>584: 12/04(水)07:04 ID:i+XcgzjN(2/2)AAS
そこは、どうしていたというのでしょうか?
>まさか、 方便の教えを布教していたとは、言えないでしょう。

まず法華経も方便の一つである

真実は直接言語で説く事は出来ないと龍樹菩薩が述べた通りだ

>仮に法華経が 別人が説いたとしても【正直捨方便但説無上道】と言って方便の教えは使用してはいけない。
>と言っているのに、
>今でも 真言宗は 方便の教えを 、 使用しているのはおかしいでしょう。

方便の教えを捨てるというのは方便を極めて初めて可能になる事なのに 全然法華経作者の言わんとする所が理解出来ていない

法華経も言語で語られた部分は方便だから 文底秘沈なのだろうに 全く真理の性質が理解出来ていない

>もう少し詳しく言いますと、四十余年に説いた、華厳、阿含、方等、般若の教えのすべて、方便権教であり、これらを、打ち捨てて真実の教えである、法華経を説くと述べられているのであります。

五時教判もインドに行った事も無い僧侶が空想で作成したものだから法華経よりも前に華厳経が説かれた等と事実に反する妄想に陥る

華厳経には法華経の影響が見られるものの 法華経には華厳経や大日経 金剛頂等の後期大乗経典の影響は見られない

更に密教経典に至っては経典内に名前すら出てこないのは これらが法華経よりも後に成立された爾後の経典で有るからに他ならない

原始経典や他の初期大乗経典を爾前の経典としている法華経もまた華厳経以降の経典から見れば爾前の経典となる

プライドだけの狂信者には受け入れ難い事実だろうが もはや日蓮宗も含めた正宗系以外の諸宗派にも研究者にも法華経を生前の釈迦が説いた等という架空の説を信じるものはいない

釈迦の生前の経典の中にも証拠の無いものを信じてはならないという重要な教えが有り とにかく信じる事を強調する法華経とは逆になっている

釈迦はおそらく自分の死後に偽の教えが多数出てくる事に気付いてそのように言い残したのだろう