>>523
なんとなくわかったw
晩年にジャンプのことを言ってるのかもしれないってことだね

>>524
テーラワーダの理論にはジャンプ=主体変更はなくて
主体は変わらないような体で理論立ててあるので、多くの人は凡夫でやろうとする
そこに、瞑想の進まなさがある
でも、瞑想の進む人はジャンプや、瞑想で「出る」ということが起きてるので
初禅に入り、あとはマニュアル通り瞑想が進んでいく
山下さんの話だとそうでしょう

そこで瞑想の対象がどう見える、分析してどうなる、、、、
というテーラワーダの理論は、本来はお釈迦様が当時の仏陀を知らない人達の
質問や議論に応じたものでしょう
後世の人がそれらを寄せ集めて辻褄合うように考えた体系立てたものが
清浄道論なわけで、我々は付き合う必要は全くないと思います
へー、お釈迦様スゲーな、という認識だけで良いんですよ、そこは

テーラワーダはいわゆる世間とは違う別の第四図作ってるだけ
マハシだとジャンプしてもすぐその第四図にエゴを握ってしまうから
刹那しか滅が起きないんですよ
その先には、出世間という名の第四図が必要になるので、足抜けできない
つまり不退転というわけです
彼らの言う不退転の正体はそんなダサい話ですよ
 
山下さんの出身の寺の後輩のネルケ無方さんなんかが
「マザコン仏教」というのはそういうところではないでしょうか
菩薩乗もジャンプした人の受け皿だけど、形が決まってるわけではない
世間に寄り添って血も汗も流すのが菩薩ですよ
何故なら肉体や思考は凡夫、世間のものなのだから
実際のところ、ヨルカに悟ったら聖者なんだとか言ったところで迷い苦しむわけですから

前にヨルカのドアさんという人が居て、この人はユニークでしたね
苦しんでおられたけど、それは隠さなかったことが立派です