大切なものは、目に見えないとは、
サンテクジュベリの星の王子様の中にある言葉で、
それを言いたくて書いたのだ、と思う。

読み手に任されているから、目に見えないものは、それぞれに 違う、と思う。

わたしの場合は、旅の同伴者。

三男が10歳になったころ、休みの日に出かける時、行くよ、と声をかければ飛んできて抱き着いてた来てたのが、
ある日、
パパとママと二人で行っていいよ、俺は友達と遊ぶから、と言う。
それで、二人で車sで出かけたのだけれど、1時間以上何も話していない事に気が付いた。
子供が居たから、子供を通じて夫婦は会話していた気持ちでいたんだね。
運転席と助手席に座って同じ前方を見ているのだ。
子供に対する時、
同じ姿勢、同じ答えを出そう、と、長男が生まれた時の決め事だった。
子供は見上げてこいつは俺の見方をしてくれると見たら、そちらへ擦り寄るからだ。
わたしは鮮明にこれが良い、これが悪いと、旗をふって指し示す。
たとえば相撲の行司さんのようだ。

だが、10歳は、大正時代の尋常小学校4年生で、丁稚奉公へ出る年齢である。
また、小学校4年生までの勉強で、人は不自由が無いのだと聞く。
子供は自立していく。
わたしが子供ではなく、親になり、何かを失い何かを得て、何かを得て何かを失ったように。

さて運転席は前方だけを剥いているが、これを向き合わせにしようと言った。
そうしたら、会話ができた、子供抜きなのに。