生長の家こんにちわ VII 欲望の代償
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>>16
恐れ入ります 出典を明らかにしていただくと助かります
まだ初心者なので >>18
わが団体は真理のみを追求するので
金儲け主義の教団とはちがう
来る者は阻まず
去る者は追わず 節目に来ると体調崩すのはなぜだろう?
いや すぐに回復するのですが >>28
あのー、このスレ1-34までの中で「金儲け主義」というキーワードがございました
でしょうか? もしかして「市場」という言葉を使ったからかな。
それにしても「お金儲け」という言葉に敏感ですね。執着があるのでしょうか。
すんばらしい真理なのに、人減らしてるってどうゆう事ですか。
来る者は阻もうが去る者は追わなかろうが、どうでもいいですが、すんばらしいの
に人減るって普通で考えたら、何か瑕疵があると考えません?
下々には理解し難い、高尚過ぎる真理でならわかりませんが。
でも、開祖様は現代人に分かりやすく真理を説いたと言っているから、そのような
主張をした時点で自己矛盾が生じます。 >>35
多額の献金を要求する団体とはちがうという意味
だが自分が金を求めるのは悪ではなく自然の思いなのだが
金を求めずとも神は初っぱなから無限億万円をすべての民に授けてあるので
金に執着せずとも問題ない
すんばらしい真理でも人が減るその理由は
人それぞれ性格の相違で真理の捉え方が異なってくる
最初は病気が癒され、感謝していたが、時が立つにつれ
おのれの「我」が芽を出し、感謝を忘れ、現象世界に囚われ
心が肉のほうに引き寄せられると、神から離れてゆく
これはどの宗教でも怒りうること
よって常に自分の心を神に振り返る行が必要 >>36
多額の献金やお布施を要求する団体は基本インチキ
その理由は物質でないはずの神が物質である紙幣を要求するなど有り得ない
教団幹部が私服を肥やすために献金お布施を要求しているに過ぎない
だが病気や貧困が解決し、どうしても献金したい心からの献金お布施は
個人の自由であり真心なのでそれはアリ ユダヤ教キリスト教の什一献金についてだが
すべての供給は天の神から来るゆえに
収入の10分の1を神に返す、あるいは慈善事業で社会に返すということだが
これも額を固定するのには疑念があり、自分の気持ち額が主流になるのが筋だ
心の底からの感謝の献金でなければ意味がない
上から要求されての額の献金は偽りのものになってしまうからだ
要求されていやいやする1万円よりも心のこもった100円のほうが正しい 雹さん 変わったね良い方向に
アタシもそれに倣います 筑波東病院
土浦厚生病院
初石病院
土浦警察署落合
取手キリスト教会の槍マン三田村亜由実
下路崇男
市川貴英
帝京高校平川死ねよ! >>38
”誰も”「お金」関する事は聞いてもいなかったですが、〉38氏の意見はそうなんですね。
〉すんばらしい真理でも人が減るその理由は・・・
例えば、あまり美味しくない若しくはサービスの良くないフレンチレストランがあるとします。
@店主は、「自分の店はとって美味しいものを提供している。サービスも結構いい!」と考え
ていたとします。
A客からの評判が「大して美味しくない。」「サービスが悪い。」と噂されていたとします。
Bそれに対して店主が「自分の店は最高。人間には好き嫌いがある。世の中は、中華が好きもい
れば和食好きもいる。それにお客の腹の好き具合や体調によって美味しい料理も不味く感じる事
もある。サービスも客の受け取り方でいいものも悪く感じる事がある。」
と言っているとしましょう。
確かにBの発言自体は有り得る事で正しいと思います。
しかし、実際に店に足を運ぶ人数が減っていたらどう思いますか。
もちろん、流行っている店が美味しいとは限りませんが。 生長の家では職業についてベストを尽くすなとはいうておらん 総本部と学ぶ会 掛け持ちしてもいいよね?どちらも会員じゃないし 政治的にも中立是々非々なので 総本部や学ぶ会双方と対立する理由がないです >>49
全然問題ないです
むしろ生長では他宗教との交流を奨励しています
それにより病気治癒や経済的貧困の解決が起こり
喜ばれておる次第であります
いかに万物と調和することが神の意思の本質であるかを物語っていると実感するはずです 日本は歴史的にも生長の家の影響を受けここまで発展してきました
引き寄せの法則もこれに含まれており、学ぶべき点は非常に大きいのです
神とは大宇宙の法則そのものなので
当然、神をないがしろにするのではなく
宇宙波動と一体化するということです
自分は神であると意識することが大切です
自分は単なる被造物であると意識することは
自己縮小につながり、それが病や争いの原因になるのです
自分=神は、完全ですから、無病、完全供給となります マスコミなどによるまちがった情報に影響されないことです
ないものをあるかのごとく言うのが人類意識なのです
これに騙されないことが大切です
今現在こうして生かされていること自体が奇跡なのです
山川草木、太陽の光、水、空気、衣食住、などなど与えられた
万物すべてに感謝することです
あえて奇跡体験、神秘体験を言うと
すべて自分の思い通りに運ぶということ
どうぞ神様こうしてください、ああしてくださいといった
神に対する泣きつきではなくて、
これはこうなる、あれはこうなる、といったふうに、
自分で念じるだけでその通りに運んでゆく
それはなぜか、つまり我は神なりだからです 逆に、どうせ人生は思い通りにならない、とか
病は治らない、とか、ウイルスは感染するものだ、とか
悪い方向に思うと、それが実現する、つまりは具現化していくのです
つまり、良い方向に考えると良い方向に進み、
悪い方向に考えると、悪い方向に進むように、
なっているわけです
これが思考は現実化する、の法則です
いわゆる引き寄せの法則でもあるのです
この論理を把握すれば良いということ
いわゆる引き寄せの法則でもあるのです まずは神と波調を合わせることが大事
神と破調を合わせるとはどういうことか、それは
万物と調和し、万物に感謝することです
人の悪を思わず善を思うことです
そうすることで神の域に達することが出来、
自然と神の電波を引き寄せ、正しい道筋が
示されるのです
要するに神との一体化ということ
だが、すでに我々は神の分け御霊を宿している状態なので
いまさら一体化を求めるというよりも神と一体化していることを
自覚する=悟る、ということでいいわけです だが多くの愚民はそれをわからず、人間とは単なるいと小さき動物的な生き物でしかないと
大半の人間が思っているため、その念が曇りとなって、真理を覆い隠し、
多くの争いや不幸が生まれ混乱、阿修羅な状況に
世の中が喘いでいる状態なのです
まずはここからの脱却が必須ということです 光明思想は繁栄の神学とは違います
御利益信仰ではありませんからね
五感の世界を去り、完全なる実相の世界に没入することにより
完全なる自己が出現することで、あらゆる、不幸、災難、病、
経済的貧困、などが消えうせ、光、つまりは光明世界が
出現するだけのことです
奇跡でもなんでもなく当然のことなのです
アインシュタイン曰く「時間は存在しない」
それと同時に物質は心の影であるがゆえに、物質も存在しません
この世に見えている「現象世界」のすべては、幻想、幻なのです
この世のすべての現象は、神が「心=思念」により、現実化=具象化したのであり、
心が物質なる現象を映し出している、すなわちフイルムに過ぎないのです
ゆえに、現象世界の在り方が、歪んでいるとしたならば、まず、心の在り方を、
修正する必要があるのです。それにより、この世界を地獄的様相から、
天国的様相に変える第一段階となってゆくのです >>58
とりあえず自分の体験談でも書いてみたら? 願望実現や引き寄せの法則はニューソートや光明思想から手法だけを切り取ったものですからね それと願望実現や引き寄せの法則だけではセーフティーがない
これは結構 重要な問題かと 体験談?
願望実現や引き寄せの法則では特に欲しいものが特になくなった
甘露の法雨ではパニクることがなくなった かな?読誦拝読初めて半月
それと試練が来てるw おてんばはどこいった?
あれだけいた日本会議ヲタもいなくなった
まあ元々ここわまったりスレだしなw 現役の人でどちらかの側に立ってやり合う なんてことにはなりたくないなー クリスチャンサイエンスやその基本になったニューソート&光明思想なら キリスト教の欠点を補完できるわけ
『なぜ福音到来以前の日本に幸せな人たちが多かったか?神仏への信仰で癒やされたか?』
というのもそのひとつ 西洋由来のキリスト教が江戸幕府に禁じられ
キリシタン弾圧が起きた理由は罪の押し付けで極端な戒律により
信者を縛る信仰だったのと他宗排斥が目立ち
争いの元になったからだ
一方日本神道は自由奔放で大らかな信仰
生長の家もその流れを汲んでいるので
大和の国日本の宗教が一番神の御心に沿うものだったから 生長の家も日本の伝統的な信仰に足を置いているので堅実な宗教になってますね
実相円満完全 生長の家の信仰は結果が目に見える
これがなければ朝のラジオ体操会とかわりがありません
実相円満完全 生長の家の教えが真理を詠っているからです
本を読むだけで病気が治ったり貧困が解決したりするのは
そこに真理があるからなのです
おそらく生長の家こそがそういった奇跡体験がズバ抜けて多いはずです
奇跡というより当然のことのようにそうなるのです 私も最初は信仰は出来るだけ疑えという理念でいました
生長の家の多くの奇跡体験は「さくら」なのではと疑念を持ってかかりました
でも自分が癒され自然に富んでゆく事実を目の当たりにしたとき
疑念が吹き飛びました
真理は汝を癒しめんということ 今日も試練でした
でも心の底の底でつながる神様を信じています!
実相円満完全 よく考えれば自分に厳しい状況ってだけで試練ではありませんでした
実相円満完全 生長の家で祈るときは呼びかける神様の御名 主 でも良いのですか? 生長の家の主なる御本尊は観世音菩薩、住吉の大神、天照大神だが西洋の呼び名のエホバ、アラー
マホメット、イエス、など、国の文化や言葉や風習の差異によって、
呼び名がちがうだけで、いずれも宇宙絶対神のことを指している
よって主でもかまわないのです と言うよりも、
イエスは
「われらは神の子である」、つまり
すべての民が神の子である
ということなので、
とくに神様に懇願して、泣きつく必要はありません
神様に、こうしてください、
ああしてください、ではなくて、
自分が神ですから、こうなれ、ああなれ、と念ずるだけでよい
そうすれば、こうなり、ああなります 神想観一日2回やってるけど、
今日の朝はサボってしまった。 本当は練成会で習ったほうがいいのだろうけど、
自分は、本とyoutubeみて自己流。 そもそも人間は天空快活自由無碍であるべきなのです。
人間は神の子です。
神の子ということは人間は神そのものということなのです。
したがってどこそこの誰々や何神様を拝むのではなくて
自分自身を拝めばよいのです。
どこそこの神様にこうしてくださいああしてくださいではなくて
自分が神である以上「こうなれ」「ああなれ」と言うだけでいいのです。
山に動いて海に入れでいいのです。
そうすればすべて思い通りになるのです。
自分自身が釈迦でありマホメットでありキリストと同等なのです。
自分が神ですからね。
この自覚を持つことこそが本当の悟りを得ることです。 最も大切なのは光明思想です。
つまり神は良きものしか造られておらず、この世はすべて善であり、愛であり、
平和、大調和であるといったことが、光明思想なのです。
神は悪なるものは造られておりません。
ではなぜこの世には、争いや紛争、闘争、戦争が満ち満ちているのか、というと
それは、すべて悟っていない人類の心の迷いによる産物であり、そこからこれらの悪夢は発生したというわけなのです。
また、マスコミによるリベラル派などの、間違った価値観、地球温暖化という嘘八百、レジ袋有料化
などによる、これも間違った環境問題などなど、悪印象操作、言論統制、世論誘導が
行われ、集合意識で国民を洗脳し、多くの民は苦しみに喘いでいる現状なのです。
これらの悪夢から覚め、寄り良い社会、幸せな未来を築くためには
やはり光明思想が必要となってくるのです。
「実相世界」とは「神の国」のことです。 まず五感の世界を去り、実相世界に入ることで神と一体化するのです。
そのためには、瞑想するわけですが、誰かさんが瞑想は危険とか
おっしゃられてましたが、まったく問題ありません。
低級霊との交信ではないからです。
大宇宙絶対神との、交信ですので、すべてが神の導きなのです。
兎に角、神と一体化することが大事なのであります。
第一段階として、自分は神と認識すること
第二段階として、それを潜在意識にまで浸透させること
第三段階として、神の声を聞き、神の導きにより、それを現象世界にまで
具現化してゆくことなのです。
まあ光明思想は繁栄の神学とは違います。
御利益信仰ではありませんからね。
五感の世界を去り、完全なる実相の世界に没入することにより
完全なる自己が出現することで、あらゆる、不幸、災難、病、
経済的貧困、などが消えうせ、光、つまりは光明世界が
出現するだけのことです。
奇跡でもなんでもなく当然のことなのです。 この世のすべての減少は、神が「心=思念」により、現実化=具象化したのであり、
心が物質なる現象を映し出している、すなわちフイルムに過ぎないのです。
ゆえに、現象世界の在り方が、歪んでいるとしたならば、まず、心の在り方を、
修正する必要があるのです。それにより、この世界を地獄的様相から、
天国的様相に変える第一段階となるのです。
キリスト教信者は、往々にして
「イエスだけが神の子であって、われわれ人間は神の子ではない」
などと、執拗にがんばりまして、人間はイエスを仲介としなければ救われない、
イエスを仲立ちして、ようやく「神の貰い子」にならせてもらうのだ、といって、
自分の宗派に引き付けようといたしますが、
イエス自身が、
「かくのごとく祈れ」と教えている祈りの仕方には、
少しも「イエスを通して祈れ」などとは、言ってないのであります。
第一、聖書には、イエスだけが「神の子」であって、普通の人間は「神の子」ではない、
などとは、書いてないのであります。
イエスは
「汝は祈るとき、己が部屋に入り、戸を閉じて、隠れたるいます汝の父に祈れ」
と、いうように
イエスはイエスを通さないで、直接、
「汝の父に祈れ、さらば、隠れたるに見たまう、汝の父は報い給わん」
と教えているのであります。
イエスはまた祈り方を、教えて言い給う、、、
「天にましますわれらの父よ、、、」と。
これはわれが直接神の子であり、直接「天の父」なる神に
呼びかけてもさしつかえがないということの証拠であります。
「天にましますわれらの父よ」
と、申しますから、神は天にいますだけで、地にはいまさないのであるか、というと
そうではないのであります。
「天」とは「実相世界」のことでありまして、「地」とは、「現象世界」のことで
あります。それで、次の「御国の来たらんことを。御心の天に成るがごとく、地にも
成らせたまえ」という祈りの言葉が生きてくるのであります。 「神の国」は「天」、すなわち、「実相の世界」にすでに成っている。
すでに「実相世界」に成れるがごとく、地上すなわち、「現象世界」にも
成らせ給え、すなわち
「すでに成れる天国を地上にも成らせ給え」と祈るのが、
「御国の来たらんことを」という祈りであります。
つまりイエスは
「われらは神の子である」、つまり
すべての民が神の子である
さあ、自ずから、直接、天の父へと、祈りなさい、ということなのです。
あなたの中に内在する神、つまり内なる神を祈ることです。
そうすることで「実相世界」すなわち「神の国」の住人となるのです。 キリスト教、生長の家、神道系、仏教等etc..
あらゆる教えを網羅した結果現在の悟りに至っているのです
そして自己の神秘体験、たとえば、車がぶつかる際、瞬時に
回避できたである、とか、病が癒された、思いが実現通りに運ぶ、
晴天引き寄せ、物品引き寄せ、などなど
実体験は豊富にあります。
真理を悟ることで、こういった体験を積み重ねながら
現在に到っている
日本は歴史的にも生長の家の影響を受けここまで発展してきました。
引き寄せの法則もこれに含まれており、学ぶべき点は非常に大きいのです。
いや、神とは大宇宙の法則そのものなので
当然、神をないがしろにするのではなく
我は宇宙と一体化するということです。
自分は神であると意識することが大切です・
自分は単なる被造物であると意識することは
自己縮小につながり、それが病や争いの原因になるのです。
自分=神は、完全ですから、無病、完全供給となります。 谷口先生のyoutube動画で睡眠障害が癒されました
毎日熟睡出来るようになりました
真理の書および動画には神の波動が満たされているですね
合掌(-人-) 神癒祈願
願いの文章そのまんまに状況が動き出すので御注意
実相円満完全 問題を神にゆだねよ
どんな問題でも神なら解決できるのである。
自分の「我」の力で解決しようと思うと、解決の方法を失ってどうすることもできないような事に
なるのである。
新版「生活の知恵365章」146貢 >>102
如意自在の生活法365章
これが最高編 体験は現在進行中で家族も巻き込むので区切りがついてから ですw >>72
自分は独身ですが、神想観で既に嫁さんを頂いたと観じていれば嫁さん貰えますか? 実体験ね
穏やかでそれなりに恵まれた毎日が過ごせている かな
ガチガチだったキリスト教信仰から距離を置けるようになりました >>108
この世界には自分の魂の半分が存在していて 自分は今出会いつつある
そして伴に生きていく準備もできつつある
ありがとうございます
こんな感じでどうぞ >>110
ありがとう御座います!感謝致します。
なんか、本当にカワイイ嫁さん貰って、子宝に恵まれて、幸せな家庭を持てそうな気がしてきました! >>111
嫁さんがほしいだとかそんな情けないこと言う必要などないのです
我々は神による無限供給の中にあるのですから
嫁や衣食住はすでにあなたの手の中にあるのです
それをあなた自身が認めればそれらのものはあなたに勝手に舞い降りてくるのです
まずは「我は神なり」を自覚すること
神は無限絶対ですから嫁にも恵まれ衣食住にも恵まれ、裕福である意外には
ありえないのです
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