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1982年5月13日の事件​ (ウィキペディアより)

翌年の同じ日である1982年5月13日、ヨハネ・パウロ2世が
最初の暗殺未遂からの「聖母のご加護」に感謝を捧げるため、
ポルトガルのファティマを巡礼していた際、
教皇が進める第2バチカン公会議に基づく改革や
バチカン=モスクワ協定に反対していた、
【聖ピオ十世会】のスペイン人司祭で超保守派の
フアン・マリア・フェルナンデス・イ・クロン神父 に銃剣で襲われ負傷した。】

クロン神父は群衆の中からキャソック姿で現れ、
ヨハネ・パウロ2世の背後から近づくと、
「打倒教皇、打倒第2バチカン公会議」と叫んでから、
長さ40cmのモーゼルライフルの銃剣で教皇を刺した。
ヨハネ・パウロ2世は負傷したものの生命に別状はなく、
教皇を暗殺しようとしたクロン神父を祝福し、巡礼旅行を続けた。

クロン神父は犯行現場で治安部隊に無抵抗で逮捕され、
懲役6年の判決を受けてリスボンの刑務所に3年服役した。

この襲撃事件そのものは、
当時マスメディアで報道されたため世界中に知られていたが、
ヨハネ・パウロ2世が出血をともなう負傷をしていたことは、
その後2008年10月15日になって初めて公表された。(事件から26年後)

教皇の元側近でクラクフ大司教であった
スタニスラフ・ジビッシュ枢機卿 (Stanislaw Dziwisz) の
回顧録をもとに製作されたドキュメンタリー映画「証言」の中で、
ナレーターを務めたジビッシュ枢機卿自身が明らかにしたものである
(教皇は2005年4月2日に亡くなられています)