ローマ・カトリック教会 メリー・クリスマス!🎄
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>>303 >イエスは何も罪のない者がイエスによって >石を投げよと言われています。牧師は罪があるのに、石を投げる許可を > だれから授かったのでしょうか? そのようには、イエスは言っておられません。 イエスは学者やファリサイ派の人々に試され、訴える口実を得るために、 モーセの律法が命じている、姦通している女は石で打ち殺せと ある、とイエスにしつこく迫ったのであって、 神によってのようにイエスによって、などとイエスをその者達は評価していません。 ここでの罪は姦通の罪の話であり、体裁は律法で隠していても、 年とった長老ほど、心の中で女性に対して、何度も姦通しており、 一番最初に立ち去っていくのです。 (神は外見で取り繕うことがいくら巧妙になった長老でも、 心の有様が視えますから) イエスは訴える口実をつくろうとした人達をも気付きに導き、 体裁では取り繕えない罪を神は見通しているので、 「行きなさい、これからは、もう罪を犯してはならない」 誤魔化せない神の視線があることを、罪をしっかり婦人に伝えて終えています。 聖書を読んでください。 牧師との話も、どうしてそのような話になったか、 あなたの都合で印象付けてはいないか、 雑で身勝手にならないようにしてもらわなければ、わかりません。 >>307 ホモは気持ち悪いと思うのは、あなたの自由ですが、 イエスの愛が世界中に宣べ伝えられれば、あなたのような考えの人は 徐々に減っていくことでしょう。残念ながら、イエスの愛がまだあなたには 届いていないようですね。 >>307 カトリックの国フランスやベルギーでは性のマイノリティーに対して批判的な発言をしただけで、 たとえ私的な発言であっても罰せられます。 クリスチャンもたとえ教会の中でも、性のマイノリティーの人権を否定して、 彼ら彼女らをあざ笑うような発言は許されません。あなたの牧師や神父がもし そうした発言をしていたら、厳しくいさめてください。 私の関わった1980年代の福音派の教会では 日常的に同性愛者をあざ笑って馬鹿にしていました。 こうした発言はすべて源流はパウロにあります。パウロの罪を認めて 改めない限り、こうしたクリスチャンには救いは訪れません。 今すぐ、十字架のイエスに謝罪してください 私が関わった福音派の教会では、同性愛者を あざ笑う会話が、談話室で、日常的に行われていました 神がソドムを丸ごと滅ぼされたのは、ホモがはびこっていたから。 人の薄っぺらな道徳より神の御意志に従え。 >>310 以前も書いたけど イエスは目で犯す姦淫について、言及している事から、 イエスは性に対して厳しく、同性愛など認めるはずがないと、決めつける クリスチャンがいますが、それは違います。 イエスは、性行為のみならず、目で見ることも、見られた人が 怖い思いをしたり、傷ついたり、心に残る被害があるから、姦淫の定義を パワハラやセクハラと言う概念もない時代に、見る行為にも広げたのです。 当時の男社会では、女が差別を受けるのが当たり前で、性の上でも 蹂躙されていたのです。ですから、女だけが罪の現場で捕らえられ、 石打ちされていました。イエスは、「罪のない者から石を投げなさい」と 言いました。イエスは常に、弱い立場の人を救ってきたのです。 2000年たって、社会がイエスの考えに近づき、パワハラやモラハラも セクハラも罪だとわかったのです。 性の事だけではなく、弱いものを傷つけたり、虐めたり、暴行する人に イエスは救いなど与えません。信仰義認など嘘です。 中南米やフィリピン、でインディオなどの原住民を虐殺したり、人を攻撃した人は、裁かれるのです。 >>313 80年代の福音派とありますが、 嘲笑っていた人達はその当時何歳ぐらいでしたか? それと、関連してお訊ねいたしますが、 >日常的に同性愛者をあざ笑って馬鹿にしていました。 >こうした発言はすべて源流はパウロにあります。パウロの罪を認めて >改めない限り、こうしたクリスチャンには救いは訪れません。 >今すぐ、十字架のイエスに謝罪してください >私が関わった福音派の教会では、同性愛者を > あざ笑う会話が、談話室で、日常的に行われていました 普通、そのような話題で日常的に盛り上がる教会の談話室なんて あるのでしょうか。 どうして、嘲笑って馬鹿にしたりが、起きるのでしょう。 それもおかしいし、その原因をパウロのせいにするのもおかしい。 >>314 ほんとに同じ日本人として、悲しい書き込みです。 日本人は有史以来、津波や地震で多くの命が失われてきた民族です。 Tsunamiという英語も、日本人が大地震の後に大きな波がやって 災害をもたらすことを、欧米人が知る前から知っているから、 英語になって、一般名詞として認知されています。 地震や津波は自然災害です。罪とは無関係です。 イエスもこの世の終りには災いが起きると言っていますが、 同時に、ソドムの罪よりも、ファリサイ派の罪の方が重いとも発言を 残しているのです。イエスは自然災害と言う概念もない時代から 正しい見識をもっていたのです。 私は中川健一氏のやっていた、番組で アメリカの山火事で焼け残った家がたまたまクリスチャンの家だったので、 神はすばらしいお方ですと、アシスタントの女性が言っていたのを 今でも覚えています。焼けた家の人は信仰がないから、家が焼けたという ような論理です。イエスはそんな教えを説いていたでしょうか? ファリサイ派の罪より重い罪は、この世の罪ではありません。 イエスがそう言い残しているのです。 そのホモったら僕の家の回りを真昼間からいつもうろつているので 浦和警察に相談したらいつも携帯を持ち歩いていて何かあったら通報してくださいって忠告された。 >>315 > 当時の男社会では、女が差別を受けるのが当たり前で、性の上でも >蹂躙されていたのです。ですから、女だけが罪の現場で捕らえられ、 > 石打ちされていました。 この部分は、賛同しますが、婦人にもこれからは、罪を犯さないように 言われたのも、はっきりしています。 婦人は、女だけが石打にされることを知って尚、姦通していたのですから、 罪を知らない、乱暴な生き方ですからね。 >>319 私は、フリーセックスをしろという思想はありません。ただ、同性愛者が 普通に人を愛することを裁かないでと言っているのです。 イエスは立証法の考え方をこの世界に始めてもたらした方です。 それまでは、自然法という考えが主流でした。立法学者も 法解釈を、神が決めた禁忌を破るのは罪と考えていたのです。 しかし、イエスは日曜日に病人を癒すことは罪ではないと 教えてくださいました。その実で判断するのです。 イエスの行動が気に食わなかった立法学者=ファリサイ派はイエスを 殺そうと思ったのです。そして、罪もないのに殺されてしまいました。 イエスのしたことは、立証法をこの世にもたらした事と 人権思想をこの世にもたらした事です。 イエスの教えは、パウロという茨によっ的に パウロの教えに上書きされてしまったのです。 ですから、立法学者のような福音派が今日でも、同性愛者を 殺しています。実際に、アトランタ五輪の時に、テロで福音派の 信者に殺されたのです。その事の罪を認め、謝罪の言葉も 福音派の牧師からはなく、なんとその実行犯を福音派の教会組織が 5年以上かくまってさえいたのです。 また、現在でも、アフリカのウガンダで福音派の宣教師たちが、 黒人の同性愛者を殺しているのです。そのやり方は、新聞広告に 同性愛者の実名と顔写真と住所を書いて、こいつらを見つけたら つるし上げろと書いて、実際に暴行を受けて殺されている 人がいるのです。こうした慄然とした事実を日本のキリスト教徒は 良心がとがめないのでしょうか?もし、良心がないとしたら 悲しいことです。 >>306 その質問の答えは>>92 ですでに答えてますよ。パウロはロマ書において神の霊の内在を頂いた 時初めて、御言葉の一字一句がすべて遵守できると言っているのですよ。私?聖霊の内在を頂いて ますから当然遵守できてると思ってますよ。 あなたが神の代理人、使徒、とされるパウロを恨み、呪っている限り理解できませんよ。 。では私から質問。パウロを恨み、憎むあなたは何をもって「救い」とするのですか? >>322 聖書の言葉を一字一句すべて遵守しているのなら、なぜキリスト教国の 同性愛者は子供のころに、集団で暴行を受けたと証言するのでしょうか? イエスは暴行などの罪と無縁だったはずです。 そんな教えをイエスは残していません。集団で暴行を加える 教義は、パウロが精神性攻撃の言葉をローマ人への手紙に書いたから 始まったのです。 パウロのインチキにだまされた人は、同性愛者を攻撃しても 心が痛まない、イエスの教えとはかけ離れた人になってしまうのです。 ですから、今日でも東アフリカで同性愛者が差別され、暴行され、 殺されても、日本のキリスト教徒は何の発言も起こさないし、 問題定義もできないのです。 >>321 人を愛するのを裁くことなんてしてないでしよ。そんな教義ないし 同性愛の「行為」は十戒の汝姦淫するなかれに思いっきり違反してるから罪になる >>324 同性愛者が、助け合い、片方が病気やけがで働けない時に、 支えあって暮らしていたら、それは、姦淫でもなければ、罪でもありません。 それは、愛です。それは、良い実だからです。良い実をならすのは、よい 木です。ですから、同性婚は罪ではないのです。アーメン イエスは、「安息日は人のためにある」と言う御言葉を残されました。 これは、立証法の教えなのです。 イエスは、血の病の人がイエスの衣服に触れても、それを立派な信仰だと 褒めました。良い実がなる行動は、罪ではなく、正しい行いかどうかは その実でわかるという教えです。 そのイエスの教えを踏みにじっているのが、パウロに洗脳されている 福音派のクリスチャンは聖書が66巻神の霊感によって書かれていると 信じ切ってしまっているのです。 しかし、パウロの罪を認め、イエスの十字架に謝罪しなければ、 福音派のクリスチャンは救われません。イエスの教えは、 立証法と人権思想だからです。パウロの洗脳から離れて、イエスの 教えに戻ってください。アーメン >>323 相変わらず神の代理人、使徒パウロを呪い、恨むという大罪に止まっていますね。私の質問に対する答えはどうなったんですか? >>326 イエスは律法を廃止するために、活動してたのではなく、 律法を完成させて、立証法(新しい皮袋)をこの世にもたらす ために、ファリサイ派と戦って、十字架で犠牲を奉げられたのです。 この世に、無秩序や・無法や・無政府状態をもたらすことが イエスの教えではありません。 イエスは破れない皮袋=新しい立証法の社会の礎になられたのです。 古い皮袋は破れ、社会が混乱するだけだったのです。 実を成らないイチジク=自然法を呪い枯らし、 人権思想や、同性愛者が差別されない社会になったのは、 イエスがラザロを墓場からわざわざ呼び出した奇跡と重なります。 イエスが生前奇跡を起こして、救った人たちは、 すべて社会的なマイノリティーであって、差別をされている方の 方々でした。イエスは差別をしている方の、ファリサイ派に擦り寄って 奇跡を起こしたことなど、生前一度もないのです。 このことから、パウロがイエスの方から近づいて来たという 主張を検証しなくてはなりません。 イエスが救ったのは、すべて障がい者や、マイノリティーだけです。 イエスの奇跡はすべて、障害を取り除くなどの、正のベクトルの 奇跡でした。パウロの主張は、目が見えなくなり、その恐怖心から 回心したのです。パウロの主張する奇跡は、負のベクトルの奇跡です。 イエスが、迫害する側のパウロに擦り寄っていくなど、信用できる 話ではないですね。 >>321 福音派&原理主義者をキリスト教大辞典で調べてみました。 パウロでなく、福音派が問題なんだとおおよそ見当がつきました。 わたしはキリスト教スレに来てから洗脳的でカルト的で、 思考力を持って行かれている奇妙な人と遭遇して、 イエスキリストの本意を貶めていて、世界でも暴力の拡散に つながりかねないと、とても懸念し続けていたのでした。 書き出せばきりがないのですが、大辞典を調べると5chで考える力を 欠いた人たちの発言と同じものがあり、ここから来ていたのかと 改めて驚くと同時に、考えさせられました。 アメリカでは、キリスト教右派と呼ばれる人々の中心にいるのが、 この福音派と原理主義者です。 原理主義者は自分達と違う考えを持つ物をに対して行動を起こし、 プロテスタントの最右翼です。 >>328 たまたま同性愛者の話から、疑問の一部が氷解してきて、 良かったです。 ローマ人への手紙を全部読めむこともお勧めします。 パウロのせいに持って行かれたら、見えなくなります。 時代や地域で認識の違いはあるにせよ、ローマカトリックは悪魔と 同義語だったりするらしい。 敵と定めた相手には不寛容の態度を貫く傾向や、 聖句から都合のいい句だけ抜き出し、文脈から切り離して用いるという、 指摘も聞かれる。 そのような福音派で学んだら、いくら福音派教会はと?同性愛という部分では 疑問を感じてもすでに、聖書に向かうあり方の癖が 自動反応的に身についてしまっているかもしれない ので、自己点検をどのようにして、 キリスト者としてリセットするのかが課題のように思いました。 ハーベストタイムの中川健一牧師による講話より(メッセージステーション「創世記」編31回) 「神の最も憎まれる罪の一つは同性愛である。弁解の余地はない。 『女と寝るように男と寝てはならない。』(レビ記18:22) 『女と寝るように男と寝る者は両者共に厭うべきことをしたのであり、必ず死刑に処せられる。』(同20:13) 『男も女も自然の関係を捨てて互いに情欲を燃やし、男同士で恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを受けている。』(ロマ1:26〜27) ところが、この世ではニューハーフやホモをもてはやす風潮、同性愛、同性婚の権利主張がはびこっている。神に逆らう世である。 聖書は男女の肉体的関係しか認めていない。この世の価値と聖書の価値を混同してはならない。聖書の価値はこの世でもあの世でも絶対である。 同性愛は神が最も憎まれる罪の一つである。弁解の余地はない。」 >>325 だから別に今までもカトリックは同じところに住むのは問題にしてないんだよ。性的な関係が罪になる 同性婚は世間ではそんな概念が勝手に作られてるけど神の前ではそんなのは存在しない 当事者が同性婚って口で言ってるだけでただ同じところに住んでるだけ そこで性的な関係を持ったら罪になる >>333 それでは、イエスが律法を完成するためにこの世に来たことが 意味がなくなってしまいます。イエスは自然法を枯らし、 当時自然法によって、差別されていた人を解放したのです。 イエスの活動拠点は首都エルサレムではなく、被差別部落の ベタニア村でした。そうした寂しい村には、多くの迫害を 受けて、街を追い出された人が住み着いていたのです。 ライ病人・同性愛者・売春婦・障がいをもった人などです。 律法の完成とは、自然法の状況下では、たとえば血の病の人の 衣服にも触ることもできず、血を避けなければならかったのが、 それを治療するためには、血を触ったり、輸血できたりする 立証法の事です。同性婚も同じです。 同性婚が成立した国々では、多くの人が幸せを感じて 結婚生活を送っています。これは、イエスの教えが 完成されたのです。この世にもたらされたイエスの教えは、 自由=自然法からの開放・博愛=人類の愛・平等=人権思想です。 福音派とピオ10世会は現代のファリサイ派の集団です。 イエスは律法によって、人を裁いたり、攻撃することを 弟子に許していません。 イエスが唯一許したことは、人権侵害されたら、剣を持って 立ち上がることです。 福音派や保守派のピオ10世会は、「この世はすぐに滅びる」と言って 終末思想を煽り、献金を集めています。しかし、この世のインフラには どっぷりちゃっかり、利用しているのです。 福音派や保守派のカトリックのSSPXの信者が携帯を持っていないとか聞いていませんし、 電気やガスを使い、電車やバスに乗って教会に来ているのです。 こうした社会のインフラや資産は同性愛者や異教徒の方々に 支えられて、成立しているのです。あっという間に、 この世が過ぎ去ってしまうというなら、それらを利用しないで下さい。 自分たちだって、この世から何かしらの恩恵つまり、 人類が築き上げてきた、歴史や文化などと共存しているのです。 これ以上社会悪である福音派や保守派のカトリックの教義、同性愛者を迫害することは、許されません。 >>334 律法を完成させるの意味も違うし イエズスは十戒を廃止するとも言ってないぞ 十戒を廃止するなんて聖書のどこに書いてある? >>334 1982年5月13日の事件 (ウィキペディアより) 翌年の同じ日である1982年5月13日、ヨハネ・パウロ2世が 最初の暗殺未遂からの「聖母のご加護」に感謝を捧げるため、 ポルトガルのファティマを巡礼していた際、 教皇が進める第2バチカン公会議に基づく改革や バチカン=モスクワ協定に反対していた、 【聖ピオ十世会】のスペイン人司祭で超保守派の フアン・マリア・フェルナンデス・イ・クロン神父 に銃剣で襲われ負傷した。】 クロン神父は群衆の中からキャソック姿で現れ、 ヨハネ・パウロ2世の背後から近づくと、 「打倒教皇、打倒第2バチカン公会議」と叫んでから、 長さ40cmのモーゼルライフルの銃剣で教皇を刺した。 ヨハネ・パウロ2世は負傷したものの生命に別状はなく、 教皇を暗殺しようとしたクロン神父を祝福し、巡礼旅行を続けた。 クロン神父は犯行現場で治安部隊に無抵抗で逮捕され、 懲役6年の判決を受けてリスボンの刑務所に3年服役した。 この襲撃事件そのものは、 当時マスメディアで報道されたため世界中に知られていたが、 ヨハネ・パウロ2世が出血をともなう負傷をしていたことは、 その後2008年10月15日になって初めて公表された。(事件から26年後) 教皇の元側近でクラクフ大司教であった スタニスラフ・ジビッシュ枢機卿 (Stanislaw Dziwisz) の 回顧録をもとに製作されたドキュメンタリー映画「証言」の中で、 ナレーターを務めたジビッシュ枢機卿自身が明らかにしたものである (教皇は2005年4月2日に亡くなられています) >>334 いくらもっともらしいこと言っても、最後に神に逆らうようなこと(同性愛の肯定)を言ったら何に 何にもならんだろ。>>332 をよく読みなさい。 福音派はLGBTきもいっていうけど、新興宗教やってるお前らの方が目がいっちゃっているから、よっぽどきもいんだよ! >>335 禁欲で救霊ができるならば、刑務所に何年も入っている人は、 一番霊が高次元にいることになっていまいます。 また抑留されている人は、自由を奪われているだけで、 生きている事にはなりません。 なんでもかんでも罪だから、といって信者をコントロールし 献金をせしめる手口は、どのインチキ霊能者も行っています。 インチキ霊能者があなたの後ろに悪い霊がいると、言うのとなにが違うのでしょうか? イエスは一言も禁欲など言ってません。 今の時代は新しい皮袋の時代です。 新しい律法は立証法です。 ですから、日曜日に救急車は来て、病人を救ってくれます。 輸血が必要であれば、輸血できるのです。 同様に、天動説が正しいから、GPS衛星が打ち上げられて、 カーナビが利用できる社会なのです。 ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は、ガリレオに1000年たって謝罪しました。 今度は、保守派のカトリックや福音派がパウロの罪を謝罪する番です。 「時課の典礼」 第二月曜日 朝の祈り 詩篇 42 の anima mea は、三か所で、「教会の祈り」の訳では、わたしの心と訳され ていると思います。もう一か所は、省略されているようです。省略されている anima mea は、 "In meípso ánima mea contristáta est;† proptérea memor ero tui* de terra Iordánis et Hermónim, de monte Misar." だと思います。 「教会の祈り」の訳をあまり変えたくないので、暫定的に、 ヨルダンとヘルモンの地から、ミザルの山から、 神よ、わたしはあなたを思い、わたしの魂はうれいに沈む、 に一応変えました。ただし、ラテン語文を素直に日本語に置き換えると、 わたしの魂はうれいに沈む、・・・、になるようにも思います。わたしは無知なおろ かものですから、このようなことに、心が感じてしまうのだと思います。 >>339 カトリックでは何でもかんでも罪だとは言ってないでしょ 普通の人間としての倫理をさらに強調して十戒に反する行いが罪になると述べている 性に倫理は厳しい それは神が作った生命を弄ぶ行いになるから おまえらホモ差別なんてしてんじゃねーよ そんなだからクリスチャンは減る一方なんだ 差別を愉しむな >>346 ホモはホモサピエンスとかホモ牛乳だけにしとけ。 >>342 私は、堕胎をおおごとだ(大事だ)と 裁いて、個々人の苦悩や悲しみや、堕胎にいたったレイプなどの事故的性行為に 触れずに、騒ぐなら、なぜ、同性愛者が、カップルだったのを 別れさせられて、孤独死するのを殺人と騒がないのですか?と言っているんですが。 個々人の苦悩や実情を切り捨てているのは、どちらの方ですか? もし社会的に同性婚が認知されれば、一生の間に、同性愛者も 一度や二度は愛する人と結ばれるのです、そのまま生活を共にしていく 誓いをたてたら、孤独死は減るのです。社会を変えなければ、 同性愛者はどんどん孤独死するのです。 独身を守ることが、尊いとは思いません。イエスは独身でいるものは、 いなさいと言っています。イエスは同性婚は否定していません。 母の胎内で生まれついた独身者という婉曲な表現を使っていますが、 性のマイノリティーの本質を世界で初めて言葉にしたのが、イエスです。 私は、女性が結婚相手を選ぶとき、一度も手淫をしたこともなく、 エロ本も読んだこともなく、夢精だけで性処理してきましたと言う男性を 結婚相手に選ぶとは思えません。 イエスは右の手が罪を犯すなら、それを切り落としてしまえと 言っていますが、これは、人を裁いているファリサイ派に向かって、 そういうお前も、一度ぐらいはオナニーして、情欲を抱いただろう という、エロスに対する寛容の言葉であり、ファリサイ派や律法学者 に対する、最大の皮肉の言葉だと思います。 孤独死は自然淘汰。 神の摂理だよ。 彼らを憐れんではならない。 >>339 天動説でなく地動説です。 紀元前のギリシャなどは色々な説があったようですが、 ユダヤ・キリスト教では、大地(今でいう地球)を中心にして 太陽や月、天体は動いているのだという、天動説の世界観があったのですが、 自分が夜空を見上げると、そのように思えるのは特別なことではなく、 天文観測が本格化するまで、そのように感じるのはある地域の人達に 限った事ではありません。 ただ、自分達中心の世界観は、選民思想がある者達に著しく現れ 天動説とも連動して、強固になっていたと思われます。 それが、異端だとか、他宗教排斥でレッテルを貼りながら悪魔扱いし、 魔女狩りや、先住民への支配など、傲慢で自己中な肉的満足を誘う、 誘惑的な欲望を下支えしてきた問題は大きいと考えます。 インドネシアのコロナ専門病院に勤務する男性看護師と男性患者がトイレでセックス。 男性患者が脱いである防護服やティッシュの画像とともに艶行為をネットにアップし発覚した模様。 すでに男性看護師は解雇 インドネシアは、同性愛はタブーな上、バレれば両方に制裁あるのに告発したのは捨てられた患者の復讐か。 男性看護師は検査結果待ちというが、まさかの広まる拡がるゲイクラスター。 手当たり次第にサカった代償は大きいようだ。 うわあああああああああああああああああああ >>348 >独身を守ることが、尊いとは思いません。イエスは独身でいるものは、 >いなさいと言っています。 守ろうと無理にすることはないと思いますが、イエスは独身だったという 事実があり、無理に独身が尊いから守っているでなく、 イエスにとって、ナチュラルにそうであったのでしょう。 独身であっても、それこそが霊的に最も安定と平安があるという人と、 独身だと不安定で、落ち着きの軸を無くす人がいるのでしょうから。 それと、人は支え合って生きているというもっと根本的な 広い意味でのパートナーシップは、異性、同性関係のない、 隣人愛=友愛として、イエスは否定されていません。 独身でいる者はいなさいと、イエスが言われた箇所はどこでしょう。 わたしの見落としかもしれませんので、教えてください。 先日も言いましたが、イエスは(パウロも)独身です。 独身であることがまるで間違っているような 「独身でいる者はいなさい」などという表現をされたとは思えないのですが。 くたばれディープチャーチ お前の嘘はすべて見切った イエスの奇跡は一回だけの奇跡ではなく、後の世にも 人権回復の奇跡としてつながっているのです。 イエスの時代は、女性や黒人や目の見えない人、足の悪い人、 いろいろな差別があったのが、現代社会は、点字ブロックや 車椅子、バリアフリーなど健常者がそうした人に合わせて 合理的に社会を変えていく世の中です。同性愛者に合わせて 同性婚も認められて何か不都合でもそちらにあるのでしょうか? 目の見えない人は、家の中にいるか、一緒に歩いてくれる人が いなければ、町に出られない社会で、足の悪い人は、家の中にいるか、 車椅子を押してくれる人がいなければ、ずっと町に出られない 社会でいいのでしょうか?同性愛者も同じです。同性婚して 社会の中で、もっともっと活躍することがイエスの教えです。 人それぞれ、タラントを持っています。 残念ながら、第三の性と言われる人や、性同一性障害の方々は 子供の頃に、いじめのトラウマがあると回答する人が多くいます。 こうした人にちゃんとイエスの福音を届け、見てみぬ振りをする、 無関心でいることも、罪です。同じ国の中で、一種族の オーストラリアでタスマニア人が一人残らず、殲滅して、最後の一人の女性が 標本みたいにしてかくまわれていたなど、言語道断のことが 明治時代に起きていたのです。 イスラエルでは自らの宗教をユダヤ教とする人が国民の8割以上を占める (他はキリスト教やイスラム教) ところがイスラエルには同性婚の制度が有る 周囲を敵国に囲まれて、兵員確保のため女性兵士も多い国であるにもかかわらず >>350 相変わらず天動説のこういう考えの人が多いけど 実際は当時でもカトリックの立場としては天動説でも地動説でもどっちでもいいという考えなんだよ 当時の枢機卿の書簡が残っていてそこに「空が動くか地が動くかは軸の問題であってどちらでも構わない」って書いてある それに当時ガリレオ以外に地動説を唱えていた学者がいたけど彼らはおとがめなし なぜガリレオが宗教裁判にかけられたかは聖体を疑問視したから >>351 いつからそんな頭の悪い書き込みしかできなくなったのですか? まさに、ザ偏見の書き込みしかしていませんね。 誰が悪いか悪くないかは個々の人の問題です。 同性愛者の問題ではありません。それから、パウロは神の考えなど 反映していません。パウロの足りない脳細胞の言葉です。 ですから、世界中の人がパウロを信じなくなっているのです。 女性蔑視、奴隷蔑視、同性愛者蔑視。すべてパウロの偏見の言葉です。 聖書が神の霊感だと捉える人は、ある人はえび・かにを食べるなといい、 ある人は酒を飲むなといい、ある人は、日曜日にエレベーターのボタンを 操作するのも仕事だという。 それぞれ、霊感の捉え方が違うのでしょうか? 宗教禁忌も大概にしましょう。 救われる命をまず救いましょう。話はそれからです。 パウロの罪を十字架のイエスに謝罪してください。 イエスはその生涯で一言も同性愛者を追い込んだり、差別したり、 攻撃したりしませんでした。 パウロの洗脳で頭がおかしくなっているクリスチャンは、イエスの 言葉に立ち返り、人を攻撃するのをいったんやめて、自身を振り返るべきでしょう。 >>358 あなたも他人を裁いたり攻撃してますよ 他人を批判する前に自分を律したらどうですか? 狂信カルト達が、ルフェーブルとの「ツーショット写真」をバラまき、十世会正当化の印象操作、 ヴィラというオカルト神父の嘘の「作り話/妄想」を用いて、火消し工作を日々オンラインでしているが事実は違う。 「ピオ神父の面会に来た多くの人々の中に、後にカトリックの伝統に頑固に固執し、 第二バチカン公会議を否定、解任されたルフェブル大司教がいた。彼はラバジョッティ教授の前でピオ神父と会談した記録がある。 ピオ神父がある瞬間ルフェブルを非常に厳しく見つめ、述べた。 「権威者の過ちが深刻である場合も、従順しか道はありません」と、アドバイスを与えた。 真理が勝利する方法は、ただ神の手に委ねるべき、という内容でした。ルフェブル大司教はその様に物事を見ていなかったようです。 ピオ神父は彼を激しく見つめ、すぐに何が起こるかを悟ってこう言った。「あなたはそれを忘れるでしょう! あなたは忠実な共同体を引き裂き、上司の意志に反対し、そして教皇の命令にさえ反対するでしょう、これはすぐに起こります。 教会全体があなたによって傷つけられるでしょう。自分を裁判官のように振舞わないでください。 神はすでに働いているので、力をとったり、自分自身を神の声と見なさず、不和を蒔かないでください。私はあなたがそれをするのを知っています!」 残念ながら、ピオ神父の予言が真実であることは誰の目にも明らかです。」 パスカル・カタンコの本PadrePio Gleanings 58-9頁より >>357 どちらでもよいというよりも、地に立つ自分から見れば、 周りの天体が動いているように見える、みかけ上の話なので、 宗教絡みでなければ、探求心に興味が無い、 事故や病気を防ぎながら、身を粉にして必死で衣食住確保の生活をする 一般大衆は懸命で、そのようなことを考える暇も無い。 宗教大衆信者は、その宗教で言われていることを 鵜呑み丸呑みして深く考えない、天が動こうが地が動こうが、 自分達の生活が楽になるわけでもないのですが、 その地域の信仰体系内での、生活なのでそれ以上はありません。 >>362 一方、ガリレオ・ガリレイは、物理学者であり天文学の父と 呼ばれるほどの人物で、衛星やクレーター、黒点など、 自分で改良開発した望遠鏡で、調べて「星界」とつけているほど 賢いのであった。 でも貧乏。 この名前はガリラヤのガリラヤの人という意味であり、 たいへん敬虔なカロリック信徒であり、子供たちはみんな修道院へ 入れています。 その頃、キリスト教内での権力闘争に巻き込まれて、 ガリレオ・ガリレイはいいがかりを付けられ、幽閉されたのであって、 そのガリラヤの人は、別筋の権力で陥れられたのです。 ですから、天動でも地動でもよいでなく、 宗教権力絡みの天動説は、こういう時に恐ろしい姿となって 正体を現すのです。 ガリレオは失明しましたが、最後まで口述筆記によって 著作したということです。 浦和教区埼玉南地区で殺されそうになりました。 僕はこの苦しみを自分の十字架として一生背負って行きます。 >>359 行動の禁忌を示して、幸せを得るのなら聖書は正しいでしょう。 しかし、パウロは精神性攻撃の言葉を書いているのです。 パウロの偏見によって、多くの性の少数派の方々(IS,性同一性障害など) 殺されたり自殺されてきたのです。 禁忌の問題で、聖書が優れているのは、論点がずれているのです。 だったら、ハンセン氏病の方は、一生隔離し続けられてしまいます。 同性愛者が結婚して、セーフセックスをするように 啓蒙してこなかった、日本社会のほうに問題があるのでは ないでしょうか?キリスト教徒にも責任はあります。 教会から追い出す事しか考えてこなかったからです。アーメン >>363 いやバチカンとしては天動説でも地動説でもどちらでもいい。教義や信仰の面では あなたのは権力争いとか世俗的な次元の話で教義とは別の話ですよ おはおはおっはー しんちゃん(10才男児 児相)のうんこつきのかわいいケツメド舐めたい! たっちゃん神父(父親が中卒) 50代 DV癖 虚言癖 手癖(アナニー) アル中(ナハハハロング缶) 犬。 >>366 教義とは別だと言っても、バチカンでの宗教権力であるので、 切り離したい気持ちは分かるのですが、 実際に、その影響力は及びますから何もないのだというような 分裂した誤魔化しが効くのも、時間の問題であり、 教皇がようやく過去の過ちを省みるというのは、新しい世紀において 重要ごとで、キリスト者なら理解できることです。 >>365 割り込んで申し訳ないが質問があります。あなたが言う「パウロは精神性攻撃 の言葉を書いている」と「パウロの偏見」とは聖書のどこを指して言うのでしょう。 また「精神性攻撃の言葉」とかの意味も具体的に説明してほしいのですが。 >>370 やっとかよ。メジュゴリエもガラバンダルもヴァスーラもやれよ。 聖体奉仕会はどうするんだ? すべ民を今でも信心してるし それに基づいた秋田の聖母像もすべ民やで >>371 当然、秋田もダメですよね!!!! ね? 私的啓示や、個人の幻視、証言を材料に「筋立てする」行為はカルトにつながる。 資料は「公的なもの」しか意義を持たない。 秋田を政治利用してきたのはどこの誰か。 ネットでカトリックのカルト信心を教え広める偽信者へ聖座が遂に天誅を下す時が来た! トムの無知でアムステルダムと秋田がごっちゃ混ぜにされてるなw >>243 わたしが宗教(信仰ではありません)に対する不信感を初めに持ったのはいつごろか、 思い出してみました。小さいときに、家族と見たテレビ番組の「愛の戦士レインボー マン」の、おたふくのお面を被ったおかしな団体に行き着きました。道場のような場 所で、おたふくのお面を被った人が、札束(偽札)を入信者に渡している場面が、わ たしの心にいまだに焼き付いています。大学生のときに、ある友人に宗教を批判する ようなことを私が言って、その友人からそのことに対してかなり注意を受けました。 その友人は特定の宗教団体の信者ではなかったと思います。そのことからさかのぼる と、他にもいくつかのことはありますが、宗教に対する初めの不信感はレインボーマ ンからのもののようです。調べると、レンボーマンは、1972 年秋から約一年間放送さ れたようです。また、1973 年がでてきました。不思議です。わたしがそのように感じ ているだけですが。 (´Д` ) ( ;´д`) ( ´Д`) ( ;´д`) ( ´Д`) >>370 Wikipedia にもでていますよ。9 時間程前に。速いですね。 The Lady of All Nations Rulings by church authorities の一番下。 On January 4, 2021, ... >>386 もともと聖体奉仕会は『すべての民の御母』を信心する2人のシスターにより始められた会。 そして今でもその祈りは毎日唱えられてるし、パンフも置いてある。 秋田の聖母像は、仏像の彫刻師によりすべての民の御母を模して彫刻されたもの。 それなのにすべての民の御母と秋田の聖母は別物なのだ、とか考えるピオ10はおかしい。 頭が相当悪いか、信じたいがために偽聖母のことは見て見ぬ振りをしているかのどちらかだな。 ハンガリー語って独特ですね。 (歌唱はドイツ語)^^♪↓ ttps://youtu.be/1hT9VsHSx5M >>369 ですが>>365 さん返事待ってんだが。沈黙しちゃってるね。どうしたのかな? あなたのこといつも心配してます。 >>365 教会が追い出したんじゃなくて情欲の罪を犯してあなたがたが自分で教会を出ていってるんですよ >>378 あなたが書いたことに意見してきました。 他の方もそうかもしれませんが、 あなたは「パウロの罪を認めなさい」という結論に飛躍するばかりで、 対話になりにくいです。 福音派&原理主義者 ピオ十世会 などは、それぞれプロテスタント、カトリックの中でもファリサイ派のように 外面重視であることがわたしもわかりました。 つまり福音派のすべて、カトリックのすべてがそうであるわけでなく、 むしろ、プロテスタント、カトリックに彼らの方が紛れ込んで、 勢力をつけています。 矛先をパウロに向けているだけでは、パウロに罪を転嫁するほど、 最右翼の人間が作りだしているそういった組織の思うツボとなるでしょう。 彼らは最大の敵をローマ・カトリックだとしています。 ですから、あなたの敵はローマ・カトリックでは、ないのです。 >>390 イエスは良い事と悪い事は、その実で判断できると言っています。 また、南方熊楠も同じような事を言っています。 同性愛者にも、もちろん悪い同性愛で、人を略奪して殺して、レイプする 人もいるでしょうが、正しい同性愛者まで裁かれるいわれはありません。 イエスは同性愛、異性愛で裁きを分けることはありません。 正しい裁きをされる方です。すべては、イエスにお任せすればいいのです。 自分たちは聖書の言葉を一字一句すべて遵守していないのに、他人の戒律破りは咎める人を イエスはなんと言いました?ファリサイ派のパン種です。 >>392 傲慢で独善的に見え、表現や思想の自由を奪う宗教者というよりも 全体主義的な圧力団体の様相をもつ彼らを注視しましょう。 アメリカでは、白人至上主義・反イスラム・親イスラエル傾向が 指摘されています。 そういった宗教組織やそれらと近似値にある 個人思想を持つものたちに抵抗したいなら、 彼らが敵とするローマ・カトリックに寄り添っていくキリスト者となって、 視野を広げ、智慧をつけていく方法を一考されてみてください。 あなたがキリスト者である場合。 >>392 プロテスタント福音派の教会は個人商店の薬局です。 なので薬害問題が起きたとき、責任追及をするのは、薬を認可した厚生省です。 この場合、パウロの書簡に権威を与え、パウロを聖人に持ち上げたカトリック教会に責任があります。 パウロは奴隷が元の奴隷から逃げたのに、奴隷主の元に戻るようにと 手紙を書いている人物で、その責任は重大です。 アメリカ大陸の黒人は自らの意思でアメリカに渡ったのではありません。 綿花の労働力として、奴隷船に詰め込まれて、移住させられたのです。 奴隷船は詰め込むだけ船底に詰め込んで、ほとんど身動きもとれずに、 疫病などで船の中で8割から9割の黒人は死んでしまったのです。 アメリカ大統領は、就任式で聖書に手を当てて、誓うそうですが、 聖書が奴隷貿易の根拠になっていたら、パウロの責任は重大です。 1960年代までは、アメリカでは黒人は公共交通のバスの席に座らせてももらえず、 公民権もありませんでした。 >>395 カエサルのものはカエサルに返せ 、イエスも言っています。 イエスの愛は、非常に深い内面の、霊性の問題です。 その根本が変らなくては、どこまでいってもこの世はよくならないという 教えです。 あなたは、現場の悩み事に対応した パウロの手紙を読み間違っていると思います。 しっかり、新約聖書を読んでください。 今自分がいる場所から、 忍耐と愛で、状況を覆していく希望は、どれほどの勇気が必要であるのかです。 恐れる者は、蛮勇で誤魔化します。 その違いを差取ってください。 >>395 キング牧師は、パウロ否定などしていません。 パウロを理解できていたからです。 スティービーワンダーが、暗殺された キング牧師の誕生を讃えてつくりました。 歌詞にマーチン・ルーサー・キングの名前が出てきます。 Happy Birthday · Stevie Wonder · Lyrics https://www.youtube.com/watch?v=Qwscb3QIVSg カルメル山登攀は害でしかないと言うたのにがっつり引用しとるやないか。 トム屁放は支離滅裂やな。 >>395 あなたは自己矛盾に陥ってにっちもさっちもいかなくなっています。だから私の 質問にもこたえられないのです。 >>378 最初から言ってることが分からないから質問してるんだよ。 >>400 私は、一日中スレに張り付いている暇人ではありません もう、悪あがきはやめて、パウロの罪を十字架のイエス謝罪しましょう。 パウロは女性蔑視もしているし、黒人奴隷の人権侵害もしているし、 神の言葉など書いていません。そして、ローマ人への手紙には科学的に 間違った考え、偶像と神を取り違えて、同性愛者になったなどと書いてしまったのです。 パウロの罪を認めないと、世の終わりの時代にイエスの再臨の時に、イエスの前で申し開きをさせられ、イエスにお前など知らないと冷たくあしらわれて、イエスに裁かれてしまいます。 精神と行動は瞬時、瞬時一体になって、生きる私たちです。 その行動は、内面のあり様で、変化します。 良いぶどうから、良いぶどう酒が出来るのと同じです。 なので、信仰が大切だというのは、ファリサイ派のように 外面を着飾り、繕う事でなく、そのうえ、その着飾りで天国へ行けるなどという、 はなはだ、欲望の権化を量産する教えではありません。 読解力がなくても、新約聖書を部分で読むような怠惰なことをしなければ、 信仰義認か、行為義認かなどという、蒙昧には陥りません。 内面の霊性が覚醒すれば、狭き門をくぐる愛と勇気となり、 瞬時、瞬時のリアルの現実行動が同時に変るということです。 コリント信徒への手紙1 13章1-10 (パウロの手紙です) たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、 愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、 たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、 愛がなければ、無に等しい。 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、 誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、何の益もない。 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、 わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。 ↑ これを読んでも、自己中から離れられない者は、表面だけを着飾るのですからね。 言葉の意味をはき違えたい肉欲の自己都合でその場その場で利用しますからね。 >>401 また質問に答えないで逃げるんだね。あなたは私の質問に答えたことは一度もなく 訳の分からないことばかり言って逃げてばかりいるね。卑怯だし、あきれた人だ。 >>401 また質問に答えないで逃げるんだね。あなたは私の質問に答えたことは一度もなく 訳の分からないことばかり言って逃げてばかりいるね。卑怯だし、あきれた人だ。 >>396 カトリックはお金にずぶずぶだと言う、情報がリークされています。 これは、サドカイ人のパン種に犯されているのです。 組織のスケールの大きさで、信仰のパンを食べずに、パン屑を食べているのです。 イエスはファリサイ派のパン種だけではなくサカイ派のパン種・ヘロデ王のパン種に気をつけろと言いました。 イエスは荘厳な聖堂やミサなど求めていません。 パウロがローマ人への手紙に書いた言葉は、性のマイノリティーの方、 ISの方・性同一性の方を深く攻撃し、自殺に導いてきました。 今日の科学では、そういう方々の名誉が回復し、偶像を崇拝したために パウロが神の罰を受けているのだと書いた言葉は、パウロの浅はかな 脳細胞が書いたパウロの偏見の言葉である事がはっきりしています。 カトリック教会には説明責任があるのです 数年前、ヘレンケラーは、パウロを信じていなかったという事を ネット情報で知りました。彼女の言語体系には、常識や権威といった 余分な投影されるスクリーンはなく、ただ子供の心で、言葉だけを受け入れ、 イエスは受け入れることができたが、パウロの言葉には拒否したのです。 おそらく、ヘレンケラーはイエスの権威があると言う前提もなく、 パウロの言葉を手話で伝えられたら、その根底にある 悪意がわかったのです。 パウロの言葉は、人を攻撃したり、おとしめたり、断罪する目的で 書かれたもので、あわよくば、自分が実権を握り、イエスの権威を奪い取りたいと いう意図で成り立っているのです。 >>365 >同性愛者が結婚して、セーフセックスをするように 同性愛者同士の結婚もセックスも禁止や 異性同士でも婚前交渉や避妊は禁止や ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる