華厳経の宇宙観・須弥山と現代の宇宙論を繋ぐ視点
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自力を「頼るべき自分」による修行完成に向けての正しい実践努力 他力を仏の慈悲 及び入我我入により一体化する加持力 と見るなら、その双方共に大事であって、自力単独や他力のみ説くのも片手だけで、 他力とは無我の境涯より得るものなり 華厳経の 一の中に「一切」が蔵されるという思想は 深遠な理を孕むとは 感じています 全ては繋がり合っている。 何ひとつとして孤立したものはない これを縁起って呼んでる 縁起のものを、人の見方で分けて愛憎することを煩悩と呼んで これによって生死という苦が生まれてる ものごとは見えている通りにあるのではない。 「対象物」の実際とその本質は 写真で見るほど良くも有意味でも無い。真実の相は、 また違ったものである 真実在は無い と断定し、切り捨ててしまった点が 南伝系とか、それから影響・洗脳された輩が嵌ってしまった 誤謬。 明恵(みょうえ) は、鎌倉時代前期の華厳宗の僧。法諱は高弁(こうべん)。明恵上人・栂尾(とがのお)上人とも呼ばれる。父は平重国。母は湯浅宗重の四女。現在の和歌山県有田川町出身。華厳宗中興の祖と称される https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%81%B5 4.因陀羅網とはインドラ(Indra)の網、すなわち帝釈天宮にある宝網のことで、その結び目にある珠玉が互いに相映じ、映じた珠がまた映じ合って無限に映じる関係でもって、華厳の重々無尽を説明するのである。 5.(1)米一粒を見ても、この米一粒は米屋から買ってここまで運んだのであるが、それには米屋もいるし、問屋もいる、運送した人もいる、生産した農家もいる。 (2)そして農家がこれまで生産するためには籾をとっておいて、それを田にまいたわけで、田に入れば太陽の光もいれば水もいる、肥料をやったり草を取ったり、あらゆるさまざま条件、因縁を媒介として、いま自分のご飯としてあるわけである。 6.(1)私がまだ若いころ、師と学会に行ったとき、駅弁を買って蓋を取ると、蓋についためし粒からまず食べたものである。 (2)昔はそのように米をありがたいものと考えたものだが、米にかぎらず、どんなものでもたいへんな関係のなかで空間的にも成り立っている。 そのように考えると、一つのなかにあらゆるものが含まれているのだといえるわけである。 7.(1)これを数理哲学で発展させると、一のなかに一から無限数までが全部含まれているから、つぎの二が出る、そして三が出る、四が出るのだ。 (2)だからこの一のなかには二以下の全部の無限数が含まれていると華厳では説く。 http://www.kairin.co.jp/akio/Monday-rep/16.21.PDF 一即一切(一即多 多即一)の説明 三界虚妄 物質界のみならず欲界色界無色界の三種生存世界は、虚飾と妄執が絡み合う空虚な世界である それらから仮初の印象を受ける五蘊もまた、 変転して定まらない、不確かなものであり、 実体は無く、空虚である 五蘊とは世間との接点であり、 虚妄なる三界から影響される「非我なるもの」である 六道輪廻は迷界 大乗では仏の慈悲により 発心した衆生も直ちに冥界より出離 解脱する 誰もが何かの役に立っている 全てのものには存在価値や意味がある という考えは、深い哲学的、宗教的命題と かかわって来る アヴァタンサカ・スートラ 正式名称『大方広仏華厳経』(だいほうこうぶつけごんきょう) 経名は「大方広仏の、華で飾られた(アヴァタンサカ)教え」の意 「大方広仏」、つまり時間も空間も超越した絶対的な存在としての仏という存在について説いた経典 元来は『雑華経』(ぞうけきょう、梵: Gaṇḍavyūha Sūtra, ガンダヴィユーハ・スートラ)、すなわち「様々な華で飾られた・荘厳された(ガンダヴィユーハ)教え」 チベット語訳完本も存在し、チベット大蔵経の「カンギュル」(律・経蔵)の主要な一角を占めている。 中国では華厳経に依拠して地論宗・華厳宗が生まれ、特に華厳宗は雄大な重重無尽の縁起を中心とする独特の思想体系を築き、日本仏教史にも大きな展開を起こした。 上代日本へは、大陸より審祥が華厳宗を伝来し、東大寺で「探玄記」による「六十華厳」の講義を3年間に及び行なった。東大寺は今日まで華厳宗大本山である。 ネパールでは『十地経』と『入法界品』(Gaṇḍavyūha)がそれぞれ独立の経典として九法宝典(Navagrantha)に数えられている https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E7%B5%8C 十地経(じゅうじきょう、梵: Daśa-bhūmika Sūtra, ダシャ・ブーミカ・スートラ)とは、初期大乗仏教経典の一つ。後に『華厳経』に編入されたため、 『華厳経』の「十地品」(じゅうじぼん)としても知られる。 中観派の祖・龍樹はこの『十地経』の註釈である『十住毘婆沙論』を著した。 その巻第五「易行品第九」は、中国・日本の浄土教(浄土宗・浄土真宗など)にも影響を与えた。 唯識派の世親も『十地経論』という註釈書を書き、それを基に中国十三宗の1つ「地論 宗」ができた。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%9C%B0%E7%B5%8C 『入法界品』(にゅうほっかいぼん)とは、大乗仏教経典『華厳経』の末尾に収録されている大部の経典(品)。サンスクリットの原題は『ガンダヴィユーハ・スートラ』(梵 : Gandavyūha Sūtra)。 善財童子が、文殊菩薩に促されて悟りを求める旅に出発、53人の善知識(仏道の仲間・師)を訪ねて回り、最後に普賢菩薩の元で悟りを得る様が描かれる。 一説には、東海道五十三次の53の数字の由来は、この『入法界品』にあるとされる https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E6%B3%95%E7%95%8C%E5%93%81 十信 (出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参考・引用多数、不備は補正) 十信(じゅうしん)は、菩薩が修行して得られる菩薩五十二位の中、下位から数えて第1番目から10番目の位をいう。菩薩が仏の教法を信じて疑心がない位をいう。 菩薩五十二位の最初の位で、十住の下位にあたる。仏の教法に入らんとする者はまず信の心を持つことから十信という。 一、信心(しんしん) 仏陀の教法を信じる心。一切の妄迷を滅尽し、中道を了知し純真なること。 二、念心(ねんしん) 教法を憶念する心。真信明了にして一切に円通し、あまたの生死を経過するとも、現前の習気を遺失忘失しないこと。 三、精進心(しょうじんしん) 煩悩を雑えず、精明に仏界に進趣する心。妙円純真なる精明を以って真浄に進むこと。 四、慧心(えしん) 智慧を研く心。三学の一である慧学。心精が現前すれば純真の智慧が自然に発起すること。 五、定心(じょうしん) 静かで動揺しない心。三学の一である定学。智明を執持して周囲を遍く寂湛し、つねに心を一境に凝らすこと。 六、不退心(ふたいしん) 三学の定学と慧学を以って退堕しない心。定光発明すれば明性深く入り、ただ進むのみを知り、退かないこと。 七、護法心(ごほうしん) 仏法を守らんとする心。心進安寧なれば一切仏法を保持して失わず、十方如来と気分(けぶん)交渉すること。 ブッダは仏法を護る事を「戦う行為」や「論争する行為」とは説いていません。ましてやカルト幼稚園関係者の (掲示板に組織的介入を行い荒らす行為を煽る如き)醜い煩悩は護法の心とは呼べません。 それは、かき乱された心による組織エゴが発する三毒の暴走行為に過ぎません。 人々を奴隷家畜にする誤った信仰は即刻捨て去る必要があります。 自ら法に随い、心進安寧にして十方如来と心相応し、ただ仏の教えを修習実践するのみです。 八、廻向心(えこうしん) 仏果を得んとして修行に全力を尽す心。覚明保持すれば、よく妙なる力を以って、仏光廻照を観じ、また仏に向かい安住すること。 九、戒心(かいしん) 戒を遵守する心。三学の一である戒学。心、光密に廻すれば無為に安住して失うことがないこと。 十、願心(がんしん) 十方諸仏の浄土に往生せんと願う心。戒に住して自在なるがゆえに、よく十方に遊戯し、その所作がことごとく願に随うこと。 「夢」というのは、自分の思いが 生々しい現前感を伴って示される現象である 末法以降では、明恵上人という坊さんは 唯一語るに値する人だな 一遍や親鸞以下、みんなエキストラ みたいに見える 私は多くの河や山を見るため 世界を旅し、多くの金を使った。 どのような苦労も惜しまず あらゆるものを見た。 だが、私は忘れていた 家の庭の、 草の葉に宿る ひとしずくの露が 全宇宙を映しとっていたのを 人が掴みとったと錯覚する”意味”など妄想に過ぎない 三界とは、違った角度から見れば別の色に見える 万華鏡の仕掛けのようなもの だからである 一心即是本居 という言葉は 色即是空の反対語 である 大乗、菩薩乗って元々は大衆部ではなく、 法蔵部の中で生まれたものだと思うんだよ ジャータカやアヴァダーナと同じ感覚で それが法蔵部五蔵の菩薩蔵 金剛般若経はまだ小乗への攻撃が全然ないし 八千頌般若経が小乗と攻撃してるのもあくまで説一切有部のことだろうし この辺の最初期大乗ではまだシャーリプトラやスブーティーが聖者として扱われている 同様にパリッタから派生した法蔵部五蔵の呪蔵が のちのち密教に発展していったのかと 大乗、菩薩乗の主導権が徐々に法蔵部から大衆部に移行していくにつれ、 維摩経や不可思議解脱経(華厳経入法界品)が生まれ、本来は大乗でも尊崇の対象だったシャーリプトラやスブーティーなどが小乗の聖者として排斥されたんじゃないかと 菩薩でも弥勒菩薩から文殊菩薩に尊崇の対象が移行しているよね ここから弥勒菩薩は法蔵部の尊崇対象、文殊菩薩は大衆部の尊崇対象だったんじゃないかと推測できる 法華経は大乗と小乗を統一するための経典、声聞乗、縁覚乗を菩薩乗に誘引するための経典とされるが、 ここで誘引しようとしたのは、大衆部によって排斥された法蔵部や経量部など上座部内で大乗を受容していた人たちじゃないかな 大衆部の大乗と、大衆部によって排斥されていた上座部内の大乗受容派をここで再統一するのが法華経の真意 だから、シャーリプトラやスブーティーなどがここで再度、大乗の聖者、将来の如来として迎えられる 法華経でも増上慢として排斥されているのは、やはり説一切有部のことではないかと 法華経と華厳経の関係については、十地品や入法界品は法華経に先駆けて存在しており、一方 華厳経として完成するのは法華経よりずっと後ではないかと推測する 声聞縁覚の扱いについては法華経の方が発展的な部分があるのに対し、法身仏の存在については法華経の久遠実成をより発展させたのが毘盧遮那仏であると考えられるから 法華経は上座部大乗的、華厳経は大衆部大乗的経典じゃないかなとも 上座部大乗 阿含→般若→法華→金光明→金剛頂 大衆部大乗 阿含→般若→維摩→華厳→大日 お互い影響を受け合いながら、金剛界・胎蔵界の両界にそれぞれ発展していったんじゃないかと やがて大衆部大乗系=胎蔵界系が途絶えたのは、 より源流に如来蔵経がある。 般若以降の発展は全て物質界の空性を 徹見し、ひっくり返した思想と いえる。 チョナン派 (英語表記)Jo nang pa チベット仏教の一宗派。中央チベットのツァン地方チョモナンの地にトクジェ・ツォンドゥー (1243〜1313) が寺を建て, ここに拠ったトゥルプパ (1292〜1361) らが,チベット仏教一般から唯識説の異解として退けられた説を唱えた。 悟りの主体は相対を超えるが空ではなく,勝義において恒常不変の仏性であるといった。 この派に属するターラナータ (1575〜1640?) は蔵巴汗の師僧として黄帽派と対立したため, ダライ・ラマ政権の成立後その宗義の版木は封印され,寺院は黄帽派に改宗させられた。 確かに仏滅後七百年後あたりで大転換が起こっている。 第一中期大乗の勝曼経・大般涅槃経あたりから大乗も可笑しくなり、 勝曼経では変なおばはんが釈迦に説法したり、そのあとすぐ 仏像彫刻が始まっている。 >>114 >勝曼経では変なおばはんが釈迦に説法したり kwsk われら等しく奈落に住むが、そのある者は星々を見つめる 確かに良くできた経典ではある。 また如来蔵思想それ自体が有害という訳では必ずしもない。 セネガルの新興宗教を学ぼう Project Majalis(majalis.org) https://aziz-mbacke-majalis.netlify.app/ 勝曼経や涅槃経より前はマトモだった 仏入滅七百年で仏教はグレてしまった 大乗涅槃経の鼻息の荒さは、日蓮の折伏カルト出現に 直結している 仏滅後七百年の魔波旬とは、 勝曼経や大乗涅槃経の編纂者もしくは それらに影響を与えた張本人だったのでは? おそらく学会が正宗を攻撃する理由に 近い事情があったのではなかろうか >>121 中期大乗経典盲信者の経への執着ぶりはカルト信者さながらだ 華厳や般若のさとりとは 全く異なる 大乗の涅槃経などの編纂者は只のプロパガンダでしょ。 菩薩とは 「まよいに気付きながらも輪廻する求道者」というほどの意味なんでしょうね ダライラマ(ロックフェラーのプロパガンダ?)が菩薩だと すれば。 華厳のさとり とは ブッダの至高の覚りの内証を大乗の側から 推し量って示そうとしたものである 言葉だけだとやはり分からないですね。ありがとうございます ヴィジョンの的中率が高い人は それを修正してはいけない。 五蘊を越えたヴィジョンが正しいのなら 修正すると負ける 信にも迷信盲信狂信などある。 それらはすべて迷界の自我が沈淪する無明なり 世間で成功した者が裏も表も無く、立派な人格を具えているとは限らないが、 出世間の者なら話は別である。 だが、像法以後に正しいさとりに達した人は 極めて少ない。 現代物理学の先生が「私たちは宇宙の5%しか知らない」と真実を教えてくれているのに 19世紀の経済学者の説にカブレた程度の者らが、歴史について、世界について、全てわかった気になっているのは変 【理学部】宇宙創成の謎に挑む−素粒子物理学 https://www.youtube.com/watch?v=9KZT2hjx_Z4 物理学者の天才の部類に入る方々は、何らかの創造的意志を認めておられますね。 はい、 この宇宙の存在そのものは、科学という認識手段を超えているのだろうと思う。 ゼロとか有るとか何だとか断定できるようなものはない ネパール行くと、ブッダアイと呼ばれるシンボルが建物に付いてるんだけど 眼と眼の間にはてなマークみたいなのがある、実はそれは数字の1で 全ては一つを意味してるとか。 「絶対有」という言葉、初めもなく終わりもなく、ただある。 0というのは言葉の上での概念であって現実に存在したことがない。 一即一切の教えは大乗仏教が成立する前 紀元前に編纂されたバガヴァッド・ギーターという叙事詩に載っている おつりの「1」が 宇宙の最初に残って現在に至る 梶田隆章「ニュートリノの小さい質量」ー梶田隆章教授ノーベル賞受賞記念講演会 https://youtu.be/RqF4xzfkXlo?t=2180 一見、意味の無い行動をしてるように見えて、 実は、それが何かの役に立っている。 全てのものには何かの意味がある。 一事が万事。 別個でありながら 宇宙の中でエネルギー体として 統一されてもいる。実は統一体として 動いているのだ。 全てが その他全てと つながっている事に気づけ ダ・ヴィンチ 日蓮地獄界という処があるそうなんだが どういうとこか知ってますか? >>153 すべての生命が、知って知らずかそれぞれの方法で修行している修行者って考えだわ。 別々の方向性に進んでいるように見えて、最終的な何か1点を目指してるのでは?という インドの古代思想とブッダの教えは そう距離は遠くないかもしんないですね ダライラマは、たぶん痴呆症状態だ 金髪雌猫に生まれ変わるとか発狂済 引退した三流政治家扱いが適切 だろうな はっきり言うとCIAとのつながりがあったからオウムにお墨付き くれてやったんだろうね 彼と関わる日本人て、胡散臭いの 多杉 最近の彼は 世界主義陰謀団に使われるパシリと 言われるような話を してるよ アンブレア社wwwwwww (スププ Sd1f-oqp3) 02/21(日)18:36 ID:WjTVSRa0d(2/4) AAS /製薬会社】米ファイザー、アラガンとの合併撤回へ©2ch.net (12レス) 上下前次1-新 このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。 次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー 1: 孤高の旅人 ★ 転載ダメ©2ch.net [sageteoff] 2016/04/06(水)14:59 ID:CAP_USER(1) AAS 米ファイザー、アラガンとの合併撤回へ 2016/4/6 13:35 外部リンク:www.nikkei.com 【ニューヨーク=高橋里奈】米製薬大手ファイザーはアイルランドの同業アラガンとの合併を 取りやめる方針を固めた。米政府が4日、海外企業とのM&A(合併・買収)による節税策への 省10 27: wwそりゃそうだアンブレア社と糞ゲイツが銭の為にばら蒔いたからなwww (スププ Sd1f-oqp3) 02/21(日)18:37 ID:WjTVSRa0d(3/4) AAS 「悲報」 ファイザー、パナマ文書でタックスヘイブンしてたw 国際/製薬会社】米ファイザー、アラガンとの合併撤回へ©2ch.net (12) [ニュース速報+] 2:ファイザーとアイルランド企業合併 「課税逃れ」 米で高まる批判 大統領選、法人減税焦点に [無断転載禁止]©2ch.net [917992287] (18) [ニュー速(嫌儲)] 28: (スププ Sd1f-oqp3) 02/21(日)18:39 ID:WjTVSRa0d(4/4) AAS ほんとユダクチンの事となると 工作員がすぐ飛んでくるな^^ 指令でも出てるのかな^^ ^^ when one can manage to alter their state of consciousness to the point where the universal hologram itself can be perceived. スマナサラは科学の発展を阻害sるような発言を 平然としている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる