「色即是空」解釈の誤り6
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心経は多様な解釈を許すところがありますが、
では市販本に書かれてるような解釈は 本当に正しいのでしょうか?
個人的には、ブッダの「世間は陽炎の如し」の ”世間”を五蘊(色蘊)と言い換えた
無常と無自性が融合したイメージを喚起する 出世間の言葉と思ってましたが、
実際、空の意味として、{陽炎の如しの言い換えともとれるⒶ無実体Ⓑ幻想・夢幻・虚妄 だけでなく、様々な表現があり
たとえば空をシンプルに 唯心と解釈したり、非我、人無我、法無我を表すとか、(一即)一切、全、不二一元、虚空、エネルギー、スーパーポジション、不定形
般若の浅略釈、本体、中諦へ導く方便、言語的に説明困難な真理を説く為のメタフォリカルな表現、苦の因を滅し安楽(涅槃)に変える智慧、
五蘊盛苦から執着を除き涅槃に導く無為法の慧、微妙なる真理、縁起する諸法、無所住、妄分別の滅、解脱の因、正体は見掛け通りの物でない事、総和は零、、
固定観念を無にする事、法如、雲のように重ね合わされた複数の現実、それらから一つの現実への確率的縁起、無戯論、プラクリティ、意識原理、戯論を滅する呪
名付けられる前の世界、心の中心に具わるゼロ点、真実在、理法、清浄、無所有、平等性智、彼岸に渡り切った菩薩の心身のあり方、一切の顛倒夢想を遠離した菩薩の境涯(五蘊の状態)
現象の三世に亘る全相貌、空無辺処定により生じる智、六神通の素、如実知見法、浄真如、諸法実相、非相、般若を世間法即涅槃と悟る為の方便、無所依、
無いに等しい事、零、無明をクリアするワイパー、理性と智慧の働きを促す引金、菩薩乗(菩薩の生き方)、左脳の初期化・右脳へのロック解除、究極的な物のあり方、
誤った認識を断つ力、滅諦の実性 法則、宇宙の最上位階層に位置する「情報」、一境性、無色定で感得する微細な意識、主客無分別な現量、妄分別・固定観念の破壊、
無執着、一切に囚われない心境、完全に執着を離した状態の実現、 心解脱、如来の智慧が遍在している処、
仏智による世界の直観的認識術、高度な透視能力、全てを見通す性質、煩悩の滅尽、寂滅、一心縁起、宇宙全体、仏がいる処、仏そのもの
等々 幾らでも出てきます。(また全て、ブッダの心にある、言葉で表現される以前の無分別な究極のシニフィエとしての真諦=仏教の真理に目覚めた人だけが
知っている実相を指します) 一般的に、仏教で説かれる「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」などといった仏教哲学用語は、仏教の開祖であるゴータマ・ブッダによって説かれたということになっている。
ところが、中村元氏は、「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」の成立時期について興味深いことを言っている。
それについて重要であると考えられる箇所を『中村元選集』から(四か所続けて)引用してみようと思う。(以下 引用) 『パーリ文「アリヤ・パリエーサエ経」がつくられたときには、中道も八正道もまだまとめられていなかったか、少なくとも重要視されていなかった。
相当漢訳の原本がつくられたときに、漸く中道と八正道とがベナレス・サルナートの説法と結びつけて考えられていたが、しかし四種の真理の説は編纂者の念頭にはなかった。
サルナートの説法と四種の真理とが結びつけられて考えられたのは、かなり後世のことだと言わなければならない。
詩句(ガーター)の中にもサルナートの説法と四種の真理・八正道・中道と結びつけたものは一つも存在しない。』(『中村元選集・第11巻・p239)
「原始仏教の思想体系というと、人々は四種の真理(四諦)とか十二支による縁起(十二因縁)とかいうものをもち出して来る。しかしこれらの体系はかなり遅れて成立したものである。
まず古い詩句についてみるに、体系的な叙述はなされていない。興隆途上の初期の仏教徒は思想体系化への意欲をもっていなかったのであろう。
仏教の勢威が或る程度確立してから体系化への動きが始まったらしい。最古の聖句には思想が極めて簡単なかかちでのべられている。」(『中村元選集・第14巻・P.3) 「四つの真理(四諦)を示す句は、仏教がまだマガダ国中心の宗教であった時代にすでに成立していたと考えられる。しかし四諦の説は仏教の最初の時期よりはかなり遅れて成立したと考えられる。」(『中村元選集・第14巻・P.317)
『ゴーダマ・ブッダが八正道を説いたかは疑問である。少なくともかれの活動の初期には説かなかったことである。(だからかれの最初の説法に八正道が述べられたという多くの経典の記載は、後世の虚構であり、後世になってかこつけたのである。)
八正道という定型句はかなり遅れて成立したものであるらしい。最古の詩句には、八正道はどこにも説かれていない。最も古い詩句や短い句においては、八正道にうちの一部だけを述べている。』(『中村元選集・第15巻・P.21) つまり、中村氏によれば、一般的に、仏教で説かれる「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」などといった仏教哲学用語は、ゴータマ・ブッダの時代には無かったか、あるいは、それらがあったとしても、さほど重要視されてはいなかっただろう、ということである。
さらに中村氏は、最古層(古い韻文)の経典に記されている原初の形の「縁起」というものに関して、次のように解説している。
それについて重要であると考えられる箇所を、さらに『中村元選集』から(二か所続けて)引用してみようと思う。 「縁起の観念は、古来仏教における中心観念の一つと考えられる。
戒律の集成書のうちの叙述によると、世尊はウルヴェーラー村の、ネーランジャラー河の辺のぼだい樹の下にあって、足をくんで坐したまま、七日の間『解脱の楽しみを受けていた。』ところでそのときさとりを開くために観じたのが縁起の理法であるという。そのほか、縁起を観じてさとりを開いたという説明は聖典のうちの処々に散見する。この伝説が果たして歴史的事実を伝えているかどうかははなはだ疑問である。ブッダガヤーにおける釈尊のさとりの内容については聖典自体のうちに種々に異なって伝えられていて、必ずしも一定していない。
以下において検討するように縁起説はかなり遅れて成立したものであるから、右の伝説はそのまま信用するわけにはゆかない。殊に十二の項目を立てる縁起説は最も遅れて成立したものであるから、後代の聖典作者が、縁起の思想を強調するあまり、釈尊のさとりの内容だとして、この場合に仮託してしまったのであろう。」(『中村元選集・第14巻・P41)
「原始仏教の縁起説といえば十二の項目を立てる縁起説(十二因縁)を以て説くことが従来一般に行われていた。
十二の項目を立てる縁起説のほかに諸種の型式の縁起説が経典の中に説かれているが、それらの説は散文(長行)の部分にのみに出て来て、韻文の部分には出て来ないからどうしても遅れて成立した説だと言わねばならない。また散文の部分だけについて見ても、十二の項目を立てる縁起説以外の説がいろいろ説かれているが、散文の部分の諸説のうちでも、十二の項目の説は遅れて成立したと言わねばならない。十二の項目の説が遅く成立したことは、今日では原典批判をあまりやっていない学者の間でも常識として承認されている。
まして原典批判を考慮する立場からは、当然さらに分析を進めて、その古いかたちを問題とせなばならない。
縁起というのは「甲に縁って乙が起ること」、すなわち甲が原因または条件となって乙が成立すること、という意味である。この概念を示す諸々の説が経典の中に説かれているので、それらを成立史的に研究するのが今の課題である。」(『中村元選集・第14巻・P.42) そして、中村氏は、次のようにも言っている。
「一般的にいうならば、形而上学的ないかなる立場に関しても沈黙を守るという立場に関しても沈黙を守るという立場から縁起説が導かれる。
縁起説が形而上学的見解に反対するものであることは、他の点からも確かめられる。
釈尊がサーヴァッティ市の郊外の祇園にいたときに漁師の子であったサーティが釈尊から聞いた教えをこのように理解していた。
ー『まさにこの識別作用が流転し輪廻する。他のものとなることはない。』と。つまり識別作用が輪廻の主体であり、自己同一性をたもっているというのである。ところでなかまの修行僧たちはこれを承認得ず、<悪しき見解>であるとして、釈尊のところへつれていった。
釈尊がたずねた、『その識別作用とは何であるか?』サーティが答えた、『それはここかそこにおいて諸の善悪業の果報を受けるのである。』と。釈尊は批判した。愚かな人よ。わたしがこのように教えを説いたということを、汝はどうして知ったのか?わたしは種々のしかたで識別作用は縁生したものであると説いたではないか。ー縁によるのでなければ識別作用の生ずることはないと。』
こういって、次に『何ものでもその縁によって識別作用が生じてその(縁となったもの)によって名づけられる。眼に縁って入りに関して識別作用が生じて眼の識別作用と名づけられる。』以下、鼻、舌、味、身、意に関してもそれぞれの識別作用が同様に述べられている。また後には十二の項目による縁起説も述べられている。」(『中村元選集・第14巻・P.161〜162) こういったことを念頭において、以下の結論が導かれる。
(1)ゴータマ・ブッダの時代には、おそらく、一般的に仏教で説かれる「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」などといった呼称(仏教哲学用語)及び、そういった体系的な術語は存在しなかった可能性が高い。
(2)仏教の原初で説かれるところの「縁起」というものには、元々形而上学的な属性は含まれていなかった。というよりはむしろ、形而上学的ないかなる立場に関しても沈黙を守るという境地から縁起が説かれていた。
いずれにしても、仏教においての古い韻文(ガーター)で説かれている内容は、とてもシンプルであり、さらにいくつもの複雑なカテゴリーに分類されて説かれるようになった仏教特有の術語は、ゴータマ・ブッダ(釈尊)の時代よりかなり遅れて成立した可能性が高いということである。
ただ誤解のないように、そうであるからといって、私は、それらが嘘であるとか、信じるに値しない、などと言っているのではない。
というよりはむしろ、「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」などといったものは、後代の人たちが、釈尊のエッセンスを凝縮し、分かりやすく纏めた仏教の中心的な思想の一つである、と私は観ている。 >>743
だから、自他の区別がないのに、自利利他もねえだろ。
大乗信者は論理力のないバカ。 >別にブッダゴーサ教でも異端でもいいがスマナサーラはホラ吹き破戒僧
母国のスリランカ仏教徒は異教徒を弾圧に虐殺
スマナサーラ教信者は発狂する奴が続出とろくな効果がねーじゃん >>751
まだ勝義が理解出来ないのか?
可哀想に およそ既存の仏教で勝義と世俗の区別を認めてない宗派ってあるか? なんたる外道。 ただし外道は外道の裏がわかるらしく斬れる場合もアル
苫米地英人のパーソナルコーチング講座は詐欺か稼げるのか検証してみた!
https://www.youtube.com/watch?v=zE46jZHaVUc
【苫米地英人】江原啓之は霊視能力があるのか?
https://www.youtube.com/watch?v=0Vrkl56Wpro >>444
>スマナサラ信者であるのは確かなトンマべっちょ も
「釈迦は縁起を説いてません」と断言してたが、
ヤハリ、それすらもインチキだったようだな。全く説かれてない とは
言えないからである! 釈迦オリジナル仏教では五道輪廻からの解脱を悟り=涅槃としている。五道=地獄・餓鬼・畜生・人間・天上の五つだ。そして悟りには四段階ある。第一段階の悟りを得た預流果と呼び、それは地獄餓鬼畜生の三悪道を解脱した者のことである。 >>444
釈迦が「縁起」に相当するワードを使っていたかはわからんが、
何かが因となって苦が生じるという発想は持っていたと思うよ
そしてスッタニパータには縁起についてたっぷり書かれている(第三 大いなる章 十二 二種の観察) 第二段階の悟りを得た者を一来果と呼ぶ。一来果は地獄餓鬼畜生の三悪道を解脱し、更に進んで、人間界にあと一回転生すれば悟りを得られる者である。だから一来と呼ぶ。
悟りは、五道輪廻からの解脱の度合いによって、四段階になっているのです。 >>759
その預流などの悟りの位も最古層経典には出てこない。
それらの用語もゴータマ・ブッダの時代にはなく、ブッダの死後に教義が整理されていくなかで生まれた概念であることが考えられる。 第三段階の悟りを得た者を不還果と呼ぶ。
不還果は、地獄餓鬼畜生人間の、四悪道から解脱した者のことである。人間界にはもう戻らないから不還と呼ぶ。不還果は天上に生じて、そこで悟り=涅槃、を得る者のことです。 第四段階の悟りを得た者を阿羅漢と呼ぶ。
阿羅漢は五道から解脱した者のことです。
それを悟り=涅槃を得た者という。
肉体を持つ阿羅漢は最小限の束縛を受けるから有余依涅槃と呼び、肉体が無くなった場合を無余依涅槃と呼ぶ。 最古層経典は、比較文献学によって、ある程度、絞られている。オリジナル仏教についても、ある程度の絞り込みは出来ている。中村元氏はその道の権威であるが、完全ではない。中村氏は知識面から、真相に迫った。私は修行実践面から真相に迫った。 >>753
論理的に破綻していることを自覚できないアホ大乗。
かわいそうに。 >>754
は?
キリスト教・イスラム教における勝義と世俗の区別とは? 最古層の文献に預流の語があろうが、なかろうが、阿含経典群にあるのは事実です。そして、私は修行実践面から、四段階の悟りの事実であることを確信した。四段階の悟りは、五道からの解脱に応じて定められていることは、まだ誰も言っていないかも知れないね。 釈迦が亡くなって、すぐに五百人の阿羅漢が集い、釈迦の教えをまとめた。文字化はされなかった。その釈迦の教えが、どの順番で文字化されたかは不明です。だから、最古層の文献にはないから、偽の教えということにはならない。 >>768
よく読め
754 名前:神も仏も名無しさん [sage] :2020/08/03(月) 05:24:53.68 ID:DtO5fnx8
およそ既存の仏教で勝義と世俗の区別を認めてない宗派ってあるか?
754は仏教に限定して質問している
キリスト経やイスラム教の話はしてない >>754
何を勝義とするかは大乗部派仏教によっても異なりまたそれぞれの部派によっても微妙な差異はあるけど
どの仏教も二諦で説いているよ >>765
君は既に預流以上であるからそういうことが言えるんだよね? 少し仏教を学んだ方に二諦は当たり前でけど、まぁ、昭和時代の教養書レベルでは仏教を見てる方に理解出来るものではないでしょう。 訂正
少し仏教を学んだ方に二諦は当たり前ですけど、まぁ、昭和時代の教養書レベルで仏教を見てる方に理解出来るものではないでしょう。 人間界にも餓鬼がいるように
天上界にも餓鬼はいるそうだ
たとえばばの話。このスレが天上界として、不還の者が来たとして
阿羅漢果を得る修行はあるのかな? まあ5ちゃんに幾ら書き込んでも
解脱は難しいだろうけど 修行実践面から真相に迫ると、道諦を八正道に限定する考え方など、馬鹿げたものになる。
野球選手の上達法をキャッチボールに限定したらどう思うかね?
釈迦仏教の悟りに至る道は、四念処、四禅、三三昧、五根、その他修行法、沢山あるのです。 三三昧してるのなら空も理解できる筈ですよね。
四禅まで行けてるなら、受は空じれてる。
話変わるけど、お猿さんがブッダに蜂蜜?だったかを供養したら
最早畜生の境涯に留まれなくなって、すぐに木から落ちて死んだって話は
何というお経でしたかね? 大乗経典は創作創作騒ぐ▼鬼みたいな方がいたけど
大乗以前には児童文学レベルの寓話めいたものも多いし、
それと比べると、般若経などはかなり高度な哲学書
の部類ですよ 人間界にも天上界にも餓鬼がいるという考え方だが、阿含経には「苦厄老病死 此三悪道」との語もあり、確かに人間界にも地獄餓鬼畜生界があることにもなっている。が、死後、幽霊状態になって、地獄界をさまよう存在も説いている。五道の理解の仕方、単純ではないね。 ID:B4Dew3H5 = 大乗経典は創作創作騒ぐ▼鬼みたいな方 =
たぶん一番最初のスレ主 ですよ。だんだん
わかってきました
w 783の方が言ってる
>死後、幽霊状態になって、地獄界をさまよう存在
なのでしょうね。所謂「成仏できない霊」みたいな感じ
なんでしょう 改竄と妄想の大乗さん。
嘘はいけないという釈迦の教えを守れない外道。 >>786
阿含宗にお詳しい方ですね? 一つ質問があります。
大乗の涅槃経の基本教理の一つに「常・楽・我・浄」がありますが、これは
阿含経からのパクリだという人がいたのですが、その見解は
適切ですか? >>766
勝義に於ける自他の別は無く世俗に於いてはお前はお前で俺は俺
このステージの違いが理解出来ずに論理破綻だと考えるのはお前の知能が水準より低いからでしかないんだよ
ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はあるけど一つの器に入れたら区別が付かなくなるという単純な事さえ理解出来ない頭なんだから背伸びしないで黙って見とけば良いのにプライドだけは無駄に高いからそれも出来ない
平均よりも高いプライドと低い理解力が同居してるのがお前
それを世間では馬鹿又は愚か者という
お前は自分の利口部分しか見えないだろうが お前以外の人々にはお前の際立って愚かな所しか見えない
自分と話の合う集団を探して 其処へ行った方が良いぞ
物分かりの悪い発達障害者の駄文を読まされる我々の迷惑を少しは理解してくれとしか言えん
お前は明らかにこの場の議論のレベルを著しく下げている
早々に立ち去りなさい >>789
その喩えと自他の関係を明確に書きなよ。
ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はある
一つの器に入れたら区別が付かなくなる
自他はどっちだと?
バカって意味不明な喩えで勝手に自己満足しちゃうw。 >>789
その喩えと自他の関係を明確に書きなよ。
ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はある
一つの器に入れたら区別が付かなくなる
自他はどっちだと?
バカって意味不明な喩えで勝手に自己満足しちゃうw。 >>790
なるほど それさえも一々細かく言われないと解らない頭なのだな?
つまり特殊学級スレスレという事だな 中国からの入国を禁止する国も多かったのに
きんぺーを国賓接待しようとしてコロナを蔓延させた安倍チョン 中国からの入国を禁止する国も多かったのに
きんぺーを国賓接待しようとしてコロナを蔓延させた安倍チョン >>792
お前の考えをどうして他人が分かると勘違いしてる? >>792
お前の考えをどうして他人が分かると勘違いしてる? >>795
くっだらない言い訳してないで、
自分の言いたいことはちゃんと明確に書こうな。
文章力が低いお前には無理かな? >>795
くっだらない言い訳してないで、
自分の言いたいことはちゃんと明確に書こうな。
文章力が低いお前には無理かな? >>800
ペットボトル入ったミネラルウォーターを持ち出したのはお前だが。
何言ってんだコイツ?? >>798
アンカー先の短文が何に掛かってたら言い訳に読めるんだ?笑
場に関係ない安倍批判でアホラフキンだと自分でバラしてるだけだろうに >>802
だから、ごちゃごちゃ言ってないで、>>790に回答しろよ。
何でバカって、自分で言い出したことすらまともに説明できないのか? >>801
>お前の考えをどうして他人が分かると勘違いしてる?
笑笑笑 >>803
>お前の考えをどうして他人が分かると勘違いしてる?
今日の名言 笑 >>804
どこが笑うポイントなのか意味不明。
知能が低い相手とは意思疎通も難しい。 >>805
ごちゃごちゃくだらない言い訳ばかりで、>>790に回答しないバカ。
このバカと会話するのは無理っぽいなあ。 ペットボトル入ったミネラルウォーターの喩えはずれてると自覚してごまかしてるだけか。
なるほどねwwww。 >>807
普通の人が一瞬で解る事を更に説明を要求するアホラフキンには自分で考えろと言って笑うだけ
お前どう見ても知恵遅れだぞ? >>808
ペットボトルA=自 B=他
容器に開ける→AB判別不能→自他の区別無し→ボトルに戻す→AB即ち自他の区別有り
従ってお前が勝義諦と世俗諦の概念を上手く理解出来ていない 又はその能力を欠いている としかならん
原因を他人に求めるからそういう間違いだらけの人生になるんだよ >>810
@ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はある
A一つの器に入れたら区別が付かなくなる
状況が違うこと理解できてる?
自他は@とAのどっち?
バカの喩えは的外れなんだよなあww。 >>810
お前の言いたいのは、
@ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はある
A一つの器に入れたら区別が付かなくなる
で、
@世俗諦
A勝義諦
こういうこと?
w >>811
本質が水であるならどっちでもいい
馬鹿は比喩が理解出来ないから拘るんだよ
それアスペの症状だぞ >>814
さっさと回答しろよ。
めんどくせえ奴だなあ。 >>815
その通りだ だったらどうした? と聞いてるんだが アスペは比喩も含みも理解出来ないんだよな?
めんどくさいのは此方だよ 馬鹿 笑 >>816
すっと答えろよ馬鹿。
なんなのお前。
めんどくっせえええ奴。 >>816
すっと答えろよ馬鹿。
なんなのお前。
めんどくっせえええ奴。 >>818
アスベマンも
>>811
>バカの喩えは的外れなんだよなあww。
何が的外れなのかはよ具体的に言ってみろや!はよ >>817
答えて次に言ってるんだから すっと理解しろよ どアスペ 笑
煽りにしても詰まらなすぎるから暫く放置する >>819
ID:L4yUxlR9が逃げてるせいでなあ。
>>820
だからさ、
お前の言いたいのは、
@ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はある
A一つの器に入れたら区別が付かなくなる
で、
@世俗諦
A勝義諦
に対応するということ。
で、いいんだな。
明確に回答しろよ。めんどくせえええ。 >>819
ID:L4yUxlR9が逃げてるせいでなあ。
>>820
だからさ、
お前の言いたいのは、
@ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はある
A一つの器に入れたら区別が付かなくなる
で、
@世俗諦
A勝義諦
に対応するということ。
で、いいんだな。
明確に回答しろよ。めんどくせえええ。 >>819
ID:L4yUxlR9が逃げてるせいでなあ。
>>820
だからさ、
お前の言いたいのは、
@ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はある
A一つの器に入れたら区別が付かなくなる
で、
@世俗諦
A勝義諦
に対応するということ。
で、いいんだな。
明確に回答しろよ。めんどくせえええ。 >>816
あー、ここで回答してたのか。
その通りだったらどうした?
に見えたわ。 >>819
>>820
@ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はある
A一つの器に入れたら区別が付かなくなる
で状況が違うだろ。
でも、世俗諦と勝義諦は同じ状況に対する異なる見方だろ。
喩えとして全然だめじゃん。 常人が普通に理解できることを理解できないとか、アスペマンって云うのかな?
貴方が仏教を信仰する事はともかく、スレで仏教の教義等について話すことは向いてないなぁ。 無分別であれば自他無く、分別であれば自他あり。
単純にそれだけの事。 >>827
で?
無分別が正しいというのが大乗の主張では?
そうすると自他はないなあ。 >>829
論破されてそれ…。
やはり、馬鹿野園は相手するだけ無駄。 >>830
無分別であれば自他無く、分別であれば自他あり。
単純にそれだけの事。 自他は分別だろ。
分別が無ければ自他なしだろ。
それだけの事。 >>821
(その通りで) だからどうした?と聞いてるんだからさっさと理解して次に移れよ 馬鹿アスペ 笑 >>825
ハア 笑
中身は同じ水だろ?
普通の場合は馬鹿のフリしておちょくってるのかと思うけど お前の場合はガチで話が通じないもんな?笑
よし じゃあ器を無くしてダムなり湖なり大きな水の塊に溢そう
ペットボトルAが自としてBが他とするのは同じな それを湖という大きな水の塊に二本とも開けました それでも水は水です 今度はペットボトルABにそれぞれ水を掬いましたやはり元の水Aと水Bです
つまり入れ物が何であれ本質は変わりません
大乗仏教で言う自利利他というのは相手を利する行いも本質に於いては自分を利するのと同じですよ と言ってるだけだから こんな簡単な事を説明されても理解出来ない奴は仏教に付いて何にも語る事は出来ないと言ってるんだよ 笑
現に誰一人としてお前に賛同してないし お前が仏教の基本を理解してると認めて無いだろ?
多分大乗だけじゃなくて上座部でも同じ事を言われると思うから試しに上座部の指導でも受けて来たら?
先ずは誰かと理解し合ってからおいで 他人の言ってる事を全く理解出来ない上に他人が理解出来ない 頭が悪いとあべこべを言ってる事すら自分で理解出来ないんじゃ誰とも話にならんよ >>835
アホだなあ。
だったら、
ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はある。
でも、中身は水。
と言えば十分だなあ。なんで、状況の異なる2つを出した?
不要なケースを出すのが頭悪いなあwwww。
自分の喩えが悪かったくせに、他人のせいにすんなカス。
で、どっちも水だから何?
違うペットボトルに分かれている事実は変わらんが。
お前の意味不明な喩えで言いたいことを明確にしようなw。 >>835
ここも最高にバカ。
> 大乗仏教で言う自利利他というのは相手を利する行いも本質に於いては自分を利するのと同じですよ
容器は自他。
だけど本質は水。
これがお前の喩えで言ったことだろwww。
本質は自他はないというのがお前の喩え、つまり自他はない。
なのに、なんで本質に於いては「自分を利するのと他を利するのは同じ」とか言っちゃうのよwww。
本質において「自他はない」じゃなきゃだめでしょwww。
典型的なバカの喩えww。 >>836
そうだな
例え話の要点さえ理解出来ないアスペには何で二つの別けられた水を一つにしたり 二つに戻したりするのかも理解出来ないもんな?笑
自他の区別は入れ物次第で その内容に違いは無いという最低限の事も理解出来てないし 利他に付いても原始経典の釈迦の言葉に起源が有るのも知らないし 其処まで幅広く読む気も無いから相手にソースをおねだりするだけ
それと大昔の学者の受け売りで安っぽい大乗批判が精一杯…
お前に理解して貰う必要は無いから諦めな
どんな偉い僧侶や学者がどれだけ説明しても 今してる様に誤解とせん妄を繰り返すだけだろう
それを仏教では無明と言うんだよ
お前以外の誰からもお前に対する肯定的な見解が出てこない現実を受け入れる事さえ出来ないんだからお前には仏教は無理だよ
スマ長老の所にでも行って習って来れば良いのに何故しない?
議論したいならせめて仏門をくぐって入信ぐらいしてから来いよ
今のお前じゃ誰とも話にもならないし集団の足を引っ張ってるだけだよ >>838
みっともねえなんだよwww。
明らかに要らないケースを入れてしまう頭の悪さを反省しとけ。
状況が違うだろ。
でも、世俗諦と勝義諦は同じ状況に対する異なる見方だろ。
喩えとして全然だめじゃん。
で、容器は本質に関係しないんだろ。
はい、自他消えたー。
最高にバカ。
> 大乗仏教で言う自利利他というのは相手を利する行いも本質に於いては自分を利するのと同じですよ >>837
まだ理解出来てない 笑
もう無駄だから止めとけ
俺が言ってるのはオリジナルじゃなくて原始経典の中の釈迦がした例えをアレンジしただけで内容は変えて無いんだよ
それを馬鹿だのアホだの中傷してるんだから ブッダを中傷してるのと変わらんし お前が仏教を基本的な所から理解出来ていないという事実も動かない
お前には仏教は無理だ
向いてないよ お疲れ 本質において、実相なんだから、自他はあると思うが?
それは別に、話題はことなるのですが、質問させて下さい。
今、スッタニパータを読んでいたら、
356 [ヴァンギーサいわく、]第七の仙人さま。あなたのおことばを聞いて、わたしは慶びます。わたしの問いは、決してむだではありませんでした。バラモンであるあなたは、わたしをだましません。
この文章で、第七の仙人(ブッタ)とありますが、他にもブッタがいたということでしょうか。そうなると、大乗につながると思うのですが?
もうこの話題は終了しましたか? >>840
理解できてないのはお前だろ。
頭の悪い喩えのどこがおかしいかも明確に指摘されて逆切れとは。
呆れた馬鹿だwww。
それと釈迦を大乗の捏造に巻き込むお前が無礼だ。
大乗が釈迦の教えそのものであるなら、独自の大乗経典を捏造する必要がないだろ。
なんで、独自の経典を捏造したの?んー??? >>840
理解できてないのはお前だろ。
頭の悪い喩えのどこがおかしいかも明確に指摘されて逆切れとは。
呆れた馬鹿だwww。
それと釈迦を大乗の捏造に巻き込むお前が無礼だ。
大乗が釈迦の教えそのものであるなら、独自の大乗経典を捏造する必要がないだろ。
なんで、独自の経典を捏造したの?んー??? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています