>>358
>梵本の諸法も教法という意味では無くて、「あらゆる現象しているもの」という意味だが。。。

煩いなぁ?

お前にはそう見えるのか?
だとしたら心療内科に行きなさい。

以下、当該箇所の植木先生の解説(法華経/角川ソフィア文庫)を引用したから刮目して読んでおきなさい。


鳩摩羅什は 、「諸々の法 」(諸法)を「教え」から 「あらゆるものごと 」に広げて一般論化して 、
相(外面に現れた姿 ・形 ) 、性(内在的性質 )、体(本質 ・本体 ) 、力(内在的能力 )、
作(力の具体的顕現 ) 、因(内在的な直接原因 ) 、縁 (補助的間接原因 ) 、果(因 ・縁の和合による内在的結果 ) 、報(果の具体的顕現 ) 、
本末究竟等(相から報までのすべてが融合していること )──という存在の在り方 、因果の理法などの十如是として展開していたといえよう。