世間では仮名人を通して社会が周っているが
真実においてはわたしというものはどこにもいない
わたしという存在はどこにもおらず、あると錯覚しているにすぎない
私の心も私ではない
心に操られ、体に操られ、人を殺したなら責任をとるのは道理
もちろん、心に操られ、体に操られ、つくった業の報いをうけるのも
私ではないが。うけるのは迷妄である私。