>>322

直接の説明にはならないけど 同じ中論の中で大覚と小智という言葉で仏と俗人の心の状態の違いを表されてるよ

https://zapo.exblog.jp/3917561/

仏の境地(大覚)は広く照らされた(曠照)ものであるが,小智のものは狭い心(隘心)が,まとわり(纏)ついていることを知るのである。
これ(隘心)を照らして,広げなければ,すなわち、存在が有るとか無いとか(有無)の偏見を退治して,出家者と在家者(道俗)を同一の見識にすることはできない。
これを知り尽くさなければ、すなわち、いまだ途中で悟りきれず、生死と涅槃の二つの状態(二際)をなくすことはできない。
道俗の偏見を無くし、二際なくすことができないということが、菩薩の憂いである。