまった。
それが、
「人の過ち」となってしまった。
何故なら、
「目視」にて捉える事が出来る「像」は「自身」
からの「対象までの距離」が「遠ければ遠い程」
「より過去像」となってしまうのだから・・・
則ち、
人は「過去」に「神」を求めてしまったから。
・・・「過去の栄光」を求めるかの様に。
・・・「無限後退」として。
・・・「過去」に「囚われ続けて」しまったから。
−−− >>973
−−−
「夜空に輝く星座の輝き」は、
「光による数億年前の"星座の情報像"」でしかない
のだから。
(「残滓(lucas)-虚像」でしかないのだから)
−−− >>974
−−−
「神(絶対者)」が時間(とき)を「進める」と、
「全ての被造物」は「時間(とき)が流れる」
流れ去った「時間(とき)の残滓」を「目視で追う」と、人は「虚空に向かって墜落」してしまう。
「時間(とき)の残滓」を「目視で追う事」は、
「偶像視」となってしまう。
(「偶像崇拝」へと至ってしまう)
(「過去の亡霊」に「取り憑かれ」てしまう)
「神」から「離れてしまう人の過ち」である。
「結果像」は「完了した終の世界」なのだから。
−−− >>975
−−−
創世記3:5
それを食べると、『あなたがたの目が開け』、
『神のように善悪を知る者となること』を、
神は知っておられるのです」。
コリント第二4:18
わたしたちは、
『見えるものにではなく』、
『見えないものに目を注ぐ』。
『見えるものは一時的』であり、
『見えないものは永遠につづく』のである。
−−− >>976
−−−
「人が相手に向けて言葉を紡ぎ語る事」は
「聞いてもらった時点の未来の相手」に向けて
「語るもの」なのである。
だから僕は「過去に向け言葉(祈り)を投函」して
「未来のあなたに僕の思いを神から届けてもらう」
のです。
−−
ヨハネの黙示録21:6
そして、わたしに仰せられた、「事はすでに成った。『わたしは、アルパでありオメガである』。
『初めであり終りである』。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。
−−− >>977
−−−
思う事として「相手を愛する事」とは
「これから先の未来の相手を愛する事」である。
「過去の虚像の相手を愛するのでは無く」て
「これから未来に向けて共に歩む相手を愛する」
のです。
「手を繋ぎ共に歩み続ける先は常に未来」
なのだから・・・
「終わり続ける不毛の愛」では無く
「始まり続ける永遠の愛」なのだから・・・
ーー
ヨハネ11:25
イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
−−− †
兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、
14 目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。
15 だから、わたしたちの中で全き人たちは、そのように考えるべきである。しかし、あなたがたが違った考えを持っているなら、神はそのことも示して下さるであろう。
16 ただ、わたしたちは、達し得たところに従って進むべきである。
ピリピ3:13~15 −−−
「愛」と言うのは「命」に於いて
「自らをもって未来に向け心から穏やかで健やかに
生きてもらいたいと言う願いを基にした思い-力」
であるかと思います。
−−− >>980
−−−
「男性の愛」も「女性の愛」も
「それを基にした個別の愛」であるかと思います。
−−− >>982
m(_ _)m、ごめんなさい。
私は、人を雇いません。
以前、私の知る限りでは、一人だけ、私の話しを聞いて、クリスチャンとして成長した方がいます。
ネットでも、伝えられるので、大丈夫です。 「私を雇ってください!」
じゃなくて、ロゼは
「私を飼ってください!」
とお願いしなさい。
美魔女さんに… −−−
創世記2:17
しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。
↓
「ゾンビ🧟♀(living dead)を癒す」とどうなるのか?
「ゾンビ🧟♀は昇天(ecstasy)してしまう」と思う
のですよね。
そして「ゾンビ🧟♀は真人間🧑(新生)となる」と思うのですよね。
※この癒しはゾンビ🧟♀に対する反発としての癒し
−−− >>987
−−−
「十字架の死」から「安息日」をへて「主の日」
と至るのは・・・
ついでに「塩🧂」って「殺菌・防腐作用」があり
「味付けの効果」があるのですよね。
それから「死海」って
「沈まずに浮かび上がる」のですよね。
↓
マタイ5:13
あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。
・・・思う所を乱文にて一筆です。
−−− >>989
親愛なるまちこへ。
ようやくあなたが授けて下さった聖霊の声と、サタンの声の見分けがつくようになりました。
いろいろとあなたを誤解していたことを心よりしゃざいします。
主、イエスキルトとの名において、僕、ユダルシェールの名において、あなたが聖なるものとされ、子羊もまた天へと導かれんことを。 >>990
神の国があることは、福音の教えを信じて実行した者に神の御心が現れます。
神への愛と隣人への愛が、あなたを生長させます。
神への愛は、神の教えを守ることにより、あなたの中にいる聖霊が働かれます。
だから、いつも清い心でいてください。
なぜなら、神様は清いからです。 −−−
「男女平等」とは
「男性ならでは」と「女性ならでは」とを
「同じ価値のものと見做す事で生(活)かし合う事」
により「初めて成立する」と思うのです。
ちなみに「男尊女卑」や「女尊男卑」は
「男性ならでは」と「女性ならでは」が
「同じ価値のものとして見做す事が無い」ので
「不平等性」に基づいて「弊害が起こる」と思う
のです。
例えば
「男性性が強い」と
「多様性に於ける可能性を失う事」とか・・・
「女性性が強い」と
「多様性ばかりで纏まらなくなる事」とか・・・
「男女平等(同権)」について思う事を一筆です。
※「父-子」についてのものではありません。
−−− −−−
「脛に傷がある」
昔犯した悪事などを隠している。
自分の身にやましいところがある。「―・つ身」
goo辞書より
↓
いつ他者に疚しさが発覚するか分からないから
「自らその不安に取り憑かれてしまい不自由となる」
のですよね。
・・・「十字架に於ける脛」とは?
・・・「地に足をつけて生きる」とは?
(・・・「幽霊👻には足がない」のですよね)
(・・・「幽霊👻は夜しか出歩けない」のですよね)
・・・「十字架の死」とは?
・・・「更生(痛悔による悔い改め)」とは?
・・・「娑婆に出る」とは?
・・・思う事を一筆此処に書き記します。
−−− >>993
−−−
「疚しい所が無ければ胸を張って生きられる」
のに。
「疚しさ故に怯え続け不自由になる」のですよね。
そして「虚勢を張り続けて自由になろうとする」
のですよね。
・・・「安らげない日々を過ごす」のだから。
・・・「虚勢を張らなければやり切れない」から。
・・・「自ら不安に押し潰されてしまう」から。
・・・更に思う事を一筆此処に書き記します。
−−− >>994
−−−
「さまよえるユダヤ人」とは何でしょうか?
「さまよえるユダヤ人」とは
さまよえるユダヤ人(英語:Wandering Jew)、または永遠のユダヤ人(独語:Ewiger Jude)は、13世紀にヨーロッパで伝説が広まり始めた神話上の不死の男である。元々の伝説は、
『傑刑に向かう途中のイエスを罵倒し、その後、再臨まで地上を歩き続けるように呪われたユダヤ人』
である。放浪者の詳細な素性は、彼の性格の側面がそうであるように、物語のさまざまなバージョンで異なるが、『永遠に死ねない男が地上をさまよい叶わぬ休息を求めている』ことは共通する。ある時は靴職人または他の商人であると言われ、時にはポンテオ・ピラトの下役でサンヘドリンの門番である。
Wikipediaより
※不死=不老不死ではありません。
−−− >>995
−−−
「ゾンビや幽霊や吸血鬼など」は
「不死者(undead)」と呼ばれるのですよね。
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