どのよふな事でも神のする事や これをやまいとさらにをもうな (6-22)
なにもかもしんぢつ神のぢふよふを しらしたいからしてみせるでな (6-23)

このたびハもふぢうふんにひもきたり なにかよろづをまゝにするなり (6-65)

それしらす高山にてハなにもかも なんとをもふてまゝにするぞや (6-66)

なに事もこのところにハにんけんの 心ハさらにあるとをもうな (6-67)
どのよふな事をゆうにもふでさきも 月日の心さしすばかりで (6-68)

高山ハなにをゆうてもをもうにも みなにんけんの心ばかりで (6-69)

月日よりつけたなまいをとりはらい このさんねんをなんとをもうぞ (6-70)

130年期間、
100年祭には三代真柱が「おやさまが親神さま」と宣言されたが、
そこからの30年で、付けた名前は、取り払い状態のままだ。

 橋本武人さんに、おやさまが親神様と言う教義体系を、私が創りますと告げた、
その百年蔡のできごとは、
演歌王の神名の復元宣言であった。

 おやさまが、真実、神の自由をしてみせると告げたお筆先。

 甘く見ないがよい、さっさと信仰を捨て、信心で、効能の理で、
病たすける事こそ、だめの教えと究極と、教理を訂正したらよい。