パンケーキ食べたい
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藤原定家と明月記
藤 原定家(ふじわらのていか)は平安末期から鎌倉初期の歌人で,『新古今和歌集』の選者も務め,また『源氏物語』や『土佐日記』の研究者としても知られてい ます。
彼は『明月記』という日記風のエッセイを著していますが、これは18歳の治承元年(1235年)まで半世紀以上にわたって書き綴られたものです。
超新星爆発の記録
『明 月記』には多数の天文現象が載っていますが最も重要なのは超新星の出現記録です。
超新星とは「新しく生まれた星」ではなく「新たに見えた星」で,それまで全く見えなかったところに突如として星が輝き出し,一夜にして10等級以上も明る くなります。
実は星の最期の大爆発で,星の生涯のうち最も劇的なシーンです。 望遠鏡のない時代の超新星の記録は世界で7件しかなく、そのうち3件も記載がある本は『明月記』だけです。
ひ とつめの超新星の記録は、寛弘三年四月二日(1006年5月1日)の深夜、南の低い空に出現した大客星です。
半月くらい明るく輝いたそうで、太陽と月を除 けば人類観測史上最も明るい天体です。
そして明月記の1054年の客星出現記録は世界で初めて歴史に記録された超新星として認められました 後冷泉院・天喜2年四(五)月中旬(1054年5月20日〜29日以後の丑の時、客星觜・参の度に出ず。東方に見わる。天関星に孛す。大きさ歳星の如し。
これを現代文に訳すと、
1054年6月中旬以降の夜中に、超新星がオリオン座(觜・参)の上の東方に見え、おうし座ζ(ゼータ)星のそばで輝く。
その明るさは木星(歳星)と同じだった。
オリオン座の北、おうし座の右の角の先のζ星(天関星)のそばに超新星は現れた
オリオン座の北、おうし座の右の角の先のζ星(天関星)のそばに超新星は現れた
明月記によると、天喜2年(西暦1054年)参(オリオン座の三ツ星)の北の觜(オリオン座の頭)のさらに北の、天関星(おうし座の右の角の先)のそばに、客星が現れたとある。
そこは、まさにカニ星雲が淡い光を放っている位置である。
つまり、日本の古典「明月記」からカニ星雲の元となった超新星爆発の年代が特定できたというわけだ。
このできごとは後に、中国の宋書天文史・客星の項目にも同じような記述が見つかった。
それによると、客星は23日間昼間でも見え、22ヵ月後に見えなくなったと言う。
また、北アリゾナで11世紀に使われたとされるアメリカインディアンの廃墟からも、この超新星を描いたとされる壁画が見つかっている。 地球からカニ星雲まで7000光年離れています
つまり明月記や藤原定家らの時代より更に7000年前に起きた超新星爆発の光が地球に降り注いだことになります
非常に明るく 昼間でも太陽が2つあるような輝きが1ヶ月ほど続いたと世界中で観測されてます
その時の超新星爆発の残骸が今のカニ星雲です 501: 02/18(木)18:19 ID:EB9Wt+Y60(1) AAS
あのセリーナに印籠を渡すとはな
おなじ日本人として誇らしいよ
505: 02/18(木)18:22 ID:yEzgG3Hi0(2/4) AAS
>>501
それだと水戸黄門じゃないか
引導を渡すんだろ
506: 02/18(木)18:22 ID:DXy+SIZy0(2/3) AAS
>>501
肛門様か笑 おどれーおどれー 羊の子らよ
まわれくる まわりくる 山羊の子たちよ
らーらーらーらー、らーらーらー
らんららら ららららら
山羊が子羊になる
宇宙の藻屑となって 人が死ぬ もう終わりの時よ 女王だって人間なのよ。ストレスたまるのよ!
王と貴族の間の中間管理職! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています