「色即是空」解釈の例
@弘法大師によれば 現象としての物質存在(色)は、実在的在り方である空と、もともと別のものではない。
 現象と理法とは、本来的に同一  と解かれます。また 他にも以下の如く多様な解釈が有り得ます
A「形ある物は 色々な因と条件によって、つくられた無常なものである」 や
 「見えている物は、実は見えない深淵な真理(例えば三法印や一心縁起など)に支えられて表に顕現したものである」
B色蘊のどこにも我(アートマン)無し や この身体は(本来)私のものでない
 五蘊(色)の中に我非ずと照見するなら、即ち真理を体得し、是により生死の迷い(執着、苦の起源)を 空じる(消滅させる)事が出来る
C肉体に「我は有るとも無いとも言えない。何故なら、それは因縁として意識されるだけのものである(我空)からで
しかし我空もまだ迷いで、我有・我空を超えた中道・中諦を想定するよう説いた熟語  というような解釈
D一切衆生の身心の中に本来清浄の理あること(観自在菩薩の三摩地門・一道無為住心による解釈)  、
E身心脱落(道元)
F物質も虚空も本来区別は無いものである 現象は万物の本源から派生したものである  色なる顕われも(名の無かった天地の始原にあっては、無色も色も)元来差別
の無い「空」なる本体であった  形ある物は名前がつけられただけのものに過ぎない (老子的解釈&名色の縁起)
G諸の相は相に非ず(金剛般若経的解釈) 五蘊は仮の顕われに過ぎず、空の状態の我(一つには非相なる如来)が諸々の相として顕われているのである