見仏では、金剛般若経に説かれている『若見諸相非相即見如来』という教えを取り上げて、
自らの理解を示しているのは、「成等正覚論」に示されているような理解、
すなわち、諸相は相に非ずと見ることが如来を見ることであるとする理解に対して、
その誤りを指摘するためであったと考えられる。
金剛般若経の『若見諸相非相即見如来』という教えに対する達磨宗の理解は、
『自心即仏』と主張に基ずく理解であり、塵労を動かさず正確をえるために用いらているのである。

見物には、当時の仏教界の裏事情みたいなものあるようだ。
ちょっと面白いので読みこなす。