【南伝仏教】7年前に悟り開いたので書けるとこまで書く
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寝落ち御免
南伝仏教知ってると多分分かりやすいと思う
何か質問とかどぞ アルボムッレ・スマナサーラの
サンガ新書と照らし合わせて
一来果(一種者?)らしい
それでも4段階のうちの3番目ですが アルボムッレ・スマナサーラさんの本は読んでことはあるのですが
私には合わないと思い、それ以来ずっと忘れていました
当然、一来果もしらないので今ググってます 確かに所々日本語があやふやな感じだったり
読みにくさはあると私も感じていました
ただ理解しておくには最低でも
阿羅漢果、不還果、一来果、預流果の4つだけでも
知っておいて下さい
お釈迦様は阿羅漢果の中でも最上位?
という表現はあまり合っていませんが
軽く知っておくにはそれでいいと思います
その中でお釈迦様の教えに従って悟った人の特徴として
先程触れた4つが挙げられます 欲の支配する世界には、修行によって滅ぼされる9種の煩悩があるが
そのうち6種を滅ぼしおわった者の得る段階とありました
説明もありがとうございます 疑問に思ったことがあれば書いていってください
追って知りうる範囲で答えていきます
とはいえ悟りは非現実的なことですから
どう判断されるかはお任せします 書くのが遅くて申し訳ありません
勉強苦手だったので文章書くのが下手でうまくできないのです
時間が来たらきにせずスパッと寝てください 今は大丈夫ですよ
一応仕事も夕方までは休みなので
それまでに睡眠取っていれば問題無いです 心の機能も含めた体と
今の貴方の関係とはどのようなものなのでしょう? 振るだけなのも宜しくないので
少しずつですが書いていきます
私のやり方はあくまで参考程度に
悟り方も人それぞれですから そうですね、よく例えられる話だと
「水と油」の関係とでもいいましょうか
肉体的、精神的というのは完全に分割出来ないですし
拮抗しているのに変わりはないですが
以前と比べて摩擦が減ったと感じられますね 悟りのやり方は基本的に
「瞑想で観察すること」なのですが
ヴィパッサナー、サマタ瞑想の2種類を主に実践しました
他にも呼吸法など色々…一応挙げると
気功術、自己啓発、数秘術、白魔術、スピリチュアル(精神世界)の本を一通り読み込みました 実は成功体験の法則性って一定の方向で決まってます
皆さんがよく耳にする「フラグ」などというのも
成功体験のマイナス過程をやっているに過ぎません
悟るのもそういった条件下で可能なのですが
あまりそれに「執着」すると逆効果なので
詳細は控えておきます
それが宗教で言うところのシンボルだったりトリガーアクション
として用いられています オカルトの話でも知られている飛鳥昭雄さんが発言した内容でも
「お釈迦様は神様に悟りを導いてもらった」ということも含めて
時期が来ないと悟りたくてもすぐには悟れませんし、自力だけでは無理があります
ただ死ぬ間際に本気で全神経集中させると悟りの階段を一気に昇ったという話もサンガ新書の内容に記載されてますから
一概にチャンスは無いわけではありません
…が油断すると足元すくわれます 私は先天的に集中力が他の人と比較してずば抜けていたので
その恩恵もあって悟れましたが
何せ理解し難い世界ですから誰に話しても信じて貰えません
なのでしばらく発言を押し殺していましたが
どうしても何処かに残しておかなくては、という思いで
書き込みしています
その頃から欲求や執着、悩みや雑な思考が薄れてだいぶ生きやすくなってます
人間同士の悩みはまだ残っていますが、それでも基本的に感情的になっても次の日にはケロリとなってる事が多いです
この部分に関して「アドラー心理学」を読むことをおすすめします >集中力が他の人と比較してずば抜けていたので
うらやましい どうしても知識も必要なので片っ端から読んでいくというのもアリですが、私はそれだけのために3年も費やした結果悟れたので運が良かったのです
しかしそれが水の泡になることも有り得ますので、くれぐれも頭でっかちにだけはならないようにしっかり自力(努力)本願、他力(神様)本願の両輪で頑張って下さい
出来れば神様は由緒ある伝統的なものの方が好ましいです、そちらの方が歴史も時間も長いのでそれに伴う信仰や力も感じることが出来るでしょう 集中力がずば抜けているとはいえ、それだけのデメリットもあります
人の幸福や不幸も集中力で決まると気功の先生方が仰られていましたが、私の場合はどちらかと言うと不遇な場面に出くわすことが多かったです
力の使いようによっては暴走することもあるので、自制心が負けて死ぬなんてことも起こりえますし精神病院行きだって有り得ます
なのでどのようなものであれ、力を過信する傲慢さが仇となって自業自得として我が身に降りかかることを肝に銘じておいてください 私は自己啓発からスピリチュアル
仏教系からキリストと色々な本を読みましたが
どれも通り過ぎていきました
で、ここ十数年は不二一元論です
まあ、集中力と忍耐の欠如により
これだ!とはおもってますが
悟れてはおりません では改めて悟る段階の概要だけに留めて説明します
上手く言語化出来ないかもしれませんがご容赦ください
・集中力を上げる
・毎日自分の感じたこと考えたことをメモする
・出来れば得た知識を自分なりに解釈したり繋げたりするメモも書き込みしておきましょう
・因果関係を第一に、目的を明確にする
・脳の周波数を変えるチャネルを開く…?(意識覚醒状態にて)
・身体浄化を試みる
・法則性だったり規範を尊重する
・瞑想の段階をしっかり踏み、瞑想を解く手順も押さえておく
・想像力を鍛える、ここで集中力と瞑想が活きる
・最後の最後まで慎重に焦らず悠々と急ぎ足で進むこと、一瞬の迷いが無駄にする
とりあえず1つずつ解説していきます ・集中力は瞑想でも出来ますが、出来れば五感のいずれかの一つに集中する(サマタ瞑想)や複数こなしていく(ヴィパッサナー瞑想)があります
初めての方はサマタから始めてヴィパッサナーに移行して下さい
・これは思考の整理で向き合ってこなかった心の内面を暴露する機会です
この作業をするのとしないのとでは大きな差が出ます、スポーツでも基本を欠かさないように日々向き合って吐露していってください
・これは人によりますがツリー学習のと似ています…が私は向かなかったので脳内でニューロンが繋がるイメージでやっていました
そうするととある段階から意識していなかった関係性が薄いものが繋がることを実感します、これはどの分野でも努力すれば閃くといった要領です
・注釈として理屈と因果関係は異なります
理屈は関係性のないものであっても自分の中で納得する意味付けで、因果関係は直接関係のある出来事から始まった起承転結です
その繊細な違いを明確にしていってください、だいぶ骨が折れますが
・私の場合ヘミシンクのCDを愛用していました
休日は一日中付けて浸ることもありました
ただ意識が明瞭でなくなる恐れがあるので、たまには自然の音が収録されているCDも併用するといいでしょう
続きます まるほど
ヘミシンクのCDは私も何枚か持っています ・身体浄化はそれぞれの宗派によって異なっていますからそれに従って下さい
私は基本的に肉を拒んでいました
しかし現在は貧血を解消するため鶏肉だけは食べるようにしてます
定期的に水を飲むことをオススメします
・これは人それぞれだと思いますが、頑なに自分の考え方に縛られてしまうとなかなか悟りずらくなってしまうんです
気付きが遅くなってしまうので、それに気付けばいいのですが…
そこはその人成長次第としか言えませんね…
・瞑想は素晴らしいですし今もたまにやっております
しかし瞑想を解く手順を知らないと意識朦朧で倒れてしまっては元も子もありません
きちんと五感を意識して立ち上げるように促してから覚醒状態に移行して下さい
出来ればここだけの話だけではなく自分でも調べることをオススメします
目眩などした場合は瞑想をやめて休憩するなどして下さい
・イメージトレーニングと呼ばれるものです
羽生選手もイメージトレーニングで練習して技を成功させたという話もあるように、実際に実験からもその有用性は明らかです
悟りを開いていない人は妄想でもいいのでどんな場所か、どんな感触がするか、どんな匂いか、どんな音が聞こえるかなど想像を膨らませて下さい
もしその時に気が滅入るような精神的不安定や感情がたかぶる出来事からは出来るだけ避けて下さい
出来ないのであればメモで吐き出すなり気分を紛らわせたりするなど現実逃避でも構いません
・私の場合は悲しみに埋もれて、絶望に浸って、ただただ恐怖の奥底に沈むのを「観察」していました
次々と「執着」を手放して全て何も無くなると光のトンネルから闇に引き込まれます
その時に光明がゆっくりと顎と喉仏の間を潜り心臓部に到達すると全身を包み込むかのように光りだします
その段階で自分の身体が見えたり何かの声が聞こえてきたら「悟った」と言えるでしょう
実際に私はその状態で確認のために地面に降り立ち手の感触を確かめるとザラザラとした絨毯の感触がしました
これはヘミシンクでの「体外離脱」と似ていますが異なるものなので区別しておきましょう 忍耐と集中力が無いのではなく
それを関連して観る力が不足しているのでは無いかと見受けられます
無論無駄な装飾もありますからそれを自分の中で取り外して共通項を、と抽象度を高めるようにしていけば自ずと見えてくると思いますよ 恐怖に関する話はOSHOの書籍も参考になると思います
他にもスピリチュアル本ではロシア発祥の「トランサーフィン」だったり、人間の欲望に関しては自己啓発で有名な著者の「悪魔を出し抜け!(きこ書房?)」もオススメです
哲学ではニーチェの思想にも触れたり、先程も言った「アドラー心理学」も哲学の延長線上です
自分の内面について知りたい時は「神聖(マヤ)暦」が手助けになってくれるでしょう 7年前に関する話を少しだけ話すと
・惑星の位置が六芒星を描くような軌道になっていた
・私が18歳の頃でした(あらやだ歳バレちゃう…)
・星座の位置関係も線上にあった(神の道、人の道と英語で記されていました)
しかも次元移行の話が盛り上がっていた時期でもあるので、その年は特別なものだったと実感しております 現状というと劇的に変わったわけでもなく日々を過ごしています
また肉体にとっては負荷のかかるものなので、悟りをもう一度なんて言ってられません
いやもう本当にあの一体感は半端ない(語彙力ry)なのですが
じゃあもう一度なんて出来るのかというと
アルボムッレスマナサーラ師のサンガ新書では「全く同じ体験というのは不可能」と記載されており、私の場合は次に不還果があり悟れるかどうかは検討しかねます
南伝仏教には記載されていませんが、OSHOの「退屈」「恐怖」「勇気」に関する話はよく記憶に留めておいた方がいいです
私がその体現者でしたから それでは時間も遅いのでお暇しますね、、
また何かあれば質問して下さい
ちょくちょく覗いて返信出来るようにはしますが
時間が遅くになるにつれ更新の頻度も落ちますから
鮮度が良い内に自分自身の中で噛み締めて血肉にするように
知識を吸収していってください
それではノシ お疲れさまでした
お話聞かせていただきありがとうございました
私は、限定された個人という想念の棘を抜きされるよう
焦らずやっていこうと思います
また、質問させていただく時が来ましたら
よろしくお願いします サマディに関する話を調べた上でお話します
私の体験から考察するとそれは光明を得る前の段階
>闇に引き込まれる
という体験であるように感じます
サマディに達しても悟ったと言うことは出来ず
光明を得るまではその集中力を活かすかどうかは
貴方自身にかかっていると考えておいて下さい
究極の集中力を持続させた時に起こる静寂さ、無、空といいますか
確かにそれは私が闇に引き込まれた段階で起こりました
しかしその次に光明を得たので私は「悟り」を会得し
その体験に酷似している内容を照らし合わせた結果
一来果一種者の段階に進んだ、と考えております 一つ追加しておかなければならないのは
私が肉体的に死ぬ間際に諸々は「無常」であることを
ひたすら観察していました
言葉にするのは簡単ですが、瞑想における壁は「恐怖」「退屈」「穢れ」です
「退屈」というとそこまで問題がなさそうに思われるかもしれませんが、苦痛を感じた時ほど人間はその時間を長く感じるようになります
しかし実際に瞑想をすることは肉体的に「退屈」を強いている状態です、悲鳴を上げないわけがありません
いつ悟れるか分からない、永遠に続くかのような「退屈」を強いるより日常生活に戻る方が…と普通ならそう感じるでしょう
さらに瞑想を間違った方向に進めてしまうと、怨念の声や老若男女の悲鳴などが聞こえたりすることもありました(まだ始めて間もない頃に
また傲慢や嫉妬などといった罪を背負ったまま言動を繰り返すと、正しい道に行こうとする時に陥れられたり裏切られたりする可能性が非常に高くなります
そうやって同じ道を歩かせようと、恐怖心を抱かせようと、退屈よりも刺激を求めるように仕向け、周囲に流される人間が何も疑問を持たないようにすることが、目覚めを妨げ悟りづらくさせるような心も持っているのが人間です
決して並大抵の努力だけでは到達出来ませんし、死ぬ事も覚悟したとしても感情や心の荒波を耐え忍ぶほどの力が残っているのか
私がここではっきりと言えるのは
「死ぬのは馬鹿らしい」と最初から匙を投げている人間は決して悟れませんよ、ということです 悟りにおいて自分の「生死」も「無常」の対象です
ひいては自分の家族や友人、出会った人たちや思い出も自分の所有物でさえも「無常」のものです
簡単に思われるかもしれませんが、例えば貴方が大金を貰う約束で新幹線に乗って移動の最中に脱線事故で死んだらどう思われますか?
ここで「お金」が大切だと「執着」している人間は「俺のものなのに、他のやつに渡してたまるか!」と一瞬でもその考えがよぎったら悟れません
僧侶の人達でさえ「知識」が砂の塵のように消え去るのを感じながら「私は悟りたかった」と「知識」に「執着」した場合、悟るのは困難です
いくら偉い方でも通り魔にやられてしまった時「私の妻子はどうなるのか」と心配事を起こすことも「妻子」に対する「執着」です
だからといって自由奔放に無闇矢鱈に生きるのではなく、お釈迦様が唱えられた正しい行いを念頭に実践していくことが必要不可欠です
悟りに関してどのくらい難しいか、ご想像出来ましたか?
沢山情報がありすぎても混乱されると思いますので、ゆっくりと味わうように噛み締めながら整理してみて下さい こんな奴が悟ってるわけねーだろ。
破戒僧スマナサーラ教の悟りに達している可能性はあるが。
魔境って奴な。
神通力見せてみろ。
仏教の境地と悟りは不可分だぞ。
言い訳すんなよ。 大体、破戒僧スマナサーラは預流の段階で戒律は全部守ると言ってんだ
こいつは受戒もしてねーしろくに戒律守ってねーだろ
どうせ、バカニートだから守ったふりしてるのかもしらんが とりあえず、悟ってないと言えないことは書いてないな 仏様は後にも前にも御一人様
なぜだか分かるかい?未来永劫常住だから
或いは時、或いは国、或いは機に応じた仏様
正法時代には釈尊、像法には諸菩薩等、末法には日蓮大聖人
ド末法の衆生が知り得る最大の仏教と悟りは南無妙法蓮華経
末法の穢土に出現される御本仏こそが久遠より出世の本懐だから 諸行無常‥永遠に続く物等何も無い
諸法無我‥如何なる物事も自分ではない 自分のものではない
一切皆苦‥生存に依って得られる物事は全て苦しみに向かう
涅槃寂静‥苦しみの止む道が有る なぜ自称覚者は単発スレを立ててしまうのか
自己顕示欲高過ぎ >>38
マジ悟ったアピール必死で草生やすしかないよな
現実世界の落ちこぼれは スマナサーラ専用スレが沢山あって、評判が最悪なのを知っていて変なスレを立てる
そこでこっそり、カルト教祖スマナサーラを引き立て役にして自分を持ち上げる
自称悟った奴ってずいぶんセコイんだな 内容拝見しました
貴方たちの仰る通り掲示板にはスマナサーラに対する批判や悪評など様々な情報が載せられていることを初めて知りました
私はこの掲示板を利用するのはここで初めてであり、勿論私の掲示板に対する批判を覚悟の上でスレを立てた次第です
ただ私はあくまで知識として知っておいて欲しいことを公開したかったのであって、決してスマナサーラやその他諸々の人物や書籍を故意に高く評価することはするつもりもありませんし、そのような意図もございません
私の書き方が厳しいと感じた方もいらっしゃるかと思いますが、悟りについて伝えようとすればするほど厳しくならざるを得ない事実を体験した以上、そう書かなければいけないという葛藤があったことにつきましてはご容赦ください
私が言うのもなのですが、嫉妬などの劣等感を活かすかどうかも貴方たち自身の手にかかっています
私はそのような感情を否定するつもりもありません、そもそもそれを絶対悪だと決めつけ苦行などによって克服しようとする試みこそ悟りから遠くなる道だからです
私をどう評価しようとも一向に構いません、とにかく貴方たちにとって良き道を拓ける手がかりになれたのであれば嬉しいです
長文失礼しました
そしてここまで読んでくださりありがとうございます >>46
あなたが覚者だと信じるに足る根拠が書かれていない、ってだけの話
厳しいも何も、書き込みの信憑性がそんなこと検討するレベルに達していない
これだけの内容なら個別スレ立てずに適当な仏教スレに書けばいいじゃん、ただそれだけ
場のルールを知らないまま安易に新規スレ立てるのは非常に失礼な行為です 私は神様の行いに従うだけ。
オーストラリアで山火事があったが、火事を起こしたのも神様で、雨を降らせたのも神様。
大艱難の時には神様は雨をお降らせにならない。だから俗に「火の洗礼」と呼ばれる事象が起こるだけ。
異常気象は既に起こっているが、大艱難の時には更に酷いことになる。
そう遠く無い内に大艱難はやってくるから今信じられない人はその時に私の書き込みを思い出せば良い
見ていれば分かるよ、グローバリストやエコノミストがやっている事は金と時間の浪費だ。
アートマンでもナートマンでもなく、私は永遠の命を主に与えられた、ただ主を信じる者
A(admit) 自分が罪人である事を認める
B(believe)主が私たちの罪の為に十字架にかかって血を流され、3日目に復活され、神となった事を信じる
C(call upon his name) A,Bの項目と、赦して欲しいという事を声に出して、霊的に生まれ変わらせてもらう。
救われるのに洗礼を受ける必要もびた一文の銭も必要としない。これが本当の「救い」
これから救われる方々が祝福されますように、この文章を見た方全員が救われますように。主の御名によって、アーメン ワシも悟りを開いたんや
目覚めたから文字通り一睡も出来なくなった
コリャおかしいと試しに精神科で診てもらったら統合失調症と診断された
今から10年以上も前の話や
お前も診てもらえ(´・ω・`) >>48
仏教関連スレにヤハウェの宣伝するなよ 異常者
神なんぞ要らん 預流果から一来果へは、どうやって、修行されたんですか?
預流果になったのと同じ方法でヴィパサナーやってると、
勝手に一来果になりますか? >>53
キチガイほいほいスレだな。妄想に妄想で質問する。
自演じゃなきゃ日本に病んだ奴が多いってことだ。 私は幼少から実行につとめてきた。毎日行わねばならぬことが沢山あったからだ。
水も汲まねばならぬ。庭も掃かねばならぬ。灯りもつけねばならぬ。そのほかどれくらいあったろう。
孔子は「行って余力あれば文を学ぶ」と言った。
私は孤児で親類の家に寄食し、昼夜ひどく使われて、少しも余力がなかった。
人は湯をわかしてお茶を入れたが、私は冷や飯に水を飲んでその暇に学んだ。
柴かりの道で読み、耕作の暇に読み、人が寝静まってからそっと読み、ようやく四書だけ一通り習ったのである。
その中で、いろいろ考えたすえに意味のわかったことは、一字一句でも一生懸命これを実行してきて、なお行い尽くせないでいる。
今の儒者や坊主は千万巻をあさり読んで、毎日のようにぺちゃくちゃと議論ばかりしているが、どうやってそれを実行するつもりだろう。
行わなければ読まないのと同じだ。まことに実行がすたれているものである。(二宮尊徳) 二宮金次郎かと思ったら二宮金次郎だった
>>53
大乗でも上座部でも関係なく
色んなお坊さんの体験談も読んでみるといいよ 悟りを、心理学的に言うと、投影を知る事だ。
悟りとは、心の状態。
心の状態とは、認知。
認知とは、自己と他者。
自己と他者の差異が、苦しみを生む。
しかし、心理学の投影を知り、
相手は自分を写す鏡である と気づけば苦しみは空と化す。
つまり、悟りとは、相手は自分を写す鏡だと知ること。心理学の投影を知る事。
肯定は更なる肯定を生み、否定ですら深い肯定であることを知る。
でもだからこそ自分次第、自由自在。
色即是空、空即是色。
しかしそれを知ってからも人生という修行は続く。
自分と対峙し続けるという孤独な苦行。
悟りなんぞそんなもんだ。糞の役にも立たん。
しかし悟りは素晴らしい。 スマナサーラカルトの悟りとは仏教を使って私利私欲を満たすこと 破戒僧スマナサーラ信者の末路がスレ主
仏教と悟りを利用して人様の上に立とうとする
適当な基準を設けて、自分の欲を満たそうとする スマナサーラ信者は仏教を利用して低レベルな欲望を満足させようとする このスレ立てた奴もスマナサーラに騙された悲惨な人なんだな スマナサーラ被害者の会はここですか(´・ω・`)? 雷果,おもしろそうなお方、
おいらは最低ランクの悟りをマスターしているらしいです笑。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています