世の中の95%の人は多少なりとも劣等感にさいなまされた人生を送っていることだろう。この劣等感は、成功と幸せに対して大きな障害となって立ちはだかっている。(ここ全パクリ)

例えばトランプ氏と比べて劣等感を抱く奴はこの中にいるだろうか、居たら大したもんであるが居ないであろう。誰もトランプ氏と自分を比べたりはしないであろうからである。
優位に立とうとする相手をネガティブに捉えている場合にイライラしたり頑張るほどミジメな気分になったりするのである。少年マンガのライバル関係のような関係であればポジティブであるが、まぁマンガの世界である。

また、クラクションを鳴らされた、列に割り込まれた、店員に邪険に扱われた、など自分に非がないことにまで憤慨し自尊心を傷つけられる奴もいる。こういう奴は必ずこうしたことで傷つき憤慨する。このような反応を繰り返していると感情も習慣化していくのである。

人の行動の大部分は習慣かパターン化されたものである。食事とか、日常の会話とか、天気や買い物にネット、多くは何度も繰り返され、動作もその時々の判断も、感情でさえも、大部分が繰り返され同じである。つまりこいうい場面ではこういう感情になる、という事の多くは、前もって自分でも判っているのである。 それでも繰り返すのはそれが日常に不可欠であり、もしかしたら別の何かが、という期待混じりでもある。
退屈している人間は、ここでもサプライズがなく何も起こらないと、落胆するのである。これもまた繰り返され習慣化していく感情でもある。

お判り頂けるだろか、これ全て意識的な思考をしていないのである。
自転車に乗るように、パブロフの犬のように、条件反射無条件反射のいわゆる潜在意識の範疇に含まれる習慣的、パターン化された行動思考感情なのである。

潜在意識をググると自己啓発ネタが多く、どれもオレにはぷぎゃーである。
手元に残ったこの本も、「目的を持つ。人間は自転車のようなものだ。どこかに向けて前進している間だけバランスを保つことができる。」などとしてる。
ただ一点、感情さえパターン化されている、とした部分にオレはツボってちょっと別けておいたのだ。